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はてなキーワード: ユング心理学とは

2024-02-22

anond:20240222164815

ユング心理学シャドーとは。

物に光が当たると、明るく浮かび上がる一方で暗い影も生まれます

人の心も同様に明るく光の当たる面と暗い影の面を併せ持っています

光の当たる面は、自分が「このようにありたい」「このように生きたい」と望む内容です。

一方で影は、自分が嫌う自分の反面(半面)です。

自然界の物は光が当たる面と影の面があるからこそ、美しく深みと奥行きを持つのです。

人も同じで光だけではなく影も併せ持つからこそ、豊かな人間になりより良く生きられるのです。

ところがたいてい影の部分は、当人としては好ましくない内容です。

自分では受け入れたくない部分です。

そこで否定され容認されずに捨てられた自分の面をユング心理学ではシャドーと呼びます

「生きられなかった反面(半面)」とも表現されます

捨てられたといっても実際にはシャドーは残ったまま存在しています

わかりやすいように意識無意識で簡略化して説明します。

シャドー意識に上がってこないように無意識の中に抑圧されます

当人シャドー存在にも自分で抑圧していることにも気がついていません。

シャドーは抑圧したままだと、歪んだ不健全な形で、様々な場面で私たちに影響を与えます

たとえば他人自分シャドー投影されるということがあります

投影というのは自分の中の心的内容を自分のものとして認識せずに他人に映し出すことです。

「あの人のあの部分がどうしても嫌いだ」

と思う場合でも、実は自分にも似たようなところがあり、それを認識せずに相手投影していることがあります



ユング心理学自分の中の生きられなかった「影」の部分(小林いさむ)

https://note.com/shinrishik/n/nffcbf15ca44e

2024-01-21

xで軽度知的障害女性心理学大学院卒業していた

ユング心理学にハマっているようで何冊も本を読んでいる

IQってなんだろう

2023-07-15

anond:20230714205336

今作は千と千尋以上にメタファー連続からメタファー込みで読み解く必要がある

例えば以下の様なメタファーがあると俺は思ってる

これでもまだ一部だけど

石⇒アメリカから渡来したアニメーションディズニー

石の塔⇒スタジオジブリ/俗世から隔絶された内的な世界

ペリカン⇒旧世代象徴/アニメ業界の古株

ワラワラ新世代の象徴/アニメ業界新人

インコ権威ジブリ)に固執する大衆メディア

インコの王⇒東映日テレ

青鷺⇒鈴木敏夫

叔父宮崎駿分身職業人、特にジブリ以降の駿

真人宮崎駿分身少年時代の駿/未来を生きていく若者達の象徴

ヒミ⇒母性象徴であり永遠の少女

まり今作に込められたメッセージ

・俗世に背を向けて内的世界に耽溺し少女母性を求め続けた表現者としての宮崎駿自己否定

・この先の未来を形作っていく若者達へ向けた「俺(たち)の真似をするな、自分自身の道を切り拓け」っていう警句

・「鈴木さんは嘘つきです」

の3本にまとまっている

ちなみに石の塔っていうのはユング心理学的には深い意味があって、今作ともめちゃくちゃリンクしてると考える

石の塔のユング心理学的な意味については以下URLがわかりやす

http://www.j-phyco.com/category2/entry54.html

駿は千と千尋の神隠しの制作の際にユング心理学言及してたはずなので、意識的に石の塔を描いたと俺は思う

今作は表層のストーリーラインだけを追うとキャラクター感情が飛び飛びで意味不明の怪作になる

2022-02-19

anond:20220219182317

山手線が平日の朝8時~9時前後乗車率300%になる現象不思議だよな?

ユング心理学でいう同時共調性っていうやつなんじゃないか

2021-01-25

昨日、久々に匿名ブログを書いた。

ずっと昔に書いた自分匿名記事が残っていたので読んでみたけど、今とは全然違う考え方をもっていたようだった。

まるで赤の他人が書いた文章みたい。

今見ると、恐ろしく短絡的で愚かで、断定的。まったくどうしようもない人という感じする記事だった。

さて、2週間ごとに本を5冊図書館で借りていますが、今度から借りる本をこういうふうにしようというのを決めていこうと思うんです。

まず、1冊目は、シリーズもの

山本周五郎藤沢周平時代小説。今は剣客商売を読んでいるけど、10巻の「春の嵐」まで読んだので、そろそろ終わってしまう。

今読んでいるシリーズは、剣客商売千夜一夜物語ナルニア国物語

千夜一夜物語も10巻まで読んでいる。

そのシリーズを1冊借りる。

2冊目は、新しい物語

先日、マハーバラタの上を読んだけど、新しい物語。今まで読んだことがない物語を借りる。

3冊目は、積本。

小説とかではなく、どっちかというと専門書的なやつ。

今週は、「夢の劇場」というのを借りているけど、この手の本は読むのに時間が圧倒的にかかる。本当は買って読むべきなんだろうけど。。

できれば、松村先生占星術2も通読したいけど、これも多分買わないと無理かも・・

4冊目は、占星術ユング心理学グノーシス、おそらくミトラ教関係神智学関係

最近、この手の本を借りたり、借りなかったりで、知識の増え方が緩慢になってきた気がする。

先週来、老松先生という大阪大学の人の出したユング心理学の本を読んで、もっと勉強しなくてはと思うようになった。

ユング心理学をやると最終的にグノーシスミトラ教の方向に行き着く。

ヘルマン・ヘッセは、ユングと親交があったそうだ。

シュタイナー神智学ももっと読まないといけないけど、全然進んでいない。

前に、「オカルト生理学」の抜粋を読んで面白かったので、読んでみたけど、たぶん、これも難解な本で、買うべき本なんだろうな、と思う。

5冊名は、できればヨガ、とか、今興味を持っている工作とか、地震前兆とかの本。物語でもなく、占星術でもなく、積み本でもない、新しい分野の興味のある本。

こんな感じでやっていったら、偏りがなくなるんじゃなかろうかと思いますけど、どうでしょうかね。

とりま、来週は、

1. シリーズ 剣客商売11 勝負

3. 積本 鉱物宝石文化史

は予約した

5は今読んでるクンダリニーヨーガの本を書いた人の呼吸法の本がいいかなと思っている。

4は「アイオーンを読む」が面白そうというか昨日ちょっと読んだけど、ぜひ読んでみたいと思った。けど、これもちょっとやそっとで読める本じゃないし。。。

来週は、この2冊+「ありのフェルダ」っていう絵本にしようかな・・

結局思い付きで進んでしまう・・

結局

① 剣客商売11

② 鉱物宝石文化

③ 倍音唱法

の三冊にしました。

2020-03-20

こじらせててつらいのでカウンセリング行ったら楽になった話

スペック

(いくつかフェイクあり)

この記事を書いた理由

カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。

それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。

増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。

増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。

どのようなことで困っていたか

長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的ものだけを箇条書きで挙げる。

カウンセラーはどんな人?

臨床心理士資格を持っている50代の女性中学生くらいの子供がいるらしい。

髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。

実際のカウンセリングではどんなことをするのか

初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。

二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談きっかけに、突破口を開いたこともある。

夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議経験だった。箱庭療法最初の一回も、自分心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。

これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。

治療も後半になると、こうした技法ほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。

カウンセリングの進行、そこで自分はどう変化していったか

始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分カウンセリング技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイト著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから必然的相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つの人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。

カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活自慰行為風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。

そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。

最後に、カウンセリング時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなた感覚はそれほどおかしものではない」という趣旨言葉を返してくれるだけで、自分過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。

カウンセリングの中で、カウンセラーを好きになること

ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月ことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分軽蔑しない彼女存在が尊く思われた。

珍しくないことだが、自分カウンセラー好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなた尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人尊重することを身をもって学んだ。

一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。

カウンセリングを通じての自分認識の変化

過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事感謝することを学べたように思う。

また、自分の恐れの感情トラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。

もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。

何よりも現実検討能力がついた。不安不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安エネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。

上記の悩みに自分は具体的にはどんな答えを見つけていったか

悩みの解決過程言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。

過去いじめ、対人関係トラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分女性から不快な思いをさせられた経験から絶対女性を傷つけてはいけないというルール自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。

それに、世間はいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性自分暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。

フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。

仕事に関しては、転職をした。自分能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。

男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。

その中で、家族との関係改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間からこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。

処女厨ロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックス気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。

女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子かわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。

同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。

死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。

カウンセリングを終えたきっか

カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。

とても感謝はしているけれども、自分自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日出来事淡々カウンセラーに報告するだけみたいになっていた。

というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ

ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。

最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。

そして、僕は無事にカウンセリング卒業した。

続き→ anond:20200320072823

2019-05-29

川崎殺傷事件ブコメへの言及

川崎殺傷事件死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

記事は概ねまともなものとして受け止められているようであるが、中には反論する者、疑問を呈する者、新たな論点提示する者なども見受けられる

それらには見るべきものもあれば、検討に値しない詭弁もあるように思われる

増田個人としては、何が何でも相手を貶めようとする後者のような下衆な輩は嫌いではないので、本記事においては、増田らしく、猿の喧嘩のように、不毛言及をしていく

これは綺麗なスルメロックでは?

murasakizaru これは綺麗なスルメロックでは?女に比べてあらゆる高下駄自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサンの恨みを女の子たちが女神のように一方的に受け止めるの?私は怒りも非難も隠さないよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4669352217264433538/comment/murasakizaru

記事には性別に関することなど一切書いていないにも拘らず、ここではなぜか「女」という要素が持ち出されている

この時点で既に論点がブレ始めているのだけれど、仮に本事件が「女に比べてあらゆる高下駄自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサンの恨み」によって引き起こされたものであるとしよう

たとえそうであったとしても、元記事で主張されているのは「社会あなた大事にしているし、何かができるかもしれない。社会あなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき」というように、社会「女に比べてあらゆる高下駄自由を享けても思うほどの特権を得られなかったオッサン」を包含していこうということなのであって、「女の子たちが女神のように一方的に受け止めるの?」などというように、女性にのみ何らかの役割を求めているかのように受け止めるのは、明らかな誤読である

あくま主語社会全体であり、困っている人に手を差し伸べるのに性差も糞もないのだ

では、本記事では 性別問題にされていないにも拘らず、この人物はなぜわざわざ 性別を持ち出して論点化しようとしたのだろうか?

その理由分析するために、過去ブコメをいくつか見ていこう( https://b.hatena.ne.jp/murasakizaru/

新版“6歳から7歳の小学生女の子13人” 池田小の時と同じく、狙うのは低学年の女の子女の子被害者意識肥大させたオッサンストレス最終処分場

さないという意思表明に意味があるからだ。ヘイトスピーチを許さないし、痴漢を許さないし、全ての殺人を許さないかには留保があるが見知らぬ女の子殺戮は許さない。「もっと酷い目に遭うから黙れ」には与しない

どうやらこの人物性別を持ち出したのは、被害者の多くが小学生女の子であったからだと思われる

すなわち、男性大人という腕力のある者が、女性の子供という弱者を狙った者であることを重視しているのだろう

しかし、本事件では小学生だけでなく大人も襲われているし、死亡している内の一人は30代後半の男性である

いくら刃物を持っているとはいえ、51歳の男性にとって30代後半の男性というのは十分脅威であるし、容疑者返り討ちになっていた場合も考えられなくはない

もちろん、容疑者第一に狙っていたのが児童である可能性は高いだろうが、容疑者よりも10歳以上若い成人男性殺害されているという事実スルーし、「女の子一方的に受け止めるの?」などと無理やり性別問題に引き寄せて語る振る舞いは、牽強付会であると指摘されても仕方がないだろう

本当に行政個人が手を差し伸べる国だったら氷河期世代問題無敵の人問題存在しない

t1997takaaki 嘘のメッセージで思いとどまらせようとするのも残酷だと思う。そういう人にたいして本当に行政個人が手を差し伸べる国だったら氷河期世代問題無敵の人問題存在しない。絶対に助けない国だからそれらがある

https://b.hatena.ne.jp/entry/4669352217264433538/comment/t1997takaaki

見出し引用した言葉は極論であるが、極論であるが故に、強い共感を得られそうな主張である

しかし同時に、これはまるで「神がいるのならば、なぜ悪が存在するのか?」とった、いかにも古めかしい神義論を彷彿とさせるような言説でもある

また、元記事あくま社会に関する提言をしているのであるから、例えば「絶対に助けない社会」というように、社会について言及するのが自然であるが、当人はここでわざわざ「国」という要素を持ち出している

どうやらこの人物は、本邦に対する特別な不信感を抱いているようである

ここで、この人物パーソナリティ分析するために、過去ブコメをいくつか見てみよう(https://b.hatena.ne.jp/t1997takaaki/bookmark

id:REV id:inmysoul id:keinorichi2250 id:suisuin id:kakaku01id:kibiya id:kusorurosuk とっととブコメ訂正しろ情弱知恵遅れども。何がコラだ。Twitter検索すれば秒で元動画出てくる。それすらしないでデマ認定とかなんでそんな頭悪いの?

任天堂大好き44才無職おじさん、退院後も逮捕しないという続報(https://twitter.com/i/status/1120673410713931776)が出た後は完全に知らん振りしてるのね。完全に梯子外されてやんの。「自分は賢いと思ってるバカ」の典型

事故起こした直後に真っ先に息子に電話かけて連絡して対処してもらったヤツの怪我の程度が本当に重いと思っているのか。はてなって「自分は賢い、騙されないと思ってるバカ」ばかりでウンザリする。

人によっては生理的嫌悪感を催すであろうおぞましいブコメの数々であるが、悪いインターネットに毒された諸兄にあっては、ごく見慣れた日常風景であるかもしれない

早速内容に当たると、まず、個々のブックマークはてな全体への言及が見られる

この人物はどうやらはてな、あるいははてなブックマーカーに対して否定的な印象を持っているようである

しかし、このようなサービス利用者に対する強い感情を表明している割に、ブックマークの総数は百数十と少ない

このことから、このアカウントは殊更に過激な主張を行うためのサブアカウントなのではないか、という仮説が成り立つ

他にも「情弱知恵遅れ」「自分は賢いと思ってるバカ」など、知性に関する強い執着を持っていることが見て取れる

ところでこのような執着は、ユング心理学においては本人のコンプレックスに由来するものと考えられる

自身の知性に対するコンプレックスが巨大であるが故に、それを刺激されると、このような強い拒絶反応が現れるのだ(参照: http://www.j-phyco.com/category1/entry2.html

これらの推測が仮に正しいとすると、この人物過激物言いに反して、その性根はいかにも小心であり、同時に知性に対する強いコンプレックスを持ち、おまけに周囲の環境への恨みを募らせている、ようは「無敵の人」に近いパーソナリティを持っているということになる

低能先生事件考慮すると、「次の凶行を生まないため」に「社会が手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージ必要性」というのは確かに感じさせられるのだが、一方で、個人がこのような人物に対してまで手を差し伸べるというのは大変難しいことであるのもまた事実であろう

しかし、それでも元記事の筆者は、件の記事を通して、あらゆる人々に向かって手を差し伸べようとしているのであり、その姿勢理屈からは大いに学ぶべきところがあるように思われる

2017-09-17

anond:20170917125941

(ただしこの場合ママとは実母の事を指すのでなく、ユング心理学における自身欲望を無条件に理解し叶えてくれるアニマ像の事を指す)が抜けてるぞ。

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

ここまで読んでフィリップ・K・ディックを読んでないのはもったいない!!!

最近新装版が出ているので手にも入りやすいですよ!

処女作からしてランダム性を主題に掲げて人造人間10人の意識がのべつ間もなく入り込むお話ですから

ディック長編SFサスペンスな要素が強く映画化もされているのでまずはそこから3つ手に入りやすものおすすめしま

どれもこれも面白いですが、苦手になってほしくないのでポップな面白さで図抜けているユービックを一晩(一番)にどうぞ

暗闇のスキャナー(A Scanner Darkly)

電気羊はアンドロイドの夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)

ユービック(Ubik)

SFは他の分野に比べて短編が非常に充実してると思います

ディック長編は一気に読ませるほど面白いんですが綻びがなくもないので短編の方が実はおすすめです。

火星年代記を読まれているということは多分短編小説もたしなまれると思いますので次の2つをおすすめします。どちらもベスト版です。

人間以前

アジャストメント

アジャストメント」は映画にもなった表題作ですが、他にも「にせもの」や「電気蟻」、「くずれてしまえ」など特におすすめの一作です。

他の短編集に収録されているものが多いのでコレクターの方には不評ですが、最後エッセイだけでも買う価値あると思いますよ~

ディックからもう一歩踏み込むならJ・G・バラード安倍公房をおすすめします。

安部公房作品はどれをとっても入りやすく、それでいて本質を問うような内容でとってもおすすめです。

ノーベル賞関連で取りざたされることも多いですがそんなことはそっちのけて入り込んでほしいです。

SF色が強いのは「第四間氷期」ですが、他のどれをとっても馴染んでいけると思います

J・G・バラードはいわゆるニューウェーブ作家さんですが、その価値を抜きにしても読んでほしいと思います

中後期の作品は非常に濃く、好き嫌い分かれるところだと思いますが、最初期の「結晶世界」だけでも手にとって欲しいです。

SF的な味付けはありますユング心理学でいうところの「シャドウ」に直面するような内容です。それをどのように受け取るかで面白さが変わってくると思います

2016-02-09

二次創作で一度は筆を折ろうとした私が悟りを開くまでの話

増田しかできない、増田からこそできる話をしようと思う。「苦しんでいる人はこういうふうにがんばって」というよりは、苦しんでいる頃の私がもしこういう文章出会っていたら少しは救いになったのかも、という話。

もう大分長いこと、二次創作を続けている。絵を描くのも文章を書くのも、どっちも昔から好きだったけれど、私は文章を選んだ。生まれて初めてWebサイトを作ったのが小学六年生とき。当時PCは高級品で、クラスでも家にPCがある子は少数派だった。内気で友達の少なかった私は定年退職した祖父PCを(怒られながらも)使って、二次創作にのめり込んでいった。オリジナルも書かなかったわけではないが、余程の技量がない限り誰にも読んでもらえないオリジナルより、多少拙くとも萌えさえあれば読んでもらえて、反応がもらえる二次創作が好きだった。続けるうちに、友達が増え、引っ込み思案な性格も徐々に変化していった。二次創作は私の承認欲求を満たし、自己肯定感を与えてくれた。Web拍手の解析ページに毎日毎日アクセスし、コメントが来ていると飛び上って喜んで、ますます執筆に入れ込んだ。筆が早い事もあって、評判は上々だった。

ところが、書いても書いても全く反応がもらえない時期が訪れた。どんなに心を砕いて、言葉を尽くして、魂を込めて書いたところで感想が来るどころか読んでももらえない。つらかった。本当にしんどかった。マイナージャンルマイナーカプ、しか地の文濃いめのシリアス。負け戦なのは分かっていた。それでも誰かに届けたくて、この熱い思いを分かち合いたくて、書き続けた。しかし、変わらず反響は無い。毎日欠かさずチェックしていたアクセス解析を見る事もできなくなった。あるとき完全に心が折れた。半年かけて書き上げた本が、全く売れなかった日のことだった。サイト倉庫化してpixivからも姿を消した。悔やんでくれる人さえいなかった。私は途方に暮れた。

しばらく経って、私はアクティブ書き手自分しかいない古いジャンルカプにいた。楽しかった。感想の数なんか気にしなかったし、アクセス数すら目に入らなかった。実際に、長い間やっていたのに反応はほとんどなかったし、pixivに上げたところでブクマなんか付かなかった。それでも私は楽しく書き続けた。のびのびと、「部屋中にらくがきをしていいよ」と言われた子どもみたいに、好きなものを好きなだけ書いた。

書くのが楽しくなってくると、もっと良い文章を書きたくなって、トレーニングの一環として詩を書き始めた。その頃、実生活でもいろいろと変化や発見があり、詩にすることには事欠かなかった。はなから誰にも見せないつもりだったので、私は自分のためだけに言葉を紡ぎ続けた。言葉は溢れて、私はいつも言葉の渦の中にいた。

それから勉強。「ホモ小説を書くのに、なんで勉強?」と思われるかもしれないけど、現役大学生の頃に難しくて放り出した本をもう一度読んでみると、面白いほどするすると頭に入ってきた。難解な本を読んでいると脳がぴりぴりと痺れるような感じがして、アイディアが次々に湧いてきた。レヴィ=ストロース神話構造』、キャンベル『千の顔をもつ英雄』、ベンヤミン『複製技術時代芸術』、バシュラール空間詩学』、ユング心理学など。映画もたくさん観た。コメディからサスペンスまで、代表的ものをひととおり。物語の骨組みを分析し、レビュー批判にも目を通した。

本や映画、実生活から小説の種を見つけ出してはつぶさに書き留めた。2,3も合わせればすぐに1本書けた。ジャンル原作に関連する情報を求めて国会図書館に赴き、英語情報辞書片手に必死で読み込み、舞台となった街をこの目で見たくて海の向こうへも出かけて行った。どっぷりと原作世界に浸り、原作世界を愛し、原作世界遊んだ。誰にも構われなくても、誰にも褒められなくても、こんなに楽しく幸せなことは他になかった。

そんな紆余曲折があって、現在比較人口の多いジャンルにいる。今も変わらず、感想反響アクセス数ブクマも全く気にならない(もちろん、あればすごく嬉しいけど、以前のようにはいちいち心配しないという意味で)。すると、私の小説を好きになってくれる人が徐々に現れ始めた。風化しつつあったメールボックスに熱のこもった感想メールが連日届けられ、そこには「○○さんの本は宝物」「○○さんのABが一番好き」「何度読み返したかからない」「読んでいると幸せ」「○○さんは私の神様」など、およそ信じられないような言葉がたくさん並んでいた。なんだか「幸運ネックレス」みたいな話だけど、実際に私の身の上に起こった話だ。

そして、それはおそらく、誰よりも私が私の作った本を宝物のように思っていて、私の書くABが一番好きで、何度読み返しても飽きなくて、読んでいると幸せで、私の世界では私が神様からだ。……と、自分では思ってる。私は技巧や内容云々というより、時間をかけて心を込めて書いたというだけで、自分文章を我が子のように愛することができた。

私を"感こな"の暗闇から連れ出してくれたのは、「書いても書いても読まれることさえない」経験、「何物にも囚われず楽しく書きまくった」経験それから地道なインプットの積み重ねだった。誰かに見て欲しくて認めて欲しくて藻掻く日々から抜け出してみると、枷が取れたように心と体が軽くなって、自分の書くものを初めて自分のものにできたような気がした。そして思うのは、「苦しみたくないから、誰から評価ジャッジも受けない」と引きこもるのではなく、苦しみながらも書き続け、晒し続けることを選んで本当に良かった、ということだ。私の場合、その過程を経たからこそ、「苦しまずに書き、楽しく共有する」現在がある。

文章(絵)がうまくなりたい、感想が欲しい、自萌えできるようになりたい、褒めてもらいたい……二次創作に限らず、そんな欲求に苦しめられて創作を心から楽しめなくなってしまう人は少なからず居るはずだ。そんなときは一度、思い切ってそれらの欲求を手放してみて欲しい。つらく寂しい道だと思うかも知れない、けれどそれはきっと「つくること」のごくごくシンプルな楽しみへとあなたを導いてくれる、そういう明るい道のはずだから

2015-02-25

anond:20150224174630

この症状を克服できるかは分かりませんが、記憶に付いている負の感情クリアにする方法はいくつかあります

EFT(Emotional Freedom Techniques)&TFT(Thought Field Therapy)

顔や体の経絡を指で軽くたたく「タッピング」という手法です。EFTTFTを簡略化したものです。簡単なEFTから先に入るのもいいかもしれません。

ネガティブ感情解放や心理的問題改善集中力を高めたり、感情コントロールにも役立ちます。詳細はEFTTFT日本支部のサイトをご覧ください。

以下のサイトからEFT無料マニュアルダウンロードできます

http://www.eft-japan.com/free.html

TFTの手順

http://www.jatft.org/stress-caring.html

バッチフラワーエッセンス

花や草木などのエッセンス感情を癒す自然療法です。あまり日本での知名度は高くありませんが、本場・イギリスでは歴史が古く、メジャー製品です。「怒り」や「恐怖」「不安」などなど、それぞれの感情対応する植物エッセンスがありますエッセンス保存料グリセリンブランデーなど、メーカーごとに製法に違いがありますが、個人的にはブランデーお勧めです。

飲み方や使い方等の詳細は下記サイトご参照ください。

http://www.pass-thyme.com/guide/info.asp

http://www.healingherb.jp/index-34.html

ホメオパシー

植物鉱物昆虫の成分を希釈振盪して砂糖玉に染み込ませたもの(レメディ)を摂取する療法です。イギリスチャールズ皇太子ホメオパシーバッチフラワーエッセンスの愛用者として有名です。

http://jphma.org/About_homoe/about_homoeopathy.html

日本では「ニセ医学」として非常に悪名高いですが、自分性質に合ったレメディ摂取した場合ネガティブ感情解放効果があると個人的には実感しています(ただし、病気治療には勧めません)。難点としては、レメディの種類が多いので、自分に合ったものを探すのは一人では難しく、専門家相談する必要があることでしょうか。あと、ホメオパシーに対する不信感が強い人はしないほうがいいと思います個人的には、日本会社が作っているものよりも、イギリス製ドイツ製のレメディお勧めです。

些細なことがトリガーとなり昔の記憶が蘇ってきて、それに付随しているネガティブ感情によって軽くパニック状態になる――これは精神科の薬を服用したら治るというようなものではありません。

ユング心理学では、人間意識は「潜在意識無意識)」と「顕在意識」の2種類に分けられ、それは氷山にたとえられると言います

詳しくは以下のサイトをご覧いただければと思いますが、

http://matome.naver.jp/odai/2140833864910053701

私たちが普段意識することのできる意識顕在意識」は、意識10%程度しか占めていないそうです。感情というのは、私たち意識の90%以上を占める潜在意識無意識)の領域からもたらされます。蘇ってきたネガティブ感情一時的に抑圧しても、またふとした時に顕在意識に浮上してしまます。なので、抑圧するのではなく、徹底的にそのフラッシュバックしてくる記憶感情と向き合って、その記憶に対する自分認識を変えるのです。その感情をよく感じてみるのです。

感情を観察しているうちに、特定感情が出てきた時には、体の特定の部位に違和感があることに気づくようになります

体には「チャクラ」というエネルギーセンターがありますが、たとえば、悲しみの感情を感じる時は第4チャクラハート)に、恐れの感情が出てきた時は第3チャクラ太陽神経叢)に違和感がある……ということが徐々に分かってくるようになると思います

主要チャクラの身体的・心理的な関係について

http://www.sky.sannet.ne.jp/lily/kanjyo3.htm

東洋医学の陰陽五行の考え方でも、五臓のそれぞれに対応する感情がありますね。

自分への気づきを深めるためには、体の動きを観察するヴィパッサナー瞑想が大いに役立ちます

http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

体の感覚に敏感になり、感情対話するように心がけるのです。そうしているうちに、嫌な記憶に付随した感情への対処が少しずつできるようになっていくのではないかと思います。また、その感情(どう感じているか)をノートメモすることで、自己気づきが深まります

私もずっと増田さんと同じような症状に悩まされ、ネガティブ感情への対処試行錯誤してきました。私自身、完全に感情問題を克服したわけではありませんが、ネガティブ感情意識的になることで、以前よりもはるか改善されたと感じています。今回ご紹介した私の対処法はほんの一例であり、他に増田さんに向いている方法がきっとあると思います。何かの参考になれば幸いです。

増田さんの症状が改善されるといいですね。

2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425091842

あんた、どれだけルサンチマン馬鹿なんだよ。

他人に馬鹿という言葉を使うのは好きじゃないけど、本当に馬鹿だと思うわ。まだ気づかない。

これまで男権の元で行われていた性の商品化を、女性が自主的に商品化し始めたのか云々…という話を書かなければ意味不明です。

基本的に、女性が性の商品化をしたのは、男性モテるためです

それは私が説明してあげた説明でしょう。ホモソーシャルから女性が「性」をに価値のあるもの商品化)だと自覚した話でしょう。

で、この説明は「性の個人売買」について書かれたもので、恋愛欲求が絡む話ではありません。

では従来の男女の恋愛観はどうだったのか、という話をしなければいけない。

「愛される」からモテ」に移ったのはなぜなのかという話をしなければならないので、http://anond.hatelabo.jp/20130424015252 で、説明しました。

一方、あなたは「同性愛回避のために男は体目的。それにあわせて女性は媚びる」と説明してるんです。さも連動現象であるかのように。

そして「食料(お金)を渡したがる」と、こじつけをしてるんですよw

目的」や「モテるため」や「思う」という意志的な動きに対して、作用反作用で「男がこうだから女はこうする」と決めつけている。

ホモソーシャルの話をするなら、もっと社会全体を俯瞰した話になるべきです。都合良く言葉を拝借してるからおかしいんですよ。

基本的に男性女性を求める理由は性行為のためです

からね、それは生物学的な考え方なんだって

ホモソーシャル云々と言って、社会学的なもの見方をしたいなら、背景に社会のどんな動きがあって個人の意志選択に影響を与えたか書かなければいけない。

あなたは「男はホモソーシャルから、女はこうする」という二者間の話しかしてないんですよ。概念観念的に用いるのは危険な考え方です。

どうして恋愛依存症なのよ?

生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていました

そのため、女性は家庭に入りたいと思うため、女性男性と交際したいと思うわけです

あなたの説明では、女性は全員が恋愛依存している話になってしまっています

依存症という言葉をどういう意味で使ってますか?恋愛をしない女性をどう説明しますか?

「思う」の部分に関して、信頼性のあるソースを持ってきてもらえますか。

絵本アニメなどは、ホモソーシャルを刷り込むためにそういうストーリーになっている訳ではなく、現在社会ホモソーシャルからそういうストーリーになっているのです

誤読しないでください。これはすでに説明した通りです。近代化小説などによって恋愛観の刷り込みが行われたのは事実です。

社会維持のためにホモソーシャル刷り込みがなされた。この流れは今も続いていて、個人の意思決定にも影響を与えているという話をしています

これは女性社会進出し、男権社会押し付けられた「女性らしさ」から脱却した結果だと考えられています

いいえ、違います

女性が肉食化したのは、女性男性の真似をしているからではなく、女性男性モテるためです

基本的に体目的女性男性モテるので、男性モテたくて体目的になっているだけです

あなた作用反作用の話をしているのに「意思決定」を決めつけているんです。そこがおかしいと指摘しているんです。

男性側が(伝統的に)こうだから」「それにあわせて女性はこうだ」って二者間の話しかしてないのに、普遍ものとして語るのがおかしい。

社会がどういう風に変化していて、個人の意思決定に影響を与えたかはまったく説明していない。

まるでユング心理学の「原型」のように、ホモソーシャルを理解している。これ、間違ってますから

それまでの江戸時代では、男性同士の同性愛というのはかなり多かったようです

ただし、明治時代になって恋愛が広まってくると、男性同士の同性愛はよくない事という風に思われるようになります

そのため、同性愛にならないために、女性と体だけの関係を作るようになったのです

恋愛文化だった頃の話を飛躍させて、あなた恋愛観を語っているわけです。

江戸時代同性愛は、一部にはそういう人もいたって話で、恋愛なのかと言うと疑問符がつく話なんですよ。

その話をするには、前近代の性の在り方がどうだったか説明しなければいけないし「性愛」と「恋愛」を分けるべきです。

あなたはその恋愛文化時代性愛の話とホモソーシャルをごちゃ混ぜにしてます

ホモソーシャルで言うのは「同性愛的」であって、男の絆やプラトニックものなんですよ。

「同性」や「愛」というのを、あなた性愛的にとらえているけど「愛」という言葉性愛を指すわけではない。

2012-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20121228042243

いや別に本持ってるわけじゃないんだが、たとえばこういうのな。

ユング心理学入門』(河合隼雄

フロイトからユングへ : 無意識世界』(鈴木晶

 
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