はてなキーワード: 散見とは
もうちょっと上。国が関与して殺した
すでに他でも炎上してて青息吐息のボーイングだけど、今回死んだ人の告発がいちばん芯に近いところを食ってた
非常時の酸素供給マスクについては公的にも告発が真と認められている
告発者はボーイングの製造ラインそのものの欠陥も指摘してて、そこが公的に真と認められたら、ボーイングは完全に向こう数年は身動きが取れなくなる
737MAXだけでなく、全ての旅客機の生産ラインが動けなくなり、エアバスに無抵抗で市場を明け渡すことになる
アメリカとしてはそれは拒否したい、一方で世界のデファクトスタンダードを担うFAAが公正を欠く判断を下すわけにもいかない
まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。
泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。
泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。
『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えのソースも不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコかクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。
「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀を管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。
この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代の注釈(後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。
三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻
と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代の書物である。
で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話が併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。
現代中国のネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタが散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。
ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。
ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。
さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。
中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源を説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか。
もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである。
ゲームセンターで稼働しているボンバーガールというタイトルについて文として残すべきだと思い書き込む
本題としてこんなユーザー同士でもめ事起こしまくっているゲームは今の日本の環境下において最後とも言えるので
忘れないように書き込んでおく、こんなことがあったんだ程度に思って欲しい
まずゲームの説明やゲームのジャンルの話があるので※があるところまでこのゲーム知っている人は読み飛ばしても何も問題はない
ボンバーガールとは5分の制限時間の中4対4でボンバーマンと同じくボムや各キャラの固有のスキルを使い
相手のベースを攻撃してゲージを0にして爆破するか制限時間の中でどっちのチームのゲージが多いか競うゲーム性である
ボンバーマンとLOLやOW等のMOBA要素を合わせたゲームでありゲーセンというコロナ前でも衰退しつつある場所で大うけしたゲームだ
知ってる人は知ってるがチームバトルというのは人を変化させる、スプラトゥーンやヴァロラント等で配信者が発狂してたりスプラトゥーンやってる子供の口調が悪い等の報告が出たりと
兎にも角にもストレスが溜まる
しかもボンバーガールはアーケードゲームなので一回プレイすることに100円かかるのである
想像してほしいのだが一回100円かかるゲームで自分は完璧にプレイできたのに何も知らない他人の味方のせいで負けに導いてくるのである
※※※※※※※※※※※※※※※
まずは稼働初期での話
ロケテストで大して期待されていなかったのだが脱衣とゲーム性と詩織バグによって話題性が出てかなり人気作になった
しかしとある機能が問題視されるようになった、それはバースト機能という店内でいるプレイヤー同士でマッチングする機能だ
これによってチームを組んだ4人と場所も別々な4人が対戦するということが起きた
中には「チーム組んで優位になってる奴を倒す喜び」を持ってる人もいたがマップによっては絶対に勝てる編成があったので不満を持つプレイヤーが出てきた
それによって「チーム組んだところはチーム組んでるところとしかマッチングしない」というシステムに変わったのだが
なんと「チーム組んでる人がいなかったらチームを組んだ4人のみでマッチングする(敵はCPUなのでランクが上がることはない)」という仕様になっており実質的にバースト機能は死にゲームの寿命が短くなった原因の一つである
ちなみにバースト機能が死んで今までバーストでランクを上げてた人はゲームを辞めずに野良でやっていたのだがランクが上がったりバースト機能が死んだときのランクを維持してる人もいたが
人によっては負けが続き最終的にランクが2つぐらい下がった人がいる、もちろん陰でバカにされた
次は煽り問題があった、今でこそ下位帯と中尉帯上位帯など分けられているが昔はスターA~マスターAとかなり幅広くマッチングして
バースト時代が終わり野良とマッチングするようになると知識の差が物をいうゲームシステムなのにゲームの情報や知識が乏しく
知識を入れて上手くなるのはWIKIでは足らずツイッターで人と交流しないと上手くなるための知識が得られない状態であった
なので煽られるというのは起きて当たり前であり不快感を示すプレイヤーも多くいた
ちなみに今も煽りをする人は数多くおりなぜか上位層より中位層に多い
問題点としてゲームのキャラの着せ替えが充実しておりそれらを手に入れる為にはオンラインバトルをしないといけない為
いわゆるガチ勢とエンジョイ勢(笑)が住み分けが出来なかったのが一つの原因である
例としてこんなことがあった
・そもそも煽りが横行しすぎていてゲーム内で煽るだけならそこまで注目されない
・煽りや捨てゲーを繰り返しすぎてBANされるが新しいカードを作りそこでも煽りや捨てゲーする人が結構いた
・東京や大阪など都市部のゲーセンには大声でキレてる人も散見された
・ツイッターで○○の店舗がラグいとか○○っていう人ラグい等を一生言ってた人がいた
・とあるキャラの全一が女性プレイヤーに対して煽ってそれに対して泣いたのでプレイヤーでもある彼氏ががツイッターで本人にマジ切れ
・煽りプレイヤーとして有名な人がゲーセンで盗撮されてツイッターにアップロードされる
・互いに煽り行動してたり捨てゲーしてる人がリア凸して警察沙汰になりかけた
・あまりにも煽りを繰り返ししすぎて店のPOPに注意として書かれる
・煽りや捨てゲーしているという理由で店舗に電話しまくった結果出禁になったプレイヤーがいる
・晒しスレに乗り込んだ人もいた、今は地元の人全員に嫌われてどっかに引っ越した
・PC版において最初は月額課金でプレイ可だったが無料になってから民度が悪化し、なぜか切断が許される風潮が出来た
もちろん切断されるようなプレイヤーも切断するプレイヤーも無料になってからプレイする人たちばかりだった
特にトップ層のプレイヤーが狂ってるのが目立っておりツイッターをやって上手くて人に文句言わない人は1%ぐらいしかいなかった
トップ層がどんな感じだったのかを書いておく
・全然関係ないのに首を突っ込んで仲裁をしようとする煽りプレイヤー
・捨てゲーに対してすごく厳しく人権ないとか、すごく許せないと書いていたがいざ自分が捨てゲーすると言い訳しまくってその後いろんな人をブロックして逃げた
・店で配信していたがあまりにもプレイヤーに対して大声で暴言を吐きまくっており地元の人間に言われても改善をしない上店に電話されまくって店員にも注意される始末
・グリッチ技を使用しているが「対策方法がある」「そもそもその状況をするのが弱い」などと言い訳しているが自分がグリッチされたらキレる
・最強と言われていた人が味方が弱すぎて捨てゲーしてそれを咎められたら「動いていても関係ないぐらい圧倒的に負けた」と言い訳するちなみに過去の発言を蒸し返され引退した
・弱いプレイヤーを晒すアカウントを鍵垢で作り弱いプレイヤーをガイジと呼び仲間内で共有してた
・ディスコードでマスA最弱プレイヤーを提案するという名目で弱いプレイヤーの議論していた
・とあるプレイヤーがグリッチ技を技術といい始めそのグリッチ技が将棋と呼ばれ始めた
一貫して言えることは喧嘩する場所がSNSでありリアルで揉めるということはほぼないことである
もちろんゲーム内でおかしな人でもリアルだと普通を装える人が大半である
リアルや会話しておかしい人はランクが低いことが傾向としてある
・サブカと煽りが有名な人が有名プレイヤーにリアルでオフ会等で近寄ろうとしたが無視されまくった
・ユーザーが作ったコミュニティでアスペとADHDが同時に患っていると自称してる人が病気を連発しまくってコミュニティ崩壊
もしかしたら追記で書くかもしれないがここの項目は少なくて済まない、書ける事自体はあるのだが内容が内容なだけに匿名でも流失経路が限られるなどがある
こんなヤバいやつらが集まるゲームはこれが最後だと思っているしそう願っている、後は追記として思い出したら追加でもしようかな
ちゃんと理解できてるの数人しかいない。100分の1とかそういうレベルじゃん。アホしかおらん…
shinonomen タイトルしか読んでなさそうなブコメが散見される。米ISM製造業指数(景気指数)とS&P500(株価)の大きな乖離が続いているのは2000年以降3回しかなく、過去2回はいずれ両者が収束したことをデータで示されている。
yamamototarou46542 この記事でアメリカ株やアメリカの景気の話をせずに日本の話ばかりしてるのは、記事を読んでないか、アメリカのことがまるでわかってないとか、記事なんてどうでも良くて自分の話したいことを話すとかそんな感じ?
augsUK 日本の株価は話の枕に過ぎず、中身はほぼすべて米国の話をしている記事なのだが。ブコメの大半はタイトルしか読んでないのでは?
断言してもいいが、ほとんどの人間はこの記事が何を言ってるのか全く理解できずにコメントしてる。
なんで素直に「何を言ってるのか分からなかった」と言えないのだ。頭が悪いだけじゃなくて自分がわからないことを認められないって老害じゃねえか。
はてなの連中の知識が貧弱すぎるのは社会に出てからろくに勉強してこなかったんだろうとわかるが
さすがに文章をまともに読む気すらないなら黙って立ち去ることくらいできないのか?
中途半端に知識があるこういう人もいるが、金融相場サイクル(逆金融相場→逆業績相場→金融相場→業績相場)なんてのは初歩中の初歩の知識であって
そのくらいは前提知識としてみんなわかってることが前提で、それでも今の株価の動きはどう捉えるべきか、という話をしてる。
muchonov 問いの立て方自体が倒錯してる気もする。現代では景気(≒実体経済)と株価(≒金融経済)は金利政策への応答を介して事実上の逆相関関係になってきてて、「景気が悪い〈から〉株が高い」のでは?
高校生の講義にもぐりこんだ小学生が、自分の知識を披露しているみたいで見ていてとても恥ずかしい。
記事の書き手と自分とどっちのほうが賢いか全く見極める力がないのって北斗の拳のやられ役のモヒカンじゃねえか。
ai_math_running 何を見たいかによる。それぞれ異なるものの指標だから。株価は上場企業の業績と成長期待の指標で、景気の指数とは異なるだけ。/ まぁだから上場企業が取引先や従業員、公共機関などに利益を還元していないと言う事ね
こういうのも「わかってないのにわかったふりをしたいだけの逃げ」だ。少なくともこの記事をよんでそういうコメントをするやつは小論文では0点だ。
普段はこいつらバカだなあwww ろくな教育受けてこなかったんだろうなwww って微笑ましい気持ちで見れるが、
お前ら下々の民は芸能や政治ネタで浅い知識と妄想を語って満足しておけばいいんだよ。
四足歩行のサルが二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。
歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。
しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。
最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。
巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。
一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。
ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。
ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。
以下の動画は四足走行の世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである。
https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo
ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。
動画の方法では、骨・関節・筋肉の負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。
私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである。
杖(トレッキングポール)を両手に持って登山を経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。
これは上りや下りの坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。
杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。
一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。
杖を使ったとて、両腕の役割はあくまでも両足の補助でしかないからだ。
アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間の動作を強化することができるのだ。
このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか?
既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行が可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。
この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。
走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。
ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。
いや、さらに上も目指せるだろう。
人間は走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。
陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。
杖2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。
高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。
烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。
それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。
閑話休題。
走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。
あくまでも杖だから電車やバスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。
現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。
技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0は電動カートより廉価に提供されることだろう。
現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。
登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。
しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。
杖2.0が登場するにあたって社会に軋轢が生じることも想像に難くない。
「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」
といった具合にだ。
しかしながら杖2.0は若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ。
杖2.0の使用に免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。
未来の世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。
杖2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。
おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転が免許制になることだろう。
「杖2.0はあくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者に危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許で規制をするのに適していない」
「アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」
「それよりも自転車を免許制にすべきではないか。ヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険な運転も散見されるからだ」
といった具合にだ。
電動キックボードの国会審議の結果、電動キックボードにヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車がやり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。
杖2.0の登場にあたっても、同様に自転車がやり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。
こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。
杖2.0が現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。
しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。
歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。
変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。
それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。
杖2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)
杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。
しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリにしか見えない。
杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0の理念を広げることとしよう。
ああ、杖2.0よ。
四足歩行の夢はまだ遠いなあ。
いっそのこと杖を持たずに、上記の動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。
いや、それこそ変質者だ。
タイトルの通り、ヤリモクやクズ面白い男たちを観察した備忘録。
当方女。29歳でバツイチになり30歳まで3か月ほどあったため、その間だけ遊ぼうと思ってチャットアプリに登録した。
男を釣るため、自分の顔をAIに読ませてほんのり面影の残っている美女を作成。男性陣が好みそうな焼肉、お寿司、ラーメンの写真をプロフに載せた。
私は地方在住だが、母数を多くするため居住地を東京都在住に変更した。基本ヤリモクとは会う気はなかった。
その中でアプローチをかけてきたヤリモクたちやクズを紹介する。
①ストレートきんたま男
このタイプは性欲を何も隠さない。きんたまが喋っている。ある意味話は通じないので楽。
「やろう!」「今夜空いてる?ドライブ行こうよ」のほか、チャットしてすぐの下ネタや謎のSEX自慢が始まることが多い。
・手当たり次第にチャットを送ってる(と思われる)消防士がいて、自分の体力とペニスの大きさ硬さの自慢しかしてなかった。20代後半なんだからもう少し自慢できる事柄を増やしてほしいなと思った。
・「くんにちは!」などのキショい挨拶や、名前とアイコンを女性ににしてセクハラ質問を投げるおじさんがいる。
・「セックスで女をメスにするのが好きなドSなんだけど興味ある?」という男がいたので、「それじゃ合わないね、私も男を雌犬にするの好きなんだ」と返すと
「そっちにも興味ある」とすぐに鞍替えしていた。ドSどこいった。
・年上のお姉さんに責められたい願望があるやつ多い。
②ホスト/女風
ホストは年齢に合っていないブランド品をつけているので概ねわかる。ノリが軽く話しやすいが、営業掛けられるのは怠かったのでスルー。
女風のキャストは比較的礼儀正しいしさわやかな印象の人が多い。初動では女風とは言わず「アロママッサージやリンパマッサージが体験無料です!」と売り込みをかけてくる。
正直マッサージはしてほしいが、お金払って同性のプロにお願いして適切なマッサージを受けたい人間なので身元の分からないのはスルー。
たまに元AV男優っていうのも混じっている。
③35歳以上/既婚者
何故か男性の年齢が35を超えてくると名前でわかるようになってくる。
35歳過ぎてチャットアプリやってる人は大体既婚者か変質者である。
絵文字ではなく顔文字を入れてくるがそれはせいぜい15年くらい前の文化で、文面が古いことに気づいていない。
本当かどうかはさておき、彼女募集中という設定の男。大半はこの層。(というか③→①とか流れの人が大半。)
一方的に趣味の写真を送ってきたり、女の理想を語ってくるなどモテないだろうな…と感じる人や
会話をしているうちに、だんだん化けの皮が剥がれてしまってヤリモクっぽさが滲んでしまう人が多い。
クズ度の高い人は「付き合いたい」「可愛い」「好き」「結婚しよう」とか会ってもないのに言いがち。
クズ度が比較的低くても、話を広げようとしなかったり最終的につまらないと感じてしまう人が多い。
きんたまストレート男たちよりは多少マシな気がするけど…似たり寄ったりか。
たまに真剣度の高いマッチングアプリだと本当にいい人がいたりするけどかなり少数だと思った方が良い。
⑤誠実系クズ
厄介度No.1。ぱっと見まともに見えて楽しい時間を過ごせるが、人間として一番信用できないタイプ。
言動に余裕があり普通にコミュ力があるので、魅力的に見えやすい。連絡がこまめ。
通話をしてみると、共感が多く聞き手に回ってくれるので心を開きやすいが、そう見えるだけで大して何も聞いていない。
ちょいちょいヤレそうな女かのジャブを打ってくる。
通話終わりに「楽しすぎて、会いたくなっちゃうね」等の言葉で女性側の感情を高め、会おうと誘導するパターンが散見される。
だいたい2年くらい付き合っている彼女に飽きてセフレ探しをしている男が多い。
女性慣れしていて、会話で女性側を気持ちよくさせる技術は持っているので、見極めに少し時間がかかる。
ホスト等は商売で甘い言葉をささやくが、この手のタイプはナチュラルに人を騙すことに抵抗がないなのである意味人として一番危険かもしれない。
彼らと話していると、個人的に「クズに遊ばれるよりクズの本命になってしまう方が悲惨だな」と感じる。
女性の扱いが上手い分本命とも上手くいくのだけど、結局自分のことしか考えておらず彼女すら平気で裏切ってくるからだ。
クズは一時的に寛解するかもしれないが完治はしない精神疾患だと個人的に思っている。
まだほかにいろいろな人がいるとは思うが、私がチャットや通話した人たちはこんな感じだった。
読んでくれてありがとう。
その人には私からアプローチをし、私から食事に誘った。女慣れしていなくて受け身の人だったが、今はとても大切にしてもらって再婚も決まった。
最近の記事を散見するに、ニフティや東急が自由にやらせてたつもりだったのに、独立するまで実際にはできなかったことは、
「お金出してくれてる親会社の関連企業じゃない企業を応援してしまうかもしれない記事を書くこと」
いやもっというと
「お金をもらって記事を書いてるのにお金出す人の競合とかを応援宣伝してしまう記事を気づかないうちに書いちゃうこと」
なのかなあって思った。
典型的にはサラダ館の記事だ。取材前には規模は見えないが明らかに特定地方ローカルとかではなさそうで、調べてるうちに「それ東急じゃなくて小田急の関連会社です」ってなったら記事公開前に東急にお伺い立てて「書いていいっすか」みたいなご迷惑がかかっちゃう。
そういうことをしないっていうのが編集長が通したい筋だったのかなあって思う。
これを受けてはてな民が大勢居そうな某大手左翼掲示板ではZ世代は人間として欠陥があるヒトモド○だとか、人権を取り上げて徴兵して●すべきなどという異様な誹謗中傷も散見されている
左翼老人が好きそうで発言的価値観的にマッチングしそうな人物組織を挙げてみると血も涙もない悪の巣窟みたいな絵面になるのは何故だろう?
左翼ほど他人の価値観思想に不寛容で、生命を迫害する構造を見るとやはり人生が極地に達した犯罪者予備軍の底辺が埋没するのが人権思想や左翼思想なのではないだろうか?
思考実験として例えば相模原障害者殺傷事件の舞台がもしもコミケだったらと思惟してみる
左翼の不倶戴天の敵であり被差別のオタクが障害者の代わりに死んだのなら、はてなや左翼界隈では万雷の拍手を送られたのではないだろうか?安倍晋三が射殺されたときのように
本質的に反社、反人権思想の左翼が人権などと連呼しているのは極道が独自の社会性で暴力を行使し後支えする土台理論として仁侠などと主張することと同一性があるのではないか
参考文献
人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2J4VHVS26UPQJ008.html#expertsComments
2ちゃんヘビーユーザーはそもそも論として専ブラ使うのが当たり前でなんかうぜーやついたら即非表示がデフォだったしミュートワードも駆使してたからな。
この辺が意外と認識が違うところというか、表示させて読んだ上で強い気持ちでスルーしてたわけじゃなくて、スルーしたい奴はそもそもガンガンにミュートしてたんだよな。
まとめサイトに取り上げられるようなとこに常駐してた民だとまた話も違うんだろうけど、そんな感じでけっこうスルーは機能してたんだよな実際。
専ブラ使ってなくて荒らしに構う奴には専ブラ使えって誘導する文化もあったし。
SNSってかTwitterが流行り始めたころに、誰かにブロックされたらめっちゃ怒り狂ってた狂人が散見されたものだが、いやそんな発言してたらブロックされて当たり前やろって感じだったけど、今にして思えばあれって2ちゃん時代は自分が大半のスレ住民にミュートされてる現実に気付いてなかったおかしな奴だったんだろうな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/45027695e530e051763275a72d54d44c1509526a
昆布(自然?)と味の素(化学?)が対立概念である、という図式をスンナリ受け入れている人々が多いようだけれど、そういう人々はいまだに味の素を石油化学合成食品だと考えているのだろうか。
味の素が化学合成を中止して発酵製法に切り替えたのは1973年のことだ。
1973年5月14日にMSGの最終晶析、23日に最終分割を行い、試運転開始以来10年10カ月にわたり続けてきた合成法によるMSG生産に終止符を打った。
(※MSG = グルタミン酸ナトリウム)
60年代~70年代の日本では公害が大きな社会問題となっていて、石油化学工業全体に対する消費者からの風当たりは非常に強かった。四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)を小学校で習った人も多いだろう。
味の素の基幹工場は、ほかならぬ四日市市にある。上の資料でも、石油化学製品を過剰に警戒する消費者の忌避感に逆らえなかった苦衷が(かなりあけすけに)綴られている。
1960年代前半には高い評価を得ていた技術が、わずか10年余りのうちに一転して受容されにくい技術になった。その背景には、化学に対する消費者の劇的な意識変化があった。化学合成技術を最先端技術としてもてはやす時代から、公害の元凶として排撃する時代に変わったのであれば、食品を化学合成で作るというコンセプトは受け入れられない。
「化学調味料は得体の知れない身体に悪いモノ」という風評やマイナスイメージは70年代にはすでに一般的だったのだ。時代はPCBや水銀やカドミウムが重大な食害事件を起こしている真っ最中である。化合物食品や食品添加物に対する不信感は、現代のオーガニック信仰などとはまったく次元の違う切実さがあったはずだ。
味の素の失敗は、せっかく製法を切り替えたのに商品名を変えなかったことに尽きると思う。すでにブランドを確立していて手放しがたかったのだろうが、味も成分も商品名も同じままだったら、誰も作り方が変わったなんて思わない。新・味の素とか味の素ネオとか、あるいは全然違う名前をつけた化学じゃない方の旨味調味料を売り出して、オリジナルの味の素は静かにフェードアウトさせるべきだったろう。令和の今に至っても味の素を「化学調味料」「化調」と呼ぶ人がたくさんいることが失敗をよく物語っている。
味の素系のブクマでコメントを見ていると「親が味の素を嫌いだったから自分にも使う習慣がない」という2世アンチも散見される。事実を知らないまま「味の素は悪者」というイメージだけが親から子へ、子から孫へと語り継がれてしまった結果である。
古いイメージをアップデートできていないだけならまだいい。それは無知なだけだ。
『美味しんぼ』には、露骨に旨味調味料を貶めるエピソードがある。山岡たちは(現在は味の素が発酵食品だと知りながら)わざと「化学調味料」という言葉を使い、味の素が化学合成していた時代のままの主張を展開する。まるで電気自動車の排気ガスが汚いと言っているようなものだ。
味の素の味が嫌いなら使わなければいいし、昆布の味が好きならば昆布を使えばいいし、「身体に悪いって言ってる人がちょいちょいいるから」くらいのよくわからん理由で使わないのもその人の自由だと思う。
私は基本的に増田に追記ってしないんだけど、スカタンなブコメひとつだけ晒し上げときます
安全とわかっているのだけど、遠慮したいのだね。味の素を愛好していた歌手・タレントの方が「がん」で亡くなった。生前に特製ソースと謳って、味の素を大量に投入していたのテレビで観ていた。
今年はバレンタインが平日なこともあってか、例年よりスーパーの製菓材料コーナーにいる女性の人数は少ない気がする。
製菓材料専門店の前も通ったが、三連休の方が込み合っていたな。
とはいいつつも、毎年、バレンタインの前日2/13は製菓材料コーナーは異常に繁盛する。
そして各種SNSでは製菓がうまくいかない、どうすればいいですか、という投稿が多数散見される。
さっきもTikTokでチョコとクリームが分離してどうしようもなくなってる動画や、知恵袋ではバナナケーキにバターを入れ忘れてパサパサになった話などを見かけた。(溶かしバターを上から塗ったらどうですか、というやばい回答がついていた)
ざっと見た感じ、例年通りの内容で、
失敗してもう材料が残っていないのに、深夜だからどこもやってなくて詰んだ人
マカロン失敗
シュークリーム失敗
こんな感じだろうか。
毎年思う。
なぜ失敗することを念頭に準備しないのか。
なぜ当日に材料を買うのか。
なぜ早めに作らないのか。
なぜ。
なぜ。
つい数分前にコンビニに行ったら、JKがアーモンドプードルが無いか店員に聞いていた。(無いよ)
今私のうちにはあるのだが、分けてあげるべきだっただろうか……
未分化胃癌(所謂スキルス胃がん)のことを言っているのでござますな?
確かに、スキルス胃がんは「バリウムの方が見つけやすい」と言われることもありますな
しかし、あくまで「見つけやすい」だけであり、確定診断にはやはり内視鏡的検査が必要なのでございますな
また所謂スキルス胃がんもそのほとんどがピロリ菌や胃炎により萎縮した胃粘膜の一部から発生しているという事実にも注意が必要でございますな
非常に若いピロリ菌陰性の方がスキルス胃がんに襲われる闘病記事や番組は散見されますが、実際には通常医師人生で一度も巡り合うことがないと言っても過言ではないほど少ないケースなのですな
内視鏡を専門にしている人間(消化器内視鏡専門医を持っていても出身が救急であったり小中規模の総合病院を転々とし専門的なトレーニングを長期間受けていない例もあるので注意)ならば胃カメラ中は些細なびらんでもよーくよーく観察し必要ならば生検を行ったり半年後や一年後の胃カメラを強く推奨して経過観察するのでございますな
あまり大きな声では言えませんが、被爆リスクなどさまざまなファクターを考慮した結果として、萎縮していない胃粘膜から突然発生し急速に進行する超絶稀な胃がんを心配してバリウムを受けることはお勧めできないのですな
補足
画質の点から上部内視鏡は鎮静剤を使用してでも経鼻ではなく経口で行うのがおすすめですな
逆に大腸カメラは引き抜くカメラと反対の腸壁をよく観察したりするためにも、力を入れたり息を合わせる必要があるので鎮静剤を使わないことをすすめますな
これは、何らかの係争に於いて、一方当事者がそれを理由に切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代、切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観が垣間見られる。
この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争は神明裁判などにもみられるように一種の投機的行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能で無意味なのである。
逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復の原則はちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。
可笑しいのは、このような投機的状態に陥ったなら乾坤一擲の私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしまう中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしまう場合があるというから、惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である。
さてこれは名前が現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合が散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。
さて指し腹は近世・江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹、家人が使用した脇差(文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。
それ、X上でポストして回ってる故人と同業である漫画家の先生方に言ってやってくださいよ。
有名無名問わず、色んな漫画家の先生方のポストが散見されるし。
影響力が少なからずあって、実際の著作権者でもある著作権に詳しい方々ですら、憶測でもの言ってるのに、一般人の我々が判断できるわけが無い
ここ数日ネットで話題になっていた騒動が全く想像もしていなかった、そして全く救いのない展開を迎えて衝撃を受けている。原作もドラマも触れてこなかった私でも、悲劇の一報を聞いた時にはあまりのショックに吐きそうになった。SNSでは「犯人捜しや特定の個人を吊るし上げることは絶対にダメだ」という意見が散見され、私もそれに全面的に同意する。しかし今思うのは、私自身今回の悲劇を招いた゛一滴”になっていなかったか、ということである。
木村花さんやりゅうちぇるさんが自死を選んだ時、私は執拗な誹謗中傷を行い続けた連中に心底憤った。しかし今回の件は誹謗中傷のターゲットにされた人物ではなく、構図的には被害者で、外野から多数の支持を得ていた形になっていた人物が自ら命を絶ってしまった。ここからはあくまで憶測になるが、騒動があまりに大きくなりすぎて自責の念を感じてしまったのではないかと思う。テレビ局や特定の個人へ向かう誹謗中傷の規模や熱量のすさまじさを目の当たりにして(重ねて申し上げるが憶測でしかない)。
ここまで考えて「SNSを利用している私にも責任の一端があるかもしれない」と思った。私は今回の騒動の関係者に誹謗中傷やクソリプを送ったことはない。しかし、騒動の顛末をわかりやすく説明するツイートをRTし、いいねもした。この行為が騒動を大きくする一滴だったのではないかと思う。ネットの炎上を洪水と表現すれば、川から溢れた水があらゆるものを飲みこんで破壊していくその過程で、私のRT、いいねが一滴として貢献した気がしてならない。
SNSが人の命を残酷に奪い続けている。これまではあくまでそれに怒る側としての自分しか自覚していなかった。自分は誹謗中傷を行ったりしないし、クソリプを送り付けることもない。しかし今回の件は違う。騒動が大きくなりすぎたことが1人の人間を追い込んだのだとすれば、私は知らず知らずのうちのそこに加担したことになる。