「抑うつ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 抑うつとは

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-15

うつ病理解して受け入れてほしい

知名度だけ上がっててほんとのとこではどういうつらさがあって、どんな背景があるのか理解されてないよね。

うつ病と診断を受けていても実はそれは発達障害による二次障害的な抑うつ状態だとか。うつ病の背景に何があるか理解しないと治療回復も難しいのにネット情報をみて「3ヶ月仕事休めば治るんでしょ?」って平気で言う上司かいるし。

じゃあ障害雇用で働けよとか思ってるかもしんないけどうつ病の診断だけじゃ障害者とは認定されづらいという現実があり、地方なんか障害雇用ほとんど無いし、そもそも会社に行くまでの満員電車死ぬほどつらいとか理解されないし...不眠が続いてもなんとか会社にしがみついて生きている。惨めだ。声デカなうつ病の皮を被った発達障害の人のちょっと方向性の違う主張とかがネットでは増えて逆に障壁になってたりもする。

うつ病は認知度が上がったから診断として患者も受け入れやすいんだよね。治療すれば治るものだし。「あなたうつ状態発達障害によるものです」と言われても本人が認めきれなくてカオスと化してくのを心療内科に通いながら度々目にするよ。さら認知度だけ上がったばかりに物知り顔一般人が増えてうつ病通院歴15年の自分はただただ肩身が狭く生きづらさを感じている。

うつ病を理解して受け入れてほしい。癌や1型糖尿病脳梗塞みたいに本人の努力とかではコントロールしきれず発病する疾患として。

それがあればあと5年は生きていける。

anond:20190415084753

うーん。まず、休学するのは悪い選択ではないかもしれない。そういう事情があるのなら、1年学年をずらすのも悪くないだろう。ただし、2年も3年もずらすのは良いとは思えないがね。そこから逃げるため、と思わずに、周辺の主に人間の関わる関係を再構築するため、と前向きに考えておくべきだと思う。

あと、自分でも認識していると思うけど、うつ病かどうかは別として、抑うつ状態にあることは間違いないかもしれない。(うつ病を含む)抑うつ状態になった場合、それまで当たり前にできていたことができなくなることが多い。入浴、掃除ゴミ出しなどは典型的な例だ。ちなみに私の知っている例では、ギターマニアうつになったらギターの弦を張り替えるのが異常にしんどくなって、ギターを弾かなく(本人の意識としては「弾けなく」)なってしまい……ってのがあったな。電車風呂の話はまさにそういうサインだと思う。

先日も書いたんだが、精神科もしくは心療内科受診する気なら、どこに行くかは結構重要。怖いのは、受診して状況聞かれて「はいじゃあこれ」と、複数種の薬をてんこ盛りにされるケースな。うつ病場合に処方される薬としては「抗不安薬」「抗うつ薬」「睡眠導入剤」の3点セットであることがほとんどなんだが、初診であるにも関わらず、各々のカテゴリーに入るもの複数種、あるいはそれに更に加えて本態性振戦(いわゆる身体の震え)に処方される薬(βブロッカーなどが多いんだが)を一気に処方してくるケースがあったりする。こういうところに通ってしまうと、複数種の薬でメロメロになった状態で、生活改善どころじゃない状況に沈んでいくことになりかねない。5ちゃんとか口コミサイト的なもの情報を拾うのが手っ取り早いと思うかもしれないが、治療を受ける側の主観にかなり寄った情報だったりすることが多い。お薦めは、地元保健所を探して相談に行くこと。保健所自立支援医療の窓口になっているので、病院に関する(治療実績を含む)情報が集まるから、怪しい病院は紹介候補から外して教えてくれるはずだ。そしてその上で通院して、コミュニケーションなどでしっくり来ないなら、そこで病院を替えたって構わない。無秩序ドクターショッピングお薦めしないが、患者複数意見を聞く権利があるので。

あと自殺について。まだ本当にうつの底に沈んでいないときが、実は一番危険なんだよな。うつの底に沈んでいたら、厭な言い方だが死ぬ気力も出ない。しかしそこそこ元気なとき精神状況の揺れがあると、そこでふーっと行動してしまうことがあるので。本当にやってしま人達共通しているんだが、「死にたい」って言わないんだよな、大概。皆さん「消えたい」「消したい」と仰る。でもな、この21世紀に、ゲイからって何故自分を消さなきゃならないんだ? 消す必要ないだろ。胸張って生きていいんだぞ。世間のアホな輩の中には「えーゲイだったら俺にも暴走的に来るんちゃうのー」とか言う奴もいるんだろうけど、これは、男性女性に対してやったとしても許されることではない。単なる性暴力だよね。つまりホモヘテロかなんて、実は何も関係ないんだ。アンタは必死エロビ買ってるんだろ。なら性暴力にはしっていないんだろ。それでいいじゃん。何を世間に恥ずべきことがある。何故自分を消さなきゃならないんだ。そんな必要はない。胸張って、少し休んで、必要なら医者カウンセラーの助けを借りて、堂々と生きていっていいんだよ。

2019-04-12

バイアスが常に悪いもので、もし抑うつリアリズムが正しいなら、

バイアスをなくして人間はみんな自殺でもしてろって話になるような。

2019-04-05

悪夢

ゲームつながりのSNSで知り合った、いくつか上の友達。その子(以下A)はとても優しくて、困ってたら声をかけてくれるような、そんな人だった。といってもあまり普段から連絡する仲でもなく知らなかったが、いつの間にかネット上で、「交際はしてない、会ったこともないけれど」興味がある人(以下B)が現れたらしく、私は「おー、めでたいことじゃん」と声をかけた。

ところがある日、Aの様子がちょっとおかしい。つぶやきがBのことをすごく悪く言ってる内容だった。私は(え、え、どうしたの?)ってなってしまって、声をかけた。「最近まで普通に仲良さそうにしてたのにどうして?」って聞いたら、「私が嫌いな人らと仲良くしているから」とのことだった。正直今思えば、そんな理由で人を嫌うのか?って話である。私はバカから友達の話はマイルド解釈してしまったり、深入りしたりの節がややあった。要するに自分他人バランス加減がヘタクソなのだ

一応どういう流れでそうなったのか、通話で聞いた。「Bとはグループ内で知り合った人らしく、そのグループで何人かとトラブルがあり、そこを抜けることになった」「一人はしつこいぐらい嫌がらせをしてきた」「Bは抜けてないから、私かどっちか選べ」という話だった。

はいくらか思ったので、「それはBの自由だと思うけど、全くかまってくれない、避けるようになったとか?それでそうなったってこと?」と聞いたら「別にそういうわけじゃないけど、Bがそっち行ったら向こうのやつらが笑うじゃん」という理由だった。「ふーん…じゃあ一応時間は割いてくれてる様子なのね?」と言ったら「帰ってきて、向こうが2時間くらい家のやることをやって、それから5時間くらい話して、向こうがグループの方行くから電話切るっていうからさ」とのこと。「んん?なんでそんなに?依存し過ぎだと思うし充分過ぎる時間だわ」と言った。「そうなのかなぁ…」って納得したのか納得してないのかそんな様子だった。もう若干泣いてそうな声が聞こえてきて、「ごめん言いすぎた。深刻そうだね…」と返した。最後に「肝心なBの様子、というか返事はどうなの?」って聞いたら10日くらい無視されてる。らしい。

それから、Aとは「Bが遊んでくれないなら、私が遊ぼうかw」みたいな感じでよくやりとりをしていた。「あ、そういや私とBを除いてよく遊ぶ人っているの?」と聞いたら「いるよー、紹介しようか?」と言われたが、正直私は、異性が苦手(苦手というか、ついつい距離感が分からなくなってしまう。嫌いではない。)なところがあり(Aもそれは知っている)「お、男、女…?」「ああ、男だけどちょっといろいろあって女の子には興味ないような子だから、歳も離れてるだろうし」と言われそれなら大丈夫そうだと思い、遊ぶことになった。彼は(以下C)

それから3人で遊ぶようになり(誰か一人足りないときは二人だが)Cとも普通に仲良くなれた。恐らく彼がおっとりしてるのと大人なのか、ある程度間合いがあるのもそうなのだろう。落ち着いて、このまま平和にいけるだろう。そう、別に特定の人に拘る必要特にないしこうやって遊ぶのも楽しいだろう。なんて思っていた。

だがある日Aの様子がおかしくなり、Bが退会、削除をしたらしく「Bが戻ってこないなら死んでやる」と言ったり、私がちょっとした冗談をいったら本気で屈辱されたような反応をするようになった。いや、この子にとってBはなんなんだ?親か分身かなんかなのか?ていうかそんなに怒られるような冗談だったか曲解しすぎじゃね?(実際、拡大解釈というか、かなり曲がった答えが返ってきた。)って多少イライラしたが、きっと何かしらストレスが溜まっているのだろう。とまた私の悪い癖でマイルド解釈してしまった。

AはCとも段々険悪な様子になった。私の前でも普通におっぱじめるもんだから修羅場耐性が低い(喧嘩しているところに出くわすと自分まで怒られている気分になってしまうし、その喧嘩を止めようとすると返って悪化するような感じ。)

私はトイレに行くなどといって席を外していた。ほかの人が見てる前でそういう雰囲気になるのは嫌なのだろう、でもそれともこういうときは一応その場にいてしっかり話を止めるべきなのだろうか。Cからは「ちょっと気を使わせているようで申し訳ない」と言われ、少し引け目を感じた。だが、とうとうAは加減がなくなり、ついにCには「一緒に居たくねえわ」ともうこれ絶交レベルだろってことを言った。そのときは流石に席を外さずAに「最近言動言いがかりじみてるよ?なんで、そこまで言えちゃうような話かなあ」と個チャで止めようとしたが、火に油。逆ギレというか更に燃え盛るように怒り、Cは私に「俺はもう寝るよ、私にまで気を悪くさせてしまったね」って言いその日は終わった。

だが翌日、Aは普通にCに「おはよう」とチャットを送っていた。え?なんで昨日の今日で…?と思った。Cはもちろん私と同じことを思ったのかそれを指摘。だがAは全く非を認めず一方的に再び罵り始めた。それで関係破綻した。Aは私にも同じような噛みつきを見せてきて、「BもCも私を捨てたんだ!可哀そう私」とか被害者ぶるような言動をとるようになった。あとはCと同じように一方的に罵られプツンと関係は切れた。気が弱いのもあったが、私は何も言い返せなかったし、証拠のようなものも残さなかった。何より、言い返して被害者面されるのが嫌だったからだ。Cはそのあとも気にかけて私に声をかけてくれたが、あまり返せずにいた。あまり人と話したくなかったからだ。そのあとは人間不信になり、人間関係断捨離をし、悪夢をよく見るぐらいには頭に残ってしまった。誰とも話さずにいた方が楽ではあったが、返って記憶が固着してしまった原因にはなっただろう。

そのあと、偶然、嫌なタイミングではあったが、“ボーダー”という単語を耳にした。調べたら境界性人格障害のことだった。自己同一性だの診断基準みたいなページがあり、それは難しくてよくわからなかったが、具体的な症状、当事者から見れる様子が書かれており

最初は優しく、魅力的な人物に見えるが月が経てば豹変したように態度が変わる ・理想化とこき下ろし(昨日までの親しかった人物のとても悪く言う) ・吹聴をしたり、相談等を他人に持ち掛け対人関係操作する ・極端な依存をする(明日仕事があるのに深夜まで電話を付き合わされる) ・怒っているときは止まらない、そしてそのとき記憶はない ・冗談が通じなく、日常会話が成立しない ・何を言っても非を認めず縁を切られても自分はただただ捨てられたように振る舞う

ああ、これは…、とドンピシャだった。でも「統合失調症にも似た幻視幻聴の症状があり、親の刷り込みなどで捉え方が普通の人と大きく異なるからそういう行動をとるのであって、“悪意なし”に境界性人格障害を患った人間はそうしてしまうのである。」と書かれていて、すごく何とも言えない気分になった。思い出しイライラする気持ちと、この病気を知っていれば最初の段階で本人に教えて、助けてあげることができたのかもしれないという気持ちが混ざってドロドロになっていた。

私は昔から感受性が強い性格で、ストレスに弱い人だった。自分の軸があまりなく、ちょっとした抑うつの傾向になりやすいが、たぶん心療内科にかかっても「何もできないよ」と返されるような、そんな具合の希死念慮無気力感を時々抱く。恐らく多かれ少なかれみんなあるものを私は自分で「おかしい、おかしい」と自責しているのだろう。境界性人格障害は、他人を優先しがちで自分のことがよくわからない人、感受性が強かったり完璧主義な人がなりやすいと聞く。ときどき、悪夢を見た後思ってしまう。彼女のように私もあん人間になるのだろうか、と。だから日々悪夢を誤魔化すために生きている。

2019-03-06

低用量ピルの服用記録メモ。年に1回は仕事ができなくなる程度の生理痛に悩まされ、感情ホルモンにアホみたいに左右されるのが情けなくて低用量ピルを服用することにした。一度だけ産婦人科で処方してもらったけど高かったので海外で売られているピル通販で取り寄せて使ってみた。副作用で全身の血管に圧がかかった感覚深呼吸すると苦しくなるのはしょうがないと思いつつも、抑うつ気味になってイライラが抑えられてることで仕事ストレスがかなり軽減されたし、何より生理痛がなくなった。生理が来る度に重い2日目まで鎮痛剤を服用していたのに、ピル飲んでるうちは全くなかった。神はここにいたと思った。予定日も2、3ヶ月のうちに固まり、いつ生理が来るかわからない恐怖に怯えることなく過ごせた。飲み忘れもしないようにした。朝食後に服用していたので、生活リズムもおのずと定まった。

順調だったピル生活だが、年明け当たりから陰りが出て、結果的に休薬することにした。まず以前よりも体が鈍った。背伸びするだけで息苦しい。ストレッチの際の深呼吸が上手にできなくなっていた。めんどくさいから呼吸やめて更に息苦しくなった。あと集中力が悪くなった。年度末に向けて仕事が忙しくなるのはわかっていたが去年よりも自分が思うより動けなくなった。物事順位がつけがたく仕事がとっ散らかり、ミスも相次いだ。極めつけは記憶力がなくなった。特に言われたことをすぐに忘れるようになった。電話を保留にして取り次がないといけないのにそのままにしてお昼休みとったりした。集中力記憶力の低下、抑うつ気味のトッピング精神的に参ってしまい、1日分の薬を残し服用をやめた。やめたら悩ましかった能力低下が改善されてきた。思えば運動不足による副作用悪化やら生理時の休薬期間による爽快感とか生活環境が大きく変わったこととか、考えられること思い当たるふしは多々あったなあと思う。

1年近く服用して、ピル自分生活リズムを整えてくれ、穏やかに過ごさせてもらう頼もしい薬だった。自己管理運動公園など)と自己責任(通販による海外の薬購入)のため脇が甘かったことも認めるが、症状が快方に向かったらまた服用しようと思う。そんじゃーね

2019-03-05

ただの感情の掃き溜め。機能不全家庭と離婚した母の病気

自動思考の書きだし...

なんかムカつく。。

私は本当にしんどい思いをしてきたのに、それを否定されているように感じる。

私が母に怒りを感じるのは当たり前で、それを許そうと私だってしんどい思いで乗り越えようとしてるのに。。

結局病気になるまで罪悪感なんて全く感じずに、好き勝手生きていて、自分病気になったから、治すために自分の罪を許してもらって解放されるために呼んだってこと?それは私のためじゃない。自分のためだ。

私には献身的サポートをしてくれる人なんて、中学の時から誰もいなくて、人格否定を常にされながら育って、そのおかげで相当に苦しくて人生希望が見出せなかった。死にものぐるいで努力して、普通の人と同じ土俵に立ったと思ってもすぐに足元をすくわれた。

この精神病質は一生治らないんじゃないかって、思い悩んで、死んだ方がましで消えてしまいたいと何度も何度も繰り返しながら、原因と思われる事を恨んだ。

ずっと消えない、トラウマと変容してしまった脳と、心の歪みを抱えて、幸せを感じることができない。

そんな、人生を経てきている。何も知らないあなたが、それを否定しないでほしい。私だって病気と闘っている、幼い頃からずっと。サポートだって本当は欲しい。でも誰もいなかったから、1人で闘ってきている。本当はあったはずの青春楽しい子供時代も奪われてコンプレックスの固まりで、出来損ないの心を持って、周りに迷惑をかけている事に罪悪感を感じながら、自立しようと、まともになろうと、認められようと努力をしている。

母のことばかり優先は出来ない。母に似てるだなんて、私にとっては侮辱と同じなんだよ。私はそうは思わない、嫌なんですって前にも言っているのに、なぜ繰り返し言うの?何故、私の気持ち意見を伝えているのに、否定するようなこと、私の不幸なんて大したことじゃないみたいな風にいうの?

あなたに何が分かる。あなたに私の想いなんて分からない。母のことを本当に愛しているようだけれど、その為に私達を、利用したり、センシティブ話題に首を突っ込まないで欲しい。どんな思いで、私が病院に来ていると思っているの?

本当に腹がたつ。自分病気よりも、子供幸せを願うくらい利他的であったなら、わたしもこの感情を和らげることが出来るけど。

あんなひどいことをしておいて、一言くらいで簡単に許されると思わないで欲しい。。変なスピリチュアルカードで、どうやって病気が治りますかって聞いたら、"許し"というメッセージが出たから、だから謝ろうと思ったってそういう事なの?

罪悪感を抱えて、罪を背負いながら、生きて欲しい。それが贖罪であるから解放されただなんて思わないです。事情がなんにせよ、あなたしたことは、ひとり、ふたり人生を大きく毀損してしまったんだから

私は、人を傷つけることに凄く罪悪感があるよ。よくもあなたあんなに酷いことが出来て、言えたよね、、まだ子供の私に。それを、癌になるまで悪いと思ってなかったってこと。。?病気になるまで、謝るつもりは全く無かったって、そういう事?

から私のことが心配なら私の話をもっと聞いてくれるはずじゃない?私のことに興味を持ってくれるはずじゃ無い?応援してくれるはずじゃ無い?自分の考えの押し付けで、人の気持ちを考えていないんだよな。相手立場を慮る余裕やキャパがないのか。。いつも結局自分勝手で結局自己中。自分が常に優遇されていて、贅と快楽享受しないと気が済まない...結局そんな浅ましい人間本質は変わっていない...

そんな母のことが、ずーーーーーっと嫌いだった。そんなにすぐには、この感情は変えられない。時間がかかる。私は、母を好きになることは出来そうにないや。過去を仕方がないと受け入れて許し、彼女幸福を祈ることは出来るけれど。やっぱり、好きにはなれないよ。やっぱり近づきたくないと思ってしまったよ。死んでしまったら悲しいのかもしれないけれど、何を話していいかからないよ。まだ怒りが残っているようだ。私は次の世代や、周りの大事な人を傷つけるような事をしたく無いから、自分人生を強く幸せに生きて、周りを不幸にする愚かな選択をしたくないから。だから母の事を、少なくとも過去の母の言動思考パターンは病的で否定しないといけない。そうしないと、同じ事を、私も連鎖してしまいそうで怖いんだよ。。。。

今は献身的な夫に見せてる旦那さんだって家族が酷い状況の時に母をたぶらかし不倫して、一層家庭をかき回して、母は外泊三昧で父も子供達もみな傷ついて、私の思春期楽しい思い出が殆ど無い。離婚した時なんて、はっきりと思い出せず記憶が飛んでいる。わたしはとっくに母からサポート愛情なんてものは諦めて、必要ない、自分努力して立派になるんだって理想生活を手に入れるんだって、母の存在否定して1人で頑張るしか無かった。誰にも辛さ、悲しさ、苦しさを話すことができなかった。

そんな風に奪われるべきじゃなかった。

そのことについて、罪悪感は感じない?謝ろうとは、思わないかな?

母は離婚して旅行や贅沢三昧で罪悪感もなく、手厚いサポートあなたにしてもらえて、私は荒れた家庭でずっとひとりぼっちだった。

食事だって困ってた。病気になっても、自分対処するしか無かった。

兄や孫たちが来るのは良いけど、被害側の私や弟が来て話すのは、負担になるからもうやめた方が良い?もう来なくていい?

何なの?マジでムカつくわ....。もう2人で勝手にやってくれだなんて思うよ。私は一体何に巻き込まれていて、どうしてこんなにストレスを感じないといけないの?

せっかく過去に向き合って、母を許し、過去のことを水に流して今の母さんと、新しく絆を作ろうと思って、トラウマに苦しみながらも、体調崩して休職せざるを得なくなっても、今は母との時間を作って母のためにも自分の為にも向きあおうとしているのに....

カウンセリングだって言った。心療内科にもお世話になっている。

当たり前かもしれないけれど、現旦那は母のことしか、全く考えていない。私達がどう感じるか、どんなショックを受けるかなんか考えていない。

他のことなんてどうでも良いと思ってる。

私が昔つらかったことを話すのは母を傷つけて、体調を悪化させる、悪者扱いされている?初めに向こうから過去の嫌だったこと全部話して、言いたいことはなんでもゆってって言うから、ゆったのに。ずっと蓋をして出来れば忘れてしまいたい感情で、向き合うのも思い出すのも辛かったのに。それなりに、自分なりに人生築き上げてたところだったのに。。思い出したらフラッシュバック気持ち悪くなっちゃったよ。

どうして、それで母を悪くいう私が悪者扱いなの?

お金持ちをひけらかして、一体何なのか。ディズニーホテルなんて私は泊まったことないよ。うちの家庭ではディズニーは私が行きたいといっても兄がいかないとゆって、私だけでは連れて行ってもらえなかったよ。

母が捨てて出てった家に今でも住んでいる私は、カビだらけのエアコン20年以上未だに使っていて、母が壁に穴を開けて、嫌な思い出の詰まった部屋に住んでいるよ。一人暮らしが出来る気力も体力もないんだよ。努力してスキルを磨いて、職を手に入れ、鬱や体調不良に苦しみながら、精一杯稼げるお金年収400万だよ。

あーー良いご身分ですねーー。なんでもやってもらって、なんでも買ってもらって、好きなことだけして働きもせず、金持ちに甘やかされて、離婚して良かったですねー。あれだけそんなんじゃお前は社会でやっていけないよって、私を否定していた癖に、自分はちゃっかり、お金持ち見つけて不倫して、愛されて自立もせずに余裕があるふりして、孫を甘やかして良い人ぶって幸せ満喫ですかーそうですか。

私に贖罪したいなら、アパートの一棟くらい買って欲しいくらいだわ。言葉じゃなく、行動で示せ。利己的な動機が透けて見えるうちは、言葉は信用することが出来ない。

なんせ今までなんども裏切られてきたからねー簡単に信用したら、危ないって染み付いてるのよ。

病気が分かってから自分の住む家の改築に、自分趣味2000万ものお金を使って、私の将来のことを心配してくれる事はないもんね。成人後何度か食事に言った時もいっつも自分の話ばかりして、良い家に住んでるから遊びに来てって、自慢していたなー。こんな生活が出来る私すごいでしょーって、何にも努力してないくせになー。

私の仕事に興味待って話を聞いてくれたり、思いやってくれたり応援してくれることはなかったな〜。

子供達や孫のために、お金を残したいとは思わなかった?おまけに連帯保証人にされそうになったんだ。あれは危なかった。こうして死にそうになっていて、あの時すでに病気の事分かっていたのにね...

嗚呼、ならなくて本当に良かった。信用しなくて良かった。はあ。こういう、落し穴とか罠みたいなのがちょこちょこ潜んでいるから母と対面すると気を抜けない。

旦那は偉そうに、自分は何でも知ってるみたいな言い方しやがって、あなたに、私の気持ちや辛さは分からない。

一体母の何が良いのか。話を聞いているだけで気が滅入ってくる。論理的な話が出来ず、頓珍漢で意味不明。標準医療を拒み、代替医療大金を注ぎ込み、挙句に癌がどんどん悪化して苦しんでいる。見てるだけで、話を聞いているだけで頭が痛くなってくる。

ちゃんと、彼等との間に防御壁を作っておかないと、医者なんてヤブ医者ばかりだとか、抗がん剤は毒だとか、検診なんて無駄だとか、あなた病気じゃないか医者なんて行くなとか、そんな、将来の私に不利益になるような全く根拠のない価値観押し付けられそうになる。

から自己をしっかりと保ち、それを受け入れず、ただそれを信じ込んで祈っている弱った母の事を傷つけないように配慮しなくてはならない。

私は、素人意見よりも専門医意見を、信じる。結局それが、一番当たっている可能性が高いから。医者だって、間違うこともあるだろう。分からないこともあるだろう。でも、素人のそれよりは、断然信用出来る。良い医者に当たれば本当に信頼してお任せしたくなる。

日々、研究努力を惜しまない、優秀な医師判断を聞かないだなんて、本当に頭が悪い素人判断思い込みが何故正しいと思うのか?愚かだ。。。実に愚かだ。。。

論理的合理的思考破綻している。

まじない病気は治らない!!

揃いも揃ってアホか!!

肯定出来ないのはね、私は母のようになりたくないし、母のように生きたくないし、まともな人になりたいから。。私と同じような思いを将来子供にさせたくないから。だから私は母と似ていたらいけないんだ。母のようになったら、虐待連鎖をしてしまうことになるから

---

まあでも、今は私だって父さんに支えてもらっているし、母さんだって本心から謝ってくれたのかもしれないし、母さんも辛い思いはしてきているし、職場の人にも状況理解してもらって配慮してもらっているし、、恵まれていて、皆から思われて心配されているんだよ。だからいつまでも被害者意識抱えなくていいんだよ。私のために。許せないと思い続けることが、私の負担でもあるんだよ。

私のことを愛していた、悪い事をしたと思っている、それが母さんの本心。受け入れてみよう。愛を受け取る努力をしよう。信じたい。本当は人の善意を、心から信じたい。

怒りなんて感じたくない。実の親を否定して悲しい気待ちになりたくない。昔のことは、ただのすれ違いで、今は仲直りができると思った。心から、私の事を愛している、心配してくれると思った。。

今は疑い深い、闘争本能が出ているだけなんだよ。臆病な警戒心の強い幼い私がでてるだけなんだよ。客観的に見つめて落ち着こう。


ふう。今は強く怒りの感情を感じている。

これは正当な怒り..?

この怒りの根っこは...?

これは認知のゆがみ?

被害妄想なの?

相手発言を、恣意的に歪めて、攻撃だと捉えている?

腹が立って、仕返ししてやりたい、傷つけること言ってやりたいだなんて思ってしまう。

ただ、反射的にそれをしたら私は母と同じになってしまう...

から実際には言わないで、相手が喜ぶような事を言ったりするんだけど。それが"すべき"事で自分本来の"ありたい姿"であるから

でも現にこうして私の自動思考が怒りを反射的に感じてしまうことは事実で、これをうまく解放できないと、怒りや悲しみの感情自分の中に、溜まってしまうんだと思う。そして一定以上溢れると、また抑うつや体の不調や感情麻痺が起こるのかもしれない。

アンガコントロールを学びたい。

感情を無理やり押さえつけたり、見ないようにするんじゃなくて、怒り上手く操ってあげたい。怒りを必要以上に恐れないようにしたい。

普通の人はこういう場面で怒りを感じないのかもしれない。母に似てるって言われて凄く嫌で、怒るってたしか一般的にみれば普通では無いよね。

なんだかもう会いたくなくなっちゃった

次に会うのは別にお葬式でもいいや。

私って本当愛情無いのかな。

信用してないんだな。

寂しいやつなのかな。

開きかけた扉が閉まっていく音.........

こうして、全人類に対する愛を失って、新たなトラウマになってしまうんだろうか....

人を信頼することは怖い事で、愛は存在しないと、潜在意識に刷り込まれしまうんだろうか。。。

とりあえず現旦那とは、話したく無い。うちの家庭の事情のことを理解していないのならば、悪意が無かったとしてもその余計な発言は私を苛立たせる。

はあ。イライラ些細な発言ひとつで。

疲れたな。

でも、怒りを感じる事は当然!今まであまり使っていなかった、吐き出していなかったから、ちょっと過剰反応で出ちゃってるかもしれないね

そう、この怒りは受け止められる。

私が悪いわけじゃ無い。

大人対応して偉かったね〜

もっと言い返しても良かったんだよ。

あいつ偉そうに。何なの?ムカつく。

でも、あの人も母の癌が良くなることだけを考えていて、精神的に余裕がないんだろう。

あー虐待加害者の母が愛されていることにも腹が立ってんだな。私はひとを傷つけることが怖くて、パートナーを作れないでいるのに。

だって口論なんてしたら疲れる。余計に、分かり合えないしんどさを抱えて落胆してしまうかも。問題を起こす自分として、自己否定をしてしまうかも。

母の本音が聞きたいのよ。

私の幼少期のことが聞きたいのよ。

可愛いと思ってくれていた?

愛してくれていた時はあった?

私は本来はどんな性格で、小さい頃に何があったの?何が、私の心に今も引っかかっているの?

私はどんなトラウマを抱えさせられたの?

今も私の人生にしつこくしつこくついて回る暗い影の正体を知りたいの。

どんな事を、謝りたいと思っているの?

ちゃんと思い出して話して。

私がこれから健全な心と精神を取り戻せるように協力して。

じゃないと、私はあなたを許すことは出来ない。

あなたはもう十分、人生楽しんだでしょう。子供お金をかけるより、子供希望を叶えたり、喜ばせることよりも、自分欲求を満たすことには躊躇なくお金を使って。

かわいそう?そんな風には思わない。

あれはあの人の業。

人にねー、呪詛ばかり撒き散らしていたからねー、帰ってきているんだよー。

弱い存在の子供をいじめて、鬱憤はらしていたんだから

母さんとの楽しい思い出、いくら探してもなかなかなかなかなか出てこなかったよ。

それでもね、今日は本当は、母さんにハグをしてね、昔のことはもう気に病まないで、母さんは一生懸命だったの分かっているし、育ててくれてありがとう産んでくれてありがとうって感謝を伝えようと思っていたんだよ。

そうすれば彼女の心が明るくなって、病気に良い影響になるかなと思ってさ。喜ぶかなと思ってマッサージジェルも持っていったよ。

これからは愛を与え合う関係になろうと思っていたんだよ。

そんな、私の努力と決心を踏みにじられた気持ちだよ。苛々してしまって言えなかった。

あいつ、私が3才の頃にいつも駄々こねて母が置いていくよといって置いていっていくら離れても動こうとしないなんてことが何度もあったなんて話をして、なにが言いたいわけ?3才の私が悪いとでも言うの?私の性格おかしいとでも言うの?

ああそう言う事柄があって、私のこころは少しずつ傷ついて壊れてしまったんだなって、怒りしか感じないんですが。

ムカつく。

加害者側の癖に。。。

私は誰かに加害したことなんてない。問題があると、怒りを感じても出さないようにして、うまく平和にやり過ごそうとして、そう感じる自分を責めて、全部負の感情背負ってきたんだよ。怒って口論になることが、トラウマなんだよ。イラときても人に適切に怒りの感情を出すことが出来なくなってしまったよ。子供の頃に私が怒る=倍で帰ってきて、人格否定される =罰を受けるっていうパターンが染み付いていたからかもしれない。地獄だった。そうして怒る母を否定しているからかな。。。。

一度、この感情が全て放出されるまでキレてみたい。徹底的に相手をやり込めてやりたい。言い返せないようにズタズタに心を切り刻んでやりたい。私が正しいんだって証明してみせたい。闘いたい。勝ちたい。

私が経験した、この辛さや苦しみを味あわせたい。後悔させて、泣いてすがって謝らせたい。

おっと、出てくる感情そのままに書き出していたら、まさかこんな言葉自分から出てくるとは。

本能というか、潜在意識からメッセージだろうか。気づかなかった。蓋をしていた頃は。こんな激しい強い怒りを抱えてたんだ私は。あの人の発言はキッカケで、過去の事、その時溜めてしまった事、今まで感じないように抑えていた事、ひっくるめて出てきたんだ。

今は随分穏やかになったと思っていたけど、やっぱり昔封じ込めた何かが開きかけている。何か、恐ろしいものが私の中に眠っている。

でも、こうして感情を感じられるのは良いこと。私はある時から空虚諦観を抱えた感情の無い人形のようだった。

人格は、普通のふりをしているだけで、中身が存在していなかった。楽しみも、嬉しさも感謝幸せも、ポジティブものを感じられなかった。まずは怒りを徹底的に吐き出す。そうして健全な心が帰ってくるかも!

あーーーーーーーーーむかつく!!!!!

うざい!!!自業自得だよー。

ほんまに。神さまは見てる。

それがあなたが負うべき業なのかもしれないね。赦し、だなんて。

ぴったりじゃないか

そうやっていつまでも利己的なままでいたら、きっと治らないだろうねー。

良い最後じゃん。いい気味だよ。

人を苦しめた分だけ、自分に返ってきてるんだろう。

叔母は、同じ家庭で育っても、あんなに優しく繊細で人の気持ちを思いやれる人に育った。努力して自分と向き合ったから。

あなたは何度も気づけるチャンスがあったのにも関わらず、他人責任押し付けては、自分欲求を満たすことに夢中だった。ひとを傷つけることに躊躇が無く、非常に冷酷で、それを見せつけて楽しんでいるようにもみえた。

人格障害レベルやで。許されることじゃないで。これが許されたら世の中の頑張ってる本当に子供思いのお母さんが報われないで。

これ以上私みたいな思いをする子供が、居なくなりますように。子供達が愛情たっぷりと受けてのびのびと育つことが出来ますように。

願わくば私も、そんな家庭を築けますように。


---

長い、要約編

被害感情

軽率な非合理的判断への軽蔑

・哀れに思う気持ち

・ここから学び、二の舞にはならないぞ、という決意

自分をまず大事に、母とのことで消耗しすぎない

相手問題と、自分問題は別

・この怒りは、嫉妬かもしれない

本来私が欲しかったものを持っている人、それをわたしから奪った人。

・私は今のの自分を不幸だと感じ満たされていないんだろう

・母を許せていない

・私がしんどい時に母は寄り添ってくれなかった。何故私が、心配しなくてはならない?

2019-02-27

うつになって1年経った

1年前、業務量がキャパティを超えたようで、会社電車で涙が出てくるようになってしまった。

夫の勧めで病院に行ったら、抑うつ状態と診断された。

そのまま診断書をもらって、数か月休職することにした。

休職期間はあっという間だったが、一人で旅行に行ったり、映画をたくさん観たり、ゆっくり休むことができた。


復職には少し不安があったが、同僚はみんなおかえり、と温かく迎えてくれた。

戻ってきてくれて嬉しい、と泣いてくれる後輩もいた。

上司からは、今まで業務量が多すぎたこと、私一人に業務を任せきりになっていたことを謝罪され、

これから業務量を調整すること、増員することを約束してもらった。


それから1年経った。

同じ職種メンバーもたくさん増え、業務量も適切になり、定時で帰れる日も増えた。

たまに他部署の無茶な要求に悩んだり嫌になるときもあるけど、仕事をやり終えたら過剰なほど感謝されるし達成感もある。

同僚と切磋琢磨して良い成果物ができたときは手を取り合って喜ぶし、その後ランチでいつもより美味しいものを食べたりするし、

少し疲れたコーヒー仲間とのんびりコーヒーを買いに行って、それぞれの担当プロジェクトについて愚痴ったり褒め合ったりする。

通勤時間苦痛だし、仕事自体楽しいかと言われると怪しいけど、職場楽しいと自信をもって言える。


ただ、それなのに、どうしても、体調が良くならない。

8時間×5日間、フルで会社に行けた週がほとんどない。週のどこかで、必ずと言っていいほど遅刻、早退、もしくは全休してしまう。

(一応出社・退勤時間は決まってはいるが、一度休職しているからか、ほとんど怒られない。むしろ無理しないで、と心配される。)

症状はそのときによって全然違う。動悸、頭痛、ひどい疲労感、眩暈吐き気、腹痛。


薬は毎日欠かさず飲んでいる。

初期は抗うつ剤を飲んでいたが、効きすぎなのか副作用なのか、より不調になることのほうが多かったので、

医師判断で、副作用が少ないという漢方薬をずっと処方されて飲み続けている。


最近また大きな不調の波が来ていて、しばらく会社を休んでいる。

私がやりたいと言って始まった大きな案件リリースが控えていて、休んでる場合じゃないのに。

心が休まらいから見てはいけないと思いつつも、職場チャットルームを覗いてしまい、

おそらく私がいないせいで溜まっている仕事を、後輩が残業して処理してくれているのが分かって、本当に申し訳なくて泣けてくる。

私はこんなにも職場が好きで、同僚に会いたくて、会社に行きたいのに。体が言うことを聞いてくれない。悔しくて仕方がない。



もうこれ以上会社や同僚に迷惑かけられない。2度目の休職はない。1年前のことがトラウマで、きっと心がこの職場を嫌がってるんだ。辞めるしかない。

いや、転職しても体調が良くなるって保障はどこにもない。何よりこんなにいい人たちに恵まれてる職場なんてもうこの先巡り合えない。絶対辞めたくない。

この二つが頭の中をずっとぐるぐるしていて、結論が出せないまま毎日が過ぎていく。


うつになって1年経ったけど、もうそろそろ元気になりたい。

から努力は苦手だけど、努力でどうにかなる方法があったら、今なら何でもできる気がする。

生きるのが苦しかたから時給1100円のデータ入力派遣社員になった

https://anond.hatelabo.jp/20190225164120

これ読んでたらトラバ一人暮らししてることが発覚してオラ発狂。仲間かと思ったら俺のほうが底辺だった。

おっす!オラ、ジョブホッパーの28歳!最終学歴高卒偏差値38のゴミだ。頭もメンタルも激よわだぜ!よろしくな!

説明プレゼン、会話が苦手すぎて抑うつ気味になって発狂しながら仕事をバックレたり、

仕事についていけなくて仕事をバックレたり、

無能のくせに無能だと思われるのが嫌で自分無能さが周知になるとバックレるゴミとして活動してるぜ!

発達障害の症状一覧にだいたい当てはまるけどセカンドピニオンまで受けて健常者認定されるギリ健って奴だ!ワイパックスとか効かねーぜ!

====

BGM) https://www.youtube.com/watch?v=msyMDz2QdMo

オラが普通人間だったら間違いなくオラみたいなクズ死ねよぶっ殺すぞと思うけど、バックレるときは克己心が湧かないレベルキャパを超えているので正直もうどうすればいいのかわからなかった。

ある日、このままじゃやばい、と思い、オラが得意な事と、オラが絶対にやりたくないことを列挙した。

こうなると、手先使うわ命に係わるわで、工場は無理(一週間でばkk辞めた)。

介護?うっかりミスで人を怪我させたり殺してしまいそうで絶対無理。それでこそ立ち直れない。

タッチタイピングを生かして事務職になろうと思ったが、電話応対やマルチタスクゴミなので無理。

ビルメンを考えたが手先が不器用テナント対応業者対応で報告連絡が上手くいかない(特有の会話が苦手で正しく情報が伝えられない)ので無理。

清掃も考えたが、手先が不器用なのと潔癖症なので働く前に辞めた自分が見えた。

良く見直すと、俺は得意なことがタッチタイピングしかない。そこで仕事について調べてみるとデータ入力オペレーター派遣募集が見つけた。

募集要項をみると電話対応兼任で時給1700円、オラには無理だ。諦念にかられながら応募を眺めていたら、

なんと、「電話対応なし!データ入力作業!」の文言が!

「ついていけなかったらバックレればいいや」の気持ちで応募、年齢層が高い(40過ぎの主婦ゴロゴロいた)ため、割とすぐ採用された。

仕事内容はとある書類パソコンを使ってアプリケーション入力するだけの簡単お仕事

ノルマはないが生産性社員管理しているようで、増田君は入力が早いとお褒めの言葉をいただいた。高校卒業後、ボトルネックしかならなかったクズが初めて評価された。

これが……、自己肯定感か……。これが……、オラの力か……。

このままいけば正社員登用されるんじゃ……、と調子に乗ったが、現場で働いてる正社員管理側で対人折衝しまくりだったので俺には無理だと思った。

それから3年経った今でも、データ入力派遣社員をしている。この職場のおかげで派遣といえども長期職歴がついた。

しかし、働くうえでボトルネックだった会話能力プレゼン説明含む)の低さがボトルネックで、再就職に踏み切れずにいる。

克服しようと職場の人とコミュニケーションを取ろうとしたが疲れ果ててしまい翌日休んだ。言葉がでてこず吃音みたいになり、顔が熱くなり、酷く動悸がして、胃がむかむかした。凹んだ。

メンタルの弱さまで相変わらずなのだ

今働いているこのプロジェクトは、あと5年で終わるらしい。最長で5年いれるが、それまでに転職先を見つけるか、その後転職を見つけるか、いずれにせよ永遠に居ることはできないのだ。

自分にできる仕事があれば20代のうちに正社員になっておきたいが、電話対応なしデータ入力正社員なんてどこにもないし、正直将来を考えるとどんよりとした気持ちになる。

30代ぐらいまでは、派遣社員としてなんとかなるだろう。だが、40過ぎたとき、50過ぎたとき、俺はデータ入力派遣社員が出来るのだろうか?

若いんだし自信持てよ!と励ましてくれる人がいるが、さすがにオラみたいな低能が自信を持ったところで仕事できないくせに調子に乗ってるタンコブができることぐらいオラみたいな低能でもわかる。

自信がないのは本当だ。自信が欲しいとも思う。ただそれは無根拠な自信でなく、何か能力裏付けされた確かな自信だ。

この仕事がなくなったら、オラは間違いなく途方に暮れる。老後もこんな仕事があるとは思えないし、将来を考えるといつかはシフトチェンジしなければならない。

でも仕事……、オラにはできる仕事がない……。こうしてオラはKKOとして生きるのだろうか。安楽死ができるならはやくしたい。

2019-02-24

女の友情

はいま、ある友達とこれからどうやって付き合っていくのかを悩んでいる。

その友達名前は仮にAとする。

Aとは同性です。

なぜ私がAとの関係に悩んでいるか

それは、私がAと接する時に「もっと自分を大切にしてくれる人と一緒にいたいな。」と思うようになったからだ。

まり、付き合いを続けていくうちに、私って大切にされてないんじゃないか?と疑問を抱くようになったのだ。

きっかけは本当に些細なこと。

私はAと○月中には遊ぼうね、と約束をしていたのだが、どうしても外せない急用が入ってしまい遊べなくなった。私は謝罪しながら約束を断った。するとAにキレられた。来月に埋め合わせができそうなので、その話をしたが既読スルーされている。

そう、本当に小さなこと。

でもこの出来事だけだったら、「私も悪いし、また謝って誠意を見せよう。」と思うだけだ。

しかし、この程度のレベルが何度も積み重ると私はイラッとしてしまう。

例えば、Aは私との約束を何度もドタキャンしたことがある。

Aから「〇〇をこれから2人で一緒にやっていこう!」と提案されて、私が〇〇を始めていると、Aはあっさり辞めてしまったり。これも何回もある。飽きるの早っ。そっちが言い出したから始めたのに、私だけ1人で真面目に続けてバカみたいじゃん。まあ、私も〇〇気に入ったからべつにいいけどさ。

1つひとつは小さなことで、普段の私は気にも留めないけど、さすがに数が多いとイラッと来てしまう。

後は付き合う中で気づいたこと。

Aの人間関係を見ると、来る者拒まず、去るものわず、というような感じだった。Aはとても魅力的な人だ。初めて会った時はお人形かと思ったし、性格も独特の考え方や、他の人には無い感性があった。これはAの長所だと思う。とにかく、魅力的な人だ。だから、同性も異性も、惹きつけられて集まった。ただ、先程書いた通りにAは『来る者拒まず、去るものわず。』といった感じなのだ。例えば、Aは他人食事を誘われれば誰でもついて行く。異性で苦手な人でもついて行く。ちなみにAは自分可愛いことを自分でよく分かっている。でも自分からは誘わない。同性の友達はAから離れていった。私はAと友達なのに、気がついたら自分の方から連絡とってばかりだなぁと思うようになった。

Aから連絡が来るとすれば、辛くて辛くて相談がある時だ。Aはうつ状態に近いと思う。本気で心療内科受診を勧めたこともあるし、学校に来れなくなったこともある。相談に乗るのは構わない。私もAに相談して何度も助けられたからだ。お互い様だと思っている。

私は2年前くらいに、別の友達(仮にBとする)からこう言われた。

あなたはAに利用されてるんだよ。Aとは付き合わない方がいいよ。」

その時は「そんなことない!」と思った。Aは優しいし、私はAには色んな相談ができる。たくさん助けてもらった。Aは協調性が恐らく無いのでグループワークになると、よく揉めるけれど、1対1の関係だととても深い所まで話せた。語れた。私は1対1でこれからも接していけばいい、仲良くしていけばいい。だってこんなに心の中までお互いに話せる友達ってそうそういない。仲良くしたい。そう思ったからだ。

それに、BはAのことが嫌いだった。だから「関わらない方がいい」とわたしに伝えてくれたのかな、と思った。

私はAの良くないところも知っていたけど、いい所も知っていた。人間は誰だって長所短所がある。BにはAの短所しか見えていないようにも見えた。だから、この件はあまり気にしていなかった。

ここ1年で、私はあることを知った。Aは人間不信だというのだ。「人間という存在が無理。この世で1番怖いのは人間。」「人間って汚い。」と言うようになった。Aは苦しそうだった。もともとAは抑うつ状態になりやすいし、こういう考えが根本にあるんだなと思った。「女の子って怖いよ。女の友情なんてそんなもの。」などなど、Aは人を信用してないことが分かった。

まずそこで私はガツときた。私はAを信用していたけど、Aは私を信用していない。でも私はAと仲良くした。「私たち友情なんてそんなもの。」そんなことを言われたくなかった。「人って簡単に裏切ってくる。」ともAは言った。私がここで全部嫌になって縁を切ったら、Aはきっと「裏切った!」と絶望するのが目に見えていた。私はAを信じたかった。私が泣いた時、あんなに支えてくれた。Aがいつか人間不信を乗り越えてくれればいい。Aがどう思っていても、私はAを信じよう。それが友達だと思うからそもそも友達って見返りを求めるものじゃないし。

そう決意した。

Aから相談だんだん重くなっていった。重すぎて私まで潰れるようになった。Aは本当に苦しそうで、自殺しないか本当に心配だった。重すぎて学校先生や他の友達相談したこともある。私はAから連絡が来なくなると、Aが自殺したんじゃないかと本気でハラハラした。

「ああ、振り回されてるな。もう手に負えない。限界。」

と思う反面、

「私ぐらいしかAは話せる人がいない。Aは私よりもっと苦しい。」と思った。

ちなみに、学年が上がるにつれてAのことを嫌う人はどんどん増えていった。Aに好意的な人は私を入れて片手で数えるくらいだろう。みんなは「Aは無意識自己中だ。」と言った。当時はよく分からなかったけど、今なら何となく分かる。

Aは自分のことしか考えていない。まあ、人間だれだって自分可愛いし、自己中だと思うから、私がこんなこと言ってはいけないのだろうけど。

でも思ってしまう。Aは自己中だ。他人から声をかけられない限り、自分のことしか見えてない。自分のことしか考えてない。だから平気で他人を振り回すし、そもそも振り回していることさえ気づいていない。先ほど、グループワークでAはよく揉めるという話しを書いたがそれがいい例だ。基本的他人任せ。誰かが声をかけてくれるのを待って、自分のことしか考えないかグループのために行動ができない。自ら他人フォロー絶対にしないし、そもそも他人を見てない。だけど、自分フォローばかりしてもらう。グループメンバーはへとへとになる。それすらAは気づかない。グループメンバーは「このままじゃいけない」と何度もAと話し合うが理解してもらえない。というか、逆に大喧嘩になる。こうしてAは敵ばかり作ってしまう。

AはAなりに一生懸命なのだろうが。

それから、Aは心を開いたふりをするのがとても上手だ。無意識に、心を開いたふりをしてしまう。本当はこれっぽっちも信じていないのに。でもAは、本当は人を信じたいのだ。Aは今でも、もがいている。

「それでもAを信じよう。信じたい。所詮女の友情なんて言わせたくない。」

そう思ったのに。私は疲れたなぁと思った。距離を取りたいと思った。実際に本人に気づかれない程度に距離を取った。楽だった。別の友達と過ごして、「ああ、この友達は私のことが好きなんだ。」と伝わった。こういう友達とずっと居た方が楽だと思った。あの時、信じようって決めたのに。

ある時、またB(Aのことが嫌いなわたし友達)に言われた。「Aはやめといた方がいいよ。あなたお節介なんよ。」

Bだってバカじゃない。私のことを思って言ってくれてるのがすごく伝わった。私を心配してくれて、私に反感を買うかもしれないことを覚悟で言ってるのだ。

私は悩むようになった。

入学したての頃から1~2年は、私とは別にAには仲のいい友達がいた。その子はとても優しくて心が広くて、たぶん私たちの学年の中で1番大人だと思う。だけど、Aとその子は次第に疎遠になった。Aがその子を怒らせたのだという。その子が怒るなんて、私はよっぽどのことだったのだろうと思う。

周りを見渡すと、Aを避けている人とばかりだ。みんなAに怒ってるし、関わりたくなさそうだ。Aのことを本気で嫌っている人を、ぱっと思い浮かべるだけで軽く10人は超えてしまう。

心を開いたふりが上手いものから、やたらと男の子に追われてもいた。今までAほど受け身なのにモテる人を、私は見たことがない。Aは余計に同性に嫌われた。まあそれは嫉妬になるからそっとしておく。

Aは「男の子ちゃんコントロールしなきゃよ。」と言った。確かにそういう駆け引きとかも大事なのかもしれない。でもそれがAの人間関係、全てがそうなのではないかと疑問に思うようになった。自分に寄ってくる人と、表だけ仲良くする。私がそうされてるのではないかと思った。

ここで始めら辺へ戻る。

約束を断ったらキレられた。

私はもう疲れたし、イライラもしたくない。自分を大切にしてくれる人ととだけいた方がいいのではないかと思うようになった。

もうすぐ卒業して、Aとは約束をしないと会えないようになる。もう気軽には会えなくなる。もう、ここで関係を終わらせてしまった方がいいのか。卒業すれば会わなくなる程度の友情だったのか。会わない方が自分のためなのか。

私は迷っている。

2019-02-14

抑うつの傾向がある

ここ最近会社来るたび、辞めたいと思いながら作業してる。

涙も出てくる。いろいろ調べたら抑うつ傾向にあるのかもしれない。

ネガティブ感情思考支配されていると前向きな方向性が見出せない。

2019-02-08

ジョブホッパーという名のうつ病患者限界の近さ

転職回数は10回以上ある。ジョブホッパーッテネーミングに救われている。

やめるときはある程度引継ぎ、ドキュメントまとめ、挨拶などでバックラーではないと思う。だからこそ質が悪いのもあるかもしれない。

死ぬほど調子良かったときに、調子こいてプロジェクトマネージャみたいなことやったらうつ病になった。

これがうつ病かとわかりやすいくらいに症状がでていた(らしい。自覚症状はない)

回復期に心療内科に行くことに成功。そのときに受けたテストにて発達障害だねといわれた。

「そのせいでストレスを感じやすく、うつになりやすい傾向が強いのではないのか」

なるほどなっとく。

それでストレスが掛かると抑うつ状態にすぐなって、そこから自責の念うつ病に発展しやすいのか。なるほど。

そんで最近、再度あのテストみたいのものをうけたら発達障害ではなかった。どないやねん。ただの社会不適合者になりました。

まぁそれはもーどうしようもないからうまく付き合っていくしかないんだけど

いい加減限界が見えてきている。

技術職なためありがたいことに個人仕事を受ける事ができるのでどうにか、なんとか生きてきたが

書くのだるくなっちゃった

2019-01-28

anond:20190128004956

横田だけど。

抑うつ状態の時には判断力が著しく低下するというので、目の前の道具をうまく使えないということはよくあるそうだぞ。

元増田がそうだというわけではないが、道具をある局面で使えているのに別の局面では使えないみたいなのは珍しくないそうだ。

洋式便器で大便は出来るが、小便が出来ずに床にまき散らすという症状を示す、とかそんな例をどっかで読んだな。

2019-01-27

父親老人ホームに入れることになった

父が60前後脳卒中やって、10年間在宅でやってきた。

介護で膝腰と抑うつやって、鎮痛剤と安定剤ガブガブ食べて生きながらえてるけど、もう無理っす。

非正規だし、貯金もないし、もう若くないし、恋人もいない。

あるのは大量の尿取りパッドだけ。

2019-01-19

anond:20190118175554

大学時代鬱だった、と思う。

クリニックには一度行ったことあるけど、行ってもあんまり喋る気しなくて、特に診断もされずに終わった。

から鬱病認定されたことはないけど、明らかに抑うつ状態だった。

今は鬱じゃないとハッキリ言える。主観だけど。

どうやって治すことができたのか。説明できない。自分でも理解できてないんだから

しかしたら大学生活というストレスのもとを取り去ったことで直ったのかもしれない(中退)。

どちらにせよ。他人アドバイスできるレベルではない。

からもしも自分友達が鬱になったとき自分が鬱経験者で、しかも完全に治ったのに、なにをアドバイスしていいのかわからないんだ。

あんなに苦しんだのに、もうあの時の苦しみを忘れかけてる。

あの時、鬱で寝てないで、ああい勉強こういう読書やればよかったなとか考えてる。

うつ病患者へのアドバイスって難しいね

でもすべては結果だから、どんな良いアドバイスでも、アドバイスだけじゃ鬱病を治すことはできないかもしれないね

しかしたら、くそみたいなアドバイスと強引な環境移転がよかったりする可能性もある。

2019-01-09

うつ症状の整理

抑うつ一般的に知られる症状

 精神症状

  抑うつ気分

  不安・焦り

  遠くへ行きたい・消えてしまいたい

  興味または喜びの喪失

  意欲の低下・億劫

  自分を責める

  会話や本の内容が入ってこない

 身体症状

  睡眠障害

  食欲の変動

  疲労感・倦怠感

  動悸・息苦しさ・口が乾く

私の場合

 発症時期と変遷

  F32.0(.14 中旬) F32.1(.16 1) F32.2(.17 7救急搬送以降)F32.3 (意識レベル低下により主観記憶上に明確な時期の認識存在しない)IDC-10 2016

 自覚(あるいは過去主観記憶からあったであろう)症状 おおよそ時系列

  微小妄想 病感あり

  醜形妄想 病感あり

  離人症 病感あり

  希死念慮

  集中力低下 自覚症状の発現は遅い

  精神運動遅滞 psychomotor retardation 自覚症状の発現は遅い(暗記テストの点数の変遷により推測)

   短期記憶力の(.16 7~ 有意な)低下

      ex.記事項が覚えられない 何をしようとしていたかからない、掲示物の内容を記憶できず何度も見直すなど日常生活に支障

   計算速度、精度の低下、不能

   英文の内容把握速度、精度の低下、不能

   読解、読字速度の低下、不能

   会話の内容が把握できない

  罪業妄想 some idea of guilt and worthlessness  病感なし

  意欲低下 eduction of energy, and decrease in activity 病感なし より早くから存在した可能性大

  睡眠障害 3〜5時間睡眠

  自殺念慮行為 Suicidal thoughts and acts 意識喪失二回 三回だったか

  一時的な興奮 agitation

  嗜眠 傾眠 somnolence lethargy

  うつ昏迷 stupor

治療、休養が遅れた理由(多分)

 てんさい(笑)なので意欲低下や精神運動遅滞を隠すことができた(教授などで認知症発症が遅く進行が早いのと同じ)

 親が昏迷とか睡眠障害精神運動遅滞を発症している本人に受診等の判断をさせた(させようとした)

  が当然無理

 朝方の(一般例と同じく朝方が一番ひどい)昏迷・嗜眠・傾眠状態ときに散々に学校にいけと怒鳴られ身体暴力も受けた

 本人に治す気がない(セルフネグレクトの気がある)

  キツめの破滅願望がある?

 

どうすべきか

 やす

 卒業資格は今年度は諦める

そのた

 搬送自殺行為によるものではない

現状

 現状家事くらいはできるようになったが、そのため社会復帰して卒業資格取ってこいとの圧がつよい 

 しにたい

EDIT 一部見やす

2018-12-28

中学生の頃、いじめにあった。

さほどひどいいじめではない。たぶん大して理由もない。相手の虫の居所が良くないときちょっと無視されたり、部活叱咤激励の皮を被った罵倒を浴びせられたり。その程度だ。世の中にはもっとひどい目に遭っている人がたくさんいる。

しかしそのいじめは、当時の私にとっては世界否定されたと同義であった。だって、私にはそのコミュニティしか場所がなかったのだ。なのに、そこからはじき出される。いらない、死ねと言われているんだと思った。

結果として、私は部活で使う体育館に足を踏み入れるだけで過呼吸を起こすようになったし、人と関わることが怖くなった。それは中学卒業してからもずっと続いた。特に高校生活は灰色だ。保健室で、口にハンカチを当ててゼーゼーヒーヒーいっていた記憶しかない。

自分は誰からも嫌われる、この世にいらない人間なのだと思った。その気持ち大学生になっても、社会人になっても、ずーっと消えなかった。

社会人になって、すぐの頃。仕事がうまくこなせなくて、同期や先輩とのコミュニケーションも上手にできなくて、私は自己否定がやめられなくなった。過呼吸を通り越して不眠症になり、やがて抑うつといわれる状態になってしまった。

入ったばかりの会社休職した。人生ではじめて心療内科に通った。さほど医者に助けられたとは思えないけれど、とにかくいろんなことを考えた。

私の人生にはなんの希望もない。親ですら私を見て、こんなに困っている。苦しい思いをして生きるくらいならもう死にたい。どうせ誰にも求められていない。

はじめは、そんな感じ。だけどだんだん、私は腹が立ってきた。自分にではない。世界のほうに、だ。

私をこんな風に生んだ親が憎い。私をこんな風に育てた親類や先生が憎い。私をいじめた奴らなんか特に憎い。死んでしまえと思う。私の人生がめちゃくちゃになってしまったのは私のせいじゃない。好きでこんな風になったんじゃない。世界が悪い。世界が、世界が、世界が……。

ああ私はずっと怒っていたのだな、と、正常ではない頭で薄ぼんやりと思った。考えてみればいじめなんて、いじめられている側からすればひどく理不尽理由で起こるものだ。どういうわけか私はその理不尽に、無理やり理由をつけて自分を納得させ、怒りを抑え込んでいたらしい。タンブラーにそのとき気持ちを書き殴っている。読み返すとあまりにも憎しみがむき出しで、気分が悪くなる。でも、それほどまでに怒っていたのだ。そしてそれに気づかずにこれまで生きてきた。病気になるわけである

散々怒って泣いて、一ヶ月後、私はひとまず正常に戻った。

そのあとも何度か危うい橋を渡り、薬でどうこうするだけでは根本的な解決にはならないと思い至り、現在カウンセリングに通っている。

いままで書いてきたような話を洗いざらい聞いてもらって、なんだかずいぶんと楽になった。こんがらがった感情を解いていく中で思うのは、私はやっぱり怒っていて、多分一生怒り、憎み続けるのだろうなということである

それも、いいんだよ、と先生は言った。許せないことは許せないことでいいんだよ、と。私にはそれが正しいアドバイスなのかどうかが分からない。全部許せるのが本当はいちばんいいんじゃないかと思う。

でも、許さない。

あの無邪気で残酷だったかつての子どもたちのことを私はきっと一生許せない。

2018-12-22

振られた事実を受け入れるまでのプロセス

1. 否認隔離: 自分が振られたということは嘘ではないのかと疑う段階である

2. 怒り: なぜ自分が振られなければならないのかという怒りを相手に向ける段階である

3. 取引: なんとか振られずにすむように「悪いところがあったら変えるから!!」と取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である

4. 抑うつ: なにもできなくなる段階である

5. 受容: 最終的に自分が振られたことを受け入れる段階である

(以上はエリザベスキューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表した「死の受容のプロセス」。ちなみに誰もががこのような経過をたどるわけではないとも書いている。)

2018-12-15

既婚無職30代前半女元メンヘラ半引きこもり

タイトルの通りなのだ

高卒就職し2ヶ月で退職10年ほどアルバイト転々としついにそこそこ安定した東証一部上場企業再就職できたと思ったら鬱で退職してしまった。

ただその時自分が本当に鬱だったのかわからない。そもそも医者からは「抑うつ状態」と診断書書かれたもの楽しいことは楽しかったし。

ただ体調がかつてないほどずっと悪く会社に行こうとすると涙が出てくるとか、朝起きれない(起きたくない、起きたら死にたくなる)とかあった。

そこから2年経った。

自分ではもう抑うつ状態?なんじゃそりゃって状態になったと思ってる。

1年ほど前から新しい趣味もできたし元々ネットが好きなので毎日やってる。

ゲームも好きだ。

毎週精神科に通院して毎日服薬しなければならないのだがタイミングが悪いのが重なり3週間通院できてない。

それに合わせて謎のめまい、元から激重な生理運動不足による体力低下(もとから低い)で今身体がすごくしんどくてつらい。

明日午前中に通院しなければならないのに不安と面倒で眠れない。

お腹が空いてきた…

友達がいないので誰にも相談できないが、相談したところで結局自分が頑張らなければなんともならないよなぁと思って初めて日記書いてみた。

夫は夫で仕事が忙しく私のメンヘラ話なんか聞いてる余裕なさそうだから話ができない。

つらい。

2018-11-25

うつ

冬は抑うつ感がすごく出てしま

特に一人でいるとやばい

漠然と死んでしまいたい、消えたいと思うことが増えた

増えたというかだいたいいつもそう思ってる

薬をもらいに行くのがめんどくさくて病院行かなくなってしまったが、ちょっとやばくなる前に行こうかな

2018-10-20

日内変動についての感想

抑うつ傾向のある人間はしばしば日内変動がある。朝の方が調子良いとか、夜の方が良とか色々である

自分定型うつタイプなので、やはり朝は辛い。それでも今こうして、ここに無意味感想を残せそうである。少しは寛解したのだろうか。

朝、とにかく身体が重くて、頭が痛くて、動悸がして何も出来なかった。それが今は身体は重いがこうして、無意味感想を書ける。ニュースを流し見れる。

おそらく「そんなことは当たり前だ」のような厳しい言葉もあるのだろう。というか、自分が1番自分自身にそう思っている気がする。それでも今は抑うつ傾向、不安傾向の強い適応障害からの脱却の第一歩だと、自分を褒めておきたい。

もう少しすると、もっと身体は動くはずだ。そうしたら、趣味写真撮影でもやりに外を歩こう…。

2018-10-19

適応障害休職になった男のリハビリ日記1

前段の話

大手SIerの半研究開発職/半SEみたいなポジション仕事していた者です。

一応昨年度の新卒で入ってますが、業界は初めてではなく大学時代も細々ベンチャーで開発職したり、フリーSEしてました。

今の会社入社すると同時に結婚して、今は妻と2人暮らしです。

ただ妻はいわゆるボーダーで、パニック障害持ちでうつ病と少々厄介でした。

そんな感じの背景のある人間です。

本題

ある日、酷い頭痛発熱、全身の極端な倦怠感、強い動悸に襲われました。数日経っても改善せず病院に行きましたが病理的な原因は不明です(やや数字には出ていたのですがそもそも数日間食欲もなく水分もろくに取っていなかったので…)。

その後もあれよあれよと言う間に色々な検査を受けて最後精神科で掲題の診断に。

実は精神的な問題には心当たりがありません。会社も決してブラックではなく、もちろん妻のことは大変でしたがそれでもなんとか。強いて言えば妻は働ける状態ではなかったので、お金の面がじわじわ不安になってきた程度です。

それでも、事実として身体に症状が現れ、夜は眠れず、朝起きれば意味もなく(良い歳して)泣いて…。

あと自殺念慮というやつが私には今ひとつ分かっていなかったのですが分かったかもしれません。死にたいと思っているつもりはないのですが、自分電車に飛び込む映像、首を吊る映像ベランダから飛び降り映像…こういったものが繰り返し頭をよぎる(あるいは脳内再生していた)状態でした。

うつ病の妻を持っていたので、この手のことには詳しいつもりでいたのです。しかし、自分のこととなると意外と分からないものなのでしょうか。

自分も今でこそ、そんな風に客観的に書ける余裕がありますがその当日は「休職だけは勘弁だ」とか「死んでもいつも通りの生活する」などと騒いでいたそうで…(笑)

夕方比較調子が良いのと、セパゾンを飲んでるのが効いているのかなぁ…今は落ち着いて書けますね。

ごめんなさい、結論がまだでした。

休職1ヶ月を申し渡されました。

これが本題です。

休職1ヶ月のリアルは、主治医曰く

3割が復帰、3割がさらに延長、3割が今の仕事生活からドロップアウトといった感じらしいです。

私は復帰の3割に入れることを願い、行動しようと思います

適応障害と診断され、1ヶ月の休職になった会社員が本当に1ヶ月で復活するアーカイブとなれば良いかもしれない。あるいは、その難しさに挫折して違う道や、時間をかけた戦いに戦術変更するアーカイブとなっても良いかもしれない。

いずれにせよ、予想外の病に抗う匿名ブロガー不定期な日記をここに残していくことにします。

そして、最後自身方針を是非はともかく残すことにします。

薬物的な方針
行動とかの方針

薬物的方針主治医とも色々相談した上で…眠れないときアルコールで寝てしまうよりは…ということに。

SSRISNRIは相性問題も難しいですし、急性期の抑うつには難しいので一旦は無しで合意しました。

行動の方針はもう実行してますが…これは次の日記で。

具体的には会いたい人で、その上で会ってくれるという人には積極的に会って行くことにしました。あと大学時代研究室に少し、お世話になって勉強も。

今回の日記はそういった前置きの話で置いておきましょうか。

から本当の本当に日記になると思います

ちなみに次の日記には、大学時代お世話になった全然畑違いの先生に会いに行く話だと思います

今回のはここまで。

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

2018-09-29

軽度抑うつ状態が続いていて苦しい

散文です

昔ほど酷い自殺企図は無いが、漫然とした希死念慮は続いている

このままいつまで生きるんだろう。家族の恥になりながら

今年やっと読み切り漫画掲載してもらえた

2作目を描いてるところだが一向に筆が進まない

漫画家というのは基本在宅なので、いくらでも怠けられてしま

もう1週間くらい原稿に手を付けず、ひたすら寝込んで薬を飲んで、犬の世話と散歩をするくらいのことしかしていない

犬は可愛い 可愛いからの子を置いて死ぬことはできない だからまだ自殺はしない

の子が死んでしまったときに私も死のう

まだずっと先の話だけど

脳の障害精神病院のために障害年金申請したがおりるかわからない

ずっと不安である

そもそも私なんかが福祉の手を借りていいのだろうか

年金なんてもらうべきじゃないのではないか

そんな罪悪感で苦しくなってまた寝込む

軽度うつって書いたけどこれがうつなのか単なる私の怠けぐせなのかわからない

病院に行ったら聞いてみようと思う




今年25歳、この漫然とした閉塞感から開放される日は来るんだろうか

2018-09-14

anond:20180913210122

相談するのは斜めの関係が良いと言います

直接親や子供より、おじ・おばの関係のほうが相談やすかったりします。

直接の上司部下より、隣の部署の先輩とか、まさにこれ。

丁度良いタイミングで声をかけられたのだと思います元増田の行動はほぼ理想的です。

で、具体的な対応策ですが、まずはよく話を聞くことからです。アルコールは入っていないほうが良いです。

たいていの場合は、誰かに相談ができて、あとはよく休息を取れれば、気分の面は改善することが多いです。

一方で、病院への受診や、早急な労務軽減などの対応必要場合ルールアウトする必要があります

泣いているとのことで、気分的には抑うつ的となっていそうなので、次に睡眠と食欲について尋ねてください。どちらかについて眠れない、とか、食事がとれない・体重が減っているなどの状況があって、2週間以上続いているようなら病院受診させてよいと思います可能であれば、死にたい気持ち希死念慮がないか確認できるとよいと思います

まり親しくない中で尋ねるのはハードルが高いかもしれませんが、

「つらい状況が続くと、死にたくなるという人もいるんだけど、新卒場合はどう?」

といった形で聞くのが良いと思います

労務的な対応については、元増田一人で抱え込むと厳しくなるので、誰かに相談しておいたほうが良いと思います企業には安全配慮義務があるので、元増田上司から新卒のこの上司にそれとなくきいてもらったり、労務担当部署から残業時間の把握をしてもらったりするのは一つの手です。

残業時間が月100時間を超えていれば、企業側に該当社員面接をする必要が出てきます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん