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はてなキーワード: 抑うつとは

2019-12-13

抑うつの診断出てるのをなんとか薬でコントロールしながら

頑張ってボーナス200万越えたけど家帰っても労いの言葉も貰えず。

俺なんのために頑張ってるんだろね

2019-11-19

今日世界男性デー

体も弱くて障害者容姿も自信ないけれど私は私、わたしらしく生きたいな

最近知り合う人、発達障害抑うつ双極性障害を抱える人がなぜか増えた

社会はそれだけ傷んでる

婚活していてメル友できたがまだ結婚には遠そうだ

はてなは傷つけあいばかり他人に振り回されたくないな

自分感受性に水をやろう

2019-11-03

「時にはしくじる事もあり、ちょっぴり悲しい事もある」ってサザエさんADHD+鬱傾向を表現してるってマ?

「明るい私は、明るい私は……」って抑うつ傾向の時に思い詰めてるって事?

2019-11-01

マンガ絵の女の子の絵を見るだけで落ち込むくらいに耐えられない人はインターネットをやめてカウンセリングセラピーに行ったほうがいいと思います

そのうち丸いもの見ただけでも衝動的に死にたくなったり抑うつ状態になりそうで心配です

心配してるんですよ

生きるのつらそうだし、無理しないでね

2019-10-24

anond:20191024165429

俺は自分の頭の悪さが原因で退職して医者から軽度の抑うつ状態って言われたけど

だいぶ体調良くなってから転職したんだけど体調良くなっても精神を病んだ原因の頭の悪さだけは治ってなかったからまた病んで無職してるぞ

いつか耐えられなくなって刃物持って大暴れするかもしれないけどお前は俺みたいになるな

2019-10-20

anond:20191019223843

意外にむつかしいね。可愛くないハードルは高い。たとえば、

健康でない→可愛くない

抑うつ傾向→可愛くない

・清潔でない、清潔感がない→可愛くない

・髪・爪・歯・肌・毛のグルーミングレベルが低い→可愛くない

論理能力空間把握能力が低すぎる→可愛くない

言語能力が高すぎる→可愛くない

オリンピック選手を目指したりする→可愛くない

政治的発言正論を主張する→可愛くない

会社管理職になる→可愛くない

・高級ブランドを身に付ける→可愛くない

・高級セダンに乗る→可愛くない

2019-10-01

今の日本キューブラーロスで言うと何段階?

否認日本が終わるなんてあり得ない、何かの間違いだ

怒り:なんでこの国は詰んでしまったんだ!安倍が悪い!

取引:何かにすがる、野党を叩く

抑うつ:もう何やってもダメ死ぬしかない

受容:アベモロコシおいしい

2019-09-26

ここ2週間くらい驚くほどやる気が出ない。

職場へ1分前に駆け込んでしまう。家を出る10分前にならないと起き上がれない。その為化粧も出来ない。

原因は分かっているような分かっていないような。

そこはかとない孤独感。自分が頭がよくないという焦燥感諦観と悲しみ。自分への自信のなさ。同じような仕事の出来ない先輩と仲良くして傷を舐め合う焦り。

あと単純に研究がちっとも上手くいっていないし。(職場と言っていますが要は研究室です)

まだ頭がよくないから1反応ごとに教授相談して次の条件を相談しないと進めない。

本当は同期のように誰にも相談せずにゴリゴリ合成したい。

仕事が出来る人に仕事が溜まる問題はどこの組織にもあると思うんだけど、うちも例にもれず。でも私仕事ができる方ではないから、いわゆる共通仕事はそんなにないのである。(手間さえかければどうにかなる仕事はいくらでも喜んでやります。)死にたい

高校二年生の時、演劇部で、私は平部員で、演出脚本に労力が集中していた。見ていてとても歯がゆかったが私はどうしようも出来ず、何も出来ることが無かった。舞台監督の同期に私は勝手嫉妬していた。

あの時と割と同じ気分。いろんな人に嫉妬してしまう。

どうしたらいいのだろう。どうしたらこの抑圧的な気分を振り切ることが出来るのか。実験成功しだしたらまた気分が上がるのか。自分再現が取れない状態なのがいけないのか。自分再現が取れないの本当にきついな。

死にたい。働きたくない。

働きたくない。

職場に貢献感を求めるのがいけないのか?自分に自信が無いのがいけないのか?ラミクタールでも飲めば解決するのか?薬に頼るのはいけないのか?

死にたい。働きたくない。どうしてこんなに抑うつ的な気分になっている?どうしたら解決する?TOEIC勉強をあまりできていないのがいけない?死にたい。働きたくない。死にたい。働きたくない。

貢献感が欲しい。所属欲求を満たしたい。役立たずだと思われたくない。でも役立たずだと思われるのがつらい。実際役立たずなのがもっともっとつらい。

あーーーーーつらい。本当につらい。辛くてもつらくて仕方ない。本当につらい。つらいよぉ。つらくて辛くて仕方ないけれど、私が辛く思っているのは事実だけれども、それを他人に察知されてはいけない。そんな風に思われるような役立つ人材ではない。


死にたい。働きたくない。

死にたい。働きたくない。

死にたい。働きたくない。



仕事が出来ない職場お荷物だとしても、今更新しく人を雇うわけにはいかないのだから、私がいないよりもいる方がまだましだろう。マシだと信じている。共通業務にまともな貢献を与える能力が無かったとしても、淡々と出来ることをすることに価値があると信じている。本当に信じている。


あーーーーー仕事が出来ないのが辛い。死にたい。働きたくない。

諦めたい。私研究職向いていないのではないか?じゃあ研究職に向いていないとして何に向いているの?所属欲求を満たしたい。死にたい。働きたくない。働きたくない。働きたくない。働きたくない。死にたい。働きたくない。死にたい。働きたくない。貢献感が欲しい。所属欲求を満たしたい。

さっきから同じことしか打っていないな。今日授業休講だって。いい加減戻らなくては。

働きたくない。働きたくない。自分に自信が欲しい。

俺がいなくては回らない職場

って憧れる。そう思える職場幸せ死にたい死にたい。働きたくない。死にたい。働きたくない。死にたい。働きたくない。死にたい。働きたくない。働きたくない。働きたくない。働きたくない。働きたくない。働きたくない。

2019-09-01

映画「We are little zombies」ってそんなに良いか

 映画「We are little zombies」を8/31ウェブでの無料公開で見た。今も劇場で上映されているにも関わらず、という点は素直にすごいな、と思う。海外で賞を取ったとも聞く。Filmarksを見れば、割と高評価を付けている人が多い……ように見受けられる。だけどあれ、そんなに良かったか

あらすじ ※以下、ネタバレを大いに含みます

 両親を亡くした4人の少年少女ヒカリ、イクコ、タケムラ、イシ)が火葬場で出会いバンドを結成し、社会現象となる。しかし、主人公ヒカリ)の両親が亡くなる原因となったバス運転手ネット特定され、運転手自殺バンド解散し、主人公は親戚に引き取られることに。イクコ、タケムラ、イシらはヒカリを連れ出し、ヒカリの両親が事故で行けなかった草原へと目指す。道中で事故に合い、4人の乗った車が水没する。頭の中で走馬灯が駆け巡るヒカリ。突然「Continue?」という文字が浮かぶも、一度は拒否しかし仲間たちの声もあり「Yes」を選ぶ。するとヒカリの出生シーンが浮かび、気づいたころにはヒカリ事故現場にいた。その後草原へ4人で向かい、平凡な人生いいねとかなんとか言う。念仏が聞こえ、鯨幕の白からズームアウトして終わり。

感想

 大筋だけ抜き出すとそれなりに理解は出来る。というかこういう、理解のない大人や嫌な現実に反抗し、自由を勝ち取るというストーリー青春モノの定石なので、悪くなりようがないのだ。それから映像が斬新というのも分からなくはない。短いカット連続に鮮やかな色彩、独特なショット

 それらを全部ひっくり返すほどに、演出ダサい

セリフ説明しまくる主人公たち

 自分が何を思ってどう動いたかバンドがどうなっただとか、最初から最後まで説明セリフだらけ!映画は、カメラを通じて作り手が見せたいものだけを見せられるメディアだ。だからこそ、言葉で全部喋っちゃ興ざめなんだよ。表情や仕草、寄って撮るか引いて撮るか、背景に美術、何を画面に入れて何を排除するか、言葉だけに頼らず表現しなきゃ「映画」の意味がないんじゃないの。主人公一人称ナレーションたっぷり入れることが効果的に作用する場合もあるだろうが、主人公たちは感情が無く、両親の葬式なのに泣けない(だからゾンビ」)という設定のはず。それなのに(一応「ゾンビ」だから棒読みで!)べらべらしゃべるものから、「俺、中学生だけど正直感情が無くて全てが滑稽に思える」のコピペを思い出す仕上がりである

2019年にこれをやるかという表現

 「さあゲームの始まりです」は流石になかったが、感電して骨が見える、ネット特定シーンでは画面上に書き込みと思しき文字がずらずら表示される、などの古臭い表現がそこかしこに見られる。走馬灯も「Continue?」も差しまれる出生シーンも……4人が逃げ込んだ先はラブホテル了解です!ちなみに、主人公ゲームボーイを持っている理由は一応明かされてはいるが、イクコ役の中島セナに(iPhoneでもデジカメでもなく)フィルムカメラを持たせているところから見るに、ちょっとレトロな感じよくない?ぐらいじゃないかと疑ってしまう。街中で若者スケートボードをやっている場面も、有り体に言やPOPEYE感を演出するだけ。こういうのを削除したら90分ぐらいのソリッドなものに仕上がると思うのですが。本筋には関係ないものの、正直かなり冷める。

地域格差ステレオタイプ

 ここがかなり嫌だった。主人公ヒカリはおそらく東京まれ東京在住(東京タワーらしきものが見えることから分かる)の中流家庭であるのに対し、がめつく、金をむしり取る親戚は関西弁である。これをステレオタイプと言わずしてなんと呼ぼうか。他にも、葬式の場で主人公に「感情が無いの?」と泣くよう迫る親戚の女性福島在住だし、主人公の両親が巻き込まれ事故の原因であるバス運転手広島出身であるという描写がある。それだけではない。タケムラの父親は、工場経営しており、貧困で、母子に対し暴力をふるう。そして母親を巻き込んで自殺する。イシの両親は中華料理屋を営んでおり、イシは太っている。そして実家火災で全焼する。イクコの両親は、イクコに心酔するピアノ教師によって殺害される。そういう設定だと言われればそれまでだ。気にならない人もいるだろう。だが、私はなんだかなあという気がするのだ。ついでに言うと、主人公ヒカリ父親広告会社に勤めており、社内では人気者だそうだ。監督電通の長久允氏であることを鑑みるに、強い電通力(ぢから)を感じる。

肝心の音楽そんなにいいか問題

 主人公たちにバンドを組むよう勧めたホームレスたちの音楽が、見た目通りのヒッピー感溢れるものだったことには思わず笑ってしまったが、それは好みの問題だろうから置いておく。問題主人公たちのバンドだ。エクスペリメンタルビットポップをやるのは、それも好みの問題だろうから(あと一応「ゾンビ」的設定を生かしたのだろうし)置いておく。それの凄さを語る方法が酷い。CHAI菊地成孔を出して、彼らがいかに凄いかを喋らせるのだ。鑑賞中、思わず叫びそうになった。嘘だろ?!観客はそれぞれ好みが違うから楽曲凄さ表現するのはとても難しいということは分かるが、実在するアーティスト言葉説明させるのは一番ダメでしょう。先ほども述べたが、それなら「映画」でやる意味がないのではと感じる。

自己弁護のうざったさ

 「エモいって古い」にはエクスキューズを付けるいやらしさを感じる。さらに、一種夢オチとも取れる結末で〆ているところもあまり好きではない。別に、全て主人公ヒカリ内面の旅であっても悪くはないが、それにしてはこの(法要中の)短い間によくそこまで考えたな!となり、オモシロさが増す。また、自己弁護ではないが、「絶望ダッサ」にはどうも乗り切れない。「僕は感情がないから悲しみなんて感じないんだ平気なんだ(自己防衛)→いや本当は絶望して悲しんでいるんだ(自覚)→でもそんなのダサいから乗り越えていくんだ(そして未来へ……)」なのかな、と好意的解釈するとしても、それは「ダサい」という言葉で乗り越えていくべきものなのか、疑問である抑うつ状態ダサい/ダサくない、という問題じゃないと思うのだが……。

おわりに

 疲れた映像が斬新と述べたが、中島哲也に似ているんじゃないかとも思う。他にも色々言いたいことはあったが、もう止める。だいたい夢オチ可能性がある時点で、全ての指摘は負けなのだ。楽しんでいる人をけなしたいわけではない。良かったという人はそのまま、堂々としていればいいと思う。ただ、私には合わなかった。

2019-08-07

笑顔うつ病がつらい?

笑顔うつ病(smiling depression)についてはこちらを参照

https://gigazine.net/news/20190303-smiling-depression/

何がつらいかというと、今、産業医判断仕事を休まされているのだが

抑うつ状態だという自覚があまりないので、休んでて良いと思えないのがつらい。

身体はとっくに根を上げていて、寝付きの悪さ、過眠、起きられない、動けない、概日リズム障害頭痛身体の重さ、不定愁訴パニック発作etc

身体症状のオンパレードなんだけれども、

精神医療に詳しい人以外は自分抑うつ状態なんて信じてくれない。

何故なら、「いつも余裕の笑顔で、テキパキ仕事をこなす明るいタイプ」らしいから。

プロジェクト開始から先を見通してトラブルの種を予想して対処しておくし(予防しちゃうので全く評価されないけどw)

ちょっとしたトラブルならささっと解決して助けてくれる便利屋からいなくなると困るみたい。

何より自分が一番よくわかっていない。

この類の身体の辛さは小学生の頃からずっと続いている。

小学2年の頃には寝付きの悪さを自覚していたし、中学3年のある日まで、人間は朝起きたら頭痛がするもので、みんな我慢して平気な顔をしているのだと思い込んでいた。頭痛のない朝を迎えるまで。

そもそも笑顔なのは、喜び以外の感情はあまり表面に出てこないからだ。

みんな嫌がるけど社食ごはん自分にとって温かくてワンコインでありがたいなとか、仕事でも雑用でも人の役に立てて嬉しいな、とか。

喜怒哀楽は後ろから順に失われていくのだ。

笑顔になったきっかけは…2つ心当たりがある。

1つは、母や祖母が「明るい良い子」を好んだこと。

もう1つは、小学6年の頃、合唱練習中に指揮者先生たまたま目があって、にこっと笑ったら微笑み返してくれたのが嬉しかたこと。

笑顔は人を笑顔にできるんだ、素敵な魔法だ!と思った。

今は…魔法には違いないが、気づかずに代償を支払っていたのかもしれないと思っている。1回1回はすごくささやかだけど、使いすぎたらしい。

自分なりの復帰への努力として、野菜栄養価を失わないよう蒸し野菜等にして緑黄色野菜を中心に摂取を心がけている。

豚肉等でビタミン摂取も忘れずに。

瞑想は苦手(頭の中のノイズが止まらない)なので寝る前にストレッチしたり、自律訓練法っぽいことをしている。睡眠薬でなんとか寝ている。

運動したいけど日中は動く気力がない。

家事やって身体を動かすのが精一杯だ。

自分はどうしたら普通の人になれる?

ただ、会社に、社会に復帰して、迷惑をかけず、可能なら貢献したいだけなんだ。

2019-07-30

看護師のN山さんへ 病院辞めました

病院の人事などに以下の文を送ろうと思っていましたがやめました。

病棟はとても大好きだったので。

あなたに言われたこと一生忘れないと思います

**********

解離症状が出現した原因について

1. 出来事

2019年2月21日解離症状が出現し労務不能状態となった。

2. 原因

同僚N山さんとの関係、いわれたことで悩み精神的に不安定となった。

別紙参照。

3. 発症からの記録

2月21日 女性二人(H師長、K師長)に病院まで連れられ、採血と頭部MRI撮影実施精神医師を名乗る男性(O医師)より問診あり。実家帰宅したほうが良いとアドバイスあり、実家帰宅

3月12日 G病院受診。45分ほど個人心理士による面接GHQ検査あり。その後、医師診察開始。生育歴、症状、経時記録などを使用して説明する。ストレスによる解離状態が出現している可能性があり、その状態に蓋をするか上手く付き合っていくかという選択がある。症状の落ち着けや気分のむらについては投薬が効果があると説明受ける。解離に対してはエビリファイ3㎎を内服開始、不眠についてはブロチゾラム使用して治療すると説明うける。採血(生化、HbA1c、FT4、TSH)あり。

3月17日 3時半頃まで寝付けず。希死念慮あり。コードで二度ほど首をしめることがあったため、次回診療日を待たず、19日受診し頓用でのクエチアピン処方受ける。また、ブロチゾラムニトラゼパムに変更となる。

3月26日 休養を優先で生活確認

4月9日 休養優先で生活確認

4月24日 ニトラゼパムの薬効薄く、ロゼレム追加あり。5,6月休職し休養すると相談

5月7日 ニトラゼパムを中止し、エビリファイロゼレムで内服を調整する。解離症状出現していないため徐々に減薬する方向性でよいのではないか医師よりあり。クエチアピンはほとんど使用していない。

5月21日 抑うつ症状悪化。休養時間やす。薬の増加はなし。

6月4日 休養優先で生活確認7月関東に戻ること決定。甲状腺ホルモンフォロー採血実施

6月20日 休養優先で生活確認

7月2日 H県での受診は終了。

4. 症状

身体症状便秘、腹満感、曖気、嘔気などの腹部症状。下剤、制吐剤の使用、食欲不振、夜間過食、排尿困難、動悸、悪心、過呼吸、振戦、頭重感、頭痛

睡眠障害:いつか患者を殺すのではないかという考えにとらわれ入眠、休息をとることが難しくなった。勤務後21時頃に就寝しても3時頃まで寝付けない日々が続いた。眠りが浅く。寝ている間も常に身体が浮いているような感覚があった。中途覚醒もあった。

幻聴:夜間帯に流涙することが多くなり、それに伴って患者を殺す、患者を殺すという幻聴がみられた。また、同様の独語があった。

不安症状:N山さんと一緒の勤務帯では自分インシデントを起こし、人を殺すのではないかという考えで頭が働かなかった。患者安全・安楽よりも自分が何かするのではないかという考えにとらわれた。

被害妄想:2年目フォローや同期に対して、この人たちに助けを求めたら、この人たちが報復を受けると考えるようになった。また、メンバー全員が私を駄目な看護師であると思っていると考えるようになった。

 落ち着かない

 気力が出ない

 物をなくすことが多くなった。

別紙 具体的原因

 N山さんより、ほぼ毎月一回は「患者殺す気?」、「患者が死にます」、「あなた看た次の日に(患者が)具合悪くなってるよね。そのうち(患者を)殺すよ。」、「仕事舐めてるの?」と言われた。

 受け持ち患者検査時に出血を伴う状態となったため、16時20分ごろ帰室したが、酸素投与、モニター装着などしていたため当日リーダーだったN山さんへの送りが30分近くになった。送り必要と考えたため声をかけたが、「いらない。もう時間です。」と言われた。その後、リーダーへの送りはせず、夜勤者に直接送りを行った。30分ほど経ってからNさんよりさっき何かあったのかと聞かれたため報告すると「何言ってるか意味がわからない。そういうのは報告してください」と言われた。

夜勤中、休憩直前緊急入院患者の受け持ちとなった。手術の戻りが前半休憩中に重なりそうだったため、休憩は後半を希望した。病棟が落ち着いていたため、私はリーダーのN山さんと休憩のペアを組むと思っていたが、N山さんは点滴交換量が多いため前半に休憩はいると決めた。他看護師2名(1名はリーダークラス)が緊急手術の戻りがあるため、リーダーは一緒にいた方がいいのではと助言してくれたためNさんと後半休憩に入ることとなった。戻ってきたオペ患者の創部から出血あり。Nさんに報告し、医師にも報告したほうがいいだろうかと確認すると「何言ってるの。意味わかんない。」と言われた。実際に一緒に創部確認しやはり出血が持続していることが分かった。来棟していた医師に報告し創部縫合処置となった。

夜勤リーダーN山さんに送り中、日勤メンバー残業している中、「日勤メンバーがうるさくてあなたの送りが聞こえない」と私に言い、それを日勤メンバーに注意するのではなく、二人で注射室に移動して送りをするようにと促される。送り中、「は?」「意味わかんない」と連呼される。

 勤務交代時に麻薬の指示変更があったため日勤者に申し送りをしているとその指示はもう日勤帯での指示であるため残りの記録を書くことを優先しろと言われた。

夜勤帯に変更になってから1.5時間ほど経過してから日勤帯で受け持っていた患者の点滴が滴下していないため刺し直しをして、と命令された。交代時には点滴は滴下していたし、滴下にむらがあることも申し送りで伝えていたためなぜその時間に私がさし直しをしなくてはいけないのか不明だったが、身体が竦んで反論できなかった。

ナースステーションに本人がいるにもかかわらず、休憩室でその人たちに対してプライドが高い、仕事ができない、みんな嫌いでしょ、といった会話をしようとしており、不信感が出現した。

2019-07-19

anond:20190719092724

あうあうあレベルは良いけど、そうじゃない抑うつレベルの為に安楽死必要なんじゃないか

金持ち自己責任!とか言って、貧乏人が貧乏相手テロするのが今後も続くよ

結果的上級国民が死んだパターンは置いておいて、こういう無差別や標的テロ上級国民が死んだのあるかい

2019-07-16

anond:20190716092140

働けるのに鬱ってなんかちがくね?

それホンマに鬱なん?

抑うつ状態というか、なんというかは知らんけど。

2019-07-11

anond:20190711130239

わし、35歳、女、独身ADHD抑うつ

中学から不登校高校中退大検通信制卒業

上京して入った職場ダメっぷり発揮して退職貯金500万で3,4年暮らす

その後ADHD診断もらい、就労移行支援を経て2月から就職してる

職場、働きやすい、わりと理解ある

でも中学時代から家を出るのがものすごく難しくなって、それがずっと治らない

そして今もベッドから出られない

2019-07-01

anond:20190701035617

睡眠が足りないと抑うつ症状が強まるのは医学的に証明されているから、こんな時間に起きているってことはそれだろう。

からでもたっぷり寝てくださいな。仕事より睡眠を優先するくらいの方がいいと思うよ。

というか仕事パフォーマンスが落ちて頭が悪くなっているという自覚症状も、睡眠障害に起因するのでは?

2019-06-24

anond:20190623235455

未成年であったとしてもリスクベネフィットを勘案したうえで抗うつ剤を投与するケースはある(だって投与禁忌じゃないんだし)

一般論としては、うつ病はわりと短期間で寛解する病気とされているが、なかに治療抵抗性だったり反復性のうつ病もある

うつ病発症年齢が低いほど、のちに双極性障害に診断が変わる率が多い

(難治なうつ病だったと思ってたらじつは双極性障害でしたというパターン

あと、適応障害ベースにあるとか、抑うつ神経症(昔の病名だけど、心因性うつ病のこと)だとか、軽症または中等症のうつ病には抗うつ薬はあまり効かないとされている

抗うつ薬うつ病重症であるほど効果が高い

重症うつ病には、電気けいれん療法適応

以上、めっちゃ早口でお送りいたしました

2019-06-21

不定愁訴を訴える36歳女性

お腹パンパンに張ってつらい

食物繊維の摂りすぎによる腹部膨満感というやつか、単に太ってしまって内臓脂肪がついたのかしら?

家にある体組成計に乗れば、どちらなのかある程度判断はつきそうだけれど、怖くて最近ずっと乗れてない

ここ1週間くらい昼夜逆転してるし、今日こそは生活リズムを治そうと思って頑張って起きてるけど、寝てないとき特有の神経過敏さが出てきて、音とか光とかのちょっとした刺激に敏感になってる

もう2ヶ月くらい抑うつ状態ひきこもり

明日は外に出たいなあ

外に出るためにお風呂にも入るんだ

風呂からあがったら体組成計にも乗ってやろうじゃないか

あーもう、何で生きてるんだろうなあ、この人間粗大ごみ

そういえば生理予定日からもう3日遅れてるー

はよ来いや生理

2019-05-27

うつの弟を殴ってしまった

自省の念を込めて書く

私:一昨年の離婚後に息子と実家暮らし中の会社員

息子:保育園

弟:仕事辞めて半年から実家で療養中。精神科の診断は「抑うつ状態

母:専業主婦

父:会社員

帰ってきた弟はメンタル調子が悪くなると母親相手に延々と愚痴を垂れていた

「こんな地域で育てられたから俺はこんな出来ぞこないになった」だの

「働いていない人間に生きている価値なんてない」だの

あん高校大学に進学しなければ良かった」だの

そんな弟に母親は「そんなこと無いよぉ。生きてるだけで良いんだよぉ」と困ったような声で返答する

母親の返答が気にくわないと弟は壁に頭をぶつけて自傷行為

こんなやりが毎週のように行われ襖一枚隣の部屋で私が息子を寝かしつけていようがお構いなしだった

弟は病気から仕方ないと我慢した。

我慢が続いてストレスがたまり父母に相談しても「お前は口出しするな。弟ちゃん病気なんだから大人になれ」と突き放された

そんな生活半年続き

昨日、弟はいものように母相手愚痴っていた

私は息子を寝かしつけたところに弟の愚痴が聞こえてきてうんざりし、少し開いていた襖をバンと強く閉めた。

すると弟はこれが気にくわなかったらしく

「俺のことを邪険にしやがって、俺のこと馬鹿にしているのは知っているぞ!」

と怒鳴り立ててきた。私はカっとなったが襖の向こうで聞こえないフリをしていた

そのうち弟は壁に頭をぶつけ始めた。いつもより激しい自傷行為に母が悲鳴を上げたので襖を開けて飛び出し母と一緒に弟を羽交い絞めにして抑えつけた。

すると弟は私に向かって「ほらもっとやってみろよデブ、そんなんだから旦那に逃げられたんだよ、デブスが母親で息子ちゃん可哀想」と言い放った

私はとうとうブチ切れてしまい弟を地面に投げ飛ばして馬乗りになって殴った。殴って殴って殴った。弟の方が身体は大きいがお構いなしだった。

母が悲鳴を上げて止めにはいってきたので私は殴るのを止めた。

弟は「殴りやがったこと一生忘れないからな」「いつか殺してやるから覚えとけと」と捨て台詞を吐いていた。

私はその言葉にやっぱり弟は病気なんだと逆に冷静になった。

飲み会から帰宅した父に「姉弟仲良くしないでどうする。弟がこのまま自立できなきゃ将来お前に任せるしか無いのに」と怒鳴られ頭がクラクラ

私は爆睡中の息子を連れて友人宅へ避難することになった。

経済的には自立しているのでこうなる前にさっさと別居すべきだったと後悔。暴力をふるってしまった自分に後悔。出戻りの私を息子共々迎えてくれた両親とも確執作ってしまって後悔

後悔三昧だが私は弟と違ってメンタル強靭らしい。今日休みを貰って早速不動産屋に行って引っ越し先を見つけてきた

息子との二人暮らしは近い

2019-05-14

学歴コンプレックス研究概観展望津田容子)

【関心テーマ意図

日本社会は表向き実力主義成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学学者割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒肩書きのみでなく、大学知名度や質を重視する傾向が強まり受験競争さらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合学歴コンプレックスとして諸々の心理的社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体曖昧であるため、研究者独自概念言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。

【先行研究概観

学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者学歴に関連づけることで感じる、劣等感自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校主義」(野田,1996)といった学歴志向存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意から多浪仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者優遇する国公立大学至上主義下での私大学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会待遇でないと受け入れられない学歴保証希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折からくる無気力自尊心低下、不本意感に由来する不適応抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方のものに関わる問題存在示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックス継承家庭内学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。

【先行研究臨床心理学的意義と展望

先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自学歴観や学歴の持つ意味学歴認知思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。

津田容子引用文献>

安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデントアパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.

池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識大学自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.

伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.

吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.

文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得

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渡辺良智(2006).学歴社会における学歴 青山学院女子短期大学紀要,60,87-106

引用元:東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース下山研究室 社会と臨床心理学―研究会活動から見えるその諸相―

2019-05-11

anond:20190510215143

病識がないについて

誤解のある言い回しだとしたら、少し説明したいです。つられているだけかもしれませんが、病識がないことを馬鹿にするつもりはありません。

精神科病気では、自分病気であるという感覚が持てないこと、そのもの病気の症状であることがあります。ですので、女性(に限ることもないのですが)が年を重ねていくことに対して、それを認めないこととと、は若干意味合いが違います

病気は、どんな病気であっても、望んで患うことはありません。風邪でも、がんでも、精神疾患でも。

そういう意味では、病識がないことは、病を得るという不運な出来事の結果であって、まったくもって患者さんやそのご家族責任はありません。

もう一つ否認という言葉を挙げました。この語は、喪失体験過程としての否認念頭に置いて、使われています

キュブラーロスの喪失体験という考え方は、ご存じの方も多いと思います

彼女は、がん患者の告知後の心理的な変化を、一般化して、喪失体験となずけました。

すなわし、否認、怒り、取引抑うつ、受容という過程です。このような心理的過程は、がんの告知後に限らず、広く一般的にみられます

例えば死別失恋なども、同じような傾向があるように思います(すでに言及されている文献はあるかもしれませんが不勉強で調べていません)。

これらについては、その人が大切にしているものを失ったときにおこる反応と一般化してもよいと思います

元増田の挙げる、白髪や「婆と呼ばれること」加齢にともなった、若さ喪失ということになります。若々しさを大切にしている人であれば、正常な反応でしょう。

喪失する体験を受け入れられない、受け入れるまでの過程として、様々な感情体験することは正常な反応と思います

そういう意味で、「認知症になった母」が病院に行きたがらないことは、病気の症状として病識がない可能性と、正常な反応としての否認と両方の可能性を持ちます

いずれにせよご家族は大変な思いをすることになります。また、繰り返しになりますが、おそらくもっとも途方に暮れているのはお母さまと思います

そういうわけで、こと、病気に関しては、病識がなかったり否認したりしたとしても、まったく馬鹿にするつもりはありません。

2019-05-05

1999年春アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く

∀ガンダム

 放送局フジテレビ

 5年ぶりの富野ガンダム。今の所ガンダムというよりもイデオンブレンパワードに近い匂いがする。牧歌的世界観とは裏腹に随所に不穏な空気が漂っているが、登場人物の表情には活力を感じる。1話ラストの「地球はいいぞー」のシーンからものびのびとした爽やかさがあり、Vガンダム終盤にあった抑うつ気分に満ちた作風からすっかり立ち直ったのを感じる。同時に、この穏やかな世界をこれから戦争という火の海に投げ込もうとすることへの恐ろしさもある。物語が終わったとき地球がどうなっていることやら。

 メカニックデザインブレードランナースタートレックで知られるシド・ミードが迎えられており、今までに発表されたMSはどれも艶めかしさとレトフューチャーが混ざりあったどこか人間味溢れる機体ばかりだ。1話冒頭に登場したフラットも手足の動きから人間じみた表情が伺え、「相手ザクなら人間じゃないんだ」と斬りかかるのは躊躇われるような作り込みがされている。

 1話は戦闘シーンではなく徹底した日常シーンの描写により、登場するキャラクター戦争ゲームの駒ではなくあの世界で生きる1人の人間たちであることが強調されていた。ロボットアニメありがちな、まず最初ロボットがあり、その為に戦争が生み出され、最後にそれを行わせるための人間が生まれるという作品とは一線を画している。時代時代なら玩具メーカーから怒られそうな作品だが、これが作れる所まで来たのだからアニメ業界もまだまだ捨てたものではないな。

To heart

 放送局UHF

 恋愛シミュレーションゲーム原作とする恋愛アニメPS版も発売されて勢いにのる中でのアニメ化。お色気要素よりも幼馴染との恋愛をじっくり描く方向にシフトして純愛っぷりをアピールする戦略の模様。

 現状の展開が続くようなら、神岸あかりが好きじゃないとこのアニメはそこまで楽しめないんじゃないかなって気がする。まだ話は始まったばかりなんだけど本当に強くそう思う。正直言うと自分マルチの方が好きなんだけど、ここからマルチ志保が入ってきてハーレム展開になって、それで最後マルチが選ばれたとしても、俺は素直に喜べない気がする。このアニメ見て改めて思ったんだけど、ギャルゲーの幼馴染は皆が心の中にある「俺にも居たかも知れないメインヒロインとしての幼馴染」の幻影を描いているんだよね。両腕がくっついたミロのビーナスの幻影の如き、もしかして自分の傍らに居たかも知れない幼馴染の幻影を。妹ゲーが「俺にも居たかも知れない最高の妹」っていう幻影を描いているの同じかそれ以上に。作品によってはそれをあえてひっくり返してくる天の邪鬼もいるんだろうけど、それもこの基本があってのことな訳で。

 このアニメToheartにおける神岸あかりはまさにその「居たかも知れない幼馴染」が描かれてる。運命の恋が物凄いゆっくりと、そして確実に進行していってる様子が伝わってくるんだよ。これでくっつかないはずがないと分かるんだけど、それがいつなのかは分からないじれったさ。

コレクター・ユイ

 放送局NHK

 電脳空間舞台にした魔法少女モノ。CCさくらアキハバラ電脳組中間みたいな感じ。狙ってる客層的にもCCさくらと一緒で大きなお友達子供の両天秤の模様。戦う魔法少女モノは昔から全年齢層向けで鉄板っちゃ鉄板だよね。

 サイバー系の作品には珍しく主人公パソコンおんち。一昔前はこういうのってパソコンマニア主人公になるって法律で決まっているような状態だったので新鮮ではある。デジタルがそれだけ身近になってきたということなんだろうけど。作品としても「コンピューター世界に、悪いことをしている人達がいる」という設定であり、今までによくあった「悪いコンピューター世界」を舞台としているようなデジタルのものを悪し様に描くような作風でなくなってきているのも時代の流れを感じる。

ベターマン

 放送局テレビ東京

 ガオガイガー世紀末の怪電波突然変異したようなアニメ。なんかよく分からないけど多分最後までよく分からない系のアニメで終わりそう。シリーズ構成To heartと同じ山口宏なんだけど……多芸だなあ。

 







やあ (´・ω・`)

ようこそ、バーボンハウスへ。

このテキーラサービスから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

うん、「また」なんだ。済まない。

仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このマスタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない

「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい

そう思って、この増田を立てたんだ。

じゃあ、注文を聞こうか

2019-05-04

絶望隔離としての平成

ただの一側面としてだが平成になって変わったのが鬱病などの精神疾患に関する認知度だろう。うつ病になったら会社を休むのが普通パニック障害などの精神疾患にも障がい者保険適用されるようになった。いいことである

精神疾患などのなにもかもたちゆかなくなる特殊状態とは別に平成になって(というかここ最近)感じるようになったのが絶望したまま人といることが許されないような感じをうける。

特に社会人におけるコミュニケーションではそうだがポジティブコミュニカティブで微笑を絶やさないで話すことを暗に強制しているような空気を感じるようになった。人間がゴロンとそのまま社会存在することは許容されなくなっている。そんなロールプレイ空気があるせいか無理してポジティブ人間であるアピールするかのように取り繕っているように見える人もいる。

常に笑顔聞き取りやすい声を発することがコミュニケーションをする条件のようになっていて普通に会話をすることがたまに難しいと感じる。普通に会話をすると「冷めた人間」のように見られるから自分道化を演じる。本当は別に何も面白くもないのに笑ってみたりする。

定型文を駆使して会話を途切れさせないようにして別に興味もない話に無駄に多く相槌をうつ。正直言ってそのすべてがめんどくさい。もっと普通に話したい。でも普通に話すとコミュニケーション能力が低い人間のように見られる。

精神疾患社会病理だととらえられることがある。個人社会乖離がその個人精神状態を疾患である結論づけるとするなら社会が通常の状態から乖離しているかもしれないという視点もあってしかるべきである

例えば人と食事するのが苦しいという会食恐怖症がいい例である普通他人がたくさんいる状況で食事をとることは人間動物として考えた場合には自然状態とは言えない。僕達が他人食事を共にするのは「慣習」である。その慣習がいきすぎたり気づいてしまった時には通常の状態でその場所にいることが難しくなる。

鬱病などの適応作法であるコミュニケーションにおいても同様のことがいえる。コミュニケーション舞台が過剰なポジティブであふれ返っていれば普通状態でその場にいることは「相対的」に絶望している状態である。その相対をいつのまにか内面化して自分が悪いと自覚して劣等感を生み高じれば鬱病となる。

抑うつリアリズム鬱病人間のほうが社会を正しく見ているという説)がどういう論理のうえにたっているか普通笑顔で会話している僕達のほうが考えるべきだろう。平成社会から絶望隔離した。鬱病という名のもとに。それは社会が過剰なポジティブ支配されている証左でもあるだろう。

これだけ鬱病適応障害の多い人が多いこの社会はありていにいえばなにかがおかしいのである

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-15

うつ病理解して受け入れてほしい

知名度だけ上がっててほんとのとこではどういうつらさがあって、どんな背景があるのか理解されてないよね。

うつ病と診断を受けていても実はそれは発達障害による二次障害的な抑うつ状態だとか。うつ病の背景に何があるか理解しないと治療回復も難しいのにネット情報をみて「3ヶ月仕事休めば治るんでしょ?」って平気で言う上司かいるし。

じゃあ障害雇用で働けよとか思ってるかもしんないけどうつ病の診断だけじゃ障害者とは認定されづらいという現実があり、地方なんか障害雇用ほとんど無いし、そもそも会社に行くまでの満員電車死ぬほどつらいとか理解されないし...不眠が続いてもなんとか会社にしがみついて生きている。惨めだ。声デカなうつ病の皮を被った発達障害の人のちょっと方向性の違う主張とかがネットでは増えて逆に障壁になってたりもする。

うつ病は認知度が上がったから診断として患者も受け入れやすいんだよね。治療すれば治るものだし。「あなたうつ状態発達障害によるものです」と言われても本人が認めきれなくてカオスと化してくのを心療内科に通いながら度々目にするよ。さら認知度だけ上がったばかりに物知り顔一般人が増えてうつ病通院歴15年の自分はただただ肩身が狭く生きづらさを感じている。

うつ病を理解して受け入れてほしい。癌や1型糖尿病脳梗塞みたいに本人の努力とかではコントロールしきれず発病する疾患として。

それがあればあと5年は生きていける。

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