はてなキーワード: 屋上とは
1、部屋で子猫が腕にしがみついてくる。
あたためた牛乳を与える。
2、野外。総合運動公園的な。小さな丘の上で下を見ている。下には人に混じって様々な野鳥や動物が居る。1羽の羽のきれいな鳥が駆け回っていたが、他の鳥の集団に囲まれてつつかれ絶命したようだった。周囲の鳥たちはその羽根をくちばしで毟っている。自分は下に降りてその鳥の遺骸に近付き尾羽根を毟り取った。灰褐色のふわふわした短い羽毛と極彩色の長い尾羽根が手に入った。
3、高架を横のビルか何かから眺めているアングル。電車が居るが、高架の終点を突き破り引っ掛かっており、先頭車両は手のひらのようなものに乗り上げている。オランダの、鯨の尻尾の銅像に電車が乗り上げた事故シーンに近いが、夢の中の高架の方が3倍ほど高い。その電車の脇から人間が現れる。なぜか人間は出現時に電車の側面側を地表として接地しており、実際の地面に向き合っている。(目線としては屋上から下を覗いている様な状態)そして次の瞬間下に落ちていく。それが何度も繰り返される。位相ズレというか角度設定ミスというか。
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
( ^ω^ )
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A5%B3
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89
「突然の死
1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。当初からその経緯について様々な説が飛び交った。
かつて『ミンボーの女』公開後に襲撃事件があったことから、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったことから、写真週刊誌『フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった[19]。だが、伊丹はレタリングデザイナーとして日本有数と自負する存在であり、書き文字には人一倍の愛着とこだわりを持っていたことから、遺書が手書きでなくワープロで打たれていた点が不自然とされた。また死の直前に『FLASH』の記者から不倫疑惑について問われた際、伊丹は笑いながら「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口で答え、その様子が『FLASH』誌面に掲載されている。また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた[20]。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。
ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、伊丹は当時後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めており、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず、後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、自身が取材した人物が語ったという[21][22]。また大島渚や立川談志など古くから伊丹十三を知る人物も、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し自殺を否定した[23]。
伊丹映画に出演経験のある伊集院光は、1997年9月22日に行われた伊丹監督作品10作品目「マルタイの女」記者発表兼記念パーティーの席上で「OLがたくさん出るような映画を撮りたいから、また出てくれる?」と言われたという。 俳優・中尾彬はキャリアウーマン物「キャリアの女」の企画を聞いていた[24]。また「すでに5~6本の新作の台本が出来上がっていた」とも言われている。
最後のバラエティー番組出演は、1997年9月29日放送の『SMAP×SMAP』での妻の宮本信子との共演となった。
宮本信子は、2002年12月20日の「感謝の会」における挨拶で「本人が決めたことですから仕方がないですけれども」[25]と語っており、伊丹の死後、プロデューサーの玉置泰に伊丹の遺書が渡されている[26]。
2005年1月、インターネットの掲示板上で、伊丹の死が創価学会によるものという風評が掲載された。創価学会は事実無根として掲示板の管理者に対し訴訟を起こす。2009年2月、東京地裁は原告創価学会の主張を認め、被告に80万円の損害賠償を命じた[27]。」
ご飯が食べれない、ガス水道電気のインフラが止まることもありますが、子供達は走り回れるほど元気で活発。なんとか母としての人生を歩んでいけていました。お金がないので仕事を掛け持ちしたり子供達には迷惑をかけてばかりです。そしてまた迷惑を。取り返しの付かない事態となりました。私たちの力ではどうすることも出来ません。どうか助けて下さい
子供が学校を休みがちになりました。学校に行きなさいと言っても具合が悪いと言う。とりま休ませていましたが頻度が増えずる休みを疑いました。病院に行くと異常は無くとりあえず薬出しておきますのテンプレート回答。お金がないのにそんなことを繰り返すもんだから叱りました。でも具合が悪いの一点張り。今まで元気だったのに走り回らなくなり心配はしています。でも病気ではないのであればどうするべきなのか
すると今度は兄弟揃って体調不良を訴え始めました。病院に行くも意味なし。違う病院も意味なしでした。熱は無く寒気がすると言う。あれだけ元気だった子供達がずっと家にいてずっと寝ている。でも私は働きに出ないといけない。しかしあまりの不調により仕事を休まざるを得ず更に生活が困窮し食べ物が買えない日もありました
更に夫も体調不良を打った宇仕事をしなくなりますます困窮していく。インフラを止められ絶望の日々。旦那も家でゴロゴロ。寒気がすると言う。実は私も体調は良くありませんでした。ただそんなことは言ってられないのでママさんパワーで乗り切ります。私の母がそうであったように私も層でありたい。母は家族そして子供を守る生き物だとそう教えられそう実践し今までもそうしてきた。守るために私は生きているんだと。体調不良でも頑張るんだとそう思っていたから気にはならなかった。でも私も実は具合が悪い。実は寒気がする。でもお金が勿体ないので病院には行きません。もしウイルスなら子供達の検査で判明するはずですからそれ以外のなにかが原因でしたが高学歴でも頭脳明晰でもない私たちには何も出来ません
男性と出会いました。別に恋とかそういうはなしではないからね子供の状態や学校での話プリントなどはたまに持ってきてくれ話ました。その時はそれっきり
子供の体調不良は長期間に及び私が家計家庭を支えることになります
気味が悪いことに何人もの人がドミノ倒しのように亡くなっていきました
以前にもあったそうで不可思議な事故死や連鎖する死亡など体調不良者が続出していると
うちの家族にも関係があるのではないかと思い聞くもそもそも分からないと言われどうすることも私たちには出来ませんでした。そして今も出来ていません
薬物の流布
粉が撒かれた家があり調べると有害物質だったという
実は遊び場の公園はその近くでいつももそこで遊んでいたのですごく怪しいでも誰が何の為に撒いたのか
寝たきりになってしまい身体が痛く痺れ縛れる寒いといいガタガタしながら布団に横たわる。妹もずっと寝たきり
家で休むみんなが段々身体が悪くなっていく
私も家にいるときの方が具合が悪く外では気持ちも晴れやかでした
長くなるので省略
詳しくは分かりませんが、私たちの病気にも関係していると言われました。治す方法は?と聞くと引っ越すしかないと。そんなお金はありません家賃もギリギリです
8年ほど前から不審車が多発しているのは知っていました。子供が追いかけられたからです。近づくと窓を開け話すと立ち去ったそうですが、その後こちらを凝視していたそうで家の中に入るまで見られたそう
引っ越しおばさんのように騒音を出し追い出そうとしているようで我が家にも音が届いていたがまさか嫌がらせとは思えず毎日外が随分うるさいなくらいの感じ
屋上から大音量の低周波音を流し家屋を揺らしたり体調不良を起こさせたりして追い出しまたは再建築させお金をふんだくるブラック企業がいると。よく分からない話ですが実は周りの家の大半が転居しています。交流は前述の男性以外はほぼありませんので建物が変わったり子供連れの人になったり入れ替わりが激しいとは感じていたでもまるで映画のような世界本当なのかと疑いましたでも同じ症状の方が何人もいたのです
伝えていなかったけど元々トラブルがあって曰く付きの場所だった。会社を営んでいるのは知っていたが宗教団体が新たに出来教祖として振る舞っていると。カルト宗教で死人も出ているとも伝えられパニックそんなことある?本当に気持ちの悪い話早く出て行ってくれ
複数人が何度か頼んだとでもダメだったとしかも相談履歴が削除される事件もあったと
泣き寝入りですかと聞けばそうだと言う出来る事は ない
事件もあり冤罪で捕まった人がいると 日本全国でいて地元の政治家もいるとなんかとんでもない話になってきたしかも冤罪でっちあげで捕まった一人はあの男性であると知り驚愕した。
自民党議員と複数の統一系宗教団体がタッグを組み潰しに来ていると言う。団体名の一部と国会議員の名前は抑えた。不当逮捕をした人間の名前などの身元も分かっていると
パニックだった自分がふと息を吐いた。ここまで判明するのに時間がかかったそうだがここまで来ればもう終わる悪いやつは捕まりニュースになるニュースになればまた幸せな生活が帰って来るだろうとそう思ったでも違った奈落の底にたたき落とされる一撃をお見舞いされた
メディアに連絡したが反応はない
は?
何回したのと聞くと数えられないくらいしかもほぼ全社に送ったというの
そんなことあるの ニュースで見た胡散臭い事件や嘘臭い被害者嘘みたいな事件本当にあってそれが自分が体験する確率はなんぼ?宝くじ当たらないでこれ当たるの?色々あって引っ越してきて子供達もここに慣れてきたのに地獄があってそれがいつまでもここに有り続けるそんなことあるあるのかがっくりがっかり言葉にならない私達どうすればいいのというより正義はないのねえ悲しくて涙が出る
子供110番使った?と聞かれ話したことがあると聞いたのでそう答えるとだよねと言われたなんでしってるのとおもいきくとリストにあるとなんでリストにあるのときくと
そこ宗教団体のホームだよと言われた大きな施設安心安全役所が認めた場所だから安全だと思っていたというよりそんなことある?そこの会社の評価は高く歴史もあるが同時に宗教団体があり代表名が同じだから間違いないと
でじゃなんでリスト知ってるのと聞くと情報が流出してるとしかも意図的に流している人物がいてそれが近隣のカルト宗教教祖でほぼ間違いないと 車のデータを追うと前述な団体のページに顔写真があったと不審車知ってると聞かれたから知らないと答えたけど昔子供が見たやつということは後で知った
加えて違法外国人が往来していて逮捕者が出ていてここらにもいるとそれを警察に連絡したけど不審車リストだかに掲載されなかった話もされた
アンフェアみたいあれもこれも役に立たないってそんなことあるんだ世の中にはそういうこともあると私達も初めて知ったと弁護士もあちら側の人がいて弁護しない弁護人がいてそのまま監獄行きな話もされた
ご飯の支度片付けでどこまで書いたか分からなくなってしまったんだけど・汗
現状を変えるために様々な被害者の方が行動してくれました。結果は全てダメ
Twitterなどネットで訴えたりサイトで訴えるも効果が無かったそう。長年の疲労がたたり男性はダウンしてしまった。知らなかったが障害を複数抱えながらボランティア活動をしてくれたそうで頭が下がる。その他ほとんどの方が病気持ちでその中で行動しているそう私も含めて一般市民や無力ね
あまりこういう文章は書くのは得意ではないけど出来る事があればやるわということで書いてますが上手く書けていないでしょうね具合も悪いし身体も震えが止まらない
調べたそうです。ここで生まれ育った4割が重度障害。その他精神疾患割合は更に高い
病気症状をこじらせたあと耐えられず精神疾患を発症するそう不安でいっぱい胸が苦しくなる
大人は脚が動かなくなっていくそうで最年少で20代の子もいました。ここは人が住む場所ではなかったのでは。元々住宅地ではなく下に色々埋まっていたそう役所は協力的でなく調査も行わないと。不祥事がありそれを叩けば宗教団体も潰せると意気込むも受け取って貰えなかったそうで
証拠もあるのになぜと
分からないことだらけ支援に聞いても病院に行けばかりで行ってもなにも分からない誰も助けてくれない身体がどんどん悪くなっていくのをただだまって見るのは辛い
どうしたらいいんでしょうか誰を何を頼ればいいんでしょうか何も分かりません
診断書を持って被害届を提出しようにも受理されないようで死んだら受理するとのことですがもう既に人は死んでいますがそれは病死で関係ないと自殺者はただ自殺しただけで関連性はないと
誰か助けて下さい
解決策が分かる方までこの思い届いて欲しいです
母と子 五人家族の母より
もうこれわかんねえな
「これもうわかんねぇな」とは、「真夏の夜の淫夢」において野獣先輩が発した一言。
野獣先輩と遠野が野獣邸の屋上で日焼けしたあと、野獣先輩は自分がどれぐらい日焼けしたかを確認しようとした。
しかし水着で日に当たっていなかった部分とそうでない部分の色の違いは分からなかった。
野獣先輩「これもうわかんねぇな」
関連動画
この動画の5:01辺りで発している。
テレプシコーラは踊りを司る女神の名前で、「舞姫テレプシコーラ」はバレエ漫画である
ハンタのネフェルピトーの念能力の名前は、タイミング的には女神からではなく漫画から取ってると思われる
この漫画は現代日本のバレエ事情をよく描いていて面白いのだが、「バレエ漫画だよ」といって他人にオススメするには無駄に鬱展開が多い
一方で篠原妹の同級生・空美(クミ)ちゃんはろくにレオタードもシューズも買えないどころか風呂もなかなか入れない極貧限界家庭のブス
そんな空美ちゃんだが、伯母は元有名バレリーナで厳しく指導されてきたためバレエ技能は篠原姉妹を優に超える
伯母はバレエキチガイであり、飯が食えなくてもとにかく踊れという人間
「不遇な環境にあり軽んじられてる者が実はTUEEE」自体はありふれたプロット
でもそこで「空美ちゃんは親に売られてたびたび児童ポルノ撮影させられ、無職の家族を養ってる」という展開をブチ込んでくる
サッカー漫画や野球漫画でユニフォーム買えない貧乏少年が児童ポルノとかなかなかないだろ????
ポルノの世界は撮影者が被写体を誉めに誉めてお姫様扱いだからそれがクセになるみたいなのを聞いたりするが
空美ちゃんは「ブス入ってたほうが生々しくて受けるけど流石にブスすぎる」とか無茶苦茶に罵られながら撮られる
空美ちゃんはバレエの天才であることを認められ費用を免除された上で活躍したりするも、一家で夜逃げし、転校届けも転居届もどこにも出されず消息不明になる
空美ちゃんはその後再登場とかしない マジでどこでなにやってるのか不明 なんだよこれ
第二部に、経歴が怪しげで謎に包まれた美女バレリーナが登場し、見た目は空美と似ても似つかないが踊り方が空美の特徴そのものであり「空美が整形し出自を偽った姿」ではないかという疑惑を読者に抱かせる
結局その答え合わせはなく消化不良のままで終わる
どうも作者はドロドロしたものを混じえつつ書いていこうと構想していたようだが、ちゃんと取材したりするうちに気が変わってドロドロ部分を放り投げたんじゃないか
おっとりマイペースな妹と違い、自分に厳しく鍛錬し勉強もできて中学受験では進学校にも行く
空美ちゃんという、それまでどこかの教室に所属していたわけでもないのに自分を超える能力を持つライバルの出現に燃えて張り合い、スポ根する
日常生活を送れる程度にはすぐに治ったものの、バレエをやる上では以前のように踊れず違和感があって上手くやれない
おっかなびっくり稽古をするうちに再負傷、治療中に二次性徴を迎え、体のバランスが大きく変わる中で踊れないのはバレリーナにとって命取り
篠原姉は踊れないうちは体が育たないようにと食事をこっそり捨てるなど病んだ行動を取り始める
生活はできるがバレエには苦労という微妙な問題を国内で対処できる医者がおらず、海外のバレエに詳しい名医に見てもらおうという案が浮上
篠原家は小金持ちだが大金持ちではなく、借金しようかとか祖父母の家を売ろうかという話になる
国内で数回手術したのも苦痛だった篠原姉は、元に戻れる保証もないのに親に多大な負担を与えてまで渡航して手術するのを嫌がった
勉強はできるので、バレエをすっぱり諦めてアスリートを助けられるような医者を目指したいと母に言う
しかし母は「それは逃げじゃないか、もう少し頑張ってほしい」と返す
篠原姉は学校からの帰り道に、タワマンに入っていく人を見かけ、ふらっと追従してオートロックを抜け、屋上から飛び降りて自殺してしまった
自殺までさせなくていいだろ
なんだこれ
スラムダンクの三井がバスケできないからって自殺するようなもんだ
篠原妹はバレエを続けていくが、周囲の天才であった姉も空美も消えていき、その他の子も勉強に専念とか美容体重キープを求められて摂食障害になったなどで辞めていく
■ 主張
■ 主題
避難生活の癒やし能力の向上のために部分的に大麻が利用できるブースを用意してみてはどうか
ただし、陶酔成分が多すぎる状態では先日のグミ配布事件のような別の事故を誘発するため、
極力薄めのモノ限定にしたい。
■ 内容
避難生活は端的に言って虚無と向き合っているという現実がある。
人は根源的な虚無と向き合えないがために「陶酔」を利用しようとするが
実際に酒に殺されるのだ。
*1「自宅が全壊し、体育館へ避難した。避難所では酒を飲む人は多く、「飲ましたろか」という人もいた。」
「ビルの屋上に上り、飛び降りようとした。そやけど、下見たらびびってしもて。生きることも、死ぬことも、酒をやめることもでけへんかった」
*2「「酒乱タイプの人は、ほかの住民から苦情が出たりして、行政も把握しやすい。しかし、いわゆる『静かなアルコール』の人は見つけにくい」。
亡くなる前日も買い物にやって来て、「こんな所おれんわ。帰りたい」とこぼした。「帰る所あるの」と聞くと、「ないけど帰りたい」と答えた。それが最後。」
さて。
2023年12月6日「大麻草から製造された医薬品の施用等」が可能となった。
我々は合法的に大麻を利用することが条件付きではあるが可能なのだ。
避難所、避難生活から酒を如何に減らし、陶酔を増やすことができるか、
つまるところ避難所の癒やしの能力を底上げするには大麻の利用もよいのではないか
避難生活は健康とは程遠いという現状を鑑み、適応範囲を模索するというのは
■ キャッチーな要約
使い古された人類の言い訳「明日があるさ」「諦めたらそこで試合終了だよ」が
どうしろって言うんだ!
一服やって!
お昼寝をみんなでしたほうがいいよ!
■ 予想される反論
お前が吸いたいだけだろ
ー> はい。そうですがなにか^^。
ー> 通常の生活だとそうだろうね!その幸せな生活が保たれた状態だと無縁のほうがいいかもね。
依存症になったらどうするんだよ
ー> 一理ある。だが酒よりはマシ。
長期間吸い続けると離脱症になって不眠症とかになるエビデンスがあるよね
ー> よく知ってるね。でも大体たかだか7日くらいだよ。酒の離脱はやべえよ。
ー> 一理ある。だが酒よりは、マシ。そういう状態だとすまんが酒で誘発されたとおもって諦めてくれ。
ー> そうなんだよ。別に無理にやらなくてもよくね。
なんでそんなリスクを増加させることをしたいんだ?
ー> 避難所のアルコール問題は深刻なのです。アルコールのニーズの代わりに大麻をあてがうという発想。
現代の大麻って陶酔成分が大量に含まれすぎててジャンキーじゃないと救急搬送されるんじゃね?
ー> ^^(サイパン製のHHCH高濃度グミとかチョコとかそんな変なもん持ってくんな)
ー> その場で吸えるように適当に設備を固定にすればいいんじゃね
ー> 罹災証明書をつかえばいいんじゃね
お前はいいことを言う!
ー> 阿諛追従の輩め。どこがいいのかその所きちんとコメントしなさい。
■ エビデンスなど
長期化する避難所でアルコール依存症割合が増加することが東日本大震災の事後経過でも明らかになっている
*3「震災で家族や仕事を失い、不安な気持ちを酒で紛らしている」
*4「酒、酒、酒…。頭も体も酒に支配された。震災で命が助かったことを喜ぶべきなのに」
*5「過度のストレスを解消するために酒に頼った」
*1 (7)役員の日々|震災2年目|阪神・淡路大震災|連載・特集|神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/02/rensai/199609/0005574843.shtml
*2 (2)ある素顔|震災2年目|阪神・淡路大震災|連載・特集|神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/02/rensai/199609/0005574848.shtml
*3【図解・社会】東日本大震災1年・東北会病院のアルコール依存症患者の割合(2012年3月5日)
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_jishin-higashinihon20120305j-04-w420
*4 神戸新聞NEXT|連載・特集|阪神・淡路大震災|震災26年目|被災、アルコール依存症… どん底から再起の男性、断酒会で立ち直り支援
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/26/202101/0013988816.shtml
今熱々の横浜家系ラーメンの大盛りを、頼んだものの多すぎて「こんなに食べきれねえよw」ってなりながらもなんとか胃に収めて、お腹パンパンの状態で暖房ガンガン効かせた部屋でこれを書いています。
避難所での生活ももう二週間になろうとしておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。暖かい部屋から眺めていると、避難所って結構楽しそうだなあって思います。なんだか非日常感あっていいですよね。お花見とかピクニックみたいで。
正直、私からしてみると、ネトウヨさんの思考回路が全く分からないんですよね。だって、ネトウヨさん方が蛇蝎のごとく嫌っているはずの韓国発祥のカルトであって、日本をエバ国と定義し、滅ぼすべきと言う思想を持つ統一教会と深い関係にある自民党を擁護してきたわけじゃないですか。まったくもって反日的と言わざるを得ないような団体とつるんでいた自民党を叩かずに支持してきたその思考回路、私にはまったく理解できませんが、とにかく「安倍」「自民」に対する忠誠心のようなものを持っているのかなと、私なりに解釈しております。
さて、災害から13日たって岸田首相がやっと現地入りする様子ですが、その間、道路も復旧せず、物資も届かず、反日パヨクのヘリを使えと言う意見も冷笑的に受け取られ、現地には人手も物資も足りていないと報道されています。私がそんな目に合わされたら憤激するでしょうが、自民王国石川県のネトウヨさんたちはきっと「自己責任」「まずは自助」の精神で日々を過ごされているのだろうと存じます。民主党政権下の東日本大震災の時はあっという間に道路の復旧が完了しましたが、どうやら能登のような半島で地震が発生して道路が寸断されてしまった場合、ネトウヨの皆様が大好きな自衛隊はもうなすすべがないらしいので、ヘリではなく人力で支援物資が到着するまでいましばらく避難所でごゆるりとおくつろぎください。
ヘリと言えば、自民王国石川県の星である馳浩知事が、発災から5日目というタイミングで「ヘリで物資を運ばなければならない」ということにいち早く気付いておりました。まさに慧眼であります。その後、6日には迅速に緊急事態宣言を発令。この素早い対応には避難所のネトウヨの皆様も拍手喝采であっただろうことは想像に難くありません。とはいえ、X(旧Twitter)での識者たちの意見によりますと、「被災地にはヘリが着陸できる場所がない」「物資投下も空挺降下も危険」とのことであります。悪夢の民主党政権下では自衛隊の神テクニックと称して危険を顧みない小学校屋上や病院屋上へのヘリ着陸を行っていましたが、やはり皆様が支持されている自民党政権は堅実だなあと思います。やはり、原発にヘリで水をかけるかのような必死な行いは冷笑に値するということですね。できない理由を一つずつ大事にしていく自民党政治こそが政治の常道だと。その間自分たちがどれだけ飢えようが凍えようが疲労が溜まろうが、「まずは自助」というわけですね。さすが自民王国石川県だと頭が下がる思いです。
私としては、安倍晋三のように公文書の改ざんや統計の偽造、様々な裏金や公職選挙法違反のようなことを平然と行う人間や党は国民のための政治を行うわけがないとして倒閣運動に邁進しておりました。しかし、皆様自民王国石川県をはじめとする多くのネトウヨの方々は「消去法で自民」「野党が頼りない」として私の意見を退けておりました。こちらとしては自民党政治への警鐘を鳴らしていたつもりなのに、全く手ごたえがなく愕然とした思いもしましたが、今避難所で優雅に避難生活を楽しまれている皆様を暖房の利いた部屋から拝見して、蒙を啓かれた思いです。なるほど、こんな僻地に住んでいたのは自己責任なんだから、国を頼るべきではない、まずは自助その次は共助だと。最初から覚悟が決まっていた方々からすれば、私の警鐘なぞただ単にうるさいだけのものでしたね。安倍政権下から年々、自衛隊の防衛費は膨らむ一方災害対策費を削られている件に関しても、地震なんかよりも北朝鮮のミサイルの方が脅威だというわけですね。勉強になりました。
さて、もしこの文章を避難所で読んでいる方がいらっしゃったら、ぜひお近くの方々にも見せてあげてください。哀れな反日パヨクの非見識をご笑覧いただければと存じます。一人でも多くの避難所の方に届きますように。私はこれから暖かい部屋でスプラトゥーンをしないといけないのでこの辺で失礼を。
ご苦労さん。
えっと、ブコメでも「不謹慎」「通報しろ」と怒りの声が上がっているようですが、なぜなのでしょうか
具体的に不謹慎な文言ってどれだか指摘してもらってもよろしいですか?それこそブコメにあるような「自業自得だ」「苦しんで〇ね」のようなことは書いてなく、むしろネトウヨの方々の崇高な精神を称賛しているつもりだったのですが
なぜ怒っているのですか?その怒りの矛先は本当に私でいいんですか?避難所で苦しんでいる人々が多いのであれば怒りの矛先を向けるべきは当然日本政府ですが…「まずは自助」「自己責任」精神を持つ保守王国石川県のネトウヨの皆さんは政府に対して文句を言うことはきっとないんだろうなあと思った次第です。この期に及んでなお日本人は滅ぶべきとする統一教会とべったりだった自民党の方が民主党よりましとおっしゃる方々の気高さにはおみそれしましたと言ってるだけですが、もし仮にさすがにもう民主党よりましとは言えないのではないかとおっしゃる方が避難所にいらっしゃるのであれば、言いたいことは山ほどありますが、それらをオブラートにぐるぐる巻きにした上で、それは少し気付くのが遅かったですねぐらいのことは言わせていただきます。こちらとしましても、ネットの言論空間におけるネトウヨさん方の多勢による論点ずらしやレッテル張りなどでさんざん煮え湯を飲まされてきていて、心中穏やかなわけないので。イラついてないとでも思ったか?私はリベラルのつもりなんて全くありませんが、どうせそう解されてそうなのであえて表現を借りるのなら「リベラルはお前のパパじゃない」というのが心情に近いですね。おっとこれは民主よりましとは言えなくなった方がいらっしゃった場合の仮定の話ですのでお間違いなく。自民王国石川県のネトウヨの方々は今も気高く「自助」「自己責任」で避難所生活をおくってらっしゃるはずですので。
まさかそんな方は自民王国石川県のネトウヨの中にはいらっしゃらないとは思いますが、もし盲目的に自民を支持してきて今痛い目を見たと思ってらっしゃる方がいらっしゃるのであれば、最後に一つだけ付け加えるなら、次の選挙ではその反省を活かせればいいのではないでしょうか。
「パイプとは魚、つまり足はなくヒレで進む魚である。すなわち足で走ることなどは不可能、無理
しかし、今目の前を足が生えたパイプが走っている。どうしてどうしてこうなった?どうして
俺はただバイトをしていた。水槽を泳ぐ魚を逃げ出さないように監視するバイトをだ。
それで突然、魚がこう…ザバッと水槽から上がってきたと思ったら
あ、あ、あ、脚が生えて、すね毛が生えた立派な筋肉の脚がな
俺の横をドシドシ歩いて行きやがった
もちろん、俺は追いかけたさ。逃げたことがバレたら俺はクビどころか損害賠償まで喰らうからな
だが、奴は追いかければ追いかけるほど早くなった。奴はとにかく走る速度が早く、速くなんだ
魚の癖に俺は全然追いつけなくてその
回想してる場合じゃねぇ、目の前のアスファルトを奴は二本の脚で1歩、1歩、踏み進みやがる。
当然、周りも見る。当たり前だ。しかし、止めてくれる奴はまあったく現れやしない。
ああ、もう、腕がないくせにどうしてこうも早いんだ?!ちょっと俺のペースが落ちた内に奴は10メートルも差を広げてやがる!
行先はどこだ?海か?川か?国会議事堂か?
は、はぉ、はぁ…も、もう無理はしれない
水分も取らずに走ってきたせいかもう喉が砂漠みたいにカラッカラだ。足がガクガク震えている
中には女子高生三人組がいた、俺は注文しないでとりあえず給水器からコップ1杯水を飲んだ
「ねーこれ見てぇ、魚が踊ってるぅ!」
「わーイキッてるー変なのー」
その会話を聞き、俺は飲んでた水を全てコップに吐きだした。いや、まだやつと決まったわけじゃないまだ
…絶望だ、奴はもう踊ってイキるまで知能が成長している。「踊ったパイクがイキリだす」ってか
「ねーねー私俳句考えたんだ」
「えー?どんなの?」
「わー!よくわかんけどすげぇ草」
「盗んだ俳句で語り出す」じゃないんだよ
とにかく早くやつを追いかけなければ
そうして走っていると、電話がかかってきた
まさかと思い、電話番号を見るとあのバイト先のおやじだった。俺に監視を頼んだあの
「は、はい…███ですが」
「ま、まだ見てません…」
ガチャッ…
電話が切れた。どう反応していいのか分からず、俺は満点の星空を眺めながら、覚えたてのタバコを一本ふかした
自由になれた気がした███の夜」
「以上、語り手は魚ことノーザンパイプでした」
おわり
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
引き戸の扉を開けると鈴が鳴り、「いらっしゃい」というマスターの渋い声。
はい。と僕。
釣竿を渡され、店の奥へと進んで行く。
扉を一つ抜けると曇り空が出迎え、屋上のような広間に出る。
中央には蓮池がひとつ。丸いような、それでいて歪んだ輪郭をしている。
水は濁っており、中は見通せない。
僕は隅の方へ眼をやり、手ごろな椅子を見つけては、それを手で引っ張り池の前に置く。
そこに座って池へと糸を垂らした。
魚の名は増田。
しかし誰も自分が魚だとは気づいていなんだよ、とマスターはいつの日にか僕に言った。
いつの間にかマスターは僕の隣にビールケースを逆さに置き、椅子として座っていた。
どういう意味ですか?
「…ふぅ。誰も、自分が何者かなんて考えもせずに暮らしてる。それで十分だし、それで十分なんだ」
はぁ、と僕。
「だったら魚みたいなもんだ」
店長は笑って言う。
そういうものなのか…もしれない。
お店の方はいいんですか?
「ああ、今日はどうせもう、店じまいにしようと思ってた」
何か飲むかい?
そう聞かれて答え損ねていると「ビールだな、今持ってくる」と店長は立ち上がる。
あ、ありがとうございます。
言おうとした手前、竿が大きく撓った。
「大物だな、逃がすんじゃねぇぞ」
竿は唸るように撓り、ゆっくり慎重に糸を巻いていく。
すると増田が僕の前に姿を見せはじめた。
それは大きくて立派な増田で、自分のことを増田であるとは思っていないような増田だった。
その後ハッと我に返り、増田をもとの池に戻してやることにした。
パラ、パラと服が濡れる。
顔を上げると小雨が顔を見せている。
それは次第に大きな雨となり、この池を世界にするかもしれない。
そうすることで僕もきっと、増田になるのだろう。