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2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

2021-07-22

anond:20210721220919

>>ハッキリと申し上げてしまうと、書き殴られた素人の方の感想作品軌道修正に使うことはあまりありません。

国が燃える

ミンボーの女

ハイ論破

嘘だと断言できる部分だな

2018-05-20

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シコふんじゃった。

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遠き落日

ミンボーの女

1993

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月はどっちに出ている

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僕らはみんな生きている

わが愛の譜 滝廉太郎物語

1994

忠臣蔵外伝 四谷怪談

居酒屋ゆうれい

119

四十七人の刺客

ラストソング

1995

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きけ、わだつみの声

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1996

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学校II

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金融腐蝕列島 呪縛

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