はてなキーワード: 卒業式とは
持病を持っており、免疫を抑制する薬を飲んでいる私はコロナが怖い。
重症化の可能性も友達より高いし、そうでなかったとしても良くなりつつある持病の憎悪は避けられない。
同級生はコロナへの緊張感はもう無くなっていて、インスタグラムのストーリーでは飲み会や、カフェ巡りの様子が毎日上がっている。
大学最後の年なのに、卒業旅行もできないし、友達と遊びに行くことすらままならない。ほとんど毎日、学校と家との往復だけで、卒論発表を頑張ったのに打ち上げすらできなかった。卒論発表が終わったあと、帰って家で1人でテレビを見ながらお酒を飲んで少し泣いた。
それなのに、だらだらと伸びる緊急事態宣言、この状況を変えてくれない政治家たちは会食してるし、GOTOや五輪開催のことばかりだ。
まあこんな状況だったら遊んで思い出残して、仲を深めた方が若者にとってはいいよなーとも思う。だからだんだん飲み遊ぶ友達は増えてきたし、それでコロナの症状が出てないものだから、その体験を踏まえて、どんどん大胆に遊んでいる。
でも一方で、持病を持った私からするとそれは危機だ。患者が増えすぎると、毎月通っている病院に行けなくなるかもしれないし、罹った場合のリスクも高い。だから最近はあまりにも遊んでいる友達とはなるべく距離を取るようにしている。
遊びの誘いはラインで断ればいい。
それがもうすぐ行われる卒業式だ。一応縮小ということにされているが、卒業生は教室に集まる。感染に気をつけながらカフェを巡っている子も、特に気にせずキャバクラでバイトをしている子も、飲み歩いている子も、出会い系アプリで不特定の人と会っている子も、自粛をしている人間も、1つの教室にまとめて入れられる。
そこでどの程度の対策がされるかは疑問だが、感染していても不思議ではないような生活をしている友達と一緒に、長時間いるのは私にとって危険を感じることである。
そんなに怖いなら行かなければいいのだろうか。迷っている。ただ、卒業式が開催される限り、行っても行かなくてもそれぞれの後悔はあるだろう。
一年が経つ。卒業式までにもっと感染を抑えられなかったのかと憤る。私は、友達と過ごす最後の時間をこんな形で奪われなければならないのだろうか。
持病を持っており、免疫を抑制する薬を飲んでいる私はコロナが怖い。
重症化の可能性も友達より高いし、そうでなかったとしても良くなりつつある持病の憎悪は避けられない。
同級生はコロナへの緊張感はもう無くなっていて、インスタグラムのストーリーでは飲み会や、カフェ巡りの様子が毎日上がっている。
大学最後の年なのに、卒業旅行もできないし、友達と遊びに行くことすらままならない。ほとんど毎日、学校と家との往復だけで、卒論発表を頑張ったのに打ち上げすらできなかった。卒論発表が終わったあと、帰って家で1人でテレビを見ながらお酒を飲んで少し泣いた。
それなのに、だらだらと伸びる緊急事態宣言、この状況を変えてくれない政治家たちは会食してるし、GOTOや五輪開催のことばかりだ。
まあこんな状況だったら遊んで思い出残して、仲を深めた方が若者にとってはいいよなーとも思う。だからだんだん飲み遊ぶ友達は増えてきたし、それでコロナの症状が出てないものだから、その体験を踏まえて、どんどん大胆に遊んでいる。
でも一方で、持病を持った私からするとそれは危機だ。患者が増えすぎると、毎月通っている病院に行けなくなるかもしれないし、罹った場合のリスクも高い。だから最近はあまりにも遊んでいる友達とはなるべく距離を取るようにしている。
遊びの誘いはラインで断ればいい。
それがもうすぐ行われる卒業式だ。一応縮小ということにされているが、卒業生は教室に集まる。感染に気をつけながらカフェを巡っている子も、特に気にせずキャバクラでバイトをしている子も、飲み歩いている子も、出会い系アプリで不特定の人と会っている子も、自粛をしている人間も、1つの教室にまとめて入れられる。
そこでどの程度の対策がされるかは疑問だが、感染していても不思議ではないような生活をしている友達と一緒に、長時間いるのは私にとって危険を感じることである。
そんなに怖いなら行かなければいいのだろうか。迷っている。ただ、卒業式が開催される限り、行っても行かなくてもそれぞれの後悔はあるだろう。
一年が経つ。卒業式までにもっと感染を抑えられなかったのかと憤る。私は、友達と過ごす最後の時間をこんな形で奪われなければならないのだろうか。
「ようやく10代が終わった」「エバーに囚われていたあの頃の自分からの卒業」みたいな「当時のシンジくん達」の感想が本当にきつい。
いや、もちろん本当にそういう人もいるとは思う。謎考察とかをブログなりnoteなりに書くくらいのガチ勢。
そのガチ勢の感想に対しては、「気持ち悪いな」って思うけどそれはある意味ヲタクに対しては誉め言葉であって。
自分が世代的にドンピシャだったからって、そこまでの熱量でもないのに「あの頃から卒業できていない自分」を都合よく作り出す層がほんときつい。
いや確かに当時はめっちゃハマったんだろうし、旧劇でいろいろな感想抱いたんだろうよ。
だからといってそれを後生大事に持ち続けた訳でもなく、他のアニメみたり他の趣味を楽しんだり現実をがんばったりしてて
エヴァはまあ「昔ドはまりしたコンテンツの1つ」であり、たまに懐かしんだり、劇場版が公開されたらまあみるかくらいの感じだろ。
お前らがここ数年エヴァについて語ってたシーンなんてみたことないぞっていう。
社会人一年目、配属初日の朝、私がしたことはライナーセット券の申込だった。配属が分かるまで茶色の切符を毎日購入するのは大変だったので、無事に細長い水色の券を手にした時はとても嬉しかった 。
社会人になってから、今日までずっと湘南ライナーに乗ってきた。けど、それも今日でおしまい。
先輩方に比べると私が乗っていた期間はとても短い。それでも思い出はたくさんある。同じ号車に乗る人達には勝手にあだ名をつけて、勝手に心の中で挨拶をしていた。
毎朝同じメンバーが同じように並んでいるのを見る。それが私の朝の楽しみだった。
でも、昨年の4月からその様子は変わってしまった。コロナでテレワークの人が増え、ライナーセット券の購入者は大幅に減ってしまった。
ライナーセット券デビューした頃は、ドナドナと呼ぶに相応しいほどの満席だったのに、今じゃ四人掛けの席に一人。
ドナドナと呼ばれていたのが嘘みたい。
優雅な出勤はストレスなしで最高だけど、ドナドナしていた頃もあれはあれで楽しかった。
最終日だからと言っても、ライナーセット券の号車は何ら変わらない。いつもと同じように時間が過ぎ、いつもと同じように終点の東京へ向かっていく。
今日で終わるだなんてとても信じられない。車内アナウンスも通常通り。これはこれで最終日らしいのかもしれない。
小学生の時、帰りが遅い父の代わりに母と一緒に夕方駅までセット券を受け取りに行った。
高校生の時、母が買ってくれた当日券を使って大学受験の会場まで緊張しながら向かった。
大学生の時、卒業式に向かうために袴姿でおはようライナーに乗った。
社会人になる前にもお世話になっていて、社会人になってからは毎日毎日お世話になった。
実家に用事があるのに携帯にも家電にも全く出ないし、同居の兄貴も同じだし。
また2人が大ゲンカでもして内側にこもって外界を遮断している(母と兄はそういうところが似ている)のかと思っていたら、今朝兄貴から電話がかかってきて
「母さん、コロナで入院した。軽症病棟にいたんだが、血中酸素濃度が低いとか食欲がないとかで、昨日経過観察から投薬治療に入った。人工呼吸器は、これ以上悪化したらつけるかもしれないってところだ。お前には知らせるなって言われてたが、こうなっちゃ、なあ…」
それにだ。
今月下旬には、長男の卒業式と次男の卒園式、4月には2人の小学校中学校の入学式がある。
いつも写真を送った時みたいに、長男のことイケメンだねって、次男のこと可愛いねって言って欲しいよ。
逝ってしまうのはそりゃあ仕方ないさ。
頼むから。
晴れて憧れの職業になったけど、やっぱり雑務や色々あって残業も多く、大変だった。
今年で初任研も終わり勤務校が変わる。
ちょうど一緒に学校に来た3年生が卒業するのを見て、ふと私も卒業かなとふと思った。
勤務校も変わるし、なんかそういう風のような気がした。流石に明日辞めます見たいなことはないけど、時期を見て。。。
色々迷いもあったし先輩とかにもとりあえずやってみたらと言われて3年頑張った。
残業代を計算してみたけど、給特法が無ければ未払金の残業代は遡って請求できる2年で300万くらいになるんじゃないか!!w
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
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お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
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「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
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なんて書いてたか覚えてるか?
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序は良かったよ。
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破も良かったよ。
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昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
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ムカついたんだろ?
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今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
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まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
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なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
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ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
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まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
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お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
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序は良かったよ。
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「同窓会」は大盛り上がりだ。
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昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
通信制の私立高校に通う底辺だけど、明日の卒業式がめんどくさすぎてサボりたい。
卒業式だけならまだしも、式典の前に1時間くらいの予餞会というのがある。いわゆる3年生を送る会みたいなやつで、在校生が出し物とかやってくれるらしい。
正直顔も見た事ない在校生が何やろうと興味ないし、1時間もそんなもん見せられると思うだけでげっそりする。
生まれてからずっといじめられてきて、結婚してみたらDVモラハラ夫だったので実家に戻って、ネットで知り合った人と再婚しました。
家計が厳しい時はパートや派遣もしましたが、何をやってもうまくいかず、上司には怒られて同僚には冷たい視線を送られて、それで不眠や嘔吐を繰り返したので働くことも無理でした。
子どもが産まれて保育園に入ると、今度は運動会やお遊戯会でお母さんたちに混じるのが怖くて、子どもを見るどころではなく、変な汗と胃液があがるのをがまんしてその場にいることが精一杯でした。
さすがにこれがずっと続くとまずいと思い、精神科の門を叩くと、生育歴にかなり問題があるし、二次障害も起こっていると言われ、今も服薬し定期的に通院しています。薬の調整は定期的にしていますが、効果の実感はありません。
子が小学生に入学すれば、入学式前日からご飯が喉を通らず、式そのものはつつがなく終わりましたが、帰宅したらば胃液を盛大にぶちまけました。
今も授業参観やPTA、運動会は行くと震えが止まらないし、当日は何も食べられません。
夫はそれを見ながら
「わざわざ行かなくていいんだぞ?」
といたわってくれますが、子どもは私が行けば喜んでくれるし、専業主婦なのにPTAとか学校の活動に行かないとか、まるっきり社会性を手放すみたいで、できずにいます。
そういうのの積み重ねで、今はほとんど外に出ませんが、ネットではてなやTwitterを見る限りにおいて、私は理解のある彼くん(夫)がいるメンヘラで、働かなくていい立場と揶揄や叩いて良い対象のようで、私は再びいじめや嘲笑の的なんだなと思って、でもそれが現実社会だと思うから、目を離してはならないと思いながら閲覧しています。
この春は子どもの卒業式と入学式があり、今、式にでる服を選ばなければならないのですが、やらなきゃいけないのに体が動かなくて辛い気持ちになって、最近ずっと眠っています。
多分、多くの人たちが持つ感想は
「考えすぎ」
だと思います。
隠す意味ないから最初に言うけどジャンプでやってる「ぼくたちは勉強ができない(以下ぼく勉)」の「武元うるか」ね。
ぼく勉がどういう漫画かっていうのはこの前(anond:20200724234926)書いたから省略するけどまあヒロイン5人分のエンド描いたラブコメ漫画ってことだけわかってくれればそれでいい。
ぼく勉は去年の年末に連載が終わったんだよ。最終巻の21巻は3月4日に発売されて、特装版には20巻と同じくヒロインの個別ルートのボイスドラマが付いてんの。一人25~50分くらいの。
これはまあいいファンサービスだと思うよ。俺もまあ普通なら普通に喜べたと思うよ。
ヒロイン5人のうち、うるか一人だけボイスドラマがないとかいうふざけたことがなければ。案の定だよね。
まあ別にわかってたんだよ。ジャンプの告知で21巻が最終巻って書いてたのに4人分しか発表されてないし、ファンブックが出るような人気作でもないからああそういうことなんだなって。
ただ最終回の後、作者へのお疲れ様のリプライの中に、「お疲れさまです、何か機会があればうるかの単独カラーかアニメか音声が欲しい、それとできればファンブックも見たい」って感じのリプがあったんだよ。作者はほぼ全リプしてたからそれにもリプしてたんだけど、それがこれ。
ありがとうございます!
そのへんはぼくの一存ではなんとも…(笑)— 筒井 大志@ぼく勉20巻発売中! (@Taishi_Tsutsui) December 22, 2020
これだけ軽く言うんだからもしかしたらサプライズ的にファンブックとその特典とかで発表されるかもくらいの期待があったんだよ。
頭の中の冷静な部分はそんなサプライズする意味ないからありえねえとか言ってたけどでもまあ多少の期待はしたよね。そこまでじゃないだろうとは思ってたよね。期待した俺が馬鹿だったけど。
それでまあ本当になかったということで改めてなんだけどさ。
(笑)って何? (笑)ってつける必要ある? どういう反応なわけ? うるかだけ表紙での単独カラーもボイスドラマもないからうるかのも見たいですって要望の一体どこに笑える要素があんの?
自分から5人ともヒロインですとか言い出したくせに、そのうちたった一人だけボイスドラマが出ないことに対する葛藤や痛痒を微塵も感じさせないこの軽さ。人の気持ちがわからねえのかな。逆にわかってやってんのかもしれねえけどさ。
作者にリプライしてない、ただツイートしただけの最終回に対する批判的な意見はエゴサしてまで「勉強になります」とかリプライして晒し上げるくせに、こういう要望とかうるかの扱いが悲しいって感想には一切まともに向き合わねえの。ごまかすか無視。こういう不誠実さがマジで無理。
というかマジで理解できないんだけど5人ともヒロインですって作品で一人だけボイスドラマ出さないとかどういうプロセスをたどればそういう結論になんの? ひと言も説明ねえんだぜこれ。
CDじゃなく配信だから容量の問題じゃない。各ヒロインのルートの巻にあわせて特典に付けてるわけでもない。他のヒロインのルートでうるかの台詞もあるらしいから構成や声優の問題でもない。
これ嫌いだから出しません以外に解釈のしようある? 俺にはとても思いつかねえんだけど。
一存ではなんともとかまるで他人事のようにほざいてるけど、5人ともヒロインですって作品で4人だけボイスドラマ作りましょうなんて狂った企画誰が提案できるんだよ。
もし仮にそういう企画が出されたとして、原作者以外に最終的なゴーサイン出せるやつがいるわけねえんだからお前の決断だろ。
したり顔でアニメでやっただろとか言われそうだから先に言っておくけど、アニメでやったのは原作とは似ても似つかない何かでしかないからな。出来不出来の話じゃなく単純に原作と全く違う展開のアニオリだから。
原作は卒業式当日に天気が大荒れで飛行機が遅れるから、うるかはオーストラリアで水泳の大会に出るために卒業式に行かないで空港に行くの。そんで成幸が卒業式抜け出して空港まで行ってうるかに告白するの。
アニメでやったのは
・原作をなぞった文化祭の後、最後の5分で突然数ヶ月時間が飛んで受験に合格して卒業式が始まり、また数ヶ月時間が飛んで空港でうるかの留学を見送る。
・他のみんなはすで集まってる中、空港に遅刻した成幸が慌てて転び、その手をうるかが取って文化祭の花火の瞬間で手をつないでいたジンクス(花火が上がった瞬間に手をつないでいた相手と恋人になる)の相手がうるかだと明かされる。
・飛行機の中でうるかが、空港で成幸が、それぞれ繋いでいた自分の手を見つめる。
これを5分でやっただけだから。告白なんて当然ないし、付き合っていることが示唆されるような描写もないから恋人にもなってない。頬を赤らめたりするような明確な好意の描写もない。いちゃつくどころか会話すらない。好意的に見て将来付き合うんだろうなって想像できるくらいだよ。
こんなもんが付き合うまでと付き合ってからを描いた原作のボイスドラマの代わりになるわけねえだろ。
アニメがあるからっていうやつは作者が何話もかけて描いたストーリーと数分でやっつけたこれを作者は同レベルだと思ってるって言ってるようなもんだけどわかってんのかな。作者に対する最大級の侮辱だろ。
うるかだけないといえば、ぼく勉って単行本だと1話毎にその回のその後的なものをおまけで描いてて、当然各ヒロインの最終回の後にも最終回のその後みたいなカット描いてんの。結ばれた後はこんな生活を送ってます的な。
これもうるかだけねえの。代わりにあるのがパラレル始まりますよ、他のヒロインのルートもありますよって告知。これもう喧嘩売ってんだろ。無神経で済むレベルじゃねえわ。
あと特典じゃないけど、ジャンプでぼく勉最終回のとき各ヒロインのミニ抱き枕を抽選でプレゼントしてたの。まあ俺は当たらなかったんだけどそれはそれとして。
https://www.shonenjump.com/p/sp/2020/tekigentei_bokuben-dakimakura/
このページ見ればわかるけど他の4人は各キャラ単独のカラー絵だけ使ってるのにうるかだけ裏面全部集合絵なの。
ああ、うるかだけ単独カラー絵なかったんだなって思うじゃん? まあ確かにないんだよ。本当に単独なのは表に使われてるこの1枚だけだったはず。その時点でムカつくんだけどさ。
準単独みたいなうるかがメインのカラーはあるんだよ。うるかがサンタの格好してて他のヒロインはSD絵のやつとか、15巻の表紙で成幸と肩組んで走ってるやつとか。雨の中傘さして成幸と2人でバス待ってるのもそうかな。
それ使わないでわざわざ他のヒロインも大きく描かれてる絵使ってんの。15巻の表紙はうるかだけ切り抜いて使ってるけど、切り抜きがありならあえて貴重なうるかが大きく描かれてる絵を切り抜かねえで他のカラー絵から切り抜けよ。
これ別に好きなキャラ以外が当たるような懸賞じゃないんだよ。好きなキャラを選んで応募する形式だからそのヒロインのファンしか応募しないの。だから他のキャラのファンが当たってもみたいな気遣いは必要ないし、実際他のキャラの抱き枕はそうなってんの。なのにうるかだけ他のキャラも大きく描かれた絵使われて割食ってんの。なんでこういうことすんのかな。どういうつもりなんだろうなほんと。
この前無限に死体蹴りされるとか書いたけどまさかこの作品でまたブチ切れることになるとは思わなかったわ。比喩のつもりだったのに現実になるからいっそすげえよ。
最終巻も出て何の告知もないから今後の展開もまずないし。普通にきつい。
ちなみにうるかのカラーイラストはこの間作者がTwitterで上げてたよ。いい絵だから見るといいよ。でも他のヒロインは単行本の表紙で手に取れるのにうるかは画像で見れるだけってさあ。
まあ見れた事自体は嬉しいからこれ以上言わねえけどさあ。描いた時期的に無理なんだろうけど、でもせめて抱き枕のイラストには使ってほしかったよ。
作者はうるか嫌ってないでしょ。
前も言ったけど人の心の中なんかそりゃわかんねーよ。
ただ作者がやってることは嫌いだと判断するのに十分だろ。
え、この作者のやってることが創作上の規範に反してるから怒ってると思ってんの?
ボイスドラマ一人だけハブられてたり幕間がなかったり色んな面で損してるから切れてるんだけど。そのくらいわかんない?
それともハブっちゃいけないという規範はないから怒るなって言ってるのかな。法の奴隷か何か?
つーか規範以前に作者自身が平等だとか言ってるのに露骨に扱い違うんだから普通怒るわ。
右ページに幕間入れたら左には何を入るのかな……みたいな。
作者様に名前を覚えられているぼく勉を代表するファンの方の想像するうるかの幕間がない理由。
人の神経を逆なでする目的ならセンスある。だいぶイラッときた。
万が一仮に、作者はこういう理由で入れられなかったんだからしょうがないって擁護するつもりで言ってるならサイコパスの素質あるよ。
高卒の資格がないと今後いつしか行くであろう大学の道もないのでとりあえず単位制高校で高卒資格を取るのが良い。
かくいう私も16歳で中退し、17歳の冬に大阪茨木市にある向陽台高等学校という単位制高校に編入した。
いつでも入学できると謳っているので思い立ったが吉日で電話をして学校見学に行くといいと思う。特に本人一人でも親御さんとでも、自分の目で見に行って確認するといいと思います。
授業は単位制で自分で時間割からコマを指定して満遍なく指定の教科を取って行く。私は約1年半通って19歳で卒業したが週2、3回程度に詰め込んで通っていた。
当時20年前は生徒の半数はヤンキー、3割は地味目の普通、2割は引きこもり系の感じで私も引きこもり系のど真ん中としてしっとりと通学していた。その他ごく少数の中に当時16歳でプロになっていたサッカーの日本代表選手やジャニーズの人もいたようだがお目にかかることはなかった。
授業の難易度はとっても易しい、テストもとても標準的、それでいて高校の単位がもらえるのだから、大検取得のようにハードに勉強する必要もあまりない。ただし宿題はきっちりあるからきっちり納期通りに提出するようにしなければならない。
一つ珍しかった教科は哲学の授業だった。高校中退してからというもの生きる意味を探して哲学入門書に没頭していたので毎回の授業がとても楽しかった。一度、宿題の作文でなんの脈略もなく、中島らもの「僕に踏まれた街僕が踏まれた街」というエッセイ本の書評のようなものを書いて提出した時、先生に声をかけられて「あれ面白いわな、先生も知ってるで」と言われたことがある。同じ趣味の友人を見つけたような感覚になって嬉しかった。それ以上特に話はしなかったのだけれど。
体育の授業で印象的だったのが、期末テストがソフトボールの対抗試合になっており、1打席でもヒット打ったら優がつくというものだった。結果は忘れた。でも楽しかったのは覚えている。
友達は最後までできなかった。駅から送迎バスに乗り、学校で授業を受け、少し自習して、また送迎バスに乗って帰る。そんなルーティーンを繰り返すだけの日々は、友達どころか「この先どうなるんやろか」という不安な気持ちでパンパンだった。友達を作って遊んでなど多分余裕がなかった。またそんな自信もなかった。でも授業は真面目に出て宿題もテストもこなし多分ほとんど優で卒業したと思う。もうあまり覚えていない。
人との関わりのエピソードといえば一つだけあった。僕が自習してたらグラサンをかけた見た目ヤンキー君が近づいてきて「シャーペンの芯くれや」と凄まれた。1本あげればいいところを怖かったので2本あげた。ヤンキー君は礼も言わずにその2本を私の手からむしり取って去っていった。なぜ1本ではなく2本差し出してしまったのか、自分のビビリ症にずいぶん自己嫌悪に陥った。多分これが人との触れ合いで覚えている思い出だ。その他はもうあまり覚えていない。
そんなことで19歳の3月、僕は晴れて高校を卒業した。卒業式があったのか、そして出席したのかも覚えていない。でもただ一つ覚えているのは、卒業証書の筒を家で父親に見せた時、「よかったな、高校卒業までやりきったな」と笑顔で褒めてもらったことだ。僕としては高校中退で通信制の高校を1年周回遅れで卒業したことが恥ずかしくて全く祝う気持ちにもなれていなかったし、当たり前のことを周回遅れでやっただけという惨めな感覚だったので、その言葉にも何も反応しなかったと思うが、今その言葉を覚えているということは素直に受け取らなかったが、何か言葉にならない感情が湧いていたということだろう。多分嬉しかった。
そして今がある。今は元気に働いている。あの時高校卒業したから今がある。あの時の勉強が続いて続いて波があったけどその延長線上で今専門分野でご飯が食べられている。だから言いたい。高校を卒業して将来に繋げてほしい。高校を卒業したら祝ってほしい、自分自身でもあなたの子供でも。高校卒業とは希望そのものだ。
年齢も若めで、脱力系というかフワフワした人だった。先生ぽくない感じが私も好きだった。
野球部の男子辺りが「先生って全然怒らないですよね」って話を振った。
化学のテストの平均がものすごく悪くても「お前らヤバイぞ〜笑」でお終いだったし。
で、「他の先生だったら絶対キレるのに、なんで怒らないんですか?」って聞いたら、
「だって怒るの疲れるじゃん」って。
「自分に対しても他人に対しても、ハードルを限界まで下げておくんだよ。そしたら怒ることも少なくなるでしょ?」
なんだそれって男子は笑ってた。
私もその時は「変わった人だなぁ」としか思わなかったけど、よくよく考えたら「私たちに期待してないってことじゃん」って気付いて少し寂しくなった。
一週間がおわったぞーーー
万歳!
なんだかセレモニー感
みんなで一人ずつ感謝と思い出と激励の言葉をかけて泣いちゃったりして
若手氏についてはお疲れさま頑張ってねとしか思ってないのだけど
日々のあれこれがきれいなスピーチで「思い出」に均されていく感覚はちょっと苦手だ
卒業式も苦手だったな
早く宝くじあたんねーかなあ
ていうか今週終わらせるつもりだったことほぼ終わってねえな
同僚氏のことは以前より嫌いではなくなったがやはり言葉の端々にカチンとくることがあり
それに私も最近は「つまりどうしたいんですか?」みたくきつく返してしまうのでよくないな
若手氏の退職で泣いてたあとの人に優しくなかった
がほんとあの目的のない揚げ足とりむかつくのだ
職場のむかつく同僚にあだ名をつけて全く関係ない友人に愚痴るのは学生時代の友人の技術だ
あだ名が面白いと知らん人の愚痴でも面白エピソードトークみたいに聞けるからあれは発明だった
だがその友人はもう引っ越してしまってもう飲み会でだらだら下らない話ができない
いやLINEなりリモートのみなりしようと思えばできるけどそこまでしてする話でもない
帰りにスーパー銭湯でも寄ろうかと思ってたけどなんだか湿気と気温が高くてあんまりお風呂気分にならないな
なんか疲れててぼんやりしてる時にゲーム実況ちょうどいいんだよな
本や映画は内容に関わらず重すぎる
この間まで桃鉄実況をあれこれ見てて
つぎどうすっかなー
元気があったら俺の家の話を見ようかな
連ドラ見る元気なんて基本いつもねえんですよ
当時高校生だった私は3.11のその年に福島県の大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます。
2011年の3月11日に、私は茨城県の博物館の中にいた。高校の卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震のとき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。
実際にはガラスの耐震性能が高かったので、館内にはけが人はいなかったようだった。
信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。
私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島の原発がやばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。
私が高校生の頃、世界の原発事故のドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達に気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。
当時、特にJCOの臨界事故のNHKのドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。
私は地震が起きて、一、二日後にはリビングのこたつを占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中のシャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。
私は震災の年、福島県の大学に入学した。私の地元の同級生にも福島県の大学に入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学の入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。
しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。
しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。
私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質がたっぷり含まれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。
私は、大学で特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚で放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。
私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから、原子力という「科学技術がコントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要なことなのである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。
3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。
最近、原子力、ひいては(科学)技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの、技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類の幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビのCMでIT系の企業がたくさん広告を打っていて、ITの企業に勤めていることが一種のステータス(少女漫画に出てくる男性がIT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイケドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなのである。今でなら炎上やむなし発言なのである!しかし、このアナロジーを単なる面白おかしいアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用の危険性をかなり早く認識できた。
ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学)技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)
そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学は計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。
「科学は考えない」
これは、理系の立場で仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないか。しかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか。
彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学は進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガーは技術を批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味、矛盾の中を生きなければならない。
私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。
私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近、哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。
でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系の研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養がほとんどないのだ。
「哲学を最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。
以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だから疎まれる。
しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガーが批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学や技術を信じて、生産、生産、生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか。
昔の時代、原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。
今の時代も同様に、情報技術や生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能な社会が実現できる」とも信じられている。
もし、「なぜ地震大国に原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。
ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校と中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。
その女のロッカーにはいつも数冊本が入っていて、朝読書の時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこのエッセイは自分でも買って、今でも読み返すことがある。
当時クラスにはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。
勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。
彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部の男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。
そんなとき、友達から「あんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かに、クラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。
少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達にしか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。
中休みに手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活の女友達はほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。
受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生が休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。
彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。
卒業式の後、地元の公立高校の合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとう。ちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。
しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。
彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人、志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内のトップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女は東京の高校を受けて、さっさと地元を出て行った。
彼女に最後にあったのは成人式の日だ。成人式の二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。
私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日にプロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎だから式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。
繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagramの情報から察するに、彼女は独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。
2074年、他人の容姿について言及することを禁止した「容姿に関する言及禁止法(容禁法)」が日本で施行されて早くも30年になる。
容禁法は、2041年にフランスで施行されたのを皮切りに、2050年には国連加盟国230国全てで同様の法律が施行され、昨年には遂にアブハジア共和国が施工したことで、地球上から容禁法がない地域というものがなくなった。
これにより世界中で、他人に対し「かわいい」「きれい」「かっこいい」「ブス」「ぶさいく」といった容姿に関する言葉を投げかける人間は消えた。
日本においては、2044年に容禁法が施行されたのと合わせて特別高等警察(特高)が復活した。
特高は容姿について言及している者がいないか日夜監視をしており、もし容姿を褒めているところを特高に見つかってしまえば即逮捕である。
尚、容禁法への抵触行為は、強盗致死罪や外患誘致罪と同じく、初犯でも執行猶予がつかない重罪として位置付けられており、容禁法での逮捕とはすなわち刑務所行きを意味する。
日本では、30年前の施行当初こそ「やさいい(優しくてかわいいor優しくてかっこいい)」や「人柄もいい(容姿もいい)」と言った一見内面を褒めるふりをして、外見を褒める脱法行為が数多く見られたが、施行翌年の2045年に街中に仕掛けられた盗聴器を介し、警視庁本部にあるマザーコンピューターが即座に自動学習をして それらの言葉を犯罪行為と認定するシステム(通称『クモの巣』)が完成したことで、脱法行為を犯す人間は激減した。
10年ほど前には未成年者の容禁法違反が頻発し、「キレる若者」「若者の心の闇」といったテーマを連日ワイドショーが特集していたが、当時の容禁法の検挙率を見ると実際には年齢が上がるほどに検挙率が高くなる傾向となっており、むしろ若者ほど容禁法を守っているという状況であった。
今現在においてもその傾向は変わっておらず、たまに容禁法で逮捕のニュースを聞くと、だいたい70歳以上の男性でるあるため、近年では「老人の暴走」といった揶揄を受けてる。
テレビに映る人物は、容姿よりも知的さや人格を求められ、今やテレビタレントは東大・京大出身者でほぼ8割を占めている。
イベントコンパニオン、キャバクラ、ホストなども、以前は闇の世界で営業をしていたようだが、今では完全になくなり、最早、歴史の教科書の話である。
また、化粧品会社や美容院なども斜陽産業となり風前の灯火となっている。
人々は、容姿では褒められないので、どんな容姿の人間であれ内面の研鑽とビジネスでの成功を目指すことによって自分自身の評価や価値を高めている。
内面の研鑽もビジネスでの成功も、どちらも後天的な努力によって差をつけられることであり、それこそが真に正しい人間の優劣であると誰もが信じている。
この春から高校生になり、念願だった恐竜の化石発掘調査のアルバイトに初めて参加したのである。
一人っ子だった権太にとって、3歳の誕生日に両親からもらった恐竜図鑑は幼少期に誰よりも一緒の時間を過ごした弟のような存在であり、幼稚園の卒業式では「大きくなったら恐竜になりたい」と言って周囲の大人たちを笑わせた。
小学校に上がってからの夢は恐竜博士で、高校生になった今は恐竜研究者になり恐竜図鑑の編纂に携わりたいというより具体的な将来設計を描いている。
そんな恐竜一筋の権太にとって、化石発掘調査のアルバイトは夢への第一歩と言ってもよかった。
採掘場の一画に腰を下ろし、タガネとハンマーを一旦脇に置き、採掘場の小石を左手でどかしながら右手のスコップで穴を掘っていると、5分ほど掘ったところで1冊の古びた本が出てきた。
ボロボロで簡単に破れてしまいそうなその本の表紙には、大きく赤い文字で『FLASH』と記されており、水着の女性が妖艶な笑顔をこちらに向けていた。
その本が何かとても悪いものであると感じた権太は、急いで人がいない場所に移動したうえで、本をそっと広げてみた。
最初に開いたページに記されたその言葉は、15年の人生で初めて目にする単語の羅列であった。
なぜ水着の女性が表紙なのか、極上のマシュマロボインちゃんとは一体何なのか、権太には全く理解ができなかった。
ただ、混乱して思考が整理できていないはずが、恐竜図鑑を眺めるとき以上に興奮している自分がそこにいることに気が付いた。
3歳で初めて目にした恐竜図鑑のティラノサウルスよりも、5歳のクリスマスに買ってもらったスピノサウルスのおもちゃよりも、6歳で初めて訪れた福井県立恐竜博物館よりもずっとずっと興奮していた。
3週間後、福井県でのアルバイトを終えた権太は、こっそり持ち帰ったFLASH入りのリュックサックを自分の部屋に置くやいなや、すぐにリビングでくつろぐ父親の元に直行した。
国立大学出身で、一部上場企業の執行役員を務めている博識な父親であれば、『極上のマシュマロボインちゃん』の意味をきっと知っているはずである。
いつものように夕飯前にソファで新聞を読んでいる父親の前に立ち、権太は興奮を抑えながら聞いてみた。
「お父さん、極上のマシュマロボインちゃんってどういう意味?グーグルで検索しても全く出てこないんだけど、これってどういう性格の女性を褒める時に使う言葉なの?」
権太は興奮を抑えようとしていたが、抑えきれず自然と早口となっていた。
父親の回答がなかなか出てこないため、権太は待ちきれずに続けて自分が思っていることを父に伝えた。
「俺、将来は水着の女性を載せた図鑑を作りたいんだ。水着の女性には恐竜と同じような未知なるロマンがあると思うんだ!」
いや、表情から察するに言葉を発しないのではなく、発せないのであろう。
目を見開きこちらをじっと直視しているが、新聞を持つ手が震えているのが分かった。
怒りとも悲しみとも絶望とも言える目をした中年男性が、そこにいた。
ふと視界を移すと、台所で料理をしている母親が泣き崩れているのが目に入った。
権太はそこで初めて、とんでもないことを言ってしまったのだと理解ができた。
――――――――――――
「権太、何してるんだよ。特高の見回りがくる前に早く安全な場所へ移動しようぜ」
「こんな時に恐竜図鑑!?革命軍のリーダーのくせに全く呑気な性格してるなぁ」
「呑気な性格?FLASH革命軍の隊員なら、性格ではなく容姿に言及したらどうだ」
「うるっせーな。さっさと隊員に指令を出してくれ」
「何か言ったか?」
「なんでもねーよ。」
「よーし、それじゃあ、全員ネオ新橋の闇キャバクラに逃げるんだ!誰一人として捕まるんじゃねーぞ!」
あの日、権太の踏み出した一歩は、美しいものを美しいと言える世の中を取り戻すための戦いの一歩となったのである。