2024-10-25

闘病の末に父親が死んだ。

よく周りからは「お父さんは幸せだった」「あなたはよく頑張った」と言われる。

父と母は離婚していて、兄弟は県外に居た。

動きやすいのは自分だった。長子だったのもあるが、自分性格もあったとは思う。

仕事休み、何度も父の元へと向かった。新幹線で、高速バスで、時には車で。

父は末期癌だった。

そして、さして仲良くもなかった自分が看取った。看取ってしまった。

向けられる他人から評価がとても重い。

自分にとって父とは、何だったのだろうか。

父が死ぬまでに、何度も心が折れた。

勝手死ね」とも「死なないでくれ」とも言えぬ自分の身勝手さに、気持ち悪さが付き纏った。自分には父を恨むにも愛すにも、圧倒的に情報が足りなかった。

記憶に残るのは、怒られたこと、趣味を語る穏やかで弾んだ声、モルヒネで死相が出ている痩せ細った体、そして最期の何か言いたそうにもごもごと動く口。

葬儀の日に泣き崩れた自分が何に泣いたのか、未だに分からない。

心が折れて何度か顔を見せられなかったことの後悔、最後に立ち会ってしまたことの重さ、知らぬことが多い父への疑問。

答えが出ず、吐き出せぬ気持ちが、肚の中にずっとぐるぐると渦巻いている。

知らなかったことの方が多かった。

そしてそれはこれからも分からない。

仕事も、趣味も、預金も、交友関係も、何もかも。

金はそれなりに遺してくれたが、スマホの中には何もなかった。

かに酷くセンシティブものはあったがそれだけだ。

遺したものに友人が居た形跡はあったのに、スマホの中には居なかった。

酷く寂しく、そして虚しい。

自分が知らなかった時間を知る人が、居たのか居なかったのかさえもう分からない。

消したのか、元からなかったのか。

ないとすれば、父とは何だったのか

病院でも何処でも、何時でも聞ける機会はあった。

聞かなかった理由は「似ている」からだ。

答えを知るのが怖かっただけの自分は、親不孝者なのだろうか。

生きるのが億劫になったのは何時からか。

心の内を曝け出す勇気は、端から持っていない。だから電子の海に流す。

頑張って過ごすことに、少し疲れてしまったように思う。

理由を父に押し付け、投げ出している毎日に嫌気が差す。

よく、周囲から批判される夢を見る。

そして起きて酷く安心する。

覚めたことではなく、その内容に。

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