はてなキーワード: トンボとは
首相動静(11月18日)
(略)
19日午前0時13分、米サンフランシスコでのAPEC首脳会議出席などを終え、政府専用機で羽田空港着。同30分、同空港発。
首相動静(11月19日)
午前11時4分、広島県三次市の斎場「平安祭典 三次会館」着。裕子夫人の父・故和田邦二郎氏の葬儀に参列。
午後1時39分、同所発。同2時5分、同市の火葬場「三次市斎場悠久の森」着。
午後3時28分、同所発。
午後4時36分、広島空港着。
午後7時28分、東京・信濃町の創価学会本部別館着。同30分から同45分まで、同会の故池田大作名誉会長の弔問。原田稔会長、池田博正主任副会長と面会。
午後7時49分、同所発。同58分、公邸着。
和田邦二郎さん(わだ・くにじろう=岸田文雄首相の義父)11日死去、94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日正午から広島県三次市十日市西6の8の1の平安祭典三次会館で。喪主は長男成一郎さん。
創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀は17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。
いやわかるよ、政党トップとして所属議員たちを食わせにゃならん、そのためなら池田先生のケツでも遺灰でも舐めてやるってんだろ
全く支持はしないが覚悟はわかる、ずいぶんな賭けだな、俺は立派だと思うよ
でもさ、それって義父の葬式をさっさと切り上げてまですることか?池田の葬儀は2日前にとっくに終わってるんだぞ、時と場合ってもんがあるだろ
アメリカでAPEC会議ついでに6カ国との首脳会談ほか行事たくさん、深夜に帰国し義父の通夜には出られず、翌朝一番で広島入りして葬儀、そして信濃町の創価学会本部にトンボ返り
大変なスケジュールだと思うよ
だからってお前、火葬場滞在1時間23分間ってまともに骨拾えたのかよ
義父との別れを、妻への慰めを、喪主への労いを、広島滞在7時間でまっとうできたと言えるのかよ
それらを投げ打って既に葬儀の済んだ創価学会本部に馳せ参じてまで票が欲しいかよ
政治家・岸田文雄は立派かもしれないが、俺は今、人間・岸田文雄を軽蔑しようとしている
https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111800255&g=pol
https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111900133&g=pol
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15791659.html
https://www.seikyoonline.com/article/1105A80AC3B8C9691D68205F3E12D455
東京出身のお前らさ、付き合っててつまんねーし、仕事もできねーんだけど。何食ったらそうなんの?特に交渉とか話にならん。地方から来た奴の方が芯があって話も面白いし人間的に魅力的だからチーム仕事も進めるのが上手い。
でもお前らさ、見栄えや経歴だけはキラキラしてるよな。でもインスタでバエバエしてるくせに、電話取るだけでハアハアしてんなよ。こっちは隣でヒヤヒヤだよ。お前らのせいで何度お客様にペコペコしたと思ってんだよ。
あと、お前らの話つまんねぇ。似たような話を何度もすんな。
お前らの話は、例えるならチェーン店の可もなく不可もない味というか、コンビニのような統一感なんだよ。YouTubeのサムネのような類似性、選挙の街宣のような空虚さ、映画の予告編のような予定調和、迷惑メールのような分かりやすさ。そんな話しかしねぇから何も心に響かねえよ。
学歴トーク?留学自慢?大企業勤め?高収入あるある?資産運用だ?伊勢丹でショッピング?韓国に美容旅行?モデルやってた?モデルと付き合ってた?親がどこどこの偉いひと?何だかのコンクールで入賞した?自分、ギフテッドです?フォロワー1万人?知らんがな。全部同じ話にしか聞こえねーよ。まさか話しながら自分が尖った人材だと思ってんの?
いいか、お前らは尖ってなんかいなくて、まんまるなんだよ。競争に揉まれ、効率的に人より優れる方法を叩き込まれ、試験やシステム、整えられたステージでだけ勝てるように最適化された都市型ロボットだ。お前らなんかな、水流に揉まれた岩石が下流で丸くなって見つかるように、ツルツルで、小粒で、手に取りやすいだけなんだよ。ちょっとのヒビも目立つからびくびくして生きてんだろ?厚化粧に脱毛、整形、加工で自分磨きする奴もいれば、ルッキズムみたいなのをでっちあげて他人を引きずり落とそうとする奴もいるよな。お前らみんな生き物としてよわっちいし、生き方はセコイし、生き様はダセーんだよ。だから話もつまんねーし、人も付いていかねーんだよ。
いいか、お前らご自慢の東京の多様性はそんな丸石の寄せ集めだし、そんなのは画一性の見間違いだからな。丸くて灰色の石ころ同士背比べして、まさか自分らがカラフルだと思ってんの?お前らなんか石石混淆だよ。まあ逆に言えば、そんなつまんねぇ場所で病んでるそこの東京人は目を覚ませってんだ。
お前らが相手にするプロ東京人なんてな、都市に適してるだけの、コンクリートジャングル大帝だよ。まっさらな場所に放てばコイキングだかんな。そんな奴らは、ダイバーシティ東京でレインボーブリッジをバックに、仲良く手繋いで一生跳ねてろってんだ。でもたまにいるんだが、赤色ギャラドスに進化して、ポリコレを盾に破壊光線吐き散らかすやつらは、お願いだから線状降水帯の下で雷に撃たれてくれ。
あのな、多様性とかSDGsとかフェミニズムとかを地方相手に偉そうに説くまえに、お前らの居座る快適な高層ビルを建ててくれた、汚くて臭くて危ない思いをしながら低賃金で働く野郎どもに思いを馳せてみろよ。そいつらはお前らの多様性に含めてんのか?あーあ、また東京人が金髪白人と英会話して多様性気取りしてるよ。東京が誇るコンビニで働くベトナム人たちは、安い賃金で使いたい放題してんのにな?そうやって子宮を途上国や地方に外注しなきゃ成り立たないくせに、女性を解放したと思ってんの?SDGsを学ぶべきなのはお前らだろ。
せいぜいアホ東京人どもは、手始めに、てめぇらが高い金払って食べる寿司が、誰がどこの海でどうやって獲られて、どう東京まで運ばれて調理されるか、想像でもしてみろってんだ。文明はお金で買えないんだよ。
まあ無理か。子供時代から東京なんかにいたら想像力乏しくなるよな。どうせ親父はホワイトカラーだろうから、肉体労働の親父の汗臭さすらも知らないんだろうな。外行っても管理されたサンドボックスで遊ぶしかないから、アリを潰し回ったり、バッタを千切ったり、トンボの羽をむしったこともないんだろ?だから痛みなんか学ぶ機会もなければ、生と死も知らないんだ。草を掻き分けて腐葉土を踏みしめることもないまま、カブトムシより先にヘラクロスをサファリボールで捕まえたんだろ?そんな奴に世界の本来の姿は見えねーよ。ARやらVRメガネなんか付けてないで裸眼で世界をよく見てみろよ。
この前、六本木ヒルズレジデンスの公園行ったら驚いたね。地面がふわふわの特殊加工の床材で出来てて転んでも怪我しないようになってるんだわ。そこで防災頭巾みたいにバカデカい日除け帽子被ったお子様たちが銀のスプーンを咥えながら、「バルス、バルス」って遊んでたけど、お前らなんか、どちらかと言えばムスカ側だかんな。さらに言えば、これからそのムスカにもゴミ呼ばわりされるような、バルスなしで始末できるモブどもに育って人混みの一部に消えていくんだわ。
そしていつかそれに気づいて惨めな気分になった奴らから、カラオケで汚ねえダミ声で地上の星を涙目で披露するようになるんだろ?アホか。本当の地上の星を知らない人間にその歌を歌う資格なんかねぇんだよ。お前らみたいな夜空のお星様はな、たとえ六等星でも、中島みゆきのファイト対象外なんだよ。残念ながらアスファルトに落としたお前らの涙で育つ芽はないから、せいぜい東京の夜景に負けないように無理してキラキラしてろよな。
左手の指輪を強調→寄り添いエンドだから二人は結婚したと私も理解している でも元エラスレ派として結婚したと言葉にされるのは嫌だ 子供じみてるのは分かってるけどやっぱり嫌
スレミオの恋愛描写に感情移入できなかったのと、エラン4号は最終回付近まで死すら悼んでもらえず、なんかラストで都合のいい使われ方をしたなって恨んでいるからだ
結婚を明言されるとエランがただの踏み台にされたようで悔しい エラスレは百合作品に興味のない私のようなNL?カプ派を釣るためだったの?ただの餌だからエランを雑に捨てたの?と よぎってしまう
私のような狭量な人への配慮があるのかもしれない
実はそんなことは全く考えていなくて、同性愛を嫌う国で売るために削除したかもしれないし、上の方に同性愛許すまじ派がいるのかもしれない ならば許さんという潔癖な人が発生しても仕方ないんじゃないかな
いや増田の感性は素敵だけどさー既に指摘されてるようにそれは増田の感性と教養と自然の素晴らしさであって。
だいたい「スーパーが博物館」って表現も、それいいフレーズだけどさ、都会にはその博物館も沢山あるわけじゃん、
成城石井も紀伊国屋も北野エースもビオセボンもディーンアンドデルーカもあって、
その上でチェーンじゃない地元密着のスーパーもあるわけよ。あとは中華食材の店、韓国食材の店、南米やハラル食材店もあるしね。
ほんで選択肢の多さだけじゃなくって、それぞれのスーパーで働いてる人達によって棚に多様性が生まれる、それが都市の文化だと思うよ。もちろんコンビニとファストフードで生きることもできるし、外食三昧もできる、ピンキリが幅広くて沢山のレイヤーと選択肢がある、それを生み出せる人間と消費できる人間が居て文化が構築されてるんだよ。
だいたいさ増田はその田舎出身じゃないだろ、増田にとってまだ新鮮さがあるからそういう風に言えるのであって、例えば増田が30なら30年間その田舎にいたらその感性や教養って育ってないと思う。思春期〜青年期にある程度都会を経由してるからこその増田の文章だろ。自覚あるだろうけどさ。
それにこういう文脈で自然挙げてくる人多いけど都会でも自然の良さって感じられるからね、別に。23区は都市計画で公園も多いし、人が植えて人が手入れしてる自然でも自然は自然だから自然に合わせて自然に育ってくんだよ。最初は植えた感アリアリの苗木がだんだん根を下ろして、街と自然の一部になってってるのに気づくと頑張ってんなぁって気になるし。
至る所で雨と土の匂いだってするし四季の移ろいも感じられるし、朝日や夕陽の美しさも街に合わせて違うように感じられるしさ。
小田急から見る春の夕陽と中央線から見る秋の夕陽と、冬の山手線の始発から暫く経って感じる朝日と、夏のゆりかもめで感じる朝日とそれぞれ全然違う良さがあるしな。確かに星が見えないのは認めるが。ビルで見切れてる入道雲も言ってみれば大自然だし、秋になればトンボも飛ぶし、てか荒川沿いでも東京湾でもひらけた空は拝めるし。あと増田はたぶん植物園増田と同一増田だと思うけど、植物園だって行こうと思えばフラッと行けるよ。
カニ、カニ可愛いよね、でも文学や創作物と生活や日常の結びつきの話をしだしたらもう都会は文化そのものじゃん、言うまでもなく。
○ご飯
朝:ヨーグルト、バナナ。昼:なし。夜:おにぎり、味噌汁、唐揚げ。間食:ポテチ。
○調子
・はじめに
十数人の超高校級の才能を持った高校生たちが閉鎖空間に閉じ込められ、彼ら同士が殺人とその犯人を見抜く学級裁判を繰り返していくデスゲームものという骨子はそのままに、新しいストーリーが展開する。
魅力的がすぎるキャラクタ達、非常に残酷で救いの無い絶望的な展開、それらを丁々発止の議論で盛り上げていく。
今作はボリュームがあるのに加えて、かなり込み入った構成になっており、感想を書くのが非常に大変だった。
まずはキャラクタの魅力を語ってから、作品自体の感想を書こうと思う。
アクの強いキャラ達振り回されてきた歴代主人公の序盤の挙動とは違い、良い意味で最初から自分で物語を牽引していくタイプの主人公。
これが前向きで読んでいて楽しく、その積極さを応援したくなっていった。
他の面々に道を見出すシーンが多く、特に密接な関係となる超高校級の探偵最原終一との関係値がどんどんと変化していく様が好き。
しかし、この前向きさが、必ずしも正解とは限らないと批判されるエピソードが、幾つもあるのが今作の感想をまとめることの難しさの一つだ。
現実世界では何かを評するときに必ず良い面も悪い面もあるのが普通だが、フィクションとしての娯楽作品ではその辺はざっくりと抽象化してくれるものが多く、特に主人公の思想については過程はともかく、結論は肯定的に描くものが多い。
ここを多様的に肯定と批判が繰り返されるだけならまだしも、結論として肯定なのか否定なのかが明示されないのが本当にややこしくて、楽しくて、好きになった。
ダンガンロンパのテキスト主体の作品では初の女性主人公ということもあり、女性陣とは最初から距離感が近く、男性陣とは少し遠いのも、今までとの違いが楽しめた。
特に男性が嫌いな茶柱転子とは女性同士だからこその関係性を築くのが良きだった。
・王馬小吉がエグくて格好いい
彼の才能は超高校級の総督というよくわからないものだが、物語が進むにつれてその意味が否応なく理解できていく。
悪の秘密結社の総督を自称していて、最初から最後まで一貫して悪を貫いていて格好いい。
しかし、ここでいう悪がどのような意図の言葉なのかは、物語をそのまま書き下す以外ないぐらいに複雑で幾重もの意味を持っている。
彼の当番章は、僕がダンガンロンパシリーズでもし章単位の番付表を作るなら、一番に据えるかもしれない、それぐらい、好きで気に入ったキャラクタだ。
ただ、この好きを言語化するのが本当に難しい。
どこまでが本心で、どこまでが演技かも不明なシーンが多く、彼を好きなこの気持ちも、どの彼が好きなのかをはっきりできない。
ただ、正義や真実や希望といった、ダンガンロンパシリーズで「良い」とされてきた価値観と真っ向から対立する存在なのは間違いない。
それだけに、ある意味ダンガンロンパシリーズを包括して批判する評論家のような一歩引いたメタ的な立ち位置(物語の構造や超越的な設定の意味でメタフィクションと言っている訳では無い)なのが魅力的に写ったのかもしれない。
見た目は元気そうな少年なのも、悪なシーンとの対比が映えて好きなところ。
超高校級の才能であれば多少の無茶は飲み込める世界観だけに、超高校級の発明家というざっくりした才能はかなりの自由さだった。
一章からそうそうに発明家としての才能を発揮していく上に、自身の当番章ではまさに縦横無尽に活躍する。
そんな才能面での自由さ以上に、日常会話が成り立たないレベルの下ネタ好きっぷりに惹かれた。
女性同士という点を差し引いても、ドン引きレベルの下ネタが開幕から続く。
性的なネタを好み下品な言動ばかりで一貫して喋るキャラで、真面目な学級裁判での議論中でも容赦なく下ネタをぶっ込んでくる。
作中人物達からの人間性の評価、特に女性陣からのそれは散々で、めちゃくちゃ優秀な才能で活躍するにも関わらず、非常に嫌われている。
傍若無人な態度をとりながらも、相手に強気で来られるとマゾヒズムな感情を刺激されるのか恍惚の表情で命令を聞いてしまう辺りも、下ネタ好きキャラとして一貫した個性になっている。
性的に奔放で自由な様の娯楽的な面白さに、後付けで理由を付けてしまうのだけれど、ここまで自由だとある種の強い社会性からの解放すら感じられて、見ていて飽きない楽しいキャラだった。
あまりテーマとは関係のないコメディキャラだが、まさにそのコメディ部分が楽しめたし、清涼剤的な役割だった、性欲剤でなく。
・「嘘」
そんなわけで、必ずしも肯定だけで終わらない主人公の赤松楓と、どこまでが本心かがわからない王馬小吉の二人が好きだという感想を書いた。
これはゲームシステム的にも表現されていて、恒例のノンストップ議論で相手の発言を、証拠や証言で打ち抜く際に偽証をすることができる。
要するに議論を進めるためなら、それが真実でなくても良いというスタンスだ。
物語としても終始この「嘘」について取り上げられ、実際に起きた事件の議論という枠組みに収まらず、ある意味では倫理観、ある意味では普遍的な、様々な問いを議論していく。
非常に複雑な構造になっており、作中から得られる情報では絶対に真実には辿り着けない。
その上で、物語での言葉を借りると、誰を信じるのかを決めることが重要なのだろう。
主人公である赤松楓や、ある意味で名敵役である王馬小吉と言ったすごく主軸となるキャラクタですらその本心と、それに対する評価が多様なことが、まさにニューダンガンロンパV3全体の感想にそのまま繋がる。
このゲームが楽しかったのか、好きなのか、つまらなかったのか、嫌いなのか、自分の中で多様な意見が結論が出ないままにそのまま残っている。
別に物語として尻切れトンボなわけではなく、まさにこれが狙ったことなのだろう。
明確な結論を出さず保留し、ずっと考え続ける。
そういう結論がないことこそが結論の作品だったと、こうして感想を四苦八苦しながら書いて感じた。
・おわりに
こうやってゲームの感想を書くようになって以来、楽しむと自然と感想も書けるものだと思っていたのだけど、今作はかなりこのアウトプットに時間がかかった。
とにかく複雑で入り組んだ構成をしているゲームで、端的に何かを語ることが難しかった。
かと言って考えさせられる系の現実としての生き方に尾を引くお話なわけでもなく、あくまでフィクションとしての娯楽作品であることは貫かれている。
このゲームが好きなのか嫌いなのかすらもよくわからない、自分の中で整理が付きにくい。
この独特の読後感が唯一無二なのは間違いなく、アドベンチャーゲームというジャンルを飛び出して、ダンガンロンパはダンガンロンパなんだとトートロジーでしか評せない癖の強いゲームだった。
シリアスなシーンのはずなのに、この主人公の格好は滅茶苦茶シュールやな…。
オチ、というか「ミクロではなくマクロに働きかける」という最終的な過去改変の方法はなかなか捻りが利いてるな……まあまあ面白かったやで。
1作目は観たけど、前作から4年も経ってるとほぼ忘れてるな…。
この『花楓』って子が今作のメインヒロイン? 主人公の妹なんか……前作に出てたっけ?
あー、不登校してて学力が足りてなくて、それでもお兄ちゃんと同じ高校に行きたいと。滅茶苦茶勉強してる……健気な子やな…。
……あ、この不穏な電話は、まさか……あああ、そんな……あんなに頑張ったのに……でも、自分も不登校の経験があるから解るわ……え、2年間記憶を失ってた…? そうやったんか…。
……また電話が…。……え? …いやいやいや、そんなことってある…????? 花楓、それでもお前は…お前ってやつは…。
……こ、このエンドロール曲は……こんなん泣くわ……久保ユリカ凄すぎひん???
映画で、自分の人生史上かつてないぐらい感情をグチャグチャにされてしまって、映画のストーリーに至るまでの花楓が気になりすぎたのでTVシリーズを履修するやで……。
……え、この子は花楓……じゃなくて『かえで』? あー、日記帳の表紙の名前がひらがなだったのはそういう…。ものすごくリアルな「今どきの女子中学生」だった花楓とは打って変わって、かえでは天真爛漫でお兄ちゃん大好きっ子で、「ザ・ラノベの妹」って感じの子やな…。
あー、いじめが原因で不登校になって、思春期症候群が発症して……しかし他のヒロインの「存在が認識されなくなる」「同じ日を繰り返す」「二人の自分が同時に存在する」「二人の姿が入れ替わる」という超常的な症状とは違って、花楓/かえでのは(体に突然現れるアザは別にすれば)「別の人格が現れて、それまでの記憶もなくなる」という、現実でも解離性同一性障害として起きそうな症状やな…(性格や言動が幼くなってる気もしたけど、知能や一般常識は年相応みたいだし、「幼児退行」とは違うんかな…?)。
……お、かえでのエピソードはTVシリーズの最後なんやな。おお、あんなにお家大好きっ子だったかえでが、外に出たい、動物園に行きたい、学校に行きたいと…。咲太が次々と新しい女を家に連れ込んだ(←言い方)のが良い方に影響したんやな…。しかし、咲太もかえでが言うことを絶対に頭ごなしに否定したりせずにちゃんと聞いてくれる、いいお兄ちゃんやな…。
……あああ、家の外に出るだけでそんなに……でも、自分も不登校の経験があるから解るわ…(2回目)。
…本人の決意と咲太の支えで外には出られるようにはなったけど、やっぱり学校はハードル高いか……でも、自分も不登校の(略)。
……え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは……洗ってないなすのの臭いwww 良かったな、かえで……からの、え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは…(2回目)。
明日はきっと……って待て待て、この展開はどう考えてもフラグ……あああああ、やっぱり……。かえで……かえで……。
そりゃ咲太も、それまでの40日間(10/16~11/26)必死に頑張ってたのをそばで見てた、そしてそれまでの2年間一緒に過ごして、自分が誰なのかも解らず不安に押しつぶされそうな状況なのに「妹になってくれた」『かえで』のことを思うと喪失感が大きくて、単純に「『花楓』が帰ってきた!」という気持ちにはなれないよな…(父ちゃんはわりとそういう感じだったが……まあ2年間妻の看病のために咲太・かえでとは別居してたし、それはしょうがないのか…)。
……いや、それはわかるけど、病室の『花楓』と父親を置き去りにして雨空の下を走り回るのはちょっと…。『花楓』はわりとあっけらかんとはしてたけど、気がついたら2年経ってるっていうし、自宅も引っ越してて、両親とは別居してて…という状況に戸惑わないわけはないんだからそばに居てやれよ……(という感想を自分が持ったのは、映画2作目→TVシリーズという順番で観たからなんだろうな。普通にTVシリーズから観てたら、『かえで』のことはよく知ってるけど、それまで劇中でほとんど描写がなかった『花楓』の方に感情移入することはなかなか無いだろうから…)。
…からの、翔子さん。咲太をよしよししてあげるのはいいとして、かえでの日記帳を勝手に読み上げるのはどうなんだろう…と思わなくもない。
いやしかし、この日記は泣くわ……。目が覚めたら記憶がなく、自分が誰なのかも解らず、父親も状況を受け止めきれず、母親に至っては心を病んで入院してしまった。そんな状況で唯一、咲太だけは自分のことを認めてくれて、一緒に暮らしてくれた。さっき『かえで』が「妹になってくれた」って書いたけど、それ以上に『かえで』にとっては咲太が「お兄ちゃんになってくれた」ことが救いだったんやろうな…。
そして、『かえで』の最後の日のことまで日記に書かれてる…。動物園と夜の学校に行って、翌朝目覚めた『花楓』が筋肉痛を感じるほど肉体的な疲労があったはずなのに、帰宅してから寝るまでの間に日記を書き上げたということは、『かえで』は、これが自分に残された最後の時間だということを解ってて、咲太に自分の想いを伝えなければいけないと思って、力を振り絞って……うう……。
翌朝、とりあえず立ち直って再び見舞いに訪れた病室で「退院したら動物園に行くぞ」と『花楓』に言ってしまう咲太さん…。なんか「元カノの面影を今カノに見てる」みたいな…。まあ、ちゃんとしたお別れもできないまま行ってしまったから、気持ちはわからなくもないが…。
…からの、麻衣さん。撮影の合間を縫ってわざわざ金沢から駆けつけるという理想の彼女ムーブ。…からの、翔子さんの書き置きが見つかって修羅場…。で、怒ってトンボ返りした麻衣さんを追いかけて金沢まで行ってしまう咲太さん……いや、そんなことしとる場合か!!? 言い訳と謝罪は後日にして! お前は!! 今は!!! 『花楓』の!!!! そばに居てやれ!!!!!(自分が麻衣さんというキャラクターに対してそれほど魅力を感じないので、このへんの咲太の行動に対してあまり共感できなかった…)
花楓、登場シーン数は少ないけどちゃんと出てたんやな…(当たり前)。
注目すべきなのは、美容院で髪を切るシーン。咲太、お前、もうちょっと感慨とかないんか…? 髪型が変わって、またひとつ『かえで』の面影が薄くなってしまうシーンやぞ…。(まあ「TVシリーズの続き」ではなく「1本の映画」として考えると、本筋とは関係ないそういう描写を入れるとブレるからしょうがないのかもしれんが…)
しかし、髪を切ったあとの「ど、どう…? 調子に乗ってるように見えない…?」というセリフ、いじめに遭ってた花楓の過去を考えると結構重いセリフではあるよな…。
1回目に観に行ってもらってたやつ。……あああ、これこれ! このエピソードが読みたかった!! 咲太と花楓(と麻衣と豊浜)が動物園に行くやつ!!!
行ったのは映画2作目のあと、3月ということだけど……まあ、そう簡単に『かえで』のことを忘れられるわけはないよな、咲太…。一方で、いつまでも『かえで』の面影を『花楓』の中に見てしまうのは、『花楓』に対してどうなんだ…?と思わなくもないし……う~ん……。
最近はずっと、かえでと花楓のことを時折考えて、そのたびに泣きそうになってしまう…。これは『かえで』ときれいな形でお別れができなくて、咲太も未だに未練があって、でも『花楓』を受け入れていないわけではなくて……という複雑な心情が続いていて、(少なくともアニメで描かれた範囲では)解決していないからだと思う。咲太、お前、『花楓』を動物園に誘ったのは、もしかしたらそれをきっかけに『かえで』が帰ってくるかも…という期待が、ほんの僅かでもあったんじゃないのか……?
かえでと花楓、2人が(何らかの形で)直接会うことができれば、一番いいわだかまりの解消になると思うんだけど……まだアニメ化されてない原作小説にそういう展開があったりしないのかな……と気になって、Kindleで全巻ポチってしまった(まだ読んでないけど)。今まで電子書籍ってほとんど買ったことなかったんですよ…。
それだけじゃなくて、コミカライズ版、BD全巻、OP、ED、サントラのCD、前売り券の特典についてたグッズ、劇場販売グッズ、予約受付中の花楓のフィギュア……この数日間で一体何万円を使ったただろうか? でも後悔なんてしてない、するわけがない。
特定のアニメ作品にハマったことは何回もあったけど、あるキャラクターを実在の人物のように感じたのは初めて。
今はそう……藤沢に行きたい。かえでが生きた、花楓が生きてる街の空気を感じてみたい。それと上野動物園に行って、洗ってないなすのの臭いを嗅ぎたい。
今まで「聖地巡礼」って「ふーん、世の中には物好きな人がいるんやな」くらいの冷めた感じで見てたけど、こういう気持ちやったんやな…。
……薄給だし、休みもあんまり取れないけど……。…新幹線で片道○時間、切符代が×万円…。日帰りだと流石にしんどいので1泊…いや、2泊…。となると宿泊費も…。
それを捻出するためには、今の支出を見直して…。買うだけ買って積むだけだった漫画や書籍、Steam、利用頻度の少ないサブスク、
それほど興味がなくてもわりと頻繁に行ってた映画……いや、でも青ブタと出会えたのはそのおかげだし…うーん……。
それと、かえでと花楓があんなに頑張ったんだから、自分ももう少し頑張って、今のただれた生活をなんとかしなきゃな…と思っている(部屋めっちゃ汚いんです…)。
(おしまい)
マイナス10度の厳寒を乗り越え、生存していたメダカを整理していました。
横から見ると「h」型になるようにかさ上げ用の台を直しました。
地面のレベルが1段目、その上が2段目でここまでタライを設置します。
「h」の一番上には、杉足場板を渡して、この上にスタッキングボックスやNVBOX13を配置します。
棚を使うと下段や中段の水替えをするときに上に載っている容器を移動させることなく、容器を取り出すことができるのがメリットです。
クリアウォーターでの飼育を目指し、エアレーションや濾過を重視します。
昨年度、タライの上にホームセンターでカットしてもらった板を載せ、その上にスタッキングボックスを配置していました。水温上昇対策や鳥対策に効果があったようなので、本年も継続します。
連結水槽にして、集中濾過をしてみるということも考えたのですが、給水管とタイマー式の給水栓を設置して、定期的な水替えを自動でやってみたいという方針です。集中濾過に比べると簡易ですが、水替え頻度の向上を狙うことができます。
いろいろとご意見があると思いますが、トンボの36L、角型タライジャンボ80型(75.4L)の2つが扱いやすいです。
トンボの36Lは、地面に置いたタライを持ち上げるときになんとかなる重さです。これ以上のサイズだとだいぶ辛いです。
トンボの36Lは、幅が36cm、2個並べると72cmとなり、棚が作りやすい寸法です。角型タライジャンボ80型も幅75.5cmで、同じ棚に収まります。
一方、角型タライジャンボ60型にすると幅が45cmとなり、2個並べると90cmとなり、棚を作ろうとすると100cmの材料が必要になります。90cmならば、2本取れるところ、100cmだと1本しか取れなくなり、木取りの効率が悪くなります。家の外壁沿いに設置するときも、90cmならば収まりよく配置できることが多く、100cmとなるとはみ出したり、設置できないことが多くなります。
〇トンボ 角型タライ タブ 36型 36L 外寸:約幅52x高さ28.5x奥行36cm
△角型タライジャンボ 60型 56L 外寸 :約幅60.6x高さ34x奥行45.6cm
〇角型タライジャンボ 80型 75.4L 外寸:約幅75.5x高さ29x奥行53.5cm
白いタライをネット通販でちらほらとみるようになってきました。南側に配置するときは、白いタライもしくは水色のタライが水温上昇を防ぐためによいように思います。
スタッキングボックスやNVBOXも白を入手できるといろいろと捗ります。
アフリカ諸国代表団がプーチンに深刻な苦情を伝えたとのこと。お前の戦争のせいでこちらは餓えてしまうと。
「グローバルサウスはウクライナの運命に無関心」という、左巻き&陰謀論クラスタお気に入りのアングルがいかに空虚なものだったか。
ロシアはそんなぬるい手段でもって報復したつもりになってくれるようなタマではない。
これはいよいよ権力の基盤、その正当性に不安が生じてきたということだ。自国の若者を使い捨てにしすぎた。
そこではてサいわく「戦前の帝国日本に郷愁がある人以外は何とも思わないはず」
何を得意げに述べとんねん極楽トンボが。何でもかんでもウヨサヨ鍋で煮崩しやがって。
はてブによく新人マンガがあがってくる。九分九厘「がんばって描いたじゃん」以外の感想はない。今後に期待だねという。
そこで、普段は社会的弱者を使い捨ての棍棒としか見ていない奴、犯罪被害者遺族が犯人の死刑を望めば人非人であるかのように罵る奴、そうした独善に凝り固まった能無しジジイアカウントどもが、
手もなく「感動した!」「天才だ!」とナイーブな感想を毎度並べているのを見るたびに「幼稚さはすべての悪徳の母」という思いを強くする。
https://anond.hatelabo.jp/20220923044306
の補完
某所に投稿した物の再掲
作画の古さや粗さに耐えられれば今見ても楽しめる名作だと思う
劇場版は作画がかなり綺麗になった上映画3本分の尺に綺麗に纏まってるからTV版の作画が尺の長さに耐えきれない人も多分行ける
凄く人を選ぶというかZも行ける人か駄目な人かで綺麗に分かれる感じがある
劇場版は一部新規作画で見応えがあるシーンや全体的にキャラが優しくなってたり良い所も沢山あるけど
やっぱりどうしても駆け足というか尺の無さを感じる所があるからZを見るならTV版から見てほしいと思う
Zの尻拭いというかZが一作で終わり切れなかったからその完結編みたいな話なんだけど
Zのノリが好きだったって人は序盤で脱落する率高いからZ以上に人を選ぶのが困り者だと思う
トーレスの幼馴染が死ぬあたりから結局いつものガンダムと言うか暗い感じに変わるからそこまで見れるかどうか
個人的には中盤以降作画が濃い感じになって戦闘にかなり迫力出て来るような印象があった
キャラが生身の所を握り潰されたりちょっと見てて辛いシーンもあったりするけど
終盤のオカルト描写というか幾らニュータイプでもそこまでやっちゃって良いのか?って展開がかなり好き嫌い別れそう
ZやZZでもあそこまでやらなかったしニュータイプってテレパスやエスパーじゃなくてサイキッカーなのかってなった
一本の戦争ドラマ物としてロボットに興味が無い人でも見れる作品だと思う
パトレイバーがロボットに興味無い人にも結構人気あったと聞くけどそれに近いかも
その分ガッツリロボアニメが見たい、戦闘が見たいって人には終盤まで退屈かもしれない
何というか説明不足の駆け足気味で凄く内容が詰まってる作品だと思う
逆襲のシャアから一気に30年飛んでるからそこまでの宇宙世紀全部見た人でも初見だと内容を理解し難そうというか
作画も良い時と悪い時の落差が凄くて、良い時は逆シャア以上だけど終盤は逆シャア以下になってた覚えがある
小説版とかで明かされてる背景設定はかなり面白いからせめて上下にするとか後映画一本分の尺は欲しかった
戦闘が少ない代わりに万人受けした0080の逆でかなり好き嫌い別れる作品だろうなって思う
連邦とジオンの対立が強調されててそういう意味じゃZ以上に初代から地続きの続編らしさがあった
毎回戦闘あるしOVAだけあって作画のクオリティが高いしメカや戦闘が好きな人はまず楽しめそう
ただZに繋がる事前提のそこまでスッキリしない作品なのが人を選ぶかなって…個人的には大好きだけど
冒頭がちょっと話が分かりにくいというかどういう事なのか話が分かりにくいと思う
シュラク隊が出て来るあたりまでは主人公のウッソと負傷したマーベットさんくらいしかろくな戦力が無いし
ウッソと戦災孤児の子供達が序盤あんまり仲良くなくて喧嘩してたり老人達がウッソを戦わせようとしたりどうも見てて辛い
シュラク隊のお姉さん達がウッソ達に合流してきたあたりからほっと安心出来たというか見易くなった印象がある
作品の特徴として敵と主人公サイドの交流が多かったのも結構珍しかったんじゃないかな?って思う
V2ガンダムは滅茶苦茶な戦闘力がアナザーガンダムの先駆けっぽくて見てて爽快だった
田舎から親を探して旅立った少年が最後は田舎に帰って来て畑を耕して冬を越そうとして話が終わるのは名作劇場っぽくて爽やかだったと思う
最近はじめの一歩の人も言ってたけど初見だと師匠が出て来るまでは本当退屈だと思う
二週目からは序盤でこんな大切な設定語られてたのか…とか気付く事が多いから面白いけど
師匠が生身で出て来てMSを撃破したあたりからブレーキが外れたというか皆がイメージするGになったと思う
Gの作風自体が他のガンダムと違いすぎてこんなのガンダムじゃねえって受け入れなかった人が沢山居るのも分かるけど
とりあえず師匠が出て来る12話まで視聴出来て少年漫画的なノリが楽しめる人ならそのまま最後まで行けると思う
TV版Wは何というかゲームとかで触れた時に持ってたイメージと大分違ってて正直かなり驚いた
主人公達が軍事基地に奇襲仕掛けてガンダムの目撃者は容赦なく殺したり寝込みを襲って爆殺するような過激派だったし
そういう事もあってか序盤は敵討ちとガンダムとの戦いを望むゼクスの方が主人公っぽく感じる人も居るかもしれない
Wはぶっ飛んでて面白いとよく評価されてるけど、あれも付いていける人とポカーンとなる人で大分受ける印象違うと思う
主人公のヒイロがデュオ、トロワ、カトルと付き合う相棒を話が進む毎に変えていく事もあって五飛の影が薄くなった気がするのは残念
あんまり言われないけど作画的には量産機が棒立ちで撃破されるシーンや逆に幾ら喰らっても何故かノーダメージのシーンがあったり良い時と悪い時の差が激しい印象がある
その分終盤になってやっと完成した後期OPと最終回のゼロVSエピオンは超絶美麗で凄く良かった
OVAだけあって作画も良いしほぼ陸戦オンリーで他のガンダムには見られなかった細かい拘りが好きな人には凄く刺さりそう
砂漠で砂が詰まって動作不良になるガンダムとか、MSが市街戦で暴れる所の重量感とかガンダムには珍しかったし
途中で監督さんが鬼籍に入られて交代されたからか一部キャラの描き方が変わった?と見ていて感じた
初代を見ているとガルマ国葬の時期にもう宇宙にジムがあってそれがザクと交戦してる描写が気になる人も居るかもしれない
ストーリーはロミジュリ物の戦争ドラマだから敵同士の恋が好きな人とかは好きかもしれない
途中からアクセルかかってくるけど序盤はちょっと掴みが悪かった感じが見てて伝わってきた
Wの後なのにOPでガンダムが殆ど動かないし1話から静止画多用されるしこのアニメ本当に大丈夫なのか…?って思っちゃった
フォートセバーンでGXが改修されるあたりからOPも良く動くようになるしアニメ本編の戦闘も楽しくなって見応えが出て来た
主題歌がOPもEDも全曲良くてお洒落な次回予告もあって一話見終える度に次の回も自然と見たくなるガンダムはこれが一番だと思う
よく打ち切りとか短縮とか言われるけど3クール分39話でテンポ良く纏まってるしXはこれで良かったんじゃないかなって思う
トロワはあの状況からどうやってマリーメイア軍に潜り込んだの?とかちょっと描写不足な所もあるけど
映画一本分の尺であそこまで綺麗に話が纏まってて作画が綺麗なガンダム他に無いんじゃないだろうか
ウイングゼロが基本アルトロンにボコられるだけで最後シェルターにツインバスターライフルぶっ放しただけでぶっ壊れたのは驚いたけど
スパロボなんかでWに触れた時に抱いていたイメージに最も近いのはTV版じゃなくてこっちだった
ある意味G以上にこれはガンダムなのか?と困惑されそうなガンダムだと思う
一話で主人公がガンダムに乗らないし戦闘シーンも無いガンダムってこれが初なんじゃないだろうか
移民の男の子が移民である事を隠しながら母国の軍隊と戦う設定はSEEDの前身っぽかったと思う
MSのデザインは人を選ぶけどメカニック作画はかなり綺麗だったというか、見ていて作画が乱れている印象が一切無くて綺麗だった
主題歌がどれもアニメとは思えない良い異質な曲ばかりで菅野よう子の上品な曲も実に良かった
ギンガナムが出て来るまで悪役担当だったポゥ・フィル・ミランと終盤悪役になった御曹司が何かなあなあで許されるのは好みが別れそう
見方によって好きか嫌いか、良作か駄作かもろに印象が変わる作品だろうな…と思った
何というか…最初から悪意を持って見ると叩けるだけの粗が幾らでも出て来る作品ではあるんだけど
好意的な目で見ると評価出来る所も幾らでも出て来るから人によってあそこまで好き嫌い別れるんだろうなって
ぶっちゃけクロスアンジュとか他の福田作品のノリが楽しめる人ならまず楽しめるし無理なら絶対無理だと思う
バンクも見飽きたと思うかバンクでも動いて戦闘があれば良いと思うかで大分心象変わるだろうし
ただこの作品に関してはマジで好きな人も嫌いな人も熱量ヤバくて当分まともな評価は出来ないのは断言出来る
0083以上のメカニック特化で一話完結物のノリが好きな人は楽しめると思う
第一話は無用の大砲が主役でちょっと地味というかザクに全部持っていかれたけど
二話からは変形戦車とかコンペ負けした量産機とかちょっと初代っぽいノリの機体が出てきて楽しい
ただ完全なCG作画作品という事もあってCGに抵抗がある人は受け付けないかもしれない
ガンダムに求めてる物は人によるけどメカニックとか一年戦争外伝系が好きな人には一度見てもらいたい
本当凄い、最初見た時これ本当にTVガンダム?って驚いたくらい作画のクオリティが高い
一期・二期通して恐らくこれまで放送したガンダムTVシリーズの中でもトップクラスだと感じたしそれだけでもロボアニメが好きな人は絶対に見た方が良いと思う
劇場版はガンダム初の異星人と地球人の交流と戦いが描かれるのがある意味Gガンダム並に人を選びそう
初代ガンダムとアムロ、富野監督オマージュキャラや扱いを見ると脱ガンダムを目指してたのかなぁ…って気がする
前作のような物を求めて見るとちょっと落差に驚くかもしれない
歩兵や戦車とザクの戦いとか本当にマニアックな所突いててそういうのを求めていた人には堪らないと思う
ただ前作のキャラが皆満足げに散っていったのと対照的にこっちは本当に話が暗い…
死神ってニュータイプと関係あるのか分からないオカルト要素も出て来るしかなり人を選ぶ作品だと思う
これまでガンダムを見た事無い人でも楽しめそうな良い作品だと思う
OVAだけあって作画のクオリティも高いし新規ファンも既存ファンも楽しめそうなキャッチーな要素が多いし
全10巻の小説をOVA7本に纏めたから中盤以降はちょっと駆け足気味?な所はあるけど
MS運動会と言われるだけの事はあって初代~ZZくらいの時期がアニメで動く所が見たい人にはオススメ
UCは原作小説が好きだからカット&改変繰り返してるOVAは正直別物だなあと思ってる
凄く良い
ガンプラが題材の子供向けアニメかと思いきやガンダムファンだからこそ楽しめるネタが凄く多い
現実のガンプラに興味が無くても実質ロボアニメみたいな物だし一度試しに見ても良いと思う
ただガンダムというよりホビーアニメって感じだしそこが受け付けない人だとある意味G以上に無理かもしれない
初代やシャアとザビ家の関係性が好きな人は一度は見た方が良いと思う
声優さんはオリジナルから変わってるし設定も厳密にはパラレル時空だから初代と微妙に異なるけど
安彦先生の画風で描かれたキャラが現代のクオリティ動きまくるのはやっぱり他には無い魅力だと思う
原作から主にシャアが中心の所だけアニメ化した関係で尻切れトンボというか物足りない感じがするけど…
このアニメ版でオリジンに触れて気に入った人は原作を読んでも絶対損はしないと思う
スッゴイ人を選ぶ
主人公達に感情移入する人や感情移入しなくても主人公達が勝つ方が嬉しい人は絶対見ない方が良いと思う
戦闘は悪くないけどMSの線が多い影響か平均2~3話に1回くらいの頻度なのでロボアニメと言えば戦闘が楽しみって人にもあんまりオススメ出来ない所がある
生きるために必死でそのためなら汚れ仕事でも何でもやるアウトローの子供達が生きるために戦い続け最後には滅びた、という話なので本当にかなり人を選ぶ
主人公達の敵陣営が腐っても警察のような組織なので、主人公達が勝てば勝つほど結果的には警察が舐められて治安が悪くなるという世知辛い話
原作がまだ未完だし何とも言えない所あるけど
一年戦争で宇宙戦闘がメインのOVAという珍しい作品だし一年戦争外伝が好きならやっぱり一度は見てほしい
大砲を持って狙撃手やってるザクとかMSVに出てきそうな機体がアニメで準主役機やってるんだからこれは凄い
テンポを優先してアニメ化の際原作から削られた描写が結構あるからこれも是非漫画を読んでほしいけど
ガンプラに興味は無いけどSAOとか.hackとかネトゲが題材の作品が好きな人も楽しめそうな気がする
2クール目の序盤から登場を匂わしてたのに結局終盤まで出番が無かった機体とかもあったのはちょっと残念
登場するキャラクターは皆可愛らしくてグッド!
UCの後日談という事もあってアニメのUCが好きな人なら楽しめると思う
UCより作画的な意味ではちょっと落ちてるから作画が楽しみな人にはちょっと残念かもしれないけど
CG映画などを除いて初めてインコムが「インコム!」って台詞と共にアニメ化されたのはやっぱり感慨深かった
結局主役機がユニコーンでラスボス機がネオジオングだからUCの焼き直しっぽいなあとは見ていて思った
ネットの感想を見ていると昔からの宇宙世紀ファンよりUCからガンダムに入ったファンに好評な印象がある
ビルドダイバーズを見た人からは勿論見てない人からもかなり評判が良かったとか
ネトゲ経由で他の惑星に召喚された主人公達がそこで現地の異星人達を助けるというガンダムらしからぬ話だった
IGLOO以前の作品という事もあってCGは拙いけどその事を考慮しても面白いと思う
各ガンダム作品の前日譚・後日談・IFの話が充実してて色んなガンダム見てる人ほど楽しめるんじゃないかな
他のガンダムを見た事が無い人や拙いCGに耐えられない人は楽しめないだろうなと思う
アニメ本編は蜀陣営の話だけどメディアミックスで魏陣営と呉陣営の話も触れて補完する事前提な感じがする
15分アニメって事もあって終盤なんかとにかく駆け足だった
キャラクターはよく立っていたからワールドヒーローズを見る予定がある人はこっちも見ておいて良いと思う
ぶっちゃけ全部好き
前も言ったけど
SEED DESTINY、AGE、ビルドファイターズトライ、閃光のハサウェイ、Gのレコンギスタ、その他SDガンダムはまだ観てないor全話見てないので作品評を書けない
一応断っておくが、本稿は岡田索雲によるwebアクション掲載『アンチマン』( https://comic-action.com/episode/4856001361287348513 )のネタバレ論評である。ネタバレが嫌な人は先のリンクから漫画を読んでからお進みください。
父親を介護しながら食品会社に勤務する溝口。彼は、日常で蓄積した鬱憤を“ある方法”で発散していた……。『ようきなやつら』の岡田索雲が描く、アンチの哀歌。
公式のこの紹介文のなかの“ある方法”がダブルクオーテーションで括ってあるのは、それが妄想である事の示唆となっている。その妄想と現実の境界線をどこに引くか、実はそれは本作においてあまり重要ではない。溝口のポジションが少し変わるだけだからだ。
だが、一応妄想と現実の区別を付けておこう。妄想の範囲を広く取りすぎると発散してしまうので、できる限り狭くとる方向でいく。
1回目ヘルパー、2回目同僚田山への描写が妄想である事に異論はそうないはずだ。実際に手を出すまでのマッサージ依頼や、ジャスティスブレードマグカップの部分を妄想に含めるか否かは本稿ではあまり問題にならない。個人的な感想としては、田山がジャスティスブレード好きと言うのは都合が良すぎるように思えるので、妄想だと思う。
こちらははてブ内では結構割れているようだが、どちらともとれるよう曖昧な描写に留めているようにみえる。それでも、スマホ破壊率100%やウキウキでぶつかり3連発があまり現実的描写には思えない事と、本稿の前提である「溝口に同情的に」という前提のもと、妄想であるという前提で進めていく。その方が溝口の悪質性が弱まるからだ。
この場合も、1回目の妄想対象を見つけて横目で追いかけるコマまでは妄想ではないとする。漫画では描かれていないが、対象を決めて尾行を実際に行いながらぶつかり妄想をしたとしておく。3回目で、ぶつかりターゲットのストーキング中に田山を見つけ、尾行対象を変更しているからだ。
こちらもそこそこ割れているように見えるが、正直どちらでも良い。レスバトルに完全勝利していない事から、紹介文での「鬱憤解消」には当たらない。なので、現実であってもおかしくはない。しかし、特にここが溝口の感情読み解きにかかわる事はないので、好きな方を採用してほしい。2回とも父親のうなり声で中断される所が、目覚ましで中断される強姦妄想と似ているな、とは思う。
同僚、結果的に通り魔から庇った女性、母親の3組が溝口の見舞に来るが、こちらもレスバトルと同様、溝口の感情読み解きにはかかわらないので、好きな方を採用してほしい。
まず、溝口の心に一番重くのしかかっているのが、幼少期に自分を連れずに去って行った母親である事に異論はそうないだろう。
それを埋める代償行動として、溝口は女性嫌悪、ミソジニーに嵌ってしまう。これが如実に表れるのが、2回目のレスバトルでの「女は戦えないから逃げる」(女性ヘルパーも入るかもしれない)、そして直後父親に言い放った「あんたがあの女殴って愛想つかされなかったら」というセリフのなかの「あの女」だ。「母さん」や「母親」じゃなくて「あの女」と呼んだ所にミソジニーの染みつき方が垣間見える。
母親への執着は、父親の葬式後、戸口の方を眺めるコマでも強調される。来るはずのない(恐らく連絡もしていない、そもそも知らないかも)母親を期待する視線だ。
2回目の会議後、「繊細さは女性ならではのものじゃない」という発言にお礼を言われて溝口は浮かれる。ただ、これは田山をフォローしようという意図はなく、直後に描写されるように、自分が父親の介護をしていたり、ジェンダーロールの押し付けをつらいと思っているから出てきた言葉だ。だからお礼を言われても第一声が「へ?」となる。
溝口の目に目にハイライトが2つ入るのは全編で2回あるがその内の1回が本件である。なお、お礼を言われた直後は何のことかわかっていない様子で、その後も本当に分かったのかは不明瞭だが、「溝口に同情的に」ルールで、分かったという事にしておく。
その後スキップのような軽い足取りでぶつかり3連妄想に繋がる。上機嫌なのに何故、鬱憤発散行為であるぶつかりをするのか?という疑問が沸くが、自分はこれは妄想の習慣化と考える。電車事件の前段階だ。
溝口の目にハイライトが2つ入る2か所の2つ目が、ネットで情報を仕入れて実際にスマホで女性ジャスティスブレードを観た瞬間だ。ミソジニーを忘れた、女性主人公への純粋な好意の表れ。しかし、ネットの声ですぐにミソジニーが戻ってくる。
溝口は他人が居るスペースでは基本的にマスクをしている。自宅でもヘルパーを迎える時はマスクONだ。これは、社会的な望ましさに合わせようとする意図の表れで、やったらまずい事・言ったらまずい事を出さない様に自制している事の表れでもある。
社内会議1回目での、女性モデルの胸の強調をマスクON状態で「気にしすぎ」と言ったのも、溝口が考える社会的望ましさのラインを越えていないという事だ。
また、喫煙所ではマスクをあごに寄せて口を出し、眼鏡の同僚にあまり望ましくない「狙ってんの?あの女」などというセリフをはいてしまう。
溝口の考える社会的望ましさのラインは恐らく一般社会が考えるそれよりも低い。
まず、女性ヘルパーをジロジロと眺めて嫌がられ、男性に交代されてしまう。男性ヘルパーへ「急に変わるものなんですか?」と質問しているが、自分の行為によるものだという自覚があるか否かは特に描写されない。同情的ルールに基づいて、本稿では質問の時点で気づいた(それが出来るだけの知恵がある)ものとする。
また、この件の前には、電車内で女性を盗み見するコマがある。「見る」事が加害行為になりうる事は分かっていなかったのだ。
スマホ歩き女性へのストーキングも、毎回ターゲットを変えているから発覚・問題化しないだけで、少なくとも一般社会では褒められた行為ではない。これに溝口が気づいているかは明確ではないが、先ほどの盗み見と同様に、気づかれなければ問題ないと思っていたのだろう。
父親の死後、栄養ドリンクの空き瓶の山が、ハードワーク・オーバーワークの忙しさで気を紛らわせようとする溝口の心情がうかがえる。
父親は、母親を失う原因であり、憎む対象であってもおかしくないのだが、基本的には社会的望ましさに従ってか、無言で介護をする。
2回目のレスバトルで劣勢だった怒りに任せて本音をぶつけはするが、その後もすぐに介護を続ける。
微妙な関係性ではあれど、自分の言葉が父親を自殺に追いやった事は溝口にとってつらい事実だったんだろう。
結果、残業のしすぎで上司に「最近厳しくなってる」と残業を禁止される。そこで1回目の会議で「女性の体の強調」を問題視した田山と眼鏡に目をやり、ハイライトの無い目のコマの後、「そうやって男の仕事も奪っていくんだよなぁ…」「お前たちは…」というセリフ。これは父親死亡前までなら出さなかったセリフだ。上司も大丈夫か?と違和感を示している。
溝口はここではマスクをしている。先ほど示したとおり、本稿ではマスクを溝口の社会的望ましさへあわせる態度の象徴として考えるのだが、ここでのセリフはそれに合致しない。ここに歯車の狂いが見える。自分で自分を制御しきれなくなってきている描写なのだ。
その後、ぶつかり妄想の対象を公園でみつけた溝口は、その対象を尾行中にスマホを見ながらすれ違う田山に気づく。尾行対象を田山に変更するが、これはぶつかり妄想対象としてはないように思える。その後、田山が眼鏡と会い、2人で車に乗り込んで走り去るのを目撃する。
溝口にとってこれは不倫の現場で、喫煙所での眼鏡の「狙ってませんよ、結婚してますし」というセリフが嘘だったという認識になっているのだろう。
電車の中で、溝口はだらしなく寝込んでしまう。この際、マスクが片耳にかかっているだけの状態になり、それを両脇の女性が嫌がっているコマが挟まれる。
これは溝口本人がマスクを外そうとして外したものではないと考える。片耳は残っているので、寝ぼけて意図せず「外れて」しまったと考えることが出来る。
これは直後の事件と関係する。目の前でコケて四つん這いになった女性の尻を見て、襲い掛かってしまった事だ。マスクと同じく、これはきっと溝口は意図せずやってしまったのだ。いつもしている妄想だと思い込んで乗り掛かってしまったのだ。それを補強するためのストレスが父親の死、過労による疲労、同僚の密会だ。
意図せず女性に襲い掛かってしまった瞬間に通り魔に後頭部を刺されてしまう。
最初に確認したとおり、見舞客が妄想か否かは本稿では問題にならない。同僚達や庇った女性たちは、ただ淡々と見舞に来る様子だけが描かれ、溝口の感情が動く様子はみられないからだ。どうでもいいのだ。
だが、死の間際(飛び立つトンボ、落ちる最後の一葉、飛行機雲の3重の示唆がある)に母親が見舞に来て、手を添えられた時に溝口の目からは涙がこぼれる。結局溝口が欲していたのは母親だけだったという事だ。余りに単純すぎる解釈だと思うかもしれないが、であればこそ溝口の哀れさが際立つ。
ここからはIFの話だ。母親を失った悲しさで得たものは偽の名誉であり、それは溝口にとって何の意味も無かったことは言及した。
孤独は闇の感情を加速させる。孤独な以上、「ケア」される機会もない。ネットのレスバトルはネットで完結してしまい、その先に居る個、溝口を慮ることは無い。
割れたスマホとのレスバトルで、溝口は一端の真実を話してもいる。「(ぶつかり)被害者は女だけじゃない」「役割を押し付けられて辛いのは女だけじゃない」。ただ、それは加害の理由にはならないのだ。内心の自由はある?ただの妄想?私見では本作ではそれが現実に結びつく危険性が示唆されている。
一方で、割れたスマホから流れてくる溝口に敵対する意見にも論点ずらしやただの悪口になってるのも多い。
大前提として、レスバトルで人は考えを変えないのだ。カルトや悪徳商法に嵌った人は、ただ事実を突きつけられても意固地になって更に悪化する事がある。そこから抜け出させるためには、親身になって付き合ってあげる人が必要になってくる。近年の反ワクチン問題やカルト問題でもそういう記事をたくさん見た。
作品中には溝口が心を許せる相手は一人も出てこない。友達の影すらない。同僚とすら付き合いは希薄だ。助けが必要な人ほど助けて!と言いづらい構造もある。
朝日新聞の記事に、『「死刑囚の元同僚」ツイッターで実名発信 孤独な人の相談に乗る理由 (https://www.asahi.com/articles/ASR655CM1R65UTIL015.html)』というものがあった。
「最後にアクセルを踏むか迷った時に、頭に浮かぶ人になりたい」そうだ。溝口はアクセルを踏んだのではなく、うっかり道を踏み外したわけだが、彼に必要だったのはこういう人の存在だったんだろう。時には赤の他人の方が悩みを打ち明けやすい場合もある。チャンネルは多い方がよい。ただ、こんな重い事自分に出来る気は全くしない。
孤独による不幸を減らすために出来る事を考えてみよう。