はてなキーワード: 景観とは
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
駅の周りは道が狭く、雑居ビルがところ狭しと並んでいる
そんな狭いところに駅直通のデッキを作ってしまって、デッキ上では周りの小汚いビルが目に入ってしまい
飲食店は軒並みラーメンと居酒屋、カフェバーとか言うただ高いだけのランチボックスに淘汰された
どうあがいてもつめ込まれたブロイラーのくせに、イメージだけは立派なところも気にいらない
それらの穴は現れては消え、現れては消え、その度に街にポッカリと穴を開けていく
まるで俺が記憶障害を起こしているかのように、あった店が消え、穴だったところに詰め込まれていく
夜になれば裏通りから風俗の呼び込みが現れ、天下の往来で立ち止まり品定めをする
駅から5分も歩けば、死んだような個人経営の店と、人が住んでいるのかどうかも定かではないような生気のない家が立ち並ぶ
典型的な旧道だ
人の姿のない細い道を車が列をなして進んでいくのは、ディストピアのベルトコンベアのようだ
薄暗く、埃っぽく、生気がない
古いだけの旧家が多いせいで区画整備も出来ず、人が十分に生活できるスペースを作れないために生活環境と線路が密接してしまっている
この陰鬱な映画から抜け出すには、目の前の事を少しずつ片付けるしか無い
部屋の引き払いまであと3週間
夜からのそれはひとまえに出るしごとなので、たとえ数時間ていどの遠出でも周囲はわりといやがったけれど、きこえないふりをして電車にのった。駅のホームで特急をまちながら、そういえばこのまえは真冬にいったのだとすこし思いだす。はく息が白かった。手桶と柄杓をもつかの女のゆびもまっかになっていた。
とちゅうの駅で特急をおり、私鉄のうらぶれた車窓をぼんやりとながめる。
どんよりと、いまにもなにか降りだしそうに紫暮れている。
このまえはあんなにはれていたのに。真冬の夕ぐれのすこしまえ、いまよりさらにうっそうと垂れこめた雲や梢のすき間から、ちりちり差しこむひかりが目にしみるほどだった。
あのときは人をつれていた。死んだ人もずっとかの女にあいたくて、あいにきてくれるのをよろこんでいたのかもしれない。
なるほどきょうはひとりだ。歓迎はされていない。
故人とは、とりたててなかがよかったというわけでもない。こちらが一方的にその才にあこがれていた。ほとんど異能といってもいいほどの才だった。
生きているうちにかわすことのできたことばは片手のゆびで足るほどのものだった。それからなん年かたちいろいろと世のなかもかわったけれど、かれが生前なにかにとり憑かれたように愛したものを、深夜思いつめた声色の電話ひとつで――なさけ深いため息とともに――呼びだすことのできる位置におさまったことを、うしろめたく思っていないといえばうそになる。
おそらくはだから、歓迎はされていない。
がたんと音がして当世風の愛らしいデザインの車体がゆれた。あわてて標識をみるとおりるべき駅だったので席をたつ。小さなかばんに持ってきた花をわすれないように。改札にそなえつけれた小箱にきっぷをおとすと、なんとも古式ゆかしい字体の看板が目についた。
つくのえでら、と、うたうようにかの女はいった。じっさいには、その駅はもっと無骨でものものしいよみ方をするものだったけれど、かの女ははじめてこの駅におりたったとき、なき恋びとにいったのだそうだ。つきのえでら、つくのえでらか。うちとこのお寺さんやったらきっとそうよむわ。
さめたエメラルドグリーンの文字を背にしてぽつぽつと歩きだす。世界遺産になったばかりの霊峰が厭でも視界のなん割かを占める、すさまじい景観のひどくさびれたまちだ。〝かんたんには理解できないほどの大きさ〟と、これもかのオデットの言によるものである。死んだ男はそうやってものごとをやすやすとのみこんだ気にならないかの女の気性をばかばかしいほど愛したものだった。
ばかばかしい。本当にばかばかしい。男の気持ちは痛いほど理解できる。
人けのないみちをぼそぼそと歩きつづける。あのときはところどころ凍ってすべりやすくなっていた鋪道を、くつの底をひきずるようにして歩いていく。
菩提寺は坂のとちゅうにはりついた苔のようにしてあり、すり硝子の戸板をたたいてみるものの返事がない。あの日、たまたまはめていた手袋をいいわけに、ひいていた手をまち針にして、かの女がたちどまった石段の中ほどにひとりたちどまってみる。
もういちど声をかける。あさ起きてからいちども声らしい声を発していなかったから、ろくに音にならなかった。
このまえはどうしたのだったか。やはり応えはなかったのか、さっぱり思いだせない。ただ手をひいていた人の――めずらしく――頑是ないような声色だけをおぼえている。お住さんにご挨拶せなね。ご住職の意味だと、あとで人にきいた。
あきらめて手水のわきにたてかけた手桶を柄杓を手にとる。墓地はとし老いた高架のすぐそばにある。高架にのろわれたような人生だったのだなと今さらのように思う。
とてつもなく足が重い。こんなところまできて嘔きそうなほど後悔している。
ちゃんとあの人がしたように、新宿駅の小さな花屋で花も買ってきた。墓前にふさわしいとも思えない黄色いばらだ。
友情、愛の告白、嫉妬を意味するとかの女は笑った。わたしはあの人のともだちだった。いろんな関係であったけれどもさいしょはほんとうに気のいいともだちだった。それだけでよかったという思いばかりいまもあるけれど、あの人はそうじゃないのだろう。だからこの花がふさわしい。そんなようなことを、かの女のくにのきれいなことばでしとしとと話した。一字一句おぼえていたいのに、その文法はもちぬしに似てあまりに浮世ばなれして、一度きいただけでは言いまわしまで頭蓋のなかにとどめておけないのが、ひどく悲しい。
墓参にきたのだか人を恋いにきたのだか、わからぬままずるずると坂をのぼっている。
境内は神域であり原則畜獣立入禁止なんだが、ごく普通に「散歩中ですよ」みたいなさわやかな顔して犬連れて入ってくる奴が非常に多い。
とはいえ地元の人間は殆どいなくて、他地域から来る人間や旅行者が大多数を占める。
常連にも犬連れが居るのかというとこれが一人もおらず、犬連れて入ってくる奴らはと言えば見た事もない連中ばかりだ。
しかしそれでも境内に犬の姿が絶えないんだから年間どれだけ一見さんが来てるのかっていう話でもある。
まあ私も犬は割と好きな方なんで、犬来ても仏頂面で「かわいい」と思って眺めるだけなんだが、流石に立場上あまりよろしくない。
境内での犬どもはいきなり知らない場所に連れて来られたせいか大抵おとなしいので問題が起きる事もないが、放置するのもまずい。
たまにリードすらつけずに飼い犬を野放しにしているとんでもない奴も来るが、犬も飼い主も問題起こさないので注意しづらい。
まあ犬嫌いの奴にとっちゃその犬がかわいいか無害かなんて関係ないわけだから、リードつけてないだけで十分な迷惑行為とも言えるんだが。
ただ、犬連れて旅行とかするくらいだし飼い主も感覚が麻痺してるのか、普通に犬連れて受付に来たりする。
受付者「…すみません、ワンちゃんはお外で待っていて頂けますでしょうか?」
夫「(気付く)ん?何で外行く?」
妻「犬は外で待てって」
こちらは常識を説いただけなんだからわざと悪意にまみれた翻訳をして夫を焚き付けるんじゃねえよクソ飼い主。
こういうのがあるので、犬連れの受付はスルーするようにしている。
他にも、
断られるのがハッキリわかってる質問を敢えてして一度断られたのにそこでまだ食い下がるんじゃねえよ常識考えろクソ飼い主。
というのがあったり、
飼い主「〇〇、〇〇、〇〇、タマ…」
受付者「…。(まあお婆ちゃんの名前かもしれないし…)」
飼い主「ジョン…」
受付者「……。(もしかしたら外人の家族がいるのかもしれないし…)」
飼い主「ミケ…」
ですが~じゃねえよ家族の名前言えって言われてんだから自己判断でペットの名前付け加えてねえで言われた通り家族の名前だけ言ってりゃいいんだよクソ飼い主。
というのがあったりするので、
どちらかというと大人しいペット達よりも無理難題を言い立てる飼い主の方が普通に畜生に見える。
人間の飼い主達よりもペット達の方が神社ではずっといい子にしている。
で、こういう事が続いたりしたので職場でも犬連れの参拝者に口頭注意するようになったんだが、これがまるで効き目が出ず、犬の数が一向に減らない。
そんなやり方では、口頭で注意した飼い主が、その後家に帰ってから口コミで「あの神社で犬連れてたら注意された」と広げ、やがて犬連れてくる人が減るのを期待するくらいしかない。
こりゃ長期戦を覚悟しなきゃならないか…と思っていたところ、ある日突然、境内をうろつく犬の数が激減した。
“景観保持の為こんな無粋なモノを張りたくない”としぶる向きも多かったが、ダメモトで、入り口に張り紙を一枚張る事に。
「境内に犬を連れて入らないで下さい」
あっさりと、犬の数が激減した。
要は、「犬連れて入っちゃダメ!って書かれてないから入ってオッケーなんじゃね?」って思われてたって事なんだろうな。
そういう事じゃねえんだがなあ。
ファミリー層が住むマンションに30過ぎた独身の男が住んでいて、部屋の中にエロゲーのポスターが沢山貼ってあるときに、近所でどう噂されるかとか、
まず部屋の中なんてのは同じマンションに住んでいるというだけの他人には分からない。
その30過ぎた独身の男がキモければ「キモい独身男」として噂されるだろうし、爽やかイケメンであれば何も言われないだろう。
或いはエロゲーポスターを外からも見えるように、例えば窓に貼っていたらその時点で「反社会的行為」だろう。景観考えろ。
そこで「ゲイに対して偏見を持つ」って事は、その同僚が元々キモい男だったから「ゲイとはキモいもの」と言う偏見が生まれたという事になるのでは。
逆にその同僚が皆から好かれる男だったら、元々ゲイへの偏見を持つ人でもその偏見が無くなるかもしれない。
ロリコンは反社会的趣味だろ。例え2次元であっても「いつ3次元に行くのか分かったもんじゃない」と思われるしな。
今だと老後は娘が介護してくれるだろうから安心、と言う意味で気にしない両親も多そうだが。もう孫も望めないし。
気にする両親だったらそれは「娘がずっと独り身」な部分であってジャニーズは関係ない。
そりゃ置き場所が無いだけだ。
(複合遺産:文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。)
(1) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(2) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
分からん。
(3) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスだ!!なんせうんこが出るんだからな!!アナルは日々進化している!!
(4) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
アナルは芸術だーー!!逆さに盛り上がったアナルは人類の創造的才能を表現している!!
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
建築物とかではないな。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
知らん。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
関係なさそうだ。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
これも関係ない。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
顕著で普遍的なアナル思想、アナル信仰だ!!さらにAVという芸術作品と直接関連している!!
最近、秋葉原界隈の企業や店舗に、以下のような文書が出回っている。
さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル「秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。
平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社「株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である「世界の秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。
しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。
つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。
当社は、現在、上記ビルの建替工事を実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます。
まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。
一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社「株式会社秋葉原ラジオ会館」から出された正式な通達だ。
この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社が存在し、今年の頭までは本家が分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。
今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。
文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初の高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。
詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ「秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在が必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会い、GHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビル「ラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである。
ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館の歴史を語る上で重要なアイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。
そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ・無線、パーソナルコンピューター、アニメ・フィギュアの興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原を象徴する必須の存在となっている。
しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家「株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本のポップカルチャーが世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャーの聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原を象徴する存在である「ラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。
そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。
当初、「第三者」は別の目的で本家にアプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館のテナントに対し、ビルの老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。
さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルのテナントに対する退去要請である。ビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキルが必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。
しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。
東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。
そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。
実は「第三者」は過去、アニメやマンガ、フィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュアや書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者が最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆どの人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。
話を元に戻そう。ある時から「第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。
ひとつのきっかけは、ある有名企業の代表が冗談で発した言葉にもあった。
「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」
そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。
そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫。
「第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館のブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。
東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月、分家である株式会社ラジオ会館が設立された。
初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネスを成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どのメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。
株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館のテナントを中心にしたECモール「ラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。
さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算の殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。
「第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館だから秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家の逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算、ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。
秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係の人間に補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原の店舗やオタクへの悪口のみならず、ラジオ会館のテナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。
そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモール「ラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。
何故、今年の1月に契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンとニュースサイトは商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。
そうした状況を踏まえ、本家は7月20日の新生ラジオ会館のグランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。
通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?
以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。
横浜と神戸は都市計画的な側面から見ると結構違いがあると思う。
横浜は行政が歴史的背景を踏まえた景観を手厚く、かなり厳しく守っている(野毛等一部地域除く)。だから風景が観光資源としても大切にされているのがよく分かる一方で、それ故に街の風景に独特なタイトさがあって、それが若干の息苦しさや居心地の悪さや疎外感に繋がっていたりするかもしれない。
去年神戸元町三宮辺りを訪れて、その絶妙にゆったりとした街並みに一度で虜になったよ。住んでいる人たちも横浜の様にキリキリしないでゆとりを持って暮らしているのがよくわかった。あの魅力は他の港町にはないかも。
普通、日本語の文章で書かれた日記を見ると、普通は「日本人」という感想よりも前に、この人の日記は面白いな、この人の批評は痛烈だなと思うのが一般的な慣例だったはずである。
それなのにわざわざ「日本人として」とか「日本として」と書くのは何でだろうと思う事がある。
「日本人」という単語がそれほど大きな効力を持つとは考えにくいが、多用する事で訴えたい何かがあるのだとすれば、それは陳腐な事だろう。
実際の所、これを多用するのは自分自身に後ろめたい事実があって、それを「日本人として」という事に置き換えてるのではないか、と考える。
総じて、「日本人」が「日本人として」と書くのは実にヘンな話である。
昨今は隣国との冷えた関係から嫌韓や反中がネット上での常識となり、その国や人となりを風刺するのが常となって久しい。
されば、それがイコール「日本人」への愛着に繋がっていったのでは、というのが一般的な見方であろうと推測されるが、
筆者に言わせれば、それは虚実である。
いちいち「日本人」を多用して「日本」を祀り上げずとも海外での評判は概ね良い。
和食が無形文化遺産に指定されたのを始め、日本のありとあらゆる伝統が外国人の心の拠り所となりつつある。
それらを踏まえれば、「日本人として」と表現する人達の閉鎖的で独善的な感性は何とも言い難いものがある。
あるいは、彼らのアイデンティティーとは昔ナチスが「ゲルマン人こそこの世の最高である」と宣言してたモノに近い。
ところで最近、やたら愛国主義を謳う人が急激に増えたように感じる。
それそのものは良い傾向であろう。
しかしながら、問題は謳っている人間が一方で森林を伐採し、地球温暖化を早め、また労働者を家畜同前の扱いにし晩婚化を進めては少子化が激増する一方であり、日本人の尊厳を踏み躙る行いをしている事である。
そういった人間が一方では「日本人として」景観や自然を守ろうと言うのであるから滑稽である。
日本という国は、古来から八百万の神を信仰し、またシャマニズムを尊び、上も下も豊かであろうと心がけて来た国であるはずである。
にも拘らず、「日本人として」と謳う昨今の愛国主義者たちは、同じ愛国主義者を使役し捨石のように扱い、今度はお国のためと言って戦争に駆り出すのである。
お国のため、としながら他国を蹂躙、凌辱する事は果たしてナショナリズムに合った話なのだろうか。
また、それが謙虚を美徳としてきた「日本人」のあるべき姿だとは、とても思えないのである。
「日本人として」国を愛する心があるのならば、自然や景観を守り、他国を謗ったり、他人を誹謗中傷しない、世界が認める謙虚を美徳する民族であろうと努力すべきではないか。
やたら「日本人」を強調する人というのは、結局日本人である事の誇りを知らない非日本人であり、またそれは歴史が証明しているのだ。
第二次世界大戦で愛国主義を謳った東條英機以下当時の政治家・軍人の類は国家を疲弊し国民を疲弊させ、その文化遺産を鉛などに使うべく溶かしてきた。
その結果が、長崎や広島への原爆により日本人の尊厳や先人の歴史的遺産が消失してしまったという、愛国主義とは程遠い凄惨な事態へと発展せしめたのである。
今思う事は「日本人として」ナショナリズムを起こすのであれば、安易な誹謗中傷よりもまず国内の安寧を図るべきであり、自国を批判する事である。
一番の理由は、観光客が訪れて飲食物などのゴミをそのまま放置していくこと。
景色とか景観が世界遺産認定の条件であるのに観光客はただただ「世界遺産」だというだけで観光地を踏み荒らしていく。
苔がこの古道の名物であり指定される理由でもあったのに、世界遺産になってからはゴミだけでなくたくさんの人が苔を無くして行ったのである。
このような事があるくらいなら世界遺産になんてならなくてもいい。
指定された位で北海道の知床のように立ち入り自体を禁止されるなんて事もあってはならない。
また、世界遺産になったからといって良い事だとは必ずしも言えない。
タリバンに見せしめとして破壊された世界遺産であったバーミヤンの仏像がそれである。
国家的にみれば宗教的にも歴史文化的にも象徴的であったそれは、タリバンの軍事的あるいは政治的意図による破壊によりその生涯を終えた。
富士山がこのたび世界遺産となったが、ただでさえ観光客やそれ以前からの心無い人達による産廃行為が問題であったのに、世界遺産であるために
タリバンないしアルカイダや北朝鮮のようなテロリズムの危機に晒されない保証はどこにもない。
飛躍し過ぎるかも知れないが、ミサイルなんかが富士山とその周辺にぶち込まれたら、世界遺産に指定したユネスコを生涯許す事が出来ないかもしれない。
三井不動産は首都高を目の敵にしているのではないか、と私も感じるところがある。
コレド日本橋や日本橋三井タワーは日本橋にふさわしい景観なのかどうか。
ガラスファサード建築がアリなら首都高の高架だっていいじゃない。
日本橋三井タワーにしても、三井本館をぶち抜くように高層ビルが生えていて、ポストモダン建築のよう。
日本郵便のKITTEや明治大学のリバティタワーとか、ああいうビルも好きなのだけど。
都市の景観を考える上で、石造りの日本橋がそんなに素晴らしいものなのか分からない。
だいたい明治時代に架けられた今の日本橋を取り戻して、それが観光資源になりうるのか。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】
70歳くらいのある時計職人のドキュメンタリーが2年ほど前にやっていた。それを録画したものを時々見ている。
そのドキュメンタリーで、時計職人が言った言葉が印象に残っている。
「どうせ世界は変わらないさ」
この言葉は、悲観的な気持ちで言っているのではない。そうではなく、自分を客観視するように言っているようだ。
その時計職人は、引退をしてからも、オリジナルの独創的な時計を作り続けている。そしてそれらの時計が街の色々な場所で良い景観となって動作し続けている。
時計を作っていくなかで、どうしてもうまく行かないことがある。その時に「どうせ世界は変わらないさ」と言って、熱中しすぎることを抑止して、冷静な頭で新しい発想を促しているように感じた。
自分のことだが、7年ほど前は「これをすることで世界が変わる!できるだけ短時間でやってやるぜ!マジンガーゼッ!」スタイルで、無理に色々な物を詰め込んで、無茶なスケジュールで仕事をしていた。達成感がすごいと感じていた。常に神経が張りつめた状態に自分を追い込むことで、細かな点に気づき、新しい発想が生まれた、と感じていた。
でも、今はそういうスタイルはやめ、「どうせ世界は変わらないさ」方式で、客観的に仕事をするようにしている。スケジュールもぎりぎりにせずに、少し余裕があるように設定している。結果として、問題の根本解決をすることができるようになり、その問題は一度解決したら、あとは手間がかからなくなり、次の新しいことにどんどん取り組めるという、正のスパイラルに入ったように思う。
振り返ってみて、モチベーションを高めて、邁進するというスタイルは、合う人には良いが、それは僕のスタイルではないと思った。神経がはりつめた状態で、細かな局所解に囚われすぎてしまう。そうでなく、「どうせ世界は変わらないさ」と楽観的なスタイルで、冷静に客観視しながら仕事を進めるのが自分には最良な方法であると思う。
全然興味なくて、ずいぶん前に「新国立競技場は大きすぎる」みたいな記事あがってたときも
へー、ぐらいに流してた。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311070258.html
と思ってた。
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/
上から見ただけならね!
これはないわー
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11671339981.html
ただの壁じゃん。
あのへんって、今は緑があって抜け感のある場所だけど、
これが建つとぎゅうぎゅうに圧迫されてしまうんだね。
団地の人たちも強制立ち退きみたいなのも知らなかった。
この案じゃなきゃダメなの?
イオンの不誠実さも非難されるべきだろうけど、イオンの気持ちもわからなくもない。
なんでウチだけだ、というようなユッケ社長的な気分もあるだろう。
俺はちょいちょい中国方面に旅行に行くのが趣味なんだが、あちらの食い物など食って大丈夫か?との心配を頂くことがある。
確かに手放しで安全とは言いがたい。現地テレビ放送も、安全な野菜の選び方なんかを特集しており、現地人に危機意識もある。
しかし最低限のことに気をつけていれば、概ね問題ない。いや、問題ないかどうかは数十年経ってみなければわからないかもしれないが、現状特に健康被害はない。
あちらでは快餐というスタイルの、チョイスしたおかずぶっかけ飯を喰うことが多い。指差しだけでメニューを選べるので、外国人旅行者にも人気だ。
快餐屋は一食500円以上する店もあれば、20円以下の店もある。
件の20円以下の店は、そのイカレた安さから人気があるかというとそうではなく、汚い身なりの労働者がパラパラといるだけで、全く繁盛していない。店もボロく、匂いも臭い。
そんな店で何かを食いたいかというと、どんなに安くても御免な訳で、概ね200円ぐらいの店に入ることが多い。
お肉などは公設の市場があり、そちらをブラブラみて回るのも楽しい。
見たこともないケモノヘンの漢字の獣肉がところ狭しと売っている。貂なんて食えるのか、と感動することもある。
あちらでは、鳥肉は鶏よりも鴨の方が、比較的メジャーと思われる。
彼の鴨肉であるが、これまた一羽丸鳥で、千円近い品もあれば、百円以下の品もある。
件の百円以下の鴨が、これまた鳥だけに飛ぶように売れるかと言うと、無論そうではない。
モノには適正な価格があるということは、実際誰でも知っていることであり、現地の人間はもちろんのこと、ポッと出かけた旅行者ですら、小一時間も市場をブラつけば、概ね把握できる。
その中で極端に安いものがあれば、それを警戒するのは、ごくあたり前の心理である。
その警戒を、果たしてスーパーのバイヤーが、冷食工場仕入れ担当が、共有しているかというと、当然共有しているだろう。
本部の人間は安くしろと要求する。日本の経済の仕組みでは安くするのが正義だろうから。
彼の国では、安くしろというと、下限知らずにどこまでも安くなる。数十円の丸鶏があるお国だ。
大阪西成に俺の愛するスーパーマーケット、スーパー玉出という店がある。
こちらの惣菜が実に象徴的で、精肉コーナーに豚バラ肉が100グラム120円前後で売っているのに対し、デリカコーナーでは豚バラチャーシューが100グラム80円で売っている。
パートのおばちゃんが手間暇かけてコトコト煮込んだチャーシューが、生肉より値下がりするなどという、河原の積み石よりやりがいのない過酷な労働を、彼女らに強いている訳では無論ない。
それら加工食品は、その出自を明らかにする必要がないから、原材料費をどこまでも抑えられる。
そしてそれが今後どのような影響があるのか、それはわからない。
今後、米農家の補助金が削減されていく趨勢にあるとのことらしい。
これに関しては全く恐ろしいという気持ちにしかならないが、ウェブ上では、補助金ジャブジャブの農家は潰せとの声が高い。
実際厳しい競争の中で生きている、都市部の住人にとって、不公平感があるのも理解できる。
しかしながら、総じて先進国の農業で、全く保護を必要としない分野はどれほどあるものだろう。
無論、規制を緩和して、やる気のある農家や企業の参入を推し進めるのは良いことだろう。
農業大国と言われる国々、特にアメリカ、フランスでは、補助も厚い。
アメリカでの農業補助金は、大別して5種類。作付面積に対する補助金。市場価格による差額の補助金。ローン充当補助金。最低価格保証金。作物保険への政府充当金。などなど、日本の補助金など可愛らしいと思えるような補助金の幅の広さ。
その上先般のバイオエタノール原料買い付け保証などなど、挙げたらきりがないほど補助金ジャブジャブである。
特に市場価格ベースの補助金は、WTOからお叱りを受けかねない、輸出補助金に触れると見られており、今般のTTP交渉では果たしてどうなるかというところでもある。
この恐ろしい規模での補助金によって、折角の国連の援助を受け殖産された後進国の綿花、穀物畑などが、価格競争で打撃を受けて青色吐息だそうだ。
例えばコーンだと、その金額の八割以上が補助金に依っており、俺達が喰うケロッグコーンフロストは、アメリカ人の税金によって八割増量してもらっている。
そして当然アメリカであるからして、その全補助金額の七割以上が、上位数%の大規模農家によって独占されている。
まさにアメリカというお国柄らしい、ビッグになるほど保証も厚い、悪夢的アメリカンドリームの類の補助金だ。
方やおフランスでは、アメリカ同様、斯様な大農家向けの補助金も充実しており、これまたグレーな輸出補助金の類も、ジャブジャブ拠出しているのだが、反面、小規模農業のみならず漁業、加工業への保証もこれまた厚い。
例えば農地のその周辺環境、景観への配慮などを目的とする補助金。また産品の国定ブランド化とそれへの国際的な法的保護、輸出補助金など、小規模でも国際社会で十分戦えるような保証が充実している。
彼の国の優良な小規模一次、二次産業への保証は、単にその百姓の生活、土地の景観、田舎ワイナリー、漁港を守るという小さな目的ではなく、それに付随する食の安全と文化、外食産業、観光業、ひいては国のイメージという、より大きな対象への投資なのだろう。
翻って日本には、果たして保護に値する農業、食産業が無いだろうかというと、全く実に多い。
地方地方に奇妙な郷土料理や農法やらが、険隘な国土ならではの多様性に富んでおり、港町に行けば、寿司屋の生ゴミかと見まごう奇妙な鱠が出てきたり、山国に行けばタクアンのままで美味いのになんで燻製にしちゃったかなーという漬物が供せられる。
狭隘な土地に無理やり作った田畑や、それにまつわる行事や伝統産業ら、それら無数の多様性が重層的に折り重なり、文化というものが形成される。
食にやかましい中国人に、俺はベトナム料理が好きだと述べたところ、中国人は鼻で笑って「ベトナムに料理なんかねーよ。美味しい菜(惣菜)ならあるけどな」とのたまう。
写真撮ってる奴はその場を味わってないみたいに言ってるけどさ、例えば景観のいい所に行って、その風景を見渡して深呼吸してボーっと眺めて、ちょっとあちこちうろうろしてまた眺めて見渡して、その間ずーっとファインダー除いてたらそりゃないわーって思うけど。
実際はトータル20分ぐらいその場所を満喫してたとして、撮影に割く時間ってせいぜい多くて1~2分だと思うんだよね。撮影旅行だったりカメラマンでもない限りさ。
じゃあその1~2分があったら、もうそいつは現場を味わってないことになる訳か?
自分は両方やる。景色を眺めてボーっとして見渡して、いいところだなーって思う。その中で、あ、ここ特に絵になってる、と思ったら画像に残して、んでまた改めてよく眺める。画像で残る範囲と目で見る全景は別モノだからね。
どんなに全力で満喫したって、一度しか体験しなかった記憶ってのは時間とともに改ざんされる。
きれいだったなー、というイメージはずっと残っていても、その風景の輪郭はどんどんぼやける。自覚なく劣化もしくは美化していく。脳ってのは意外に持ち主を裏切る。
そういう損失を少なくするのが写真なわけだ。
その場の雰囲気、空気、情景、音、匂い、香り、人、そういうのはライブの記憶でないとダメだと元増田は言いたいんだろうけど、写真をトリガーとして思い出すのはまさにそのライブの記憶なわけでさ。
まぁ元増田はトリガーなんか不要の記憶力をお持ちみたいだけどね。でも「忘れる」ってことは、それを「忘れた」ことも「忘れちゃう」んだよね。
満喫はもちろんする。そのうえで記録があればなおいい。誰かがカメラを持ったとたん「お前はダメだ、なっとらん!」なんて言い出すのはなんか老害っぽい。
美術品や文化財に所有国の許可もなく勝手に盗用したり落書き、破壊行為までして、かつ自らを正当であると司法を経て誇示するのは何とも愚かな国ならではだ。
挙句他国のみならず自国の財産、過去の遺産を燃やしたり(ex.南大門)やその修復作業では修復技術者の未熟さや他国の文化的介入を拒んだ結果があの天井画である。
この暴挙は過去の偉人を冒涜するだけではなく、今ある彼らを生んだ先人たちの礎を汚す行為としてきわめて嘆かわしい話だ。
イスラムはタリバンが当時世界遺産として名高くまた仏教からイスラムを通じて文化的価値もあったバーミヤン渓谷の遺跡を破壊したのは記憶にも新しいと思う。
また、中国では先人の遺産を破壊し粉砕するのを由とする文化文明で以って成り立ってきた、いわば後進国的国家形態を維持する国である。
自国の自然や文化遺産を破壊する行為にこそその国の礎、起源(ルーツ)を潰しているのだ。
皮肉にも今韓国は世界中の文化を自国の文化としようと躍起になっているが、朝鮮時代の遺産を簡単に破壊し蹂躙する行為に目を向け、どうか韓国は反省するべきである。
日本だとか中国だとか関係なく、自国の自然や景観を愛する愛国心を養う事、それこそが先進国への最短の道程であると確信している。
現実では見たことがない、訪れたことがないはずの場所に自分がいるということが何度もある。
窓がなく知り合いも居ない大学の後ろの方の席にいる。講義が終わったように周りがざわざわしだしたと思ったら、自分は焦燥感を覚えてその場を離れ、電車に乗る。
快速で8駅離れた駅まで乗り、そこから普通で3駅戻ると、閉塞感のある田舎の駅につく。大学の下宿先の木造アパートがある駅だ。
ここまでは、この設定の場合では共通している。しかし、ここから分岐する。
・砂利道を進んで下宿先に戻ると、大部屋がふすまのような木の引き戸に仕切られた一角へ体を下ろす。戸のすりガラスから周りの様子を伺えるが、誰もいないようだ。
・荷物を持って下宿先を後にする。砂利道を歩いて駅へ向かい(分岐1)、また電車に乗り大学へ向かうが、折り返しの駅でどの電車に乗ればいいのか分からなくなる。赤い■のマークが付いている路線表記の看板を見ながら電車に乗ると、名古屋についた。(分岐2)
・(分岐1の続き)どうやら忘れ物をしたようで、下宿先に戻らないといけない。戻るとやはり誰もおらず、焦燥感が訪れる。トイレに入ると、なぜかは分からないがものすごい恐怖感に襲われ、扉を叩くがなかなか開かない。やっとのことでトイレから出ると、転がるように下宿を後にし、砂利道を駆け出す。
・(分岐2の続きa)名古屋は夜になっていて、幹線道路のわきのネオンを横目に、坂道をとぼとぼと歩いていた。駅の地下街には行きつけのゲームセンターがあり、そこへ向かえば安息が得られるだろう(ゲーセン編割愛)
・(分岐2の続きb)名古屋は夜になっていて、幹線道路のわきのネオンを横目に、坂道をとぼとぼと歩いていた。夜なのでもう店は閉まりかけているが、どうしても本屋に行きたい。行きつけの本屋ビルの閉店まであと数十分というところだが、なんとか滑り込み、目的のフロアへ向かう(本屋編割愛)
と、だらだら書いたが、こういった夢をよく見る。祭りの最中に大量発生するゾンビからどうやって逃げるのか、などもよくあるシチュエーションだ。このバスに乗ればあの場面へ着き、前はああだったので今回は違う選択をしよう、などADVのような夢が多い。(大体夢のなかで、前の夢の結果を知っている)
特に電車に乗る部分は、路線から乗っている時間からどういった乗り換えなのかなど細かく覚えていて、現実でも(同じ環境があれば)夢の目的地へたどり着けると思う。
全部現実では訪れたことのない、見たことのない場所であるため、とても興味深い。(名古屋という場所は、名古屋と認識しているが現実の名古屋とは地形も景観も全く違う。現実では名古屋には何度も行ったことがある)
オカルト的な面白さもあるのだけど、トイレの下りを書いている時に尋常じゃない悪寒と震えが来たので、こういうのはあんまり考えないほうがいいのかもしれないと素人ながら思った。