はてなキーワード: 外神田とは
たしかストーカーなんかで捕まったヤツあったと思うがこれしか引っ掛からなかった
自衛隊統合幕僚監部に所属する3等陸佐(47)が東京・秋葉原のメイド喫茶で2万円相当の置物を盗んだとして、統幕は18日、この三佐を停職30日の懲戒処分とした。
統幕によると、三佐は1月25日午後10時15分ごろ、東京都千代田区外神田のメイド喫茶で、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070418-00000085-jij-soci
こっちはメイドカフェ通って疑似恋愛が拗れてとかそういう話ではないみたいだった
加藤の乱(かとうのらん)は、2000年11月に第2次森内閣打倒を目指して与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした一連の倒閣運動。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%81%AE%E4%B9%B1
秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん、英語: Akihabara massacre)とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。マスメディアや本件に言及した書籍においては秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれることが多い[6]。
近年(と言っても10数年前くらいからになるが)秋葉原にはメイドカフェなどの萌産業の店舗が増えてきている。
一方で従来の電子部品や家電、オーディオ、パソコン、ビデオゲームなどを取り扱う店舗は減る傾向にある。
そのためか、秋葉原のことをよく知らずに「秋葉原は風俗街になってしまった」とか「もう昔の秋葉原のような店舗は無い」など間違った知識で秋葉原を表現する者が後を絶たない。
そんな勘違いした方が秋葉原に来て歩くのは中央通りと1本裏に入った程度だろ?
お前らダンゴムシ探すときに新宿駅前で探すのかよ。ダンゴムシはジメジメした石の下にいるんだよ!
秋葉原の昔ながらの店はジメジメした裏通りだったりラジオセンターやラジオデパートのようなところにブワァーっとたくさんあるんだよ!
それでは従来の電子部品やら家電やらパソコンやらの店舗はどれくらいあるのか一覧を作ってみた。
個人が作った一覧なので間違いや閉店していたり漏れもあるだろうがまあ誤差程度だろう。
秋葉原の定義については、外神田1〜6丁目+その周辺を秋葉原としている。
電気街中央通りからみて、北は蔵前橋通り+50mくらいまで、西は昌平橋通りくらいまで、東は昭和通りくらいまで、南は神田川くらいまで。
北についてはaitendoと遊舎工房を入れたかったので少し範囲を広げました。
店舗については、一般消費者が購入できる店舗をリストアップしました。
主に自分の目で確認したのが多いですが、ストリートビューや店舗公式Webサイトなども参考にしています。
秋葉原のビラ配りがここ数年で異常に増えた。
ケンタッキー秋葉原店からAKIBAカルチャーズZONEまでの道(通称:メイド通り)が特に酷い。
メイドだけでなく、忍者、女子高生風(最近は規制により私服)姿の女で埋まっていて、通行の妨げになっている状態。
男性歩行者にはしつこく声をかけてくるし、無関係な一般の店の出入り口前に平気で立ち尽くすこともあって、迷惑この上ない。
ガラの悪い元締めの男の監視の目もあり、風俗店街かと思うほどに酷い景観を呈している。
そもそも、千代田区は2014年4月1日に施行した「公共の場所における客引き行為等の防止に関する条例」で客引き・客待ちを禁止している。それにもかかわらず、3年が経過した現在も変わらない状況が続いている。(道路使用許可証があれば客引きOKという矛盾)
秋葉原の通称メイド通りで写真撮ってたらメイドバー元締めみたいな男に「メイド撮んな」って絡まれて、メイドじゃなくて景色撮ってると写真見せて説明したら「…けど道の邪魔なんだよ!」ってさらに怒られたんだけど、「どう考えても公道で客引きしてるメイドのほうが邪魔」って言いそうになった pic.twitter.com/JU6oxjuN34— ヤコー (@yako_FLPR3) 2017年9月28日
印象的なアキバの写真を添え、1万3000RT、1万8000いいねを獲得しているこのツイート。どうやら、メイド通りの景色を撮影していたら、メイドバー関係者の男に絡まれたそうだ(togetterにもまとめられている)。リプライ欄を見ると他にも経験談多数。
「スーツの若者」がやってきて写真を見せるよう強要、見せなければ警察に通報するなど、かなり強引なやり方で脅迫してくるという。
実はまったく同じ目にあったことがある。
2017年4月8日、JKビジネスの客引き一斉補導が実施され、警察の見回りが“一時的”に強化された時期があった。そんな補導後で少し落ち着いたという秋葉原を確かめるため、買い物ついでに現場に足を運んでみたときの話だ。
確かに、JK風の格好をしている客引きはあまり見当たらなかったが、私服に変えただけで、道のど真ん中にそこら中に湧いていた。
とはいえ、少しでもマシになった景色を写真に収めておこうと、ケンタッキー秋葉原店前から、ベルサール秋葉原方面を向いて撮影していた時である。
突然、20代前半ぐらいのスーツ姿の男、ビラ配り達の用心棒が名乗りもせず話しかけてきた。撮影した写真の中身を見せるよう要求してくる。声色はチンピラのそれ。
画像にビラ配りは写り込んでいないし、個人が特定できない範囲で普通に“秋葉原の街”を撮っている。この男含め、女側もその店で働いていること、違法行為の証拠となる写真が残るとまずいのだろう。
ツッコミどころはあったが、絡まれても面倒なのでその場を去ろうとした時、いきなりリュックの持ち手を掴まれた。
絶対に離さない、という意気が伝わるほどかなり力を込めており、顎をしゃくりながらものすごい形相で凄んでくる。
こちらも応じて引っ張ると、リュックが崩壊しそうな勢いで引っ張り返してくる。相手はかなり荒れており、一触即発の状況だった。
そこで男はリュックを掴んだまま手元のスマホを取り出し、番号を押すフリを始める。
写真にビラ配りの女が映っていないか絶対に確認が必要だと言い張り、それが確認できないなら警察に通報するという。
他の用心棒達もこちらを伺っており、警察が来るまで何が起こるか分からない。まずはここを離れる必要がある。言葉で伝えても仕方ないので、試しにカメラの液晶モニターで画像を確認させると、やっと掴む手を離した。
そのあとは無表情で棒立ちのまま。無言でこちらを見ながら突っ立っている。
さすがに、強引すぎるやり方に呆れと怒りが込み上げた。秋葉原は常に観光客で溢れていて、カメラで街を撮影する人はいくらでもいる。
他の人にも同じことが起こる可能性がないとは言えないし、この状態を放置するわけにはいかない。その足で万世橋署に通報することを決意した。
一方、男は店の名刺を持っていなければ、身分を証明するものがないと言い張る。
場所は昌平橋交差点の建物(東京都千代田区外神田2丁目3-9古室ビル 2、3階)であることが判明。
ちなみに、ここは同じ建物内に複数の系列店を構えている。2chあたりにも詳しく書かれているので、調べてみると良いだろう。
今回のケースに対して、万世橋署がどういう対応を取るのか個人的にも気になっていた。通報ついでに秋葉原の客引きに関してどう思っているのか、聞き出せたら良いだろう。
なんてことを思っていたが、先方の意外な対応に度肝を抜かされるとは、このときは思ってもいなかった。
まぁ、前述のツイートを見れば分かるように、現状は何一つ変わっていない。
とりあえず、受付で暇そうに会話している年配の男性2人に事情を話してみた。
すると、返ってきた返事は
「風景撮っていて絡まれたなんて通報は今まで一度もないですよ」
「それで何か怪我をしたわけじゃないでしょ」
だった。
今まで通報がなかったから何だと言いたいのか?目に見えるような大怪我してから出直してこいと?
初っ端から対応する気ゼロ。会話の邪魔だから帰ってくれないか、という無気力さも伝わる姿勢。開始数分で詰みの雰囲気を感じ取る。
そうは問屋が卸さんぞ、ということで“威嚇しながら相手の物を強引に掴んだりする行為”は何か抵触しないのか、被害届は出せないのか、などを聞いてみる。
「秋葉原以外の観光地でも、人がたくさんいる中で風景を撮影しちゃいけないんですよ」
「盗撮されてネットで公開される恐れがあるから、彼らも女の子達を守らなきゃいけないんですよ」
「被害届?無理なんじゃない?」
「で?あなたはどうしたいんですか?」
予想外の返答に結構驚いた。街でカメラを構えること自体が間違い、強引な手段で絡まれるのは仕方がないという。まるで警察があてにならない。
肖像権絡みのことを言われるのは予想できていたが、観光地の風景でも撮影するなとかそれはいくら何でも無理ゲーすぎないか?
被害届を出すことを何度も何度も繰り返し伝えると、なんとか3階の犯罪対策課に案内された。
だが、ここで返ってくる言葉は受付で言われたこととまったく変わらない。
「特に何かできるわけでもない、用心棒も彼女たちを守る必要がある」 と。
なるほど。
では、今回のような大事に発展しかねない彼のやり方には問題がないのか?
結局は3年前の取り締まりと同じで、ビラ配りの補導も一時的に取り組んでいるものなのかと聞き返した。
そこでやっと重い腰を上げた。
具体的には、生活安全課にも今回の件を共有し、担当者が店に電話で警告するという。
結局、署では15分程の時間を過ごしていた。
帰りに出口まで見送られると、さきほどの受付の2人が訝しげな顔でこちらを見ているのが印象に残った。
とんだ事態に遭遇したわけだが、ここ何年か見かけるビラ配りと用心棒の行動は目に余るものがある。
今回通報したことで、警察が本当に実行するかは分からないし、注意してもなあなあで終わるのだろう。
今回のケースは、“今まで通報がなかった”ということで足蹴にされた感じでもある。
それでも、こういう通報案件の積み重ねで一斉摘発に繋げられる可能性はあるかもしれない。
秋葉原の街を少しでも安心して歩けるようにするには、こうした地道な行動が必要だと思う。
ちなみに、威嚇してくるスーツの男は新入りのようで、その強引な行動はTwitterでもここ1年くらい報告が増えているのを確認できる。(そもそも他が私服姿なので余計目立つ)
それ以前にメイド通りエリアを担当していたのは共同経営者の男で、こっちは最近新店舗ができたジャンク通り付近にいることが多いらしい。
とまあ、Twitterで検索をかけていると思いもよらないものが引っ掛かった。
2つの垢を見たが、用心棒を始める前からHNで情報を発信しているようだ。
メイド通りの歩行者の顔が写り込んでいる写真などが確認できるが、これでも宣伝用垢なのである。
このツイートに至っては、裏オプションを仄めかす内容になっている。
デメリットは、家賃は高いわ生活に必要な店は少ないわ鉄道路線や大通りが多いから騒音は大きいわとあれこれ山積みで、普通の土地であればわざわざ他のところから好き好んで移り住む場所ではない。
だが、たったひとつのメリットがあまりに大きすぎてそんなデメリットなんかどうでもよくなる。
想像してほしい。現在では漫画・アニメ・ゲームの聖地と言われるこの地で、全世界のヲタクが憧れ目指す先にあるこの地で、日常の生活を営むこの興奮を!
朝、目が覚めればそこが秋葉原。末広町駅付近から中央通りを南下して電気街口に至るルートが通勤経路。秋葉原に引っ越す前、遠くから秋葉原に通った日曜のあの日……夕暮れでそろそろ帰るかと思って「巡回忘れた店無かったかな」とか「欲しかったアレ、次来た時まだ残ってるかな」とか思いながら電気街口を目指すんだけどいつも改札機前で一瞬立ち止まってしまって。そして意を決してSuicaタッチした後のあの寂しさを毎日思い出して少し悲しくなることもある……。でも、仕事が終われば帰宅という日常の行動で、「今日はどこの店から向かおうかな」という、秋葉原通い時代に感じたあのわくわく気分が戻ってくる。でもあの頃とは違って、方々から聞こえる「おかえりなさいませご主人様」の呼び声を意味の通りに受け取れるのは秋葉原に引っ越した後の今の特権だ。秋葉原が活動拠点の「会いに行けるアイドル」だって、ここに住めば逆にアイドルが自分に会いに来てくれる事になるのだ。
そしてゲームセンターや同人誌屋、ジャンク屋の誘惑に負けそうになりつつ、二次元グッズで溢れた家に帰宅。もちろん我に返って急に恥ずかしくなることはない。だって俺は秋葉原の住人なんだ。すべては秋葉原に住んでいる事実があるだけで夏冬の特定期間に集中する来訪者たちも自然に納得してくれる。風呂に入る時だって、「秋葉原で風呂入るなんて贅沢を許されていいのかな」なんて思ってしまう。ましてやビールを飲みながら深夜アニメをリアルタイム視聴しているなんて……もう優越感を通り越して「秋葉原住民としての義務を果たしている!」という自分でも何言ってるのかよく分からない満足感に浸ることになる。
コンビニに外出すればアニメ作品とのコラボをやってたり、ハナマサに食材を調達に行くだけでそこがアニメの聖地だったりする。風邪気味になって最寄りのドラッグストアに行けばなぜか隣でアイドルが踊り、ファンが大声援を送ってる。もはや何をするにも秋葉原文化がついてくる。
そして就寝。秋葉原の中で布団に入るこの素晴らしさは何事にも代えがたい幸福だ。外から聞こえる騒音だって、今の秋葉原の音だと思うとなんだか安心して眠りにつけそうな、そんな心の落ち着きが得られるような気がしてしまう。
さて、昨年秋葉原に引っ越した私であるが、もうこれが最高すぎて毎日のように興奮している。ここで私が言う秋葉原はもちろん東京都が定義する秋葉原エリアのことだ。過去にcyberglass氏が秋葉原に住むメリットを挙げた記事を書いていたが、氏が住んでいた外神田6丁目は秋葉原エリア周辺の住宅街といった趣があり、やはり「秋葉原の中に住んでる」とは言い難い。秋葉原に住むなら妥協せずにここは秋葉原の中だ!と言えるところに住むべきというのが持論。秋葉原の周辺には住んだことはないけど、たぶん満足度はかなり下がっていただろうと思う。マンションの廊下や部屋の窓から見える風景が秋葉原、エントランスを出ればすぐにいつものあの風景、吸っている空気も秋葉原かどうか。この差は自分にとってはかなり大きいと思われる。
秋葉原エリア内は商業地なだけあって、そもそも住める物件を見つけるのが難しいし、ましてや自分の予算や条件に合ったものを探すのはさらに難しい。でも秋葉原に住みたくて数年間探し続け、ようやくここぞという住処に巡り合えた。臨海エリア、お洒落な街並み、落ち着いた高級住宅街はいくつかあっても、秋葉原らしいところは世界探しても秋葉原以外にないと思っている。多様なヲタ文化にあふれた聖地に住みたい人の目標は明確だ。
みんなで秋葉原に住もうぜ。
最近、秋葉原界隈の企業や店舗に、以下のような文書が出回っている。
さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル「秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。
平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社「株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である「世界の秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。
しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。
つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。
当社は、現在、上記ビルの建替工事を実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます。
まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。
一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社「株式会社秋葉原ラジオ会館」から出された正式な通達だ。
この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社が存在し、今年の頭までは本家が分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。
今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。
文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初の高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。
詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ「秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在が必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会い、GHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビル「ラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである。
ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館の歴史を語る上で重要なアイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。
そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ・無線、パーソナルコンピューター、アニメ・フィギュアの興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原を象徴する必須の存在となっている。
しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家「株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本のポップカルチャーが世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャーの聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原を象徴する存在である「ラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。
そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。
当初、「第三者」は別の目的で本家にアプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館のテナントに対し、ビルの老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。
さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルのテナントに対する退去要請である。ビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキルが必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。
しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。
東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。
そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。
実は「第三者」は過去、アニメやマンガ、フィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュアや書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者が最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆どの人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。
話を元に戻そう。ある時から「第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。
ひとつのきっかけは、ある有名企業の代表が冗談で発した言葉にもあった。
「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」
そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。
そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫。
「第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館のブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。
東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月、分家である株式会社ラジオ会館が設立された。
初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネスを成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どのメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。
株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館のテナントを中心にしたECモール「ラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。
さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算の殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。
「第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館だから秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家の逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算、ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。
秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係の人間に補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原の店舗やオタクへの悪口のみならず、ラジオ会館のテナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。
そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモール「ラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。
何故、今年の1月に契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンとニュースサイトは商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。
そうした状況を踏まえ、本家は7月20日の新生ラジオ会館のグランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。
通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?
以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。
発生現場付近で
○ 事件を目撃した
方は、どんな些細なことでも結構です。
03-****-0110 内線****、****、****
まで、ご連絡ください。
捜査にご協力をお願いします。
東京都千代田区神田から台東区上野に至る一帯が秋葉原と呼ばれる。行政区画としての秋葉原はもっと狭い範囲を指すのだが,一般的な認識としては,JR秋葉原駅を中心に,メトロ銀座線神田から末広町までのあたりを含む地名と言えるだろう。本メモでもこの広義の用例にしたがう。
JR山手線によって内神田と外神田に分割され,またそれと交わる神田川によって各々2分割される。だいたいこの4区画で考えるとわかりやすい。地図上でJR秋葉原駅を原点にみたてると,第1象限が佐久間町,第2が電気街,第3が須田町で第4が岩本町となる。オタショップやメイド喫茶などいわゆるAKIBA的なものは電気街に集中している。他の3つはビジネス街で,繊維や食品など軽工業のオフィスが群立している。
JRと日比谷線の秋葉原駅に加え,都営新宿線の岩本町駅が利用可能。また銀座線の神田・末広町駅も徒歩圏内にある。つくばエキスプレスの発車口でもある。どこに行くにしても交通の便は悪くない。
区役所は九段下にある。所轄警察署は万世橋。高い密度で交番が設置されており,徒歩やパトカーによる警察官の見回りも頻繁にある。公立小学校は昌平・千代田・和泉と3校あり,いずれも幼稚園併設。これらは教育時間外は住民に開放され,プールや教室として利用される。公立中学校は秋葉原内にはない。公園や広場といった運動用の施設については総じて乏しい。神田に区立体育館があり,水泳や武道がおこなわれている。岩本町には老人保養施設がある。
数字としての治安は悪くないが,電気街方面は休日ごとに奇抜な若者や外国人であふれ,若干の不安要素がある。事実,以前は空気銃の乱射事件などがあった。風俗店が軒を連ねており,屋外にまでパンツ絵を掲げていたりする。家族連れが住むにふさわしいとは言えない。4区画の中では岩本町がもっとも落ち着いている。
賃貸物件が絶対的に少ない。つまり選択肢が少なく,競争率は高い。家賃はワンルームから1Kでだいたい9万前後。好条件の部屋であれば10万は覚悟しておく。それ以上のグレード,たとえば家族向けとなるといっそう競争が厳しくなっていく。貸し手が強いため敷金礼金については交渉の余地が乏しく,2ヶ月ずつきっちりとられてしまう公算が高い。ただし,小金持ちが投資目的で運用している貸し部屋が多く,そうした物件では話の流れでどうにかできることもないとはいえない,かもしれない。
衣食ともに問題がある。ともに店が少なく,価格が高い。生鮮食料品を買うならUDX1階のワイズマートか,蔵前通りのハナマサ。ハナマサは24時間営業だが現金しか受け付けない。どちらも単価に地代が上乗せされており,郊外のスーパーでの価格が念頭にあると驚かされる。山崎製パンの本社があるためか,デイリーヤマザキが高密度で展開されておりコンビニには不自由しない。岩本町から神田にかけての一帯はかつての繊維街で,紳士服の小売店がいまだに残っているが,若者がカジュアルに着つぶせるような服がほしければ上野まで足を伸ばしたほうがいい。秋葉原からアメ横までは徒歩20分くらいで行ける。
家電製品に困ることはありえないが,机やタンスなどふつうの家具は入手しづらい。通販で購入するのが妥当か。日用雑貨については,電気街のドンキホーテとJR秋葉原駅の無印良品でどうにかまかなえる。書店はヨドバシAKIBAの有隣堂と神田川沿いの書泉が使える。
私はヌルい半オタで,秋葉原に住むようになったのは仕事上の都合によるもの。住み始めてから変わったことといえば,だんだんオタ趣味から遠ざかりつつあること。
祝祭空間としてのAKIBAに住んだからといって,毎日がお祭りになるわけではない。電気街の喧騒がだんだん嘘っぽく感じられてくる。美少女がにっこり笑う看板の下に山と積まれたゴミ袋,閉店してシャッターを閉めるときの店主の顔,そういったものに目がいくようになる。生粋のオタクで毎日AKIBAに通っています!というような人でも,自分の信仰を守りたければAKIBAに住むべきじゃないと思う。
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。