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2016-01-24

東京に住んでる人に聞きたい

田舎からたまに東京に出かけるときがあるのだが、

あのなんとも言えない感覚はいつまでも残っているものなのか?

大勢の人が街を歩いて、ビルの小さな一角を隅々渡るまでお店が出店されていて、お金を稼ごうとしている。

その街を歩く感覚がなんとも言えない。 そこに大勢のひとが歩くのも。


こっちじゃ、一店一店、敷地にお店と駐車場がセットになってて、お店の尊厳?的なものがあるけど、

そこには感じられなくて、なんかすごくつらい。


うまくいえないが、あのなんとも言えない感覚は今でも残っているのか?




いつまでも続くものなのか?

2015-12-13

みんな戸建。

Zさん:近所数件ともめている人。配偶者あり。有職者。

A~Kさん:うちを含めた近所の人間(重複あり)

  

Zさんの家には防犯カメラ複数ある

 1台は近所が出入りする様子がすべて見える。Zさんいわく、これは本物。

 Aさん宅のリビングが丸見えになるカメラもあれば、Bさん宅の台所を向いているのもあれば、Cさんの玄関を向いているものもある。

  

車に関連すること

 境界線ギリギリに駐車し、ミラーをたたまない為、ミラーがDさんの家の敷地に入っている。

 車庫のセンター付き外灯はZさんが納得しないお宅には苦情が入る。

 子供自転車に乗せ運転中のEさんの脇スレスレをZさんの車、Eさん道路外に落ちそうになる。

 Fさんのお子さんの脇スレスレを猛スピードでバックするZさんの車。

  

キーレスエントリーによる自宅内からの車操作

 Zさんが在宅しかつGさんが出かけたり帰宅する→Zさんの車のエンジンがかかるかキーの開錠・施錠による操作音。

  

Hさんの宅の帰宅に関すること

 平日の夜、Hさん宅が全員帰宅するまで、Zさん宅の2階の窓はカーテンを閉めず照明がついている。毎日

 土日祝の夜、Hさん宅が全員帰宅するまで、Zさん宅の2階の窓はカーテンを閉めず照明がついており、1階はカーテンを閉めるもシャッターが開いている。

  

音に関すること

 Zさんの在宅時、周辺でちょっとした工事(1時間もかからないものでも)でも挨拶等をしないと苦情。

 Zさんの家の工事で音が発生するような場合でも断りはなし。

 Zさん周辺の家は子供を遊ばせると苦情がくる。自宅の庭でも苦情がくる。

  

子供関係

 Iさんが自宅の庭で子供を遊ばせる→じっとこっちを見ている。かつ苦情。

 育成会のラジオ体操がZさんの家からそう離れてない公園で行われる→苦情。町内に大きい公園がなく、隣の町にて行われる。

  

その他

 Jさんが市役所相談する→相談しただろうという紙がポストに入る。

 Kさん自治会関係で苦情をいう→こっちはお金を払っているんだ、文句を言うなという。役員病気からとやらない。

 苦情は、ほとんどその家の旦那さんがいないときに奥さんに言う。

  

もう10年ぐらいになるのか。

2015-11-18

体験談を書いてみる

国立スタジアム周辺での爆破についてー体験したテロ

これ、現場にいました。しか試合観戦サイドではなくて、外にいました。

はい、爆撃の渦中の中でした。本当に怖かったです。

はじめは待ち合わせ場所だったGゲートと同じ通りにあるレストランが爆発しました。

13日の昼にアルビンヴァンサンとスタジアムで落ち合う約束をして寮をでた。大学敷地として、saint deni やplayel を取り上げていて、自分にとっては割と身近な場所と感じていた。stade de france-daint-denis駅に到着して、時間にはもちろんセウトで、いつもどおり急いで待ち合わせ場所のゲートに着いた。時刻は2033分。しばらく辺りの様子を観察して、記録を残した。

8時50分ごろ。彼らから連絡を受けた。交通渋滞で遅れているから待っててと。いかにもフランスな感じを感じながら遠方からくる彼らに労いの言葉をかけられた自分を少し褒めていたりした。間髪いれずにエミリから謝罪電話をもらう。エミリスタジアムに行けなくなった事やTVでは見てるから一緒に観戦はできる事、ついでに今年のクリスマスの事や”国費”の機会を得てフランス留学できたことなど近況の報告もして、いつもどおりに電話を切った。

待っていることに慣れていない私は、cゲート前でケバブを買い、gゲート横で食べ、それでも時間を持て余したので、Iゲートの先辺りに向かって当てもなく歩いた。21時20分頃、はじめは待ち合わせ場所だったGゲートと同じ通りにあるレストランが爆発した。試合開始の花火だと思ったが、バーンと地を這うような低音が音が耳に刺さり肩をすくめた。「きっと爆撃もこんなもんなんだろうか」と最近みた「アメリカン・スナイパー」を思い出していた。ただ、その爆音がした方向からどっと逃げてくるの人々を見て、只事ではない事がわかった。

状況を把握するために、Gゲートへ戻り自分とその場所の間にゲートのレンガ壁を置きながら、脇からのぞくように伺った。立ち止まって振り返る者とそれを遠ざける警備員の奥100mあたりでは交通整理に当たっていた警察が一斉に集まりレストラン周辺にバリケードを作り始めた。

まだ写真を撮る余裕がありました。しかし間髪入れず、体感で5分くらいであたか、21時30分に、自分の真後ろでさらに爆破。耳に刺さる爆音に肩をすくめた私とは対照的危機感を覚えて叫びながらその場から逃げる人々と逃げ道を示唆する警備員がいた。背中を押されるようにしてその場から私も逃げて、スタジアムからひとブロック先の通りに出た。振り返るとhゲート脇のATMらしき機会の傍から煙が上がっていてそれは、さっき自分がいは場所から30mと離れていない様に思えた。すぐにここにも警察が集まったためにそれ以上よくは見えなかった。何故か「集団で居るほうが危ない」と咄嗟に考え、急いで逃げることはしなかった。また人だかりも避けるようにして絶えずスタジアムの方を気にした。同じような行動をとっている人と目が合い「what is happn?」と聞いたが完全に無視された。素直にショックだった。私は、スタジアム内の状況を知りたかったためエミリ電話をかけ、状況の説明して試合の進行状況を聞いた。これからくる彼らとの合流を考えて、エミリに連絡の橋渡しを頼んだ。その後、スタジアムから離れたファストフード店で落ちあうことになった。移動中のエミリとの電話のおかげで意外と冷静だった。何度も「こんな目に合わせてしまってごめん」と謝る彼女を慰めるために余計なことを考えなくて済んでいたのだと思う。警備員を捕まえては道を聞き、ファストフード店を探す様は、映画のワンシーンに居るような夢見心地のように感じた。横を通り過ぎる救急車内の忙しさはその陰が語っていた。

どこが安全かの検討も付かなくなった。

高速道路の下をくぐり、集合場所ファストフード店にいってみると既に何かがあった後のようで、人だかりがあった。友人が見当たらないかわりに電話が鳴り、私が集合場所に着いたと伝えると彼らは、どっかのホテルロビーに居ると言った。しかし、それ以上コニュニケーションが取れない。もう焦っている彼らの会話もこちらの会話も通じなかった。電話をしながら横目に対向車線に車がとまったのがみえた。そして、爆破。その距離およそ20または30mほどで、耳に刺さる音が骨に響いて反射的に膝と腰をたたんで体を小さくした。爆破の瞬間に周辺の電気が消えて、パリンッとガラス割れた音が聞こえた。同時に複数名の悲鳴も聞こえた。体を起こしながら、車の方に目をやると、トランク辺りが爆発していたのと周辺に倒れている数名の人が見えた。暗かったため詳しくは見えなかった。心臓の鼓動をいつもより強く感じて、蜘蛛の子を散らすように逃げる人々をみて、どこが安全かの検討も付かなくなった。しかし逃げるしか他はなく、元来た道をもどるように逃げた。高速道路の下をくぐり終え振り返ると、自分よりも遠方に立っていた人々が各々に負傷した箇所(足や横っ腹)を押さえながらこちらを目指していた。爆撃で人は本当に死んでしまうのだと理解した瞬間だった。「shit!」と悶絶しながらそれでも逃げようと体をひっぱている姿に「何かできないか」と思ったが、体が一歩も戻ろうとしない。逃げるほか「助ける」なんて考えは一つも持ち合わしていなかった。さらに信じられないことに、高速を挟んで反対側で起きた惨事ほとんどの人が認知していないことだった。周辺を警戒していた警官が数名その現場に走っていくだけで、いまだにその方角に逃げようとする人がいるくらいだった。私は、そのうちの何人かに「un explosion, Voilà.(今あっちで爆破があった)」と拙い言葉で伝えるくらいのことしかできなかった。その後、全く駐車がない空き地を見つけてその場に座り込んだ。体中に何度も鳥肌が立った。怖かった。

その時やっと、合流できなかった彼らやスタジアム試合を観戦している別の友人を初めて心配した。

この時もすぐにエミリに連絡を取って(本当に彼女感謝している)合流を諦め帰宅を決心した旨を伝え、彼らにもその旨を伝えて欲しいと伝えた。少し呼吸も落ち着いて、この周辺がもともと大学調査敷地だったので周辺の土地勘があった。来た時の最寄り駅は、爆破現場を通らないと帰れないため遠回りして戻ることを考えて立ち上げり歩き出した。少しして川を見つけた。この周辺を川が囲んでいることをを思い出し、wifiが使えないため雑なGoogleマップ片手に川にそって歩けるものか考えたが歩くには少し遠すぎた、同時にla paine stade france駅があると探してみるとパリの街中を歩いていた感覚から行くと徒歩で20分強で、十分歩ける距離だと判断し最短距離を探した。その時に車が爆破した地点が傍である事がわかり、地図に爆破現場をぷろっとすると、スタジアムからその駅の方へ向かって爆撃が起きていたように感じ、最寄りの駅は近づけず、そこから南に感覚で一時間ほど歩く別の駅へと向かった。道中は可能な限り川に沿って、遮蔽物はないが車も殆どなかったため私はその道を選んだ。川を挟んだ反対側ではいつもと変わらないであろう静寂が広がっていた。中継のヘリコプター救急車パトカーの音がどんどん遠くに感じるが、ずっと鳥肌をたて、自分を落ち着かせることに必死だった。普段なら絶対に通れない街灯のない道も何の躊躇もなく歩きながら、その時やっと、合流できなかった彼らやスタジアム試合を観戦している別の友人を初めて心配した。その後は無事帰宅して、爆撃は組織された別のテロの一部であったことがわかった(自爆テロ(=kamikaze)は失敗に終わったいたらしい)その日の夜は、事件情報を集め、日本と連絡をとり安否の報告、現状をFB投稿して朝の7時頃にやっと寝た。

まだぼんやりとあの場から歩を進められていないような気がする。

日経つと、あの夜に友人が怪我をして入院していたことや大学先生が命を落としていたことが分かってきている。あの夜から考えることとやらないといけないことがどっと増えたと感じている。今もまだ浮き足立っているのは確かで、ちゃんと地に足が付いている気がしていない。もちろん友人と笑ったり冗談を言ったり日常普通に楽しんでいる今がある。どうやってこの状況を改善するか考えるよりも、どうやったらこういう状況が生まれなくなるかを自分は考えていくべきではないかと思え、それは自分の目指していた目標に力を与えてくれている。今は少しでもしっかり勉強してそのミライを作ることに集中したいと自分に語っている。

ただ正直に言うと、ずっと鳥肌が立っていた帰り道でさえ、あまりしっかりと実感していない。自分の命がどれだけ危なかったのか、どれだけ幸運なことであったのか。頭ではハッキリと理解しているが、心ではちょっと違う。耳に残るあの刺激音とすくめた肩の感覚。頭と心が一致せず、考えが散漫になっている。まだぼんやりとあの場から歩を進められていないような気がする。

2015/11/18編集

11月 18th, 2015

2015-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20151112073744

海外ドラマだと、大学のあまり使われてない建物を借り切ったりしてるらしい。

華やかさの薄い役所っぽい雰囲気とか、大学敷地内なので建物周囲も含めてアレンジがしやすいとか、大学側としても、有名ドラマ舞台としての「聖地化」で人を呼び込めたり、稼働率の低い建物収益源になったりなど、需要供給合致やすいらしい。

2015-10-31

天皇の位置づけについて

(「天皇要らなくね?」という人に向けて書いているので、適切でない表現には目を瞑ってほしいと思う)

天皇世界的に見てエリザベス女王よりも偉いといわれる。

これはエリザベス女王が席を譲った話があるからであって、別に上下関係を明確にされてる訳ではない。

しかし、少なからずそれぐらい世界的に見ても敬意を払わなければならない人物であるという事だ。

これは他国首相などが握手をしている画像を探せば色々と参考になるものが出てくるだろう。

トラックバック日記を書いた人(anond:20151031195623)は知らないかもしれないが、

エリザベス女王は、イギリスではなく、EU全体を統べる女王だ。

その女王が席を譲る人物とはどれほどのパゥワーを持っているのだろうか。

天皇がどれほどの外交力を発揮するかというのは説明するまでもない。

核兵器で武装するよりも遥かにコストパフォーマンスの良い外交カード、それもジョーカー。それが天皇だ。

天皇というシステムがこの日本に無かったら外交がどう変わるだろう。

少し考えると「あ~、いや……あ~、影響あるかもな~~」と思ってもらえれば幸いだ。

それだけの人物であるからこそ英才教育必要だし、そういう旨を含めると、天皇は「模範的国民象徴であると捉えるのが正しいだろう。

仮に国民の8割が万引きをした事があれば天皇万引き経験するべきか?といえば当然NOだ。天皇模範的でなければならない。

そして、天皇毎日ステーキを食べているわけでもないし、敷地の中に寿司屋料亭があるわけでもない。

環境こそそこそこに整っているものの、衣食住に関してはむしろ都内一戸建ての家庭よりは貧しいかもしれない。

そんな天皇をわざわざ軽んじて「もっと貧しい生活しろ」だの「税金無駄遣い」だの言うのは良くないというか、

ただ卑屈になっているだけなのでは? と思ってしまう。

全く政治天皇に興味がない人も「へー、天皇ってツエーんだな」とでも解釈してくれれば割と好感が持てるのではないか。

そうやって国民から支持を集める、世界に通用する日本ジョーカー天皇だ。

天皇を敬え」といって来る人は怖い人かもしれないので避けた方が良いが、少なくとも敵視するほど穀潰しなわけではないので

「偉そうに扱われてるのが気に入らねえが、コスパは悪くねえ。消すのは最後にしてやる」程度に敵意が軽減すれば幸いだ

2015-10-30

母がクズすぎて辛い

家計は母が管理

母は父の収入から父の小遣いを引いた残りを生活費の支払いにあてている。

それでも足りない分は母の収入から払っている。

母はそれを「私の収入から払ってあげている」という認識でいる。

父の収入は一部を除き家族の物であり、母の収入は母の物と思っている。

母の収入しか残らないため、当然貯金も母の貯金と思っている。

その結果、どのような事が起こるか。

何か大きな支出を伴う物、例えば車を買ったとする。

そうすると、母の貯金で買ったのだから車は母の物だと思っている。

父が運転するときは「善意で使わせてあげている」という認識でいる。

専業主婦を一部口の悪い人たちは寄生虫と例える事があるが、母はそれ以下のクズに思えて仕方ない。

因みに母は定年を迎え仕事をやめて数年が経過しているが、まったく変化は見られない。


それを父が許容しているのならば夫婦間の問題で息子である私が口を出す問題ではない。

しかし父は一切その認識を許容していない。

父は仕事だけしているわけはなく、平日の朝食や休日の昼食夕食を作る等の家事は行っている。

仮に母が家事全てを引き受けていたとしても、この認識を許容できる人はそういないだろう。

それどころか母は料理掃除が人並み以下でどうしようもない。

ただでさえ狭い家は母の私物であふれかえり、全ての部屋は床が半分無くなるほどに山積みにされている。

その上で掃除洗濯料理などを父や息子に手伝わせるという悪質さである

母がやったらやったで「やってあげた」と本当に口にするから恐ろしい。

あんたたちが気付かない無神経だからやってあげて疲れた」は何度も聞いた口上である


はいえ、父に問題が無いわけではない。

まず収入が圧倒的に少ない。

父の収入だけで家計が賄え、貯金もできるほど稼いでいれば両者共にもう少し寛容になれたであろう。

母が共働きで働く必要も無かった。

次に父の性格である

面倒事からすぐ逃げ、逃げられずに頭に来るとキレて怒鳴り散らす。

怒鳴り散らすが母はまったく意に介さず、不機嫌になって嫌味を言う性格なので酷い事になる。

大体家計問題なんか結婚する際に話し合っておくべきで、それから父が逃げたのだろう。

結婚自体世間体を気にしての逃げだったのかもしれない。

それが全ての元凶である

最後家族に難があった。

現在実家現在は亡くなっているが父方の祖父母の家が建っている借地の一部に建っている。

これは祖父母の意向であった。

その実家敷地面積は8坪である

少し変則的な形の借地ではあるが、借地全体の1/10以下である

その狭さ故に二階建てなのに間取りが2DKである

その上、祖父母の為に建てたとも言えるのに一円も援助は無かった。

流石に地代を払えとは言わなかったものの、この件で母と祖父母の関係は最悪となった。

更に車を購入する際も父が祖父母を送るなどあるだろうにそちらも援助は無かったため、母は激怒した。

父が祖父母のために車を使うことを強く反対し、その度父と母は喧嘩となった。

私が結婚と車に無関心になった原因の一つは間違いなく両親だ。

もう祖父母は亡くなったため、借地を利用して家を建てる事ができるかと思いきや、実家に父の妹(独身)が住み着きどうしようもなくなっている。

因みに遺産葬儀を行って赤字になるほどしか残ってなかった。


以上の事から、私が幼少の頃から週末は必ず夫婦喧嘩が始まると言っても過言ではないにぎやかな家庭であった。

今でもわけがからないのは、少し時間が経つと何事も無かったかのように会話を始めることである

次の日になるといつも通りの行動を行っている。

父は面倒から逃げるタイプで、母は何事にも責任があるとは思わないタイプで人の気持ち理解しようともしない無神経なタイプなのでそういう事になっていたのかもしれない。

両親がこんなだから私は無事に人間不信になりました。

そんな両親から私が今まで離れなかった理由は、何かしらの原因が解決すれば何とかなるんじゃないかと期待していたからです。

私が稼ぐようになればとか、母が仕事を辞めたら家事をやるんじゃないかとか、父と母がよく話し合えば解決するんじゃないかとか。

その全ては間違っていました。

根本性格認識が父と母で大きく異なっているため、何があってもこの問題は解決しません。

私が父の立場ならとっくに離婚していると思うのですが、私が自立した後も面倒事から逃げる性格から毎日嫌な思いをしているにも関わらず離婚しません。


先日、母が父に無断で車を買いました。

私は一応事前に知らされていました。

絶対に面倒な事になるから反対。あなたがそれを回避できるのなら良いよ」と私は母に言いました。

購入後ですが納車前に母は父に話しました。

父は「今度は私も乗って良いんだよな?」と聞きました。

母は「良いよ。前はあなたの両親が……」とまたいつもの話が始まるので父が制しました。

しかし母が貯金から出して購入した車は家族の車である認識しているようで私も父も安堵しました。

翌日、もう一度父は「家族の車だから私も乗って良いんだよな」と言いました。

父は酒のせいか少しボケているのか同じことを何度も言う癖があります

からの返答は以下でした。

「乗っても良いけどあれは私の車。燃料代くらい出しなさいよね」

あ、駄目だ。

何もわかってない。

私は実家から遠いところに引っ越し、今後極力関わらないようにすることを決意しました。


以上、取り止めも無い愚痴でした。

特に何か知りたいわけでも伝えたいわけでもないですが、こんな糞な親も存在するんだよと何かの教訓になってくれれば幸いです。

私と同じような境遇の人は若いうちにさっさと逃げたほうが良いです。

2015-10-26

娘が大学入学を機に一人暮らしはじめるんだからさ、もう少し防犯意識について教えてくれても良かったのにって思うわけ。

そりゃ大学お金かかるのは分かるよ。仕方ないよ。私立だし。更に生活費家賃まで。すごい額だったと思うよ。

から洗濯機が室外に置いてある古いアパートの一階の部屋になったことも仕方ないと思う。うん。

家賃は安いし、駅からそこそこ近いし、大家さんの敷地内に建てられたところだったし。

だけどさ、一応女性一人暮らしってカテゴリーに入るわけで、それって一般的に狙われやす立場なわけで、親として防犯意識を植え付けさせてほしかったなと思うわけなのよ。

こっちは今まで田舎でのほほんと女子高生やってたわけで、自分が後つけられたりのぞかれたり不法侵入されそうになったり、そういうことされる対象だってこと全く頭にないわけ。男性目線ですら全く無自覚だったわけ。ナンパされてびっくりするくらいだったわけ。え、私ナンパされるような年齢になったの?って。男の人たちからそういう対象に見られてるの?って。

かろうじて危ない目にはあわなかったけど、それはたんに運が良かった話であって(いや、尾行のぞきをされてる時点で危ない目にあってるか・・・)、お風呂上りバスタオル姿のときにドアノブガチャガチャと鍵が開けられそうになったときはさすがに恐怖を感じたよ。あの時早めにシャワー切り上げておいて本当に良かった。

からね、親のほうから少しでも忠告があれば、私も意識が違ったんじゃないかなと。一言もなしなんだよ?母親って娘のそういう心配しないものなの?娘が年頃の女性になっていくのを認めたくないものなの?それともたんにうちの親がそういう方面心配なんて全く頭にないだけ?

・・・・多分考えても無かったんだろうな。自分が歳を重ねていけばいくほど、私の母親ってそういう人だったんだなぁ、という軽蔑というような諦めというような悟ったような気持ちになる。

2015-10-19

屋根の雪が敷地はいってこないようにしてくれとかふざけんなババア

屋根の雪がうちの敷地に入らないようにしてくれと文句を言われた。

ここは雪が多くも少なくもない田舎豪雪地帯ではない。

隣人との距離は1mくらい。隣人は80代のババアひとり暮らし

屋根にあがって雪を降ろせというのか。

業者を呼んで隣に一切雪が入らないようにしろというのか。

屋根に柵かなにかを設置しろというのか。

豪華で高級な庭木があるわけでもないくせに。

屋根の雪がどのタイミングで崩れて隣に入るかなんて

気を使って生活したくねえ。

センチ積もった雪がうちのせいで家が崩れるっていうならまだ文句つけてくるのは理解できるがよ。

はよ氏ね

2015-10-18

「やる」「やらない」

やる夫やらない夫って懐かしいよね、今じゃすっかりまとめサイトの印象持たれてる感じ

もともとどうでもいいことを言わせるようなキャラクターにはうってつけの職(?)なのかもしれない

比較的どうでもいいことを考えているとき、「やらない」を選択した後に再度「やる」「やらない」で検討することがある

これを帰納法的に考えると、「やらない」→「やらない」→「やらない」→...ってなる確率は0に近づいていく

私はこの現象を「どうせやる現象」と名付けた

まあ誰が言ったか、やらずに後悔するならやって後悔しろってね

誰が言ってたかも知らないんだけども

閑話休題

応用情報技術者試験を受けてきた

試験会場は神奈川の山奥、敷地から一歩踏み出せば歩道には生い茂る木、さらに張り巡らされた蜘蛛の巣、引っかかりもがく虫

昼食の調達が非常に困難であったことを除けば結構落ち着く場所だった

河原に大きな公園もあり、さらに少し行けばリハビリ病院なんかもあるらしく、納得の田舎といったところ

一応説明しておくと、応用情報技術者試験は午前と午後に分かれている

午前は比較文章量の少ない4択問題が80問

午後は1題の問題文だけで2P~5P程度を割いている超長めの文章題必須1問と選択10問中4問、記述式回答

いずれも60%の得点合格となるが、全体の出来が悪い場合得点底上げがあるそうだ

私は長文を読むことがそんなに嫌いじゃないので、午後の方が得意だと感じる

既に書いている文章が長文となりつつある

さて、試験を受けたからには結果がついて回る

午後は自分の得意な問題を選ぶことができたはずなのでおそらく6割は下らないのではないだろうか

私にとって問題となるのは語句意味を答えるような問題ばかりの午前だ

言い訳をしておくと、試験対策ほとんどしていなかった

時間はいくらでもあった、やる気がないのだ

正直どうにでもなるだろうと思っていることに対して本気になれない

実際はどうにでもなっていないことの方が多いのが余計にタチの悪い部分であるが、この性格はいつか治るだろうか、いや、治らない

この午前試験予備校独自解答のようなものは、試験日の15時頃に公開されるようだ

まり既に公開されており、おそらく私はそれを用いることで午前試験の採点を行うことができる

これによって、80問中48問の正解を掴み取れていればサクラサク、47問以下であればサクラチルといった結果が得られそうだ

さて、私は極端に自信のないこの午前試験の採点を「やるべきか」「やらないべきか」

といったところで、冒頭に戻ることとなる

まりさっさと採点した方がよさそう

他力本願だけど一言だけ、サクラサケ

たのむ

2015-10-06

H23行政法

感想

・結局8時間かかった。途中で紙に書くのをあきらめてPCで打ち始めた。

・全体的に誘導分かりづらすぎ。上位答案も把握しきれていないのがほとんど。

・設問1については通達が「関係法令」(9条2項)に当たらないことを前提にして、それからどうすんの?みたいなとこを聞きたかったらしいけど、中原行政法に書いてない時点でりーむー。上位答案も書けてない。

・設問1書きすぎた。どう削ればいいのか要検討。

・設問2(2)はほんと難問。『行政法ガール』の参考答案さえ誘導に乗れてない時点で無理。上位答案がどこまで書いてんのか要検討。

・設問3はほとんど力尽きてどうでもいい記述になってる。

設問1

1. X1原告適格

 「法律上利益を有する者」(行政事件訴訟法〔以下「行訴」と略す〕9条1項)とは、当該処分により自己権利若しくは法律上保護された利益侵害され、又は必然的侵害されるおそれのある者をいう。そして、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たる。

 そして、上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては、行訴9条2項に規定されている考慮要素を勘案することとなる。

(1) 「当該法令趣旨及び目的」の考慮

(a) 本件許可によってX1は、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益侵害されると主張することが考えられる。

(b) モーターボート競走法(以下「法」と略す)1条は、同法の目的が「海に囲まれ我が国の発展」、「公益の増進を目的とする事業の振興」、「地方財政改善」にあるとしている。

この目的規定からは、法科大学院Sの静謐教育環境保護する目的は窺われない。

(c) 本件許可要件を定めたのは法5条2項・モーターボート競走法施行規則(以下「規則」と略す)12である。この規定は場外発売場の「位置」「構造及び設備」「施設及び設備」について抽象的な基準を定めているだけであり、規律内容は詳細とは言えない。

もっとも、規則12条1号は場外発売場の位置が「文教上・・・著しい支障をきたすおそれのない場所であること」を要件としている。文教とは文化教育のことであるから、同号は場外発売場により周辺の教育環境に支障をきたさないよう配慮していると言える。

(d) 規則11条2項1号は、場外発売場の設置許可申請に際し、申請書に場外発売場付近の見取図を添付するよう求めている。しかもそこには周辺1000メートル区域内にある「文教施設」の位置及び名称を明記することを求めている(同号括弧書)。この見取図は、国土交通大臣が、場外発売場が周辺の文教施設に与える影響を審査するために必要となるものであり、そのために添付が義務付けられていると解される。したがって同号は、法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとしていると言える。

(e) 法4条5項は、国土交通大臣が場外発売場の設置許可に条件を附すことを認めている。その要件国土交通大臣が「必要があると認めるときとあるだけである文言抽象から言って、周辺教育施設への影響をこの要件判断考慮することも可能と言える。したがって、同項は、法が法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとしていることと矛盾しない。

(f) したがって、法は目的規定にこそ掲げていないが、法科大学院Sの静謐教育環境保護しようとする趣旨であると解される。

(2) 「当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質」の考慮

 (a) まず、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、生命・身体・財産といった高次の利益に比べてその重要性は劣後する。

 (b) 法科大学院Sの静謐教育環境侵害する原因となるのは、まず場外発売場から発せられる騒音であるしかし、場外発売場と法科大学院Sとは400メートル離れていることから、この騒音もある程度減衰するとの反論も考えられる。

しかし、場外発売場は、多数の来場者が参集することによってその周辺に享楽的雰囲気喧騒といった環境をもたらす。特に本件では、P駅から来た来場者は県道を通って場外発売場に向かうことになるが、その際、県道に面した法科大学院Sの前を通ることになる。その結果、法科大学院Sの周辺には享楽的雰囲気喧騒といった環境がもたらされることとなる。法曹養成という目的の下、学生全員が静謐環境下で勉強することが求められる法科大学院性質上、教育環境に対する悪影響は甚大である

 (c) 本件施設が場外発売場として営業を行うのは1年間に350日であり、ナイターのない日は午前10から午後4時頃まで、ナイターのある日は午前10から午後9時頃まで、来場者が出入りし続けることとなる。

 しかも、本件施設敷地面積約3万平方メートルという大規模施設であり、700台を収容する駐車場が設置されることを考え合わせると、本件施設の来場者は多数人に上ることが予想される。

 そうすると、本件施設へ多数の来場者がほぼ一年中昼夜を問わず法科大学院Sの前を通ることとなる。その結果、法科大学院Sの静謐教育環境は絶えず侵害され続けることとなり、その侵害の程度は大きいと言える。

 (d) したがって、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、生命・身体・財産匹敵する高次の利益とは言えないもの重要利益である。また、本件施設によりその利益侵害される程度は大であるということができる。

(3) 結論

 以上の検討により、法科大学院Sにおいて教育をする際、それを静謐環境下で行うことができる権利利益は、法律上保護された利益に当たるということができる。また、本件認可はこの利益を害するということができる。

 よって、X1は「法律上利益を有する者」に当たり、原告適格が認められる。

2. X2の原告適格

 X2は「法律上利益を有する者」に当たるか。

(1) 「当該法令趣旨及び目的」の考慮

(a) 本件許可によってX2は、静謐環境下で生活する利益侵害されると主張することが考えられる。

(b) 法1条は周辺住民生活環境について言及しておらず、ここにX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(c) 規則12条1号も周辺住民生活環境に支障を来たさないことを要件としていない。したがってここにもX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(d) 規則11条2項1号は、場外発売場の周辺の見取図の添付を要求している。これにより国土交通大臣は場外発売場周辺の住宅状況等を把握することもできる。しかし、文教施設及び医療施設と違って住宅状況については詳細な記述を求めていない。設置許可審査住宅状況を考慮に入れることが規則11条2項1号の主目的であるわけではない。したがってここにもX2の静謐生活環境を保護する目的は窺われない。

(e) 法4条5項が、X2の静謐生活環境の保護矛盾しないのはX1について検討したところと同様である

(f) したがって、法はX2の静謐生活環境を保護しようとする趣旨ではないと解される。

(2) 「当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質」の考慮

 (a) まず、静謐環境下で生活する利益は、生命・身体・財産といった高次の利益に比べてその重要性は劣後する。

 (b)  X2の静謐生活環境を侵害する原因となるのは、場外発売場から発せられる騒音である。場外発売場とX2の住居は200メートルしか離れていない。これは、騒音を減衰するのに十分な距離とはいえないから、X2に予想される騒音被害は甚大といえる。

 (c) 本件施設へ多数の来場者がほぼ一年中昼夜を問わずX2の住居の前を通ることとなるのはX1について検討したところと同じである。その結果、X2の静謐生活環境は絶えず侵害され続けることとなり、その侵害の程度は大きいと言える。

 (d) したがって、X2が静謐環境下で生活する利益は、生命・身体・財産匹敵する高次の利益とは言えないもの重要利益である。また、本件施設によりその利益侵害される程度は大であるということができる。

(3) 結論

 以上の検討により、本件許可により、X2が静謐環境下で生活する利益侵害される程度は大といえる。しかし、法にX2の静謐生活環境を保護する趣旨を見出すことはできない。

 よって、X2は「法律上利益を有する者」に当たらず、原告適格が認められない。

設問2(1)

1. 候補

 本件で考えられる訴えは、①本件取消措置差止めの訴え(行訴3条7項)と、②本件要求措置違法であることの確認の訴えである

2. 比較検討

(1) 適法とされる見込み

 (a) ①の訴えの訴訟要件

 本件で国土交通大臣は、要求措置にAが従わない場合、取消措置を執ることを検討している。この状況下でAは国土交通大臣に対し、要求措置に従う意思がないことを表明している。そのため取消措置が執られる蓋然性が高く、「一定処分・・・がされようとしている場合」(行訴3条7項)に当たる。

 取消措置がされた場合、その後取消訴訟等を提起して執行停止の決定を受けることなどにより容易に救済を受けることができるものではないことから、「重大な損害を生ずるおそれ」(行訴37条の4第1項・2項)があると言える。

 本件要求措置行政指導であり処分に当たらない以上、これの取消訴訟と取消措置に対する差止訴訟との関係問題とならない。そのため、補充性(行訴37条の4第1項但書)も認められる。

 本件取消措置の名宛人はAである以上、Aに原告適格(行訴37条の4第3項・4項)が認められる。

 以上の検討により、本件取消措置差止めの訴え訴訟要件を全て満たし、適法である

 (b) ②の訴えの訴訟要件

 ②の訴えの訴訟要件のうち問題となるのは確認利益である確認訴訟は不定型訴訟であり、最後の救済手段と考えられているから、補充性が要求されるのである

本件では取消措置に対して差止訴訟が認められることから、この補充性の要件を欠き、不適法となる。

(2) ①の訴えの実効

 Aは取消措置を受けるおそれを除去することを求めており、取消措置差止訴訟の認容判決が得られれば、国土交通大臣は取消措置を執ることができなくなる以上、Aの目的は達せられるといえる。したがって、①の訴えの実効性は高いといえる。

3. 結論

 本件でAは、①本件取消措置差止めの訴え(行訴3条7項)を提起することが適切である

設問2(2)

1. 本件取消措置適法性を論ずる前提として、国土交通大臣がAに対し執り得る措置範囲ないし限界検討する。

(1) 規則12条に定められた基準以外の理由許可拒否できるのか

 この問題は、Aが要求措置に従わないことを考慮して、許可拒否できるかという問題である。そこで、設置許可について国土交通大臣要件裁量が認められるかが問題となる。

 本件で設置許可基準を定めた規則12条各号は、場外発売場の「位置」「構造」「設備」「施設」に着目して具体的な基準を定めており、一般的な包括要件を定めていない。これは専ら「位置」「構造」「設備」「施設」について審査し、それ以外の点を考慮しない趣旨と思われる。そのため、国土交通大臣要件裁量を認めるとしても、「位置」「構造」「設備」「施設」と関係のない理由許可拒否する裁量までは存しないと解される。

(2) 通達に定められたことを理由にして許可拒否してよいのか

以上に述べた点に加えて、本件通達は法による委任を受けずに定められたものであるから、その性質行政規則である。したがって本件通達法的拘束力はなく、上述した裁量範囲を考え合わせると、Aが本件通達に従わなかったことを理由許可拒否することはできないと解される。

(3) 通達違反により許可の取消しまでできるのか

 設置許可の取消しについては法59条規定しているが、その要件は設置者が法58条2項の命令違反したことである。これは許可の取消しという、許可拒否に比べて強い効果を持つ処分をする要件を厳格に限定した趣旨と思われる。したがって、法58条2項の命令違反以外の事由を考慮する裁量は認められないと解される。

 したがって、通達違反により許可の取消しまですることはできないと解される。

設問3

1. 考えられる規定の骨子

 本件制度実効性を持つためには、T市長許可を得ていないにもかかわらず場外発売場を設置した事業者に、(a)罰則を与える規定、(b)場外発売場を強制撤去する規定必要である

2. 条例問題点

(1) 規定(a)の問題点

 条例刑罰規定を置くためには、地方自治法14条3項の要件を満たさなければならないという問題がある。

(2) 規定(b)の問題点

 ここには、条例行政上強制執行手段を創設することができるのかという問題がある。そしてこれは認められない。行政代執行法1条にいう「法律」に条例が含まれないからである。なぜなら、同法2条で「法律法律委任に基く・・・・・・条例を含む。以下同じ。)」とされていることの反対解釈から、そう解されるのである

2015-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20151003211725

うちの近所にもセンサーライト公道に向けてる家があるわ。

しかも三つついていて、その家の前をあるくと、追いかけるみたいに順番にライトが付いていくの。

自分敷地内ならともかく、道を歩いてる人間までそんな照らしていいものなのか。

ライトうざいぞ」みたいな苦情の手紙でも書いて、ポスト投函でもしてみようか。

2015-10-02

東大本郷キャンパスの居心地が悪い理由

Times Higher Education世界大学ランキングが今年も出て、東大アジア大学トップから陥落した。他の大学も軒並みランキングを下げている。文部科学省は、今後10年間で世界大学ランキングトップ100に我が国大学10校以上を目指すという目標を掲げて、スーパーグローバル大学創成支援プログラムなどを行ってきた。思惑と完全に逆の結果が出て、明日からいろいろと議論のあることだろう。

しかし、大学内部では、この結果にむしろ安堵している向きもじつは多いのではないかと推察する。

国が大学をいじろうとすると、ろくなことにならないという、大学内部の人々の見解が、外部から評価によってはっきりと示されたかである学位を持たない政治家文部官僚コンサルティング会社従業員が作ったエクセルファイルパワーポイントスライドが生み出したものは、国外大学評価からゴミとみなされてしまったわけである

ともあれ、今回のランキングトップ10に入った大学東大ではとうてい比較にならないということは、教育内容のみならず、キャンパス環境においてもそうであることも記憶しておいてよい。キャンパス環境研究パフォーマンスに影響を及ぼすからだ。東大キャンパス、とくに本郷キャンパスとその周辺環境は劣悪である

東大出身者であり、ランキングトップ10に入った大学のうち、4校を実際に訪れた人間見解として読んでほしい。いわゆる出羽守である

本郷キャンパス内部の状況

本郷キャンパス学生時代を過ごしたことのある人ならば、独特の「居場所がない感じ」を覚えたことがあるのではないだろうか。たくさんの建物があるはずなのに、授業の合間に本を読んだり、軽く休んだり友達と喋ったりしようとするときに、行くところの選択肢が極端に少ない。キャンパス内に「隙間」的な場所がないのだ。

東大本郷は息苦しい。キャンパス敷地内の建ぺい率が高すぎるのだ。敷地の隙間を埋めるようにして、企業からお金をもらってはビルを建てつづけているうちに、場所がなくなってしまった。かつて東大出版会があった建物近いうちに壊され、緑地になろうとしているが、これはキャンパス内の建ぺい率が高すぎるため、アリバイのようにして何もない場所を残しておく必要があるためだ。

スペースがあるところすべてに建物を立てるのが合理的だという発想は、大きな子供の考え方である人間の深い欲求を見ていないからである敷地めいっぱい高層ビルを立てた環境の中で、知的能力を極限まで働かせて競うという状況に、人は耐えることができない。「隙間」が必要なのだ検索すれば、本郷高層ビルから学生飛び降りて死んでいることがわかるだろう。


本郷キャンパス周辺の状況

本郷キャンパス内に居場所がないならば、大学の外でゆっくりしようと思っても、なかなか難しい。昔ならいざしらず、本郷はもはや学生街ではなくなっているからだ。

本郷は老人と若いファミリー層の街である文京区がそのようなまちづくりをしようとしているのである文京区では25平方メートルより狭いワンルームマンションは新しく作ってはいけないように、条例で決まっている(http://www.j-cast.com/2008/08/05024411.html?p=all)。東大周辺で昔から不動産業を営んでいる人に直接聞いた話によると、規制が敷かれる以前につくられた狭小物件家賃は、バブル時代の水準で高止まりしている。あまりお金のない東大生にとって、本郷周辺で手頃な部屋を見つけるのはとても難しい。このため、多くの東大生ベッドタウンから通勤してくるサラリーマンのようにして、朝、本郷キャンパスへやってくる。

こうした住宅事情は、本郷界隈のビジネスにも影響を及ぼしている。この10年の間に本郷通りで増えたものといえば、高層マンションラーメン屋カレー屋、中華料理屋、小型スーパーである飲食店は、主にサラリーマン層の需要を当て込み、食べたらすぐに出て行かなくてはならない高回転率型のビジネスが増えた。あまりお金をかけずにゆっくり本でも読もうとすれば、ドトールスタバサンマルクカフェといった選択肢になろうか。この他にも本郷通ではまだ個人経営喫茶店が健闘しているが、いかんせん価格帯が高く、老朽化が進んでいるため居心地に問題があるように思う。

北米英国の大きな大学は、町と大学の境目がないことが多い。両者が融合して美しい町並みを作っている。これが東大本郷との最大の違いである(いわゆるオックスブリッジは、旧市街伝統的なカレッジ周辺の家賃は高いが、その辺に住まずとも、とりあえず身を隠せるところがそこそこある)。文京区東大周辺の学生を追い出し、高く売れそうな高層マンション建設ばかり許している。そのような場所に住む人は、税金を払ってくれるからだ。友達の部屋にちょっと寄り、周辺でご飯を食べてコーヒーを飲みながら話をして、歩いて大学に行ける環境からまれものと、そうでない環境からまれものは、やはりちがう。

このような議論には、はてなーお得意の、さまざまな「もう一つの視点から批判があろうし、そうあってしかるべきだが、東大が本気で研究生産性を、しかお金をあまりかけずに上げたいのならば、まちづくりの段階から周辺の人々と協議して、もっと学生が定着しやす空間を創りだしたほうがよいのではないだろうかと思わざるをえない。

2015-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20150926141227

個室にINするまでに長蛇の列の可能性を失念していらっしゃる

人の多い施設の1Fの女子トイレは、平日でも敷地面積いっぱいにうねった女性の列となっているのです

2015-09-22

やっぱり総合スーパーが良い

総合スーパー流行らなくなってきているとかいニュース最近よく出てくるが、

やっぱり自分には総合スーパーが一番良い。

 

モール敷地選択肢も広すぎて、ひとつ買い物をするにも一苦労。

2015-09-02

路駐してるバイク通報した

私の住んでる賃貸マンション前の道路に前々からバイクが停められていたので通報した。

歩行者一人と車が1台通るのがやっとの道路バイクが停められると歩行者は歩けなくなる。

非常に邪魔存在なので通報しておいた。

このバイク、前はマンション敷地内に停められてたけど、

管理会社敷地内はバイク禁止と再三通告したか道路路駐している。

バイクを見たら警告というタグが付けられていた。すぐに駐禁切られるのんじゃないのね。


それはさておき、私はタバコが嫌いだ。窓を開けていると隣の住人がベランダに出てくるのが分かる。

タバコを吸う合図だ。即効で窓を締める。10分後に窓を開ける。

休日はこれを数時間おきに繰り返す。

朝の6時から夜中の3時ぐらいまで。隣のやつ寝る時間短すぎるだろ。

こっちが隣の窓の開閉に気づくんだから、隣もこっちの窓の開閉に気づいてるだろう。

こちらがタバコが嫌いということぐらい類推できると思うのだがどうなんだろうか。

既に何十回、何百回と窓の開閉を繰り返してるわけだし。


隣の住人には、こちらの事情を察して自発的ベランダで吸うのをやめて欲しかったが、

言えない事情があった。

まず、ベランダタバコを吸うのはマンション規則違反しているわけではない。

法的にも微妙だ。マンション管理会社を通して相談ができたかもしれないが、

相手に非があるわけじゃないし、拒否られたらそれで終わり。

管理会社は私の名前を隠して相手に連絡するんだろうけど、

相手が察しているものタバコをやめないという状態だった場合

そこで最終手段を使ったら真っ先に疑われるのは私なので相談はしないことにした。

嫌がらせされたくないしね。まあ、察してやめてくれてたらwin-winだったのにと思う。

閑話休題終了


バイクについては見つけ次第通報することに決めたが、切符を切られた時、

バイクの持ち主はどう出るだろうか。処分?遠いところに路駐駐車場借りる?

うご期待!

2015-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20150722201244

電気の話ではないけど、河川敷地って、国交省河川局の所有or管理じゃなかったのかと思ってしまった。

何かの関係で、個人の権利が絡んでいることはあると思うけど、電線が橋を伝っているようだし、橋は、いくらなんでも河川局か市のものだと思うし、個人は手出しできない気がするし(工事業者が何かしようとすると許可関係が大変で)、個人で勝手電線を設置してたんだろうか。

2015-07-22

運動会の思い出

なんか地区だかなんだかの運動会の練習みたいなのをやってるのを見かけたので。

子供の頃住んでいた田舎では小中9学年あわせて200人いくかいかないかぐらいだったからなのか、敷地が隣接してたからなのか、運動会が小中合同だった。

小学生の時から中学生の出し物を見ているので、自分中学生になったらああいうことをやるんだろうと漠然と思っていたら、

自分中学に上がった年から少子化の影響とやらで出し物が変わった。

中学男子が毎年やっていた騎馬戦が消えて、中学女子が毎年やっていたその土地に伝わる謎の盆踊りっぽいダンスも消えた。

自分は体が同学年男子の中で群を抜いて小さかったので、騎馬戦で担ぎ手にはならないであろうことが予想できていたのもあって、

珍しく目立てるぞ、と割と楽しみにしていただけに、プログラムが決まった時は結構凹んだ記憶がある。

他にも、全員参加の徒競走では、一組の人数を4人から2人に減らして露骨時間を稼いだりしていた。

今思えば、半日ぐらいの時間をもたせるだけの出し物を考えるだけで教師陣も大変だったんだろうなー、とは思う。

でも、だからって、5つしかない強制参加の部活ユニフォームを着て練り歩く、部行進とかいう謎の出し物で

30分近くひたすら校庭をぐるぐる歩いたり並んだり止まったりし続けるのはどうかと思うけれど。

しかも「集団行動」という出し物も別であって、そっちもクラス別に先生の号令に従ってひたすら行進したり回れ右したりするっていう……いったい誰が得するんだこれ。

色々と引き伸ばし策を講じても、さすがに単純に出し物の数を減らすと間がもたなかったのか、

騎馬戦盆踊りが消えた代わりに、全学年参加で踊るソーラン節と、チーム対抗の20人21脚的なやつが入ってきた。30人31脚にならないあたりが悲哀を誘う。

どうやって見つけてきたのかわからないが、隣の隣の町からやってきたソーラン節講師というおじさんおばさんたちを招いて、毎日ソーラン節振り付けを覚えさせられた。

まあ、グルグルと網を引き揚げる動きは楽しかったので今でも浴槽でバシャバシャいわせて遊ぶことがある。

本番の日、20人21脚では本番のテンション疾走する周囲のペースについていけず

両隣に肩で吊り下げられる形になってしまって足が地面に着かなくなって転倒、胸をノーガードで地面に強打して、呼吸困難になる経験をした。

寄ってきたやたらガタイのいい担任女教師は、地面で息ができずにアワアワしている俺を見て、

「本番でコケるなんて気合いが足りない」「早く立って続き走って、みんなが迷惑してるから」と言い捨てた。絶対忘れてやらない。

昼食時には、我が家は祖父が昨年亡くなったばかりだったので、

母子家庭一人っ子という家庭が小中見回しても自分だけで、家庭ごとにビニールシートを敷いて食べる食事場所ものすごく居心地が悪かった。

大体みんな5、6人ぐらいが1家族で、多いところは12人とかきてる。2人だけで食べてる人はどこにもいなかった。

小学生のクソ猿が何匹か寄ってきて「なんで二人だけで食べてるのー?ねえねえなんでー?さびしくなぁいー?」とか言ってきたので、傍目にも割と目立ってたんだと思う。

母もなんか申し訳なさそうにしていて、でも別に母親が悪いわけでもないしなあ、と思いながら適当なことを言って追い払ってた気がする。

ああ、なんか嫌な気持ちばかりよみがえってきた。あれー?運動会、なんか別にいい思い出ねぇなこれ。

ちなみに翌年、翌々年は二年連続で当日に高熱を出して、バファリンで無理やりおさえながら手慣れたソーラン節を踊る羽目になった。

背は大して伸びなかったけど、20人21脚は誘導役のサザエさんポジションになったおかげで二度とコケなかったし、まあいいか。

2015-07-20

函館に行って驚いた7つのこと

横浜生まれ東京住まい20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。

しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。

1.東京から案外近い

今回は羽田空港から函館空港へと空の旅だった。

で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。

だって飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。


2.JR函館駅とその周辺の寂れっぷりがヤバい

JR函館駅シャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。

土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。

自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数コンビニ飲食店フィットネスジム銀行パチンコ屋、スーパー病院学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。

地方車社会と聞く。だからJR函館駅駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。

夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッター下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。

まりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象典型的な例だ、とも。

函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!

どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。


3.八幡坂は超良い感じだよね!

気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。

余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。


4.キリスト教文化面白い

八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、

とそれぞれ宗派の違うキリスト教教会敷地となっているんだ。

ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会プロテスタント)や船魂神社東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!

我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。

「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。

どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。

自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。

同行者からミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。

元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサ最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。

その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。

同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。

カトリック教会場合信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザイン天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。

函館でキリスト教文化というと元町教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。

このトラピスチヌ修道院修道女は広大な内部で自給自足生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客おっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。

まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。

524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00

函館トラピストクッキーバターどんだけ使ってるか知らんが、

めちゃくちゃうまい

型に入れてオーブンで焼くんだが、生地を作るまでの工程は

15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた

 

527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0

>>524

トラピストクッキー作ってる)は男子修道院

女人禁制なので修道女が居るわきゃない

女子修道院はトラピスチヌ

ここでクッキーは作ってないはず

 

528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00

もう二度と食わない



5.北海道食べ物はやっぱり美味しい

トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道ソフト牧場ソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。

ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的ランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。

ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。

北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!


6。金森赤レンガ倉庫は惜しい

函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。

でも肝心のテナントショップちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行小中学生向けなんだろうか??

ぶっちゃけ地元イオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……

結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手申し訳なく思ってしまった。

もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。

7.函館のくびれの正体

函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ

で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれ北海道尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw

このことに気付いたのは、ロープウェイ函館山に上って展望から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭函館山こんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。

2015-07-18

報われたい

自分人生めっちゃ疲れた

色んなことに報われない人って沢山いると思うけどその中の一人に私がいて、まぁ苦労自慢ってわけではなくとりあえず整理整頓したいからここに書こうと思う。何か報われる方法があったら教えてください。

とりあえず私は報われない

保育園年中のとき お昼を食べるのがめちゃくちゃ遅くて、そしたら先生が突然わたしのデザートをとりあげて友達にあげてた。ゆるせないままだった。

なんか覚えてないけど私がその子タヒねって言ったらしくその子が来なくなって誤り行った思い出があるけど、悪いのは私じゃなくて先生じゃん?って思う。

小学校2年生の時に親が離婚した 当時私の中でしょうもない嘘をつくのが流行ってて、父が仕事から帰宅した時に「おかーさん明日出て行っちゃうだってぇ」なんてバカみたいな嘘ついてたら翌日それが本当になった。 母が言うには私の言ったことでなんか色々怖くなったかららしい。

その前から家の中は不穏だったし喧嘩なんてほぼ毎日。私と、双子の妹が居ようが居ないがお構いなし。結果母は鬱病になって私たち子供を連れてナチュラル家出した。夏休みの事でした

小学校四年生とき 授業でわたしのかいてたものクラスの子バカにされたかんじがして、聞いたらキレられて「殺す!」とか言われた。担任にチクったけどこの担任がすごぶるクソババアで、放課~次の授業の最初あたりまで教室で話し合いしてた。次の授業は体育で外だったんだけど、授業はじまる時にみんなに向かって「バカのせいで授業が遅れたわ」とかいっててタヒねって思った。

小学校6年生の時に母が再婚した お見合いに会員登録してめかしこんだ写真撮って女性はお目当ての男をひたすらサイトで探す方法だった。

妹たちとうわーこの人動物園飼育だって~とかこの人年収○○○円ある!とかきゃいきゃいやってたのを覚えてる。結果再婚したのは有名企業ちょっと言えないところで働いてるぶっさいくでどもりのあるクソ男だった。私と妹たちはこいつがしぬほど嫌いだった。私より一つ下の男の子がいたけどこっちは性格がすごぶる悪かった。育ちが悪いってこういうことかーなんて考えながら、めちゃくちゃ楽しかった小学校と大好きだった先生友達さよならして都会から田舎引っ越したけどそこからめっちゃ地獄現在引越し前の所で住んでるけど、もう田舎なんて一生住みたくないと思ってる。 小6の夏休み暑い友達いないし行くところもないし本当に毎日無駄だった。

転校初日クラス男子に「○○○市とか、都会じゃん!」って言われて田舎乙とか心の中でめっちゃバカにしたよ

中1 なんか友達いないわけじゃないけど二人グループ作れって言われたら残り物になるようになった。同じ時期に田舎引っ越してきた子は輪に入れてるのに自分だけ外野感。皆がやりたがらない委員会を買って出て、それが生活安全委員っていう毎週特にコレを気をつけるみたいな規則をつくってそれをクラス人間に守らせる委員会だった。

任された仕事は徹底的にやる主義だから一生懸命にやって、だから達成できなかった時はめちゃくちゃ怒った もう一人の生活安全委員全然働いてくれなくて、皆私にあんまり近寄らなくなって、話を聞いてくれる相手がいる人間を心底恨んでた。この時の担任はめちゃくちゃいい人だった。

あと学校書道大会で銀賞取った。金じゃなくて銀かよって思った。

父のところへ帰りたくて夏休みの間に泊まりに行ったけど、そこから帰ったら母の機嫌はめちゃくちゃに悪かった。たまに父と会うけどその日の母はバカみたいに機嫌悪くてほんとしょうもないクズだなぁって思ってる。

中二 クラスに絵がまぁまぁうまい子がいた。ここまで言ってなかったけど私は絵をかくのが好きで、保育園年長で絵の上手い子がかいてるの見て「いいなー」って思ってたけど小学一年生ときに「りぼん」を読んでから将来の夢は漫画家だったくらい。ちなみに小一の時に授業でかい遠足の絵が選ばれて階段の壁?に貼られてめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。 で、まぁこの上手い子が担任にも贔屓されてて、私はというと特に仲のいい友達もいないしま生活安全委員やってまたもう一人が働かなくてって感じで毎日死んだ顔してた ついには泣いた 一生懸命やってるのになんでお前はやらねーんだよ何正義感ありありで立候補しといてやわねーんだよって感じ。

文化祭でうちの学校は有志のかいた絵から一枚選んでそれを全学年ででっかいモザイクアートにするんだけど、それに私と上手い子が応募した。私は賞なしで上手い子は賞もらってた。 ていうかここまで上手い子ってかいてるけどそこまで上手くない。わりとマジで

中3 家を追い出された。実父に迎えに来てもらって、1ヶ月くらい実父の彼女の家で住んでた。一晩とまってから学校に行って、ちょっと話して、先生に母から電話だよ、持ってきて欲しいものを聞きたいみたいって電話変わったら「なんで学校に来るんだよブツブツブツ」って話されて怖くて何も言わずに切った。受験生夏休みだけど補習もあって、高速で往復2000はかかる道のりを送り迎えしてもらったり服を買ってもらったりした。彼女さんはとてもいい人だったし結婚しちまえと思ったけど中国人だったから祖母と祖父が猛反対してだめらしかった

小6から、クソ義父に祝われたくなくて一切拒否してた誕生日会をこの時彼女さんと実父とで久しぶりにやった。

なんでかしらないけど父の財布からお金を盗んで色んなものを買い込んでた。お父さんごめんなさい。母にお金を使い込んでた事が帰ってからバレたとき一緒に嘘ついてくれた。きっと盗んでること知ってると思うけど何も言われなかった。

夏休み終わるちょっと前に母から謝罪を受けて戻ったけどここで戻らなきゃ良かったってずっと思ってる。

あとスケッチ会で初めて賞をもらったけど銀だった。うまい子は金だったけどぜんぜんうまくなかった。

高1 いろんな人間を説得して押し切ってデザイン系の学校に通うことにした。田舎学校はいやすぎて○○市の学校にした。といっても公立はなんか受かる自信ないし受けるの面倒だしってクソみたいな考えしてたか私立落ちこぼれ校みたいな所に入った。まぁまぁうまい子もそれなりにはいたけど皆デッサンもまともにできないようなやつばっかで引いた。いやデッサン試験でやりましたやん皆さんどうしたんですか?って感じに。

スケッチ会は選考に残って中々返されなかったから期待してたけど賞はなかった。あと体育祭Tシャツデザインも票はいくらか入ってたけど落ちた。どっちも選ばれてたのは高校でできた絵の上手い友達だった。

秋に突然母に「引っ越すから」って言われて引越し前の所へ母私妹で戻った。ちなみに離婚はしてない。離れた理由が「私(母)の病院が近いから 」って聞いてたのに母は怒ると「あんたの学校が○○市だから!!!あんたたちが○○さんと上手くやらないから!!!!」なんて暴れだした。理不尽だなぁってずっと思いつつだんまりでやりすごしていた。

高2 進路決めで揉める 私は日本画を学びたいって中3の時から思ってたけど予算的にムリとか母にいわれた。 いやアンタに手助けしてもらったら一生「あの時払ったのは私だ」って言い続けるじゃんってわかってたか就職するって嘘ついておいた。ちなみに希望は父の経営する会社

母とは話が通じない、父にはお願いしてもはぐらかされてひきとってもらえない。めちゃくちゃ辛い。体でも売ってどこかを点々としたいとか思ってる。なんか憑かれてるとか○○神宮に好かれてないとかなんか色々霊的なことで混乱した。

平日に素描担当非常勤先生にお願いして居残りでデッサンとかクロッキーをやってた。ひたすらにがんばった。木炭紙大の人物クロッキー冷房の効いた素描室で汗たらしながらかいた。がんばったけど素描の成績は、3だった。

その年のスケッチ会は、めちゃくちゃがんばろうとおもって、場所がお城だったんだけどお城がかけない私は私なりに考えて敷地内で日本家屋っぽい建物(これがべらぼうに得意な対象)をみつけてそこを描いた。担任にヘコヘコ「あともう少しなので」って期限を延ばしてもらって、出したのは最初に決まってた期限の3週間後だった。

B3のイラストボード鉛筆と水彩で一生懸命かい風景画、素描先生に「みんな人物をかかなさすぎる。君はかいたほうがいいよ」って言われて3人も入れた。結果は、賞すら取れなかった。

一番いい賞をとったのは去年佳作をとったうまい友達で、一学期努力賞(総評でいい子がえらばれるみたいな賞)に選ばれたのもその友達で、あと体験入学の手伝いに誘われたのもその友達。わたしはなにもなくて、結果を聞いた瞬間と学校からの帰りの電車で何度も何度も思い出しては泣きそうになった。なんかもうだめだとおもった。

すごい無駄時間を過ごしたなぁ なんで言われたとおりにしたしがんばったのに何も無いんだろう

もう全部やめたい 私にはなにもない

2015-06-26

アレルギーと猫のハナ

私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。

ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。

話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。

でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。

最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。

そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間ほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。

ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。

命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。

ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。

でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。

**

アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います皮膚科血液検査しました。

いぬうさぎチンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。

2015-06-19

若い

雨上がり、夕暮れ、帰り道。湿った空気まとわりつく

歩道マンション敷地を別けるフェンスにはよく見かけるツタが絡み付いている。

先端の弱々しい若い腕がフェンスにようやくたどり着いたという様子だ。

僕はその若いツタを、フェンスから引き離す事が日課なのだ

2015-06-04

無能経営者の下で働いてる

地方中小メーカー企業勤務の人事部おっさんです。

創業歴がそこそこ長くこの地域ではわりと知れた会社なんですが、今結構やばげな状態になりつつあります

で、今経営者と人事とでいろいろ対策を考えているとこなんですが。

うちの会社は製造工場と営業用のオフィスとが同じ敷地内にあって、それぞれが課ごとに分かれて毎日仕事してます

ただこれまでの流れでいつの間にか製造工場には中卒~高卒くらいの人が多く、営業部転職してきた大卒~院卒が多く固まってしまっています

社長は二代目で旧帝国大を出たインテリ

就任当初は経営学を専攻してただけあってガンガン改善策とか出してたけど、最近マンネリ化してきたのかちょっと停滞気味。

しかし本人の中で「なんとかしないと」があるのか毎日のように思いついたカイゼンとやらを提案してくる。

問題はそれを営業部にだけめちゃくちゃ細かい要望として出してくること。

正直うちの会社工場人間はお世辞にもガラがいいわけでなく、昭和職人みたいなルーズなやり方を未だに続けていたりする。

反対に営業のスタッフは悲しいかなかなり出来る人が多く、社長経営学に基づいた改善策にも素早く柔軟に対応できる能力がある。

どう見てもしっかり改善していかないといけないのは工場の方なのに、社長営業部の方の業務を重箱の隅をつつくように改善改善と言ってくる。

最初会社を立て直すと意識を高くしていたような営業部最近はそんな箸の上げ下ろしにまでケチをつけるような改善うんざりしてやる気が低下気味。

工場の方はあいかわらずお気楽に言われたことだけをダラダラしている様子。

もっと最初工場にいろいろ改善を求めたけど結局いつの間にか前のやり方に戻ってるので、社長もやる気を失ってきているのかもしれない。

なんだろな、この空回り感。

沈んでいく船の中にいるような絶望の中、今日会議議事をとる。

2015-05-31

交通事故を起こしてから車が運転できない

数ヶ月前に人生で初めて事故を起こした。

カーシェアで車を借りて、出かけた先の駐車場敷地内に車を停めて、買い物した後に車を出すとき敷地内のポールにぶつけた。

前方のフェンダーバンパーがへこんだが、それ以外に損傷は無く、人身事故も無かった。

住宅街の片側1車線の狭い道路に面した3両のみ停められるタイプ駐車場で、出庫するときに後ろの通行人や、近くにあるバス停に目が行っていて、前方はハンドルを切りすぎてぶつけた。

結論から言うと、ゴールド免許も消えなかったし、かかったお金も車のNOC(使用できなくなった弁償)2万円だけだった。

ただ、それ以降車が運転できない。

200円上乗せすることで、前述のNOCもかからなくなるようにすることもできる。

だが、車運転して、次にぶつける時はもしかしたら人かもしれない、同乗者や自分を傷つけるかもしれない、

そして電車に乗っていればそんなリスクを背負うこともない、と考えてしまい、以降数ヶ月ぐらい全く運転しておらず、カーシェアの月額料金だけ払っている状態になっている。

しかに、東京に住んでいるなら車は無くてもいい。

だが、昨日の地震などのアクシデント電車が動かなくなった時や、

嫁が酔いつぶれて帰れなくなった時に迎えに行くときや、

ちょっとした買い物の時に車が運転できないと困る。

そして何より、車を運転する事自体はとても楽しい

クラブミュージックをかけながら安全運転するのが本当に楽しい

スイフトとかの小さな車で首都高を走るのが楽しい

そのため、車を運転したいと思ったときや、しないと行けない時に備えて訓練をしたいが、

なかなか勇気が出ない。

1人でドライブに行きたい。

思うがままに夜の首都高を走りたい。

でも怖い。

2015-04-14

選挙運動

駅の敷地内は公職選挙法選挙運動は禁止はずで、

とある政党支援者は縁石ギリギリのところでラインを超えないようにビラを配ったりのぼりを持っていたりした

今日の雨天では別の政党支援者は堂々と駅の敷地内で雨露のしのげるところでのぼりを持ってビラを配ってた

ちなみに候補者バス停の庇の下で傘をさして演説してた・・・

なんだかなぁ

2015-04-07

「教育」と「政治」は切り離されず、「政治」のネタに利用されている

前回、兵庫県芦屋市における小学校建設問題についての増田を書きました

http://anond.hatelabo.jp/20150401074440

これの続報です。

以前は、小学校の是非について問うものとなっていましたが、事態は変わりました。

まず、私の意見を先に述べておきますと、最終的な市の決定には従うより他ありませんので

今回小学校建設中止となってしまったことに関しては、納得しています

ですので、小学校建設必要か、そうでないかは今回の議論対象ではありません。

しかし、「教育」が「政治」のための道具として扱われていることが明白となり

その点に関して怒りを隠せません。

別に今に始まったようなことではないでしょうし、色々な所で往々にして行われている

ことではあるのでしょうが、黙って泣き寝入りするわけにもいきません。


以下、経緯を記載します。

まず、兵庫県芦屋市行政における経緯です。

基本的な流れはこちらの資料

http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/documents/ikenkoukankaihaifusiryou.pdf

これまでの経過、に記載があります

平成8年1月 兵庫県企業庁が『南芦屋地区土地利用基本計画』を策定

小学校敷地面積 約 24,000 ㎡

幼稚園敷地面積 約 3,000 ㎡

・合計 約 27,000 ㎡を確保することについて記載

平成8年12月 兵庫県企業庁との協議

小学校新設にあたり,12学級は必要であると回答

平成10年~ 10 年~陽光町,15 年~海洋町,16 年~南浜町,18 年~涼風町入居開始

平成20年 潮見地区と南芦屋地区児童数がほぼ同数となる。(各約 240 人)

平成23年4月 南芦屋地区児童数(316 人)が12学級規模に達する。

平成26年4月 建設公営企業常任委員会所管事務調査において,南芦屋地区教育

設用地の利用について,年内に結論を出すと説明

平成26年8月

~11月

『南芦屋地区教育施設用地幼稚園小学校建設検討委員会』を設置

(8回開催)

平成26年12月 市議会第4回定例会一般質問において,検討委員会での結論を踏まえ,

芦屋地区小学校必要であると答弁

平成31年4月 南芦屋地区児童数が約 600 人(推計)に達する見込み



件の小学校建設予定地は、兵庫県企業庁の所有になっており、開発時点で

学校用地として使うことを定めていることがわかります

芦屋市は、企業からはい学校を作るのか、という問いに対して、それに見合う児童数が

確保できたら、と回答を出しています

上の経過のように、おそらくは企業から、当初言っていた児童数にとっくに達しているのに

学校建設はどうなってるんだ、とお達しがあったのでしょう。

去年の8月に急遽、学校設立委員会芦屋市が立ち上げています

市の教育委員会議論が交わされ、学校を新設する方向で市長へ依頼報告が上がってきたようです。

そして、去年の12月の定例議会において、市長学校建設を行う方針を発表します。

非常に急転直下な話です。

山中芦屋市長は元々、小学校建設を願っていたそうなので、渡りに船ではあったのでしょう。


その後、今年の2月に「地域住民意見交換会」という名の説明会が催されます

その際の資料議事録はこちらに公開されています

http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/ikenkoukankai2.html

備考の議事要旨に、答弁の議事録が記載されています

これには私も参加し、その際の発言も記載されていますが、ここでは市は学校建設は行う、と明言しています

この時点では、いくつかの反対意見もあることが議事録から伺えます

しかし、反対意見があろうが、市としては「建設する意思」は覆らないという回答がされています


そして、今年の3月26日に芦屋市議会議員3分2を占める、14人の議員による「嘆願書」が市長に対して提出されます

それにより、翌日の3月27日に、山中市長は急遽、小学校建設白紙撤回を表明します。

(なんとその同日に、前回もURLを貼り付けましたが消えてしまったようで

 ビラが各地にまかれています

http://i.imgur.com/xY8EpUk.jpg

これは嘆願書を提出して建設を辞めさせた議員が、建設を辞めさせた議員たちと、それに賛同しなかった議員という形で

名前を連ねて、地域にばらまいたものです。明らかに選挙意識した動きであるのは明白です。

しかし、市長が翌日にすぐに白紙撤回するのがわかっていたかのような根回しのよさですね。

ビラはこの議員だけではなく、他の議員からも色々なものがまかれたそうです)

そして、昨日、4月6日に、今回の件に関する説明会が開催されました。

これが今までの経緯です。

そこに参加をしてきて、ボイスレコーダー議事を録音してきましたので、必要であればYoutubeにでもアップすることは可能です。

ですが、おそらく市から今回の説明会議事録が提出されるであろうのでそれまでは保留としておきます



さて、同日に都合2回開催された説明会ですが、内容としては最初市長から2分程度の謝罪言葉があり

後は市民の皆様から意見を頂戴します、と。ただ市民愚痴を聞いて発散させて、事なきを得ようという

目論見丸出しの会でした。

この会で、多くの疑問が新たに湧く結果となったのです。


まず、山中市長小学校建設白紙撤回させた理由について言及した所

市議会3分の2を越える議員から嘆願書が提出されたことを非常に重く捉えている

・それが芦屋市民の民意なのだ理解している

との回答でした。


しかしここで疑問が出ます

我々が選出した市長議員の総意が民意であることは理解のうちなのですが、

それが公式な場の議会で行われたことではなく

非公式な場での嘆願書により行われ、議論もすることな議決を得ることもなく

「決定」に至ったことです。

それは正式手続きを踏んだとはいえません。

しかもなぜこの時期に、選挙を目前にしたこのタイミングにそれが行われたのでしょうか。

これは、昨日の説明会に参加をした木野議員ブログにて言及をしておられます

http://blogs.yahoo.co.jp/urukino07/68394659.html

びっくりしたのは、市長発言でした。

 今回の14名の議員による白紙撤回を求める申し入れ書について、「議決に準じる。印鑑を押してあり、大変重い」と述べたことです。

 じゃあこれから、議案を出す前に、この申し入れ方式をとれば、議会なんか開かなくても済むケースが山ほど出てくるのではないでしょうか?

 予め、議員には議案を示し、賛成派・反対派がそれぞれ署名捺印合戦をして、多数を占めたほうが、「申し入れを作り、そこに署名捺印をする」。市長は、その申し入れ書を見て、反対が過半数を占めていたら、議会での論議をする前に撤回してしまう。

 ある市民の方が、「議会で論議をしてほしかった」と発言されていましたが、まさに今回は、議会での議論をすることなく、市民的な大きな課題市長独断で決められ、議員14名の申し入れ書という形をとって白紙にされたということです。

 議会議員役割とは何なんでしょうか。

それともう一つ。

 選挙議会構成が変わる可能性もあるのに、なぜ今の14名が「重たい」のか?



山中市長はしきりに「行政議会の決定に従うしか無い」と訴えていたのですが、

まだ議会で討論されたものではないのです。

それを民意だと捉えている市長の言に違和感を感じます

木野議員の言うように、今後もそうやって嘆願していけば、決定されてしまうのであれば

議会必要ないことになります

Youtubeにもアップしている方がおられるようでした。

https://www.youtube.com/watch?v=aKCjcM63AUA


また、次の疑問はこのようなものです。

下記が建設反対を訴えた議員達の嘆願書抜粋になります

教育委員会浜風幼稚園廃園決定の際、単学級が複数年にわたることを理由にしていました。南芦屋浜においても、小学校を新設しても10年後には単学級になる見込みであり、また、既存小学校の学級数児童数減少を招くことも明白です。市長は、統廃合はしないと言われるが、教育委員会のこれまでの単学級に対する考え方からすると現実的に統廃合検討対象となります

 以上のとおり、巨額の建設費を投じた上、毎年多額の維持費をかけることとなる小学校は、建設10年でその必要性を問われることが明確であり、その必要とする理由にも説得力が感じられません。南芦屋地区住民からも反対の声が大きい小学校建設で、これまで市長が3期12年の間、道筋をつけてこられた行財政運営に対する市民からの信頼を損なうことのないよう、英断をもって、計画の白紙撤回をされることを強く申し入れます

これは大きく分けると

・10年後には児童の数が減って、単学級化してしま

・巨額の建設費に税金を費やすべきではない

という2点に集約されることになります


1つ目の単学級化に関しては確かに問題です。

これから単学級になる学校を新たに敷設するのかという点には非常に納得はできます

しかし、単学級化はここだけの問題ではありませんし、今日本全国で起きている問題です。

長い時間をかけて取り組んでいかないといけない課題でありますし、教育観点で考えなければ

いけない問題まちづくりとは別問題です。

それに単学級を防ぐために、学校を市に1つにして家の近い児童も、遠い児童も全員に通わせるような

ことは現実的に難しいでしょう。児童の通学にどれだけの影響が及ぶかという点が置き去りにされています

そして、一番の問題は「巨額の建設費用」です。

これは上でもビラを巻いている議員がいると伝えたように、口をそろえて「70億円」の無駄公共事業

と言っています

これは30億円の土地費用と、40億円の学校建設費用と言われています

しかし、実際には兵庫県の他市の事例でも明らかなように、学校用地の土地を使うことは

兵庫県企業庁のプランでありますので、定価である30億円で用地を売るということは考えにくいのです。

これは過去山中市長も明言されており、実際には4億や5億くらいで土地を取得できると算段されていました。

学校建設費用の40億円もどんだけ豪華な学校を建てる見積なのかはわかりませんが、

単学級を見込んで小規模な小学校を立ち上げるのであれば、いくらでも縮小化が可能です。

しかしこれらの事実無視して、反対派の議員は「70億円かかる」と言い切り、当該地域ではない

市民にそれを伝え反対票を集めているのです。

これはおかしいのではないかという議論が集中しました。

それに関して市長は「誠に申し訳ない」の1点ばりなのです。

では今からでも、見積をやり直して学校建設するかどうかの議論を再開できるのではないか、

との問いには「それはできない」の1点ばり。

これはもうなにかの力が働いているとしか思えません。

山中市長は、3月の時点で14名の議員から嘆願書が出ているので、

6月の議会議決を得れば、確実に拒否されることが明白なので

これ以上続ける必要はない、と判断したと言っています

しかし、議員達は70億円かかると言い続けているわけですし、実際には

それだけの費用はかからないと知っても、本当に議会の決定は変わらないのでしょうか。

その点を重点的に多くの方が意見をしたのですが、山中市長は「無理」としか言わない。

このような決定には納得ができませんし、なにより市議行政への不信しか残りません。

そして、この事実は多くの芦屋市民が「知らない」まま、4月26日に統一地方選挙が行われます

当の山中市長市長選への立候補を表明しています

3月に、対立候補として出てきた人がいるのですが、その人は政策に「小学校建設反対」を表明していました。

おそらくは、この市長選山中市長が「小学校建設推進派」だと、この対立候補との戦いになるので

それをさせないために建設撤回したとの噂もあります

https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007830055.shtml

ちなみにこの北村氏も「70億円」と明言しています

70億円かからないのにです。

行政市議が正常に作動していない状況で、市民が振り回されています

特に昨日参加をした住民の多くの人は「兵庫県」と「芦屋市」と「不動産屋」がそれぞれ口をそろえて

学校を作る」と明言したため、家を購入した、移り住んできたという人だったようです。

それは詐欺行為にも等しいのではないかと。

そして、参加した私の感想ですと、山中市長はとにかく「謝らされている」感じがしました。

トカゲ尻尾きりで責任だけ取らされているような感触を受けました。

そして、今現在建設反対を叫んだ議員は全員沈黙しています

一方、それ以外の議員は、一体何が起こっているのか、どうなっているのかと

ブログで持論を展開しています

闇を感じますね。

今回の事例は兵庫県芦屋市の事例ですが、皆さんの自治体はいかがでしょうか。

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