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はてなキーワード: 学芸会とは

2021-07-23

開会式感想

学芸会の劇と校長の長話二本立てを見せられるとか何かの拷問かな。

入場行進はすごく良かったのに、盛り上がった気分が吹っ飛んでさらマイナスにめり込んだんですけど。

やっぱラーメンズは2流だな

2021-07-04

テレビドラマ「ハコヅメ」が放送始まる前から酷いのが分かって辛い

結論から言えばキャストが駄目だ。

まずムロツヨシ交番所長、キャラが合ってない

千原せいじ。こんなキャラいたっけ?オリキャラ

三浦翔平山田裕貴は謎のイケメン枠

西野七瀬は演技が不安・・・

これコケたらキャストのせいになっちゃうぞ。

どう考えてもキャスティングした奴と脚本担当演出家ないしシリーズディレクターが悪い奴だ

こういう面子が出るという事はつまり原作改変が確実になされるだろう。

から不安ばかり募る。辞めてくれよ、ハコヅメは学芸会じゃないんだ

不当に漫画まで酷評されるかもしれない。愛読者だけどキャストミス過ぎて見る気が失せるわ

2021-07-03

だれが好き好んでいじめられ芸発狂芸の学芸会をみるんだろ

2021-06-29

ウマ娘イベント、遂に世界観を投げ捨てる

簡易あらすじ 1/8話だけネタバレ

VRゴーグルバーチャルリアリティゲームをやる

ゲームデータバグる

ゲーム世界を救うためにグラスとエルが転送される

令和のゲームイベントの姿か?これが?

まずウマ娘関係なさが凄い。

VRゴーグルバーチャル世界に行くので元が何者でも関係がない。

まりウマ娘でやる意味がない。

たとえばこれがアイドルモノでやるのならキャラクターの意外な一面という感じになるのかもしれないが、競走馬モチーフとした擬人化キャラでやっても元のキャラ個性が減るので結果として没個性的な話になる上にキャラ性質が減るので総合力でマイナスになる。

そして展開のテンプレっぷりがヤバイ

ゲームプレイしてたら~~ではなくいきなりゲームがぶっ壊れる。

そしてそれを雑に救いに行く。

話の雑さも酷いし伏線もなにもない。

今までのイベントであればキャラクターの掘り下げという部分があったが、今回はエルとグラスという今までも散々掘り下げたキャラのいつものムーブしかないので掘り下げられる要素がない。

SSRカードの柄がネタバレになっているので語ってしまうがゴールドシップ魔王(ウマ王)として君臨しているのだが、それもキャラクターイメージそのまますぎてなんの驚きもない。

学芸会レベル茶番を延々と見せられることになるという地獄のようなイベントストーリーである

前回のイベントもひどかった

終わったイベントなので起承転結ネタバレしてしまうので注意。

ウェディングドレスが似合う女選手権が開催される

・参加したウマ娘はなぜかアスレチックコース突破させられる

アスレチックコースの途中でリタイアしかけるヒシアケボノマヤノトップガンが助ける

・皆で仲良くゴールしてウェディングドレスを着る

酷い。

何が酷いってレース中に他のウマを助けるというシーンの競馬に対する侮辱たるや。

おててつないで仲良くゴールという文化は、そこに平等世界を目指す文脈があるから成立する。

だがウマ娘世界観は平等ではなく競い合って最強を決めることに意味を見出す文脈の上にある。

プロボクサーリングでいきなり「殴り合いなんて良くない!KOするまで殴るなんて俺は出来ない!」と相手選手にかけよって傷の介抱を始めたらそれがどれほどの人に対してのどれほどの侮辱になるだろうか?

競走馬キャラクター化させるという道を選んだ以上、絶対に守らなくてはならない文脈はあるはずだ。

それを平然と破り捨ててきたのだ。

ならせめて最初からレースもどきなんてせずに、お裁縫だのお料理だのナンパ大会だの大食い大会なりをしていれば……いやそういった催しであったとしてもそれが「競う」「試す」「目指す」といった要素を含むのならば、個人の戦いに他者が介入することは間違いだ。

競走馬達が併せのトレーニングをするのは、それがトレーニングから成立するのだ。

同じ馬主の馬が他の馬を妨害するという展開、同じ馬をターゲットにした同士による協力的な潰し合いだってレースには確かに存在する。

しかし、自分が1位を狙える展開で、チームオーダー存在するわけでもないのに他の馬のために勝利を譲るような馬がいるだろうか?

いない。

そもそも強い競走馬は闘志や競争心を美徳として兼ね備えるものだ。

擬人化美少女ゲームに出てくるレベルの超有名馬であれば、そのどれもが他のものを蹴落として自分が最強になることを目指す生まれついての勝利絶対主義馬のはずだ。

それが自身勝利を目前にして他人のためにゴールから遠ざかる?

そんなストーリーがあっていいのか?

勝利よりも大切なことがある」

そんな物語はたしかに美しい。

だが競走馬世界はその文脈を踏みにじっていくから美しい。

勝利よりも大切なものはない」

その世界からこそ数々の夢が、それが散る姿が輝いていくのだ。

負け続けてもレースに出続けたハルウララがなぜあんなにも人気があったのか?

それは勝利絶対世界でそれでも負け続け、それでも走り続けたからだ。

絶対価値永遠にたどり着くこと無く、それでもそこになにかがあると思わせ続けたからだ。

勝利するということに勝る価値がないはずの世界に、負け続けながら居続けたことが人々の心に強く映った。

そして、何度も負けながら勝ちを目指し続けていた。

それに比べてウェディングイベントマヤノトップガンはなんだ?

というかこんな描かれ方をして本物のマヤノトップガンファンは許せるのか?

1回目は偶然 2回目も偶然 3回目は

次のイベントクオリティによっては、ウマ娘という作品に対して語られてきた「原作へのリスペクト」を疑わなきゃいけないんだろうな

2021-06-17

ホラーからってダイコンを使ってもいいという幻想は捨てろ

ホラーは引きが7割、残りの3割が演者リアクション

3割は十分でけーんだよ。

キャーキャー言わせとけばええわと思ってアホなアイドルとかキムタクの娘とか軽率に入れたがるけど、見てりゃわかるんだよ。恐怖のキャーなのか、キャーって言ってくださいって言われてとりあえずのキャーなのか。

とりあえずのキャーはダメなんだよ。萎えるんだよ。蒼井そらアンアンと一緒なんだよ。プロなら今日微妙だなと思いながらもめちゃくちゃ気持ちよさそうにあえぐんだよ。

アイドルにもしょうもないタレントにもそれができない。

あー、これ怖くないんだな。と、見てる人間に思わせたらもうダメなんだよ。それ以前に「なんやこのダイコン舐めてんのか」って内容以前の違和感を持たせたらもっとダメなんだよ。清純派女優がへそピしてるのがチラチラ見えたら集中できないだろ。

プロ使え、プロをよ。

ホラー監督はすぐに「ホラー映画の地位が低い」って言うけどそりゃそうだよ。ゴミみたいな素材使ってやってんだから挙句の果てには低予算で作るのがカッコイイみたいな美学を語りやがる。

カッコよくねーよアホが。こちとら金払って見とるんじゃ。学芸会見せんじゃねぇよ。せめて低予算でもそれを感じさせない作りにしろ

日本ホラー映画に期待してる奴なんか数少ないんだぞ。そいつらにしょうもないゴミ食わせて金をむしるような真似をするな。真面目にやれ真面目に。

2021-06-15

グッドバイ・マイ…

グッドバイ・マイ…」という脚本がある。

中学生向けに書かれたもので、商業舞台で見ることはまずない。

海外で通っていた日本人学校学芸会で、中学部が毎年演じていて、強く心に残っている。

日本人学校とは言え、1年で全員が入れ替わるわけではないから、キャストも被っているし、去年も見た内容なのに、なぜか毎年強く惹き付けられた。

自分も当然、中学生になったらあの芝居を演るんだと、どんな演出にしようか、どの役を演ろうかと、悩んでいたが、あっさり帰国が決まり、結局一度も演じることはなかった。

生きることに迷ったとき、いつもこの舞台のことを思い出す。

私の魂も、迷い、傷付き、絶望することを知りながら、それでも産まれてくることを、生きること選んだのだと。

生きることを、産まれることを選んだ「産まれて間もなく捨てられる未来」の魂の泣き声が、一度聴こえなくなったあと、助けられたのか再度聴こえだしたシーンが一番印象に残っている。

絶望から希望への転換。

絶望的な人生を知らされた魂たちが、「それでも精いっぱい生きる」と宣言する。

私もそうやって、産まれおちて、生き延びることを決意したのだ。

できることなら、この脚本を演じたい。

全ての役を演じてみたい。ひとり芝居ではなく、誰かと作り上げる舞台の、かけあいの中で、全ての役を。

グッドバイ・マイ…続く言葉は明かされない。演者や観客一人ひとりに、解釈が託されている。

私は私の解釈言葉を入れ、それを「お守り」として心に持っている。

2021-05-23

anond:20210523125858

AIの入ったダッチワイフとは一緒に旅行もいけないし映画もみれないし喧嘩もできない。

より子育てができない。

小学生の子供と一緒に海で泳いだり、山でキャンプしたり、虫取りしたり、自由工作で変な物作ったりしたい。

運動会応援にいったり、学芸会で頑張る姿や卒業式見て泣いたりしたいわ。

大人になったら一緒に飲み屋に行ったりしてみたい。

AIダッチワイフではどうにもならない。

2021-05-06

続・物語作家になりたい人たちへ

【1】

 まず、私の投稿に対して「こういう規則押し付け創作の芽を摘む」というような声が有ったので、以下ではその声に答えたい。

 日本では割りと「創作においては『論理』に頼らない『直感』こそが正義である」という信仰が強い。しかし、現実は逆である。きちんとした創作を生み出すためにこそ、創作家には規則論理必要なのである

 例を挙げよう。映画業界の話である欧米をはじめとする諸外国とは異なり、日本には映画に関する専門的な教育・訓練を行うまともな機関が無い。そのため、映画仕事を志望する人間は、専門的な教育や訓練を受けたくても受けられない。業界全体が、昭和時代と何も変わらない『徒弟制度』に頼りきりである業界志望者は、論理的・合理的ノウハウも身に着けられないまま、無駄に年月を重ねる。結果として、まともな監督脚本家スタッフも育たない。つまり「まともな作品」を撮れなくなり、現在日本実写映画は「まともなビジネス」として成立しなくなった。

 映画役者供給する演劇業界も、実写映画業界と似たり寄ったりである。大半の劇団は良い演劇をすることよりも、地方自治体を唆して税金寄生することや、稽古や親睦を名目にして性的関係を結ぶことの方に熱心で、肝心の本業である演技や演出学芸会レベルのままである

 日本実写映画業界演劇業界は、指導名目スタッフ役者に灰皿を投げつけたり暴力を振るう類いの人間たちが「名監督」や「名演出家」扱いされている始末である。片や出演する演技者の方も、演技の専門的な訓練を受けていないミュージシャンとかが大役をゲットする。こういう紛い物たちが日本映画業界演劇業界蔓延っているのは「論理的・合理的ノウハウの訓練を行うシステム」が無いかである論理的な指導ができない人間は、監督演出家を辞めるべきだし、演技の訓練をしていない人間は、演技の仕事を去るべきである

 それはともかく、漫画小説作家を目指す人間は、実写映画業界演劇業界が手遅れに近い状態になってしまっているのを「他山の石」として、まずは「論理的・合理的ノウハウ」を身に着けるように努めてもらいたい。

 そうすれば、日本実写映画ドラマで頻繁に見かける「よく考えもせずに『何となくそれっぽいから』という理由だけで、悪人たちが悪企みの会議をしている場面で部屋を暗くしてみた」とか「とりあえず竹中直人佐藤二朗ムロツヨシに滑稽な表情と動きをさせておけば、それでコメディっぽくなるだろう」といった馬鹿描写貴方物語作品の中でしなくて済むだろう。

【2】

 次に「セオリーから外れているけどヒットした作品も有る」というような声も寄せられた。これに対しても以下で答えたい。

 野村克也インタビューで言ったことで有名になった「勝ちに『不思議の勝ち』有り。負けに『不思議の負け』無し」という喩えが有る。論理に依らない成功の例は確かに有り得るが、それは謂わば「宝クジが当たる」ようなものである。もしも「宝クジに当たる人間も世の中にはいるのだから自分はあくせく働くのは止める」と言い出す人間がいたとしたら、その正気を疑うだろう。

 物語を書くこと、創作活動をすることは、宝クジを買うように運任せの行為なのか?それは違う。人間頭脳を使う営みなのである。ならば、創作活動において頭脳を使って論理規則活用することの、いったい何が悪いというのか?そんなに頭を使って書くのに抵抗を覚えるならば、いっそコックリさんに頼って自動書記でもしてはどうか?それは冗談だが、仮に偶然に頼るにしても頼り方が有る。

 蜘蛛という生き物がいる。その中でもコガネグモジョロウグモなど、網を張って獲物を捕らえる種類がいる。網に獲物が掛かるか否かは偶然であるしかし、網を張らねば偶然を捕らえることはできない。創作活動において論理規則活用することは、謂わばクモが網を貼るようなものなのだ理解してもらいたい。

【3】

 「とりあえず最後まで書くのが重要」という声には強く同意する。物語作家の志望者は、まずは作品を一本書き上げてもらいたい。しかし、そのためにこそ、論理規則有効なのである登場人物生命の息吹を与えて、物語を完走させる上で、論理規則活用することは、手助けにこそなれど決して枷にはならない。むしろ始めにきちんと考えないままで何となく執筆に着手してしまい、結果として執筆の途中でガス欠になって未完成で投げ出す人の方が、物語作家の志望者には圧倒的に多いのである。それを避けて最後まで書き切るためにこそ、論理規則活用して欲しい。

【4】

 「文章力画力があれば、何も起きない平凡な日常生活描写でも読者を惹きつけられる」というのは、嘘ではないが、しかし本当でもない。それだけの力を持つような文章力画力というのは「何を書く・描くべきか」を把握していなければ、物語作家志望者も身につけようが無い。そして、何を書く・描くべきかを把握するには、やはり論理規則に則った思考必要なのである。また、何も起きない平凡な日常生活は、無手勝流簡単に書ける・描けるものではない。観察力もまた出発点は論理規則である

2021-04-07

弱者男性だが俺はもう大丈夫

もともと女性一般から広くモテたいとか、誰でもいいかセックスをしたいとかさせてほしいとか、社会から魅力的な男性として認められたいといった願望はない。俺が惚れた女がたまたま俺に惚れてくれないという状況がン十年続いているだけだ。しか世間一般ではその状況こそ恋愛弱者とされているのだろう。俺からしてみれば弱者という自覚などないしこうした現状を特に気に病んでもいないが、うるおいのない人生であることもまた事実だ。たしか人生はパサパサだ。顔は脂でネチョネチョしているが。さて、独り身の男がうるおいのない人生に慰めを見出すとしたら? もっとも手軽な手段は読んで字のごとく自慰である。というわけで、ここから先はオナニーの話をします。恋愛弱者論は出てきません。お引き取りください。

100%イマジネーションだけで登頂できる程度にはまだ元気な私だけれど、もちろんよいおかずがあればそれに越したことはない。私の世代男性はさまざまなおかずで食事をしてきた。うつろいゆくエロメディアの変遷をすべて経験してきた。いや、ピンク映画経験してないか。まあいい、それはさておき、自宅の電話線に通信モデム接続されるまでの長い長い間、私の主食は紙媒体だった。エロ本、エロ小説エロマンガである劇画タッチの暗くて薄汚いエロマンガに代わってアニメ調のかわいらしい絵柄の美少女エロマンガ雑誌が続々登場し、それに夢中になったりもした。アダルトビデオもすでに文化としては大輪の花を咲かせていたが市場的にはレンタル専用の位置づけで、日々の主食とするにはコストがかかりすぎるごちそうだった。どんなに気に入った作品でもレンタルは返さなければいけないし、セル用VHSともなると1本が1万円以上したのだ。

こうしたおかず環境インターネットの登場で激変し、通信環境パソコンの処理能力の向上でもう一度激変した。このあたりの変遷はくだくだしく振り返る必要はないだろう。かつて、何世代ものダビングを経て裏か表かすらよくわからなくなった飯島愛ビデオに目をこらしていたことを考えると、常時接続ネット回線からフルハイビジョン無修正動画無料でドバドバ降ってくる現代の状況は「隔世の感」などという月並み言葉では語り尽くせない感慨がある。「この世の春」が少し近い。

もっとも、この変化はあくまでも量的な変化に過ぎない。ガビガビの飯島愛とフルハイビジョンの七沢みあの違いは、端的には解像度と入手性だけであり、メディアとしての質的な差はないと言える。どっちも同じ動画だ。そこには、かつてエロ本(静止画)に代わってエロビデオ動画)が登場した時のようなパラダイムシフトはない。作品の内容についても同様である。80~90年代のAVに比べると現代のAVは内容がめちゃくちゃに高度化していて、とんでもない美人がとんでもなくエロいことをとんでもない演技力でやってのける時代になったが、これとても地道に連続的に向上していった結果であり、その間に何か飛躍があったわけではない。

この先もこういう線形な向上がひたすら続くんだろうな、と俺は思っていた。モデルますます美人になり、エロ演出ますます洗練され、解像度4K8K、16Kとますます向上し……そのうちテレビも買い換えなきゃだな、と。この先に非線形な、飛躍をともなうパラダイムシフトが起こるとは思っていなかった。

ところが2016年になってそれは起こった。アダルトVRの登場である

それはまさにパラダイムシフトだった。静止画動画になったあのパラダイムシフトさえ超える革命だった。初めてアダルトVRを見たとき、「これは今までのAVとはまったく異質なものだ」と私は確信した。

VRゴーグルをかけて再生を始めた時、自分行為の「当事者」になっていた。それまでのAVでは(一人称視点モノであっても)自分あくまでも「傍観者」だった。見慣れたハウススタジオで繰り広げられている知らない誰かと誰かの性行為を神の視点で眺めるだけの傍観者だ。男優の求めに応じて、あるいは自発的女優が行う行為淫靡さ大胆さ、背徳さや不潔さ、それを傍観して興奮するのが従来のAVだ。AV嬢は裸になるのが当たり前だし、裸になるまでのチンケな三文芝居など早送りするしかない。

しかアダルトVRはそれとはまったく違った。なぜか間取りをうっすら知っている家の中に自分はいて、目の前にはめちゃめちゃきれいな女の子がいる。冬服に変わったばかりで今タンから出してきたようなブレザーの制服を着ている。樟脳のにおいがしてきそうだ。その子がこっちを向いて「うふふっ」と笑う。こちもつられてつい笑ってしまう。「ンフッ」 今までAVを見ていてそんなことがあったか? 俺はなかった。画面の中で何が行われていても、握力と緩急の調整こそすれ、表情は真顔のままだったと思う。

驚くべきは女優たちの演技力だ。アダルトVRは基本的に「女優の一人芝居」である自分役の男優はいるがただの木偶であり、ストーリー進行はすべて女優の演技に任されている。女優たちはこれを見事にしてのけるのだ。イッセー尾形とまでは言わないが、正直私はAV女優たちがここまでちゃんとしたお芝居をするとは思っていなかった。また、そのくらいアダルトVRは女優演技力重要ジャンルなのだった。棒読み学芸会の芝居だとまったく白けたものになってしまうのだ。結果として、ただかわいくてスタイルがいいだけの女優ではなく、きちんとお芝居のできる女優が日々発掘され、適性が見いだされ、人気を得て活躍していくようになった。

一人称AVというジャンルは古くからあるが、久しくマイナージャンルであった。しかしここへきて一人称AVは突然業界のどセンターに据えられることになったのだから世の中わからないものである

一人称という形式により、2Dでは早送りしていたような行為前後のたわいもないドラマシーンががぜん意味を帯びてきた。この女性下宿美人管理人さんで、俺はしがない浪人生。この女性かわいい妹で俺はモテない兄貴。この女性神待ちJKで俺は一人暮らしの冴えないおっさんリーマン。2Dではわりとどうでもよかったそんな設定がいちいち重要になってきた。その設定に没入すればするほど、目の前の女性が服を脱いだ時の衝撃と興奮が大きいのだ。もし美人教師かわいい看護婦さんが「現実に」目の前で服を脱ぎだしたら、誰だってびっくりするでしょう?

風呂上がりでバスタオルを胴に巻いただけの妹が俺のほうに上半身をのり出してきて、急にまじめな顔になって聞く。「ねえおにいちゃん、そらのおっぱい見たい?」俺はあまりのことに声も出せずただブンブンと首をタテに振るしかできなかった。「ほら!」バスタオルの前が勢いよく開かれた。椎名そらの、いつもAVで見ていたあこがれの椎名そらの、あの白くてすべすべしてふっくらとまろやかで、ぷにぷに弾力のあるかわいい乳房が、俺の目の前でぷるんと揺れた。「あっ、あっ…!!」人は感極まるとカオナシみたいな声が出てしまうことを知った。「興奮する?」「うん…する…する!」思わず答えていた。

目の前に素敵な女の人がいて、自分を信頼して親密に身を寄せてきてくれるあの幸福感が脳を満たす。「幸せ物質」みたいなものがあるとしたらそれが体中を駆けめぐる感じ、2DのAVでは決して味わうことのないゾクゾクする感じがアダルトVRにはあった。もちろん相手が生身の女性だったらその歓喜もっとずっと大きいはずだが(長いこと感じていないのでどのくらいか忘れてしまった)そんなことはもうどうでもいい。少なくとも2Dにはそれがなく、VRにはそれがあるのだ。

心通じ合うパートナーがいなければこの先ずっと得られないと思っていたあの歓びを、わずかでも擬似的にでも感じることができたし、ゴーグルをかければいつでも感じることができる。そしてこの先まだまだVRゴーグルの性能は向上するし、きっと動画解像度も上がっていくだろう。素晴らしいじゃないかコロナにおびえながらキャバクラ風俗に通わなくてもいい。俺はもう、大丈夫だ。これさえあれば、アダルトVRさえあれば大丈夫だとわかった。生きていける。

2021-03-31

あなた人生において利用できるから

それだけの理由あなたあなたの間違いを、デマ捏造を、

そのままどころかさら捏造してゆく。

空っぽあなたの身を飾るために。

不憫なひと。

何もかもが捏造気持ち悪い学芸会

あなた人生において利用できるから

それだけの理由あなたあなたの間違いを、デマ捏造を、

そのままどころかさら捏造してゆく。

空っぽあなたの身を飾るために。

不憫なひと。

何もかもが捏造気持ち悪い学芸会

2021-03-19

邦画がつまらない理由

ありのままの場を映さないからじゃないだろうか

例えばコンビニで買い物をする風景を撮るとする

他国映画だとちょっと冷めた人間同士の寂しいやり取りとして行われるが

邦画でそれを撮ると客がどこかはっちゃけた感じで店員もどっか間抜けな感じで撮られる

これがコンビニ強盗に合う映画だったりすると強盗警察も同じように撮られる

それで全員が吉本新喜劇みたいなノリで進んでいくストーリーな訳

他国場合コンビニ強盗経済的背景を入れて客との間で少しずつ距離が詰まっていって

最後強盗が撃たれて終わるってパターンで終わる

映画ドキュメンタリータッチで撮られる物だけど邦画学芸会を撮ることを好みすぎている

2021-03-02

anond:20210302094631

朝鮮学校との交流会(確か近隣の小学校数校と合同でやってた)みたいなのは俺の小学校でもあったけど、学芸会の踊りみたいなの見せ合うだけだったから、向こうの印象なんてなーんも覚えてねえな

というかその練習ばかり延々とやらされて、正直辟易していた記憶しかない(これは運動会や6年生を送る会も同じだったが)

本番も記憶に残っているのは「な~んたらか~んたら、はちゃぶらぼ~」みたいな謎の歌に合わせてでかい柱にリボンを巻き巻きする変な踊りを見せられたことぐらいであ

とにかくアウェー感が凄かった

その交流会も一度か二度で後は参加することもなく、特に何の感想もなかった

2021-01-26

小学校だった頃校長先生の話長すぎて倒れた事がある

校長先生の話って何であんなに長いんだろう。

実際に長いかは分からないけど、とにかく長いと感じる。

長すぎて倒れた事がある。

詳細は全然覚えていない、というか覚えていられるほどだったら倒れていないと思うけど、結果的に倒れてるんだよね。

今思えば朝ごはん抜いたりしてたのかな。いつもギリギリに起きて、走って学校まで行くこともよくあったから、運悪くその日に当たってしまたか

学芸会でお漏らしした時の事は鮮明に覚えてるが、昔のことって結構大事な事でもどんどん記憶から無くなっていくんだな。

無論、校長先生の話の内容は覚えているわけがない。

2020-12-01

別の何かを悪く言うことでしか褒められない人

こういうの。

yjkym 自分ラーメンズ見て育った世代から、今のキングオブコントとか見てもほんと学芸会しか見えないんだよな やっぱり彼らはコントの最高地点だったと思うなぁ

マジでゴミみたいな人間だなと思う。

2020-11-16

ラインダンスレオタード少女ブルマー追記

宝塚レオタード

鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士悪党を罰するために物質伝送機であちこち飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。

また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。

つまるところ、こういうスカートレオタードラインダンス宝塚起源なのだろうか?

ラインダンスとは、というか、そもそもあれはラインダンスなのか?

まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。

ラインダンスLine Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンル特に限定は無い。

また日本ではポンキッキーズという番組知名度を上げている。本番組場合では、主に小中学生女子椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通ダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンス学芸会体育祭で取りあげる学校も多かった。

ひらけ! ポンキッキから視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。

それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。

ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8

ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056

宝塚だけでなく、松竹歌劇団映像も見つけることができた。

ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137

名称は、米国ダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君笑顔がいい)

ロケッツは、1925年セントルイスで、「ミズーリロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者ラッセル・マーカートは、1922年ブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国ダンスグループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。

だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。

宝塚レオタードはいからか?

第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンス披露した。

とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹であるが、おおよそ同時代写真がある。

しかしながら、こんな記述もある。

1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記テーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇レビューに欠かせないものとして定着する。

まりラインダンス1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディア写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい

しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。

もちろん、戦時中はこんな派手な衣装ではない。

宝塚松竹カラーの違い

今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。

宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感大人男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町浅草、片や山の手日比谷東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚松竹と、それぞれのカラアと伝統があったこはいうまでもない」。戦後占領期には松竹宝塚両方を取り上げる雑誌複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。

こうした説を補強する、次のような画像がある。

1932年松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる

また、個人ブログだが、こういう画像がある。

ここでは年代不明だが、ビキニ姿も確認できる。

報道姿勢問題

スポーツ新聞ではラインダンス撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近女子スポーツ写真をことさら性的撮影することを阻むため、JOC対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性スポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現ギャグが滑っている気がする。

しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。

関係ないけど意外な事実

上記松竹歌劇団動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。

https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/

なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなもの存在していた! こうなると、見せパン歴史サーカス衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。

関係ないけど意外な事実その2

英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。

In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.

2008年、国際バレー連盟女性バレー選手はそうした衣装ショーツブルマー)を協議中に使うように要求されていた。

なんと、ブルマータイプ衣装強制21世紀になっても行われていたのであるにわかには信じがたい。以前にはビーチバレー衣装強制について調べたが、問題はここにもあったのである

さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマー強制されなくて本当に良かった。

僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。

それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事1930年 The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyブルマーのものナチス時代ブルマーカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマー世界的な分布についても、再考を要する。

結論

今後の展望

今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代矛盾はないが、証拠は不十分である

また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。

2020-10-29

anond:20201029205430

普通に考えれば面白い話を作れる作家に付くもんだが、ハコに付く層も実は結構いる

大人になっても少年ジャンプを読んでいる人とかがそう

ジャンプけものフレンズ公式とじゃ世界遺産の城と学芸会のセットくらい違うが

2020-10-09

幼少期のこういう出来事をたまに思い出す

保育園クラスドーナツ作りをする時、生地から作った事がなかったし完成したドーナツの形を思い浮かべ過ぎて、最後までドーナツ生地で輪を作れなかった(生地の端と端をくっつけても「なんかこんな形じゃない、間違ってるんだ」って思い込んで永遠に1人でやり直してたら最後まで生地作るテーブル自分けが残ってて、見かねた先生自分生地を取って輪を作ってくれた。なんだこれで良かったのか…という気持ちになった)。

幼稚園自分の鉢に土を入れてチューリップか何かを植える時、土が入ってるビニールの真ん中に先生が切り込みを入れる→切り込みを自分の手で広げて鉢に移し替えるの流れだった。けれど、ビニールの切り込みを手で広げる作業について聞き逃してたからか、1人だけ一生懸命小さい切り込みから移し替えようとしてた。これも一番最後まで残ってしまい、自分が土の過程で止まってるところを先生が見かねて手伝ってくれた。

小一の頃はクラス全体で朝顔を種から育ててたのに、自分朝顔だけ多分芽すら生えてこなかった(記憶あやふや)。理由は今も不明。これも見かねた担任先生が授業中に朝顔育ててる場所自分を連れてきて、「みんな蕾が出てるのにあなたのだけ芽がないよ、おかしいと思わなかったの?」って言ってきた。自分でも言われる前からおかしいと思ってたけどなぜか言い出せず、いざ「どうするの?」と言われると「もう一度種から育てますしか言えなかった。これも間違ってたみたいで「遅すぎる」と言われて中庭に植えられていた朝顔たちの中から1つ選んで、自分の鉢に先生と植え替えた。

この他にも、小五の頃は学芸会で使うはずだった学年共通の小物のリボン自分の分だけ本番当日に無くなって先生に急遽作ってもらったりもした(後日教室ロッカーと壁の隙間みたいな所からリボンが出てきたから当時自分嫌がらせしてきてた奴がここに捨てたんだろうなと何となく思った。未だに真偽不明)。

今の自分効率の悪さや作業の出来なさを感じた時、たまに「そう言えば昔からこういう事あったな」と思い出す。何なんだろうこの感じは。他にも「昔から同級生に下に見られてたよな」とか、具体例を挙げながら話すとキリが無いけど今の自分の出来なさと昔の出来事が思ってる以上に繋がってるような気がしてどうしようもなく惨めに思える時がある。本当に何かが足りてないのかもしれない。

2020-09-16

「親に愛されてない子を愛した苦しみ」ばかやろう

初めに言っておくとこれは性根ド腐れザコ創作マンお気持ち表明増田です

読みてー奴だけ着いて来な!ヒャウィゴッ


====

事の発端は数年前にさかのぼる。私は創作畑的な界隈の端っこで活動していた。

いくらぼかしてもわかる人にはわかるだろうが、いわゆる「うちの子」的な概念とそれに付随するいろんな形のデータネット放出するタイプ創作だ。

私もいろんな人の作成した「うちの子」を借りてなんかいろいろやっていた。とても楽しかった。

もちろん私も「うちの子」的な概念を作って発表していた。

人が人なら黒歴史かもしれないが私はめちゃくちゃ自分創作大好きマンなので全然今でも楽しかったなぁと思っている。

なんならその数年前の作品は今でもたまに見返すし、楽しそうだなぁこいつと微笑む余裕さえある。自分創作大好きマンの懐は深い。

が、自分創作大好きマン創作はしかし、基本鳴かず飛ばすだった。


これは「うちの子」的な概念創作したことがある人なら大体わかってもらえると思うんだが、他人に「うちの子」を好いてもらえる快感ったらない。

もちろん基本はアタシが誰より一番!一番好きよ!てなもんで常にラムラブソングな訳なんだが、このラム同担歓迎だからあたるがモテてたら最後彼氏面で腕組んで静かにうなづくタイプ

サンキュー、いいだろ、うちのあたる……。もっと良いとこあるんスようちのあたる。ちょっと待ってね今用意するから、あたるの新衣装

そんな感じ。つまり、誰かに推してもらえるとこっちも捗るわけだ。

今はどうなんだかいまいちわからんが、私がその界隈にいた当時、そこは別に広い界隈じゃなかった。

とはいえ全員顔見知り限界集落みたいな界隈でもなかったので、もちろん超絶人気の鉄板アイドルみたいな「うちの子」もいればそうじゃない草の根みたいなやつもいた。

うちのあたるはどちらかといえば草の根タイプだった。学芸会でも石ころの役を任される方だった。

それに関してはまぁ、別に良いと思ってた。少なくとも当時は。

超絶人気の鉄板アイドルのいわゆる「親御さん」は、それに見合うだけの労力も支払っていたし、努力をたくさんしていたし、普通に推せた。

学芸会でなんの役ももらえないような「うちの子だって何人もいたような規模の界隈であることは確かなので、なんなら石ころでももらえるんじゃん!やったなおめぇ!って思っていた。

まぁ、うちのあたるも頑張ってるんでね…わかる人が分かってればいいんだっちゃ……っつって。うちのあたるが主役をやれる劇はうちのリビングでやればいいんだから

あたる!今日はなにやる?!シンデレラ?!よーし!お前がシンデレラだ!

ホームビデオ撮っとく?!ヒュウ!ダーリンが一番輝いてるっちゃ!


そんな風なスタンスで、まぁ数年、楽しくやっていた。

その界隈から離れたのは、普通にジャンルでの活動が忙しくなってしまたからだ。

ただ楽しかたことは覚えているし、本当にたまに風のうわさでうちのあたるがよその家の発表会に出させてもらったという話を聞くこともあったので、気が向いたらそちらの界隈のアカウントを覗くようにしていた。

(「親」が活動していなくてもその「子」を借りるということは全然ある界隈だし、すくなくともうちのあたるに関しては好きにしてくれと表明していた)


ある日、そのアカウントの方にリプライが届いていた。どうやらうちのあたるを発表しているページに不備が出ていたらしい。

メンテナンスもしていなかったからそんなこともあらぁなと改修した。ついでに、界隈を離れたころに気づいてずっと手を入れたかった部分もすこし修正してうちのあたるを発表しなおした。

まだこの子必要としてくれる人もいるんだなぁと本当にうれしかった。

ご連絡ありがとうございました。これからもうちの子をどうぞよろしくお願いしますとメッセージを添えて改修の旨をお知らせした。

しばらくして、どんなもんかなと連絡をくれた人の様子をうかがいに行ったら、見事に燃え上がってた。

何事????????っつって。


燃え上がってたって言葉には齟齬がある。なんか一人で燃えてた。ショックを受けて意気消沈したあと、一週回って燃え上がってる感じだった。

えっマジで何事????なんかうちのあたるの話してる????何???修正できてなかった???

慌てて確認する。ちゃんとできてる。オッケー今日ダーリン輝いてるっちゃ。

趣味の良い事じゃない気がしたから嫌だったんだけど、気になるのでその人のツイートを激さかのぼった。

どうやらお知らせした私の態度があまりにも事務的だったことが事の発端らしい。

「私はこの子をこんなに愛しているのに、生みの親に愛されてない」「なんてかわいそう」「こんなお情けで更新されるしかないなんて」

「今回の対応でこれからさき絶対供給がないことを思い知らされた」「これから先この子を扱っていく自信がない」

というようなことをここ数日呟いているらしかった。


「かわいそう」ってなんだ。

かわいそうなのか?うちのあたるは。

「生みの親に愛されてない」のか?うちのあたるは。

数年放置していた「うちの子」だ。確かには端から見れば愛がないように見えるのかもしれない。

でも、私のつくった子だ。これだけは絶対に言える。私が一から作って、命を吹き込んだ子だ。アタシが誰より一番だ。

何で「愛してない」なんて言われなきゃいけないんだ。何が「かわいそう」なんだ。

じゃあなんで数年前、私があたると二人でリビングでやっていた劇を見に来てくれなかったんだ。

あなたがあの時「最高のシンデレラじゃん」って言ってくれたら、手拍子の一つでもしてくれたら今だってあたるのシンデレラドレス作ってたかもしんないじゃん。

シンデレラどころか赤ずきんコスだって第二形態だってタキシードだって作ってたかもしんないじゃん。

おんなじ場所にいたはずなのに、あの時あなたはこっちを見向きもしてなかったじゃん。

それを今更好きだとかだいじにしてほしいだとか言われたって困るがな。



ってことでもやもやしてたんだけど。

「近所の店の閉店が決まってから、本の絶版が決まってから、『好きだった』なんて言ったって無駄」みたいなツイートが別のアカウントのTLで回ってきて、なるほどこういう気持ちね!って思った。

『報われなかった子が・店が・本がかわいそう』なんて、何にもしてないまっさらの手をかざして、泥だらけになって頑張ってた人の目の前で言ったって本当に無駄なんだな!びっくりした。

まりそういうことです。ここまで付き合ってくれた増田一同、好きなものにはリアルタイムで好きって言っておけよ!

ちなみに私は性根がド腐れてるので、改修のついでに作った新作は今から半年後に発表しよって思いました。

あいつが嘆いてたから、そのフォローのために作っただなんて絶対に思われたくねぇからな!

2020-08-22

今更だけど上野千〇子の祝辞に関して東大生が思うこと

私は一生公教育なんて信じない。私の命は中学受験で救われた。

私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。

とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生放火をし、中学生喫煙し、高校生バイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。

私の家は紛うことなホワイトカラー一家だ。元ボンボンサラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しか女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。

そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的あくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験小学校四年生から始まった。それもSAPIX日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。

しかし、それでも学校教員からの敵意からは逃れられなかった。

彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。

そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。

まずは保護者会で、担任教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生言葉絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。

休み時間円周率計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強しました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからいじめが始まった。

帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。

先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。

おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生なのだクラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは仲間意識の強い」彼らなのだ

悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。

また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。

私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休み図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。

一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこから漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。

担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。

だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。

真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。

別の小学校越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまたからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分学校問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。

私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分オーディションに受かったら、自分母親と隣のクラス教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。

話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。

もし父親先見の明がなかったか、私が過度のストレス受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。

数年前の東大入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれ人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。

エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く①

6月頃に一回自殺未遂したけど死ねなかった女の話です。

したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。

休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います

クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。


私について

北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ

きしょいオタク文章書くのは割と好き。漫画アニメソシャゲ全部好き。乙女コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ

母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。

記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)

両親も親戚もみんなオタク父親ラムちゃんアイマスプロレス母親最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。

弟2人はFPSとかモンハン兄弟二人ともゲーマーガチ世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーボドゲに目覚めた。

実家は村に近い山奥のドドドドド田舎同級生農家酪農やってる子がいっぱいいる。


小さい時

育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん

保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。

イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。

ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……


物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。

保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃん長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。

母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待

ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。

後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。

当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。

あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。

かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。



小学生時代

全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態

入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。

家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。

教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃんありがとう……

あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。


3年生ぐらいか普通に社交的になったと思う。クラス委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。

この頃、休み時間教室以外にも図書室で本を読む女になってた。

同時期ぐらいに父親仕事をクビになってニート引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。

ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。


高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親から評価めっちゃ高かった。

勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子

実際、3年からは毎回クラス委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟同級生同士で仲良し~とかあった。

ちなみにこの頃はちゃお少年Aジャンプ、母方の祖母の家でガンガンGファンタジー読んでた。


ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。

多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。

祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。

弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男からしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。


小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。

祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。

その後、親が離婚して一軒家から団地引っ越した。離婚父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。


これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。

母親はい祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態仕事に行ってたらしい。それでも授業参観運動会も学芸会絶対全部来てくれた。



中学生時代

田舎あるある小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。

半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんいじめを受け始める。

ゆみちゃん堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由野球部所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安から……」と頼まれ野球部に入った。

まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。

私はゆみちゃんいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。

彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。


結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか

私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめ相手が居なくなったから仲良かった私になった。

ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。

なんでか自分ノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。

当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。

そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。


中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。

私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。

休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。

それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。

おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。

ただ、学校担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。

母親はその日のうちに学校電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。

後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。

どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。

家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。


ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。


そのフォロワーたちもいじめ経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。

なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。

クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。

修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校先生マンツーマン勉強した。凄い有意義時間の使い方だったなと思う。

卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲プリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。

高校は女で嫌な思いをしたので男子比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制高校へ行く気でいた。

卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書アルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。



高校時代

ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ体罰普通にあったし、クラスメイトの男子教室内でデカデカ万引を自慢するようなクラスだった。

担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。

ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。

後々、クラス男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。

担任露骨わたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校ちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。

他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネット検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。

学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラス女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。

の子と出席番号が前後だったジャニヲタまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんまなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女であるマジで強い。

ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当AOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。

この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部BLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう

適当単位取って適当卒業した。これが私の高校時代の思い出である


専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ

ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社入社した。そしてこの後、地獄を見る。



2年間の社畜時代

前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。

上京してから半年横浜警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎地獄を見る。

警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。

入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み

休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。

休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。

心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。

私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。

そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。

無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。

元々寮で暮らしたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。

私は初めて、会社を休んだ。そしてそのまま退職した。

その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいか自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。



文字数制限引っかかったので適当に続き別の記事にでも書きます

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