保育園のクラスでドーナツ作りをする時、生地から作った事がなかったし完成したドーナツの形を思い浮かべ過ぎて、最後までドーナツの生地で輪を作れなかった(生地の端と端をくっつけても「なんかこんな形じゃない、間違ってるんだ」って思い込んで永遠に1人でやり直してたら最後まで生地作るテーブルに自分だけが残ってて、見かねた先生が自分の生地を取って輪を作ってくれた。なんだこれで良かったのか…という気持ちになった)。
幼稚園で自分の鉢に土を入れてチューリップか何かを植える時、土が入ってるビニールの真ん中に先生が切り込みを入れる→切り込みを自分の手で広げて鉢に移し替えるの流れだった。けれど、ビニールの切り込みを手で広げる作業について聞き逃してたからか、1人だけ一生懸命小さい切り込みから移し替えようとしてた。これも一番最後まで残ってしまい、自分が土の過程で止まってるところを先生が見かねて手伝ってくれた。
小一の頃はクラス全体で朝顔を種から育ててたのに、自分の朝顔だけ多分芽すら生えてこなかった(記憶あやふや)。理由は今も不明。これも見かねた担任の先生が授業中に朝顔育ててる場所に自分を連れてきて、「みんな蕾が出てるのにあなたのだけ芽がないよ、おかしいと思わなかったの?」って言ってきた。自分でも言われる前からおかしいと思ってたけどなぜか言い出せず、いざ「どうするの?」と言われると「もう一度種から育てます」しか言えなかった。これも間違ってたみたいで「遅すぎる」と言われて中庭に植えられていた朝顔たちの中から1つ選んで、自分の鉢に先生と植え替えた。
この他にも、小五の頃は学芸会で使うはずだった学年共通の小物のリボンが自分の分だけ本番当日に無くなって先生に急遽作ってもらったりもした(後日教室のロッカーと壁の隙間みたいな所からリボンが出てきたから当時自分に嫌がらせしてきてた奴がここに捨てたんだろうなと何となく思った。未だに真偽不明)。
今の自分の効率の悪さや作業の出来なさを感じた時、たまに「そう言えば昔からこういう事あったな」と思い出す。何なんだろうこの感じは。他にも「昔から同級生に下に見られてたよな」とか、具体例を挙げながら話すとキリが無いけど今の自分の出来なさと昔の出来事が思ってる以上に繋がってるような気がしてどうしようもなく惨めに思える時がある。本当に何かが足りてないのかもしれない。