はてなキーワード: 侮蔑表現とは
CHR$(143)
プレイ時間 88時間(全ステージクリアしたばかりの現在の時間)
全クリして達成感に満ちあふれているが、この気持ちが収まる前に感想を書くぜー!
しかし、タイトル名の読み方がよくわからん。「キャラクターズ・ワン・フォー・スリー」でいいのか? ちなみに、ゲームのタイトル画面では『Project CHR$(143)』表記となっている。
タイトル名の『CHR$(143)』だが、Amstradというイギリスのメーカーから1984年に販売されたCPC464というホームコンピューター(パソコン?)のキャラクターコード143に四角形が割り振られていることが元ネタのようだ。レトロなコンピューターを元ネタにしてるだけあって、ゲーム画面全体もレトロな雰囲気に仕上がっているのも好きだ。
ゲームのジャンルとしてはパズルゲームでいいはずだ。ちなみに、Steamでのジャンルは「インディー, シミュレーション」となっている。
Steamのストアページの類似品として、『Baba Is You』(説明不要の有名パズルゲーム)に、『Factorio』・『shapez』といった工場建設系シミュレーションに、カイロソフトのレトロ調シミュレーションゲームに、変態パズルゲームメーカー(誉め言葉)で知られるZachtronics社の『SHENZHEN I/O』などが並んでいる。
『CHR$(143)』の紹介文をSteamストアより引用する。
リッチでやりがいのある物理ベースのパズル/ロジック/建設/プログラミングゲーム!弾道学、流体力学、熱力学、化学反応、核反応をマスターし、オートメーションレンガを使い、構造物、機械、乗り物を作り、電力を生産し、パズルを解き、霧を突き破り、CHR$を倒そう!
https://store.steampowered.com/app/1695620/CHR143/
パズルゲームやレトロ調ゲームが好きな私としては『CHR$(143)』のトレイラー動画や上記の紹介文に心惹かれてプレイした次第だ。これがやっぱり面白かった。上記に挙げた他の類似品に匹敵する、あるいは凌駕するほどに面白かった。
ゲーム内容としては、箱庭系というよりもステージ攻略型のパズルである。ゲーム内では各ステージはレベルと表記されているので、この感想文でもレベルと表記する。
パズルの難易度としてはかなり高い。それでも、チュートリアルなどの導入はしっかりしてるし理不尽さもないので、私にとっては時間をかけて考えれば自力でクリアできる難易度だった。とはいえ、悩みに悩んで、日をまたいでようやくクリアしたレベルもある。
ちなみに最終レベルクリアのSteamグローバル実績は1.6%である。これで難易度の高さが伝わるだろうか。
各レベルの主な流れとしては、ブロックを作ったり掘ったり操作したりして目的を達成(レベルクリア)していくことにある。ブロックの一つ一つが物理演算する様は『Noita』らしさを感じた。レベルクリアについてだが、解法がガチガチに決まっているわけではない。時間制限があって急いで操作しなければいけないレベルもあり、レベルによってはアクション性が高かったり、シューティングゲーム要素があったりするのも楽しかった。
レトロゲームは昨今のゲームと比べてジャンルという枠組みにとらわれていない印象があるが、この『CHR$(143)』も同様だ。
ブロックを組み合わせたギミックはとても面白いが、その中でも特に好きなのは蒸気タービンによる発電だ。
ただ過熱蒸気をタービンに送るだけでは発電できず、冷却用の水も同時に必要となっている。タービンで熱交換されて、過熱蒸気はただの蒸気となり、水は温水になる。発電を継続させるためには、蒸気を常に加熱する仕組みと、温水を冷却塔で常に冷却する仕組みを構築する必要がある。蒸気よりも過熱蒸気の方が密度が小さいので上の方に行き、水よりも温水の方が密度が小さいので上の方に行く。こうしたブロック毎の密度の違いを利用してタービン発電を実装していく必要があるのだ。
このように、流体力学や熱力学を反映したシミュレーションになっているのが、『CHR$(143)』の面白いところだ。
非常に頭を悩ませながらも面白かったのがプログラミングだ。AND・OR・NOTなどのブロックで論理回路を実現できるだけではなく、CPUブロックも存在する。そしてCPUに対して、このゲーム専用(たぶん)のプログラミング言語で命令をプログラムできるのだ。この言語がとても低レベル(低水準・低レイヤの意味で、決して侮蔑表現ではない)なのが面白い。逆ポーランド記法で数式を記述したり、goto文で条件分岐したりといった具合だ。言語の仕様は大量にあり、pdfファイルでまとめられているほどの徹底ぶりだ。しかも、ゲーム中でも詳細はpdfファイルを参照するようにと求められるのだ。パズルゲームで、まさかプログラミング言語の仕様書を読まされるとは思わなかった!
とはいえ、言語仕様を全て理解する必要はないし、プログラミングもゼロからコーディングする必要もない。プログラムはサンプルとしてすでに作られた物をコピペで流用して必要な個所だけを書き加えたり修正したりすればいいし、仕様書も必要なところだけを読めばいいのだ。それはそれで、ある意味リアルなプログラミングともいえるのだが……。
説明するのを忘れていたが、ゲーム全般は日本語対応しているものの機械翻訳なので翻訳はガバガバだ。とはいえキー操作一つで英語表記に戻せるのでそんなに問題は無いし、翻訳のガバガバっぷりはそれはそれで味があっていいものだ。しかし、プログラミング言語仕様が描かれているpdfファイルは英語オンリーなので、読み解くのに苦労した。とはいえ、言語仕様を調べようとして英語の説明しかなくて苦労するというのにも、これはまたリアルなプログラミングだなぁと感じたものだ。
好きなレベルについても述べたいので、まずはレベルがどのように構成されているかから説明する。
チュートリアル的なレベルでギミックの説明から始まり、レベルを経る毎にギミックを応用させた解法が求められる。さらにレベルを経るとこれまでの集大成的なレベルが登場して、それをクリアしたらまたチュートリアル的なレベルで新たなギミックが登場する。この繰り返しが『CHR$(143)』の大きな流れだ。
その中で私が好きなのは、やはり集大成的なレベルだ。集大成的なレベルは視界が狭まっており、一体何があるのだろうかと周囲を探索しながら進んでいくのが楽しかった。こうしたレベルはクリアがSteam実績解除の対象となっており、それにふさわしい達成感も与えてくれる。
そして最終レベルをクリアしたのが、つい最近のことだ。この達成感を味わったことを書き残したくて、今この文章を書いているところだが、それももう終わりのようだ。
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。
ジャッポスというのがこの人の中の最大の侮蔑表現なんだろうな~
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか
https://synodos.jp/opinion/society/27932/
『更年期のしわわ』という差別的ニュアンスを含む表現を肯定したいとは思わないけど、なんらかの調査において、たわわのアンケートと男女逆で「40代男性で賛否に大きく偏りがあった」という結果が出たら、はてなの主流意見は確実に「聞くに値しない老害ホモソーシャルの偏った意見」という風な受け取り方になるだろうし、平気で『しわわ』程度の侮蔑表現が飛び交うだろうことは想像に難くないよなぁ……。
侮蔑表現はともかくとして、偏った層の歪んだ意見として解釈されることに関しては実際妥当な判断だと思うし。
それが女性になった途端、「経験に基づいて問題に気が付くことができるようになったから」とか言い出して偏りと歪みを直視しないのはギャグにもならないでしょ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700975005177983234/comment/turnriv01
一夫多妻とシングルマザー支援で少子化は解決。独身男性税で財源確保。高齢弱者男性は安楽死。弱者を殺せば問題は解決するのに、強者男性たちは何を迷っているんだろう?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700974277180730850/comment/turnriv01
増田にも似たような憎悪表現、侮蔑表現が数多く投稿されていますが、そちらには通報窓口がないので放置するしかありません。
何かしらの共通した思想を持っているとみなされ、ネット上で「憎悪を向けるべき存在」として抽象化され、誰かのストレスのはけ口のように扱われる。そういった状況を終わらせたいだけなんです。
実際そうじゃん。
結婚した後で妻をリスペクトするような事があって性欲を抱けなくなる、ってのもよくある話。
(典型例が出産だな、「見下せる女」だった妻が「偉大なる母」になってしまったからもう無理、というセックスレス夫の話はよく聞く)
男性が女性に性欲を抱いている時、脳の動きは相手の女性を人間としてではなく物体として見ている事を示している、ってのもあるしな。
元々男性はリスペクトしている女性には性欲を抱けないよ。生物としてそうなってんの。
それを両立する場合は、単に性欲を抱く時はリスペクトしている事を忘れるよう脳内で切り替えてるだけだ。
元増田の自分の尊敬するキャラ(実在が疑われるレベルで記述にあまりに具体性が欠けるが)が男性含むほとんどの人間からリスペクトされてるってのは間違いないし理解して欲しいと思うが、
いや、リスペクトされてないだろ。リスペクトしている相手にデブだのブスだのBBAだの言うかよ。
https://anond.hatelabo.jp/20181114225809
こっちの増田も分かりやすく書いてるが、大抵の男性オタクは二次元の女性キャラをリスペクトしてないどころか明確に侮蔑してるよ。
最近「ガイジ」を軽率に使うんじゃない、的な啓発をよく目にする。おそらく本当の障害者に「ガイジ」と言うようなことはしないから、「ガイジ」で傷つく人のことを考えない軽率さが生まれるのだと思う。それでも「ガイジ」を軽率に使うな!と言う人がいるのは、健常者を「ガイジ」と侮蔑することは、障害者は侮蔑されるものである、ということを含意しているからだろう。しかし、「ガイジ」を使う側に障害者を侮蔑する意識があるとは思えない。
「ガイジ」を使わないで!と呼びかけるよりも効率的な「ガイジ」駆逐の方法がある。それは、「ガイジ」を軽率に使う人たちが表現したい侮蔑のニュアンスを含む、よりキャッチーで当たり障りのないなフレーズを普及させることである。
私がよく使う表現は「害悪」だ。「ガイジ」と語感が少し似てるので、「ガイ…悪」と踏みとどまれるという特徴もある。「ガイジ」のように特定の人に流れ弾が当たることもない。良い侮蔑表現だと思う。
言葉狩りなどの議論では、「言葉を禁止しても、差別する心が変わらなければ意味がない」という意見が見られる。私が提案した手法はまさに、「言葉を変えるが、侮蔑する心はそのまま」にするものである。しかし意味はある。「ガイジ」の軽率な仕様の問題点は障害者への流れ弾だ。人を侮蔑してはいけない、という根本的解決は非常に難しい。それに、謙遜の文化がある日本で「自分を侮蔑してはいけない」ということを徹底させるのは非常に困難ではなかろうか。
これは軽率でない「ガイジ」の使用、つまり障害者にも「ガイジ」と言ってしまうような層を改善するものではない。これはやっぱり、差別する心をどうにかしないとどうにもならないと思う。
こういう層から生まれた言葉が軽率に広く使われないように、いたちごっこではあるが、当たり障りのない侮蔑表現を広めていこう。
元増田は法律の話をしているのではなくて、なぜ悪いことだとされているのかについて話しているようなので、それに応じた話をする。
売春は日本では確かにそれ自体としては違法ではない。違法とされているのは青少年を買春することと、売春を斡旋することだ。だから合意の上で大人の男女が性行為と引き換えに金銭のやり取りをすることは違法ではない。
違法ではないが、それでもやはり一般的には悪いことだとされているし、これは日本だけの話ではない。世界中の多くの文化で、売春は非道徳的だとされている。
なぜか?
それは売春が性のダンピングであり、性の過当競争をもたらすからだ。
順を追って説明する。
まず、男女が住んでいる世界、つまり人間社会を、子孫繁栄という共通のゴールを目指しつつも、個々人が自分の利益を追求する経済市場だと考える。
この市場でやり取りされているのは、1、資源、2、労働力、そして3、性的魅力である。この三ついずれも個人の利益となるし、また子孫繁栄というゴールを目指すのに役に立つものである。
さて、問いは、「なぜ売春が悪いこととされるのか」だが、売春というのは主に若く性的に魅力のある女性が男性を対象として行う行為だから、話を簡単にするため「性的に魅力のある女性」の視点からこの市場を考える。
あなたがこの市場に参加する一人の女性であるとしよう。あなたが持っている市場価値の上で最大のものは、先にあげた三つの価値(資源、労働力、性的魅力)のうち、最後の性的魅力である(もちろん、現実にはいろんな女性がいるが、「性的に魅力のある女性」の視点からの話なので、平均的な「性的に魅力のある女性」を想定すれば、最大の価値が性的魅力であるというのは妥当な仮定だろう)。したがって、この市場においてあなたが個人的利益を最大化するためには、この性的魅力をいかに高く売るかを考えることになる。
もしあなたが、安易に売春によってこの最大の価値を資源や労働力と交換してしまったら、市場に何が起こるだろう? もしあなたが、唯一の売春をする女性だったら、あなたはたくさん売春して、たくさんの労働力と資源を得ることができるかもしれない。しかし、他の女性が黙って見ているわけがない。資源も労働力も限られているのだから、他の女性は、あなたよりも少し良い条件を男性に提示して、やはりたくさんの労働力と資源を得ようとするだろう。これが性のダンピングである。こうしたことを他の多くの「性的に魅力のある女性」が行うことによって、売春によって得られる利益は急激に下がって行く。これが性の過当競争である。
これは魅力のある女性個人個人の利益が減少するだけにとどまらない。性の過当競争により、女性がわずかな資源と労働力しか得られなくなったので、子孫繁栄というゴールは達成できなくなってしまう。わずかな資源とわずかな労働力で性的魅力を享受できるようになった男性は、自分が生きて行くのに必要な最低限の労働と、買春をするために必要なプラスアルファ以外の労働力供出も資源獲得も行わない。
女性が売春を始めることによって、市場原理によって最終的には当の女性も個人的利益を得られなくなり、子孫繁栄もできなくなってしまうのである。
これを防ぐためには、性的に魅力のある女性が、その保持する性的魅力を「出し惜しみ」する必要がある。これが、人類の多くの文化に見られる、「婚姻」と「婚前交渉の忌避」をもたらす。これはちょうど、本当は労働をする体力もあるし、短期的には経営者のいいなりになって働いた方が自身の利益になるにも関わらず、長期的な労働者の利益のためにはストライキをする必要があるのと同じである。
もちろん、自分だけが出し惜しみをしていても、他の女性が売春をしていては、ただ自分が取り残されるだけとなってしまうので、他の女性が売春しないような策略が必要になる。これが、売春を悪いこととする性道徳や、簡単に性的魅力を男性に差し出す女性をあばずれだのビッチだのと言った侮蔑表現で罵倒する文化の合理性である。
まとめると、売春が悪いこととされるのは、売春をすることによって性の過当競争が起こり、女性個人がその性的魅力から利益を得られなくなり、子孫繁栄にもさしさわるからである。