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2024-08-09

anond:20240808192723

「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字名前がなかろうが」

水龍敬ランド

2024-08-08

再任用を拒否された

はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカ良心であるミヤウチさんからコメントいただきました。

望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思いますありがとうございました😊

(以下本文です)

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私は62才であるとある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。

地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。

それから民間で三年ほど働いて、地元市役所採用試験を受けて入庁した。

いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である時間が過ぎるのはあっという間だった。

ずっと土木建築仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくり仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。



本題である。定年延長により、公務員定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。

私が定年になったのは61才になる年度である民間企業誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員場合は年度末まで在籍できる。

今年の3月末をもって分限退職辞令を受け取り、退職日には労働組合行事退職者一同での職場巡りを行い(※有給である有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後市長ポケットマネー退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。

タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用NGだった。

2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。

理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。

はてなユーザーであればご存じかと思うが、一応説明しておく。

民間企業では、「雇用年金接続」という観点から年金支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制採用する企業場合、65歳までの再雇用法律上義務であり、再雇用拒否原則として違法である

では、公務員場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。

内容を要約すると……

公的年金報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員雇用年金接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員公的年金支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」

ということだ。

【参考URL

平成 25 年3月 29 日総務省通知)

https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf

停職6月の懲戒処分を受けた者の再任用)

http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html

 

ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。

組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。

私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。

そこまで目立たない中国地方地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。

できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。

労働組合上記の再任用拒否相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局対応は、何年も前から続いているからだ。

市役所にとって不要人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局方針である



実際のところだが、私は確かに不良な職員であった。

私は怒りやす人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベント無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。

日常仕事においても、市民業者と言い争いになることがよくあった。

感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。

査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。

仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。

土木建築職場委員会はずっと仕切っていたし、反核平和の火リレーメーデー自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。

平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。

一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分平和にかける想いを。

あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。

「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争引き起こし被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」

と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針ひとつであった。

今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合方針に反してもよかったのではないかと。

実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部から増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。

だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。

最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。



愚痴ばかりで申し訳ないのだが、これでも反省している。

私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。

仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。

あの時、いつだったか。令和元年のことだ。

税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。

その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。

確か、私はこんなことを言った。

「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」

「え……どういうことですか」

「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字名前がなかろうが」

「すいません、つけ忘れました。打ってません」

「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」

「すいません」

「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」

「ごめんなさい……」

恥ずかしいのは私の方である若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。

その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子うつ病になり、職場に来ることができなくなったという。

元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子仕事ができず辛い思いをしたという。

ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。

の子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。



後悔先に立たず、という言葉がある。私の場合がまさにそれだ。

仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。

しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。

できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。

たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。

私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。

あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。

その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。

なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」

後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。

でも、しょうがないのだ。私はずっと、禄でもない職員だった。

から、こんなことになっている。



最終勤務日のことだ。

労働組合主催する職場巡りの会が終わり、最後職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。

定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。

事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。

しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。

増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影しまから、残っておいてくださいね!」

と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。

にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。

スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。

自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。



最後になるが、もし増田利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。

他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記ひとつ警句になってくれたら望外の幸せである

明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記楽しい日記をたくさん読んでみたい。

ありがとうございました。

2024-06-12

二子玉川の堤外地問題小字地図に関して幾つか指摘その2

その1はこちら https://anond.hatelabo.jp/20240612182609

 

字など古い地名部落差別場所のズレに注意

昔の地名や字がアスファルトコンクリで埋まってしまったその土地の成り立ちや危険性を示すというのは面白いのだが、関西だと部落差別問題が出てくるのに注意が必要だろう。

 

また、字は面的に付けられる名前なのでピンポイント危険個所からズレが生じる事がある。

例えばここは今の渋谷区広尾3丁目、旧名原宿村羽根沢なんだが、

https://koaza.net/?zoom=15.99&lat=35.6539&lng=139.719

真ん中に細いひょろひょろ道が見えるだろうか?(広尾(@三)の@の部分を縦に通る)これはいもり川という川の暗渠結構深い谷になっている。羽根沢羽根というのは、埴輪の「はに」の事で粘土の事だ。粘土露出しているという事で崖地形を表す(赤羽とかも同じ)。

ここは坂の上まで字羽根沢なのだが、危険なのは谷底なのだ。なので字だけではイマイチ判別がつかない。

因みにこういうオサレマンションとかもある。

https://maps.app.goo.gl/9A13navyJbp4qrcG8

いもり川の横に半地下の駐車場…。青学からまりガーデンフォレスト日赤の斜面、山種美術館の斜面、全ての水が集まる谷底に…。以前見たらベンツSLとかマセラッティとかが止まってたのだが…言うまい

 

https://koaza.net/?zoom=15.99&lat=35.7252&lng=139.7206

東池袋なんだが、水久保という字が見える。都電王子電車)の電停名も水久保という時期があった。

でもこの水久保範囲というのは高台と緩い斜面で、明治大正だと畜産農家牧場があって牛が飼われていた。

久保の名の由来は、巣鴨村と雑司ヶ谷村の境界巣鴨村字向原側に水窪川が流れていて現大塚6丁目に掛けて湿地帯になっていた。ここはやっぱりゲリラ豪雨出水リスクがあるが、それは谷底で字水久保からはずれてるのだ。

ハザードマップも使い方にはコツがある

各自治体が公開しているハザードマップだが、これも絶対という訳ではないし罠があると思う。

例えば二子玉川付近ハザードマップでは瀬田二子の間は想定浸水域3~5mとして同じ色で塗りつぶされる。これは多摩川破堤時の危険だ。

でもこの時、駅周辺が堤外地だ、というイレギュラー危険は覆い隠されてしまうのだ。台地以外は同じ色になっていれば、「そういう大災害の時なら仕方がないだろう」と譲歩してしまうかもしれない。でも駅の周りの堤外地危険レベル全然違う。河原から溢れただけで洪水となる地域という事を逆に隠してしま可能性がある。駅北側マンション売ってる不動産屋なども使ってる手口かもしれない。

 

また危険箇所を取りこぼしている箇所も結構ある。増田が把握している過去出水箇所で塗られていない箇所もある。誰も市役所区役所に届けなかった、職員が見回りに行った時には水が引いていて確認疎漏になったなどだろうか?先に指摘した、いもり川の谷底危険性を把握されていない。それで不動産屋が重説で「この物件場所には色が付いていません」とか言われて半地下駐車場契約してしまう、乃至は半地下の部屋に入ってしまう。

でもそこで見るべきは今は消えた川という水の流れであって、他の箇所に色が付いていたらその谷筋は全部危険なのだハザードマップアスファルトに隠れてしまった土地記憶を見る能力必要なのだ。今は隠れていても水はきっちりと重力に従って低きに向けて正確に流れるものなのだ

二子玉川の堤外地問題小字地図に関して幾つか指摘その1

二子玉川の堤外地に建つマンション高値を付けてる事に嘆いて小字地図という面白いものを公開してくれた人がいる。

でもその事をまとめたtogetterではそれに対して間違ったり不適当ツイートばかり拾ってるので指摘するよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2381841

 

過去の経緯

二子玉川には堤防の切れ目があった。陸閘ともいう。閘はパナマ運河などの閘門の閘で、板で締め切って水をブロックして水位を変化させるものだ。それが陸にあるから陸閘。

https://maps.app.goo.gl/DKKV4c1kefy3BVSE9

余談だがこの道は結構重要な道で、江戸時代矢倉沢往還青山通り大山道)だった。真っ直ぐ行って多摩川に出たところに渡船二子の渡し)があったのだ。川を渡って崖を上ると二子宿場に着く。

ここは瀬田村の一部で、スレッドで指摘されている通り、瀬田村の字堤外と呼ばれる無人地帯であった。

 

こんな辺鄙な所だったが、渋谷からほぼ路面電車玉川電鉄が開通し、その終点の「玉川」という駅が出来た。この路線溝の口を目指しており道路橋の二子橋を走る事になっていたのだが、その二子橋がまだ出来ないので暫定の終点である

すると交通が便利になったので人が訪れるようになった。そして多摩川沿いに料亭が立ち並ぶようになった。当時の料亭料理だけじゃなくて芸者遊びとかそういうの込みの業態である

ここは瀬田村堤外とロクな地名ではなかったので、対岸の二子と駅名の玉川をとって「二子玉川」と呼ばれるようになった。

 

元々瀬田の崖の下には殆ど人が住んでいなかった。出水リスクがあるからである堤防は基本無いか、霞提である程度の出水を前提としていた。そこに人が住み始めたら危ないに決まっている。また鉄道が次々開通すると他の低地にも人が住むようになる。

そして以前から洪水危険地に住んでいた住民と新住民が「堤防を作ってくれ」という陳情をするに至り、近代的な連続堤で多摩川を封じ込める、という工事がなされる事になった。二子橋の開通が遅れたのも堤防工事を先行させる為である

 

だがこれに反対をする者も居た。その一つが二子玉川料亭業者達で、堤防で目隠しされたら商売上がったりだ、と言うのである

そこでここの料亭地域ではこの地域を川の中に取り残す形で堤防が築かれる事になった。

しかしそれだと料亭群に行くのにいちいち堤防上り必要だ。そこで堤防に切れ目を入れて先のリンクの陸閘を2つ作る事にした。一か所縦のスロットが見えるが、多摩川の水位が上がる時はここに板を入れる。それだと水圧で折れてしまうので、水防活動で後ろ側に土嚢を積みまくって抵抗力にする。これを角落しと言う。

 

料亭だけの場合は万が一の場合は逃げれば良いし、自分たちで了承した事だし建て直しすれば良い。だが昭和に入ると戦争があり料亭どころではなく全て潰れてしまった。そして戦後復興経済成長宅地不足となり、この危ない土地は売られて住宅地として転用されてしまったのである

 

新堤防を作ったのに被災

長らくこのままだったがもういい加減何とかすべしという事になり、あいも変わらず新堤防に反対する住民も居たが話をまとめて、住宅と川の間に新堤防を作る事になった。2008頃から事業スタートし、数年で堤防は完成した。何しろ何もない河原堤防を作るだけなので工事は早い。

 

ところがだ。2019年台風19号が暴れ狂うと、新堤防は機能していたのに一体は浸水して泥まみれになってしまったのだ!何故だ!?

それは、二子玉川駅の上流側が手つかずだったかである

https://maps.app.goo.gl/uQur4hgpRZnac7tB7

左側に囲い板が立っているが、これは慌てて工事を開始した為で、但し堤防はまだ出来ていない。右を見るとタワマンがあるが野村不動産プライドタワーだ。幾分土地嵩上げされていてこの土地危険性は認知しているものと思われる。

 

こっちに堤防が無いので、ここで泥水が自由に溢れ出し、それが駅の下側を通って堤防工事完了地帯に入り込んで浸水被害を出してしまったのだ。なんでこうなったんだ?なんで駅の北側工事しなかったんだ?

 

お役所仕事

何故駅を挟んで片方は堤防工事完了、もう他方は手つかずとなったか

それは「管轄違い」のせいなのだ

多摩川青梅から下流国土交通省管理し、この辺は京浜河川事務所管轄する。

ところが、駅の北側野川が合流しているのだが、この野川管理をするのは東京都であり、建設局第二建設事務所管轄なのだ。そしてこの堤外地帯の駅の北側野川に接しているのだ。

まり、長年の懸念だった堤外地問題解決するために住民合意を取りつけ、国の方は急いで事業化して堤防を完成させた。それから10年近くが経つのに、東京都の方はちゃん連携せずにほけーーとしていて事業化していなかった。そこに巨大台風が来たので野川に逆流してこんな被害が出てしまったのである

 

野川沿いには堤外地を避けた旧堤防連続する堤防がある。新堤防を延長してこの国道246の下で堤防接続する必要があるのだが、堤防合流地点付近にはスペースが足りず、家が建つ土地を買収する必要がある場所もある。また、二子橋の橋桁は低い場所があり、https://maps.app.goo.gl/MoH89VVFBWFW7jWBA

堤防高に支障する。これはこのままだと橋桁に当たった水が横に流れて堤防を削ってしまう。そういう事どうすんの?なのだが、どうせ何もやっておらん筈だ。

余談だが二子橋は架け替えられていないのでアスファルトの下に玉電のレールが残っていると思われるよ。

 

外地の扱いや感覚は昔と今じゃまるで違う

堤外と言う字が付けられていた場所に住むのにリスクを考えて居ないのはマズイ、というのは確かにそう。

だが字が堤外だから住んではならないと書いている人は昔と今の治水混同している。

 

昔は河川が氾濫するのは云わば当たり前だった。だから堤防を築くのだが、今と違って霞提など、切れ目があってある程度の氾濫を許容する設計が多かった。また堤防を造る際も、今のように流路を封じ込めるものではなく、流路からかなり離れた場所に造る事が多かった。河川は蛇行するのが専らなので、その蛇行の外側という離れた場所堤防を作った。その堤防で守られていない所は全て「堤外地」だ。そこでは洪水では家も田畑も沈んでしまう。

 

これは荒川なのだが、

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.799750&lng=139.655095&zoom=14&dataset=tokyo50&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

笹目村や戸田村などの埼玉側は堤防が流路から1km程離れているのが判るだろうか?

一方、東京側は堤防のものがない。これは東京側は台地の崖から1~2km程の所を川が流れているから、狭い地域堤防で守るのはコスパが悪いって事でそのままなのだ

これら全ての土地が堤外地である洪水では田畑も沈むし、集落もなるべく作らない。家を建てる場合は微低地を選んで嵩上げもする。でもそれでも浸水は免れないし死ぬ人も居た。

 

二子玉川付近だと霞提もこの辺は余りなく、低地には住まない、瀬田溝の口高台に住み耕作地には歩いて通う、という生活様式だった筈だ。すると「堤外」と名づけられた字以外も全て堤外地である

 

今この地域危険なのは、先に説明したように堤防工事で外されてその時に堤外地となった為だ。字が付けられた時分の事ではない。だからこの堤外地の字が「堤外」であるのは偶然でもあるわけだ。大正治水が原因で堤外の字が付けられたわけではないから。

なので話の種や潤滑剤として字 堤外の事を言うのは良いのだが、それが決定要因であるかの様に語る人は、近代とそれ以前の治水の違いや、それによる堤外地の扱い、感覚混同している。

~~~長くなったので続く その2 https://anond.hatelabo.jp/20240612183016

2023-09-13

相対的位置で表される地名が恥ずかしくて改名された例

元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559

 

 

志茂

地下鉄南北線志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。

関東大震災後に人口流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。

後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。

 

西川口

西川口駅の西口周辺はかつては横曽根村だった。

関東大震災後に東京近郊は下町から移住人口が増え始め、川口町合併して川口市になる横曽根人口が増える前に区画整理をする事になった。

新しく升目に近くされた区画町名を付ける必要がある。

横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなり小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側新田は「仁志町」とした。

仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。

だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。

「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである

 

余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。

 

上板橋中板橋

先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。

東上線中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道上板橋宿跡である

大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車単線運転から交換用の駅で距離もその程度が適当だった。

だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当地名も無い。

そこで3km程離れているが著名な宿場上板橋を駅名にした。

だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。

でも下と上の中間板橋から中でしょと「中板橋」駅としてしまった。

すると上板橋上板橋付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。

地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。

全部先の事も考えないで行動する鉄道会社のせいである。

 

池袋

元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。

今の西口付近はその名も「上」という小字場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。

だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。

そもそも下上って何なのか?

 

墨田隅田

葛飾区足立区区界を見ると綾瀬駅付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。

荒川放水路が出来るまでは堀切駅付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。

この隅田川の東に隅田村というのがあった。

一方、江戸時代水墨画流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド価値を持つようになった。

隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。

するといい景色なので山水画浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。

その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。

隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。

 

仲宿

中仙道板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。

鉄道道路時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。

 

台東区

浅草区下谷区合併したのが台東区

下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。

吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。

 

十条上十条

十条と呼ばれる地区には北側上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。

両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである

明治になりその十条の西の方に現赤羽線埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。

次に東北本線京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。

ところが昭和住居表示町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。

それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。

駅の東側の元は十条じゃなかった辺りは東十条となった。

こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。

そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。

 

田園調布

田園調布がある場所はかつて荏原郡調布村だった。

ここを東急電鉄後藤慶太デベロッパが買い上げ高級住宅地田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。

「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤田舎に住んで都会に鉄道通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドン児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染ゴミや糞便に混じって死体流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイル流行した。

昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称

だがその僅か五年後には荏原郡自体東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。

初めは東急の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地けが田園調布だったが、住居表記施行町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。

この為に駅の裏側とか川べりの低地とかあんま高級じゃない田園調布が沢山ある。

2021-12-05

建設AI対策

語尾追加で水増しするのも多少対策にはなるんだけど、

短文だと効果いから、大喜利コメだと無力なんだよね。

セックス連呼しても建設認定されなかったので、対策を考える。

人気コメント一覧に入ったブコメの内容をいじると、人気コメント一覧から除外されたり戻ったりする。

これを利用して検証する。

ブコメ邪魔にならない文字列を水増しするのが望ましい(クマちょっと目立つ)

ID名を文頭に乗せるというのを思いついたが

試したところ、長文認定されず人気コメには入らない。(URLアドレスは弾くらしいが、半角英数というだけで弾かれるのではないもよう。さすがにそこまでクソアホ仕様ではないか


文末に..............

クマほど目障りでない、と思うが建設認定されず。

.....、.....。

句読点を付けたが文章として判別されない。

口ロロ路線漢字カタカナ

→駄目。口ロロ句読点も駄目。

クマみたいに記号組み合わせればいけるんだろうけど、それならクマでいいしなぁ…

末尾に()文章路線

→これはいける(当然)ただ、文章が目障りなのが問題

山路を登りながら」とか入れるのも…


末尾に(「建設コメント順位付けモデルAPI検閲済:このコメントは建設的です)追加

建設認定される。やったぜ。

実際はこの()のおかげで建設認定されてるわけで、ちょっとパラドックス幹事長

ヤフー株式会社建設コメント順位付けモデルAPI公認済)とかの方がスッキリしてるけど、文章にならないかダメみたいですね(諦観

みんなも、短文ブコメをするときは文末に(「建設コメント順位付けモデルAPI検閲済:このコメントは建設的です)を追加、しよう!

P.S.コメが一文字だと(「建設コメント順位付けモデルAPI検閲済:このコメントは建設的です)追加でもアカンみたいで

 ()内を(ヤフー株式会社建設コメント順位付けモデルAPI検閲済:このコメントは建設的です)にしてもダメだったので、元コメ水増しするとかクマ使うとかで対応するしかないみたいセックスねぇ…

 元コメが二文字以上の文字列だと()内の文字数水増しで建設認定される…こともあるけど、文字数だけで判断してるわけでもないみたいでこれもうわかんねぇな…?

文字列漢字カタカナ小字とかが入ってると判定が変わるんだか変わらないんだか…)

 

2021-05-16

誹謗中傷が届いた

人生で初めてだった。

女性向けジャンルで時々同人誌を出すけどほぼオンラインのみの字書き、pixivよりはTwitterによくいる。

媒体Web拍手。年齢的に馴染みがあった。ましゅまろとかよく分からん

私は考察である考察して自分の中で出た結論小説を書くなど色々捏造した作品を書いている。

出した同人誌ほとんどがそういった類のもので、ほとんどが十〜三十冊刷って売り切れない程度の弱小字書きである

その中で一冊だけすごくバズって再販して結局百冊以上売れた本がある。たまたまが重なってバズった。バズったらなんかめっちゃ売れた。

そんな売れるわけないだろと思いつつ仲間内で盛り上がって百冊以上再販しちゃったのだ。

普段FF内の人くらいしか見てもらえないのでお互いで感想を言い合う程度しかしなかったが、こんだけ出たら感想言ってくれる人いるんじゃないかなと欲が出たので設置したWeb拍手ほとんど動かなかったけど二、三件は感想をもらった。

しかったのでWeb拍手設置について何回かツイートしたし、pixivプロフ欄と同人誌サンプルページにもURLを載せた。

結果誹謗中傷が届いた。

誹謗中傷が届いた場合裁判になったときに不利なので晒さない方がいいと以前誰かのツイートで見た。

それに晒したことで相手が怒ってもっと届くかもしれないという恐怖があった。本当に何かしでかすんじゃないかという凄みもある文章だった。

お前の書いた同人誌おかしい、書店委託なんて金儲けして恥ずかしくないのか、全て回収して謝れ、謝らないとどうなるか分かってるよな。

こういう内容だった。要約してこれなので実際は数千字にわたって書かれている。Web拍手文字数制限があるので何回かに渡って送られていた。

怖かった。

人生でここまでハッキリした悪意を送られてくるのは初めてだった。だいぶ消耗して強制ダイエットになった。ツイートも極端に減った。通りすがりの誰かが送ったのか、フォロワーが送ったのか判別がつかなかった。

結局、学生時代のオタ友に連絡して愚痴を聞いてもらってある程度落ち着いた。

そして私は猛烈に怒った。

元来ポジティブ人間である自己肯定感高めに生きている。

送り主は私の才能に嫉妬したんだなと結論づけた。私の作品があまりにも素晴らしく、自分で書けないものを私が書いてしまって羨んでいるのだな、と。

ならば素晴らしかったという感想を送ればいいのにこんな文章を送ってくるなんて育ちの悪い方!ひどい!という感じに。

だって私は一切悪くないのだ。

圧倒的に悪いのは送り主なのにフォロワーを疑うのもバカバカしいし、放置すれば勝手に消えていくだろう。それがどんな人間であれ、と。

とりあえず証拠だけは残したし、地元警察父親同伴で相談もした。

これでおしまいモヤモヤするけど所詮は弱小字書き。私みたいなのに付き纏うよりはどっか行くだろうと思って。

それが最悪の形で私の元に戻ってきた。

きっかけはフォロワーさん宛の匿名嫌がらせだった。彼女も私と同じ考察厨で、私よりはブクマ数も部数も多そうな方である

律儀にお返事をするせいでどんどんと増えていたため心配になってDMを送ると実は過激すぎて載せれないのもあってよりたくさん来ているとのことだった。その内容が私に届いたものそっくりなのである

私にも似たようなのが届いていたことを伝え、あんま気にしないでもう匿名箱も外しちゃっていいんじゃないですかと当たり障りのない慰めをした。多分余計なお世話だったと思う。

そこから、時々DM誹謗中傷を受けたという話を聞くようになった。表面上は特に誰も被害を訴えてはいない。ただ、DMLINEなどクローズドな場での相談でひっそりと増えていた。届いているのは私と同じような考察厨ばかりだった。

どれも文章がよく似ていた。私と同じ頃に届いた人が最初でそこから半年ほどかけて増えていた。

ジャンル自体はそこそこ栄えているが考察厨となると界隈全体FF外でも名前だけは知っているなど狭い世界だ。

面倒な輩が紛れ込んでいることをみんな何となく把握していた。この人だろうかという目星も正直立ってしまった。

違えばいい、気のせいならいいと皆が表面上は普通に過ごしていた。

だというのに、誰も構ってくれなかったからかどんどんと頻度も内容もひどくなっていく。

最終的に、自爆した。

ありもしない話をでっち上げDMで送るようになった。

被害者が事実確認をして犯人発覚、余罪がボロボロと出てきて犯人は垢消し逃亡。

誹謗中傷特に酷かった人はすでに弁護士を立てているし、LINEを知っている人も界隈内に何人もいる。というか私だって本名と住所を知っている(同人誌自家通販した)。

みんなホッとして、周りを見て気がついた。界隈自体の規模が半年で縮小したことに。

何人か、筆を折った。被害を受けていない人でもしんどいと言ってジャンルを離れた。他人半年以上疑うのは疲れるのだ。居心地の悪い空間にわざわざ居たくない。私だって被害最初の一件だけなのにジャンルから離れつつある。

そういう人が多く居て、なんだか全体的に盛り下がってしまったのだ。新規参入が見込めないわけでもないし、この後も数人新しい方の考察が流れてきて楽しんでいる。

でも、疲れたのだ。他人愚痴を聞くのもいつかまた自分に届くかもしれない緊張も。

誹謗中傷って本当に何も生まないどころか地獄を見せるんだなあと思った。しんどい。という愚痴でした。

弁護士立ってる案件を表立って言えないし言いたくないのでチラ裏するしかなかった。ごめん。

2020-11-26

同カプ字書き全員嫌いな字書きの話

私は字書きの同人女です。字書き歴1年にも満たない、弱小字書きの戯言だと思って聞いてください。お気持ち増田以下の文章です。

字書きをはじめたきっかけはぶっちゃけいうと、コロナです。コロナで自宅にいる時間が増えたことで「何か家で出来ることないかな~」と思いながらpixiv小説を読んでいた時のことでした。

(うわー、Aさんの作品めちゃくちゃいいな…自分もこんな作品作ってみたいな)と思うと同時に、(Bさんのこの話のキャラの反応、私ならこう書くのに…)という気持ちにもなりました。だったら、自分理想の話を自分で書けばいいのでは?と、思い立ち見様見真似で1万字程度の作品を書きました(上にある作品の焼き直し、とかではなく全くオリジナルの別のテーマの話です)。

もちろん小説なんて書いたことないので、地の文が書けなくて悩んだり展開やオチなどは完全に手探りで書いた作品です。はっきり言って下手くそで拙いものでした。しかし、人生で生まれてはじめて書いた作品愛着がわかないわけがありません。「自信はないけど、とりあえず私にもできた!」とめちゃくちゃ喜んだ記憶があります

そして勇気出してPixiv投稿しました。閲覧が1から2になった瞬間、めちゃくちゃ嬉しかったです。この世界の誰かがよんでくれたのだと。そしていいねが1着いた瞬間はもう、今までに無いくらい嬉しかったです。

その後、書き方のコツみたいなものを段々つかみ、投稿のペースも上がってきました。書いても書いても書きたいネタが尽きません。執筆中はクスリでもキメてんのかってくらいテンション高いし、多幸感半端ないです。こんなに楽しいとあるなんて知らなかった、なんでみんな教えてくれなかったの? と真面目に思っていました。小説書くのが最高すぎてずっとステイホームでもいいのに位に思ってました。

そしてふとあることに気づきます。同カプの方を見るとTwitterをやってる人が多いのです。私もやってみっか!と軽い気持ち登録しました(リア垢と以前ヲタ垢を持っていたので初めてな訳ではありません)

これが悪夢の始まりですよね。私は数字魔物に囚われました。現ジャンル斜陽なので、すでにグループが出来上がってました。新規の私が来ても見向きもされません。まぁ、これはしょうがないです。

細々とツイッターSSを上げたりしますが、ほとんどふぁぼはつきません。悲しいです。やっぱり頑張って書いたものから読んでほしいじゃないですか。ここで自分感情が変化したこと気づきます。今までは、書けるだけで幸せだったのに、Twitterを始めたことで評価自分基準ではなく他人に受渡してしまったんですね。

数字とってる大手嫉妬しました。好きだったはずの作品も素直に読めなくなりました。その後、やって来た新規作品解釈違いで読めません。自カプでワンドロが始まりました。ますます数字が見えて死ぬほど嫉妬しました。この時点ではまだ「Twitterは垢消ししてpixiv壁打ちに戻ろう」そう思っていたんです。

そして私が現在抱えてる一番のしこりの原因となった事件が起こります

Yさんの参入です。

端的に言うと、Yさんは神字書きでした。

しかもYさんはナチュラルボーン神字書きだったのです。

私と同じく、小説を書くのは初心者だと言っていました。にもかかわらずハイペースで執筆してた上、毎回萌えに溢れていて面白く、小説としての表現力も多彩でした。はじめは「やべぇ…解釈一致だ…最高だァ…」と読んでいた私も、次第に複雑な気持ちになっていました。ほぼ同時期に参入したのに、こんなに実力の差があり、私の好きをこんなに鮮やかに表現できるなんてずるい、と。

しかし、Yさんは何にもずるくありません。生まれ持ったアイディア力だったり、今までの経験だったり、読んだ作品によって培われた文章力によってYさんが生み出した作品を正々堂々提出しているのは知っています

かなわない、と思いました。打ちのめされました。自分がどうしようもなくちっぽけな人間に見えました。同時に、私を脅かす存在になりました。

ごく一部の例外を除いて、同人なんて所詮趣味です。それなのにこの世の終わりのような気持ちになりました。

Yさんは神字書きなので、Yさんの存在に気付いた界隈もYさんをチヤホヤしだします。あっという間に人気者になりました。他人つぶやきで「Yさんの新作うれし~」というのも何回も見ました。ワードミュートしててもすり抜けてくるので辛かったです。私は相手にされないのに…と卑屈になりました。

いやいや!嫉妬してる場合か!私も神字書きになればいいんだ!だったら作品で殴るしかねえ!と思い、私も作品投稿し続けました。本も出しました。

感想も貰ったし、フォロワーも増えました。他人評価が気にならいわけではありませんが、割と数字についてはどうでもよくなりました。

なんと驚くことに、なんとYさんも本を買ってくださいました。でもYさんへのなんとも筆舌しがたいどす黒い感情は消えません。

同カプはほぼ全員ミュートしてます作品も読んでいません。これ以上第二のYさん的存在自分の中でつくりたくないからです。

なんでこんなに自分嫉妬深いのか。今思えば昔から頑張る基準他人だったからなのかもしれません。

私は幼稚園児の頃から、たいそう負けず嫌いでした。かけっこに負けてよく泣きました。ピアノが幼馴染より下手なのが悔しくて悔しくて、死ぬほど練習してピアノ伴奏の座を勝ち取ったりしてました。その後、音楽畑に進んだのですが、私は勝手に全員ライバルと思い込んでいました。全員蹴落とすぞくらいの気負いでいまいた。実際、練習して練習して椅子を勝ち取っていました。つまり自分が一番でないと気が済まなかったんですね。それを同人にも適用してしまっているのだと思います

これからこの考え方を変えられるのか、正直分かりません。多分難しいと思います嫉妬するのは苦しいです。かなりエネルギーを使うし、疲れます創作エネルギーも消耗してしまます

自分がYさんに嫉妬しない方法はただ一つでした。自分作品を作ることです。小説執筆中は自分推しカプだけに向き合っているので、Yさんのことは考えずに済みます。今は原稿が終わって何も書いていない時期なので、蓋をしていたYさんへの感情が溢れてきて泣きたいほど苦しくなっています。なので、この文章を書きました。

この苦しい気持ち否定したくありません。私はいつも悔しさや苦しさを力に何かに打ち込んでいました。小説を書くのは今でも楽しいです。この負のパワーをバネにもっと最高な作品を書きたいです。

本当に気持ちの発散のために書き殴っただけなので、推敲もしていません。ただ、誰かが読んでくれますように。

2020-08-24

anond:20200823112802

それだけの人が読んで、肯定的評価をしていて、しかも筆が早いなら相手は弱小字きじゃなくて新規参入の神字書きじゃん

2020-07-03

おけけパワー中島に狂わされた

 遅ればせながらおけパ島について知り、ふと思い出したことがある。思い出したというか腑に落ちたというか。これはある同人女の回顧でしかないので苦手なヤツはブラウザバックしてくれな。推敲してないから読みにくいだろうし。あとそもそものおけパ島については青い鳥で調べてくれ。

 どこぞのジャンルで好き勝手活動してた弱小字書きで同CPフォロワーは両手で足りる程度だったんだが、ある日そいつフォローされたんだ。仮にY氏としておこう。Y氏は概念おけパ島だった。おけパ島に対する既視感の正体はY氏だったと言うほうが正しいか。ただ、自分は綾城さんでも七瀬でも友川でもなかった。同CPには綾城のような神が居たし、神を拝する同CP者は多かった。皆が遠巻きに神を眺めるなか、Y氏は神含め数多くの同CP者に話しかけて仲良くなっていった。

 Y氏はマメないい人だったのだろう。作品には感想をくれるし、どうでもいいネタツイにも反応してくれる。多くの人が好感を抱き、自分も初めはそうだった。Y氏が感想をくれるように、自分もY氏が作品をあげれば感想を送った。そんな好意キャッチボールをしていたはずだった。ただ、それは気付かぬうちに重荷になっていた。いつのまにかピッチャーキャッチャーに変わっていたのだ。感想をもらえることが嬉しかったはずなのに、Y氏から通知が来るたびにウンザリするようになっていた。Y氏の気持ちを受け止められなくなった自分は筆を折って界隈から離れた。また何か言われるんじゃないかと思うと筆が進まないようになっていたから。自分はY氏をブロックし、Y氏と関わりのある同CPフォロワーはブロ解し、関連ワードミュートして、支部などにあげていた作品も全て削除した。

 Y氏に悪意がないことはわかっていて、これは一重に自分のせいであることもわかっている。ただ、おけパ島に狂わされるのは綾城さん、七瀬、友川以外にもいることを知ってほしいと思った。

2017-12-16

anond:20171215235853

大字というのは明治維新前の村と考えるのがわかりやすい。いわゆる藩政村

たとえば江戸時代豊島郡池袋村というのが現在池袋付近にあったんだけど、これが明治期の町村制施行時に巣鴨村、雑司が谷村などと合併して豊島郡巣鴨村になった。

この時に昔の村の名前地域区分として残したんだけどこれを大字という。旧池袋地域豊島郡巣鴨大字池袋、旧巣鴨地域豊島郡巣鴨大字巣鴨となったというわけ。この「大字」というのは住所表記上省略されてる(たとえば豊島郡巣鴨池袋のように)のがほとんどだから最近は見かけないけどね。

これって、巣鴨村の中に池袋村があるんだから豊島郡巣鴨池袋村と表記してもよかったんだろうけど、わかりにくいからこうしたのだと思う。お隣中国なんかだと市の中に市があるけど。

ちなみに大字対応して小字というのもある。小字大字を更に細かく分けるのに使われる。たまに住所見てたら○○市(大字)△△字××ってのがあると思うけど、この字以下が小字。この△△は大字にあたる場合ほとんどだから住居表示なんかが実施されてると違う)、この場所江戸時代に△△村××だった可能性が高い。

なお、よく勘違いされるものとして、小字が残っているような所は田舎だと言われるがそれは違う。あれは明治期に地番をどう付けたかが深く関わっている。説明するの面倒だからこれ以上書かないけど、詳しく知りたければ、今尾恵介の「住所と地名の大研究」をオススメする。

 
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