はてなキーワード: ぼんやりとは
VRHMDというガジェットがまだほとんど世に知られていなかった頃、数少ない先行者達はキャラクターと共に過ごす未来を切り開いていったように思う。
主に初音ミクと〇〇するVRという内容で、かつての俺はそれが見せる未来に惹かれた。
目の前にキャラクターがいる。
このままHMDが普及するとともに俺と同じ夢を見る人も増え、ますます未来は加速していくのだろうと、ぼんやりと、しかし確実な未来に胸を躍らせていた.
ある時を境に、バーチャルリアリティを取り巻く環境は変わってしまった。
瞬く間に人はソーシャルVRの虜になり、やれアバターだ、やれ新しい自分だなどと言い始めた。
VR空間上で思い思いの容姿をした人間同士が会って会話をする。
なんだこれは。
「現実ではできないコミュニケーションが~」などとほざく人間もいるが、結局は人間と人間が会話することに変わりはない。
おい。
どうしちゃったんだお前ら。
なあ。初音ミクはどうした? お前らあんなに騒いでたじゃないか。
「俺の嫁が目の前にいる」って。あれは嘘だったのか?
もう、キャラクターと共に生きていく未来を思い描く人間はいないかもしれない。
人々はアバターで人間と会話したり、キャラクターというよりかは人間の着ぐるみ同然のVtuberに金を投げつける方が好きなようだし、もはや俺のような正真正銘の陰キャオタクにはどこにも居場所がないのかもしれない。
あれこそ俺が求めていたものであった。
今から3年ぐらい前に、自分の人生の幕を自分で下ろした人がいた。
家族はもちろん、仲間やファン、多くの人が悲しみ、辛い思いをした。
一ファンだった私自身は、悲しい、より、寂しい、より、どうして、なんで、と頭が追いつかなかった。
しばらく、ぼんやりとした時を過ごしていたように思う。
お葬式の映像すら、なにかのフィクションのようにどこか遠く感じていた。
私が麻痺した感覚を取り戻したのは、彼の仲間が活動を再開した時だった。
誰もがその空白の中に彼の幻想を見る。
こんなに辛いことがあるだろうか。
今でも彼と彼の仲間が歌った曲を聞くし、それ自体は生活の一部で変わりがない。
でも、いつまでも彼だけが新しくなることのない写真や動画を見つめ続けるのが辛くて、最近は少しだけ離れはじめていた。
昨日、この一連の流れを思い出すような出来事がニュースとなった。
立場は違えど、自分の人生の幕を自分で下ろすということ、その本当の理由なんて本人以外には絶対にわからない。絶対に、だ。
自死遺族は、自分が追い詰めたかもしれない、自分が救えたかもしれない、このふたつの想いで苦しむとどこかで読んだ。真相が永久にわからないから。仮に遺書があったとして、それだって、100%本当のことなのかわからない。それがわかる人は、もうこの世にはいない。
ファンは、彼らの人生に本当の意味で深くは関われないけれど、遺族と同じような心持ちになる人だっているはずだ。ファンという存在が追い詰めたのかもしれない、とか、ファンという立場ながら何かできることはなかったのか、とか。
考えても仕方ないし、時は不可逆なのに。
きっと今、あの時私が感じた虚無を感じている人が沢山いるんだろうと思う。
たぶん、まだまだ気持ちは追いつかないだろう。人によってそのスピードは違うから、周りのことを気にしない方がいい。結局自分しか、その悲しみにも苦しみにも向き合えない。
生きていてくれたらそれだけでよかったのに、というのも遺された者のエゴで、その、生きている、こと自体が難しかったから幕を下ろしてしまうのだ。
それでも、生きていてくれたらそれだけでよかったのにと、三年経った今でも勝手に思うし、昨日の出来事にも同じように感じている。
せめて、安らかでいてほしい。すべての辛さから解き放たれて、二度と上がらない幕の向こうで、どうか、あたたかく笑っていてほしい。
スマホのメモ見返してるとときどき昔書いた小説モドキみたいなのがあってゲェッ最悪!と思う
晒そうかな(自傷行為)
俺の思う最高にかわいい女の子を書くぞ!思って書いていた記憶がなんとなくある しかし…キモい
○1年・7月
黒板を隅々まで綺麗にしていく彼女の軽やかな動きをぼんやり眺めていると、突然声をかけられた。
彼女、花崎さんとはほとんど話したことがないから少し驚いたが、よくみると彼女はちょうど「明日の日直」の欄を書くところだ。いま苗字を書かんとする人間が自分のうしろに座っていることに気がついたから、なんとなく声をかけてみたのだろう。
そうだね、と適当に返事をして頷いてみせる。
「がんばってくれたまえ」
気取った調子でそう言って教壇に座ると、花崎さんは学級日誌に取り掛かった。弱くも強くもない筆圧で、今日の時間割だとか欠席者だとかを書き込んでいく快い音がする。
教室にはほかに誰もいない。男子の日直である矢野君は重大な用事があるとかで帰ってしまって、花崎さんがひとり日直の仕事を片付けていたのだ。僕はといえば特に何かがあるわけでもないのだが、なんとなく高校時代の放課後の教室というものに浸ろうと思ってぼんやり座っている。
やがて「できた!」と小さな声が聞こえた。立ち上がった彼女になんとなく目を向ける。
目があった。
「読む?」と聞かれて、答える前に「読まない!」と先取りされる。「なぜなら明日読めるから…」と少し声を低めて歌うように言いながら彼女は教室を出て行った。
読むにやぶさかではなかったのだが、明日読めると言われればそうだ。ヘンなひとだなあ、と思いながら教室に意識を戻して、そのままひとりで20分くらい座ってから帰った。
○2年、5月
たまにはぶらぶら歩いてみるのも悪くない、と思って日曜日にわざわざ高校のある町まで出てきてみた。通学定期券がなければ片道400円近くもかかるところだと思うと、なんとなくありがたみがある。
目を向けたこともなかった駅前の観光案内板を見て、コースを考える。公園の展望台にいって大きく外すことはないだろうからここを終着点にしよう。そのごく近くの城跡にもせっかくだから寄ることにする。道中に菜の花畑なるものがあるな。たぶん今くらいがちょうどシーズンだし、ここにも寄って損はあるまい。その側の用水池というのも気になる。水面が見えるタイプだと嬉しいのだが、フェンスがあるだけかとガッカリするのもこういう散歩の醍醐味かもしれない。
ボンヤリと行きたいところを決めて、携帯電話の地図アプリと案内板を照らし合わせつつルートを確認する。ざっくりわかったところでひとつ息をついて歩き出した。幸い今日は随分いい天気だし風も適度にある。よい一日になりそうだ。
順調に歩いて菜の花畑まで来た。道沿いにそれなりの数の菜の花が咲いている様子は壮観…とまでは行かないが、天気と相まってそれなりに見ごたえがある。のどかな気持ちに浸りながらゆっくりと歩をすすめていくうち、前方に人影があることに気がついた。
あの人なんとなく知り合いっぽいな。熱心に花をみている様子だ。
近づいていくと向こうも気づいたようで、こちらをむいた。
「あれ、吉田くんじゃん」
華やかに笑って右手をひらひらと動かしたのは花崎さんだ。つられて手を振り返しながら、何してんのと聞いてみる。
案外くだらないことを言う。冗談なのかなんなのかと少し当惑していると、それが顔に出ていたのか花崎さんは笑みを深めた。
「そんな困惑しないでよ、散歩してたら良い感じの花があったから見てただけ。吉田くんこそ何してんの?この辺じゃなかったよね、出身」
いかにも僕は5駅離れた田舎の出身である、と答えると、彼女は思案顔になった。
「ここってはるばる来てまでやることある?ちょっと待って、考える……」
案外あるというのが僕の答えだが、考えるという彼女の言葉を尊重して菜の花畑に目を向ける。ときどき横の道路を車が走っていき、遠くから子供の声が散発的に聞こえ、鳥の鳴き声がする。ごく静かないいところだ。花崎さんもこのあたりに住んでいるのだろうか?気になったので尋ねてみる。
「あ、わたし?わたしはそう、この辺だよ。本当にこの辺。目と鼻の先と言っ……たら過言だけど、比較的過言じゃないと思う」
辺りを指し示すジェスチャーをしながらそう言って、彼女はまた考えはじめた。
まあ近くに住んでいるらしい。高校に徒歩で行けるというのは羨ましいなとぼんやり思っていると、声をかけられた。
「四案あります。いち、学校に忘れ物をしたので取りに行っている。つまらないね。に、だれかこの辺りに住んでいる友達と遊びに来た。これもあんまり。さん、部活。妥当だ!よん、この町が大好き。ありえなそう。わたしはいちだと思ってるんだけど、どう?まず正解ある?」
ヘンな人だなあと感嘆しつつ、この中に答えはなく僕はただブラブラしたくてタダで来れるこの町に来たと事実を告げた。彼女は少し驚いたような顔をする。
「タダで来れる!そっか、そういう価値基準もあるよね。奇特な人だ。どうこの町、歩いてみて?」
まだそれを答えるには走破距離が足りない、と伝えると花崎さんは「たしかに!」と笑った。公園の展望台に登るまでの脇道にある送電塔がけっこうオツなものであるという情報を教えてもらい、彼女と別れる。もう少し花を見てから帰るとのことだった。花崎だけに?と聞くと、花崎だけに、と笑われた。
この時期になるとふと思い出すことがあるのが大学生の時の事で
思い出が消え去るのが寂しいので匿名で残そうと思う。
全くモテなくて恋人もいた事がなかったわたしが、大学生のとき、後輩に教室で突然キスをされた。
後輩とは特別すごく仲が良かった訳でもなかったけど時折きっかけがあって話をすると私自身は気が合うなと思っていたし、話しやすい人だと思っていた。
初めてのキスは二人共椅子を使って寝転んでいたときに突然相手が顔を近づけてきてキスをしてきた。
なんでキスしたんだろ??と不思議に思ってたけど相手がすっごいキスがうまいなっていうのと(ほんと、とろけるようなってこういうの言うのかって感じ)驚きと、とにかく不思議な感情だった。
嫌じゃなかったのはその前から私はぼんやりと相手を好きになっていたからなんだろうなと思う。そこまで大好き!片思い!とかではなかったけど。
その日をきっかけに相手と特に連絡をとって示し合わせる訳でもないが自然と二人きりになって教室の隅の人に見えないところでキスをよくしていた。今思うと本当に恥ずかしいが1時間とか2時間とか平気で二人で何を話すでもなくキスをしたり抱き合ったりしていた。
そんな日が何回かあって、合間には映画にいったり、すこし遠出したり、お祭りに行ったりした。その時はすごく楽しくて、もともと話すのが苦にならない相手だったから一緒にいるのが心地よかった。
相手はそういうときに、手をつないだり肩にもたれかかったり、人気のないところでまたキスを繰り返したけど
付き合ってはいなかった。
夏が終わるにつれて、二人でこっそり会うこともなくなって、相手は別の人といい感じになって
私は相手が好きだったので離れていってしまうことが寂しくて、ほんとは相手にも私を好きになってほしかったし、もっと一緒にいたいなって思った。
ほんの少しの期間だったけど
今でもあの頃の思い出はなんとなく私の中にいいものとしてあって、あんまりそのあとの恋愛は思い出したくないんだけどそのことだけはキラキラした青春だったなーってこの夏になるとつい思い出してしまう。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
ずっとフワフワと生きていた。
酒を浴びるほど飲んで、職も転々として、
将来の事なんて考えてなくて。
兄の顏が怖かった。
あの言葉がいつも近くにあって、
昔自殺したかった。今でもたまにあの時死んでればと思う時がある。
ただ、今はだいぶ死にたい気持ちが薄れてきた。だがそれと同時にかつては自分の気持ちや周りのことが明瞭に感じられていたけれど、今はぼんやりとしか感じられなくなってしまった。歳をとって考えるのに疲れてしまったのだと思う。半ば哲学的ゾンビのように、刺激に対してそれらしく応答するだけ。虎になりかけている李徴子のように時々人間らしい感覚を思い出すが、それ以外は人間らしい自分をモヤがかかっているようにしか知覚できない。
生きるのは楽になったが果たしてそれは良いことなんだろうか?生きていれば良いんだろうかとふと思う。親を悲しませないとかそういうことは自分以外の話だ。自分自身のあるべき姿として、自分を失ってまで生きていることに本末転倒感がある。
自殺(特に、金銭や色恋などの積極的な理由のない自死。三浦春馬については理由を知らないが)の話を聞くと、明瞭な自分を失わずに自殺したのだろうかと羨ましくなる。そして一瞬だけかつての明瞭な世界を思い出して夢から覚めたような気持ちになる。
話題のブログが釣りや創作ではないと仮定して感想を書こうと思う。釣りだった場合はまな板の上で素晴らしいと褒めたたえるつもりだ。こういう反応をしてしまった時点で釣り人の養分になったあとかな?
私は別に釣りではないので公開Twitterアカウントで分かるようにこの記事を投稿しているだろう。つまり釣られたのがわかったときは逃げられないということだ。ぴちぴち。
はてな匿名ブログでやる必要ある?という話だが昔のブログがどこかにいってしまって、はてなのアカウントが生きていたということだ。
ということで。
(リスペクト)
私の年齢はブログ主の方とガチガチに同年代ではあるのだけどさすがにそこまで細かく言うのには抵抗があるのでふんわりとした表記にしている。
私についての話はあくまで30歳腐女子さんの比較として用いるもの、また私がどの立場から物を言っているのかということを示すことが必要な部分だけを書こうと思っている。これは感想記事であって私の自伝ではないからである。
本文の前に説明しておくことがある。
まず、この記事では主題とする彼女のことを「30歳さん」と呼ぶ。彼女はブログのタイトルからお借りした。30歳腐女子の方の固有名詞がなく、だからといって頻発する人を指し示す言葉を毎回「32歳腐女子の友人側と自称する30歳腐女子」と記載するのは私が疲れてしまうからだ。これに合わせて後述する32歳の方を「32歳さん」と表記する。
次に経緯だ。こんな場末の感想を読んでる人には十分に分かっていることだろうとは思うが時間経過によって経緯が分からなくなることもあるだろう。少し長くなるが知っている人はたくさん空いた改行部分までスクロールしてほしい。
ことの発端は「32歳の腐女子」と名乗る人物が匿名のブログで自身が世間的に求められている振る舞いが出来ていないことへの反省と諦めと希望と前進について書いたことである。30代の女性としての世間的に標準とされるファッションやメイクに疎く同世代からの乖離を感じる女性の、言ってしまうと悪いのだが実はありきたりなお話である。
腐女子であることやオタクであることと年齢相応の振る舞いが出来ないというのは一切関係がない。現代においてアニメやマンガが好きで腐女子であるということは若者の特権ではないからだ。とっくに我らオッサンオバサンがメイン層である。(ちなみにメイン層とターゲット層は違う物だ。例えばポケモンのメイン層は20代30代だがターゲット層は小学生である。ターゲット層をメイン層と取り違える人はよくいる)
「年齢相応の振る舞いができない」のはただ「年齢相応の振る舞いができない」からである。速く走れないのは速く走れないからだ。AはAである。普段運動しないから速く走れないんだというのは正論ではあるが解ではない。速く走ろうという価値観がないから運動しないのであって足の速さに価値観を見出してないからこそ足を速くしないのである。
立ち振る舞いは本人の勉強と訓練で修得することが可能だ。それは「年齢相応の振る舞いをしなければいけないと思う価値観」を強化して再学習することを含める。世間の型に嵌るのは苦しいが生きていくために無理にやらなくてはいけない人もいるだろう。
………。うっかりダラダラと書いてしまったが32歳さんは今回の話の主題ではない。
それから数日後の話だ。
「32歳腐女子」の友人側の話
という前述の記事に影響をうけて書かれた記事がこちらも匿名としてブログに掲載された。はてなブログをわざわざ新規で開設したあたり匿名性にも少し疑問があるのだが隅をつついても仕方がない。
今回の記事において感想の対象となるのがこのブログを書いた30歳の腐女子と名乗る方である。つまり彼女が私の言う30歳さんである。
30歳さんは幼稚園の時からの付き合いになる近所に住む同い年の友人、みんな30歳の幼なじみが3人いたという。その友人のうちの一人(以下、Aさん)は「32歳の腐女子」と同じように幼く、その振る舞いに呆れて親切に(?)助言したにもかかわらずAさんからみな絶交されてしまった、という話だ。
初歩的なことを言っていいですか?
あまりにブログ記事が邪悪すぎてうっかり忘れそうになる。読んでしまえば頭に浮かぶのはAさんのことだろう。だけど少し待って欲しい。
(※他人のふんどしで自己顕示欲を果たすことは現在進行形で私が同じ穴の狢なので知らないふりをする)
そもそも32歳さんと同類とみなしたAさんについての記事である。それはAさんがどんなに悪いことをしているか、Aさんがどんなにみっともないかを蛇のように事細かに綴った内容である。
そしてその記事の〆は「32歳さんが私たちみたいにならないことを祈ります」だ。
「32歳さんみたいな子が友達だったんだけど、すっごい幼稚で~、すっごい迷惑だった~、人の話も聞かないし~、32歳さんはそうならないといいね!」
要約するとこうである。
32歳さんのことも殴っているわけだ。
共通点は確かにある。だけど32歳さんの記事だけで「同類」と見なすのはあまりに乱暴だ。30歳さんは昔からの付き合いでAさんのことをすべて知っているつもりになっているかもしれないが、32歳さんはあなたの幼なじみではないのである。
少しでも他人に配慮できる心持ちがあるならあんな酷い記事の〆方はするものじゃないと思う。すっかりわれわれの頭の中がAさんのことでいっぱいになって32歳さんのことを忘れたときにわざわざ「同類だから気をつけてね」と終わらせるのは言ってしまうと悪いがあまりに性格が悪い。
現実世界の交友関係における悪口を匿名の特権で放つのは仕方ないこともある。公には言えないからこそ地面に掘った穴に王様の耳はロバの耳と叫ぶ訳だが、残念ながらインターネットは公共空間である。
記事全文を読んで次に思ったのが30歳さんには文才があるなということだ。褒めている。
ジャックナイフをはじめとした比喩がダサいという指摘もたくさん見ているとは思うのだが私はそうは思わない。そこは読み手の好き嫌いだと思っている。過去にあったことを多少の脚色はあるだろうが表現力豊かに書けているなと思った。うまく順序だてて分かりやすくかける人は少ない。
なので文字書きだと思っていたのだが追記によると300部売る島中の大手漫画サークルらしい。……嘘やろ? このあたりを読むとリアリティラインが下がる。創作実話と私が疑ってしまう所以だ。これは私個人がオタクでありながら同人誌頒布というイベントにサークル参加したことがないのが原因だ。購入側としても片手より少ない数しか行ったことがない。
ブログを信じるならば、夏コミ冬コミ夏インテ冬インテの年4回参加し、だけど島中で、毎回新刊を出し、イベント後の通販を含めて300冊売り切ると自己紹介をしている30歳さんは私にとって天上の人である。
部数を盛っているのでは?という疑いがムクムク沸いてくるのだが私には常識が分からない。
世間的に求められる振る舞いに「常識」があるように、オタクのイベントにおける「常識」もあるだろう。しかし前者は当事者としてわかる事があっても、後者に対しては無知なので分からない。大手ジャンルだとそういうこともあるのかな~とぼんやりしてしまう。調べる意欲はとくにない。
30歳さんは自分をちゃんと客観視できるようになったらその文章力を発揮してドロドロのBL小説を書いて欲しい。死ネタ以外のしんどい小説にこちらは餓えている。二度と読み返したくないくらいしんどい話を読みたい。いらない自己紹介をすると私は小説派である。
文章力については以上にして、そろそろブログの内容についての感想に進もう。これじゃいつまでも終わらないので手早く。
ブログ本文のAさんについての記述の部分は散々他の方から突っ込まれているだろうが私もなるべく簡易的に思うところを書こうと思う。書いている未来の自分に託しているが長文になっていたら笑う。
まずAさんは正社員ではなく派遣先にもなじめず職場を転々としている。
これに対してあまりにも30歳さんを含めた幼なじみ3人組が過干渉である。長い付き合いだから心配するのは分かるが、友達同士で集まる度に3人に寄ってたかって将来はどうするのと数時間詰められるのは嫌だ。私は2回やられたら参加をやめる。
派遣先や派遣先の人間関係になじめずに数週間で転々とするのを繰り返している人間は当然だが正社員としても馴染めない。何週間もかけて何回も面接してようやく正社員になって1ヶ月で辞めるのなら非正規で1ヶ月で辞めた方が迷惑にならない。
しかも辞める度に友人から説教されるわけだ。うーん、地獄かな?
Aさんが年齢相応の振る舞いが出来れば解決すると思っているのが間違いである。見た目と違って言動や性格の部分は本人が意識しても変えるのが非常に難しい。Aさんだって自覚してない訳もないだろう。
必要だったのは正社員になれと詰め寄ることだったのか、30歳さんと友人たちにはよく考えて欲しい。
30歳さんは新しい財布を買ってAさんを含めた友達に見せびらかした。買ったものを見せびらかす行為自体が子供っぽい振る舞いとされるものではあるのだが30歳さんは気づいていない。30歳さんから財布の話題を出したことでAさんも新しい財布を易く買えたと財布を見せたのである。それは子供っぽい財布だったので30歳さんはAさんに呆れてしまったという。
トラップかよ。Aさんからすると新しい財布の話が出たから話を合わせて自分の財布を出したら変な目で見られる訳である。他人の財布につべこべ言うなというのは当たり前の話として、人間関係として正しい振る舞いは「Aちゃんも財布買ったんだ! いいね!」である。よりお互いがフランクな間柄なら「私の方が可愛い財布だもんね!」もアリだろう。野球ボールを投げられたからキャッチボールだと思って投げ返したら「何をしてるの?」と言われたようなものである。
Aさんは次第に友人三人と話をすることを疎うようになり友達グループに隠した別のTwitterアカウントで活動するようになったらしい。そのアカウントを見つけてしまい30歳さん達は監視するようになる。
10歳以上年下の子供とは仲良くなれないし若い子供がメイン層であるジャンルを好むことを理解できないと30歳さんと友人たちは思っている。価値観の亀裂である。人間関係の破綻はすでに目に見えていた。
長年の友人である自分たちには嘘をついて、隠れたTwitterアカウントで本当のことを書いていることが腹立たしく思ってしまったそうだ。あきらかに原因は真実を言う度に説教する30歳さんたちであるのだが。
Aさんの行動を監視しLINEで悪口を言い合うという行為自体良くないことなのだが、人間は悪口を言う生き物である。いってしまえばバレなければ大丈夫なのだが、30歳さんとその友人たちは脇が甘い。結局態度や行動に出ているのだ。そもそも過干渉を悪いと思っていないのだから当たり前か。
普通、非公開の個人間のLINEで話した悪口をわざわざブログに持ってきて「私たちはこのように悪口を言い合った」と書く必要はない。あくまで公で言えない内々の話だから言えたことではなかったのかと首を捻ってしまう。私ならよりオブラートに包んで悪口大会であったとしても「みんなで心配だと相談しあった」と記載するに留めるだろう。
以上のように酷い過干渉をした結果、Aさんにみんな縁を切られておしまいという話だ。
30歳さんは負け惜しみを言う。Aさんが悪いのだ。私はAさんと幼なじみだから親戚だから付き合っていただけでAさんみたいな人とは合わなかったんだ。
30歳さんはAさんを手放す気がなくずっと庇護下、監視下においておくつもりだったことが記事から分かるのだ。過干渉する側は過干渉される側を手放そうとしないものだ。そもそもそのブログ記事自体が過干渉の行為そのもので、関係性を切られても諦めきれずに記事を書いているのがすべての証左である。
おそらく30歳さんはAさんが反省して戻ってくることを期待している。期待しているからこそ書かずにいられなかったのだろう。
本文については以上だ。
以下はその追記についての話をしたい。
ブログ記事が拡散されて多くの反響を得たことで新しい続編となる記事を複数30歳さんは投稿した。
そこには30歳さんの事情が書かれていた………
そもそもお前の話を聞いているわけじゃねぇよ。
そんなに自己を開けっぴろげにする必要性があるのかと思ってしまう。ブログに寄せられるコメントやTwitterの感想に反論しようとして次から次へと自身やその周囲について暴露をしているのだが別に聞かれているわけではない。30歳さんは自身を正当化しようとして間違えた答えを出し続けている。
「Aさんに過干渉しすぎ」という意見の反論が、「Aさんと私は親戚で家庭環境も知っているから心配になった」である。
聞いてないです。
「雀の涙の貯金額を自称する30歳さんがAさんのお金の状況を言えるのか」の反論が「そんなに私は貯金少なくないし乗用車が買える現金がある(笑)(マウント)」である。
「Aさんにも事情がある。就職については色々な悩みがあるのだ」の反論が「私も昔は責任感のない非正規だったが色々な事情があって一念発起し正社員になった」である。
だから何なんだ。
すべての情報の開示はすべての反論への自身の正当化である。こういう事情があるから私は悪くない、と言われても困る。あなたは悪い。そして言い訳をしているせいでより悪い。Aさんという個人に対して30歳さんがしている行動や発言が悪いことを責められているのであって30歳さんの事情は聞かれていない。
そして読んでいて感じるのは『自分はAさんより優れている』という主張である。自分はオタクではあるし恋愛面など至らないところもあるけれどこういう仕方ない事情があってAさんとは違って社会的に求められる振る舞いがきちんと出来ている、と。
自分に対して至らなくて仕方なくて大変だと言うのが分かっていて、その言い訳ができるのなら、それはAさんだって同じだろう。
おそらく私の感想が本人に届いたとしても30歳さんが改めることはないだろう。他人の思考や行動をより他人が言ったとして従う必要はないからだ。
世の中は怖いなぁ………
https://anond.hatelabo.jp/20200714151102
長いけど私は文章が上手くて読みやすいから安心して全部読んでほしい
最近のオタク女系増田とそのトラバ・ブコメ読んでたけど叩いてる輩ってだいたいオタ女嫌いに適当に理由つけてるだけだね
揃いも揃ってダブスタ(ダブルスタンダード、二重基準)なんだよ
例えばこれhttps://anond.hatelabo.jp/20200614221226
ある乙女ゲーム会社はファンにゲーム実況禁止ルールを課していた。しかしある実況者を罰するどころかむしろ優遇し公式実況者の地位を与えたその会社に増田は失望した、という内容
「罰を与えたいというエゴ」だの「嫉妬」だのひどい言われようだった
対してこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200712141747
「同人に口を出してはいけない」という謎のルールを課せられたという自称漫画家増田がぼんやりした要望を同人女に出している、という内容
これおかしいよ
企業の正式で明確なルールに反した人を叩くオタク女に対しては「叩くな」と言い、自称漫画家増田のぼんやり要望に反したオタク女は叩く。これをダブスタと言わずしてなんとしよう
さらには
>こういうバカを「同人女」の方々がちゃんと批判しないと、一纏めに言われても仕方ない
あのねえ
今度は「叩け」かよ
どれほど身勝手なのかね
どれほど汚らしいのかね
そんな身勝手で汚らしいお前ら(スターつけた人も含め)の願いを叶えてやった人
ずっとそうだったんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20190324040152
(たしなめる人間が多少いたのは知ってる。見た。ありがとう。)
増田に観測範囲がおかしい云々言ってる人いるけど個人ブログが荒らされてる時点でその理屈は通らない
女ヲタが女キャラを好むのは彼氏の影響か変わり者のアタシが好きなだけと言ってきた
(関係ないけど情報がやたら間違ってて謎だった…銀魂でBL人気が圧倒的に高いのが沖田だと思い込んでる人ばかり見た)
「女ヲタはいろいろ種類あるらしいけど全員害悪だからまとめて腐女子でいい」という意味不明な理屈をこねていた。一歩譲って全員害悪だとしても「害虫はいろいろ種類あるらしいけど全部害悪だからまとめてゴキブリでいい」並みの誰得理論はさすがに引くわ
それがTwitterで強制コテハンが主流になって、潮流が変わってきたころに理路を逆流させた
荒らしたことをあろうことか尊敬してましたアピールに変えたんだな
男ヲタ界がそんなおおらかで女ヲタ界がキツキツなら、すぐに女ヲタ界からの脱走者が大量発生してもぬけの殻になるはず
そうならなかったのは男ヲタ界が寛容じゃなかったからだ、違うか
男ヲタが内ゲバしなかったのは外を叩くのに忙しかっただけでしょ
縛ってきた側が自由を名乗り、縛られた側を偏狭と呼ぶのはもうたくさんだね
補足1
実況は宣伝の手段になるから当然、と言っていた人が多かったが、問題はルールを破った人に実況させたことなので勘違いしてはいけない。
>一般人が載せられないスクショをゲーム雑誌が載せられるのと一緒
補足2
・実態に即してない。この言葉で何かを揶揄する人が問題にしているのは、それに気持ちが書かれているかどうかではない(と認識している。私はこの言葉を使ったことがないから知らんが)
そうね、だいたいこんな感じだろうか。
最後に、元の増田や多くのトラバブクマで不動産屋は信用ならないという意見が多くて、まぁそういう業界ではあるのは確か。特に賃貸仲介は余り質の良い人材は流れてこない。
ただ一方で市場構造を理解せずに市場に流通してる情報の質は測れないというのもある。元増田はその辺がいまいちぼんやりしていると思う。株式投資などではアルゴリズム投資も可能だが、残念ながら不動産は現物投資なのだ。条件を全て網羅しても、取引成立までに地震が起きてひびが入ったらどうだというのが現物投資である。更に言えば不動産は一点ものでその対象不動産に対する取引回数が株式などと比べて圧倒的に低い。一つの不動産が「取引の場」に晒される回数は多くても2、3回がほとんどだろうと思うし、全国規模でいえば一度も市場で取引されたことが無い不動産も多いと思われるので、アルゴリズム投資向きではない。条件をどれだけ並べてもむなしいというのはそういうことが理由であると言える。
また、例えばお買い得や掘り出しものの不動産も実際にはあるわけだが、何千万円もする値段の「掘り出し物」が知識もなく全く縁もゆかりもない自分に転がり込んでくるわけがないだろうとも言いたい。あれだけの条件を並べないと市場における良し悪しが分からない人が一点ものの掘り出し物を見つけるのは実際無理だろう。掘り出し物はみんなが欲しいからだ。当たり付きの自動販売機で当たることを期待して缶コーヒーを買う人はまずいないだろうと思うが、なぜ不動産買うときだけそういうラッキーを当然のように期待するのだとも思う。
知人の不動産デベロッパーは昔、耐震偽装問題があった時に「一番いいのは、問題が起きた時に賠償能力がある超大手のデベロッパーのマンションの新築を買うことだよね」と身もふたもないことを言っていた。マンション開発だけしかやってない会社は資金余力は小さいので注意が必要。ただし瑕疵担保責任とかアフター補償には適用期限とかあった記憶。リフォームも当然同じと考えていいと思う。逆に最近は仲介業者が1年ぐらいの補償を付けてたりもする。この辺は増田は仲介や販売実務をぜんぜんやったことが無いので分かりませんので各自調べてください。
ほな。
不動産や建築関係の事業者は本当に玉石混交。不動産屋だから全て信用できないわけじゃなくまともな会社もあるわけでAll不動産会社is悪と言うのは職業差別する馬鹿である。一方で、身もふたもない話だが、お金を持っている人ほど「まともな業者」にあたる可能性は格段に高くなる。ダメな業者かまともな業者か見分ける一番分かりやすい方法は「手数料無料」である。無料をうたってる業者は、まともに対応してほしいなら絶対避ける。一般的には売買仲介で手数料は不要、というケースはまずないが、賃貸仲介・売買仲介を両方扱っていて賃貸の方は「手数料無料です」と謳ってるならその業者は避けるぐらいでもいい。ちなみに、売買仲介で手数料不要ですというケースで代表的なのは、その業者が売却客と直接つながっていて売却客から仲介手数料(法定上限3%)を満額でもらえる話になっていて、かつ調査などの費用や負担がほとんどない場合、などに限定されるんじゃないかと思う。仲介手数料は上限が法律で決まっているが下限は決まっていないのだ。
仲介業者は仲介手数料が収益になるし建築業者は建築費の何パーセントかを利益として取る。基本はすべて一点ものなので「生産するほど儲かる」という概念はない。ブローカーなので当然労働集約産業である。したがって、扱っている不動産の金額が大きいほど彼らの取り分は大きくなり、その代わり取引におけるリスクも大きくなるから、ちゃんと躾けられて知識が確かな社員が多くなる傾向がある。そして扱っている不動産の種類や顧客の種類が多い会社の従業員ほど現物である不動産の状態確認の精度は上がる。会社としてのバックデータが豊富にあるからだ。
ちなみに仲介業者はどんな仕事をしているかというと、「お好みの物件を見つけてきました!」は彼らの仕事のうちの本当に少ない部分でしかなく、「対象の不動産についての状況確認」が不動産仲介業者の主な仕事の一つである。元増田のように全部自分で調べなきゃ気が済まないのんびりした人も居ようが、適切な金を払い、専門知識がある信頼できる人に外注すれば話は早い。なぜなら前項にも記したが不動産は一点ものであり、かつ所有者がいる「私物」である。その一点ものの過去の取引経緯は少ないのが一般的で私物なので調査は勝手にできない。そこでブローカーが間に入って必要な情報を調べるのだ。こういう作業をしているから手数料がかかる。スペックを比較するのはデータで机上でも可能(だしそういう取り組みをしてる不動産テック系の会社は山ほどある)なのだが、それによって分かる情報は実は不動産取引においては実は些末な情報でしかなかったりする(例外はあって、例えば、そこそこ築年数が経過した人気が高い大規模マンションだと、同じマンションの建物の同等スペックの取引例が多くあるので、市場価格やリスクがが類推しやすかったりする,、初心者向けにお勧めなのだが当然割高ではある)
例えば離婚することになり子供の養育関連や財産分割の取り決めなどをきちんとしようとなったら、弁護士を挟んで協議書類を作る方が、子供にとってより安全な養育環境を作ることが容易になる。夫婦だけで協議書を作るのが簡単ではない理由は、離婚する夫婦は利害が対立しているから、というのと、多くの一般の人にとって民法に沿って家族全員が納得できて子供のより安全な養育環境を確保する取り決めを作ることはそれほど簡単ではないからだ。離婚に関する法律は民法を理解しておけば何とかなるが、不動産に関する法律はもう少し多い。民法は大前提として、都市計画法、建築基準法、その他環境関連法や地元自治体が定めている建築や不動産に関する規制条例も複数ありこれらは不動産の価値に大きく影響する(その土地の用途≒利用価値を制限する法律だから)。関連法規が多い一点ものの取引をする専門の資格として宅地建物取引士という資格があるわけで、昔は猫でも取れるが鶏では取れない(暗記が多いから)などとも言われたらしいが、一応国家資格である。
実際には、日本はかなりの比率で法治国家なので、問題がある不動産はあまり多くない、特に住宅に関しては。だから仲介業者はアホでも出来る、不動産業者は客を騙そうとしてると決めつける人は割といる。だがそれは仲介業者が問題をスクリーニングした後のものを紹介されてるとか、市場で適正化されてる(怪しい物件は不当に安かったり)中から選んでいるから一般の人がババを引かずに済むわけで、そのリソース自分で賄える?とは思う。お金がある人ほどまともな不動産業者と出会えるというのは、こういう理屈である。
増田は宅建一応持っているが使ったことがなく、不動産仲介の人たちは頼りになるビジネスパートナーなので悪徳とかバカ扱いされてるのを見ると悲しくなる。また例えるが弁護士業界。昨今の過払い系弁護士なども割とアレだったり、人権派弁護士が逆方向にアレだったりするが「All弁護士is悪徳」と言う人はあまり多くはないわけで、職業(に限らず)差別するやつって浅い思考だなと感じ入る。話は逸れるが、不動産会社がゴキブリのように嫌われる理由の一つに「地上げ的なアレ」「立ち退き的なアレ」を脳内に思い浮かべる人も多いかもしれないが、立ち退き交渉業務は所有者または弁護士しか行えないと法律で決まっている。立ち退き交渉を行う弁護士は業務費用と成功報酬を割とがっつり取っていく。
元増田はまぁ、まず買わない方が良いタイプだと感じる。最近はお金を出せば賃貸でも十分ハイスペックな家を探せるしね。当増田については、築30年の分譲マンションを競売で落としてフルリフォームした。超快適。仕事で知り合った専門家たち(仲介さん、建築士さん、施工業者さん)にお世話になった。対価は当然支払ったわよ。
今週はずっと泣いていた。あることがきっかけでそれに対する負の感情がどんどんどんどん大きくなって、いつのまにか私なんか生きてても仕方ないしにたい消えたいという方向性に変わっていった。ふとした瞬間に涙が出て、頭の中がしにたい消えたいでいっぱいになって、苦しかった。部屋で寝込むことが増えた。
風邪ひいた?と聞かれるとそうじゃないけど、自分から心が弱っててとは言えなくて(何だか自分から言うのは恥ずかしいことな気がして)、家族にはそうじゃないけど……などと濁しつつ、部屋に戻るとベッドで泣いた。
今日も夕飯を食べながら泣きそうになったのでサラダと味噌汁をかきこんでおかずを少しだけ食べ早々に部屋に退散した。泣いている間はしにたくて気持ちが落ち込んでばかり……かと思ったら壁を蹴破りたくなるような暴力的な衝動にも襲われ頭の中はぐちゃぐちゃだった。クッションを握りつぶしながら激しい感情に耐え、時には泣き疲れてぼうっと天井を見上げたりもした。
そんなこんなで夕食を終えてから一時間ほどベッドでのたうち回っていると、不意に、鼻水でパンパンになった鼻がむずむずし始めた。
くしゃみだ。
その瞬間、しにたい気持ちも何かを壊したい衝動も私の中からポーーンッッ!!!と飛んでいった。全身の意識がくしゃみに向かった。数秒おいて詰まったようなくしゃみが出た。そこそこ大きかった。自分でも驚いて、くしゃみ後特有の爽快感を覚えながら、ぼんやりと思った。
こんな時でもくしゃみ出るんだ……。
馬鹿馬鹿しいけどこう思ったとき、妙に晴れやかな気持ちになったのだ。くしゃみ一つに謎の感動を覚え気がつくと涙は止まっていた。しにたくて苦しくて泣いていたのに体が元気なくしゃみをするものだから、何だか拍子抜けしてしまった。くしゃみ一つで泣き止む自分がおかしくて、万が一読む人がいたら何だこれと呆れてほしくて、後こんなことでも楽になれるよと自分のためにも残しておきたくて、はてなブログを書いた。
終わり
コメントの返し方が分からなかったからここに書くけどほんとありがとう。あなたのコメントでもっと元気出た。💩まで完璧すぎる。ありがとう。
「30前後ってね、見直しの時期なのよ。勤めてたら自分の仕事これでいいのかな、あの人は転職したのにな、とか思うし、起業や転職したらしたで同じ会社で着実に業績積んでる人もいるのになって焦るし。結婚とか出産とかも考えるじゃない。タイムリミットとかさ。生んだら生んだで今度は子供中心の生活でいいのかって、もっとキャリア積めたんじゃって悩むのよ。何しててもどうあっても周りと比べて気になっちゃうの。節目なのよ。いいのよたくさん考えて今の自分にとっての一番はこれ!ての見つけられれば。この先もずっと道は分かれていくんだから」
…て言ってくださった当時の大先輩今も感謝にたえない。
30年て土星の公転周期とだいたい同じらしく、昔の人は「自分が生まれたときの土星の位置に、改めて土星(=サタン。昔は凶星と思われていた)が重なる時期」でサターンリターンと呼んで何かいろいろ占ったりしてたらしいとぼんやり聞いた(うろ覚え)。
わざわざ占いに組み込むくらいなんだから、よっぽど皆そういう時期を迎えてるんだろうな。
以上、思い出話。
25歳になって初めて彼氏ができた。
中高一貫と女子校で出会いがなく、大学も周りのノリについていけず特定の女子とだけつるんでいたため男子と触れ合う機会がなかった。バイト先は地方の塾講師なので他の先生は皆パートのおばさまたち。場はそれなりに整っていたはずなのに自分の面倒くさい性格も相なって25歳まで処女を貫き通した。
24歳の夏、会社で説明会に出席してた時に突然それはおこった。今までも体調不良や微熱はあったけど、その日は特別だった。目の前がぐるぐると回転し続けてて座っていられない。自分が今どこにいるのか、上を向いているのか横になっているのかもわからないくらいの強烈な目眩に襲われた。説明者の目の前で。
幸い慌てて会場を出てしゃがみ込んでいたら落ち着いたのでその場は凌ぐことができたが、その後も目眩はひどく暫く続いた。真っ直ぐ歩くことができない。ふらふらして駅でホームに落下しそうになる。電車のつり革を握っているはずなのに目の前が歪んで立っていられない。座っていても世界が回り出して気持ち悪くて顔を上げられない。勿論病院には行ったがどこにもたらい回され、よくわからない薬を処方されるだけ。一度処方された薬を飲んだ夜に過呼吸を起こして熱が出たのでそれ以降薬を飲むのをやめた。
最終的に頼ったのは精神科だった。ブラック企業にいたわけでもなく親から虐げられていたわけでもない普通のオタクが行くにはあまりにも敷居が高すぎたけど、そう言っていられないほど状況は逼迫していた。毎日休むたびに減っていく有給、上司からの心配の声、悪化していく自分の体調、原因不明の謎の目眩。もう誰でもいいからこの症状に名前をつけて私を安心させて欲しかった。
普通に鬱と診断された。
それからは早いもので、といってもここのあたりの記憶は朧げなのであまり覚えていないんだけど、会社を休職し、給付金をもらい毎日家で暮らしていた。24の貴重な半年を家で過ごした。目眩がひどい期間は寝たきりだったけど、徐々にスマホでYouTubeを見るくらいならできるようになって、後半はYouTubeばかり見ていた。
初めは外に出るのも怖かったのが近くを散歩できるようになり、怖くて乗れなかった電車に乗れるようになり、友達と会って話をすることができるようになった。色んなことができるようになってくると目眩も治まってきて、その話を先生にしたら「目眩が心の危険信号だったんですね」と言われてなるほどなぁと思った。私は不必要以上に色々なものを抱え込みすぎていたらしい。毎日嫌味を言ってくる父親とか、一週間に二度ヒステリーを起こす母親とか、期待してるねと必要以上に仕事を回してくる上司とか、普通だったらなんとも思わないそれらを私は重く受け止めすぎて、結果抱えきれなくなって心が壊れてしまったらしい。それに気づいたのは休職して一年経った夏のことだった。
この辺りになってくるとTLも普通に見られるようになってきて、フォロワーとリプもすることができた。(前はなんだか億劫で見てなかった。ツイッターと10年近く寄り添って生きていた私がツイッターを見るのを面倒だと思うのがそもそも異常だったのだ)
そんな中で同世代のフォロワーが今流行りらしいマッチングアプリを始めたと言っていた。そういえば私も彼氏いない歴イコール年齢の喪女だからそろそろ考えないとなぁとぼんやり友達の結婚報告を聞きながら思っていた時だった。職場に出会いのない、そもそも今鬱で休職中だから職場にすらいない私に出会いなどあるはずなく、フォロワーが始めたならやってみようかな〜の軽いノリで登録した。ちょうどその頃恋愛神社とも言われている有名ツイッタラーさんをフォローしていて、もしかしたら私も恋人できちゃうかも〜!?なんて浮かれていたからこそそんな行動が取れたのかもしれない。いつ撮ったか不明な、人生で一度した飲んだことのないタピオカを持った写真をアイコンにして、オタクです!という内容のプロフィールで登録した。当時ヤリモクだなんだと騒がれておりマッチングアプリ自体にいい印象がなかったから登録ボタンを押した時はめっちゃドキドキしてた。
年齢が若かったからか大量にハートが来て必死に返事をする毎日が始まった。きっちり返事をしないといけない!という謎の義務感と長年ツイッターで培われてきたリプライ力を生かして声をかけてくれた方とは積極的にやりとりをした。中には会おうと誘ってくれる人がちらほらといて、どうしようかな、とりあえず会ってみるかということで一人目と天下の池袋で会うことになった。
そしてそのあとなんやかんやあったあとにその一人目の人と付き合うことになって、会社にも復帰できて、コロナの影響で口うるさい親がいる埼玉の実家に帰ることができなくなり、半強制的に彼氏の居候と化している。
実家で両親の嫌味を聞かなくてよくなったことで精神的に回復し、会社への通勤時間は短縮どころかテレワーク化でゆっくり自分のペースで仕事ができる。そして一番は一番大好きな人がずっとそばにいてくれて、尚且つ私がそばにいることを許してくれている。
私、引き運強すぎない?
横で寝てる彼氏の顔を見て、あまりのかわいさに嬉しくて文章書いてたら長くなりすぎちゃった。最近悲観的な増田が多かったからこんな幸せな奴もいるんだよっていうのが半分、もう半分は私これからも幸せでいられるために頑張るよ!ていう惚気。愚痴もだけど惚気も周りに言いづらいよね。そもそも友達少ないから言う人もあんまりいないんだけどね…
みんなも生きて行こう おわり
二次元に好きな男がいる。
所謂夢女というヤツではあるが自分との諸々を妄想するとかそういうのではない。ただ推している。ゲームの中だけど応援している。
彼は軽薄な男だった。言動はキツく、適当で、誰とも慣れあわず、周囲にヘイトをかましては去っていく。そんな男だった。
当然彼の事を「苦手」と言う人も居たし私も当初は「なんだコイツ」と思っていた。
ただそんな彼にも重い過去や事情があり、経験からあえて人を遠ざけている寂しい男だということを知った。
誰も居ない場所で一人涙を流している姿を見て惹かれた。
厳しい言動も優しい心根からくるもので、誰にも鬱々とした面を見せないように努めている。寂しい男だった。
そんな彼を好きになり、グッズを買ったり課金をしたりした。全ては彼が幸せになってくれるように。
身もふたもないことを言えばサービスが永遠に続いてハッピーエンドが見られるように。
で、物語というのは進めばハッピーエンドが来るもので、彼も自己の問題と向き合いハッピーエンドを迎えた。
本当に喜んだ。彼はもう一人じゃなかった。もう誰も居ない場所で寂しく涙を流す事もないのだ・・・。そう思った。
ただしここで私が考えていなかったのはハッピーエンドの後もサービスは続いていくという事だった。
問題を解消した彼は元気になって、打ち解けた仲間たちと過ごしていった。周囲にヘイトをまき散らすような彼はもう居なかった。
いい話だ。いい話なのに私はある時から違和感を感じはじめていた。
その時はじめて私は、彼の顔でも声でもなく、その性質、つまり誰も居ない場所で寂しく涙を流すような所が好きだったのだと気づいた。
己の悩みに葛藤し、人と距離を置き、明るく見えてもどこまでも寂しい、それが故に軽薄でいつも煙たがられるような男。
そんな彼がどうだろう、今は仲間に信頼され、協調し、自分のやりたい事をやって、真面目と評され、笑顔で過ごしている。
私は彼のそんな人生を願っていたはずだった。でも私の愛する彼はそこにもう居なかった。
「苦手」と言っていた人たちも「好きになった」と言ってくれるようになった。
これは本来喜ぶべきことなんだと思うんだけど、私はなんだかずっと微妙な気持ちを続けている。
そりゃあ周囲にヘイトを撒くような男と優しい真面目な男、どっちが好きかと言われれば一目瞭然だ。
ゲームを運営する側だって炎上するようなキャラより人気の出るキャラを作りたいだろう。
でもそれは同時に彼の薄暗い過去や本当の人間性を否定されているような、そんな気持ちになった。
いや、むしろ私の方が彼の事を否定しているのかもしれない。今の幸せな彼の事を好きになれないなら、私の方が害悪な夢女だ。
なんだかそんな事をずっと考えていて、推すのをやめようかなあ とぼんやり思って居る。
anond:20200713184901 これ見て思ったんだけど、何の分野でもそこそこ知識がある人って「好きなのを選べばいいじゃん」的な事を言いがちだ。
しかしながら一方、初心者にとって「好きなものを選べ」というのはかなりつらいアドバイスでもある。
何がより簡単であるのか分からない。自分が現在実行可能なのか分からない。
化粧で例えると、仮に「青が好きだから青のアイシャドウを身に着けたい」として、
「青のアイシャドウw使いどころ難しいよw」とか言われたら一瞬でその人は化粧を嫌いになるだろう。
好きなのとか言う前にまず何が初心者向けなのか教えろ。
玄人は好きだと思ったものを、とりあえずなんとなく出来てしまうパワーがあるだけだ。
玄人は膨大なサンプルデータが頭にあり、セオリーを全て理解した上で、「好き」を追求しているが、
例えば「プログラミングを始めたいんだけど」「好きな言語でやりなよw」というやりとりがあったとして、
まずプログラミング言語にどのような種類があるのか、何が違うのか、自分が実現したいぼんやりとしたイメージと繋がる先にあるのは何なのかという違いが分からない。
玄人はまず、相手がどのようなイメージ像を浮かべているのかをヒアリングするべきであると思う。
増田もまた、ある分野においてはかなり秀でているという自負がある。
その為後進の育成というか、初心者に役立ててもらおうと解説記事とかを掲載していたのだが……
「好きなのを選んでいいと思います!」
いかん。やっぱり書いてる。気を付けよう。
多摩川のタマちゃんのことを覚えている人はまだそれなりに居ると思う。2002年8月に多摩川に出没し一躍有名となったアゴヒゲアザラシの愛称だ。
そんなタマちゃんの絵本「タマちゃ〜ん キミが来てくれたから…」を子どものときに持っていた。その内容は今でも覚えている。題名はすっかり失念していたので今Googleで調べた。
多摩川に流れ着いたタマちゃんは、母親を探すうちにそこに住むカエルと仲良くなり、親交を深めていく。しかし、ある日タマちゃんは突然「お母さんが呼んでる」と言って海の方へぐんぐん泳いでいってしまう。カエルは「声なんて聞こえない、行かないで」と懇願するが、既に遠くまで進んでしまっているタマちゃんにその言葉は届かない。
次のページを開くと、見開き一面に海中が描かれており、中央にタマちゃんのシルエットがぼんやり浮かんでいる。そのページには「目を閉じて僕のことを思い出して。僕はいつでも君の傍に居るよ」みたいなことが書かれていた。この文に関してはかなりうろ覚えなのだが、目を閉じて云々という言い回しがあったことは確かだ。
グロでもホラーでもないのに、このラストの何がショックだったのか。それは、タマちゃんとカエルの唐突で一方的な別れだ。
二人が離れ離れになるだけでも悲しいのに、ラストのタマちゃんはカエルが必死に引き留めていることに気づかない。カエルに感情移入するとあまりにも辛い別れだ。
しかし一方でタマちゃんの、母親に再会したいという気持ちもよく分かる。今まで探していた母親が呼んで(いるような気がし)たら無我夢中でその方向へ向かうだろう。
どちらにも共感できるが故に情緒がめちゃくちゃになった。最後のシルエットのページで指示通り目を閉じタマちゃんのことを考えたら胸が締め付けられた。背表紙を見るとラストシーンを思い出すのでわざと本棚の奥の方にしまい込んだ。
思考が完全に停止している。
誰かに泣きすがれば、教えてくれるわけでもない。
途方にくれている。
年収が上がらない。
上司の意図を汲んで評価してもらおうにも、上司はヒントすらくれない。
ぼんやりした指示で、わたしの業務の範囲にはアドバイスもくれない。
直族の上司とわたしのコミュニケーションがうまくいかない限りは、どうにも楽しく働ける気もしない。
コミュニケーションが取れない=楽しく働けない=無理をする=うまくいかない(悪循環だね)
┗30過ぎてこんなことで悩むなんて、情けない。毎日、情けない。
年収が上がらない=評価されていない=会社に貢献していない=役に立っていない(いらない)
┗友達の中で年収が著しく低い、情けない。同じ生活水準の友達と付き合わなきゃ・・・
この人、こんなにもらってるんだ・・・(逆もある)
腐らず、前を向いて生きていく、悟りの境地に達したい。
他の方々、どううまく折り合いつけて生きてますか?
もう少し、周りと同じ程度に豊かになりたいだけなのに。
例えば最終回を迎えていくらか経ち供給が尽きて冷めてきたり、私生活が忙しくて創作する時間が作れずついていけなくなったり。
そのうちの一回に、感想に振り回されてのジャンル移動をした経験がある。
そのジャンルでの私はABとCB、二つのカプにハマっていた。ABはそのジャンルでも上位人気のカップリング、CBは書き手は少ないが読み手はなかなか多いカップリングであったと思う。
その日の気分で変わることはあれど、基本的には二つのカップリングのことを同じくらい好きだった。
どちらも本を定期的に出した。大体誕生日席で、それなりの冊数を手にとってもらえていた。単純に自分の描いたものを手にとってもらえるのは嬉しかった。
AB本もCB本も、毎回同じくらい手にとってもらっていた。
例えばあるAB本に対して、20件ほど手紙やマシュマロで感想を貰ったとする。
それに対して、同じぐらいの冊数が売れているCB本に対する感想はというと。
1件。
ネタ選びであったり作画であったりページ数であったり、ここまで差が出るのは自分の出した本が単純にダメだったのだと思った。感想を書くに至らない話だっただけの話だ。同人描きあるあるだと思うのだが、描いてる途中にこれは他人が読んでも理解してもらえるかといった不安がいつも押し寄せる。この本はその不安通り、他人が読んでもわからない本だったのだと、そう思った。
そうして自分の力不足として受け止めて、次こそはわかってもらえるといいなと呑気に思った。AB本にもらえる感想はすごく熱量がこもっているものが多く、自分はそこまで下手じゃないんだ、たまたま今回のCB本がダメだったんだと思い込むこともできた。
しかし、それからAB本もCB本も数冊出していくが、CB本に対する反応のなさはたまたまでは済まなかった。
感想の多いAB本も感想のないCB本も、売り上げ自体は変わらないままであった。AB本はむしろ感想が増えた。だが、CB本に関しては相変わらず。本を出した後の反応はないが手にとってはもらえる。
正直意味がわからなかった。感想がもらえるのが当たり前ではないのはわかってる。だけど、同じジャンルの同じB受け、同じくらい売れる本でこんなに反応が違う理由が自分にはわからなかった。わからないからこそ不安だった。悪いと言われることもなく、良いと言われることも滅多になく。
それでも、自分のCB本に感想をくれる数少ないなかで、一人熱心な読み手さんができていた。本当にこの方は自分にとっての救いであった。
呼びにくいのでこの方のことを山田さんと呼ぶことにする。
山田さんは毎回可愛らしい便箋で手紙を書いてくれた。私の描いたCBでCBにハマったと綴られてた。前回のCB本の新刊について長々と感想を書いてくれた。
どんどん自分の描いているCBに対して自信のなくなる私にとって、山田さんの手紙は本当に楽しみであり支えであった。AB本にたくさん頂ける感想もそりゃうれしかったが、山田さんからの手紙を読む時のそれは嬉しいの一言でおさまる感情ではなかった。この方が読んでくれて、わかってくれるのなら、まだこのカプで本を出し続けていいのだと思えた。だって私はABもCBもどちらも好きであったのだ。CBは前述したとおり読み手に対して書き手の数が少ない。単純にCB本がもっと増えますようにという思いもあったしネタも尽きなかったからできるだけ出したかった。感想の数は少なくとも、こうして毎回感想をくれる山田さんがいるなら、自分は全くわからない話を書いているわけじゃない。だからこれからも出し続けようと、この時点ではそう思っていた。
しかし、読み手というのは描き手よりあっさりジャンル移動するのが常だ。
ある時のイベントからぱったり、山田さんが自サークルにくることはなくなった。山田さんはCBが好きだが私の描くまABも読んでくれていたから、新刊がABであろうとCBであろうとイベントには必ず来てくれていた。
手紙にはツイッターのアカウントIDが書いてあったし、何度かツイッター上でもお話ししたことがあったからフォローはしていないもののアカウントはわかっていた。覗いてみた。
今流行りの、全然違うジャンルの話でいっぱいだった。プロフィールには自ジャンルの文字はもうなかった。何度か直接お話もしてたし、山田さんの人柄も好きであったから、単純に元気で楽しそうで良かったなとそっと自身のホームに戻って、そうしてしばらくぼんやりしたあと、もうCBで本を出すのはやめようかなと思った。
これから出すCB本は、誰かの気まぐれがない限り、きっと誰にも反応をもらえない本になると気付いてしまったから。
だってその方以外のたまに感想をくれるほんの一握りの方々は、毎回感想をくれるわけではない。
まだ描きたいネタはあった。CBのことはもちろん大好きだった。でももう、売れるだけで反応のない本を描きたいとは思えなかった。描けなかった。承認欲求云々もあるけど、自分の話にわかるよと言ってくれる誰かがいなければ、本を出した後にこの本大丈夫だったかな、とずっと不安になってしまうから。仕事を終えて睡眠時間を削って、そうしてやっと本を出したって、出した後の時間のほうが地獄だなんて耐えられないと思ったから。
毎回たくさん感想を頂いて、それを読んで次の本も頑張ろう!とやる気を出す。二つのカプを描いてる時よりかは気持ちがずっと楽になった気がしていた。
それからしばらくは楽しくAB本を出していた。CBに関しては本にせずツイッターに軽い漫画を載せたりしていた。
だが、ここでおかしなことが起きた。
CB本を出さなくなった私に対して、それまで私のCB本を読んでいた読み手の人が突然、発行して一年近く経つ私のCB本に対して感想を送ってくるようになった。一人ではない。何人も。マシュマロで送られてくることもあれば、ABスペースでAB本を出す私にわざわざ差し入れと手紙を渡してくる人もいた。
内容は大体こうだ。
あなたのCB本が〜で〜で好きだった、またあなたのCB本が読みたい、もうCB本は出さないのですか、といった内容ばかり。
正直、正直だ。
今更?と思った。
でも、それが欲しかったのは今じゃない。
貰ったCB本に関する感想を読むにつれ、もうなんだか、馬鹿らしくなってしまった。
ただの本製造機。CBの大半の読み手からはそう思われていたのだろうと解釈した。定期的にCB本を出すサークルの一人。それが突然ぱったり出さなくなったから読み手はどうしたのだと初めて声をかけてきた。つまりはとっととCB本を描けと催促されているわけだ。
どっと疲れてしまった。
CBは好きなままなので、CB本を出したくないとマシュマロに対して返事することはしづらい。だからと言って、こうして感想をようやく貰ったところで、CB本を出そうという気にはなれなかった。だけどこれからABで本を出すにあたり、もうCB本を出しませんと明言しない限りずっとCB本は?という言葉が付き纏う気がした。どん詰まりだ。
何もかも面倒になって、自分はそのジャンルでの活動をぴたりとやめた。
新しいものにハマるのは得意じゃないから、それから一年くらいかけてようやく次にハマれるジャンルを見つけた。今のジャンルでは初めからずっと感想をたくさんもらえる。イベントに行けない世の中になっているが、それでもマシュマロやDMでたくさん熱く感想をくれる人がいる。締め切りがなくても頑張ろうと思える。どれだけそのカプを好きで、自分が描きたいと思って描いているものであったって、長い話を一つ完成させるのは大変な作業だ。頑張れも良かったも貰えないと、正直ずっと辛い。
自分だって、自分が感想を言わなくても誰かしらからこの方は似たような感想を貰ってるだろうと思うことはある。
自分の語彙力のなさに頭を抱え、小学生の作文か?と送るのを躊躇うこともある。
でも、良かったですの一言でも、面白かったですの一言でも、エロかったですの一言でも、もらえたらめちゃくちゃ嬉しいのだ。やったー!と飛び跳ねる。実際にそういう一言感想はたまにくる。嬉しい。読んだ後本を閉じておしまいではなく、何か一言送ろうと思ってくれたことが嬉しい。エロかったです、の一言だとそんなにエロかったか!って嬉しくなるし面白かったですの一言だと今回の話考えるの大変だったからなあと勝手に嬉しくなる。
はてなではすでにひとまわりして、もういいや、他の炎上で遊ぼうって感じになって、やっとワイドショーなんかで「今ネットで話題の・・・!」みたいに取り上げてコメンテーターが一言いって仕事した、というもうすっかり擦られた話題だけども。
あの時分は、スーパーで「時間で割引になる表示のタイミングが悪く、告知がおざなりだから損した。店の態度としてもっとビビットに告知すべきである」と延々と店員を説教して、聞き流されてさらに激怒ループしている人を見ていたので、「まあ、あるあるだなー」と感じていた。
で、同時に感じていたのは、「高齢男性は社会の害悪」とか「ポテサラみたなものでも毎日作るの大変だよー」とか「一部の人の意見を気にしちゃダメー」とか、そっちの方面の意見ではなく、「おれ、こういうポテサラや惣菜の値引きの値段表示で激怒して人に延々説教するような事にならんように気をつけないといかんな」という事だった。
自粛期間で在宅勤務が始まってからというもの、コロナ関連の Be Careful モードに多少ストレスはあるものの、会話にまつわるストレスは非常に激減した。
「コレ言っちゃいかんな」とブレーキをかけるのは、脳の重要な働きだが、そもそもそれを言わねばならぬと感じるイベントに出会う頻度が結構減った。
反対に「今コレを言わねば」という機会も、そしてそれがコントロールできない瞬間にくるので即座に対応する機会も減った。
とてもリラックスできているのだが、その反面、時々、詳細な説明をする場合などに「うまく言い切れてないな」とか、「今、安易な説明に逃げようとしたな」とか、言語能力の弛緩を感じる。
それに「あー、やるべきことはあるけどやりたくないなー」とだらっとする時間もしばしばある。
調子のいいときは「やるべきことはっきりしてるなら、この時間はすぐ破棄して構わない無駄な時間だな。雑なとりあえずの手付でもこの時間よりマシだ」とまずは立ち上がるところだ。
これは少し意識して動いていかないと、頭がぼんやりしてしまうかもしれない、行き着く先はポテサラだのスーパーの値段表示だのにド説教をかました挙句、「自分は正しいことを言っている、何が悪い」とループするあの感じだ。
小学校の頃私には二人の友人がいた。AちゃんとBちゃん。Aちゃんはちょっと変わってて、私の通ってた小学校は女子同士の派閥争いがあったけど彼女はどっちの派閥にもつかないタイプ。Bちゃんはゴシップとかが好きで、同級生が喧嘩したとかそういう話を嬉々としてするような子。正直私は二人のことがそんなに好きじゃなかった。Bちゃんに関してはむしろ嫌いだったかもしれない。Bちゃんは友達がいなくなったら他の友達にその子の悪口を言うような嫌な子だったし、Aちゃんは派閥のトップの子に脅されて喧嘩を買うような子だったからいつ立場が危うくなって私まで巻き添え食らっていじめられるかとヒヤヒヤしてた。でも一歩踏み出す勇気が無かった私はグループから離れて他の子と1から仲良くすることもできなかった。
そうしてだらだらと付き合いを続けて、6年生の時私は行動した。その頃友達グループは私とAちゃんとBちゃん、それと新しく入ったCちゃんの4人だった。掃除中にAちゃんとCちゃんと一緒に雑談していた時、私はBちゃんが二人がいない間に私に二人の悪口を言ってきたという話をした。AちゃんとBちゃんを仲違いさせて、嫌な性格のBちゃんをグループから追い出そうと目論んだのだ。話を聞いたAちゃんはショックそうだった。Bちゃんが自分の悪口を言っているなんて思いもしなかったんだろう。Aちゃんは好きじゃない人と友達でいるなんて絶対にしないタイプだから。
案の定AちゃんはBちゃんと友達でいるのをやめると言った。私は同調して自分もと返した。Cちゃんは特に興味無さそうにじゃあ私もと言った。多分Cちゃんは自分以外がどうなろうがどうでもよかったんだと思う。なんにせよ私にとっては都合がよかった。そうして次の日からBちゃんはクラスで孤立した…と思ったが、養護クラスの子と一緒のグループに入って仲良くしていた。私はBちゃんにもっと惨めな目に遭ってほしかったから気に食わなかったけど、自分と関わりない存在になった以上目的は果たせたので何もしなかった。
でも私は間違っていた。確かにBちゃんは嫌な性格だったけど、行動力があり暴走しがちなAちゃんを制御する役割でもあった。中学1年の4月、借りた雑巾を返せない理由を言い淀んでしまった時、私はAちゃんに「借りたものも返せないなんて呆れるし、友達でいてもつまんないから絶交しよう」と見限られた。そんなくだらない理由でAちゃんが誰かと絶交したことは今まで無かったけど、それはBちゃんが諭し窘めていたからだった。Bちゃんを陥れようとした罰が当たったのかも、とぼんやり思った。幸い中学に上がったばかりだったこともあり、クラスで別の小学校の子と友達になって孤立するのは防ぐことができた。6年間私が出来なかったことはこんなにも簡単なことだったのかと感じたし、ここから再スタートしようと思った。
けど人生そう上手くは行かない。私は小学校の頃の何倍も弱い人間になった。今までは嫌なことはちゃんと断れたのに、誰かに馬鹿にされても怒れない、物を借りパクされても追及出来ない、面倒事を押し付けられても断れない。いつしか周りから良いように使われるようになった。Bちゃんはいつの間にかAちゃんと仲直りして悪口も正面から言い合うようになっていたし、Cちゃんも小学校の頃のように傍観した態度じゃなく、自分のしたいことをするようになっていた。三人は本当の意味で仲のいい友達になっていた。それを見て私は失敗したんだと悟った。三人は私がパシリをさせられているのを見ても特に気に留める様子もなかった。私達はもう赤の他人だった。Aちゃんという拠り所を失った私は人にどんどん流されて、ほんとはもう少し上の高校も目指せたのに「私ちゃんも一緒の高校受けてくれるよね?」と友達に言われ地元での底辺校に入学することになってしまった。ガラの悪い同級生や先輩にカモにされたけど友達は見てみぬふりで助けてくれなかった。そして去年。バイト先の先輩に紹介された男性と断りきれずに関係を持って妊娠が判明し、出産を機に私は高校を中退した。男性は妊娠したと連絡して以来音信不通だし、中退してから友達とは連絡を取ってない。我ながら酷い転落人生だと思うが、今の私にはバイト先の世間話をする程度の同僚と家族以外の付き合いは殆どない。
今思えば、Aちゃんは向こう見ずだったけど「気に食わないなら従わないし友達のことは大事にする」っていう自分の我がちゃんとあって、友達が派閥の子に目をつけられてハブられたりしたらグループに混ぜたり相手に文句を言ったりして友達のことをちゃんと庇ってた。だからAちゃんと友達でいる間は「何かあってもAちゃんは友達でいて守ってくれる」っていう信頼があったし、それが元々気が弱くて流されやすい私に抵抗する勇気を与えてくれていたのかもしれない。
子供が生まれ、少し落ち着いてきた今時々考えてしまう。もし中学に入ってからもAちゃん達と友達のままだったなら、今とはまた違う人生だったのかな、と。今となっては後の祭りで、益体のないタラレバ話なのだけど。