2020-07-18

自殺した人への憧れ、羨望

自殺たかった。今でもたまにあの時死んでればと思う時がある。

ただ、今はだいぶ死にたい気持ちが薄れてきた。だがそれと同時にかつては自分気持ちや周りのことが明瞭に感じられていたけれど、今はぼんやりしか感じられなくなってしまった。歳をとって考えるのに疲れてしまったのだと思う。半ば哲学的ゾンビのように、刺激に対してそれらしく応答するだけ。虎になりかけている李徴子のように時々人間らしい感覚を思い出すが、それ以外は人間らしい自分をモヤがかかっているようにしか知覚できない。

生きるのは楽になったが果たしてそれは良いことなんだろうか?生きていれば良いんだろうかとふと思う。親を悲しませないとかそういうことは自分以外の話だ。自分自身のあるべき姿として、自分を失ってまで生きていることに本末転倒感がある。

自殺特に金銭や色恋などの積極的理由のない自死三浦春馬については理由を知らないが)の話を聞くと、明瞭な自分を失わず自殺したのだろうかと羨ましくなる。そして一瞬だけかつての明瞭な世界を思い出して夢から覚めたような気持ちになる。

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