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はてなキーワード: 絵画とは

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-09-30

面倒な隣人

我が家の小4の息子はお絵描きしていないと息が出来ないんじゃないかと思うほど、

ずっと絵を書き続けている。

協調性動作障害を持っているから、その年にしては上手いけど、

万人が「この絵いいね!」というほどでもなく、面白い絵を書くなぁ程度のものだと思っている。

絵画教室等に行けば、もっとスキルアップできるのかもしれないけど、

本人が楽しく書き続けるのが一番!人に指導されるのは嫌だというので、

日々、紙とペンを与え続けて、書き散らかしたものを片付けなさい!と怒っている。

毎日、数十枚の紙が散らかって片付かないのも腹が立つけど、まぁ、それは本人の問題

最近面倒なのが、2年ほど前に越してきた隣人親子。

隣の女の子も同学年でお絵描きが好きらしく、お絵描き仲間として時々遊んでいる。

が、この隣人母がイラストレーターを夢見て破れたタイプの人らしく、

自分の子よりも絵が上手いと認識した息子に対して、変な絡み方をしてくる。

目の前で息子が書き上げた某キャラクターの絵よりも、

卒園アルバムにあった幼稚園の時に書いた数字ひらがな擬人化した絵をほめちぎり、

「そんな誰でも描く絵よりもこっちを磨けばいいじゃない!」とか言いだす。

まり自分現在の絵をほめてもらえないので、息子は一時期、なんとも言えない絵を書き続けた。

それでしばらく親子での出入りは、それとなく控えてもらっていたけど、

コロナ後はまた時々親子で来るようになった。

そしたら、妙に息子に迎合するようになっていた。

「紙とペンがないと俺生きていけないわ」

「わかる、わかる。おばちゃんもね、そうなのよ!紙とペンがないと無理よね!

 私たち仲間だわ!

みたいな、妙に仲間意識を作ろうとする感じが非常に気持ちが悪い。

目の前で書いているあなたの娘は?と、つっこみたくなる。

「もう、これだけ気があうと、自分の子供みたいな気分になるわ!

 うちの娘と結婚して、本当にうちの子にならない?」

みたいに言われて、息子ともども閉口し始めている。

ちなみに息子は、隣のおばちゃんにまったくもって親近感はない。

自分の絵をほめはするけど、キモを全く見る気のない人だから

ちゃんは、素直に絵を見て笑ってくれるからいいらしいけど。

そして、息子の絵と隣人母の絵の質は違う。

勝手に仲間にすんな。

息子が人に絵を書くときは、見た人の感情を動かしたくて書いている。

人に見せた時に、笑い声や驚きの声が出たら、息子はい笑顔をする。

「わぁ、上手い」は誉め言葉じゃないのだ。

これを息子が隣人母に言ったら、

「わかるわかるー。上手いって言われるのが当たり前すぎて、誉め言葉じゃないよね!」って、

答えが返ってきた。

から、違うって。だから、絵のキモを見ないおばちゃんって言われるんだって

第一声で「上手い」って言われるのは、その絵に「上手」以外の受け取り方を相手が出来なくて、

本人の書いた意図が伝わらなかったということだからなんだって

彼にとって絵が上手になることは、自分の絵の意味相手に伝える手段しか過ぎない。

人気キャラ完璧な模写をして、上手いって言われて、

それ以外の絵を見せない隣人母とは、正直、相容れないタイプなんじゃないかと思ってる。

いや、それはそれですごい技術だと思うんだけど、自分と息子を同一視するにはあまりにも姿勢が違う。

音楽鑑賞中に落書きしてるんで近づいたら、その音楽イメージリアルタイムで書き続けてました!

初めての事態に動揺しましたが、授業はちゃんと受けているので、許可というかそっとしておきました!

っていう、謎報告を学校からもらうのがうちの息子だ。

自分手帳の片隅やスマホに、自分で描いた絵の一つもないやつが、

人に褒められる場面でしか絵を書かないやつが、勝手にうちの息子を自分の子にとか言うな!

ああ、これ以上絡んでくるようだったら、同じ学区での引っ越し視野に入れないとかなぁ。

私に絵心がないから、息子の環境悪すぎ可哀そうってなってるのかもしれないけど、

こちらは本当に気持ちが悪い。

2020-09-29

anond:20200928195006

スポーツ以外にも芸術系音楽絵画など)の方に誘ってみるという手もあるかも。

僕もこの子のような小学生だったけど、コーラスを始めたのがきっかけで音楽好きになり、高学年で声変わりで歌えなくなったのをきっかけに楽器を始めて、中学高校でのめり込み、大学ではオーケストラに没頭して留年しちゃったよ。

難関大学オーケストラは真面目な努力家でしかセンスがあってお人好しな良家の子女多かったから、良い人脈が出来た。女の子と仲良くなる機会も多くて楽しかったよ。

2020-09-28

anond:20200928192053

35mm判のカラーネガだと、粒子が結構粗くて絵画っぽいから抜けないんだと思う。67ならいける。

2020-09-22

才能がほぼ100%のものってあるよね

絵画とかスポーツてほぼそうだよな。

2020-09-20

anond:20200920184855

なんとなくわかるような

なんとなくわからんような

『1億円』と『1億円の絵』は等価なので、どちらを燃やしても『1億円の価値』がこの世から消えることになると思う。でもただ消えただけじゃない。

これを食べ物と考えたらどうだろう?

食べ物は食べたら消える。では例えば1000円の食べ物を買って食べたら、この世から1000円(の価値)が消えたことになるだろうか?

俺はならないと思う。

食べ物は食べた人間の血肉となり活力となり、場合によっては『美味しい』という体験提供するかもしれない。

絵画や1億円を燃やしたビル・ゲイツ場合基本的には同じだと思う。

ビル・ゲイツは1億円を出すか1億円分の価値を誰かに提供することで絵や1億円を得た。

それを燃やすという体験をした。

からその体験に1億円分の価値があったかなかったかはわからないが、客観的にはビル・ゲイツはその体験に1億円払ったってことになる。

食べ物と絵は違うじゃん」と言うかもしれない。確かに食べ物は買って食べたら終わりだが、絵は売り売られするのが本分というイメージはある。

でも所有者が納得の上で燃やすならそう変わらんと思う。

問題は1億円の現金場合だな。

かにこの世から1億円が消えた。

社会存在する金の総量が1億円分減ったのは確かだが、1億円の札束を『1億円の価値ある紙束』と置き換えればこれは別に食べ物や絵と何も変わらんのじゃないだろうか。

金ってのは物質というより概念だと思う。

から

このシミュレーションからわかることは「労働者労働から現れた金は、誰かの行為によって無に消すことが出来ます

というのは少し違って、労働者が生み出した価値自体は消えてなくて、廻り廻った金を所有者が燃やしてもそれは物質としての金が消えたに過ぎないのではないかな、と。

金を消費するということはいったいなんなのか

例えば1億円手に入れたら、それで絵画を買います

1億円の絵画です。

その絵画を燃やしました。

あれだよ、Youtubeで「1億円の絵画燃やしてみました」とかやって収益回収とかしないよ。

ただただ人の居ない場所ドラム缶に人里離れてガソリンつけて燃やします。

中途半端にちぎれたシュレッダーされた絵ではありません。完全に灰にしてそこらへんにチョロチョロ捨て置きます

あの1億円はどこに行ったのか?分かりますか?

そもそも金はどこからやってきたのか。

もとを辿れば労働者自分時間を切り売りすることで金を生み出します。

資産家が貸付で利子やら配当を貰えるのも、労働者動労価値を掠め取ってるからなので、もとを辿れば労働者が生み出しました。

これは理解できると想う。

その労働価値労働者搾取されたり普通に買い物したり税金搾取されたりして、巡り巡って誰かの懐にお金として移動します。

ビル・ゲイツお前だ!

ビル・ゲイツが先に上げたように一億円の絵を燃やしました。

一億円の価値は消えたような気がしますが。実際は絵を買ったときに別の人に一億円が渡っているので、なんとなく社会には一億円が残っています

社会全体のお金の量は減っていない感じします。


ところでこのビルゲイツは狂っていました。現金1億円を札束状態で燃やします。無意味行為ですが狂っているビル・ゲイツはそんな感じの人です。

この一億円はどこに消えたんですか?

社会からただただ一億円が消えましたが、これってどういうことなんだろう。よくわからない


このシミュレーションからわかることは「労働者労働から現れた金は、誰かの行為によって無に消すことが出来ます

この特性は何なんだろう。なにかに使えそうな気がするし、そもそも狂ってるやつそんなに居ないから考える必要ないっていうことになるんだろうか。


逆に考えるなら、社会性質として「金」が際限なく積み上がっていくってことはあると思う。これは社会が豊かになっていると言えるのか?

社会が豊かであるかどうかは労働者労働時間の減少で測る必要がある気がする。

「金」が溢れている世界は、単にインフレになっているだけのような気がする。

あと別にかになることが世界目標かどうかも、それぞれの人間の間で合意できるか微妙だな。

2020-09-17

anond:20200917085727

それはその南極隊員の中に愛好者がいただけでしょ。

愛好者がいることと、それが文化的ものであるかは関係ない。

プチプチ潰しの愛好家が旅先にプチプチを持参したとして、プチプチ潰しが文化的遊戯かというと、No寄りのNoだろ。

脳がプチプチ潰し中毒になっているだけの、快楽を満たすためだけの手慰みであって、その行為にまつわる文芸絵画音楽映像などが文化的遺伝子として語り継がれるほどのポテンシャルのあるものではない。

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2020-09-15

anond:20200915165644

やっぱこういうの出てくるじゃんか。前と流れ一緒だわ

別に俺はお前がカード限度額までvtuberにおひねり投げたいならまぁ構わんよ。多分おれと関わり合いになる事は今後もないだろうしね。

おれが言いたいのはさ、お前はなんだか絵画高値取引されるからvもセーフ理論でいきたいみたいなんだけど、絵画に限らずキャバクラホストギャンブル風俗や高給グルメブランド服やそういったものカード限度額までつかったり連れに金借りたり風俗で仕込んだ金をつぎ込んだりすることもセーフなんだよな?お前的にはさ

おれの中ではそこまでするのは全部アウトなんだけど、お前の中では全部オッケーならおれから言うことは何もないよ本当に。お前の好きなものを貶されたと感じたなら悪かったね。

anond:20200915161458

マジで言ってんの?

漫画アニメ絵画vtuberへのおひねりもカード限度額まで使って連れに金借りて風俗で作った金つぎ込んでもいいと思ってるわけ?芸術品だから

anond:20200915152249

絵に金投げるなんてアニメ漫画絵画等の消費者全てを敵に回す発言では?これら全ての消費とvtuberの絵に違いがあるのなら教えてくれよ

プロ時間を掛けて作成した立派な芸術品だと感じているんだが

2020-09-11

漫画を描くことについて

私は漫画を描く。

趣味かと聞かれたら、そうではないかも、と答える。

自分にとっての漫画というものが実はよくわかっていない。

漫画を描くのは同人イベントで売るためだ。

二次創作ではなく一次創作漫画を描いている。

別に売り上げで食べているわけではないけどめちゃくちゃ赤字というわけではなく、それこそ「趣味」の範疇に収まっている。

よくいる締め切りがないと描かない人、のひとりだ。

自分の描く漫画は「よくわからない」漫画だ。

恋愛するわけでもなく、世界を救うわけでもなく、特段なにも起こらない。

漫画を買ってくれる人も特に感想は言わないのでどう捉えられてるかわからない。

「よくわからない」漫画を描いてる私自身も描いてる途中に「これはなんなんだ?面白いのか?面白くないのか?わからない…」になる。

からないものを描くのは割と苦痛だ。なにになるなかわからいからだ。

漫画を描くこと自体に迷ったことはあまりいかも、と思う。

話の流れとか、コマ割りとか、諸作業においてめちゃくちゃに頭を悩ませることは少ない。(それほど考えてないからかもしれないが)

から自分にとってそれなりにあっている表現方法なのだと思う。

商業誌連載が仕事な人、いわゆる漫画で食べている人が羨ましいなと思うことはある。

けれど、私は好き勝手描ける方が性に合ってるし多分それしかできない。

ウケる漫画意図して多分、作れない。

から面白れー!となる漫画を描いてる人は、すごいなと思う。

面白さを狙って、狙った通り面白い漫画じゃないと「良い」漫画じゃないのか?となんとなく考えた。

多分そんなことはない。漫画だって、受け取り方の多様性があるし、そこに委ねる形で読む人の数だけ解釈があって、感じることがあると、なんか良いと思う。

自分がそのような傾向にあるが、「わかりやすもの」ばかり求めると、なんとなく良くないなと思う。

別にわかりやすものが悪いんじゃなくて、そればっかり摂取してるとなんか良くないのでは…と思う。

から、私みたいに「よくわからない漫画」もあっていいんだよな、と勝手結論づけた。

全然まとまりのない文章になってしまった。

文章書くのは苦手だけど、文章でこんなんだから漫画なんて余計わけわからないことになってそうだ。

漫画エンタメとしての側面が強く感じるけど、私は絵画を描くようにひとつひとつ作品として向き合っていけたらいいなと思った。

本当に書きたかったのは次のことなのですが。

私のこれから活動目標宣言をする。

「4年以内に原稿を書き溜めて個展を開く。」

誰も見てないであろうけど誰かがみているかもしれないここで宣言しておく。

自分との約束

頑張って描くかあ。

2020-09-09

デジタルマンガ絵の世界を一変させた

 キャラクターイラストを描くのが趣味だ。そしてお絵描きしてると色ぬりも付いてくることが多いわけだけれど、色ぬりが苦手であるキャラクターポージングかについては理想が見えるからそれに近づけていけるけど、色ぬりの理想が見えない。正確には、理想は見えるのだけれど、その理想レベルが低すぎる。


 デジタル塗りが一般化してからキャラクターイラストの色ぬりのレベルが物凄く一気に上がったと思う。

 二十年前のキャラクターイラストの塗りは、固有色がそのまま塗られてて、それに対して陰とハイライトが適切に入って、固有色の配色が魅力的なら上手に塗れているというものだった。けれども今は上手に塗るだけじゃ足りない。印象派独自の色使いで一気に絵画世界を変えたみたいに、デジタル塗りが一般化してから色使いの幅の振れ方が一気に広くなった。

 これは、デジタルで色が塗れるようになったことにその要因がある。技術的な要因がこのブレイクスルーを起こしたのだ。

 絵の世界デジタル技術が持ち込まれた時に何が起こったのかというと、描き方の自由化が起こった。

 アナログ時代の絵の描き方は、メソッドがかなり固定されていた。まずラフを描き、下描きを描き、ペンを入れ、色を塗った。その色の塗り方も、まずは広いところから薄い色で塗り始め、少しづつ濃い色で細かいところを塗り進めていくのが基本だった。

 この手順は前後したりは出来なかった。なぜならアナログは、『やり直せない』からだ。

 でも、デジタル時代の今は違う。まず色ぬりから始めてもいい。ペンは後からでも入れられる。むしろペンを入れない表現もある。自分イメージが完成するところまで、いくらでも『やり直しができる』のだ。

 加えて、そうした技術が人のイメージする力を引き上げているようにも思えるのだ。

 さて、自分の絵の話に戻ると、私がもし二十年前に今の色塗りができていたのなら、それで満足できていただろう。キャラクターの色を上手に塗る以上の表現など、めったに見つからなかったのだから。でも今は違う。

 単にキャラクターの色を上手に塗るだけではなくて、表現として華やかな色使いをしているイラストがたくさんある。それらと自分の絵を比べると、足りない、と感じる。だから、私もイメージする力を引き上げなければならない。

 頑張る。

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-09-07

anond:20200907155003

資本主義というか経済とか、それ以前に生物とかもう全部の常識がないのかおかしいので小言をいうね

まず国家が夢見るのは国民怠惰のためじゃないんだよ

国民結果的に称される個人が寄り集まって自分たち生活の共有部分を共同管理するための組織国家なのね

国がなにかしてくれるとかお国というなにか生き物が人間を飼ってるわけじゃないのね

自治体議員国家というのは国民の寄り集まりであって国家国民を生んでるわけではないのね

みんながちゃん政治に参加すればそんな雲の上でクラウド接続しているらしいみたいな国家幻想は抱かないと思うよ

それで、生物として怠惰に生をむさぼることが夢とか究極の目標とか楽園ではないのね

それがそうだというなら脳に電極さして水槽で寝てるのとか人類の最終目的でしょ

生きるというだけについていえばストレスがあって達成感があって不足や不満を感じてそれを解消する快楽必要なわけじゃん

まあそういうの全部今回はなしってことにしたとして 繋がれて夢をみるだけの生き物になるのが夢なの?

どう考えても人間生物的な活動をしていくと消耗消費と老化劣化からストレス競争が発生してかつ自然環境資源も枯渇して苦しくなるだけじゃん

それは幸福としたそれからどんどん離れていくよね

経済とかBIとは全然関係ないけど生物とかからいうと目標としては「苦しいかもしれないけど生を満喫すること、だってそれは生まれてきちゃったから」が究極な答えだと思うよ

それで資本主義の話なんだけど「金儲けのうまいやつが大儲けするのが資本主義」とかいうけどお金お金だけでは増えないのね

そりゃ銀行が刷ればいくらでも増えますかいうなんか宣伝文句があったけどそれ物理的に増えるだけでお金って物理じゃないのね

物理的なお金代替品に理論的に意味づけたものお金であってそれがもし大量にあったとしても「全部で1円」とか言えば数億円の束でも「1円」なのね

お金お金で増えないの お金もうけのうまいつがいいふうにやって倍にしていって 何億という資産を築いたとしても パン屋に腹が減ったから数千万パンを売れっていっても売らないっていったら交渉決裂なのね

実際にそれができないのは国っていう先述の寄り集まりがお互いに問題を起こさないようにとか問題がおきたら解消できるように組織したもの違反咎めて全部没収とか暴力的解決できるからなのね

ルールに従っていればいくらひどい事でもしていいけどルールから外れるとちょっとミスでも絶対許さんとかになる取り決めが法律なわけね

話はそれちゃったけど とりま何が言いたいかって お金は「お金儲け」では増えないのね

じゃあお金を増やすのってどうするかって、生産するしかないのね 一次産業から二次産業くらいまでが必要でもちろんそれが好きだしその知識が多くあって秀でていて 売り物にしたらより大きなものと交換できる可能性がある人がそれをするのね

権利だとか技術だとかを駆使して人がほしくなるようなものをつくるの そしたらほしい人は物々交換を申し出るわけ そりゃ生ものとかそのままじゃ使えないものをもってる人もいるわけなので平等にいつでも交換できる権利と交換するわけ

それがお金なの お金お金は増えないのね お金もうけがうまいやつがお金を増やすわけじゃないの

じゃあ何でお金がふえるかって 約束で増えるのね 高い絵画は「高く転売できる」って保証によってその価値があったり いつのタイミングでその料理がたべられるか いつのタイミングでその施設が使えるか どんな時にそれを利用することができるか

そういう約束お金って増えるの いまじゃないけどそれほしいって人が倍はくるよ 競争になるよ そしたら取り合いをさせずに倍の値段をもってくるやつと交換したらいいよ っていうのが価値なのね

その価値を作った人が潮目を見切って販売管理したり それをしながら生産をしたり そしてサービスをしたりするのはしんどいので その価値からいくらかおすそ分けしてその作業を人にお願いするのね

それがみんなが嫌ってる不労所得とか既得権益とか楽してもうけてるお金けがうまいやつとかの一部なわけ

欲しくなる時期までお預かりしておきます お持ちであるという証明を券で発行します いつまでなら使う側でいていいので使い終わったら払う側になってくださいねとか そういう金融商品って取引を代行する人がでてくるの

一次産業がそういうのに都合よくつかわれないように農協とか漁協かいろんな協同組合とか団体とかがあるの 実際にこまったとき相互に助け合う仕組みとして小さな国家単位みたいな組織

これを無視して利益重視にすればいま大手スーパーがやってるみたいな組合とかをとばして直販してもらって安く仕入れるとかできるし中間マージンがない分生産者も実入りは大きくなる

でも積み立てとか交渉とか共済かいうのがないから不作とか被害とかでたときにだれもなにも補償してくれないの 運が悪けりゃつぶれるだけ できるだけ原始的原理的な組織化で産業保護してくれてたのがみんなが不都合で嫌いだった組合とか土着の組織だったわけ

スーパー大手効率的に安く商品提供するために重厚な安定化組織解体してたわけ 運よくずっと良作に恵まれてたらいいけど一旦不景気かに落ちるともどってこれないよ 鬼怒川温泉みたいに

まりお金って結局人間が生きていくのに必要もの他人に作らせるからできてるわけで 他人にたくさん任せれば任せるほどお金ができるの

そしたら任せっきりのなんにもしない人が出てくるわけね そこでブルシットジョブもつくらないといけないわけ それが公共事業だったりしたんだけどね

どっかのド田舎まで高速道路ひいた首相かいたりして意味ないことだったけど経済的には一部を活性化させたりしたね

お金仕事っていう「その仕事をしてくれたおかげで生産がより便利になりました利益があがったのでお返しします」から利息分をすこしわけてもらうための権利を先取りしたもの労働の対価であるお金なのね

物々交換時間をかけあわせたものお金なの いまという時間から切り離した分だけリスクを含んだ価値を増大させるわけ

プロダクトローンチとかい言葉が昔はやったけど、簡単にいうと完全予約制みたいなものね 生産に対して顧客を先に固定させておいて販売価格商品より先に預かることね

土用の丑の日ウナギ弁当を予約で食品の廃棄を減らすみたいなもの 売れもしないグッドアイデアをこれは品質がいいから必ず売れると決め込んで投資していざ売ったら失敗みたいなことを回避する手ね

先に原資をあずかれることで生産にかかれるのね 基本会社はみんな借金してる 借金してそのお金でそれより大きなお値段をつけて生産したものを売る 借金を返してお給料もだして また借金して生産する

これでいつしか自己資本だけで会社やれたらいいなーっていうのが資本主義にある会社なのね

その借金という仲介をしたり証券化して権利分散して関係ない人からも結局その生産の原資として使いまわしがきくみんながもってる時間わずかな交換条件をかき集めてくるのが銀行なのね

銀行は人のチャンスとみんなの余裕を貯金として預かって、貸したり返してもらったりしてお金をふやしてるのね

これにはとても正確なやりとりが必要なので大変なのね こんなのみんな自分でできるなら会社はみんな自分取引してるわね

まり大きく仕事を三つに分けると、ものをうみだす人と、ものをつかう人と、消費する人と作る人の間を取り持つ人なのね

とりもつ人っていういわゆる「お金けが得意な人」がどれだけすごくても何人いても生産して運用しないと1円も増えないわけ

お金って生産して運用するその価値のものなのね お金けがうまい人っていうのがもしいるのだというならそれは生産ができて加工もできてそれをほかの人にわたせる人のことなのね

生産工場が直売してなくて卸業者代理店経由とかで商品を売る意味とかわかんないとおもうけど 全部できるならみんなしてる 自動車くらいに利益率が高くて組織が膨大ならできると思うけどね

農業経営してるところの飲食店とか 規模的に小さくても完結してるところはあるよね

ところで都市生活してるみんなは農業してたり一次生産してたりする? してないよね だったら飢えて死ぬべきかな? みんなが死なないように無駄仕事を増やしてくれてるよね

独占禁止法なんてなければ生産一族自分たちの分だけ生産して供給して ほかの人がほしいっていってもはい100万円っていえばいいだけなんだもんね

それをみんなが生きたい生きるべきってきめて あなたたちを襲って殺さないからぼくたちも殺さないでって取り決めて国家形成して法律をきめてるよね

みんなが分散して生産して消費の機会や場所分散させて無駄仕事と手間を増やさせてそれぞれに従事させてその対価として消費するその価値ちょっと上乗せしたものを配分してるのが資本主義だよね

これが成長していかないと「上乗せした価値」が得られなくなるからどこかを削るべきとかになるのはわかるよね だからGDPとか大事だよね

そういう無駄なことやめない? いる分だけ調整して上へ上へ上げていくのもうしんどいからコントロールして一休みしたり無駄仕事ふやしたりするのやめない?っていうのが共産主義って主義

国がその配分を一旦全部国有で国のものとして徴収して再配分するってきめると効率的無駄のない生産と配分ができるよね

上手だろうと下手だろうと誰彼かんけいなくそこにいる人にそれしなさいって国営のなにかをしてもらってその価値を国の配分で分けたりすればここまでややこしかった資本主義問題とか軋轢なんて一発解決

災害対策とか低迷する機能への投資かいいなっておもったら即機能させれちゃうよね ただ国民幸福度としては国がやれっていったからってことを押し付けられるのに報酬自分で決めたものではないのは不満だよね

資本主義は重責を負わないなら受け取る価値を下げるって選択肢があるよね

ここで重責を負うって名前だけなのに給料高いのは納得できない資本主義うまいことやったやつだけが給料たかくて真面目に働いてるみんなへの配分が少ないってことになると思うけど

重責っていう人が判断したり取り次いだり企画したり対応したり組織をつくったり運用したりしないと作業員がいっぱいいても価値生産したり運用したりできないのね

みんな下積みなん手必要ないやれっていわれたらできるしみんな同じことしてる作業員なんだから給料がいっぱいの人と同じことできるからお金欲しいっておもうよね

じゃあどういう経路で、どこに問い合わせたら、どうなっているかという予想ができて、それならばこちらに切り替えたり、無理をお願いしたり、時期をずらそうってしたりみんなできる?

現場作業をしていれば現場でいるものはなんでもわかると思うけど、じゃあそこに来る材料がいつどこからどう来てどんな品質からどうすべきかとか、判断できる?

また納品する先にどういう取次をして、支払いの約束をどうとりつけて、関係者のみんなにそこからいくらわけるとか計算できる?現場で10人優秀な人がいて生産完璧にできたとしても材料とか取引ができないと10人の価値ゼロ

10人に10人分以上の価値がでるように準備をしたり取引をしたりするのが重責の役目ね これが等価とかそれ以下ならだれでもできるの ほんとだれでもできる

から人のいい社長さんとかがその価値を切り崩して会社だめにしたりする がめつく粘って値切って節約していかないと維持できる程度の利益もでない これが重責なのね いってみればみんなのお給料のためにどれだけ意地悪な悪人になれるかみたいなとこね

みんなの1+1生産の結果をどれだけえげつなく汚い手をつかってぼったくったかが、お給料になるわけ 10人分なら10倍程度にね それが楽なので再分配しろっていうならみんな自営業したらいいだけ クラウド仕事募集サイト仕事すればいいだけじゃん なんでしないの?ってことよ

10人分の家庭の生活自分一言でつぶしてしまうかもしれない その責任がおまえとれるの?っていう重責が役職であったりするわけね 構造上の問題だけど

まあそういう仕組みがあって そのうえでそれらを超越してただ楽でなにもしてなくて暇つぶしだけしてるけどお金はいってくる人ってのも構造上でてきてしまうよね それはしょうがない

そんな人をピンポイント特別措置がとれる法律をつくろうなんていったら「人ひとり個人特定方法でしめることができるルール」ってそれルールっていう広義である必要はないよね

事故として処理するのとなんらかわらんし そういうのが陰謀論としてあるとわくわくするのはわかるけど 一応とつぜんみんなの家族がきえたりしないのはちゃん国家ってルール運用されているからだね

いちおういまもうまく国とか資本主義って機能してはいるし公共事業と基本給がいまのところベーシックインカムってものの変わりみたいなものだよ

これを現金化したり証券化することは国の機能のもの現金化したり証券化したり いってみれば民営化するみたいなものなんだよ

まあどっちでもいいんだけど 政治批判しかしないし政党に加わるわけでもなし支持する政党組織として共同体運用目的とした宗教にも加担せず個でいることにこだわる人がベーシックインカムなんて形で団体組織運営民営化してより独善的な偏りに現金をもっていこうとするのは目先の快楽にそそのかされてんじゃない?

もっとよく考えてからいいって言うならそれはいいと思うよ

2020-09-04

ポストカードコレクションについて

ポストカード収集しているブログと集めたポストカード断捨離するブログを調べて読んでいた。

私も現在ポストカード集めが趣味になり、大分たまってきた

まとめ買いしたものは買う前にポストカードの絵柄を全て確認したわけではないので「これは使いたくないなぁ」と言うものがけっこうあった。

使いたくないと言ってもほとんどがごく普通の絵柄のカードであり、人に送っても問題がないポストカードである

例外が一枚だけあり、男が女をナイフで刺し殺した絵のポストカードがあってそれはゴミ箱に捨てた。絵画ポストカードだったんだけどなぜこれをポストカードにしたし!!馬鹿なの!?芸術作品としてはいいけどポストカードとしては評価マイナス!!!!と心の中で突っ込みまくった。

私は不要ポストカードネットで欲しい人を探してその人の家に無料で送った。さっそく使いますって言ってくれて嬉しかった

やっぱり自分がせっかく買ったものからそれが本来の「切手を貼られて他人のもとに運ばれる」という役割果たしてくれるならとっても嬉しい

私が送った分全部は使われなかったとしても一部でもポストカード本来役割果たしてくれるならいい。

私はこういうポストカードの手放し方をしたのだが、自分がほしくて集めた大量のポストカードに憎しみを抱き、無理やり消費している人のブログを読んで心を痛めてしまった。

大量のポストカード処分に困ったとある主婦ポストカード台所の汚れをとるのに使ったり、クッキーの皿に使ったり……使わないよりはましだと思ってそんな使い方をしていたらしい。

大量にあったポストカードを最終的には8枚にまで減らし、最後に「私はポストカードをもう二度と買わない」という文章で締めくくられていた。その人はポストカードのことが大嫌いになってしまったのだ。

ああ、なんでこの人はポストカード必要としている人に譲らなかったんだろう。なんだか私はポストカード側に感情移入し過ぎて(?)すごく悲しい気持ちになってしまった。

切手を貼られて消印が押されて他人の家に行き着いたポストカードが捨てられるのはわかる。そのポストカードは役目を果たしたのだから捨てられるのもしょうがない。でも、一度はお金で買われたポストカードが未使用のままゴミ箱に行ってしまうのは悲しい(私が人殺しポストカードを捨てたことは棚に置いて)

この世の中にはまだ使える状態のまま捨てられてしまものは大量にあるのだからポストカード固執してウダウダ言っててもしょうがないのだが、

ポストカードが好きすぎてお金で買われた未使用ポストカードが役目を果たせないまま無惨な姿で捨てられると心が痛む

2020-09-03

anond:20200903231041

ペドフィリアには社会的責任がある」と主張する人はペドフィリアの味方だろうから・・というふうによめてしまっておかしい。

ペドフィリアには社会的責任(を今より負う必要)がある」と主張している人はご自身にどれだけの社会的責任が・・からのどんな本読んでる・・・ってことじゃないのかね、その筋をとおそうとした主張でさえ風がふいても桶屋は儲からないぞという反論を受けてしかるべしだけどね

あいもの味方誤射バカ案件やな

そうだね進撃の巨人キモいから子供によませたらあかん

ゲームもR指定かかってるの入ってるね

さらにいうと絵画性愛者とペドフィリアいっしょにすんなアホ、なんの関係もないわ

実在ショタに手を出す前に」のラブドールのレポで炎上したショタ作家承認欲求を満たしたいだけで小児性愛者ではないと謝罪した話

https://togetter.com/li/1585469

 

結局また代理したいだけでまもりたいものに誤射しまくるいつもの表現の自由戦士だったじゃん

やっぱ表現の自由戦士クズばっかやな

よくわからんものにわかったつもりで首突っ込んで味方誤射すんのあかんていいかげん学んだらいいのに

とりあえず絵画性愛者やドール性愛者が小児性愛者を名乗るのだけでもやめろ

2020-09-01

anond:20200901175008

そら西洋絵画水墨画と比べると絵柄に一定方向性は有しとるやろけど

ベタに言って描き手の見分けが付く程度の絵柄の差はあるやん?

2020-08-30

Gorogoaの物語

ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。

業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan

https://jp.ign.com/games/46189/feature/10

 

ゲームは年に1本買うか買わないかライトゲーマーなので大半の作品タイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつコメントちょっと心が動いた(太字筆者)。

簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこ作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術技術物語正真正銘パズルシームレスに融合させています。これは私がエッシャー作品や、キット・ウィリアムズ絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者ジェイソンロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。

(Drowning a Mermaid Productions サム・バーロウ氏)

本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。

元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。

遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。

感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。

 

『Gorogoa』認知フレームを軽やかに飛び越える絵画パズルゲームインディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)

https://alienwarezone.jp/post/1321

 

GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)

https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7

 

そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。

この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである

以下は断定形で書いていてもすべて私の解釈である

後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。

 

ロゴアの物語

 

ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパート屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。

書物をひもとき、それが伝説の聖獣ゴロゴアだとわかる。

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。

 

ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。

枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。

 

ふたつめの緑色果実は、町はずれの穏やかな公園女神像が手に持っていた。

廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。

 

ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。

ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつ黄色果実となって器の中に転がり落ちた。

 

気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。

杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。

 

たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老男性。部屋の片隅には愛用のステッキ

蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車初老男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後果実紫色果実を手に入れた。

これですべての果実がそろった。ついに儀式の時が来た。

 

果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。

 

──その時、突然器が砕けた

そして聖獣ゴロゴアはそれを許さなかった。

ロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。

儀式は失敗したのだ!

 

私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。

長いあい車椅子生活余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。

何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。

 

聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。

ロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。

 

どうにか松葉杖で歩けるようになると、私は情報収集を始めた。

焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。

 

一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。

がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。

 

私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説伝承考古学書物で埋め尽くされた。

時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。

 

その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。

ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。

 

研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。

そしてその畏敬の念は、やがて純粋信仰心へと変化していった。

ロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。

私はそう思い詰めるようになっていった。

 

私は巡礼者となり、ゴロゴ信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。

灼熱の太陽が照りつける砂漠、寒風吹きすさぶ高地

体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである

 

研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。

無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶フラッシュバックした。

そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。

 

月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつ結論に到達しようとしていた。

 

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

 

この記述によれば、儀式ふたり人間によって為されなければいけなかったように思える。

しかに、最初儀式自分ひとりで行ったために失敗してしまった。

では、儀式成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?

 

そうではなかった。

 

絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである

儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。

 

思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。

その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。

 

時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。

それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。

 

私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。

 

この儀式が終わった時、ゴロゴアと人間の間には新たな関係が訪れるのだ。

2020-08-28

anond:20200828183724

世間知らずのボンボンがいろんな連中からチヤホヤされてお礼に利権を与えるみたいなことがまかり通った結果なのかな。

西洋絵画間抜け貴族トランプ賭博でカモにされている絵があるけどタイトルなんだったかな。

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