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はてなキーワード: 相談とは

2024-10-13

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この土日は新婚生活に向けての引越し段取り契約書の作成をしていた

引越しでは色々と住所変更しないといけない

物件の決定後にライフラインコンシュルズなる者から勧誘電話がひっきりなしに来てウザかった

なんでも無料電気水道ネットやらの手続きをするとか言う胡散臭い電話

話を聞いているとネット契約をさせてこようとしてきてキショかったのと仕事中なので切った

翌日も電話がかかってきていたが仕事で出れずにいるとメッセージ電話を打ち切るという内容だった

怪しすぎたので警察相談しようかと思っていたのでこれで良かった

そもそもなんで俺の個人情報を知っているのかとなんで無料なのか

不審な点しかない

契約書を作成して一先ずはオンライン重説を終えて発送すればタスク終了か

anond:20241012232759

そうなんや

なんかあん宗教って親が葬式とか墓の問題とかの時に使う真言宗くらいしか知らないんだけど、そういう老舗がいいんじゃないのって思うんだけど。

あいうのもお経とか読み解くとわりかし自己啓発ぽい内容だったりするじゃん?

よくわかんなかったら寺とかで住職かにどういうことを心の拠り所にしたらいいのかなって相談してみるとかはどう?

なんかよく街にあるキリスト教教会とかでもいいのかもだけど。

そういう騒ぎとか起こさないしお布施とかも要求しない宗教ってあるじゃん

まあやったことないか想像で言ってるけど。

anond:20241013171817

ドアをガチャガチャしたり、大声で怒鳴ったり、窓を叩いているところを動画に撮って、後で警察相談しても良いと思う

奈良の鹿キャラ名前が被らないのすごい

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

メンヘラと縁を切る方法

※この日記では「やたらと特定人間に執着し、その人が他の人と2人で遊んでいるのが許せなくておかしくなってしまった人」などのことを便宜上"メンヘラ"と呼称している。

この日記は、現在進行系でメンヘラに付きまとわれていて縁を切りたい人向けに、本当に自分が行ったことを経験談として書いている。先に言っておくと、私がはじめに「こいつとは縁を切ろう」と考えてから1年以上かかっている。今もTwitterアカウントブロックなどはできていないため、本当に縁を切れているかというと微妙である

一応順を追って説明していくため、手っ取り早く方法だけ読みたい方は見出しを見て読み飛ばしてほしい。


〇状況:メンヘラAについて

Aと私はインターネット上でTRPGをする仲だった。わからない人向けに言えば、「通話しながら自分たちのキャラクター操作して遊ぶ」ということだ。この遊びにはもちろん、Aと私以外にたくさん共通の友人が関わっている。

まだ縁を切ろうと思っていなかった時、私の方からたくさん「一緒に遊ぼう」と誘ってしまい、今でも(放置されているものの)約束として残っているものがいくつかある。

そんな中、私がどうやって縁を切ったか説明する。


〇まずは:自分精神を守る方法

メンヘラと接しているうち、自身精神を病んでいくことがある。特にメンヘラ依存されるような人間共感性が高く、人を思いやれるような人間のためそういう事象に陥りやすい。(思ったことを書いたのだが、これだと"私は良い人です"と自慢しているようなものだ。実際そうなのだが)

敵を排除するのも大切だが、まずは自分を大切にしてほしい。

相談する

第一として、メンヘラ相手をひとりでしてはいけない。ひとりであれこれ考えていると、段々「考えすぎかも」「悪いのは自分なのかも」と思うようになる。友人に話すには重すぎる話題に感じてしまった私が相談相手として選んだのは、母親だ。

母親は一貫して「そいつヤバい」「縁を切りなさい」「連絡を取るな」と主張してくれた。この言葉が無ければ、私はきっと今も嫌々ながら関係を続けていたと思う。相談相手には意思がはっきりしている人間を選ぶと良い。

相手アカウントを見ない

自分相手になんと言われているか悪口を言われていないかと気になってしょうがないと思うが、頑張って我慢しよう。

例えば相手が「貴方はこんなに酷いことをした」というような書き込みをしていれば、当然貴方はショックを受けるだろう。

SNSなんか見なくても死なないか大丈夫だ。

相手が見つけられないようなアカウントを作り、愚痴

実際私が行ったのは「今まで使ったことのないプラットフォームアカウントを作る」ことだ。MisskeyやBluesky、タイッツーでもいい。IDも今まで使ったことのないような言葉で作る。

そこで、今までの人間関係を全てリセットする。フォローフォロワー0人の状態で、メンヘラ被害愚痴を書き込む。良くないことかもしれないが、私はこれで大層気が楽になった。

他のやり方なら、鍵垢でも捨て垢でもいいし、紙に書き殴ってそれをビリビリに破いて捨てるでもいい。私は他人に見られる状態悪口を言うのが一番スッキリした。(それが目に入った人には申し訳ないが)

相談相手愚痴れるならそれでもいい。文字を打つのと書くのと、口に出すことではまた感覚が違う。もちろんそれが苦手な人もいるだろうから自身にあったストレス発散をしよう。

〇本題:メンヘラと縁を切る方法

自分から連絡を取らない、返信しない

当然だと思うかもしれないが、まずは当然のことから始める。今まで友人として接していた人間アカウントを突然ブロックするのは難しい。だからこそ私は1年以上かかった。

相手の方から連絡が来た場合は当然無視する。既読もつけない方が良い。何を言っているか気になるかもしれないが、前述した通り気にしてはいけない。見て良いことなんかひとつもないのだ。

無視ハードルが高い、もしくはどうしても返信しなくてはならない場合は、即返信をやめるところから始めよう。最初は数時間、そのうち数日放置し、「トイレ行ってた」とか「気付かなかった」とか言っていればいい。とにかく、"自分はもう貴方相手をしてくれませんよ"とアピールすることが大事だ。

もしこれで別の友人の方が反応が良いとわかれば、標的がそちらに向く可能性がある。よくないことに見えるかもしれないが、自分が助かればそれでいい。私はそう信じ込んだ。

ちなみに、結局Aが依存相手を変えたかは知らない。もう関係の無い相手なのだから当然だが、情報として記せないことは申し訳ない。

最後に、いわゆる「作業通話」へ行くのも控えた方がいい。別の友人と喋る予定でも、貴方ボイスチャットにいることにメンヘラが気付けば、乱入してくる可能性がある。そうなると今後の予定を取り付けられたりして大変だ。辛いかもしれないが、メンヘラ共通の友人との公開通話は控えよう。

逆に言えば、メンヘラの知らない人、知り得ない場所での通話大丈夫だ。

②信頼できる友人に説明する

私の場合TRPGという他人も関わる遊びをしていた。だからこそ自分の一存で「やめます」というのは難しい。

まずは「諸事情でAとは距離を取っている」というような連絡をしよう。ここでは「あいつはメンヘラで、今までこんなことがあった」とかそんなことまで書かなくていい。大抵の人間は"諸事情"と聞けば納得してくれる。あとから共有する勇気が出れば、また話せばいい。

私は「今すぐに予定を取り消すという連絡をするのは難しいから、とりあえずこのまま予定の話を進めないでほしい」と個人的にお願いした。メンヘラ自身にはしばらく忙しいから日程は決められないとか、そういう理由いくらでも誤魔化せる。例えメンヘラが「本当か?避けているのでは?」と思っていたとしてもそれでいい。避けているのだし。

相手とのアカウントの繋がりを減らす/連絡を取れないようにする

これを完全にこなすのは難しいので、できる限りでいい。詳細は後述する。

例として私は、まずスマホアプリSwitchなどのフレンドを解除・ブロックしていった。段階として、「しばらくログインしてないな」というようなものから始めるといい。

ここでの注意点として、できるならSNS投稿したフレンドになれる書き込み(IDの貼り付けや、QRコードなど)を削除しておくこと。また、ゲームアカウントIDを変えたりもしたほうがいい。こちからフレンドを解除しても、相手の方から申請される可能性があるからだ。そういったところまで潰しておくと、自身も「ここまでやれば大丈夫だろう」という安心感が持てるので良い。

私の場合、このあたりまで来るとほとんど関係を断てていた(相手から連絡が来なくなった)ため、Discordアカウントブロックしても問題無いと感じられている。このあたりは完全に人によるから相談できる人がいるなら相談しながらやるといい。

④遊ぶ約束を無くす

これが一番難しい。

まず、私は「縁を切ろう」と決めてからもAと何回か遊んでいた。関係の無い第三者もいる中で、遊ぶ日付が決まっていたからだ。

TRPGという遊びには社会人も多い。有給を取ったり他の予定を諦めたりして、優先して私と遊ぶ約束を取り付けてくれている。

できるのなら、その約束を破ってもいい。だが私にはできなかった。

から、「今決まっているもの最後にする」と決めた。以降約束さえ取り付けなければ、少なくともこれからずっと遊ぶことはなくなる。「この日遊ぼうよ」と誘われても、「ごめん予定があって」などと言って断ればいい。

私にとっては、それが最後約束まで頑張る理由になった。ゴールが見えていれば人間、頑張れるものだ。

私は約束を果たすことで、約束を無くした。

実際、メンヘラ一般人擬態するのが上手い。だから私は数年間Aと遊んでいてなにも疑問に思わなかったし、傍から見ても誰も指摘しなかった。だからこそ、第三者を交えた遊びの場合普通にできがちだ。「なんだかんだ楽しかったな」と思える。

ここで勘違いしてはいけないのが、「ならこのまま友達でもいいか」なんてことは無いということ。今まで自分が被ったことを、感じた不快感を忘れてはいけない。

メンヘラは、一般人のフリが上手なだけだ。


〇注意・問題

私の話はあくまでも一例である。もちろん全てのメンヘラ被害者がこれで助かるわけではないだろう。

私が、今のところ懸念している点をあげる。

・X(旧Twitter)での関係

メンヘラと縁を切る方法』と題しておきながら、冒頭で「本当に縁を切れるかというと微妙」と言ったのはこれが原因である

Xにはブロック機能があるが、アカウントなどいくらでも作れる。鍵垢にしない限り、本当にメンヘラの目を逃れることはほぼ不可能と言っていいだろう。

私は「みんな私のツイートRTしたいだろうしな」と思って鍵をかけていないアカウントがある。見られていても、それはもう仕方ないと諦めている。

鍵垢にせずメンヘラから逃げるなら、「新しいアカウントを作る」しか無いだろう。しかし、これも完璧とは言い難い。大抵の場合、前まで関係のあった人達とは変わらず友人でいたいはずだ。となると、フォローフォロワーは以前のアカウントと大して変わらなくなる。IDを変えアカウント名を変えても、メンツでバレる可能性がある。

また、貴方が絵を描く人間だった場合、高確率で絵柄でバレる。例えば貴方イラストでバズったとしたら、絶対メンヘラに気付かれる。もう、そうなる。

まり、Xで完全にメンヘラの目から逃れるには、「人間関係を捨てて完全に新しいアカウントを作る」か、「全て鍵垢にする」しか無いと考えられる。

私はそれを諦めた。

メンヘラに行動力があった場合

私が縁を切ったメンヘラAは、学生時代からの付き合いである。お互いに家を知っているし、電話番号本名も知っている。つまり、アイツは来ようと思えばいつでもうちに来れるのだ。

私はそれがいつまでも怖い。同じ状況の人がいるなら、引っ越すしかないだろう。

そして、これは私の友人から聞いた話だが"自殺未遂"をするメンヘラがいる。

リストカットなどの自傷行為は恐らくメンヘラたちにとって日常茶飯事だが、「貴方が構ってくれないなら、私は今から死にますよ」と脅すような奴がいるのだ。

この場合はまず、第三者に連絡すべきだと思う。例えばそのメンヘラ家族などだが、大抵私たちインターネット上での関係にすぎない。相手がどこに住んでいるのか、本名もなにも知らない場合があるだろう。

私には経験が無いので今調べたが、出来ることは110番通報しか無いように思う。

万一相手が本当に自殺したとしても、貴方に罪は無い。しかし罪の意識は確実に生まれしまう。そうなったら貴方被害者だ。できる限り未然に防ぎたい。

行うべきは措置入院だが、恐らく現実的ではないだろう。本当に警察に連絡しただけでメンヘラ入院できるとは思えない。

結論として、私が提示できる解決策は無い。誰か相談できる人がいれば、その人に相談してみてほしい。投げやりで申し訳ない。


それから:今の私とA

実際に縁を切った場合どうなるかの説明をする。

まず、会話をしなくなった。私の方から避けているし、相手からも連絡が来なくなった。そもそも連絡手段を減らしているし、連絡が来ても断るか無視する。

実は縁を切って数カ月後に「遊ぼうよ」と連絡を受けたが、もちろん断っている。これからも断り続けることが、自分相手のためになるのだ。

そして、Aは私と繋がっていたXアカウントを消去、あるいは使用しなくなった。それが私と縁を切ったからかはわからないが、少なくともそこから連絡が来ることは無い。しかし、捨て垢IDメンションとかすればAはいつでも私とコンタクトを取れる。だから、完全に縁を切ったとは言えないのだ。

私はというと、すっかり元気になったというわけではなく、今でも定期的に悪夢を見る。具体的には「誤ってAとの約束を取り付けてしまった」とか「Aと通話してしまった」とか、そういう夢だ。それでも、全くAのことを考えずに済む時間は圧倒的に増えた。メンヘラのことで悩んでいた時期とは1年以上かけておさらばしたのだ。


最後

これを読んでいる、実際にメンヘラ被害にあっている人に向けて綴る。

私は自分でも「縁を切るために頑張った」と思っている。自分のことを被害者だと思っているが、それでも自分が頑張らなくてはならないのは、「暴漢に襲われたら逃げよう」とか、そういうことだ。

なんで私がこんなに気を使って人に連絡しなきゃいけないんだと、何度も思った。でも仕方ない。自分の身は自分で守るしかない。

メンヘラと言うが、実際は病気なのである病院を頼れよと思うが、人間への依存を解消させるのは難しい。だからこそ互いに頑張らなくてはならない。私が健康であるために、Aが私無しで生きられるように。

メンヘラと付き合うのが疲れたから縁を切ろうと思うのは、全く悪いことではない。メンヘラなしで人と遊ぶことは、貴方にある当然の権利だ。

人との関係はいだって断っていいし、いつだって戻していい。

少なくとも私は、今後10年Aと関わるつもりはない。

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-12

主婦ブロガー嫌がらせされて法律相談に行くマンガ、いろんな場面の広告出し過ぎてて、マンガ読まずにオチまでなんとなく分かってしまった

それは広告意味があるのだろうか…

妹が美緒になろうとしている(追記)

が、どうにもできない。

 

妹は発達障害を持っている。日常生活が困難なレベルで、高卒就職した工場でも自力で髪を結べず他の従業員に結ってもらっていたという。その他も指示の言葉が通じないレベルで、結局は解雇になった。作業所に一時期行っていたが、今は通院の他は外出せずニート生活を送っている。

 

何故こうなったか理由ははっきりしている。

娘が「障害者」になるのを拒んだ両親のせいだ。

  

彼らは発達障害の診断を受けた娘に療育を受けさせず、普通学級に通わせ続け、障害者手帳を取るべきだという教育者箴言無視し、クローズド高卒就職をさせた。その結果がこれだ。

 

自分は「貴方がたの感情彼女人生を滅茶苦茶にしてはいけない。妹は福祉と常に繋がっておかなければいずれ破滅する。せめて障害者手帳は取得させて作業所に通わせろ」と訴えてきた。

 

しかしその訴えは常に「家族障害者になるというのは辛いので、そういうことは言わないでほしい」と聞き入れられなかった。意味が分からない。本当に何を考えているのか分からなくて怖い。

 

そもそも暴力支配するタイプ機能不全家庭で、自分実家を出て妹を含めほぼ絶縁状態になっている。それでも口を出すのは、将来面倒を掛けられたくないのと、家族という関係無視しても社会的ネグレクト同然の扱いを受けている妹を見ていられないからだ。せめてグループホームに入れろと言ってはいるが、「障害者である娘を彼らは受け入れない。そして飼い殺しにしている。

 

このままでは妹は美緒48歳になってしまう。自分はあの漫画を見て笑えなかった。大震災の時、小学生だった妹は揺れる電灯の下で座り込んだまま「どうしようどうしよう」と繰り返していた。いずれ両親の死という災厄が来た時も同じことを繰り返すのだろう。

 

妹を美緒にしたくない。しかし両親が頑なに福祉との接続を拒んでいる状況でどうすればいいのか分からない。あの漫画の切り抜きが流れてくるたび、いずれ来る「その時」がリアル触感を持って迫ってきて怖い。生きていけないよおおおおおお。

 

追記

書き捨てのつもりでヤケクソに書いたので、反響に驚いています

匿名の場でもなければ相談どころか吐き出すこともできなかったので、長年抱いていた悩みと不安に誰かからの反応をいただけて本当に嬉しかったです。ありがとうございます

八方塞がりだと思っていたので今の状況で受けられそうな支援情報を貰えて有り難いです。今後調べさせていただきます。また自分に対しての言葉も有り難い限りです。

以下いただいたコメントに返信する形で追記します。

 

美緒って何だよ

□現状への危機感を抱かせてくれた作品なのに恩知らずでした。元ネタを貼ります

 https://togetter.com/li/2447737

 『セルフネグレクトゴミ屋敷ホームレスひきこもり

https://app-manga.line.me/app/periodic/S120886?_appstore=0

外に出ないで菓子ばかりを食べる、母親無尽蔵に甘やかして自活をさせない、この辺りが全く同じなために、近年の妹は外見もほぼ美緒になっており(唯一連絡を取っている母が写真を送ってくる)、あのコマの切り抜きを見た瞬間は息が止まりそうになった。

 

発達障害ではなく知的障害では?

自分もそう思う。

しかし妹を雇用していた会社から医者正式に診断を受けさせてくれ、その結果で通常の雇用を続けるか障害者雇用にするかを判断する(結局解雇)」と言われて受けた際の診断は『発達障害』だったそう。

また、幼児健診時受けた診断?によって「発達遅延」と言われていて、それによって療育を勧められていた記憶がある。こちらに関しては自分も当時小学生だった+母親愚痴で仔細を知ったため、記憶あやふや申し訳ない。

自分正式な診断時にはもう家を出ており、妹の障害を認めたくない母親経由で聞いた話なので、実は知的障害なのに発達障害と伝えられている可能性は十分あると思う。

 

作業所行ってたんじゃ?

手帳必要としないタイプ作業所に通っていたようだが、三ヶ月程度で辞めたと後に聞いた。原因は父親が「そんな所に通わせていたら本当に障害者になってしまう、辞めさせろ」と暴れ、母がそれに従ったため。妹本人の意向不明だが、両親の障害者嫌悪思想が強すぎるため、言ったところで聞き入れられなかったと思われる。

 

■妹は成人しているのに、障害者認定に親の許可がいるのか?

役所の仕組みや法的には可能でも、妹がそれをするのが難しい。

まず第一に、妹は自分で何かを考えて行動するのが難しい。言葉を選んだ上でこう表現するより他ないが、自我が薄いのだ。唯一彼女ポジティブな執着が見えるのがゲーム漫画で、自分の身の上や将来に関しては、電話越しに聞いても「わかんない」か、ふにゃふにゃした口籠るような声しか返ってこない。会社解雇された時でさえ。

第二に、妹に「障害者は恥ずかしいもので嫌なもの」という思想が植え付けられてしまたことがある。妹が奇声を上げたり庭を飛び回るといった行動を取ると、両親は「やめろ!障害者!」「障害だ!」と叱りつけ、宿題をやらずごね始めたら「そんな風にしていると障害者学級に行かなきゃいけなくなるよ!」と怒鳴った。

その結果、妹自身が「障害者」という言葉存在を嫌がり、自分がやんわりと支援グループホームの話を伝えても「それは障害者からいやだ……」と拒否するようになってしまった。酷すぎて実在を疑われそうだが、自分も家を出るまで自分の家庭環境の異常さを客観視できなかったし、異常すぎて親しい相手であればあるほど相談できなかったことはここに記させてほしい。

 

美緒48歳の元ネタを見せる/髪結いの件を引き合いに出して両親を説得できないのか?

自分の両親の人間性からして不可能だと考えている。

髪結いの件は両親も承知していて(企業の人事から激詰めされた事が堪えたらしい)その上で何の支援も受けさせず、福祉にも繋げないという今の状態なんです。今までも市町村や国が出しているパンフレットPDFを送ってきたが、そもそも妹が障害者であることを受け入れないから目に入れようとしない。

父に至っては機嫌を損ねると暴力を振るい始めるし、母は父の暴力に怯えて「もう障害の話はしないで」と言い始め、二人きりの環境に連れ出して資料を見せても「難しくてよく分からない」と言う。

 父母にしても支援必要なのではと考えている。だが自分問題として、絶縁までの20年間続いた心身への暴力によって傷が癒えていないし、許せもしないから助けたくない。

けれど彼らの死後、障害者である妹をどうするか?となった場合親族にせよ役所にせよまず電話を掛けてくるのは長子である自分だろうということと、単純に妹が『福祉の力を借りつつ自分の力で生きていく』ための縁や可能性を、両親の感情論によって奪われている理不尽をどうにかして取り除いてやりたいと思う。

 

気になったのは以上だろうか。

母は議論になるとよく「お前は子供を持たないか障害者の親になる気持ちが分からない(だから手帳は取らせない)」と話を終わらせた。

親であればなおのこと子の未来を思って行動すべきではないのですか? 子の未来よりいつか子より先に死ぬ自分感情の方が大事なのか? 自分はそこまでおかしなことを母に言ったのだろうか。

 

美緒元ネタのように両親が自分を頼りにしているというのは本当にそうで、幼少期から折に触れて「自分たちが死んだら妹ちゃんとは助け合って生きていってね」と言い聞かされ「そんなことはしない。障害のことを抜きにしても貴方がたが甘やかし、歯磨きもろくにしない教育を施してきた娘だ。その責任自分たちで取ってほしい」と返答してきた。

その度に「そんなこと言わないで、きょうだいなのよ」「お前は冷血の人でなし」と繰り返されてきた。本当に自分は人でなしなのかと今も疑っている。

 

お前はもう関係いか自分人生を生きろというコメントには少し泣いてしまった。結局突き詰めれば、せっかく絶縁しているというのに、自分自分感情によって家族を見捨てきれないのかもしれない。どんな形でもコメントを寄せてくれた人たち、本当にありがとう美緒漫画を描いてくれた人もありがとう。まだ全然生きていける気がしてきた。

 

anond:20241012142141

まあそこはお医者さんと相談してみたらいいんじゃないの。

こっちは素人なわけだし、ストラテラっていうのが効いたって言ってる人がいたんだけどそれは自分にも使える?効果ありそう?どういう場合に処方されるの?とか聞いてみたらいいじゃん。

そしたらお医者さんがキミはまずこっちかなー?とかあーいいかもねー?とか判断してくれるんじゃね?

医者さんってそういうためのものじゃん。

まあでも確かに鬱でストラテラっていうのはあんま聞いたことないな。

人に相談できない

自分他人も信用していない

数々のバックレ

あるとき全てがどうでも良くなり引きこもり

やるべきことはやらない

責任が無理

anond:20241012104243

そう考えると警察相談すら行ってない松本の件があれほど騒がれたのは実質的冤罪しか言いようがないとも言える。

そういえば某週刊誌松本風俗で本番強要して明日にでも警察捜査を始めるみたいなことを書いてたような気がするけど、あれどうなったんだ!?

とか考えると週刊誌いかにいい加減なものかわかりそうなもんだんだけどな。

2024-10-11

仲間外れが相談なんてらしくないよ

一人で悩むのが仲間外れらしさでしょ

男児を男湯に入れたらレイプされます 女湯を男児に開放しろ

名古屋市内の銭湯で今年1月男の子わいせつ行為をしたとして、52歳の僧侶逮捕されました。

 三重県いなべ市に住む僧侶黒田昭真容疑者(52)は、名古屋市内の銭湯で今年1月、当時12歳の男の子わいせつ行為をした疑いが持たれています

 黒田容疑者は去年8月から、この銭湯男の子と顔見知りになっていたということで、警察が今年6月被害相談を受けていました。

 調べに対し黒田容疑者は容疑を認め、「男の子わいせつ行為をしたいという性癖自分にはある」などと供述しています

 黒田容疑者は、別の男の子1人に対する不同意わいせつの疑いで、すでに2度逮捕されています

https://news.livedoor.com/article/detail/27347464/

男湯ではこのようなことが日常的に起こっています

成人男性レイプされることも珍しくありません

女湯に善良な男性を入れさせて下さい

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

うーん暇空茜やばいかもしれんなー

警察からの取り調べでハンコ押しまくってるそうな

弁護士にも取り調べについて特に相談してないって

あの性格の人だから一人で話聞いただけでちゃんと内容理解してるか怪しい

取り調べではペラペラさない、安易にハンコは押さない、これは常識だと思ってたのだが

警察質問の「お金を払って堀口さんへの攻撃を依頼してませんか?」がこわいな

なるくんはお金を分けてもらえるから暇空の子分をやっているのだが

そのなるくんに堀口の私物オモチャにする動画撮らせたの、金出して依頼してるようなもん

学習院OBに500万出して訴訟起こさせたのも、堀口の自業自得はあるが嫌がらせの一環

あと堀口叩き系のYoutuberスパチャあげて中傷動画もっと出すよう指示していた

個人的攻撃してるだけと、お金あげて攻撃するよう多数にやらせてたのでは罪の重さが違うだろうな

弁護団刑事事件の面倒は見てあげる気がないのかな

暇空本人が「警察の人とおしゃべり」感覚でなにも言ってこなくても、弁護士の方からアドバイスしてやれよ

anond:20241011105234

いろんな視点から教えてくれてありがとう。原因はわかってないけどおそらく何かしらのアレルギーではあると思う。アレルギー性鼻炎と結膜炎持ちで(病院で診断されてるけど大人になってから症状がひどくないか治療してなかった)、最近になって症状がひどくて喘息まで出てきたから、アレルギー検査治療ができる病院を探しているところ。どの病院に行けばいいのか迷っている。

住宅環境からいうと、カビよりはハウスダスト可能性が高いけど、屋外でも症状が出るようになってきたからもうわからん。となるとグルテンとか食べ物可能性もあるよな。たしかに。今の不調が治るまでに病院見つけて、アレルギー検査をしてみる。

ストレスは正直わからない。あると言えばあるし、日常生活に支障が出るほどではない。専門家相談できる環境ではあるので、何かあったら聞いてみる。

腸内環境についても詳しくありがとう。以前は胃腸もかなり弱くて、気絶するほどの腹痛とかあったけど、食事を正しくとるようになってからだいぶ改善している気がする。ヨーグルト乳酸菌ビフィズス菌玄米酪酸菌はとれているかな。納豆は苦手…。バナナきのこあたりも食べている。これから意識しつつ継続していきたい。

父の死後のこと

がんだった。

長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。

父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。

余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月誕生日も越えて、4月に父は身罷った。

深夜だった。

  

訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、

看護師さんとエンゼルケアをした。

看護師さんはたびたび来てくださっていた方で、男性で、

深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。

死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、

わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。

チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。

  

翌朝葬儀屋遺体を預けてから、すぐに各種手続きに追われた。

火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。

父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。

引き出したら相続承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。

両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。

  

役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関負債の照会に行って、

火葬を済ませて、相続放棄手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、

父は自営だったので廃業手続きもしなきゃいけなかった。

相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。

会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。

人一人が世界からいなくなることの重みを感じた。

父が本籍居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。

今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。

  

葬儀火葬だけの家族葬で、およそ20万円かかった。

余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。

お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。

親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。

火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。

棺桶Amazonで買えるようだったし。

DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。

  

もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。

こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。

晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。

今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。

お父さんの作った唐揚げが食べたい。

anond:20241010135030

同じ部署のい先輩に用事があって電話しようとしてその先輩の予定をoutlook確認したらちゃんとした表記はわすれたけど"非公開の予定1.5時間"ってのが入ってて、ちょうどもうすぐその予定の時間だったか

急いで電話して要件話してたら、ごめん歯医者から切るわ~って言われた。

非公開の予定の後にも普通に仕事の予定入ってたか上長にも報告せずに歯医者行ってたんだろうな。

そんなもんじゃいかな?

当然正直に上長相談したら有給使えよって言われるだろうけど

みんなの会社ってそんなに会社監視される仕組みなの?

転職怖くなるわ。

アラフォーアラフィフ婚活女で結婚したい奴はこれやっとけ

アラフィフおっさん

婚活

会う女にあまりにもこのパターンが多いので『だから売れ残っているんだな』と思ったことを書いていく

俺の容姿年収諸々は置いといて一方的に書くぞ

「オマエそれ言えるだけの男なのかよ」とか関係無いし一方的に書くぞ

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①髪を綺麗に伸ばせ そしてきちんとメンテしろ

ガサガサでボサボサ髪の女が多すぎる

髪は女の命なんて古い言葉があるが髪が綺麗というだけでめちゃくちゃポイントがあがる

リートメントは年齢的に効果が無いとか言うな あるぞ

職場独身アラフィフお局もなぜか急に髪質改善リートメントしたら見違えるようになった

それだけで華やかになるんだな

第一印象がグッと変わる

長い人はゆるく巻くだけでもめっちゃ女が上がる

自分を良く見せる努力しろ

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②化粧しろ 肌メンテしろ

ナチュラルメイク(ワラ

バリバリメイクはキツいかナチュ→ケバの中間あたりで

朝のメイクにそれなりの時間をかけよう

男と会う前にお直ししましょう

からないならデパートBA相談しろ

プチプラのおかげでBAいかに客を長く繋ぎとめるかにシフトしているので昔と違って無理に売りつけることも少なくなった(BAの姪曰く)

「化粧とか最低限で十分 アリノママのワタシを選んでくれる人が良い」→未だに選ばれないのはアリノママあんたが選ぶに値しないか

自分を良く見せる努力しろ

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スカート履け 3cmでもいいかヒール履け

メイクしろとかスカート履けとか時代に逆行してると言うがやはり「女性らしさ」は武器になる

初めて会う時の格好がパンツでペッタンコ靴だとマジで萎える 近所帰りかよ

自分を良く見せたいなら少しでも見栄え大事にしてくれ

ストッキング履け

カバーソックス絶対やめろ マジでダサいから

スカートも脚を見せろと言わん ロングでいい

スカート履かない「アリノママのワタシ」要らんから

「アリノママのワタシ」で結婚できている女は素材が良いか若いから

30中盤からはもう無理だから外見だけでも自分を良く見せる努力しろ

男に選ばれる格好をしろ

靴もきちんと手入れしてね

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実家から出ろ

生活能力無い女は無理

その年になってくると親の面倒を~とかあるかもしれんが せめて実家の近くに一人暮らしとか

介護があるならその間は結婚諦めたほうが良い 悲しいけど仕方ない

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セックスを受け入れろ

ヤリモク最低!とか言ってる場合じゃねーぞ

男に「抱きたい」と思われるステージにいるって事は自分に女としての魅力がまだあると思ってください

そのチャンスを生かしてください

プラトニックとかもう無理だから

会った日にヤるとかは無いけど少しでも「この人良いな」と思うなら3回目ぐらいから頭に入れとけ

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【番外編】

アプリやってるなら「年下彼氏 年上彼女」のコミュやめとけ

マジでキモいから

その年齢の女が年下狙いとかキツいって

「周りに年下が多くて自然と年下と付き合うことが多いでーす」とか要らんて

結婚したければせめて5歳上ぐらいまで範囲に入れとけ

自ら範囲狭めてどーすんねん

SNSでよく見る「年下クンと結婚しました!」とか無いか

男は年収で割とどうにかなる

女は見た目で割とどうにかなる

俺も頑張るからお前も頑張れ

2024-10-10

からハラスメント受けてるやつ結構いるよな?

男はぶっちゃけ我慢してるだろ

からハラスメント受けてるなんて情けなくて公言出来ないもんな

職業柄悩み相談よく受けるんだけど、既婚者男の悩みのほとんどが嫁なんよ

から怒鳴られる疎まれ子供悪口吹き込まれ

こんなのばっかり

酷いと普通にから死ねって言われたりする

死ぬと各種保険や色んなお金免除が生まれて残された嫁子供生活楽になるから

たまにいるじゃないからな

既婚者男性ほとんどがこの悩みだから

けど、男の悩みはスルーされるんだろうな

それがお前らの社会正義だもんな

Cygames体験したブラック労働を綴る

10/11追記note移植しました。

https://note.com/naru_oriko/n/n9b127bbd18e0

はじめに

記事の内容は数年前の状況で、現在は修繕されている可能性があります

また、入社希望者を止めたり、Cygamesの各ゲームタイトルへのイメージを下げる目的はございません。

Cygames企業イメージを落とさないよう社員による内部情報漏洩SNS投稿等にかなり厳しく網を張っています

特定されたらどうなるのかが怖くて、離職から数年間は何もせずただCygamesCMを目にする度に軽いPTSD発症していました。

現在労働中に患った軽度な精神疾患が元となり精神障害へと発展した為、本記事を書こうと決めました。

最初部署でのセクハラ行為

私は開発エンジニアとして所属しました。

まず初めに所属した部署で、上長からセクハラ行為を受けました。

  • 懇親会で使うお店の下見をしたいと言って2人きりで飲食させられました。

→その時私は所属から1週間程度だった為、断ることが出来ませんでした。

部署内のLINEグループがあるとのことで所属して直ぐにLINE登録していました。

これらを人事に相談したところ、私が別の部署へ異動となりました。

部署マネージャーからセクハラパワハラ行為

  • 開発スケジュール相談をしに行った際、「私の部署上長と話がついてるから」と言い、取り合ってくれませんでした。
  • 私の呼び掛けを無視し、会議で私がまるで居ないように会話していました。
  • 高圧的な態度を何度も取られ、私が耐えきれずその場で泣いてしまうこともありました。
  • 懇親会の後、空がまだ明るかったので、「ラブホ行って朝帰りしたみたいだな」と私の方を見ながら発言しました。

これらを人事に相談したところ、この方は降格処分となりました。

→私の他にも複数人から訴えがあったようです。

異動後の部署でのパワハラモラハラ行為

翌朝出社した際、まだ原因が解明出来ておらず、疲弊しきったリーダー謝罪していました。

→私はこの時の怒声を今でも鮮明に覚えており、若干のトラウマとなっています自身リリースする際にかなりのストレスを感じていました。

エンジニアリーダー食事をした際、リーダーは会話中でもApplewatchに通知が来る度すぐに開いて確認しており、常に緊張状態にあるようでした。

→私はこれをきっかけに一過性鬱状態となり、その方と話した後にトイレ嘔吐したり、一時他人と話すことが出来なくなり、別室で作業をするようになりました。

その後、そのプランナーリーダーと関わらない部分の実装担当するようになりましたが、鬱状態が治らず、限界がきて離職する運びとなりました。

その他


最後

今や他社のゲームも盛り上がっておりあまり目立たなくなりましたが、一時期はウマ娘ゾンビランドサガ、グラブル等の広告話題が街中・TVCMSNS等で目にすることが多かった為、その度にフラッシュバックして嫌な気持ちになる事が多かったです。(現在進行形)

このせいで佐賀県個人的な苦手意識が芽生え、大好きなお笑いキングオブコントスポンサーとなった時はショックを受けました。

以上がCygamesでの労働体験のうち黒い部分です。

1人でも多くの人が幸せ環境で働けること、またブラック労働で壊れてしまった心が治りますようお祈りしています

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