はてなキーワード: 食事療法とは
10キロ痩せた。すごいと自分でも思った。誰かに聞いて欲しかったので書く。
事の始まりは二年ほど遡る。健康診断でE判定を喰らったのだ。肝機能が問題だった。
わたしは二年前まで定職についていなかった。若さが健康の証だと思って健康診断も受けていなかった。大学時代の健康診断も一度行ったが二度目の記憶がない。定職について久しぶりの健康診断で、初めてE判定を喰らった。これには正直少し堪えた。「え、死ぬの?」って思った。
当時、E判定などがあると自動的に再検査があると思っていた。しかし実際は、自分で適当な病院に予約して受診すれば良いことを上司から聞いて、初めて知った。毎年健康診断を受けさせる義務が会社にはあるが、再検査に行くも行かぬも自己責任なのか、線引きがはっきりしているなと思って少し面白かった気がする。
診断結果が届いてから比較的すぐに再検査の予約をして受診した。身長が178cm、体重が78キロ程度、見た目もそこまで太っているわけではないのに肝機能の数値が異常に高いので、家族性 高コレステロール血症ではないかと診断された。体質的にコレステロール値が高くなってしまうとか、何人だかに一人の確率で発症するとか、治るものではないので薬を飲み続けるしかない、ただ死んだりするものじゃないとか言われた。根治不能なものに罹ったことがなかった人生で初めて「治らない」と医者から言われたのも結構堪えたかな。セカンドインパクトだ。その日は肝炎を発症していないかの確認のために再度血液検査をして終わった。そして、血液検査の結果からやはりということで、家族性 高コレステロール血症として薬を飲んでコレステロール値などを抑える生活が始まった。
しかし、これが下がらないんだ。薬さえ飲めば一発でグーンって下がってホッとするみたいな急転直下の展開を期待していたのに、定期的な血液検査では常に微減。だいたい横這いのエブリデイ。当初は怯えていた不治の病にもだんだん慣れてきていた。薬を飲む以外に方法はなく、薬に副作用はなく病による体調の悪化もない。実感がないから緊張感もない。これをずるずると引きずると合併症などを併発してきっと大変なことになるんだろうとは思いつつも、しかし、ここまで何もないと気の引き締めようもない。
そして、昨年の健康診断。やっぱり肝機能の数値が高かった。比較すると若干数値は低くなっていたが、gptなんて正常値なんて4倍近い(前年は6倍)。服薬の成果が全く現れずにゲンナリした。
事態が動き出したのは健康診断の結果を再度かかりつけの医者に見せた時だった。「脂肪肝かも知れませんね。一度、大きな病院で検査してみますか?」と聞かれた。紹介状を書くとのことだ。わたしは嫌だった。大きな病院というのはやたらと待たされる。待つのはよくても待たされるのは嫌いだ。だが、こうも数値が変化しない状況が続いているのも困るので仮に脂肪肝だった場合、何をするのか尋ねた。「食事療法とダイエットですね」とのこと。
わたしは思った。検査なり調査をして原因を明らかにして問題にアプローチをすることは正しい、しかし、食事療法とダイエットなら別に原因が不明でもいいじゃん、と。だって、食事のガイドラインなんてググればいくらでも出てくるし、ダイエットも正しい方法が必要とはいえ結局は適切な食習慣と適度な運動だ。薬や手術などの医学的アプローチが必須というわけじゃない。たかだかダイエットをしましょうと言われるために、大きな病院で待たされるのは想像するだけで辟易する。それにあれを食べろとかあれはやめろとか動けとか指図されるのも嫌だった。ということで医者には考えておきますとだけ伝えて、一人ダイエットをすることにした。
ここでわたしは自分の体重を減らすことに自覚的に考えるようになった。
運動週間だがわたしは定期的にランニングしていた。だいたい週末に10キロ程度。年明けにハーフマラソンに出場しているから、大会が近くなるともう少し走る。初めて健康診断でE判定を喰らった時からずっと続いている。だから運動しているし、脂肪は燃焼しているだろうと思っていた。だが、体重が減る原理とは細かい数式とかはさておき、結局は摂取カロリーよりも消費カロリーが大きい場合に体重は減る、これに尽きる。ランニングを10キロ走ると、だいたい700キロカロリーを消費する。20キロ走ると概ね倍。1キロ痩せるためには7000キロカロリーの消費が必要らしい。つまり1キロ落とすために、100キロ走らないといけない。ダルすぎる。
しかしわたしは気づいた。カロリーを消費する方法は別に運動だけではないことに。つまり日々の摂取カロリーを控えて、基礎代謝(だいたいわたしくらいの体格の成人男性なら1800〜2200キロカロリーくらい)を下回り続ければ、走らなくても勝手に痩せるんだ。ということで日々の食事を見直した。
まず朝食は食べない。というか食べられない。出社のギリギリまで寝ていたいのでいつも食べていない。
昼はコンビニでサラダとチキンとスープを買って食べる。「洗わず食べられるカット野菜」みたいなやつ。お腹にたまらないから2パック食べる。袋のままで箸を突っ込んで自席で食べていたので、最初のうちは奇異の視線を浴びたが、1週間もすると周囲がわたしに慣れた。
夜はご飯と肉か魚と野菜とたまにキノコ類。野菜は主にリーフレタスとかとサラダほうれん草の葉物類に、赤パプリカやミニトマト、ブロッコリーなどをあわせる。だいたい毎回これ。
※コロナで在宅になってからは、夜食べていた野菜を昼にも食べるようになった。
これの食事を続けると摂取するカロリーがだいたい1000〜1600程度になる。わたしにとってこれは革命だった。10キロ走らないと得られない消費カロリーが毎日飯を食っているだけで勝手に得られる。なんて楽なんだと思った。何よりいいのはサラダの楽さだ。元来物臭な性格をしており、一人暮らしの料理にも飽きていた。外食や冷凍食品もあまり好きではなくなんとなく作るが美味くないし美味くもならない。しかし、その点サラダはいい。切って洗えば盛り付けるだけ。味チェンはドレッシングで思いのまま。超楽。しかも健康にもいいらしくてカロリーも抑えられる。いいことづくめ。日持ちがしなくて、エンゲル係数に打撃を与えがちなのは厄介だが、まぁ上述の利点には替え難く致命的というほどではなかった。
さて、そうこうするうちに目に見える変化があった。お腹周りがなんだかスッキリし始めたのだ。学生時代に痩せていたため、いまだ痩せているという自意識から抜け出せないわたしはスッキリ目のズボンを買ってしまう。苦しいと思いながら、座るとさらに苦しいと思いながら、履いていたのだが、全然苦しくないのだ。おや?と思い確かめると、スーツのベルトも穴を一つ減らせることに気づいた。体重計がなかったので買ってみると、10キロ痩せていた。このときは5月の頭頃だった。野菜を食べていたらいつの間にか痩せていた。
定期検診で件の医者のところへ行き、血液検査をしてきた。つい先ほど結果を取りに行ってきた。一部、正常値よりはまだ高いものはあるが、ほぼ全ての数値が正常値に収まっていた。一時期は180とかあったgptが今は40台だ(正常値は40以下)。体重に加えて、目に見える成果が出て嬉しかった。
そんなこんなで10キロほど痩せました。やっぱりいろんなブログとかで書いてあるように痩せようと思ったら食事は大事だね。
それでは
かなり重かったアトピーを完治させた俺の出番だな。
まず始めに言えるのは、アトピー治療で標準医療(病院で治療すること)に頼る奴は一生掛かっても治らない。
ステロイド漬けにして寛解と悪化を繰り返させ、一生を製薬会社と病院のカモにさせ徹底的に搾取する。
様々な療法が存在するが、俺は断食療法と温泉療法のハイブリッドで完治まで持っていった。
ドラクエ3で例えるなら、断食前がミイラ男だったのが断食後は女賢者になったくらい皮膚状況がツルツルに回復した。
現在も食生活や生活習慣にに気を付けて再発しないよう努力してる。
現在の俺の肌を見れば、誰も昔の俺が重いアトピーだったなんて分からないだろう。
母が亡くなったので気持ちを整理するために書く。
母は長年癌を患っていて、治っては再発し、治っては再発しの繰り返しだった。
私は結婚して家を出てたけど同じ県内なので入院中はほぼ毎週お見舞いや手伝いをしてた。
ずっと闘病中だったし、つらそうな時期もあったけど、なんだかんだ治療が終わって数値がおさまって、退院して…を10年繰り返していた。
標準治療以外に食事療法や東洋医学の力も借りていて、そのおかげか先生からも元気なのが奇跡とか言われていたので、
なんとなくこのまま、この繰り返しが続くものかと思ってた。癌がなくなって、退院して、運が悪かったらまた入院して治療して、と。
週末会った時はつらそうながらも普通に喋れていたのに、突然状態が悪くなってそのまま死に目にも会えずに亡くなった。
意識不明の状態が続いてとかであればなんとなく覚悟ができていたんだろうけど、家族全員信じられないくらい突然だった。
でも多分本当は突然じゃなくて、家族みな病院いくのが習慣みたいになってて、みな油断してたんだと思う。
母はずっと治療していて体力が無くなってたのは確かなので、少しずつ少しずつ死に近づいてたんだろう。
最後は長期間つらそうだったので、それから解放されてよかったねという気持ちと、
つらくてしんどいまま、多分自分でも予期せぬまま亡くなった母が可哀想で仕方ない。
(もうちょっとで今回の治療が終わって退院する時期だったから、その時に会おうと何人かお友達に連絡をしていた)
死にそうなほどつらかったのに、早くしんどいのがおさまるといいねとかしか言えなかった自分が情けない。
頑張ってるのは知ってるので基本的には頑張ってとか頑張ろうとかは言わないけど、つらい、しんどい時はなんて言ってあげるのが良かったんだろう。
もし余命が宣告されていたりしたら、無理やり退院させてでも母の行きたいところに連れていってあげたかった。
なので余命宣告というのはある意味素晴らしい仕組みかもしれない。
もちろんどちらも悲しいんだけど、突然死ぬと何もできないししてあげられない。
突然事故に巻き込まれた方の家族とか、もっと突然すぎて、もっともっとつらいだろうなと思った。
入院中手伝えることはしたつもりだったけど、元気なときにもっと旅行とか一緒に行けばよかった。
これまでは祖父や祖母が弱った状態から亡くなった経験しかなくてある程度の覚悟の上だったから、
こんなに突然の身近な人の死が初めてで、しかも母で、やっと「孝行したい時に親はなし」が実感できた。
今家族が入院している人は、(あまり不幸な結果は思い浮かべたくはないと思うけど)ちょっと意識して、できる限りのことをしてあげてほしい。
あと、元気なうちにいっぱい写真や動画をとっておくと良いと思う。長く入院してると、外でいる、元気な姿の写真や動画があまりないなと思った。
書いてるうちにちょっと落ち着いてきたので、風呂に入ろうと思う。
注意喚起です。トイレ用踏み台を使っている人は注意して欲しい。医者に掛かるのが遅いと治療できなくなり、まともに生活できなくなるので。
発生から三ヶ月経った今も全く快復していない、こじれ続けた怪我の話です。たぶん人生詰んだ。
同じような人を出さないためにカキコ。検索しても似たような話が出てこないというのは本当に怖い。逆に同じことが起きてたら情報求む。
便座の足元に踏み台を置いて急角度をつけることで、楽に排便できるようになるというもの。米アマゾンだと8000件超のレビューが付いててブームのようだ。
ぶっちゃけ半信半疑だが、何事も試してみなければ分からないということで、1000円のものを買ってみた。便秘気味だったし。
そして試してみたが、前のめりに体重を掛けるというバランスを取りにくく、効果があるとは言えない。単純に慣れていないだろうから、もう少し使ってみようと思っていた矢先の出来事だった。
便座に尻がハマった。
普通に地面に足をつけていればハマることはないが、踏み台を使っていたからこそハマったのである。踏み台を使用する記事の画像を見てもらえば分かるが、尻を後ろで支える分だけ非常に不安定で、地面にも足がつかない。
ここで丁寧に、尻を真上に持ち上げていればよかったのだが、便座が小さく掴むところがない。横着して横にある手すりを両手で掴もうとしたところ、
尻穴に激痛が走った
そう、皮膚が切れたのだ。便座に尻を押し付けて皮膚が突っ張っている所に捻りを加えたら、どうなるかを察するべきだった。
ところが数秒もすると痛みが完全に引いて、さっきの痛みは何だったんだろうということになる。手鏡で確かめると、肛門のシワのところに縦に赤い線が走っていた。痛みがなくググっても似たような症状がないので、そのうち治るだろうとオロナインを塗り、あとは忘れることにした。
ここが最初のミス。この時点で皮膚科か肛門科専門に行っていれば、二週間後には何事もなく元気に過ごせていたかもしれない。
この傷跡が、数日で悪化して猛威を振るうこととなる。この先は常に原因不明となるが、これが元凶のはず。ここまでは健康体だったので。
ここまで読んで「そんなはず無いだろw」って思った人へ。自分もその時は大したことないって思ってたよ。ところが肛門の環境というのは想像以上に過酷だったし、ヒトの傷の治りはずっと遅かった。
三日ほど経つと、尻穴を引っ張られる違和感を覚えるようになった。
そのときは座椅子から長椅子に変えようとしていたため、その違和感の一つだろうと思って放置。怪我については頭の片隅にあったが、治ってないはずないだろうと高を括っていた。痛みの性質も違う。
今だから言えるが、肛門周辺(または上皮?)の傷というのはどこか鈍感なところがあり、切れ痔の痛みに似た性質を持っている。普通の傷と違って、波が引くように痛みも引いてしまうのだ。なので自覚症状が薄く、気付いたときには手遅れになるというわけ。
一週間後、違和感は更に強まっていた。
ところがセールに釣られてオフィスチェアを注文してしまったため、使用感をテストしなければならない。返品保証は購入後の数日間のみ。
短足なので地面に足が届かず(世の中のオフィスチェアはデカすぎる。背の低い人は足元に踏み台を使うことをオススメする)圧迫感が最高にあるのと、尻を守ろうと力を込めて座り続けたことも悪化の一因だっただろう。ここでいぼ痔の血栓が出来ていた可能性もある。
ここでさっさと医者に行っておけばよかったものの、何とかなるだろうと調子に乗っていた。生活リズムが合わなかったのもあった。もう午後だから明日でいいかってヤツ。手鏡で確認すらしかなかった怠慢は重罪。医者行けば簡単に治ると舐めきっていた。
更に一週間後。切れ痔まで起こしたので近所の肛門科に向かう。そこでは触診がなく視診のみ。いぼ痔と切れ痔の両方のクスリが大量に処方された。ここが二つ目のミス。科をたくさん標榜している医者は怪しいが、とりわけ肛門科は専門医でないといけないらしい。ここ数年は歯医者以外に通ったことがなく、医者に対する不勉強だった。
この時点で、最初の傷は会陰部の方向へと数mmほどに育ち手鏡でも目視できたのだが、医者にはなにもないと言われた。仕方なく注入軟膏を塗ってみることにした(薬効に肉芽形成促進作用というのがあった)が、結果的には大失敗だった。皮膚に塗ってもカブれるだけなので注意。
尻穴の違和感はイボ痔と切れ痔のせいだったのかと思い、二週間の経過を見ることにした。痔に対しての様子見は正しいが、この場合は悪手。傷のセカンドオピニオンとして他の医者を探していれば、まだ間に合っていたはず。
座るのがヤバいというのは直感的に理解できたので、このあたりから一切座らず、常に立ちっぱなしで生活することにした。飯食う時も。え、まともな社会人がどうしてそんなこと出来るのかって?言わせんな恥ずかしい。
そうして二週間後。肛門横の傷は大きくなり、治るどころか注入軟膏でカブレを起こして患部が余計に見えにくくなってしまった。
遠方の肛門科専門医に経緯を伝えて診察してもらうが、カブレて炎症を起こしていたためステロイドを処方されただけだった。ところが塗り方の具体的な説明がなく、ポステリザンをついでに塗ってしまったこともあって炎症は止まらず。電話で聞けばよかったのだが、「診察していない人に聞いても意味があるのか?」と勝手に尻込みしてしまった。コミュ障乙。
一週間後に炎症の痛みに耐えられず再診したら、混みすぎていたせいか非常勤の医師に軽くあしらわれたため、ここに通っていてもろくに相談できなさそうということで別の医者に変えることにする。ここの判断も失敗で、せめて狙った医師が居る日に受診するべきだった。
日常生活はもはや成り立たず、スマホで似た症状を寝ながら一日中探す日々を送ることとなる。もちろん見つかるわけもない。「会陰部裂傷? すぐ縫ってるから関係ないしなぁ…」という具合。
この辺りで、寝ている時にも肛門が痛むようになった。今更ステロイドを塗ろうが遅すぎたのだ。度重なる圧迫と擦過と炎症に晒された肛門の皮膚が、とうとう耐えられなくなってしまったのだと思う。寝ているときの人間の体重の3~4割は臀部に掛かるらしい。肛門が床に着く感覚があったが、皮膚が引っ張られてた感覚だったんだろう。
皮膚を荒らす原因は薬だけではなかった。強い順番から挙げると、着座、トランクス、ズボン、睡眠、ベッドシーツ等。もしかしたら立ちっぱなしで臀部の筋肉が発達してしまったせいもあるかもしれない。O脚は関係あるのか。
トランクスは、寝返りなどで無意識に足を動かすと、股下を容赦なく擦ってくる。運動不足で肥満気味になり、サイズギリギリになっていたのも後押し。トランクス派は今すぐボクサーパンツに転向するといいぞ。
ズボンについて。ズボンには正中線を走るような縫い目があるが、それが一際強いズボンをパジャマ代わりに使っていた。ユ○クロのファーが内側にあるパンツね。これも攻撃力が高く、寝ているときに飛び起きた原因はこれだった。素直にパジャマにしなさい。
ベッドシーツについて。よくシワが発生するシーツだった。これのダメージはいまいちなのだが、上二つのカモフラージュとしてよく機能していた。人間、それらしい答えが用意されていると、それに飛びついて安心してしまうのだよ。
こうして長期間を掛けて荒れた皮膚は簡単には治らない。ダメージを減らそうとタオルを敷いてみたり、横向きで寝ようとしてみるが、気付いたら仰向けに戻っていて効果はない。うつ伏せはペニスにダメージがありそうなので試したくなかった。勃起したらどうするのかと言い訳していた辺り、まだ何とかなるだろうと甘えていた。このまま放っておけばどうなるかなんて想像つくだろうに。
ところで、肛門科はあまり儲からないらしい。本当かどうかは知らないが、高価な注入軟膏を出せない問診主体の患者は時間ばかり食って何の旨味もない。
当時の自分はまさにそれだったせいか、医者の問診も実にやる気がない。こちらの話や症状も、向こうからしてみれば荒唐無稽なもので相手にしようがなかったのだろうが。ステロイドを一本丸々使ったと言った後に強度のステロイドを処方されるというのも、今思えば悪意の塊ではないか。
医者としても目に見えた傷がなければ治療できないのだろうが、こちらとしても目に示すことが出来ないのでどうしようもなかった。
ついでに切れ痔も再発。軟便剤に頼りすぎないようにと使用量を減らしたのが仇となった。
そうして二週間を無為に過ごし、とうとう肛門の※の窪みが大きくなり、周囲が紅斑を起こしてしまった。要は赤く腫れていたのだ。会陰部の方の傷自体は塞がっていたが、同様の紅斑が発生していたために痛みは変わらない。
何が起きたかを言葉にすると、仰向けで寝ていただけで肛門周辺が勝手に腫れ上がったというわけである。ついでに切れ痔も再発。一言で書いたが、二週間が台無しになったショックはかなり大きい。慢性裂肛になる恐怖もある。
今から思えば、肛門が縦に裂けるように傷が出来たせいで、肛門周辺の荷重の分散が適切に出来なくなり皮膚が荒れたり伸びたりして形が変わった結果、肛門上皮にも力が加わるようになってしまったのではと思う。そして腫れたと。じっくりと時間を掛けた分、治るにはそれ以上の時間が掛かるか治らない可能性すらある。皮膚がたるむと自然には治らない。
仰向けで寝ていては絶対に治らないとようやく悟ったため、なんとかして横向き寝に切り替えようとする。が、寝具もない不安定な状況では寝返りが怖く、バランスが崩れる度に眠気が一瞬で吹っ飛んでしまう。
三日三晩をほぼ完徹で過ごして精神を病み、人生初の支離滅裂な暴言や思考回路というものを経験した後に、ようやくうつ伏せ寝(前傾側臥位)を試すこととなった。結論から言うと大正解で、ここから皮膚の荒れだけは止まってくれた。
まずは炎症を鎮めるために皮膚科を受診する。こちらもステロイド処方だったが、丁寧な塗り方指導があって安心した。ステロイドを塗る量は極僅かで驚いた。
まだ行っていない肛門科にも行ってみるが、経緯を説明しても怪訝な顔をされるだけだった。「神経性のものかもしれないから痛み止めを処方しようか?」というのがとても心に刺さる。症例にない、目に見えないものだと、医者は途端に治せなくなるようだ。…それなら、次はどこに行けばいいんだろう?
この時点で肛門部の炎症と紅斑と切れ痔を併発している上に病状も確定してないので治る見込みもなく、メンタル的にはドン底だった。
ついでだし、生活習慣について気付いたことを書こう。同じことになった人向けなので読み飛ばしていい。
うつ伏せ寝については、前傾側臥位がオススメ。これでようやく眠れるようになった。2,3時間おきに体のどこかが痺れて目が覚めるが、動かさないと褥瘡(床ずれ)になってしまうので仕方ない。それを3回繰り返せば朝になるが、今のところ寝不足にはなっていない。痔の人にも向いてるのではないだろうか。
胸にクッションを当てれば腹を圧迫せずに済む。クッションが小さいと他の部位に体重が掛かるが、高さがあると背中が反ってしまうのでバランスが大事。
枕元にタオルを敷けばよだれを防止できる。高い枕は使いようがないので、枕は薄いものかタオルがいいだろう。早めに合う枕を見つけたほうがいいと思う。抱きまくらを脇に抱えれば、寝相で動いてしまうのを防止できる。太もも正面横の筋肉にずっと負担が掛かるので、ちゃんと揉みほぐしたり血行を気にするようにしよう。
ただうつ伏せは体への負担が大きい。首関節、顎、歯、目に悪影響があるので長く続けたくはない。ちんちんへのダメージもある。一度、包皮の内側に傷がついて戦々恐々とした。ゲンタシンを軽く塗って2日で治ってくれたが、更に悪化してした可能性もある。(ワセリンは洗い流しにくく、塗りすぎると尿道に入りそうなので注意。冬場は縮み上がるので特に。)寝る時の息子の向きは、頭の方ならおっきしてもダメージが少ないかもしれないが、そのまま潰してしまうリスクがある。足元の方に向けておけば玉袋がクッションになりそうだが、勃起すると最悪折れるかもしれない。陰茎折症って言うらしい。
恥骨筋(YラインのVの部分の筋肉)へのダメージも大きいので、マッサージを欠かしてはいけない。そこと太ももの付け根にも負担が掛かるので、足の広げすぎは止めておいたほうがいいだろう。足元が痺れるのも怖いので、目が覚めたら足首を振って血流を促してる。悪あがきだが。
横向きはシムスの体位が有名だが、自分の場合は脚をクッションに乗せると肛門部を広げる形になってしまってダメだった。これはお腹を楽にしたい妊婦のためのものだ。横向き寝は寝具無しだと肩がすぐにシビれてるか寝返ってしまうので無理だった。
うつ伏せ寝で睡眠問題は解決したのだが、別の問題も引き起こした。切れ痔だ。
ここ数年は問題なく排便できていたのに、すぐ切れ痔を起こすようになってしまったが、その原因がハッキリした。筋肉の過緊張だった。
座れないのでスタンディングデスク風にパソコンを使っていたのだが、これがもう簡単に筋肉痛を起こす。ついでに臀部の筋肉も硬直する。立ちっぱなしはウォーキングと違って動かないので筋肉が凝り固まっていくのだ。
普通なら仰向けで寝てれば尻は勝手にほぐれるが、うつ伏せならノータッチなのでカッチカチのまま。これが切れる原因だった。
風呂でのマッサージが非常に効果的だった。肛門を刺激してしまうのが気になるが、背に腹は代えられない。ウォーキングも良かったので肛門の状態と相談。
肛門括約筋体操は、切れ痔や皮膚が荒れている最中だと自殺行為。止めておいたほうがいい。
あとは個人差かもしれないが、立ちっぱなしで筋肉を付けないようにしましょう。膝の方に力を逃がすといいよ。
立ちっぱなしは下半身の鬱血も起こす(=イボ痔の元)ので、スタンディングデスクは痔の発生装置じゃないかって思う。職場で強制されている人はご愁傷様です。
切れ痔の食事療法についての体験談。個人差が大きいので参考程度に。
一番効果があったのはカマグ(マグミット錠)。必須。パントシン錠と一緒に処方されるだろう。毎食服用することで便がかなり柔らかくなって切れ痔は起きなくなるが、飲み忘れるリスクがある。一日一回だけ飲んでもまるで効かなかったので、最低朝晩は飲まないと効果がないのでは? 回数は各自で要調整。
次に水溶性食物繊維、難消化性デキストリンの粉。カマグと同時に使用を開始したので正しい効果はわからないが、スルッと出ているので今後も飲み続ける。レンジで白湯にすると手っ取り早い。摂りすぎると、ネットリとした拭き取りにくい便が増えるので程々に。水分不足だと逆効果らしい。
納豆オリーブオイル。カマグが無い時にスッキリ出せた原因はおそらくこれ。
ヨーグルト。腸内環境を整えるためのもので便への影響は薄い。カマグ服用中のドカ食い厳禁。
鍋物。便が柔らかくなる唯一の食事がこれだったが、一日三食食べるわけにもいかない。
逆にダメなものが不溶性食物繊維。便秘は解消されるが、カマグ無しだと便が硬いまま巨大化するために凶器となる。切れ痔に対しては逆効果、冗談抜きで悪化の元凶だった。フルーツ食ってりゃ野菜は要らないってくらい。「野菜で食物繊維を摂ろう!」という謳い文句は、不溶性と水溶性の区別がなければ完全に罠なので信用してはいけない。オールブランを許すな。
過剰な水分。一時間おきに補給しても便は柔らかくならずカッチカチのままだった。排尿が多ければ減らしていい。カマグを使う時は多めに飲もう。
排便については、朝一番のコップ一杯の水が重要だった。食べなさすぎても出ないので、基礎代謝程度の食事は必要だろう。食事量によっては、うんこを出した後に第二波を待つ必要があるかもしれない。トイレの時間を確保できるよう早起きが肝心かも。睡眠不足も強く影響する。寝てないと出ない。
一番の敵は食欲。食べ過ぎはダメだし、食べてはいけないものもある。香辛料の類は消化できず肛門が焼けるので厳禁。キムチ鍋を食べたら向こう三日間は地獄だった。
「何かを食べると便が増えて切れるかも」という不安もストレスになり食欲が減衰する。カマグで解消できるが、今はジャンクフードを食べる気が完全に失せてしまった。
このイライラが長期間も続くのでQoLが著しく落ちる。完治までは二週間~一ヶ月くらいか? 慢性裂肛なら二ヶ月という話も。
ストレスもさながら、医者に掛かるコストも薬代もバカにならないので、切れ痔になっていない人は予防することを強くオススメする。男性はイボ痔の方がなりやすいらしいのでこちらも気にかけよう。痔は七大疾病に含めるべきとすら思う。
ここに書いたことだけでは足りないので、信頼できるサイトを探すといいでしょう。どのサイトも似たようなことを言っているが、食物繊維の下りが判断基準としてはオススメ。医者は生活指導をしても点数に加算されないらしいので自衛するしかないです。パンフレットも情報不足だし。
既に痔になっている人へ。症状が悪化すると羞恥心は完全に消え失せるので「恥ずかしくて肛門科なんて行けない!」なんて人はさっさと行くといいよ。手遅れになると手術必須なので早いほどいい。もちろん肛門科専門医ね。
こんな感じで三週間後には紅斑が治り、見た目だけはよくなった。見た目だけは。
現状の問題点は、下半身へ掛かる力の大半が肛門にそのまま掛かっているようで、くしゃみや笑いでイキんでも痛い、というか筋肉が肛門を引っ張ってしまい、間にある皮膚にダメージが入る感じ。
座るのも寝るのもダメで、自重だけでも悪化してしまう。縦方向に力を掛けると最高に悪化すると思うので、クッション等の効果はない。これは臀部に対する衝撃は和らげてくれるが、負荷が掛かっているのは臀部の上の肛門周辺なので意味がなく、今は立つか横になるしかない。
四つん這いで腰を突き出すと引きつるような痛みが出たし、ブリッジ気味に太ももを少し持ち上げたら肛門の皮膚のどこかが切れてしまったため、一切解決していないようだ。丈夫なところが切れたようで数週間が台無しになった。悲しい(もしかすると、一番最初に切れた部分かもしれない。切れた後の痛みの経過が似ている)。
いちおう肛門科で診てもらったが「肛門への異常なし」という結果。ここより肛門に詳しい科はないと言われて絶望する。日常生活できない程度には異常があるんですがね…。
というわけで、自分で原因を特定して適切な医者に診てもらうしかないが、既に特定しようがない手遅れな状況になっているのかもしれない。「三ヶ月前の怪我が~」なんて切り出した時点で相手にされなくなる。
総合診療科という原因を突き止めてくれる科があるので、そこに全てを託そうと思うが、内科が主体というのが気になる。今からの予約だといつ頃になるんだろうなぁ。
以上。長くなったが読んだ人はお疲れ様でした。元に戻せるなら戻したいので、同じような症例があったらコメント求む。今のところは祈るしかない。
ここ数年 6.5% 止まりで、糖尿病の可能性が少しあると言われていたが、ほったらかしていた。
今回もほったらかしていたのだが、先週、いきなりモノが二重に見えるようになって
糖尿病の合併症じゃないか?と心配になって慌てて眼科と糖尿病内科に行った。
眼科では瞳孔を開く目薬をさされて、網膜の写真を撮ってもらったが、
糖尿病性の網膜症ではなさそうだった。どうやらただの老眼らしい。
糖尿病内科では、HbA1cが 7% なら運動療法・食事療法でどうにかなりますねw
と、診察では笑う余裕があったが、血液検査の結果、既に 9.6% まで上昇していた。
その日から、腕には血糖値を常時モニターするセンサー(フリースタイル・リブレ・プロ)を装着し、
尿から糖を排出させる薬(ジャディアンス錠10mg) を毎朝1錠飲むことになった。
服用初日は、デスクワーク中に心拍数が120近く上がり顔がほてって
ドキドキが止まらなかったが、3日目からは普通に過ごせるようになった。
センサー装着から14日が経過し、血糖値変動グラフをもらった。
ジャディアンス錠服用前は常時、血糖値180越えが当たり前だったのが、
服用開始後は食後数時間だけ超えるようになった。
この14日間、食事の時刻と内容、運動した時刻を記録していたのでいろいろ分かった。
私の場合、食事後6時間開けると血糖値が元に戻る(健康な人よりは遅い)。
食後1時間後に早歩き40分で血糖値が一時的に元に戻り、その後上がる。
焼き魚+野菜一品+ご飯少な目+味噌汁 の定食は高血糖になりにくい。
ケンタッキー・モスもバーガー1個+飲み物+チキンだけなら問題無い。
間食の蒸しパン1つや、200mlパックのジュースでも痕跡が分かる程度に上がってしまうが、
幸い、モンスターエナジー・アブソリュートリーゼロだけは、変化が起きなかった。
これからは、他の糖類ゼロ、カロリーゼロの飲料や、低カロリーのコンニャクゼリー等が血糖値を上げないかどうか
調べようと思っている。
以上
最近よくYouTubeで筋トレやダイエットの動画をおすすめされるので、何本か見てみた。筋トレが趣味のYouTuberが自分流の方法を勧めるようなものだ。筋トレ方法については予備知識がなく正しいのか間違っているのかはよく分からないが、気になったのが食事療法だ。チャンネル登録者数6桁以上の複数の人気YouTuberがだいたい同じことを話していた。
これは本当だろうか。
今までの自分の知識では空腹感は血糖値の低下によるもので、つまり糖質(炭水化物)の不足が原因だった。そして消化されやすい炭水化物を食べると血糖値が急上昇し、血糖値が危険な領域に達するとインシュリンが分泌され、それによって糖質が脂肪に蓄えられて血糖値が下がる。しかしインシュリンが効きすぎると血糖値が必要以上に下がり、もっと食べたいと思ってしまう。だから消化されにくい炭水化物(玄米や全粒粉入りパン)を食べ、同時に食物繊維を取る事で炭水化物の消化をゆっくり進めさせれば、脂肪を蓄えにくく、少ない量で満腹感を感じられるようになる。
そもそも食べた直後のまだ胃に食べ物がある状態で、各種ビタミン・ミネラル、タンパク質、脂質等を必要量摂取したかなんて脳や体が把握できるのだろうか。栄養素の吸収は小腸で行われ、胃では消化によって食べ物を吸収しやすい状態にしているのであって、胃で吸収できるのは水分や糖質など一部の成分だけだ。タンパク質が糖質に変換される仕組みもあるが、それもタンパク質が小腸で吸収された後の話である。
自分の考えが正しければ、糖質を一切とらずに満腹になるのは必要な栄養素を摂取した時ではなく、胃に対する食べた物の体積が限界に達して物理的に食べられなくなった時である。これではカロリー過多になってしまわないだろうか。
そこで、ふと情報商材の話を思い出した。自分でやったほうが稼げる情報を売るわけが無いというものだ。不動産屋や銀行からの資産運用の営業も似たもので、実際には稼げなかったりハイリスクであったりするから、自分ではやらずに客にやらせるのだ。
筋トレやダイエットのYouTuberも同じじゃないだろうか。視聴者がダイエットに成功したりムキムキになったりしたら、視聴を止めてしまうかもしれないし、視聴者自身が筋トレYouTuberになってしまうかもしれない。この分野のYouTuberたちにとって、自分自身の収入源を確保するためには、視聴者にはいつまでもデブでだらしない体型のままで居てもらった方が都合が良いのだ。
幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。
また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。
ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。
バイトのシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。
現役で地方の駅弁大学に入学して、卒業が近くなってからは資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。
一応何とか大学は卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。
自分は、根本的に人生はディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的に自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分の学力のピークになっていたと思う。
確か当時の全国模試の総合偏差値は70を超えていたはずである。
でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。
何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。
その頃から学力の減退も生じていて、自分で自分がコントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校のランクを一つ落として、何とか国立の大学に合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分の人生の最盛期だったのではないかと思う。
大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活が崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数の語学習得を目指し大学のゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分をコントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。
俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分の計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活は大学を卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。
何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐、牛乳、納豆、青魚、葉野菜。こういうものをバランスよく摂るようにしていた。でも、自分が自分をコントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神でバイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。
いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。
さて。
いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しかし実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己をコントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。
原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である。身体におけるありとあらゆる不調や、自身のコントロールを掌握できていない感覚は殆どの場合、血流の低下に基づいているのである。ADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動が有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効なもののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。
シンプルながら散歩はADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である。普段自転車や原付で移動する距離を、例えば自転車や原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneのヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。
腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレは実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。
ドストエフスキーや夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHDの改善法となると俺は思っている。大抵の場合、活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書のカテゴリーに加えておく。
基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。
同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである。
すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書や文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画のイラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間を生活の中に設けるようにしている。ファミレスやハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。
ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHDの改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなのである。なので俺は最近は文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。
鬱持ち・ADHD持ちにありがちな、思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。
上で書いた通り、卵や牛乳、青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。
つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなのである。つまりそれは、そう、料理の煩雑さや億劫さである。
基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。
脳に一定以上の煩雑さや負担を押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。
追記。瞑想は効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブな効果が起こっていると思われる。
読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアルな瞑想を行うことがある。これもまたオススメ。
など
こんなところだろうか。
思い出し次第追記を行いたいと思う。
今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要な発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である。
上では書かなかったが、俺は重篤なインターネット依存症持ちでもある。
しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所や欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである。
是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。
自身の病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生」なのだ。
それでは。
自炊だとカロリーのわからないあなたに、『糖尿病食事療法のための食品交換表』という本がオススメ。
この食品はこの量でだいたい何キロカロリーなのかがわかる本。例えばご飯は150gで240キロカロリーだ、とか。
この本によると炭水化物のカロリーはだいたい1日に摂るカロリーのうち60%〜50%であることが理想らしい。そして、その他の食品もどのくらいの割合で摂ったらいいのかもだいたい書いてある。
それに合わせて献立を考えれば自炊でも簡単にカロリー制限ができる。
まぁ、80キロカロリーを1単位として数える、というちょっと独特な感じの表現なんだけど、慣れてきたら、ああ、ご飯1食あたりに肉魚類は1単位=ささみ80g or あじ60gなどを摂るのが適切なのか、とか分かってくる。
私は妊娠糖尿病になってこの本のお世話になることになったので、赤子の体重がある分そんなに痩せたという実感はないけど、同じご飯を食べてる夫がどんどん痩せてきている。
おおよそ30年間の内、痩せていた時期がない。
自分自身、太っているのはよく分かっているし、それが美しくない、などという曖昧な表現に納まらず、ストレートに申し上げれば醜いことも理解している。風呂上りに鏡で見る裸体は掛け値なしに本当に醜いと感じる。美醜という点でも、健康という点でも、「出来るなら痩せていた方が良い」ということは重々承知している。この「出来るならば」が曲者なのだ。私が思う痩せたい/痩せた方がいいという理解と判断と気持ちは、分かりやすく表現すると、宝くじを買っていないのに「あ~3億円の宝くじ当たらないかな~」と夢見るようなものでしかない。解決する気、つまりやる気がないのである。ちなみに私は宝くじを買っていないのによく宝くじ当たらないかな~と口にする。
このやる気がないことはありとあらゆることに繋がっている。デブという体系以外の服飾や美容や化粧というものにもやる気がない。服飾や化粧や手入れでドブスがブス、ブスがまぁちょいブスくらいには変わるものなのかもしれないが、いたずらに耳目を集めるような汚さ/臭さ/奇抜さがなく、最低限の清潔感さえあればいいやと、仕事でもプライベートでも家でも全てユニクロを着ている。
デブであることも運動や食事療法、生活習慣などを見直せば当然痩せるだろうが、努力してまで現状を変えようというガッツがない。美味いものを食って美味い酒を呑み、ろくに運動せずだらりと過ごすのが好きだ。
幼少期から今に至るまで、テロメアに異常でもあるのだろうかと思うほどに運動が苦手であるが、克服しようという気がない。苦手なものは苦手なままでいいや、積極的に関わろうとしなければいいや精神だ。
学生時代は学業はそこまで悪くはなかった、ストレートで中の下といったそこそこの大学へ進学し、ストレートに卒業した。努力をすればよりレベルの高い大学に進めたろうし、今だって勉強すれば知識は増えるだろう。でもそこまでやる気がない。
料理や掃除スキルもない。部屋は乱雑でごちゃごちゃしているし、未だに実家に暮らしている上、母が料理が得意なので全てまかせている。家事スキルというのは人間として高いに越したことはない。どちらも経験を積めばある程度はレベルがあがるし、努力すれば身につくものだ。でもやらないで過ごしている現状が楽だ。
人とコミュニケーションを取り交友関係を広げていくことは、トラブルに巻き込まれることもあろうけれども、悪いことではない。でも一人が気楽だ。
当然、若いころは周囲も若かったのでデブスであることを積極的にからかわれ、なぜ自分はこうなのかと考えたこともあるが、デブスであることは純然なる事実であったし、特に顔を真っ赤にして怒るようなことでもなかった。なによりそのころにそういったストレートな事象で人を罵倒するタイプの子供というのは、悲しいことに得てして馬鹿だった。本当にごく一般的で、大した事のない自分よりも学校の勉強すら出来ない馬鹿の言葉を気にして反応する必要はない。そうしてなぜか無駄なほど高飛車に形成されていた心の強さにより、そういった罵倒を全て無視した所、まぁ当然嫌がる反応を見たいからこそ投げられる暴言だ、頻度が酷く減っていき、気付けば自分も周りも大人になって、そういった言葉は投げかけられなくなった。
本を読むこと、音楽を聴くこと、歌うこと、映画を見るもの、絵画を見に行くこと、そういったことは昔から今に至るまで好きだ。好きだからこそ努力していない。努力は必要ない。それぞれでプロを目指している訳でもなく、自分が楽しいと思える範囲しかやっていない。学生時代はかなり厳しい部活動に所属して自分を追い込んでいたし、結局やめることなくきちんと務めきったが、その経験から精神を病んだり苦しんだりしながら努力を重ねるほどやりたいことではないなと思った。当然アマチュアレベルだしプロを目指すほど上手くはない。
人と深く交流することも面倒で、必要最低限で済ませた。一人でも楽しめる趣味に世界は溢れていたし、十分楽しいのだ。
こうやってぐだぐだと思考を重ねていくことも好きで、SNSはtwitterだけやっている。趣味の話をする友人…と私が思っている対象もそこそこいる。
そんなやる気もガッツも一切ないデブスなので、当然交際経験もない。処女というと性行為をしたことがない意味になるが、そもそもの交際経験がないのだ。異性の友人もいるが、友人として成り立てるということは、価値観が近いということで、そりゃデブスに興味はないのである。見目麗しくなく、得意なスキルもなく、努力を重ねる高い精神性もない人間と、一体誰が好き好んで深い関係になりたがるというのか。自覚があるし理解もある。
利益があるから好きになるんじゃない、というのが恋とか愛の定説だろう。きっとそうなんだろうなと音には聞く。他人事なのは特別好きになった相手もいないからだ。齢30を手前にして、恋とはどんなものかしら~なんて考えているなんて大笑いである。しかもそれが美しい娘が窓際で歌う小鳥とハーモニーを重ねるのではなく、ユニクロを着たデブスが乱雑な部屋で光る画面を見つめながらだ。
承認欲求は人と同じほどあるし、彼氏/彼女は正直欲しい。女なのだろう?彼氏じゃないのか?という部分に関しては、正直どちらでもいい、両刀/バイやⅩジェンダーなのか?と聞かれても困る。なにせ交際経験がないからだ。より正直に言えば、男/女/LGBTに関わらず、別に動物でもいい。哺乳類以外も好きだ、爬虫類などね。虫は苦手だが蜘蛛は好きだ。でもまぁ彼氏/彼女と並べるなら変温動物よりは恒温動物がいいな。じゃあペットを飼えと思われるだろう。ペットに憧れはあるが中途半端に繊細なハートの持ち主なので、いわゆるペットロス…ペットに先立たれることに耐え切れないのが目に見えているし、やる気がないのだ。
寂しいときに甘えられ、向こうが甘えたいときに甘やかしたい。そんな欲求ゆえに彼氏/彼女/恒温動物が恋しくなる。でもそれはつまり都合の良い相手が欲しいというだけで、苦労し努力してほど捜し求めたくない。ここでもやっぱり結局、やる気がないのだ。
死にたい訳ではない、楽しいことは沢山ある。まぁ嫌なことも多いけれど。あと、まだ30歳前であるが、今後死に際も一人かと思うと猛烈に怖くなる。私は末っ子だ、不摂生が祟って早死にしなければ、身内と呼べるコミュニティの中では最も遅く死ぬことになる。じゃあ早死にしたいか?というと、絶対嫌だ。出来る限り楽しく生きたいとさえ思っている。じゃあ不安解消の為に努力をするか?といえば、やる気がないのである。
自分は別に特別な人間じゃない、ということはよくよく分かっている。つまりはこういうやる気のないが人寂しい人間というのは一定数確実にいるのだ。そういう人同士が寂しさを埋めるように体温を分け合えばwin-winじゃないかと思う。需要と供給が成り立っている。でも実際そういう人間を探そうというやる気が私にはない。多分まだ見ぬ同じような存在もやる気がないのだ。
出会えば幸せになれるかもしれないが、出会おうとするやる気がない同士なので出会えない。無気力のジレンマとでも名付けたい。
私は生まれながらの天然培養デブス処女、年齢はアラウンドサーティン。寂しい、評価されたい、愛されたい、愛したい、頼られたい、良く思われたい、楽に行きたい、尊敬されたい、etcetc…欲望はつきない。でもその欲望をかなえるべく努力はしない。やる気がないからね。
しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。
更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。 家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。
でも周囲の粘り強い支え、幸運な出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。
更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。
そう思うことが沢山ある。
それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。
興味があれば読んでみてください。
私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したことも出産のときぐらいだ。
子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。
そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しかし女性としての普通の幸せは手に入れることができているという満足感はあった。
私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男は社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。
その変化は突然やってきた。
最初に異変を感じたのは3月、事務のパートに行く電車の中だった。
暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。
午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。
「なんだろう・・・」
不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。
だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう
一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。
この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。
汗の症状はその後も続いた。
特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマやシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。
汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。
朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事に行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。
家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。 掃除も洗濯も苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。
これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。
そんな心身ともに不安定な時期が続く中、 あの事件が起きてしまった。
さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。
「最近家事があんまりできてないみたいだけど、何かあった??」
心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。
夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして
「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」
と大きな声をあげてしまった。
私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。
夫の驚いた顔が今でも忘れられない。
ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。
すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。 一体わたしはどうなってしまったのか。
夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。
夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。
とはいえ、私にも明らかにおかしいという自覚はあった。けどどうしたらいいかわからない。追い詰められていた私は遂に親友に相談をした。
大学の同期の加奈子だ。大学を卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。
私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。
「それって更年期障害じゃないの??」
今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。
実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。
「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」
友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。
その医師によると、更年期障害は一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。
「これが2,3年も続くのか」
この医師はHRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。
それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。
しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。
娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。
私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子に相談した。
「加奈子は何で治したの?」
以前はなんとなくプライドが邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。
「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとエクオールのサプリメントも飲んだよ」
漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療を選択した。
私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からエクオールのサプリメントも服用した。
友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。
効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情のコントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。
1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。
掃除は軽くではあるが毎日、洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単なものなら毎日作ろうという気分になってきた。
一度改善の兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、エクオールに関する知識も積極的に仕入れ、よりよいものを探すようになった。
そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。
休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。
家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。
夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、
「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」
と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。
結果的に私は友人の進めた食事療法+エクオールサプリメントの民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。
自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。
周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。
私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。
ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。
もちろん私に効果のあった治療があなたにとってベストだとは思わない。HRTを受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。
なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。
一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。
病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。
私はいちばん大事な家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。
この体験談が役に立ってくれることを願っている。
離れて暮らす両親の話。
親父が癌だ。今は食道癌。
最初の癌は15年前。白血病。抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。
次は皮膚癌。発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。
次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんはたまたま見つけやすいとこだったから医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。
食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初の白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者に判断され、抗癌剤と放射線治療のみ。
抗癌剤治療の副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学の進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社の部長を勤めたイケメンの姿はもうない。
抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓にウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。
また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯は抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。
味覚も狂う。最初の抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンだけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。
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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤の治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかんの気持ちはよく分かる。
んで、最近は食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ、野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。
とはいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物(ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家の食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。
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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。
おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルなおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。
問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。
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最近一つわかったことがある。
親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。
前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。
姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。
確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。
贅沢な親父め。クソ。
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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。
出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。
仕事を終え帰宅すると父親はまだ帰ってきていない♥仕事が忙しいのだろうか♥
今朝父親に賞味期限の近い豚肉のあることを伝えていたので♥惣菜等は買ってこないだろうと思い生姜焼きを作る♥
長らく昼の司会者をしていた芸能人の生姜焼きレシピを試そうかと思うが小麦粉がわからず断念♥
料理酒の場所もわからないので醤油とみりんとチューブの生姜でなんとかする♥
味覚障害は改善しておらず味見はできないので味が物足りないときには醤油マヨ塩コショウあたりでなんとかしてもらおうと考える♥
サラダとしてレタスとトマト♥それときゅうりを用意するがきゅうりはやわらかく腐っているような感じがする♥♥
一応きゅうりも食卓にならべきゅうりがあやしい旨書き置きして閉店時間の早い書店へ急ぐ♥
書店で目的の本を購入し♥昨日のブコメから父親もきっとわたしと会話がしたかったのだろうと思いながら帰宅する♥
父親の帰りが遅いのはどうやら母親の病院に寄っているからだと判明する♥
1型糖尿病の食事療法のための入院なのでなんら心配はいらないのだが♥話し相手として行っているのだろう♥♥
父親と当たり障りなくおだやかな心地で会話ができた♥ブコメのおかげだ♥♥
きゅうりはやはりだめだったようだ♥
特にみたい番組もないねと言い合いながら父親と並んでおだやかにテレビを観た♥
タスクの増加に加え味覚がいつなおるかという不安でいつも以上に短気になっていたのだなと再確認♥
ご飯のあと忘れていた鳥小屋を掃除する♥ごめんごめんと言うが無視された♥鳥はかわいい♥♥♥♥
父親の寝たあと♥ちいさなホワイトボードに賞味期限の心配な食材をリストアップする♥
見える化♥♥
寝る前に庭に面する窓を閉めようとしたら外から猫の唸り声が聞こえてきたのでワ♥♥♥♥と脅かし追いやる♥
二度と来るな♥だが来るだろう♥
猫避け対策しなければならない♥♥
仕事を終え帰宅すると父親はまだ帰ってきていない!仕事が忙しいのだろうか!
今朝父親に賞味期限の近い豚肉のあることを伝えていたので!惣菜等は買ってこないだろうと思い生姜焼きを作る!
長らく昼の司会者をしていた芸能人の生姜焼きレシピを試そうかと思うが小麦粉がわからず断念!
料理酒の場所もわからないので醤油とみりんとチューブの生姜でなんとかする!
味覚障害は改善しておらず味見はできないので味が物足りないときには醤油マヨ塩コショウあたりでなんとかしてもらおうと考える!
サラダとしてレタスとトマト!それときゅうりを用意するがきゅうりはやわらかく腐っているような感じがする!!
一応きゅうりも食卓にならべきゅうりがあやしい旨書き置きして閉店時間の早い書店へ急ぐ!
書店で目的の本を購入し!昨日のブコメから父親もきっとわたしと会話がしたかったのだろうと思いながら帰宅する!
父親の帰りが遅いのはどうやら母親の病院に寄っているからだと判明する!
1型糖尿病の食事療法のための入院なのでなんら心配はいらないのだが!話し相手として行っているのだろう!!
父親と当たり障りなくおだやかな心地で会話ができた!ブコメのおかげだ!!
きゅうりはやはりだめだったようだ!
特にみたい番組もないねと言い合いながら父親と並んでおだやかにテレビを観た!
タスクの増加に加え味覚がいつなおるかという不安でいつも以上に短気になっていたのだなと再確認!
ご飯のあと忘れていた鳥小屋を掃除する!ごめんごめんと言うが無視された!鳥はかわいい!!!!
父親の寝たあと!ちいさなホワイトボードに賞味期限の心配な食材をリストアップする!
見える化!!
寝る前に庭に面する窓を閉めようとしたら外から猫の唸り声が聞こえてきたのでワ!!!!と脅かし追いやる!
二度と来るな!だが来るだろう!
猫避け対策しなければならない!!
数十年生きてきて,性欲があってよかったと思ったことは一度もない.
1人で致すときも女性と事を成す時も終わった後は「時間の無駄だ」としか感じない.
それでも暇な時間があるとついやってしまうのだから,賢者タイムの途中は本当に死にたくなるほど後悔するのを繰り返している.
性欲を抑える方法として一般的に食事療法が有名だが,試したところで欲が全くなくなる訳でもなく,根本的な解決策ではなかった.
動物性蛋白質をなるべく取らない,ノコギリヤシや豆乳などで女性ホルモン優位な状態を維持する…などを続けてはみたものの,栄養不足で元々少なかった体重がさらに減った上にスタミナが無くなり,日常生活に支障が出たためにやめざるを得なかった.
残る手段は医療機関の監修の元でホルモン治療を受けるか,陰嚢の切除,この2つだろう.どちらもリスクが高く,友人や親が知れば悲しむような手段だ.できることならやりたくない.
やり場のない不満と憎むべき性欲を抱えながら生きていくのは非常に辛く,精神衛生的によろしくない.いつか自己嫌悪の塊となって自殺することも考えられる.僕はできるだけ自殺なんてしたくないが,この気持ちを抱え続けて生きていくのは絶対に嫌だ.
性欲を無くすための現在の知識から導き出される最適解は「自分が男をやめることに対して悲しむ人々から縁を完全に切り,陰嚢を切除すること」になるだろう.
なんでこんなつまらないことで大切な人間関係を切り捨てなきゃいけないのか.しかし性欲への嫌悪感がギリギリまで高まった状況なら私はこの選択肢を選んでしまうと思う.クソが.
性欲が嫌いだ.こいつを殺せるならゴキブリ100匹と一緒にナメクジ風呂に入ったっていい.時間の無駄しか生み出さないのになんでこんなものが搭載されてるのか,本当に腹が立つ.女性がこっちを見るだけで腹が立つ.歩いてる女性を見てしまう自分をぶっ殺したい.
私は酒飲んでタバコ吸って読書してキーボード打ってればそれだけで幸せに暮らせるのに,人類にこんな呪いがかかってるおかげで人生の何十分の一かと意識のスループットの数分の一かを浪費しなければいけないのだ.マジでクソ.こんなことで悩む羽目になるなら,ミジンコかミドリムシとして生まれたかった.あー,朝起きたら陰茎消えてないかな.クソ.
死にたさが高まってきたから寝る.
数年前から、1ヶ月に1回程度、頭が痛くて、気分が悪くなって吐く。ということがあった。
よく仕事の休憩中とかに、吐いたり、昼飯抜いたりしてた。
それが、1ヶ月に2~3回とか、年数を追うごとに、頻度が増えていき、5年位が経ったくらいからは、毎日のように頭が痛くて、よく吐いていた。
酷い日は、一日中、吐いても吐いても吐き足らないというような状態だった。
それでも、運動不足のせいだろうと思って、ここまで病院には行ってなかった。派遣社員だったので、健康診断なんてものもなかった。
それに、平日も休めないし土曜も出勤の場合が多く、なかなか病院に行くことが出来ないというのもあった。
で、入院2ヶ月前くらいから、血尿が出始めたが、よく吐いていたこともあり、胃が悪いと思っていたので、胃炎で血尿が出る場合があるということだったので薬局で胃薬買ってきて飲んでた。
最初に買った胃薬を全部飲みきった頃になっても、一向に症状は改善しなかったので、別の胃薬を買って飲んだりしてた。
血尿は、最初は2~3日出て止まる、という感じで、出たり出なかったりだったが、出始めてから、2か月後の入院直前の頃には、血尿が出るのは当たり前になっていた。
最初は驚いたが、後半は、「あ~、今日もおしっこ赤いな~」って思う程度になってた。
まあ、おしっこする時は、血尿を見られないように立ち小便用便器は使わず必ず、個室に入るようにしてたけど。
それと、頭痛くて吐くのとは別に、入院1ヶ月くらい前からは、食べて30分後くらいに全部食べたものを吐いてしまうようになってた。それで胃が悪いと思ってたというのもある。
だから、その頃は、仕事中に吐きそうにならないように昼飯も殆ど食べてなかった。
でまあ、そんなある日、仕事から帰りお風呂に入っていたら、急に胸が苦しくなってきたので、急いで風呂から出てベットに横になったが、どんどん胸が苦しくなっていって死ぬかと思ったが、翌朝目が覚めたら何ともなかったので、仕事へ行った。
で、仕事から帰って来て、昨晩、風呂入ったら胸が苦しくなったので、その日はシャワーだけ浴びて寝ることにしたんだが、上手く説明出来ないが、胸が苦しくて咳が止まらなくなって、翌朝まで殆ど寝れなかった。それでもいつの間にか眠ってしまっていて目を覚ました頃には何ともなかったので、仕事へ行った。
自転車通勤だったが、いくらペダルをこいでも自転車が進まず、普段通りの時間に出たのに少し遅刻してしまった。
それで一日何とか仕事して帰って来て、食べると気持ち悪くなるから、おかゆを食べてみたけど、一口食べたら気持ち悪くなってしまって、それで夕食を終わらせてシャワー浴びて寝たら、また前日のように咳が止まらなくて眠れない。
もうこれは駄目だなと思って、ようやく翌日、朝一で地元の総合病院へ行ったら、「一応検査してみましょう。検査の結果は一週間後にまた来てください」ってなって、各検査室回って検査受けて、薬も何ももらえず帰らされた。
納得行かなかったので、別の開業医へ行ったら、レントゲンと脈拍測って「これは危険な状態だから、紹介状書くから、総合病位へ行ってくれ」って言われたから「朝、総合病院行ったけど検査だけして帰らされた」って言ったら、「今度は紹介状書くから大丈夫だと思いますよ」って言われて、開業医が総合病院に電話したら、「検査結果が悪くて呼び戻す電話を自宅にしてたけど連絡付かなくて困ってた」と言われたらしい。それで、病院戻ったら午前中の検査結果が全部出ていて、「全ての臓器に障害がでてて、普通歩けないはずだ」と言われた
「うちでは手に負えないので、もっと高度な病院に転送します」と言われ待たされたけど、結局受け入れ先の病院が見つからずその病院に入院した。
病名は、腎不全で、即日、人工透析をした。胸が苦しくなったのは、胸に水が溜まっていたからだそうだ。横になると、胃が上に持ち上がるらしく、間に水がたまっていたので、胸が押しつぶされた状態になり苦しくなってたらしい。
血圧は200を超え、体中内出血してて、体のあちこちにアザのような半纏が出来てた。
そこから1ヶ月半入院して、当初は一生透析生活になると言われてたけど、完全に腎機能が回復したわけじゃないし、将来透析になる可能性はあるみたいだけど、3ヶ月に1度通院して、毎日薬飲まないといけないし、食事療法しないといけないけど、今のところは、透析が必要ない生活が送れてる。
最終的に言いたいことは、健康診断は受けた方がいいよってこと。僕の場合、腎不全の原因は高血圧で、高血圧の原因は不明らしいけど、今は血圧下げる薬あるからもっと早く病院行ってたら腎不全にならずに済んでたらしい。病状が悪化すると医療費も高くつくしいいことないよ。