はてなキーワード: リアクション芸とは
クドカンはワード登録されてんだから文字リンク押せば見れるじゃん
https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%82%AF%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%B3
ワイは下記のように思いました。
でもまぁ、たとえ一部であったとしても、ちゃんと批判が起きているなら、TVの影響力はまだ完全には死んでないのかもね
増田や5chや𝕏の個人垢が呟いてるくらいだと思ったわ、今どきTVなんて誰も見ねぇだろって思ってたし
クドカンさんは1970年生まれなので1986年には既に物心はついていたと思うのですが、クドカンさんの出身の1986年の宮城県はあんな感じだったんですか?
少なくともドラマの舞台になっている1986年の東京は違いました。
というか長距離・中距離のバスならともかく(このバスもかなり限られている)路線バスってタバコどこも吸えなかったと思いますよ、
今どきTV観てるのはネットと親和性低い情弱(ネットやっていても検索すらろくに出来ないし、反AIやってるかAIって何?って層)か
普段から自分の目の前のことに全力コミットであらゆることに興味ない人は、単なる事実
増田でも謝らないが正解(https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#)がバズったろ?
実際、ナチス大学教授はしれっと復活してますしジャニーズも吉本もセクシー田中さんの件もクソやばかったですよね
やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる
平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別のオンパレードの
クドカンの『不適切にもほどがある!』だって悪い意味で話題になっていない
別に、メリケンや韓国のドラマ、恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、
どう考えても終わったのだと思います
しかしナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって
社会は人種ではなく知能で分断されている
クドカンの時代考証メチャクチャの「不適切にもほどがある!」と同じような
ネットがなかった時代のようにやりたい放題したいTVマンの怨念を感じる
つかクドカンの時代考証メチャクチャのドラマにも言いたいんですけど、
やりたい放題していたのは、TVマンや一部メディア(雑誌等の文業)の人間あって、一般人ではないです
おそらく、クドカンが『好』の感情を持っているだろう、ビートたけし氏も言ってましたよね?
『(熱湯に対するリアクション芸やいじり芸に対して) やらせじゃなかったら大変なことだよ』ってね
料理の仕方をYouTubeで検索すると有名な料理系YouTuberの動画がヒットすることがある
自分は陰キャなのでみんなが持て囃すようなものは敬遠していたのだけど、どうしても料理の仕方を動画で確認したかったのでちょっと試しに観てみようかと思い観てみたのだが、動画先頭のパリピ丸出しの挨拶でウワッとなり大きなジョッキに氷をぶちまけて酒を飲み始めた辺りで見苦しさに耐えきれずブラウザバックしてしまった
なんてすぐそんなふうに考えるのが陰キャの悪い癖で、思うに、世の中の人は見苦しい物が大好きなのだ
なんてすぐそんなふうに考えるのが陰キャの悪い癖で、たぶん、紹介してるレシピが素晴らしいから世の中の人は我慢して見ているうちに慣れてしまうのだろう
これは自分も経験があって、自分が大好きな生物系YouTuberも初めて見た頃は動物に赤ちゃん言葉で話しかける様が気持ち悪い事この上なかったが、今ではそれが面白いとすら思えるようになっている
そう、面白くなるのだ
思えばテレビ
昔、バラエティー番組を観なくなって久しく、ふと思って観たらリアクション芸人があまりにもあまりにも見苦しくてチャンネルを変えてしまったが、ああいうのが公共の電波にのるようになったのは視聴者が見苦しさに慣れてしまって面白い要素だけを受け取ることができるようになったからなのだろう
考えてみりゃ、自分だって子供の頃はたけし軍団とかいうオッサンの集団が半裸みたいな恰好になり理不尽な目に遭わされてもがき苦しむさまを見て大喜びしてたのだから、世間様の悪趣味をどうこう言えた義理ではない
そのテレビも今ではリアクション芸を誘発させる行為が子供の教育に悪影響という理由から自重するようになり、いよいよバラエティー番組は素性のわからん人達と昔テレビに出てた人達が何かをやっている虚無映像になってしまった
そりゃ、観る人いなくなるよな
しかし、不快なものは慣れると言いながら自分自身の不快なものへの耐性が弱まっているとも感じる
すでに慣れてしまったものは大丈夫だったりするので、これが歳のせいだとすると、これから超高齢化社会まっしぐらの日本は新たな不快要素を備えた新しいコンテンツを受容することなく葬り去って、自分が慣れた古いコンテンツを消費し続けていくようになるのだろうか?
うだうだ考えたことを書くだけ書く。
テロが原義で「怖がらせ」だとして(嫌がらせみたいな感じで)、「怖がらせ」か「怖がられ」かっていう話かと思ったんだけど、違うような感じもする。もうよく分からない。
正確には「怖がらせ(兼怖がられ)」か「(単なる)怖がられ」かってことになるけど、お笑い芸人がよく問題にする「笑わせてる」か「笑われてる」かに似てる。
その伝で言って、山上がやったのは鋭いツッコミなのかリアクション芸なのか天然ボケなのか。
テロ(怖がらせ)なんだとして、怖がらせられてるのは市民じゃなくて統一教会とつながり濃い政治家と統一教会の上層部なんだから、かまわない、だからテロと呼ぶのもかまわない、と言えなくもないはずなんだけど、言ってるの見ない。
なにやら「良いテロ」みたいなことになってくるが。
この立場からすると、テロも統一教会も許さないって言ってる人たちは矛盾して見える。
まあ「良いテロ」が矛盾してるんだけど。「レジスタンス」とかでもいいんだけど。(「レジ」って略称はなんであっちのレジに取られちゃったんだろうね。)
今日アメトークでダチョウ倶楽部やっててふと気になったけど、いつから「リアクション芸」と言うようになったんだろう。
こういう「芸」が全盛だった1990年代のバラエティをよく覚えているけど、当時は「られっこ」キャラの芸人に危険なことをさせて、痛い、熱い、苦しいと泣き叫ぶ姿を、俺たち視聴者はただただ純粋に笑っていた。上島や出川は「芸」だと思ってやっていたのかもしれないけど、観ている側からすれば、学校の教室のいじめをバラエティでリアルに再現していた(ように見えた)からこそ面白かった。
「リアクション芸」などという言葉ができたのは、たぶん2000年代後半ぐらいで、おそらく「いじめを助長する」という指摘に配慮するようになったのだろう。「お約束」が見えていないからこそ面白かったのに、「お約束でやっている」ことを強調するようになって「リアクション芸」は急速につまらなくなり、令和になって消滅しつつある。そしてそれはいいことなんだろうと思う。
そうそう、上島竜兵だって、おまえらが殺した訳だろ?価値観のアップデートとやらで。
自他ともに認めるリアクション芸で身を立ててきた上島に対して、
痛がる・熱がるとか追い詰められてキレるとかの、リアクションを面白がることはまかりならん、なんて死刑宣告を全力支持※して、まさに生き様を根底から否定して死に追いやっておいて、
いざ死んだら、「ご冥福を」だの、上島はいい人だったみたいな米した上に、自殺者が出ないようにメディアはガイドライン守れ、とか、どの口でどういう神経でいうわけ?
※
例1 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.infoseek.co.jp/article/president_57423/
例2 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220415/k10013583801000.html
上島さんが亡くなって、それについては悲しいの一言だけど、この際「リアクション芸」というのが個人的には苦手という死ぬほど嫌だったことを言っておきたい。かつては「リアクション芸」がはじまったら、速攻でチャンネル変えた。
ダチョウ倶楽部の中だけで熱湯風呂をやっているぶんにはいいだろう。しかし実際は、上島を熱湯風呂に叩き込む役割は、とんねるずやダウンタウンだったり、番組での立場が圧倒的に強いMC芸人だった。どう見ても、強い立場の人間が、弱い人間が苦しんだり痛がったりするのを見て楽しむ、というものでしかなかった。教室や部室の中のいじめやしごきをバラエティ風にしているだけである。あれをみんなが笑って楽しんでいる事実が、中高時代の自分にとっては自殺が思い浮かぶほどつらかった。
また、これがテレビの中で完結していればまだしもだが、決してそうではなかった。出川が繰り返し語っているように、リアクション芸人は街中を歩いてても、急に暴言を吐かれたり、軽く暴力を振るわれたり、自宅の前で騒がれたり、という被害を毎日のように直接受けていた。そういうエピソードを聞くたびに、リアクション芸人というのは、根本的に間違っているんじゃないかと思わざるを得なかった。
上島さんはリアクション芸にプライドを持っていたかもしれないけど、強い人間が弱い人間を痛めつけて笑うという、こうした芸は、もう令和の時代は完全に終わりにすべきだと思う。本当にそうなってほしい。
BPOが出演者が痛がる様子を笑いの対象にするようなバラエティー番組の演出について審議するとかいうニュースのブコメ。
ここ手の理屈は、その昔、連続幼女誘拐殺人事件が起きたとき、“ヤツの部屋にはアニメのビデオが沢山あった!アニメは人格形成に悪影響与える!オタク族は社会の敵!”と言われた頃と基本的に変わらんと思う。
“そういうバラエティー”がイジメを助長するとか、そういうバラエティーを見ない子供はイジメをしないって、なにか実証されてんのか?
ボクシングや格闘技の中継は相手の顔が変形して血が出るまで殴り合ったりして、それをみんなで娯楽として愉しんでるけど、あれは問題ないのか?
自分の周りにはお笑い好きで“笑ってはいけない”も出川のリアクション芸もダチョウ倶楽部も好きな人何人もいるけど、中学時代とか、どちらかというと“そこまでひどくないけど陰キャでうっすらイジメられる側”だったヤツがほとんどだぞ。
いや、ああいうのが笑えないって人がいてもいいし、最近はそういう人があんまりウケなくなったってのも分かる。
ウケなくなったから、だんだん衰退していくというのならば、それは文句をつけても仕方ない。
が、しかし、なにやらもっともらしい理屈をつけて“正義”に酔って抹殺しようとしてるのは、端的にいっておぞましい。
水曜のダウンタウンもダチョウ倶楽部も笑ってはいけないもアメトーークの芸人体当たりマン決定戦も、そんなことでなくなってほしくない。
あと、前々からうっすら思ってるのだけど、はてなって“いじめにつながるもの”が嫌いな人が多い一方で、割に無知とか勘違いとか、ちょっと知識のアップデートが遅れた人とかを見つけてきて晒し上げてみんなで叩いて笑ってじゃんけんポン!みたいなの好きな人多いよね。
Togetterで漫画レビュー書いて1万ビュー以上読まれると、
「三沢は紹介するマンガは素晴らしいのだが、レビューが下手くそ」
自分の想像を超えたマンガを見つけて、それをテンションで語って伝わらない…ってオタクにとって最上の幸せだよねww
「誰にでもわかる書き方で冷静に、紹介してる作品」
はまだ自分の想像を超えてないし、自分を突き動かすほどの面白さを見いだせてないんだよ。
ちょっとわかんない人が出るぐらいテンションが上がるモノを見つけて、早口になってる方がオタクとしては正しい
ぼくの作品紹介がリアクション芸や実況の側面を帯びるのはそういう理由です。
一言二言でサクッと説明できない作品はもう、心に残った言葉や、その言葉を巡ってあれこれ考えてる人間(自分)を見せちゃったほうが早いなぁ〜と考えてそこにたどり着くわけです
というコメが出るんだけど…あんたにさえ何度も目に入ってるし名前覚えてる時点で俺の勝ちなんだよなぁ〜
「俺くんが書いた記事ヒットして、同じ界隈の人に一通り読まれたよ」
って。
あとは好き嫌いに関わらず名前覚えられてるぐらいコンスタントにヒット作を出せてる実感を感じる。
…そうやって考えていくとこの人達って一瞬傷つくんだけど、ありがたいかな。
覚えてて欲しいとは思ってないけど、忘れられない程度の腕前ではいたいと願ってるからそれが証明されてありがたい
自分の好きなことを好きなように書いて、それが読まれる&レビューや商品紹介なら作者と自分にチャリンチャリンするの、マジで理想形なので、その方向で腕前が維持されてるならぼくは幸せです。
最近、なんかうまく行き過ぎてると思ったら、致命的な失敗に気づいて
ってなった。
ロバが馬になるわけじゃないんだからなにか見落としてる。
積み上げてきた努力が実ってきてるのもまた事実なんだけどね…。
ただ、調子に乗ったり、勝利の美酒だの次のステップだの余裕ができた時に生まれるものを考える段階じゃないよ。
勝ちなれてないやつはすぐ自滅する。
一区切りつくまで気を抜くな。勝ち始めてもまだ、勝ちきってない。いつもそうだ
ただ…自分がちゃんと勝てる自覚が出てきたのか、自分の失敗に気づいた時に「よく気づいた俺!」って思えるようになった。