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はてなキーワード: 小説家とは

2012-12-28

肥溜めに足を突っ込んでしまったSmartNews問題

SmartNews問題とは何か?

切込隊長のまとめが的確。

"smartnews"なるアプリがコンテンツ泥棒と批判された件で

SmartNews(Smartモード)とはどういう実装になっているか

SmartNewsは、ニュースタイトルタップされたときに、アプリWebブラウザニュースサイトを開きます。その後、スマートフォン接続環境上の理由でニュースサイトの読み込みに時間がかかる場合などのために、「Smartモード」としてキャッシュを表示できるようにしております

SmartNewsに関心をおもちいただいているみなさまへ

公式サイトの記事では「キャッシュ」という言葉でぼかされているが、ではこの「キャッシュ」とは何か。

SmartNewsのSmartモードでは、圏外の際にも記事の内容を読むことが出来る。ネットワークにも繋がっていない、スタンドアロンの状態で記事が読めるということは、記事の全文は、各ニュースサイトサーバでも、ゴクロのキャッシュサーバでもなく、手許にあるスマートフォンデータベースに格納されていることになる。

SmartNewsとは、つまり以下のような仕組みで出来ている。

まり、各ニュースサイトの記事を自サーバから配信しているだけではなく、各ユーザスマートフォンの中に挿入しているのである。これは新聞ポストに投函するのに近い。著作権的にはアウトな気がするが(詳しくないので詳しい人に解説を譲る)、ゴクロ社の言い分では「きちんと元サイトに誘導する導線を作ってますから、許してね、ね」という感じか。

著作権ユーザ利益など、サービスの企画など、雑感

著作権ユーザ利益というのは、本質的にぶつかりやすい。全ての小説家が書いた小説を全部無料で読めれば、ユーザにとっては利益があるが、作者の収益はなくなってしまう。その綱引きバランス調整を行うツールの一つが著作権なわけだけれど、少なくともwebにおける著作権の線引きって、多分にパワーゲームで決まることが多い。

Youtubeが出てきた時、「こんな著作権無視の無法サイトはすぐに潰れる」という声が多く上がった。だがYoutubeは莫大な訴訟を抱えつつ、多くの企業と折衝しながらルール確立し、未だなお多くの違法性を抱えながら現在社会的認知を得ている。Googleのページキャッシュなども同様。

ゴクロ社も、今後同じように、訴訟を起こされながら、各社と粘り強く折衝をし、線を引いていくという段階を辿ることになる。マネタイズは更にその先の話。ただSmartNewsが侵害している著作権の対象は、CGMであるYoutubeや、Botが収集し続けるGoogleのページキャッシュなどとは異なり、限定されている。故に訴訟の件数は抑えられるし、ミッションの難易度も低いのではないかと思う。ただしそれらは華やかな成功とは程遠い、汗臭いドブさらいのようなフェーズであって、一介のベンチャー企業にとってはしんどい道のりになるかもしれない。

サービスの企画会議なんかをやってると、この手の著作権侵害サービスって思いつく人は多いのだが、大体「それやばいでしょ」と一笑に付されて没になる。要は「そんなうんこにまみれるような仕事はやりたくないよね」ということだ。

ただ「やりたくない」と書くのはかっこつけすぎて、普通会社普通の人だと「出来ない」というのが正確だ。なぜなら、訴訟を起こされ、Twitter2chでは犯罪者罵倒され、無料アプリなので金は入ってこない、こういう仕事はしんどすぎるからだ。この手の仕事は「それ儲かりそうっすね」的な軽いノリで成し遂げられるものではなくて、なんともしてもこのミッションをやり遂げるという信念や欲望がないと、途中で折れてサービス自体が終わりを迎える。

なのでこのフェーズを乗り越えるには、CEOプロデューサー覚悟と使命感、体力と気力が必要になる。ここから先は小器用なだけでは乗り越えられない。ゴクロはもう肥溜めに足を突っ込んでしまったわけで、ここから死にものぐるいで戦って線を引き、コンテンツ事業者ユーザに新しい価値提供できるようになってほしいと思う。

2012-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20121213135347

個人的には、プログラマー知的産業だし、ゆえに50歳からが本番だし、中学生でもHello worldぐらいかけろよという話だし35歳で勉強を辞めるのはおかしいし・・・

ああ、そうなの?

プログラムって全くの門外漢だけど

知的なことが35歳でダメになるって言うのはさすがに早すぎておかしいと思ってたんだよね

35歳だったらほとんどサッカー選手と同じぐらいの寿命じゃん?

画家小説家だって35歳で終わりってことはさすがにないし、

なんなのかなって

2012-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20121119031158

リベラルアーツカレッジ専門学校なん?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8

ほとんどの場合大学院を持たず、教授学部学生教育に専念する。

著名なリベラル・アーツ・カレッジ出身

新島襄(同志社大学創立者) (アマースト大学)

内村鑑三(キリスト教思想家文学者) (アマースト大学)

本間長世(東京大学名誉教授) (アマースト大学)

千葉眞(国際基督教大学教養学部教授) (アマースト大学)

津田梅子 (津田塾大学創立者) (ブリンマー大学)

宋美齢 (中華民国指導者蒋介石の妻) (ウェルズリー大学)

永井荷風 (小説家) (カラマズー大学)

ジェームズ・ガーフィールド(第20代アメリカ合衆国大統領) (ウィリアムズ大学)

カルビン・クーリッジ(第30代アメリカ合衆国大統領) (アマースト大学)

ゴー・チョク・トン(シンガポール第2代首相) (ウィリアムズ大学)

スティーヴン・ソンドハイム(作曲作詞家) (ウィリアムズ大学)

ワン・リーホン(歌手俳優) (ウィリアムズ大学)

ウイリアム・スミス・クラーク(札幌農学校初代教頭・"Boys be ambitious!") (アマースト大学)

マイケル・ヘイデン・アマコスト(アメリカの元駐日大使) (カールトンカレッジ)

ジェフ・バーグランド (帝塚山学院大学教授) (カールトンカレッジ)

ウォルター・モンデール (アメリカの元駐日大使) (マカレスター大学)

ロバート・ノイス (インテル創立者) (グリネル大学)

ヒラリー・クリントン(元上院議員国務長官) (ウェルズリー大学)

マデレーン・オルブライト(アメリカ初の女性国務長官) (ウェルズリー大学)

コフィ・アナン (元国際連合事務総長) (マカレスター大学)

バラク・オバマ (第44代アメリカ合衆国大統領) (オクシデンタル・カレッジ最初の2年間。その後コロンビア大学に転学)

スティーブ・ジョブズ (前Apple Inc.CEO) (リードカレッジ(中退))

2012-11-07

俺はサザエさんフリークだ。

日本総国民がサザエさんを見ていると思うが、中でも息の長いファンだと言いたい。

よく、サザエさんを見ないと月曜が始まらないとか言うが

俺としては、四六時中「サザエさん」を録り込んだテープを回してるわけで

いつが月曜だか日曜だか、週感覚がなくなってきている。

うちの旧式のVHSビデオデッキの録画スケジュールから

サザエさん」が消えたことはない。

さて、「サザエさん」は主に2人の脚本家執筆している。

雪室俊一城山昇だ。

1話ごと、この2人のどちらが担当する回かを把握しておくことで

より楽しむことができる。

意識して見ているとだ、よりぬきサザエさんから引っ張ったようなエピソードでも

明らかに傾向が見えてくる。

雪室俊一。68歳の大ベテランで、時折あれ?と思うような昭和の古臭さを醸し出す。

このセンセの回はとりわけ子どもネタ振りに使うことが特徴的だ。

特にタラオ。

タラちゃんが、妙にませた物言いとんちんかんな事を言い始めたら

大抵、雪室作品だ。(2択なんだが)

よくあるパターンは、大人の会話を盗み聞きして、

タラ流なルールで使い始めるというもの

「おじいちゃん、○○は△△なんですぅ」とか自信たっぷりに言うと、

マスオ辺りが真に受けて、ますますタラオが増長し、

今日も磯野家はてんやわんや、、というパターン

幼いタラオをダシにした、微笑ましい大人目線のエピソード

こういった回が俺は大好きなんだが、その楽しみ方はちょっとヒネている。

雪室先生の豪腕は、大抵が超強引なオチ(もしくはオチなし)で締めくくられるからだ。

ドリフだと、セットがどがちゃかに壊れてそのまま次セットと入れ替わるような感じ。

始まったらまずタイトルを確認。

(実際は前の週の予告の時点で、「タラちゃん 小説家になりたい」とか

怪しげなタイトルを見た時点で一週間胸がワクワクしっ放しなんだが)

で、子どもが絡みそうなタイトル且つ、次に脚本家雪室俊一名前を見たら

その回は“当たり”だ。超強引なラストが待ちうけていることが確定。

後は、誰が、どう強引にオトスのかを予想しつつ、そのオチパターン脳内

1話10分の間に『よりぬきサザエさん』の膨大なエピソードの中から探していく。

アニメサザエさん」は、大抵1話の最後に、

その回の流れに かするくらいのエピローグエピソードが入っている。

これ、必ず長谷川町子4コマ漫画オチから引っ張っているんだが、

どれが使われるかなかなか当たらない。

うちにある68巻ぶんの『よりぬきサザエさん』と、

俺の見続けている20年以上の放送傾向の中から探るわけだが

こいつが相当に難しい。過去問だけじゃ試験突破できないということか。

特に最近雪室俊一脚本には新しい傾向が入って来ている。

そいつが、カツオと花沢さんのエピソードだ。

10年、20年前にはなかった、この少年少女が二人きりで行動するような回が

ここ数年の間、頻出している。

進学塾なら講師が花丸つけるくらいの、要注意ポイントだ。

昔、花沢さんがイイ女だ、という話をここで書いた記憶があるが、

最近の花沢さんは、着々とカツオとの二人っきりの時間を持ち、

要所要所でカツオサポートし 磯野家にも頻繁にあがりこむようになってきた。

花沢不動産にて、親のいない間に二人で密談する回なんてざらだ。

もしクラスメートに見られたら噂になっても仕方ない状況だし、

このカップル誕生のお陰で中島カオリちゃんの登場回数が激減している。

こいつは、雪室の陰謀だ。雪室俊一カツオと花沢さんをくっつけたがっている。

そういった目線で見ていると、実に花沢さんのアプローチが的確で、

カツオもまんざらではないという形が出来上がっているか分かってくる。

そんな、脚本家に ひいきにしているキャラクターがいると“思い込んで”見るのも

楽しみ方の一つだ。

そして、ひいきキャラにもブームがあることも覚えておくといい。

実際、今はタラオ>イクラ、だし

(昔昔はイクラが最強だった時代が確かにあった。政権交代したようだ)、

フネノリスケジョーカー的な存在である

ここ最近ノリスケぎゃふんと言わされる回にはまず出会った事がないし、

フネは常にスーパーウーマンだ。

俺の中ではフネ最強伝説がある。

フネ波平を手の平の上で転がし、波平のちょこざいな隠し事なんぞ

フネは全て把握している。

そう“思い込んで”見ると、フネの言動の端々に

ギラッと光るものが隠されているのが見えてくる。おーこわ。

そして、サブキャラ子どもへの思い入れが強いのか、

よく主役であるサザエが置いてきぼりにされる。

続けて意識して見ないと分からいかもしれないが、

サザエはお飾りの存在だと思う。

どうも、雪室俊一は、古典的な話作りが芯にあるのか、

起承転結、序・破・急の構成が強く分かりやすい。

原作通り、実に4コマ的で、出だしから先読みできる。

雪室俊一脚本サザエさんはもう、

予想ゲーム推理ゲーム感覚で割り切って見た方が、断然面白い

子ども中心に見るのと、大人中心に見るのとで、

全く捉え方が変わってくる。

そして今日も、俺はタラオエピソードを心待ちにしている。

カツオと花沢さんの密会にドキドキする。

そして次週予告でじゃんけんの前に

タラオがメインってことは・・・・・・雪室俊一か!」と一人ごちる。

脚本家雪室俊一で見るサザエオススメだ。

2012-10-30

今そんな力量のある小説家現代にいるだろうか?

尼崎のあの事件を素材に多数登場人物が登場させ、バイオレンスを維持してミステリー性を失わず自然主義で書ける作家

ルーゴンマッカール叢書のシリーズで『獣人』『居酒屋』『ジェルミナール』を書いた故エミール・ゾラ以外に現代に居るだろうか?

あの事件は名作ホラーミステリー小説『黒の家』以上

ミステリー」「恐怖」「バイオレンス」を現実やすやす凌駕してしまったのでそれ以上のレベルを書ける作家となると思い当たる人がいない

2012-10-23

愛の二ツ名

その名は萌え

萌え定義って結局決着ついたの? サブカル文化論とか社会学界隈で。

舞城王太郎が(確か『阿修羅ガール』あたりで)ちょっとカワイソーな事になった顔のいい同級生を「えーかわいそうだよ」「謝ってあげなよ」と庇うモブクラスメートに対して「萌えてんじゃねーよ」と言ってのけて、ああこれって萌えなのか、言われてみれば萌えかもな、上手いこと言うな流石小説家、みたいなことを思ったことがあったんだけどあれって結局なのかってズバリ言い表せた人とか言い表そうとして失敗してる人とかいないの?

俺は萌えを殺したい。

いい加減何にも萌えないようにしたい。

何にも萌えない人間になりたい。

萌えは愛だから萌えを捨てるとは愛を捨てる事であってそうすると心が乾くとか錆びるからやめろみたいなことを言ってくる奴がいるんだが冗談じゃない。

萌えが愛であるはずがない。少なくともアガペーでは絶対ない。エロスではありうるかもしれない。

しかし心を潤したり磨いたりするのは本質的アガペーであってエロスではない。つーか心が乾いたり錆びたりで死にそうになるのはエロスのせいだと思うの。

ただその先へ進めない。アガペーエロースの分類に従うと。

与える愛と渇望する愛との二分類は「こんな心理になるのはクピドの矢に刺されたせいですよ」という説明付のための分類であり言わば出発点であって、それぞれの愛の性質の羅列にはなっても分解はできてない。

サブカル界隈、萌え定義あたりからそこんとこ突破した人誰かいないの?

教えてエロい人。

そしてこの愛を殺して。

2012-10-13

春樹氏がDisられてるぞ!

おい、おまえら天才左翼政治系目立ちたがり系小説家の春樹氏が侮辱されてるぞ!

やれやれ、ぼくはまたか、と思った。

http://anond.hatelabo.jp/20121013022601

村上春樹ファンへ 「売れっ子芸人小説家ってなんで政治を語りたがるの?」

村上春樹氏本人や春樹ファンの方は気分を害すると思うので、ぜひとも読んでください。

私、朝日新聞の一面の村上春樹の論説について怒っています

というのは、村上春樹氏というただの小説家であって、政治外交素人の論説をまるで

専門家見解のごとく新聞の一面に載せて、国民啓蒙しようとしたからです。

春樹氏の主張もド素人の一意見に過ぎないという意味では、

TVタックルで怒ってる大竹誠の発言と同レベルなんです。

なぜ、そんな人の外交に関する論説を朝日の一面に載せるのでしょうか?

大竹誠が政治問題を語って、朝日新聞投稿したら

新聞の一面に載せますかね?

普通に考えたら、載せませんよね、載せるほうがおかしいです、ええ。

しかもこれって春樹氏側が論説を反日デモの翌日に朝日新聞投稿したんですよね?

「ぼくが書いた論説のチカラで国民の目を開かせてあげたい、正しい道を示したい。だからおたく新聞の一面にこれ、載せてよ」

ってことですよね?

何様もツモリなんでしょうか。

春樹氏の意見が正しいかどうかは知りませんが、

春樹氏が小説家ではなくタクシーの運ちゃんだったら、

その論説を載せましたかね?

小説家見解 = 専門家見解であるかのごとく

新聞に飾るのやめましょうよ。

大江健三郎さんもそうだけどさ、あなたたち、ド素人見解じゃないですか。

文章が上手で読みやすかったけど、主張自体はそんなに価値のある論説ではなかったでしょう?

文体ごまかしてますけど、その主張の根拠もあやふやだったり、根拠そのもの存在しなかったりしてましたよね?

私、知ってますからね。

あなたの論説の中に 主張をささえるべき接続詞 Because がほとんど出て来なかったこと。

ずるカシコい人だなあ、と軽蔑しましたよ。

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旧帝卒 サラリーマンアマチュア小説家より

2012-09-12

有料コンテンツ玉石混淆

増田の母の親戚が、絵本出版したとかで見せてもらったけど読むに耐えなくて内容はおろかタイトルすら記憶にすら残らなかった

逆に有名小説家多作長編シリーズ過ぎて、脇役の髪の毛が金髪から黒髪になっていたり設定忘却、誤字は当たり前という作家でも読者をワールドに引き込めるだけの

幻想力があればファンは文句を言いつも小説を毎回本屋で買うから

今の時代無料コンテンツを出してネットメディアである程度注目を集めてから、売り出したほうがいいのかもしれない

人を引寄せる文章ではない芯からダメコンは無料であっても話題にはならない

2012-09-11

ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった」に対する考え

http://togetter.com/li/363578

これは別にプロがひがんでるとか、既得権益の消滅の話をしてるんじゃない

文章を書いて売るという市場自体が成り立たないと言ってるんだろ?

まりにも理解してない奴らばかりで、びっくりして書き込んでるんだが

まりはさ、創作活動をしつつも金を取らないor殆ど貰わない人間が増えたって事だろ

それが続けばどうなるか

決まっている

金を払わなくても手に入るなら、金を払わなくなるだけだ

個人でやろうが、集団でやろうが、会社としてやろうが自由だ

同人商業経済活動だ

けど、そこで金を取らなくなったら市場は成り立たない

しかし、現実に金を取らない創作物は増えた

特に、文章においてはだ

twitter2chブログはてな等々で書かれている小説評論

小説ならまだ辛うじて生きる道があるかも知れない(勿論、程度にもよるが)

小説家という職業認知されているし、それで金を得ることが常識であるし、個別的な勝ちが認められるから

しかし、評論というものに金を払う風潮はない

あらゆるところで玉石混同で溢れかえり、飽和化もしているからだ

そうなれば、評論を始めとした小説以外の文章は売れなくなる

ネットで読めば、ネットで書き込んで交流すればいいじゃん」になるから

2012-08-10

アニメータースタッフ本についてもやもや

アイマスまどかを始めとするアニメータースタッフ本について

こういう原作ファンにとってほぼ公式として受け取られかねないような本はもっとこっそりひっそりやるか、

何千部単位で刷るような規模でやるならちゃんと権利関係クリアにして企業で申し込むなり

商業ベースに乗せるなりするべきなんじゃないかなあ。

特にまどかみたいにオリジナルアニメ場合会社的にもクリアにしやすいんだから

企業としてスペース取って会場限定同人誌として売るべきだったんじゃないかと…、

版権アニメスタッフ本の話を目にする度思うんだけど

自分権利がない、仕事で関わった作品の仕事内容を

許可とらずに公開したり売る事自体も、どうかと思ってしまう。

仕事で関わっていない作品の同人誌なら個人のファン活動ですよーって建前も使えるが

スタッフ本は難しいんではないかな…

はてブコメントにもあったけど、小説家漫画家自分権利持ってる自分の作品の資料集を出すのとは全然違うし。

勝手にやってる二次創作が溢れかえってるコミケで何いってんだと思う人も居るかもしれないけど、

それとはまた違う違和感が拭えない

有名原作コミカライズをやってる作家編集部や版元に無断で線画集設定資料集出してたらありえないと感じるけど

アニメスタッフ本てそれのさらに規模が大きい版のような…そんな感じ

作品ごとにスタッフが集まって出すスタッフ本って

アニメーター個々人がいろんな作品の原画自分原画集として細々売ってたのともまた違う感じがする

まりにも公式らしさが強すぎるし、個人の活動ですというには

公式スタッフが集まりすぎてるし規模が大きくなりすぎてきてるんではないかなあ

現場アニメーターさんに還元してあげたい気持ちはすごくあるんだけど

こうやって作品名をガッツリ使ったスタッフ本でやるのはどうも違う気がしてしま

考えがまとまらないけどどこかに書いておきたかった…

スタッフ本に感じる違和感をうまく説明してくれてる人いないかなあ

ずっともやもやしてる

2012-05-28

studygift自分用まとめ2

http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き

佐々木俊尚の反応(途中切込隊長含む)

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324

なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。

https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312

いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384

公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。

https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169

先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409

おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608

私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値共鳴している点で全幅の信頼を置いています

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865

そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?


批判コメントにはレスしていない

先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。

 一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット

 たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。

家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU

 個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットオープン場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから

 だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。

 そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygift坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。

 Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈時代だ。

 しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygift拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。

 ネットを活用した個別包摂セーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。

■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA

 無償リスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。

 すべての人々が平等包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂戦後社会でも平等幻想しかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しか社会包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。

 自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュタリアリズムリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。

 そう期待したいけど。

いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。

上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います

勝手にやりゃええ話やと思います

ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシー晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。

の子20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。

上田 康之 そんな心配さえ、おせっかいなんですかねぇ・・・

最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。

寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ自分なのだ。」と。

http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416

最上 雄太 失礼。途中で送信してしまいました。

で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。

不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。

先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。

今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?

この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。

皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。

おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……

おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂ネット差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。

川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...

Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。

くらまりょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万必要です、みたいな。

しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。

はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。

上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。

もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います

はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。

今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います

おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。

はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftウェブで展開する事の意義だと思います意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去遺物になってるんだから知的ブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。

G.k. Woody 「援交(個別包摂赤線社会包摂)」

芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイト別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。

金くれ

kanekure.ssig33.com

松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまます。その問いかけはたしか社会起業家サッチャーレーガン社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思いますしかstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています

とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。

荒巻 里江 個別包摂社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。

稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂はいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります

小林 啓一  私も次長課長河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。

これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています

まり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。

しかもそれに対して、それこそ非当事者当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。

こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・

佐々木 俊尚 小林さん、まったくその通りで全面同意です。

佐々木 俊尚 叩きやすものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。

おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?

河村当事者でないものもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。

荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論いますしかstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います

Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネット人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?

Shuichi Asai あと「ドヤ顔勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。

木下 孝二 生活保護の件、社会包摂不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますからパブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。

木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存クローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思いますstudygiftはいきなり全公開ですからちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。

最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔かい言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラル視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます

尾田 将史 突然のコメント、失礼します。

佐々木さんの論考には賛同しかます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネット時代の個別包摂からといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。

そもそも包摂とかコミュタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。

やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。

てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。

「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初からぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15

2012-05-10

増田オタクと戦ういつもの人へ

1

http://anond.hatelabo.jp/20120510110120

その差、内面の差を見極める能力オタクには欠けている。だから小手先勝負の外見チェンジだけで落とせるのだ。

黒髪だと言うだけで、おとなしくて清楚な感じ、処女っぽい、と思い込む。あまりにも簡単。

何か根本的に勘違いしてるようだけど

そもそも茶髪オタク男に嫌われるなんていう事実は無い。

茶髪女がオタク男に接近したいという場合

わざわざ黒に染め戻す必要なんかゼロ


メンタル系の病気のため働けない、自活できない女には、寄生先としてオタク男をおすすめする。

こういうのを受け止める度量も趣味オタク男には無い。

バンギャルだった過去や、同棲していた過去リストカットオーバードーズしていた過去喫煙過去

色々あるだろう、そういったものコミュニケーション能力の高い男には読み取られてしまう。

それらは強烈過ぎてどんな相手にも必ず察知されるし

その上でオタク男は「ビッチ」として即シャットアウトする。(たまに変な風に入れ込むけど…)。


現実にはそういう子をあまり気にせずに受け入れる男は「コミュニケーション能力の高い男」クラスタに多い。

良くも悪くも重く受け止めないで流しちゃうことが出来るから

というかあなたにもう少し実際の

メンヘル女」や「コミュニケーション能力の高い男」の知り合いが多ければ

この組み合わせがとても多いことを観察できていたはず。


2

増田でよくオタクとかもてない男とかについて

一生懸命馬鹿にする文章を書いてるのって

全部同じ人か、数名の固定メンバーのような気がする。


あなたの文章が大抵トラバブクマゼロ

まり面白くないのは、

とにかく現実をきちんと観察してないから。

あなた必死に叩く「オタク欠点」は常にリアリティやディテール全然無いの。


自分の頭の中だけで「オタク」「処女厨」を作って

いつもそれだけを参照しながら「ほらこんなに駄目だ」って唾を飛ばして力説してる。

経験の乏しい小説家志望の人物造形みたいな感じっていえばいいのか、

掘り下げや厚みが足りない。


本当のオタクはもう少し入り組んだ感じに駄目だし

頭で考えただけじゃ思いつかないような側面で駄目なのね。

そこは現実に興味を持ってないとわからないし、

観察力を鍛えてないと目に入っても読み取れない。


オタクに限らず。

あなたの話に出てくる「メンヘル女」も「コミュニケーション能力の高い男」も

全部ステレオタイプで、その人達の実際の生活を見たことないのが伝わってくる。

一番悪いのは、経験だけじゃなくたぶん興味も乏しいところ。


3

自分の頭の中の「敵」像を繰り返し参照して馬鹿にしてヒートアップするのって

煮詰まっちゃった政治クラスタの右や左の人達にも多いけど

これはどれだけやっても全然新しい世界が見えないし進歩もないの。

でも中毒性だけはすごいから、本当に注意して欲しい。


自分の脳の中に出来上がってる「型」や「パターン」に固執するんじゃなくて、

目の前の人や物事にもっと関心を持って欲しい。

実際の人間もっと複雑に味わい深く駄目なものから


すぐ脳の同じシナプスで処理しようとするのをやめてみて欲しい。

自分」&「過去」より「世界」&「今」に興味を持つっていうこと。


まりそれは自分以外のものを愛してみるっていうことだけど。

2012-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20120413202433

イラストが安く買いたたかれる問題。

いきなり自分語りでなんなんだが、自分はいちおうプロ小説家である会社員をしながら、日曜にちょこちょこ書くだけの小説家からプロです、と言い切るにはいつも引け目を感じているが、収入的には小説家仕事だけで年収500万円くらいにはなる。ジャンルが偏っているので、ほとんどの人は名前を言っても知らないだろうが。そこから得られる分だけで生活していける収入があるという意味では、プロを名乗っても差し支えないと思う。

たまにしか更新しないブログやマスダで、社会問題やら何やらについて書くと、内容から離れて、文章を褒められることが結構ある。プロ並だとか、カネがとれるレベルだとか、内容ではなくて文章についてそう言われる。こちらとしては、そういう文章はまったく推敲もされていないし、勢いだけで書いた駄文である場合が多い。そもそも小説の文章の作法と、ジャーナルな文章の作法全然違う。それでもそう言われることがままあるということは、ネット上にこれだけの日本語テキストが氾濫しながら、プロセミプロの水準に達している文章が少ないからではないか

日本人なら普通日本語テキストを書ける。プロ編集者が手を加えれば、それなりに読める文章には誰のものでもなる。ただ、読める文章と読ませる文章は決定的に違う。決定的と言ったわりには、それが何なのか、私自身把握していないが、ともかくその、ぼんやりとした決定的な要因によって私は飯を食えているわけである

音楽イラスト比較しても、一見、特別な技能必要としない分だけ、文章の世界参入障壁が低い。参入障壁は低いが、じゃあ、試になにか作品を書いてごらんと言われれば、百人中九十人はまず作品を完成させることが出来ない。逆に技能が占めるウェイトが高い分だけ、技術が伴っていなくても音楽イラストでは形にしてしまえばそれなりのオブジェになってしまうということはあろうかと思う。小説の文章は特に、構成力、表現力、構築力、ストーリーテリング技術等々すべてがコントロールされて初めて形になり得るので、実際には参入障壁がそう低いわけではない。

参入障壁が低ければ市場崩壊するのか。

経済学的に言えば、そうであるかも知れないが、いちおうはプロ表現者の実感から言えば、一概にはそうも言えないような気がする。私程度の書き手であっても、注文にすべて応じ切れているわけではない。新規参入者が増えて膨らむのは生み出される小説全体のストックであって、私の作品のストックではない。

司馬遼太郎の作品と私の作品の長さが同じだから市場価値が同じだと言うことがあるだろうか。司馬遼太郎の作品の代わりに私の作品がなり得るだろうか。そんなことはあり得ない。司馬遼太郎の作品は司馬遼太郎しか書くことが出来ず、司馬遼太郎の読者が求めているのは司馬作品であって、他の作品は代替にはならない。究極の参入障壁ではなかろうか。

イラストでも事情は同じはずだ。他から隔絶した個性を持った作家の作品は、百枚の中に紛れていても、誰が描いたかすぐに分かる。その人の絵を描けるのはその人だけなのだから、その人の絵に訴求力があるならば、他の人の存在によって描き手としてのその人が脅かされることはない。

創作活動は究極の個人活動だということを忘れてはならないと思う。その活動をマスな視点だけで見ていては、現状を見誤ると思う。素人の作品に脅かされるのは素人だけだろう。

2012-04-14

レオトルストイ (ロシア思想家小説家

お金奴隷の新しい形です。それは 人格を持たないことから 特別扱いされてきました

主人と奴隷の間に 人間的関係などないのです』

レオトルストイ (ロシア思想家小説家

中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20120401072948

感情の赴くままコロコロ主義を変えて

自分の発言に責任を取らないってことだな。

名前を出したら怒る某小説家」より無責任

2012-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20120328111710

bbaacだった

http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/bbaac.htm

性格

かなり自分勝手で我儘なタイプですが、分析力や判断力はかなり高く、大人の思慮と云うものは、十分に持ち合わせて居ますので、相手の出方や反応が或る程度予測出来た上で、自由奔放に振る舞っている様な所が、見受けられるタイプです。云うなれば、横着を決め込むタイプともいえます理想の高さや責任感、道徳心などは極く普通タイプですし、周囲の人々に対する思い遣りや同情心なども極く普通です。欠点は唯一つ、我儘と妥協を知らない事です。今後は、他人に対する気配りを疎かにしない事が肝要でしょう。

恋愛結婚

無茶苦茶を云うタイプではありませんが、結婚生活に馴れて来るに従い、配偶者に対してかなり自由奔放に振る舞うタイプです。家庭の内外に於て、主導権を振るいたがりますセックス面では、濃厚なプレイを追求したがるタイプで、自分勝手な所が多いでしょう。身分相応の生き方が出来るタイプなので、経済的な破綻を招く様な事は少ない筈です。配偶者を選ぶ場合ポイントは、気配りが細やかで、趣味セックスを貴方の好みに合わせて呉れそうな相手を選ぶ事が、大切でしょう。

職業適性

好奇心が旺盛で、想像力、分析力が優れて居ますから小説家コピーライタールポライターゴーストライター新聞記者雑誌記者などの文筆業か、芸能、芸術関係の自由業に適性が多いでしょう。真面目腐った職業や、堅い一方の仕事では、すぐに興味や意欲を失って、永続的に欠けるでしょう。

対人関係

人付き合いが下手なタイプで、相手の神経を逆撫でしたり、相手の気に障る様な事でも、平気で云ったり遣ったりするのが、最大の欠点です。今後はもう少し、細やかな気配りの欲しい所です。貴方が適当な我慢や妥協をする事を覚えたら、素晴らしく均整のとれた性格になるでしょう。

性格
かなり自分勝手で我儘なタイプですが、分析力や判断力はかなり高く、大人の思慮と云うものは、十分に持ち合わせて居ますので、相手の出方や反応が或る程度予測出来た上で、自由奔放に振る舞っている様な所が、見受けられるタイプです。云うなれば、横着を決め込むタイプともいえます理想の高さや責任感、道徳心などは極く普通タイプですし、周囲の人々に対する思い遣りや同情心なども極く普通です。欠点は唯一つ、我儘と妥協を知らない事です。今後は、他人に対する気配りを疎かにしない事が肝要でしょう。

恋愛結婚
無茶苦茶を云うタイプではありませんが、結婚生活に馴れて来るに従い、配偶者に対してかなり自由奔放に振る舞うタイプです。家庭の内外に於て、主導権を振るいたがりますセックス面では、濃厚なプレイを追求したがるタイプで、自分勝手な所が多いでしょう。身分相応の生き方が出来るタイプなので、経済的な破綻を招く様な事は少ない筈です。配偶者を選ぶ場合ポイントは、気配りが細やかで、趣味セックスを貴方の好みに合わせて呉れそうな相手を選ぶ事が、大切でしょう。

職業適性
好奇心が旺盛で、想像力、分析力が優れて居ますから小説家コピーライタールポライターゴーストライター新聞記者雑誌記者などの文筆業か、芸能、芸術関係の自由業に適性が多いでしょう。真面目腐った職業や、堅い一方の仕事では、すぐに興味や意欲を失って、永続的に欠けるでしょう。

対人関係
人付き合いが下手なタイプで、相手の神経を逆撫でしたり、相手の気に障る様な事でも、平気で云ったり遣ったりするのが、最大の欠点です。今後はもう少し、細やかな気配りの欲しい所です。貴方が適当な我慢や妥協をする事を覚えたら、素晴らしく均整のとれた性格になるでしょう。

増田無気力な奴が多いのか

http://anond.hatelabo.jp/20120328111710

http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/ccacc.htm

性格 
貴方は宇宙人の様な方です。世俗にまみれたあらゆる物事に興味も無いし、何もする気が無いのです。全ての物事の表裏が見えすぎて、精神的に超越してしまったのです。哲学者神様を一緒にしたような存在になったのです。以上は好意的な見方をした場合であって、普通見方をすると、ルーズで冷淡で気儘放題の能面人間と云う事になります恋愛結婚 
人間失格的な面を、余りにも数多く持ちすぎている為に、恋愛結婚真剣に考える様な事は、殆ど無いタイプでしょう。又、仮りに結婚したとしても、永続きするとは、とても思えません。 

職業適性 
百に一つ位は、貴方に適した職業が有るのではないかと考えてみた場合、星の研究家か、虚無的な内容の空想小説家です。 

対人関係 
生まれた時も一人なら、死んで行く時も一人。所詮人間孤独な生きものであるから、他人に頼ったり頼られたりすることは、宇宙の真理を弁えない愚者のする事と悟った様な、悟らない様な人生感を道標にしているタイプです。

お、おう…。

2012-03-14

10年後…

個人的な予想です。間に受けないでください。

今の1/3以下の規模になっている業界


自営業個人商店、飲食など)、フリーランスWebページ作成小説家など)

 歯医者や目医者床屋は多すぎると思いませんか?

 個人の力量がはっきり出る自営業フリーランスほとんどが、生活困難なレベルにまで落ちるでしょう。

 しかし一部のカリスマ性を持った人間には仕事が集中するため、その人達収入が今の2倍以上になるでしょう。

出版

 大きい体力のある出版社と、ニッチ特化の会社以外はなくなるでしょう。

 インターネットに逃げるか、紙に固執するか、どちらにしても厳しい戦いになりそうです。

ゲーム機メーカー

 残念ながら、この分野において日本アドバンテージは無くなってしまいました。

 積極的に技術開発、公開を進めない限り、未来はありません。

今の6割以下の規模になっている業界


新聞

 おそらく最も今後10年で、つらい立場に置かれるであろう業界です。大新聞一社は潰れるかもしれません。

 地方新聞は統廃合が進むでしょう。

テレビ

 なくなるとは言いませんが、今までの殿様商売は期待できません。

 今のラジオ的なポジションに落ち着くでしょう。

 はっきり言って、今のテレビには魅力がありません。

印刷

 紙への印刷以外の収入源を持たない会社は、潰れるか、大手に吸収されるでしょう。

 大手の一社は大幅な方針転換を行うかもしれません。

地方鉄道JR含む)

 地方から人がどんどん減っていくため、大容量輸送手段としての鉄道価値は無くなります

 既存路線がバスに置き換わっていくでしょう。北海道四国中国山陰地方の各鉄道会社は今以上の覚悟が必要になります

・軽電(家電、弱電)

 半導体を作ったり、パーツを組み合わせて家電を作ったりする仕事は今までは割のいい仕事でしたが、これからはそうはなりません。

 技術労働力アドバンテージ日本に消滅してしまった今、アイディア特許でしばらくは持つかもしれませんが、今後どうなるかは不透明です。

 真に業界のことを考えるのであれば、大規模な吸収合併が必要でしょう。日本メーカーは多すぎます

 

家電やその他の量販店

 家具家電パソコン店頭で売る必要はどこにあるのでしょうか。

 郊外に置かれた巨大な量販店ほとんどが店じまいするでしょう。

パチンコ

 いくら何でも作りすぎた感があります。客は今後携帯ゲームに流れるでしょう。

 地方が衰退するのと一緒に衰退していきます

・風力、太陽光

 効率の悪いこれらを押す動きは今は持て囃されていますが、そろそろ限界に近づいています

 従来の原子力、火力、水力に回帰していくことでしょう。

教育

 進研○ミの漫画楽しいですが、この業界少子化の影響が止まらない限り未来は全くありません。

 塾や習い事と言った子供相手の業界人もっと真剣少子化対策を訴える必要があります

今の8割以下になっている業界


地方電力、ガス

 この分野は人口がそのまま収益に直結するため、地方における人口減は組織維持の死活問題になります

 騙し騙し使ってきたインフラ設備限界に近づいた時、国に支援を行う体力は残っていないかもしれません。

地方公務員

 楽な仕事給料をもらえる市役所窓口職員や国立大学職員になるのは今までは魅力的でした。今後は逆になります

 日本公務員全体を食わせることができなくなりつつあります。人が入ってこない以上、仕事量は今の倍になるでしょう。

 自衛隊消防警察教員には若干の補填が行わるでしょうが、それ以外の待遇は悪化するでしょう。

不動産金融銀行

 日本全体の価値が沈んでいく以上、不動産金融商品も一緒に値下がりします。

 買う人も、売る人も少なくなれば、業界全体が縮小するのも納得です。

重電、強電

 日本全体が沈んでいく以上、インフラ設備は今以上に延命されるでしょう。新規発注は少なくなると思って間違いありません。

 希望があるのは軽電と違い、まだこの分野においては若干日本が先行しているということです。沈みきってしまう前に海外を目指すべきです。

IT

 個人的にはIT未来は無いと思っています。6割以下に入れても良かったと思っています

 物を運ぶ必要がない、データでやり取りできるというのは、仕事流動性が非常に大きいということです。

 今は日本語の壁に守られていますが、企業の、英語の出来る人材は増え続けています

 ゼネコン式の労働集約産業で在り続ける限り、仕事日本から流出していくことでしょう。

成長産業

携帯ゲーム

 パチンコ、家庭用ゲームゲームセンター人間なだれ込んできます

 インターフェースの修正が進めば、囲碁メダルゲームをやっているような高齢者も流入してくるでしょう。

 課金システムが整備されれば、今以上の搾取が可能です。

外食コンビニ人材派遣介護など

 行き場を失った人間が配給され続けるので、成長して行くことでしょう。低賃金、過密労働が大きな社会問題になります

追記1

>バカと老人…

家電量販店が無くなるとは言っていません。ただ、郊外型の巨大店舗は無くなるであろうと言っているだけです。

街中の駅前は残るでしょう。

バカはそういった店で買います。街に行くわけです。

地方に残った老人は、今後家電なんか買いに行くことはなくなるでしょう。彼らはおそらく電話で全てをすませます

追記2

>多分、誰もがうっすら気づいていると思うが、人口減少することによる市場の縮小は避けられない。

日本全体が沈下していくことは明白なので、これから成長するには他者から奪うか、海外に逃げるか、単価を挙げるかしかないわけです。

>目先の仕事で手一杯

貧すれば鈍す。物質的、時間的なゆとりが無くなった日本ドラえもんは無理ですね。

>そこらへんが書かれていないので、なんとなく人間何もすることなしに弱っていく未来しか描けてない

>みんなが意識してないようなものあげて見せろよ

10年、20年の短期間では社会人間も変わらないというのが私の意見です。

50年後ならイノベーションが起こっているかもしれませんが、そんなもの予測不可能ですし。

追加で成長産業を挙げるとすれば

・警備(治安が悪くなるから

・製薬(高齢者病院にいけなくなるような人が増えるから

バス既存路線が置き換わるから

・水処理、淡水化プラント世界の淡水が減り続けているから)

大穴としては

銃器メーカー日本でも銃の使用が一般に認められるかも…)

でしょうか。まぁまず無いでしょうが

追記3

>それはどうだろう。山手線沿線のようなアクセスメリットのある駅前店舗けが残り、他は郊外型が駅前店を駆逐する、というのが妥当だと思うが。

私はろくすっぽに東京など行ったことがない田舎者なので、山手線アクセス東京の「郊外」がどの程度なのかわかりません。

ただ、地方北海道)に住んでいる私の郊外店舗イメージというのは、なにもない真っ直ぐな道にどでかい店がくっついているイメージロードサイド店舗)です。

市街地にあるような巨大店舗はまだ10年は付近の店や商店街の客を吸収しながら生存するでしょう。

>どちらにせよこの動きが加速するには、免許証の年齢制限の上限導入は必須。これがないなら老人は99歳でも車に乗る。

あくまで主観ですが、市街地高齢者自家用車よりもバスを利用している方のほうが多い気がします。市街地から離れたところにいる高齢者は…やっぱり車に乗るのでしょうかね。

>老人は、意外と「自分の目で見たものだけ信じる」人が根強いよ。この10年でジャパネットに取って変わるほど流れは強くない。

電話で済ますというのは、通販ではなくて、電器店に電話をして店員に何がいいかを決めさせて、持ってこさせるということです。

確かに目で見て判断するという人は一定数いると思いますが、テレビ冷蔵庫電話に限らず、あらゆる電化製品はもはや機能が付加されすぎて何がいいのか一目ではわかりません。

若いうちであればインターネット口コミ情報を調べ上げて、自分環境にあった最適なものを選ぶことができるかもしれませんが、年を取れば何よりもまずめんどくささが先に立ちます

そんな訳で、実際に見て自分で判断するよりも、店員に任せたり、息子や娘にほしいものを頼んだりする方が、彼らにとって楽なのではないかと思うのです。

2012-01-29

むかし、小説家になりたかった。

物語に浸るのが好きだったし、絵を観ることは幸せだった。

劇を作って演じるのも好きで、自分にとって芸術はなくてはならないものだった。

大人になって、今の仕事についた。

芸術とは無縁の、目が回るほど慌しい世界

でもその中で、芸術と呼びたくなるような美しいものを目にすることがある。

無私のやさしさ。透きとおった哀しみ。初恋や友情。

子ども達は、生きる姿そのもの人間の魅力を教えてくれる。

教師になることは、冒険小説舞台に飛び込むようなものだ。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

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どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。

村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。

といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」

実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。

彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。

この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。

驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。

「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事

村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。

2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である

車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。

村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。

こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。

こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。

世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

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