はてなキーワード: 私自身とは
いきなり自分語りでなんなんだが、自分はいちおうプロの小説家である。会社員をしながら、日曜にちょこちょこ書くだけの小説家だから、プロです、と言い切るにはいつも引け目を感じているが、収入的には小説家の仕事だけで年収500万円くらいにはなる。ジャンルが偏っているので、ほとんどの人は名前を言っても知らないだろうが。そこから得られる分だけで生活していける収入があるという意味では、プロを名乗っても差し支えないと思う。
たまにしか更新しないブログやマスダで、社会問題やら何やらについて書くと、内容から離れて、文章を褒められることが結構ある。プロ並だとか、カネがとれるレベルだとか、内容ではなくて文章についてそう言われる。こちらとしては、そういう文章はまったく推敲もされていないし、勢いだけで書いた駄文である場合が多い。そもそも小説の文章の作法と、ジャーナルな文章の作法は全然違う。それでもそう言われることがままあるということは、ネット上にこれだけの日本語テキストが氾濫しながら、プロかセミプロの水準に達している文章が少ないからではないか。
日本人なら普通、日本語のテキストを書ける。プロの編集者が手を加えれば、それなりに読める文章には誰のものでもなる。ただ、読める文章と読ませる文章は決定的に違う。決定的と言ったわりには、それが何なのか、私自身把握していないが、ともかくその、ぼんやりとした決定的な要因によって私は飯を食えているわけである。
音楽やイラストと比較しても、一見、特別な技能を必要としない分だけ、文章の世界は参入障壁が低い。参入障壁は低いが、じゃあ、試になにか作品を書いてごらんと言われれば、百人中九十人はまず作品を完成させることが出来ない。逆に技能が占めるウェイトが高い分だけ、技術が伴っていなくても音楽やイラストでは形にしてしまえばそれなりのオブジェになってしまうということはあろうかと思う。小説の文章は特に、構成力、表現力、構築力、ストーリーテリングの技術等々すべてがコントロールされて初めて形になり得るので、実際には参入障壁がそう低いわけではない。
経済学的に言えば、そうであるかも知れないが、いちおうはプロの表現者の実感から言えば、一概にはそうも言えないような気がする。私程度の書き手であっても、注文にすべて応じ切れているわけではない。新規参入者が増えて膨らむのは生み出される小説全体のストックであって、私の作品のストックではない。
司馬遼太郎の作品と私の作品の長さが同じだから、市場価値が同じだと言うことがあるだろうか。司馬遼太郎の作品の代わりに私の作品がなり得るだろうか。そんなことはあり得ない。司馬遼太郎の作品は司馬遼太郎しか書くことが出来ず、司馬遼太郎の読者が求めているのは司馬作品であって、他の作品は代替にはならない。究極の参入障壁ではなかろうか。
イラストでも事情は同じはずだ。他から隔絶した個性を持った作家の作品は、百枚の中に紛れていても、誰が描いたかすぐに分かる。その人の絵を描けるのはその人だけなのだから、その人の絵に訴求力があるならば、他の人の存在によって描き手としてのその人が脅かされることはない。
創作活動は究極の個人活動だということを忘れてはならないと思う。その活動をマスな視点だけで見ていては、現状を見誤ると思う。素人の作品に脅かされるのは素人だけだろう。
長文でまとまりのない文章ですがご了承ください。
最近、友人の中で「方々に言っている事が異なる」という事でヒンシュクを買った人(友人A)がいる。
その件について私は別の友人(友人B)と語っていたのである。
会話の途中、会話の流れが変わって私自身の悩みや愚痴などの会話になった際に
「君のその考え方ってAさんと同じじゃない?」
と同時に心の中で「言われてみればそうかもしれない、いや確かにそうだ」と納得してしまったのである。
友人Bとの会話が終わり1人になった時、改めて反省してみた。
まずはじめに、私は友人Aの事は好きである。そして友人Bの事も好きである。
ちなみにこの友人らは各自年齢も性別もまばらで、1つの共通の趣味で知り合った仲。
表向きは私が「このグループの中のまとめ役(パイプ役)」として見られている節があり、
新しいメンバーを迎え入れた際に世話をしたり違うグループとの交流を紡ぐのも私の役目である。
それぞれの友人に「良い部分」も「悪い部分」もある。
そんな繋がりの中、ある友人の「悪い部分」について別の友人とお互いに語り合う事が多々ある。
"悪口"とかで盛り上がるのではなく、あくまで愚痴や悩み相談といった感じだ。
例えば私は普段、友人Cと親しくしていてその友人Cと「友人Bの悪い部分」について語り合う事がある。
友人Cは、友人Bの事は嫌いとまではいかないが「悪い部分が苦手」という感じだ。
それは私も理解しているし、その事で友人Cと同調する。
しかしそんな友人Cにも「悪い部分」の一面はある。
私は今度は、友人Dに対して友人Cの悪い部分についての相談をしたりちょっとした愚痴を吐いたりする。
友人Dも同じく、友人Cの事を嫌いではないが苦手な一面はあるとのこと。
そして冒頭で書いたように、私は友人Aとも親しくしているのに
友人Bに対し友人Aの悪い部分について語り合ったのである。
(実際にはこの4人だけじゃなく、全員で8~10人程。もちろん全員お互いに交流はある仲)
友人同士、みんながお互いに良い部分と悪い部分があるのは少なからず分かっていて、
表面上はそれを許容した上で付き合っている。その上、みんな何かしら別の友人の悪い部分で話題にする事はある。
しかし私の悪い所は、結果的に友人同士の中で一番そういう事をしてしまっているのだ。
各友人とも、「誰かの悪い部分について」を語る事は1つはあるのだが、
「この人の事だけは絶対に1つも悪く言わない」というのが必ずある。
一方私にはそれがなく、結果的には友人ほぼ全員の悪い部分について、
誰かに語ってしまっているのだ。
問題なのは本人に面と向かって「そこが君の悪い部分だよ」とこちらからはハッキリと指摘はできない。
会話の中で本人が自身の悪い部分について肯定した際は、私も「確かにあなたにはそういう部分あるね」と言える程度。
ただしフォローするならば、悪い部分のことで話す上でも「私はその人(該当者)の事は好きだし親しい」という前提を伝えているし、
良い部分について話す事もある。
そして一番気をつけている事は、「○○さんはあなたの事をこんな風に悪く言ってたよ」というのは絶対に絶対に言わないようにしている。
それだけは口を滑らせてはいけない。
むしろ、「○○さんはあなたの事を嫌ってはいないよ」と言う事の方が多い。
別にそれは嘘ではない。
裏で別の友人の悪い部分について語るという事は、
例えばCさんと二人で会話している際にDさんの話題になった際、
Cさんが「俺はDのああいう部分は好きじゃないんだよね」と言ってきたら、
私は同調して「それわかる。確かにDさんにはそういう部分あるよね・・・。悪い人じゃないし良い所もあるけどそういう一面は私も苦手かな」と返し、
それに関したエピソードを話してみたり、悩んだりする。
また、私の方から率先してBさんに「私はCさんの事は好きだけれど○○な部分が少し苦手かな」という風に切り出す事もある。
もしかしたら、「私の悪い部分について」も
他の友人同士で語ってる事はあるかもしれない。
いや、きっと1度くらいはあることでしょう。
私自身は少しは気をつけている面もあるし、
ある友人はある友人の悪い部分を少なからず言っているのに、
その中でも結果的に一番私が友人全員の悪い部分を誰かに語ってしまっているという事に気がついたのだ。
友人らの中では私が一番多く、それぞれ各自と様々な話を深くしている。
それは自負している。そのおかげで、どの友人も私と二人で喋る際は何でも話してくれるし、
悩みや隠し事もいろいろ話してくれるようになった。
けれど、友人それぞれが一番私を慕って信頼してくれているのに、
私はある友人の悪い部分を他の友人に打ち明けたり・・・と、
もしもそれが各自に知れたらみんなを裏切る事になるのだろうなと思った。
私としては、心の底から嫌いな友人など1人もいない。
叶うならば、各友人同士全員が私と親しい程に親しい間柄になってもらいたい。
しかしどの友人にも悪い一面があり、その悪い部分が原因で、
他の友人らが萎縮したり会話を自粛したり元気が無くなったりすることが多々ある。
それを見かねて、その萎縮してしまった友人に対して後でこっそり慰めに行く。
その慰めの材料が、その友人を萎縮させた相手の悪い部分についてという事だ。
なんて情けない事でしょう。
本来ならば、みんなで会話をしていて該当者の悪い部分が出た際に
その時に直接該当者に率先して注意してあげないといけない。
それができない。恐れてしまっている。
どの友人にも嫌われたくないから、悲しまれたくないから、逆ギレされたりしたくないからと・・・。
他の理由には、表向きは私がグループの繋ぎ役でも、実際の年齢や立場が周りに比べ高くないからという事もある。
結果的にある友人が嫌な思いをした引き金となった張本人にはその時に直接言えず、あとで被害を受けた友人とその件で相談しあったり
愚痴をこぼしたり、慰めたりして、友人らの仲を取り持っている。
もちろん、今までに「悪い部分」が強く出過ぎて庇いようもなく抜けていったメンバーも何人かはいる。
そういうメンバーに限ってだけは、全員一致で「嫌い」だしもう交流もない。
しかし残ったメンバー同士でも、各々に少なからず好き嫌いや性格があり、
各自の意見を尊重しつつ、メンバーの組み合わせを考慮して交流の場を提供しようと心がけるが、
みんなが集う時間は共通していて、かつ有限なので「今日はこのメンバーの組み合わせだけ」というわけにはいかず、
そして各自と長時間深く会話をする機会はそれが終わった後で、日によるが1人程度は長く残る時があるので
その機会を狙っている。
人が増えれば増えるほど本当に難しい。
また、特定の友人の「悪い部分」というのがみんなに共通していないというのも悩みどころ。
ある人にとっては、該当者のその部分は何とも思わぬが、ある人にとっては苦手な部分。
そのように人によって該当者の苦手部分が異なる。
だからこそ、「誰が見ても悪い」と断定できるものではなく、たまたま相性の合わない部分が少しあるだけ。
そして苦手意識が好意を上回らないからこそ、完全に縁を切る事もない。
にも関わらず、時として誰かの「悪い部分」が原因で誰かが萎縮したり元気が無くなる事もある。
私が一番、各メンバーが誰のどこを苦手かという事を把握している。
しかしそれを活かし切れていない。仲間意識を強めるための材料になる程度でしかない。
「優れたまとめ役」と言えるのでしょうが、
今のままでは、ただ単純にあっちにいい顔こっちにいい顔をしているだけの、
ただその事がバレてないだけで・・・。
本当は、萎縮した友人ら以上に私自身が一番気にしているのかもしれない。
好きだといっても、私が一番友人らの全てを受け入れていないのかもしれない。
多数で集う際は、誰1人として萎縮せずにみんなに笑って楽しんでほしい。
各自のプライベートが原因で元気がない時は上手くフォローもできるけど、
集った先の会話(誰かの悪い部分)が原因で萎縮されるのは耐えられない。
恐怖心の喚起
恐怖心を喚起する思想も極めて有害です。オウムにおいては、信徒の思考や行動が教義に沿うものに著しく制限されました。
ただし、その思想に触れて間もないうちは、恐怖心を喚起する部分が含まれていても、それに気付かないかもしれません。私自身も、クンダリニーの覚醒前は、麻原の著書の地獄・餓鬼・動物などの記述はまったく気になりませんでした。
その経験を振り返りますと、私の話がどれだけ伝わったか心もとなくなります。信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖からの回避は無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです。実感は難しいかもしれませんが、その恐怖のために、たとえ自身の生命や健康が損なわれる事態に直面しても悪業となる行為はまったくできません。私の経験としては、次のことがありました。
地下鉄サリン事件のとき、私がサリン中毒になったので(本文三十六頁)、あらかじめ指示があったとおりに、送迎後の信徒が車で教団の付属病院に連れて行ってくれました。ところが病院関係者に話が伝わっておらず、事情がわからないようでした。しかし、私はサリン中毒を伝えられませんでした。「ヴァジラヤーナ救済」の任務に関することを関係者意外に話すと悪業になったからです。結局、私は病院での治療を断念し、医師の林郁夫のいる集合場所に行き、治療を受けました。
また、地下鉄サリン事件で逮捕された後、教団の指示どおりに当番弁護士を一回お願いして、拘留場所を教団に伝えましたが、右と同じ理由で事件に関する相談はできませんでした。常識的には、弁護士に相談しながら取り調べを受けます。また、それをしないことは連日十時間の取り調べが続くなか、自らを孤立させることになるとされています。
これらのことは、重大事件で逮捕された状況において、極めて不利です。しかし、悪業となる行為はできませんでした。
さらに、事件の動機である「ヴァジラヤーナの救済」の教義と麻原の地下鉄サリン事件への関与については、供述すると無間地獄(宇宙の創造から破壊までより長い期間苦しむ地獄)に転生しかねないので―また、この教義を聞く資格のない人に話すと誤解され、その人が将来にわたって救済されなくなるともいわれていました―、この事件の捜査期間内には供述できませんでした。
取り調べの最終日、事件の核心部分を追求する検察官を、悪業を犯すまいとする私との間に必死の攻防がありました。
問)麻原尊師のことや事件の動機、目的も話さなければ、反省したとはいえないのではないか。
答)……
問)話せない理由は何か。
答)お話できません。
問)今回の事件はヴァジラヤーナの教義に基づいたものではないか。
答)答えられません。
問)ヴァジラヤーナでは、「ポア」のために他人の命を絶つことも許されるのではないか。
答)答えられません。
答)答えられません。
問)麻原尊師の指示は、いかなるものでも絶対に従わなければならなかったのではないか。
答)必ずしもそうではありません。
問)では、どういう場合に従わなくていいのか。
答)何ともいえません。
―ほら、やはり従わなければならないじゃないか。
問)村井正大師は、サリンを撒くと切り出したとき、それが麻原尊師の意向であることを話さなかったか。
問)今回の事件の後で、君は麻原尊師に事件の報告をしていないか。
―(ある信徒が描いた図を見せながら)〇〇が図まで描いて、君たちが報告したことを話しているのに、話さないのか。
問)君は、今回の事件に関与した仲間については話しているのに、なぜ事件の目的や動機、報告については話さないのか。
答)答えられません。
当時は、なるべく悪業にならないように、教団とは無関係なこととして、地下鉄サリン事件における自身の行為はすべて供述していました。しかし、自身のことを供述しても、事件の動機や麻原の関与を供述しなければ反省していないとみなされ、身を滅ぼしかねない状況でした。加えて、質問の内容から検察官がそれらのことを既に知っていることは分かり、一般的見地からは、私が供述しても誰にも影響しないことは十分に理解できる状況でした。それでも、金縛りにでもあったかのように、供述できなかったのです。
以上のように悪業とされる行為ができなくなる傾向は、クンダリニーの覚醒直後に現れました。オウムに入信する段になって、気に掛かったのは、「複数のグル(修行の指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分解する」との麻原の著書の記述でした。当時、私はある瞑想団体に入会していたからです。私は不安になり、クンダリニーが覚醒したその日に、団体に脱会届を郵送しました。
また、私は釣りが好きだったのですが、それは悪業になるので、クンダリニーの覚醒以来一度も行いませんでした。そのほか虫も殺せなくなるなど、恐怖のために教義で悪業とされる行為はできなくなったのです。
このような状態は、次のように、宗教的回心において現れるといわれています。
私たちはある思想を繰り返し繰り返しいだき、ある行為を繰り返し繰り返しおこなっている。しかし、その思想の真の意味が、ある日はじめて、私たちのなかに響き渡るのである。あるいは、その行為が突然、道徳的に不可能なことに一変しているのである。
(前出 ジェイムズ)
オウムの信徒には、同様に悪業を為すことに強い抵抗を感じる者が多数いました。このような宗教的悪業の教義に関して、文献では次のことがいわれています。
さらに、宗教が単独で精神的問題を引き起こす場合がある。フロイトが主張するのは、「イド」と「スーパーエゴ」とのせめぎ合いにおいて、宗教はスーパーエゴの側に立つということである。宗教の戒律や禁制は、性的衝動や攻撃的衝動を抑制する目的がある。さらにまた、宗教は完全な道徳を目指しているので、これらの掟に対する違反は罪悪感を引き起こす。極端な場合、罪悪感が生活を支配し、麻痺させることがある。また、しばしば、過度の後悔に至ることもあり、中世鞭打苦行派の罪の意識による鞭打ちから現代テレビ時代における罪の公然の告白にまで及ぶ。
オランダにおいて、罪への自責心の問題をアライト・シルダーが研究した。彼女の研究『罪の意識に苦しむ以外なすすべがない』は、厳格な一部のオランダプロテスタントに関するもので、罪悪感がもたらしうる、人の仕事、思考および行動を麻痺させる影響への洞察を与えた。
友好関係を生じることに加えて、カリスマグループは個人的および社会的行動を規制する行為の基準を確立する。絶縁したセクトの状況では、このような外的規制によって、集団は心理学的に困難な支配の操作がしやすくなる。多数のセクトの行動規範は、現在の性的に寛大な態度に対する反動形成を反映するように見える。これらの規範は、しばしば多くの儀礼化された集団防衛を採用するだけで維持される。たとえば、ハーダー、リチャードソン、およびシモンズは、ジーザス運動の一つの分派における求愛、結婚、および家庭の形態を研究した。彼らは、全員が性的にとがめられかねない状況を明確に回避することを述べ、そして求愛と肉体的快楽に関するセクト特有の規制の大要を説明した。たとえば、デートをすることは不適切と考えられたが、それに誘惑や罪に至りかねないからだった。セクトに入会中の人の態度の同様な変化は、前に述べた統一教会の会員に関する研究に現れた。その七十六パーセントが性について考えることを“非常に”避けたと述べたが、入会の前には十一パーセントしかそのように感じなかったと報告した。したがって、集団心理は本能の要求の表出の統制やそのほかの葛藤の統制に重要な役割を果たす。
以上のように、宗教的悪業を規定する教義には、人の思考や行動を強く統制する作用があるとされています。そして、オウムの教義にもまた、ある思考や行動を宗教的悪業として規定するものがありました。たとえば、私が出家した直後の平成元年四月二日、麻原は次の内容の説法をしています。
「わたしたちの修行を妨げる眠気、貪り、怒り、真理(オウムの教義と考えていただいて差しつかえありません)を否定したくなる気持ちは悪魔であり、取り返しのつかない迷いの生を繰り返す」
また、クンダリニーが覚醒すると、「魔境」に入りやすくなるとされていました。これは、「これ以上ない人生の挫折」、「生まれ変わっても続いてしまう恐ろしい修行の挫折」とされる状態です。そして、「魔境」に落ちないためには、「正しいグル(解脱した指導者)を持つ」、「功徳(神とグルに対する布施と奉仕)を積む」、「強い信を持つ(グルと真理を強く信じる)」、「真理を実践する」ことが必要と説かれていました。(麻原彰晃著 『超能力秘密の開発法』 『生死を超える』 『マハーヤーナ・スートラ』 )
この類の教義はほかにも多数ありましたが、これらは信徒にとって、麻原、教団、あるいは教義からの離脱を困難にし、そして、麻原や教義に従うよう思考や行動を統制すつものでした。このような作用は、信徒が違法行為の指示に従わなかったリ、事件が明らかになった後でも脱会しなかったりする原因の一つと思います。
私が教義に疑問を抱き、脱会に至るまでには、次のように、悪業とされる行為をすることへの慣れが必要でした。
逮捕された後、供述すると悪業になる内容について、私は取調官の追求を受けるようになりました。しかし、それでも、はじめはまったく供述できない状態であり、身を引きちぎられるように感じました。そのような状況において、私は軽度の悪業となる内容から少しずつ供述せざるを得ませんでした。
私が最初に話したのは、地下鉄内で自身がサリンを発散させた単独行動の部分でした。事件に関してかなりのことが既に明らかになっていた状況であり、個人的な行為として供述するならそれほど悪業にならないと思ったのです。
その後、黙秘と供述を何度も繰り返して、長時間かけて動機の「ヴァジラヤーナの救済」の教義のことや麻原の事件への関与について供述できるようになりました。
以上のように、自覚してないうちに恐怖を喚起する教義の影響を受ける場合があります。また、宗教的悪業を規定する教義そのものに興味を抱いてオウムに係わることは考え難いですが、多くの信徒がそのような関心外の教義を受容し、思考や行動が制限されていました。ですから、そのときは実感がわかなくても、「地獄」など恐怖の喚起が予測される概念を強調する思想には、近づくべきではないでしょう。
しかしだいぶ元気になってきたので時々家に帰ってきては家族で外食をしに行く。
先日、父が「薬が増えて・・・」と不安そうな顔をした。
いまは元気だが実は私自身も入院経験があって、その気持ちは痛いほど分かる。
また薬が増えたから私の体調は悪いんだ・・・と落ち込んでいた。
しかし一喜一憂するのではなく先生を信頼してドンと任せるのが一番だと私は学んだので
「そこは気にしないで先生(たまたま私の担当医と同じで名医として有名)に任せれば心配ないよ」などと
父を不安にさせないように母と一緒に言っていたが・・・
兄は「えー、ヤブなんじゃないの?」「早く病院変えたほうがいいって!」と思い出して書いていても嫌な無責任な言葉を吐いた。
私と母は血の気が引いた。忘れていた、兄は精神病に対して偏見があったということ。
本人は全くもって無意識らしいが私も何度が言われて傷ついて泣いたことがある。
落ち込んでいく父をフォローしようとしたが、兄は他の話を続けて、もはや手遅れだった。
父と兄は会わせないようにしようと思った・・・。
オウム元信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年に大学生へ向けて書いた手紙(忠告)をまとめました。
Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET
上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして
が挙げられていましたね。同様に
若者の宗教的志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。
と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教を比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしまう人間側の“信仰生成過程の不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまいます。
では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者の宗教的志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?
この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム元信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。
ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和~平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年(1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉がTVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災のTVニュースの方が記憶に残っています。しかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体と出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネットで検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分がカルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教や人間の信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。
『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)
※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています。
この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年に執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学の学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウムが無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教のナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教的経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近、オセロの中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳やマインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルトの存在、洗脳や信仰に対する認知を深めてもらいたいです。
そしてできるなら、FacebookやTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルトの存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)
最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています。
学生の皆様へ
「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。
この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。
オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方から「カルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。
私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います。
カルトに係わる契機
前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトのメンバーとしては、私はオウム真理教の信徒の経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります。
カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱、悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。
しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当な仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。
ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウムの世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実的であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族や学校、会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。
このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。
私自身は、高校三年生のとき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。
このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。
スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています。
一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るものが存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るものが存在しないかどうかを探求してみようと。
トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観の崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています。
何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。
この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。
「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供を自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆に幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。
自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。
以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います。特に「自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。
その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教の実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学の付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。
哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。
こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。
結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想的なのは、半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。
このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教的経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。
次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。
思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない
人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動は自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”
また、心理学者のウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教や哲学に向かうことを指摘しています(ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫)
「生きる意味」に対する問いが純粋に知的なものならば、それは当人に健全な精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家に相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。
それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。
ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20120404225639
辛い思いはもうしないので大丈夫。
あなたはきっと十分やりきったよ。
その後悔の気持ちで十分だと思う。
私自身は、心ない家族に「父が死んだのはあんたのせいだ」と言われ、
心底落ち込んで自分を恨んだりしたよ。
(率先して面倒見ていたのに。親戚は全否定してくれた)
でもそんな風に私が悩んで落ち込む姿を父が見たらどう思うかな?と思った。
多分父は否定すると思う。父は私のことをとても頼りにしてくれていたし。
夜に物を書くと感傷的になるし、なんだか変になるけど、本音だったりする。
感傷的になっていいと思うよ。近しい人が亡くなるってそういうこと。
私も、ふと「どこに行けば父に会えるのかな」と思ったりする。
この先もそう思うことがあるかもしれない。それでいいと思うんだよね。
あなたは真面目で優しい人なんだね。
そこまで気負わずにいこうよ。
それと、周りに話してみると、意外と近しい人を亡くした経験がある人がいるかも。
同じ経験をした人と話すと、少し落ち着くかもしれないよ。
お互い、亡くなった人に心配されないように適度に生きていこう!
そろそろ大学も始まるころ。
新入生勧誘活動の時期においては、なかには履修相談をやるサークルもある。
私は勉強のことくらいしか助言もなにもできないんで、とりあえずここに履修相談の草稿のようなものを。
理系のおはなしもいろいろ聞いてはいるけれど、私自身は文系私大生。
とくに1年生の前期くらいはまじめにやっておいたほうがいい。
手の抜き方を誤ると進級等々にかかわるので。
ゼミナールがある場合、GPAなどの成績評価を用いるところもあるので、そのあたりも念頭おいておく。
勉強会を開くなら、ちゃんと講義に出ていたひと人、頭の切れる人とやるべき。
新歓期の履修相談では、楽な講義を紹介することも多々ある。それはそれで悪くないのかもしれない。
個人的には、興味の持てる講義を受けたほうがいい。
試験が難しいと噂されていても、面白ければ講義に集中できて、結果良い成績を得られたりする。
単位の取得が楽でも、講義そのものがつまらないとサボることになる。もともとサボるつもりなら問題ない。
この先生の下で指導を受けてためになるか?楽しいか?面白いか?よく考える。
決めて入ったあとは、自分の選んだゼミがいちばん、と思いこむ…
もちろん文献資料にあたらなければならないので読む力も必要だけど。
作文できないと話にならないから、読み<書き、という重要度だと思う。
レポート論文の書き方、といったhowto本は1冊持っていてもいい。
ぜんぜん違う。
向き不向き、好き嫌いがはっきり現れるので分野の選択が重要。
露骨に周りに”悪意”を振りまく人はなんなんだろう。
あの人達はやっぱり”なめられる”ことを異常に恐れている。てか、気にしまくってるよね。
”威嚇”するために様々な装飾を身につけてる動物ってたくさんいるし、それと一緒なんだろう。
だから、自分は強い、他人より偉い、という前提で行動するから、それに虐げられる人は必然的に不快に感じるんだろう。
それが奴らが振りまく”悪意”。
しかし、じゃあその”悪意”に虐げられ不快に感じ、自分は”悪意を振りまかない”と決めた人間は
そして、現代はほぼ他者のとのつながりや思いやりなしには生きにくい。
現代社会においては、基本的には”善意”を守り、行動したほうが、穏やかで豊かな生活が送れる。
”悪意”を振りまく人たちは、現代環境に適応できずに生き残っている種だ。
私は無意味に”悪意”を振りまくような人とのつながりはあまりない。
しかし、自分自身の経験から推測すると、彼らも現代環境に適応できていない集団の中で育ったために
適応できないまま成長したのだろう。
これからは、あまりに”悪意”を振りまく人間を見て不快に感じたなら、
「あの人は環境に適応出来ず、原始の生存本能で生きている人なんだな」と
冷静に分析するように心がけるとする。
南京大虐殺否定も君が代強要も確かに問題だ。許せない事だとは思う。
だけど、だけどだよ。
岩手・宮城の瓦礫受け入れ反対する脱原発派や、それを厳しく糾弾する事のない一見穏健派の脱原発派。そういう態度がどう見られるか分かってる?
被災地を真綿で占絞めるように苦しめている人やそれに味方する人よりは、世間は瓦礫を受け入れると言ってくれた橋下や石原の方を支持するに決まっている。
脱原発でも南京大虐殺でも君が代でもそうだ。現在身近で苦しんでいる人達を置き去りにして、抽象的な議論と絵に描いた餅のような人権談義のみに耽溺する左派の政治家や言論人。遠い異国の事は考えられても、東北の被災地の事は考えられないのか。
そんなんじゃあ大衆の支持を得られないのは当たり前だ。
先日、年齢はまばらだが付き合い深い友人同士数人でこのような会話をした。
「あくまで仮の話だよ。もしも宝くじか何かで3億円当てたりでもしたら、
この友人らの誰かにその事を話す?」
当然、それぞれの返答は違った。
1人は「絶対に言わない。身内にすら言わない」
ある2人は「家族には言うが友人には恐らく隠す」
他の1人は「酔った勢いで、たぶん君らにも言うかもな~」
もう1人は「どうせ降って湧いた金だからみんなを誘ってパーティをしたり奢りで旅行に誘う」
といった、ある程度予想できてた答えが返ってきた。
ちなみに私自身は最後の友人と同じ思考で、友人同士ととことん遊ぶために使用する。
(もちろん自分自身が欲しかった物を買い漁ったり、夢のために投資したりもする)
そんな中、今年高校を卒業したばかりの18歳の男の子の意見だけは、他と違った。
(この子は友人同士の中では一番低年齢)
『みんなに言うどころか、そんな大金いらないので誰かにあげる』
度肝を抜かれた。
理由を探ると、『大金あってもしょうがないし、その金額分までの欲しい物はない。
欲しい物はあるけど、どうせ余計な金が余るのでいらない』と。
この子について深く説明すると、
彼はとりわけ裕福な家庭に育ったというわけではなく、
家庭も複雑な環境で育ったそうだ。
更に若くありながら、幾つもアルバイトをこなし、
よく、「全く無趣味なので使い道がない」という話は聞くが、
彼はその真逆で、インドア・アウトドア問わずに非常に多趣味であり、かつ欲しい物もたくさんあるようだ。
欲しい物を買うために学生の身でありながらアルバイトを欠かさないのだと。
「多趣味だし欲しい物もたくさんあるんだよね?新しい物好きな性格もあってよくあれが欲しいこれが欲しいと言ってるし。
3億円当たったらだなんてそもそも夢話だけど、それでも3億円当たったら嬉しい気持ちも使い道もないの?」
と指摘してみたが、このように返答された。
『欲しいものはいずれ自分で買うし、欲しい物自体が自分で稼いで買える範囲のものだけだ』と。
追い打ちをかけるように、このような意地悪な質問もしてみた。
「今はまだ若いから欲しい物も高価なものじゃないけれど、多趣味な性格だから大きくなったら
すると間髪あけずにこう切り返された。
『そんな高価なものでも自分で稼いで買う。むしろそれくらい稼げるような人間になる』
度肝を抜かれただけでなく、価値観の違いというか、大きさに心を打たれた瞬間であった。
恐らく、こういう考えの子が将来資産家になれるのかもしれないな・・・と。
・無趣味ではなく、多趣味で欲しい物もやりたい事もたくさんある彼なのに、
そこに驚いたのである。
これは、「立派」というべきなのか、
それとも「まだまだ若いからお金のありがたみや大切さを知らないのか」
いずれにせよ、実際に大金を稼ぐくらいの大物になるか、
または将来泥水をすするくらいお金に苦労して、「当時の考え方は若かったんだ」と苦笑いするかのどちらかになるかとは思うが、
私が知りたいのは、彼のような考え方の人間には初めて出会ったので、
なぜそのような価値観を持つのだろう?と好奇心が湧いたのである。
否定しているわけじゃなく、
父が仕事のストレスで倒れた。心身症(幸い軽かった)になったので入院することに。
私自身入院したことがあったので入院になれるまではかなり辛いので、
それを心配していたら案の定、辛いとのことで電話がかかってくる。
でもそれはどうすることもできないので、和ませる言葉しか言えない。
家では母が大慌て。テンパる故にか余計なことを言って父を落ち込ませることが多々。
あと母は寂しがり屋なので必然的に頼られる私。
昔から私と母は親密的な関係(俗に言う友達みたい)だったので慣れているのだが、最近疲れてきた。
心身的に元々かなり弱く、ストレスを感じると倒れるのでそっちにも気を使わなきゃいけないのに家のことがあってお腹いっぱい。
それなのに対人関係で問題発生。家のことでいっぱいなので恋人を放置していたら、なんか大変なことになっていた。
何故か結婚の話をこのタイミングで出されて、「(私が相手を)結婚したいと思えるほど好きなのか分からなくなってきた!」とのこと。
ワタミ過労自殺事件関連の話で、まだ指摘されていない論点を含んでいるのでメモる。
過労自殺などの取材を通して知ったことのひとつに、「本当に過労状態の人は世の中から切り離されている」ということがある。仕事に忙殺されている人は、たぶん「ホワイトカラーエグゼンプション」も知らなければ、それを舛添が「家族だんらん法」と言い換えようとしたことも知らない。その上、首相が安倍から福田に変わったことも知らないなんて人がいても私は驚かない。なぜなら、私自身もほとんどテレビで「首相になってからの動く福田」を目撃していないからだ。ただ単に家にいないだけなのだが、多くの人が帰っても寝るだけ、という生活をしている中で、どうやって世の中のことを知ったり、その上世の中に怒ったり、世の中を変えようなんて余力があるだろう。こういう状態を経験すると、「フリーターがデモで権利を主張」なんてニュースの断片を耳にしただけでヒステリックに怒る過労正社員層の切実な気持ちも少しは理解できる。彼らにとっては、非正社員は「自分より楽をしている」と思えるのだろう。
でも、そんな足の引っ張りあいはやめよう、と訴え続けなければならない。だって正社員が死ぬほど働かなきゃいけないのって、今の正社員の座から転がり落ちたら何の保障もない非正規雇用になるのが怖いって気持ちも絶対あるでしょ? で、企業って、そういうとこ絶対利用してるでしょ? 身近なリストラとかで、脅迫されてるでしょ? だけど、「何の保障もない非正社員の生活」が正社員層の過労の原動力になってしまうなんてあまりにも悲しい。少なくとも、どっちも幸せじゃない。スケープゴートを作っても結局誰も救われない。
某掲示板しかり、現実でも実際に精神病者に対する暴言を聞くことがある。
障害等の事件が起こったときに精神疾患を持っていると刑事責任が問われないことがある。
そうなると「これだから精神病者は!」と感じる人がいて、暴言を吐いたり嫌ったりする人はそういう人なのだと思う。
また人生の中で会社で鬱っぽい人がいて、ずっと休んでいて、でも給料は貰っている。いつになったら復帰するんだ!
というか復帰しても仕事してないし!と腹が立ったり(実話)
理由はなんであれ、腹が立つ気持ちは分かる。私自身も同じことは思っていた。
しかし人生何が起こるかわからないものであり、あるときにストレスを抱え込んで倒れた。
体重が20kg落ちて、これほど泣けるのかというくらい毎日泣き、気づけば家族に取り押さえられていた。
発病は遺伝なのか性格なのか環境なのか・・・科学的には完全には解明されていないのでなんとも言えず。
そんなわけで治療(自宅療養)を続けているわけですが、先ほどの話に戻りまして暴言を見ると微妙な気分になる。
でも真剣に悩んでいる人は勿論いるわけであり、しかしながらも迷惑をかける人のイメージが先行しているのかもしれないと思う。
また病院についても、はっきり行って最悪な病院が多い。薬だけ与えとけば良いという方針の病院とか。
私自身、病院は何軒もまわって、対応の酷さに何回も泣いた。でも変な話だけどそこで負けて、嫌な病院に甘んじても病状がよくなることはなく、
心が折れそうになっても自分と合う病院が必ずあるので見つけるのが治療の第一歩。でもあまり本に載ってないのよねー、この話・・・。
http://blog.livedoor.jp/minnanohimatubushi/archives/1757512.html?1330947220
久し振りに良いSSを読ませて貰った。軽い気持ちで読みはじめたのにいろいろと考えさせられた。ロードス島を思い出して懐かしくもなった。ありがとう。
私自身、僧侶のような経験をしたことがある。その時聞こえてきた他人への怨嗟は、結局自分への怨嗟であると気づいた時愕然としたものだ。故に僧侶の陥る「なんで?」という、自分の「足りなさ」からくる苦しみに共感し、そしてそれ故に魔王の場面では手に汗握った。はたしてこの主人公は乗り越えられるのかと。置いて行かれた、という想いは、同時に置いて行かせたという後悔でもある。主人公は友人達の弱さも知っていたのだから。「選ばれてしまった」が故にその重圧から逃れるため「選ばれた自分」として振る舞うしかなかった弱い勇者達。僧侶ははたしてそこに気付き彼等を「赦せ」るのか、と。杞憂だった。僧侶は目に見える形での強さとそこに生まれる妬みや恐怖といった人の弱さを利用し怨嗟の渦に巻き込んでいこうとする「悪意」そのものと対峙し、その真なる根源を呪い打ち勝った。勇者や街の人々、世界の姿、全てが「そう在らざるを得なかった」状況の元凶と対峙するその姿は正に「僧侶」であったといえるだろう。人の生まれし時から死ぬ時まで、自身を捧げその性と向き合い続ける生き方なのだから。そこをぶれずに描ききった筆者に敬意を表する。
また、僧侶の職能である「懺悔」は呪いにも似ていると感じさせられた。「懺悔」とは罪を共有しその贖罪を神に代わり見届け、罪を犯した者自身が自身を赦せるようにつきそう技だ。赦し勇者への「最初で最後の呪い」は「ルルーシュ二期」の最後を彷彿とさせるもので、真実を唯知り、自身の存在を隠匿することで赦しをその生き様に問う。これはこれ以上ない呪いであり、清々すると同時に、僧侶の心を想うと切なかった。女戦士も、「特別な人に特別だと想われる」ことがアイデン手ティで在ったが故に、また呪いから逃れきれない。役割から逃れることが出来ない、全うすることでしか許されない呪い。「もっと痛めつけろ」というコメントを散見するが、これ以上のモノはないだろう。
女魔法使いとの「約束」は、尚切ない。これは僧侶自身の「懺悔」でもある。「好きだ」という想いを伝えられなかったこと、それを伝えていればなにか変わったのかも知れないという想いが透けて、そしてそれはもう帰ることの出来ない過去である。この約束を信じ切ることが出来ないことを僧侶自身知っている。今、自分の罪を悔いて許しを請うても自分が赦されることがないことを、そしてそれでも尚、贖罪として待つことを赦してくれた僧侶の優しさを女魔法使い自身知っている。なにより、彼等は互いと自身の狡さを知っている。縋りたい気持ち、赦されたいと思う気持ちを利用していることを、全て吐露して楽になりたいという自身の弱さを知った上で見つめてくれることを。僧侶は「世界を呪う呪い」を一生抱えて生きていくために充分だと思える言葉が、愛する人が居ると信じる心を預ける場所が欲しかった。女魔法使いは過去の罪を抱えそれでも生きていく為に心の拠り所が、赦される未来への希望が欲しかった。そして消せない過去の上、約束をするには遅すぎた別れの時間の中、それでも交わす約束。「愛した」が故、「愛された」が故の、「待たせる」、「待つ」という互いの心を此処に縛る呪い。そしてそこへ赦しが、互いに訪れる日が来るのか、正に神のみぞ知るところである。
最後、門番との会話には希望が見える。彼自身が自身を赦すための旅路にふさわしい。赦すとは愛すると言うことだ。そしてその為には愛されると言うことを信じられるようにならねばならない。彼の旅路に祝福を