はてなキーワード: ロサンジェルスとは
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08
ロサンゼルスとロサンジェルスもあるよね。Los Angelesだと後者が正しいはずだが、ジェルスと言うと笑われる。
学歴を開陳する。
どうも小卒のネオトナ、おっとneowotonaです。
それもこれも糞親父のせいです。突然会社を止めてアメリカへ行くと言い出したのが小学校5年生の時。兄は高二、姉は高一、姉は中二でした。兄や姉が防波堤となり、父の頭のおかしさはあまり僕には伝わってきませんでした。父ちゃんおもれー、とか思ってたくらいでしたから、ぼくはその当時アメリカへ行ける喜びの方が大きかったです。兄、姉に聞くと、母ちゃんは当時よく泣いていて実家に子供をつれて帰ることも考えていたそうですが、ぼくはちょー幸せでした。
アメリカに着くと、知り合いに頼んでキャンピングがーを借り、ロサンジェルスの近くを起点とし、いろいろな地域を巡りました。でも、自分にしてみたらどこもアメリカだったので、兄や姉に当時の話を聞いてもさっぱり覚えておらず、驚くことばかりです。ただアメリカのダイナーで食べたベーコンとエッグのブレックファストの美味さと、なんだかよくわからないお店のステーキの味だけは鮮明に記憶しています。
生活の基盤はサーフィンでした。毎日海辺へキャンピングカーを止め、サーフィンをするのです。子供の頃からやらされたので、僕もなかなかのサーファーになれました。
はっきり言って、26くらいまではずーっと糞親父がっと思っていました。
でも、いまサーフィンで飯がくえているのは親父のおかげと感謝しています。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」