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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。

そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。

このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。

村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。

村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。

そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。

村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。

村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。

作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。

村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。

時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」

「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」

そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。

低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。

話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。

「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2011-12-25

今すぐ消えろ!日本カルチャーシーンを「残念」にした戦犯タイプ

ハロー

聖おにいさんオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。

http://anond.hatelabo.jp/20081210172325

とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!

http://anond.hatelabo.jp/20111224192828

を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。

「かわいそうだね?」

って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞ネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。

はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大自分直視できないのかねえ。

「格好をつけないことで、格好をつけている」

「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」

やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。

ぼくはきみたちの断末魔叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。

ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。

これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。

きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。

では、いきますよー。

映画秘宝

ボンクラ」なんていう安っぽい価値観連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスター宇多丸町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。

「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。

中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。

自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚フンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。

彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸ラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。

そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画ポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。

この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフル宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画町山智浩キラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画ネタにしているのを見たことあるよ」でも可。

伊集院光

人生大切なことは、すべて伊集院光ラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。

映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャー必死に否定してくる。「最近アニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。

自分中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画アニメ伊集院が褒めるものけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。

映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットMP3音源違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメ自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。

「人見知りなのは感性が鋭いからだ!」

バイト面接で受からないのは、感性が鋭いからだ!」

住民税を滞納しているのは、感性が鋭いからだ!」

もうなんでもあり。

こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛自己肯定は。

ビレバン

ある意味一番病気かもしれない。

「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽ自分必死デコレートしようと頑張っている。ビレバン下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分ビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。

こういう奴がセンスいいと思われたい一心カルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画悲惨犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。

なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍マリオネットたち。

こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。

さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。

もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。

つぶやき批評家

そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆

はてブツイッターなどの安全からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。

文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ

大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。

このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報いかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。

以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性大事」という間違った教育と、「作品の解釈受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。

確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。

ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督紀里谷和明か、小説家岩崎夏海くらいか

特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代クリエイターズバイブルだね、この本は。

みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽ自分直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。

2011-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20111202125722

出版社で働いて小説家漫画家編集者になってみてはどうでしょう

出版業界の内部を知っておくことは小説でご飯を食べていくつもりなら有益

そして元増田さんが何かショートショートを書いて増田に投下してくれるのを期待する視線

|∀・)ジー

http://anond.hatelabo.jp/20111202145432

だよねぇ……

公募賞の受賞者に担当がついて最初に言うことは、

「専業作家になろうとは当面思わないでください」

なぜなら、作家1本で食っていけるだけの人はごくわずかだから

賞をとるレベルの人であっても、受賞作から数作で消えることもままある。

北村薫埼玉高校教師小説家の二足のわらじだった。

日本推理作家協会賞」受賞当時もまだ教師。直木賞ときはさすがに専業。

瀬名秀明は在学中にデビュー日本SF大賞受賞時は大学勤務、現在兼業

大鐘稔彦は医者やりながら作家原作者。「孤高のメス映画化されたね。

二足のわらじは決してめずらしいものではない。

……で、元増田の受賞歴はどんなんだっけ?

http://anond.hatelabo.jp/20111202125722

小説家としてやっていけるのは

「よーしとりあえず無様に就活に全力投球して、その詳細をメモしておいて、いつか小説ネタに使おう」

くらい考えられる人間だよ。

現在大学三年。偏差値は60後半台の大学

もう留年が確定して半期遅れての就職になることが決まっている。

就活、何すればいいんだろう。

やりたい仕事なんて思いつかない。

中学の時からずっと小説は書き続けてきた。

物語を作ったり、文章で人の心を動かしたりは好きだった。

ネットで少しはファンができるぐらいの成果がある。

大学辛口教授自分の文章を認めてもらったこともある。

小説家になりたかった。

でも、まともな職につかなくてはいけない。

このご時世、作家なんて職業がろくに食えるものじゃないことは知っている。

じゃあなにを?と思うけど、本当にそれ以外やりたいことが浮かばない。

バイト子供勉強を教えていたことがある。

教えるのがうまいと言われていて、

実際に担当した小学生を全員第二志望以上の私立中学に受からせ、

担当した高校生医療系の大学に受からせた。

もっとも、彼らの全ての勉強を見ていたわけではないけれど。

でも、心の底では子供勉強なんてしなくていい、遊べと思っている。

中学入試や高校入試無駄ハイレベル学校を目指させるのは、

子供の心をすり減らすだけだ。

同級生が心をすり減らしてきたのを目の当たりにして、敵意が消えない。

そういえば、倉庫整理のバイト日雇いでしたこともあった。

一日でやめた。

同時に二つ以上のことを理解できなくて、なにをどう運んだかが分からなくなって、

気づいたらパニック障害をぶり返しかけていた。

最初大阪弁で怒鳴り散らした先輩は最後には呆れて「自分、初めてか」と聞いた。

腕が震えて腕をボールペンで突き刺すのに忙しくてしゃべれなかった。

中学職業体験ではスーパー仕事レジ以外)をやったので、

これぐらい平気だろうと思っていてなめていた。甘かった。

働いたことがあるのはそれぐらいだった。

話がそれた。

就活どうするかだ。

たぶん、頭でものを考えたり計画を立てて準備する仕事が向いている。

逆にその場その場で機転を利かせる仕事は絶対に避けるほかない。

スーパーレジ打ちなんて想像したらそれだけで吐きそうだ。

でも、自分性格からして極限まで甘えてギリギリになって就職先が見つからないと思う。

これから人生が腐っていく。

大体、就職のために変わった勉強をしようなんて思えない。

こういう文章を書くだけで何もしない甘えたガキの俺は、十年後に後悔して自殺するだろう。

もういっそブラック企業に身売りして根性叩きなおしてもらった方がいいんだ。

それ以外方法がなくなるまで甘えてしまうだろう。なんで生きているんだ。早く死ねよ。

とりあえずリクナビとかマイナビ身投げしてみよう。大学から帰ったら。

それ以前に卒論題目もまともに決まっていないけれど。

ああもう、小説だけ書ければいいんだ。それ以外は全部余分なんだ。

でも、そういうわけにはいかないんだ。

働こう。就活をしなければならない。甘えるな精神病ごっこで逃げるな。働け。さもなくば死ね

2011-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20111121020342

自分親族を思い出したので、個人的な思いで答えにならんかもだけど、書くよ。

まず、ツレの弟が君と似ている。

両親もそんなかんじで、結局母親が出て行ってしまっているが、絵描きバイトが月1で、あとは夜シフトコンビニ店員。

お金いから仕方なく実家暮らし、壁ボコボコ

普段は人当たりいいし、リーマンみたいに楽してないから、話しているとコイツ心が優しいなと思うんだけど、突然キレたりする。

あくまでその弟について思うことだけど、

ツレの家族はそういう職業不定な子を定石通り、ちゃんと定職についてほしい、でないと半人前、と扱っている。

家族で食事したり飲んだりするけど、そういう扱いがちらついて、確信的になると、弟はキレて出て行く。

(もし弟が自殺しそうなくらい不安定だったらそんな扱いを表に出さないんじゃないかと思う。)

ここには、思想の戦いがあって、弟は数で負けているだけだと思っている。

親や兄弟は、朝起きて仕事(教えれば誰でもできるような事)をして、夜は仕事の付き合いや家族で団欒、

そんな日々の繰り返しで家族を増やして貯蓄もそこそこする、みたいなのが、幸せというか正解であって、

定職もつかずフラフラしているのは、考える余地もなく甲斐性なしだと思っている。

弟は、それを正解とは思えないが、自分の現状も、胸を張って正解とは言えないので、一人で追い込まれてやるせなくなっている。

一方、うちの叔父の話なんだけど、

アラフォーで、フリーカメラマンやってる。昔は地方局に勤めてたみたいだけどイヤになって

今は競馬の馬の写真とかを、お金がないか深夜バスで何百キロも乗り継いで撮って売ってる。

暇な時は訪問販売とか怪しいことやっている。もちろん実家暮らし独身

もしこのおっさんがツレの家族だったら、扱い酷いだろうなと思う。

けど叔父の家族は、自慢の息子だって言っている。

そしておっさん自身は、悲壮感なく、苦労している分優しくて、話していると楽しくなる。

おっさんと話していると、この人の人生も正解だなと思える。

自明かもしれないけど、人のそこそこ満足に生きられるかは、

ステータスの違いでなくて、その場の思想(ベーズとなる考え方)の違いだと思う。

君が「文才もなくて本当にまいった」と書いているが、それは文才があることが正解だと思っていて、

文才がない自分に気分が落ち込んでいる(まぁ建前上書いただけかもしれないけど)とする。

確かに文才があったら、はてぶで人気エントリーになるかもしれないけど、君が小説家とかコピーライターとか

文才を生産活動につなげるような生き方を目指していないかぎり、結局は旅行とかと同じ一時の消費活動で、

しかしたら空しくなる可能性だってある。文才はないことを悔やむ必要はなく、あったら喜べばいい。

そういう精神衛生上ベターな考え方をできる状態に自分をおけるかが大事だと思う。

正直、何件かFBが付いている時点で、君の文章は何人かの人を動かしたのだからいいんじゃないの。

自分も昔、自己啓発を読みまくったり、一人旅して散財してむなしくなったり、心療内科に通って「嫌な気分よさようなら」を読んだりした。

カウンセラーのとこにも半年ほどかかったけど、結局、生きるのが楽しくないとか、将来に希望を持てないとか、

悶々と考えたって、スッとするような回答は誰も与えてくれない。

もし与えてほしいなら宗教にハマるとか、そっちに拾ってもらうことになる。

宗教という言葉を使うなら、会社ある意味宗教で、似たような人間が回りにいて、違和感が薄れていった結果だと思う。

なので君が、そんなに違和感を感じないコミュニティを見つけて馴染んでいけば、イライラは減るんじゃないかと思う。

自分をどうにかするんじゃなくて、自分に近い人を探して混ざっていくことがいいと思う。

大事なのは自分でもんもん考えて行き詰っているんだから

自分ひとりでやらないで、自分を肯定してくれるような人を見つけて関わってみることだと思う。

追伸:

当てがなく若い男が体をもてあそんでいるなら、自分は今被災地にいるので、ボランティアにでも来いよと言いたい。

2011-11-18

ヒモ生活がしんどいけど働く気にもなれない。

すいません、ヒモです。生きててすいません。

今は38円の充填豆腐冷奴食いながら、ブラックニッカの水割り飲んでます

足元では彼女が寝てますが、これ書きます

それでですね、俺元は一応金融マンでした。結構イカした金融マンだったと思います自分で言うのもなんだけど。

ところが、ある日突然何もかもがプチーンと弾けて、俺は仕事を辞めました。まー、限界だったんだと思います

親は俺を勘当し「二度と我が家に近寄るな。タカリに来るな」と言いました。まー、そんなもんですしょうがないです

そういうわけで、俺は二度と親に迷惑をかけないようこの東京ヒモ生活を始めました。そろそろ四ヶ月が経ちます

彼女公務員です結構キツい仕事のようで、大分疲れた顔で帰って来ることが多いです

大学時代から付き合い7年目。仕事を辞めた俺を受け入れてくれた、大事な宿主です

そういうわけで、家事は全般的に俺が請け負うことになりました。まぁ、それくらいは当然ですよね。

朝起きると、まず朝食を拵えます彼女和食が好みなので、魚をメインに組み立てます

まぁ、アジの開き、厚焼き玉子、ほうれん草の胡麻汚し、メシ、味噌汁、みたいなのを作ります

彼女は6時半には家を出て行くので、その後膨大な時間が残ります。まぁ、洗濯をして掃除をして一時間半。

それから買出しその他の雑用をしてもう一時間半。まだいいとこ10です

この辺りで煙草を一本吸って、コーヒーを飲みます。そして本を読む。すると、2時くらいになります

さて、この後彼女が帰るまでの数時間、俺は何をすればいいんでしょうか?

もちろん、この生活がずっと続くとは思ってません。いつかは、俺も働かなきゃいけない。

そういうわけで、FPや証アナをとってみたり、あるいは中小企業診断士勉強をしたりと色々してみたんですが。

なんていうか、自分がもう一回組織で働くビジョンが一ミリも出て来ません。多分、働くくらいなら死ぬ、と

割と真剣に思ってるんだと思います。ところが、埋め難い退屈が同時にある。

ふと思うんですけど、専業主婦の皆さんって普段何してるんでしょうか。だって、どう考えても家事なんて、

どんなに遅いとしても午前中には終わるじゃないですか。その後数時間の空白をどうやって埋めてるんだろう?

これは人生に二度と訪れない休憩時間だ、やりたかったことをやろう、とかも思ったんです

例えば、かつて小説家になりたくて本を読む時間が欲しかったこととかを思い出して、必死に本を読んだり

あるいは文章を書いたりしてみたんです。でも、全然やる気にならない。

じゃあ、カネになることをやればいいじゃないか。例えば、金融出身なら投資やれよ、とかそういう話なんですが。

これもまた、全く手につかない。マネーゲームは大好きだった筈なのに。だから金融に行った筈なのに、

全然やる気が起こらないんです自分の状態が全然理解出来ない。家事楽しいのに、それ以外何もできない。

一日煙草を二本吸いますコーヒーを二杯飲みます。あと、人並みにメシを食います

それでも生活費って、年金保険を入れても正直5万でお釣りがきちゃうんです

この生活が永続しないことなんてわかりきってます。俺も彼女もいずれ老いる。何かを考えなきゃいけない。

なのに、全く気力が回復しないんです。「これって鬱か?」と思ったんですが、そういう症状も全くない。

これまでの半生、わりとエネルギッシュに生きて来たつもりなんです。なのに、今ここから抜け出す気力が1ミリもない。

これはどういうことなのか、自分にも全然からない。欲望という欲望が消えてしまったみたいなんです

身体的な症状といえば、完全な不能になったことだけが唯一の問題点なんですが。

その点も、あの若かりし頃の行き場のない欲望から開放されて、むしろ快適なくらいで。

なんなんでしょうか、この状態。甘えるな、働け、と言われたらそのとおりです

しかし、俺は多分カネが尽きても多分働かない気がしてならない。彼女に放り出されたら、今のこの気持ちのまま

サクっと自殺しちゃうと思うんです。こんな状態は自然じゃないし、正しくもないと心の底から思います

しかし、何も沸いてこない。どうしていいか全くわからない。

わけのわからない文章を書いてすいません。寝ます

2011-11-01

turimotonaoki

2006年タイ売春婦に対する調査では、10%がお金が有っても売春を続けると回答しており、売春業を嫌いだと回答した者は8%に過ぎない。

タイフリー売春婦について http://www.npo-gina.org/pasd/GINA/sub4-p.htm

この統計から判断するに、売春楽しいと思ったりお金が貰えなくても続ける人は一定数居るでしょうね。

日本でも中村うさぎという小説家が、お金ではなく自分に女としての価値が残っているかを試すという目的性風俗店で働いていましたし。

http://anond.hatelabo.jp/20111031192301

2011-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20111030092912

楽しそうに仕事をしている男や仕事を生きがいにしてるような男、それなりに地位があったり高給取りの男は主夫なんてやってくれなさそうだから

仕事に疲れてる感じの男、仕事やりがいを感じてない男、あとは非正規雇用とか派遣社員アルバイト低賃金の男あたりに狙いを定めればいいんじゃないかね。

Twitter仕事愚痴や将来の不安をよくつぶやいてる男とかさ。

(そんな男に魅力があると感じるかどうかは微妙だが)

あとは、夢追い人を養うかわりに家事をやってもらうとか?

(家にいて欲しいなら小説家芸術家漫画家などのインドア系夢追い人に限られるが)

そういう人達がいるコミュニティに参加して、出会ってみれば。

このタイプの男は魅力があるかもしれない。夢が見られるから

2011-10-13

自分母親先祖遊郭してたって、聞かされた増田いる? いないと思うけど (今は親は固い職業)

小学生の時聞かされた。

変だよね、こんなの。

遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい

その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが   ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )

それにしても・・・

から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった

実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし

普通健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった

(別にエロい事と言う訳じゃないですエロい人ではないと思います)

言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか

例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか

森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。

本当の事と言っても、小説フィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションドキュメントルポを読むべきだと思うし。

言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。

世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。

しかし、彼女場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。

何を考えているかからない。

これは離れて暮らしている今もそうだが

どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。

これは父にも言える事だが。


それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話

これに繋がらない事もないわけだが

人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。

小学生ごころにはきつすぎる。

ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから先祖歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・

遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議構造になっている

江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった

世界皮肉でできている

江戸時代にも一番多かったのは吉原ではない

病気で亡くなった江戸を描く漫画家杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)

明治以降国家神道として神道流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )

ここにも、私は皮肉を感じてしまう事がある。

有名な江戸時代人形浄瑠璃歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。

遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る

http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm

皮肉

江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。

それなのに、簡単に誑かされてしまう。

2011-09-03

ライトノベル起源SFにあるんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20110903204912

ライトノベル黎明期を知っているか

小説には元々「ジュブナイル」という少年少女向けの分野がある。冒険物語を通して、社会常識を身につけさせるのが目的から、内容はかたかった。「努力をすれば報われる」「大人になるのは良いことだ」といったテーマで、ある程度名前の売れた小説家が書いていた。

そのころ、マンガ世界で読者の年齢層に近い作者たちが現れた。感性が近いか共感を得られる。あっと言う間に人気者になっていった。SF小説世界にも10代の作家が現れた。軽妙な語り口で、高校生を主人公に小説を書いてみせた。同年代から圧倒的な支持を得た。

その頃から少年少女向けの小説は、主人公の年齢に近い感性を持った小説家が書くようになったんだ。

それと、日本文学史は、ずっと「書き言葉から話し言葉に近づこう」としているんだよ。言葉は流動的なもので、どんどん変わっていく。でも書き言葉は文字で残るものから、変わる前の言葉で残っていく。で、ある程度の差が出来ると「もっと話し言葉に近づけよう」という運動が起こって、普段しゃべっているのと同じ口調になっていくんだ。さすがに地の文で「ちょべりば」とか書いてある本は読んだことないけど。

ライトノベル文学史の流れに沿って、生まれるべくして生まれたものだ。だから、形が変わることがあっても、廃れていくことはないよ。いつの時代も若者存在する。だから若者向けの小説もまた存在し続けるんだ。

20110904追記

kori3110さん、失礼。もっと前の話なんだ。1980年ごろ。ライトノベルという名称がつく前に少年少女向けの小説を書いていた人たちのこと。ライトノベルから一般小説へと守備範囲を広げていったのではなくて、一般小説を書いていた人たちが、少年少女向けの小説も書いていたということ。「ジュニア小説」って名称もあったけど無くなっちゃった

2011-08-30

ひきニートの兄がいる

兄が大学中退し、引きこもりニートになって10年になる。

時々思い返したようにバイトに行ってすぐに辞めるので

ニートではない時もあるのだけど、まぁ概ねひきニートだった。


兄は2年浪人した後、関西の私学へ行った。

それから5年後、4年生にあがれなくなり、中退して帰ってきた。


大学も行かずに何をやっていたのかと問うと、

はっきりした答えはなかったが、友達と遊ぶのが楽しかったような印象を受けた。


兄は幼い頃から小説家に成りたかったようである

今でもその夢はあきらめていないようで、

部屋に引きこもっては、パソコンに向かって小説っぽいもの

書いているらしい。

親戚づきあいもせず、もうすぐ40になる兄を見ていると苛々させられる。

母に兄をいつまで家に置いているつもりなんだと聞いたが、

泣いて答えは返ってこなかった。


兄妹そろって毎日、家にいたらやはり気まずい雰囲気が漂う。

やはり、兄には出て行ってもらいたい。

[++央]

2011-08-19

日本数学事情

日本から天才が出たことがないし、修士博士は、数学天才ではなく、数学の知識があるだけのオタク。仮に数オリ受賞者が研究やってても何も成果が出たためしがない。面白い学問なのに、末路がただ知識ばっかり多い評論家で終わるのが悲惨ペレルマンみたいな自由闊達研究者になって七大難問を解き、フィールズ賞・・・ということにはならない。ただの数学小説家

2011-08-16

プログラマー資格制度

プログラムを理解させるには?ブックマークコメントを読んでいて。

ブックマークコメントの中に、「資格」とかのコメントがいくつかあった。

既に情報処理試験とかあって、いろんなIT系資格があるのだけど、プログラマーやってる人なら誰でも感づいているとは思うが、資格など何の役にもたたない、という事で。高度情報処理資格を持っているからと言って、プログラム(その他設計コンサル)が出来るとは限らず、逆に何の資格も持っていないのに、すばらしいプログラムをする人がいる。

まぁ、これら既存IT系資格にある一定の目安にはなるとは思うけれども、万能では無いのも確か。昨今の不況、ITバブル崩壊で、IT系資格資格手当が真っ先に削られたのも、記憶に新しい(弊社だけかもしれないが)。

雇う外注ソフトハウスから派遣されて来た人など、だいたい15分も話せば、どのくらい出来るか、使えるかは判断出来る。これは資格では計れないものだ。

仮に、弁護士行政書士医師など、士制や免許制はどうだろうか?

やはり、使える弁護士がいると思いきや、藪医者もいるわけで。

車の免許はどうだろう?

交通事故は起きるし、無免許運転ははびこっている。

プログラマーはどうだろうか?

例えばトイレ。水を流すのに、最近トイレは、リモコンスイッチを押すと水が流れるが、あれ、プログラムだよね。

例えば炊飯器。米と水を入れて、スイッチを押せば、ご飯が炊きあがるが、これもプログラムだ。

車。ハイブリットや低燃費車が走っているが、あれは電子制御で動いている。

飛行機最近航空機は油圧では無く、フライバイワイヤーだ。

ロケットアポロファミコンにも劣るコンピュータで月まで行ったが、プログラムだ。

先日の中国の高速鉄道事故も、ATCプログラムミス(?)による事故だ。

先日の$oftbank携帯の通信障害は、故意に仕組まれた通信障害だった。

どこにでもプログラムは入り込んでいるし、そのプログラムによって、便利になっている反面、人命をも奪い、都市機能麻痺させる事も出来る。

にもかかわらず、「資格」「免許」無し。

なんでだろう?

介護について考えてみよう。

ヘルパー資格介護士とかいろんな資格が必要だが、世間一般的には、ワーキングプア、もしくはそれに近い悲鳴が聞こえてくる。

なんでだろう?

資格免許を持っていても、それが収入時間に反映されないいい例だと思う。

プログラマー」「SE」と名乗るのは簡単だ。「漫画家」「小説家」と名乗るのと同じように。なんだったら、名刺名前の上にそういう肩書きを書いておけば、「プログラマー」であり「SEである

漫画家小説家と違うのは、漫画家小説家は「売れなければただの無職」という事だ。あっという間に食えなくなる。自分アシスタントをやっていたし。アシスタントでは、ちょっと食っていけなかった(アシスタント作家自身は違うが、それなりに間近で見てはいるわけで)。

プログラマーSEがそうならないのは何故だろう?

誰かがリカバリーしてしまから、では無かろうか。

プログラマーSEが個人事業種の人達だったら、その通りになるだろうけど、多分、半分以上の技術者は、どこぞの会社所属しているサラリーマンだと思う。もちろん、これはこれでメリットがある。営業や経理・総務・庶務等が他の人に分担されている事や、会社などの福利厚生も使えるから

逆に「金の切れ目が縁の切れ目」が使いにくいというのがある。同僚が失敗したり行方不明自殺等というのはこの業界日常茶飯事だが、そのリカバリーは必ず誰かがやらなければならない。そして不思議な事に、それをやる人間は決まっている。失敗したマンガ小説を他の作家リカバリーする、というのはあり得ないのにね。

資格制度免許制度が万能とは言わないが、有効かどうかと言われると、自分には判断出来ない。しかし、前述したとおり、非常にクリティカルなモノを作る場合も有り、無資格なのはそれはどうだろうか?とも思う。

プログラマーSEミスすれば、都市機能麻痺し、人が死に、医療器具が動作せず、電力が起きず、このインターネットすら動かない。TVラジオダメ第1次産業以外のほとんどが停止する事になる。

そんなクリティカル仕事なのに、この士農工商穢多非人非人のような扱いを受けるのは何故なんだろうか?

経営者管理からみれば、次から次へとターゲットが蛆のように沸いて出てくる職業であり、使えるだけ使って、あとは使い捨て、という業界だし。

一度、プログラマーSE自分のやっている仕事がどういう事なのか、考えてみた方が良いのでは無いだろうか?

考える事は出来ると思うよ? だって、「完全動作する事を常に考えている」のだから。それが過失・故意にでも動かなかった場合、どういう事になるかは、簡単に想像出来るよね。

絵描き小説書きや楽器演奏作曲は、小学校の頃、学校で習うから、分かると思うんだけど、【今の現役世代以上】のプログラマーSEは、小学校で習わなかった。この差が非常に大きいのだと思う。

どんな無能経営者無能管理だって、「自分が絵を描けない・難しい」というのは、自分で分かる。なぜなら、義務教育時代にやっていたから。ところがプログラミングSEはどうか。やってないから分からない、わけだ。

あと、拍車をかけているのが、どこかが発表している「情報技術者何万人不足」という発表。この時点で「質」が考えられていない。そこへ、程度の低い派遣業が入り込んで、エライ事になる。そもそも派遣とは、受け側に技術が無いからその手助けに赴くものであって、人身売買では無い。先日も弊社で「組み込み系の低いレイヤーの部分を作るC言語(かなりアセンブラ寄り)が出来る技術者」を要求したのに、実際ソフトハウスから派遣されてきた人間は「C言語ポインタという概念も知らない」技術者だった(どうやら、Windows統合開発環境上においてC#だったら使える、というレベルだったようだ)。もちろん、そんな人員を使えるわけ無いのでその場でお引き取りを願った。こういう、「質」や「ベクトル」に関係無く「頭数」だけでどうにかなると思っている奴らが非常に多い。日本の(少なくとも情報系)派遣や客先常駐の考え方は、間違っていると思う。

そう考えると、ある一定の基準として、質やベクトルを明記する必要はあるのかもしれない、と思う。それが労働時間賃金に反映されるかどうかは分からないが。

2011-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20110813002001

自称小説家自分の腕試したくてやってるようにしかえんなぁ。

さっさと動画で証拠あげて。

ネタ臭くて仕方ない。

2011-06-27

BLと在日

注:加筆修正しました

最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネット同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。

なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。

いや、こんなにもアニメ漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイ二次創作に興味を持って腐女子腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。

そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。

というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。




倉科るり=金蓮花   在日のBL小説家

倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。

けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。

実はこの作家さんは、コバルト文庫金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネット検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。

さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルトノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島舞台仙人精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。

金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人外国人北朝鮮国内金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズ物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーロー新羅英雄金庚信である

ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本アメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。

金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。

彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校お祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。

そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説コバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティ価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議土下座までしたそうな。ましてやBLをや。

まぁ、BLを書くときと少女小説ラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbasso秋月こお榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。

ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。

ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山中国語では長白山)の守護仙人精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。




高城響、鷹匠早紀    在日の攻め

studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲーム乙女ゲームシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。

そのサイト大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会い恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである

『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。

しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。

ところで、この物語の攻めは、大阪出身関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的関西人という印象を受けた。

神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。




檜原まり子   日韓ハーフの受け

BL小説家檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台アジアオセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。

正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。

受けの母親日本人医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。

というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティ朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。

なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。




タカヒサ亨 渡来人カップル

『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台飛鳥時代日本で、有名どころでは葛城皇子中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。

主人公(受け)は、百済から渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである

職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。

日本舞台なのにあえて渡来人カップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。

もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。

ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。






コメント返し

ハテブやツイッター増田2ちゃんねるコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。


興味深い記事/勉強になった。/ほう。/おもしろい。

恐縮です。ありがとう

なんでこんな興味深い記事が増田なんかで書かれるんだ……いやまぁ理由は明確に推測できるんだけど。

自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田しました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから

金蓮花くらいしか思いつかなかった。/金蓮花さんは有名だよね。/ 金蓮花は私がコバルトを熟読してた時代の後の人で懐かしい。/金蓮花の作品なら子供の頃読んだことあるな。/金蓮花さんなつかしい

私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目していますラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。

違う文化がベースから、私から見たらよく分からないのかもねと当時は思ってた。アメリカ人日本とか中国に感じてるオリエントな感じってこういうのを言うのかなーと中学生の私には興味深かった。/舞台設定もそうだけど、登場人物たちの価値観や倫理観が自分の知っているものと異なる面もあって、それはそれで興味深かった。

確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教ベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。

「オレ、在日やん」。か。読んでみたい。/記事中の作品をどれも読んでみたい。

ネットで読める作品もるし書店図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。

日本では掛け算、欧米では×ではなく/(スラッシュ)なので割り算。

全然関係ないけど、最近アメリカスラッシュ翻訳されて日本書店の店頭に並び始めましたよね。日本語海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。

「「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」」あるあるwww

お仲間発見。やっぱり他にも同じ経験のある方がいるんですね。

この語り口、既視感が。/この特徴的な文体Twitterのどこかでみたような?

皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。

韓国人って恋愛もの入れ込むよね。日本人もだけど、なんかより情熱的っていうか

韓国人日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。

しかし、作者や登場人物が在日だろうとハーフだろうと、作品に影響なければ関係ないのでは?/BLを前にしたら作者が在日とかどうでもいいんだけど、気になる人もいるんだ

確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。

在日コリアンに限らずこういう風に創作の中に登場するマイノリティを振り返ってみるというのは興味深いよね。/こういう考察もあるのだねー。/いわゆる『キャラ属性』のフレーバー要素として、在日コリアン・その他を入れるか等。ただ、ふらっと使おうにも"実はよく知らない"事が多いのも、また事実。/彼も特にエスニシティ面で特筆されるような描写はないが、魅力的。

創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロアマアマラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています

2011-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20110614191815

普通の人よりは税金さえ収めてくれれば文句ないよ。

医学部卒で小説家になったって、人並み以上の納税をするなら許す。

で、文学部卒でニートはどうしたら。

http://anond.hatelabo.jp/20110614151959

妊娠出産で、そのまま専業主婦になる女医は少数派だから、そもそもの問題意識おかしいわけだが。

医者から漫画家になった人も、医者から小説家になった人もいるし、例外を考え出したら切りがない。

2011-06-11

村上春樹スピーチ

村上春樹は好きな作家なんだけど、カタルーニャ国際賞スピーチを読んだら、「小説家とか文化人有事にはまったく役に立たない」ことが改めて如実に判ってしまう内容だった。

まあ、準備不足(こんな時期にこんなスピーチをすることなんて「想定外」だったので、何となく思いついたことをくっちゃべった、とか)とかもあるんだろうけど。

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチなんて全然すごくない。

村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチが賞賛を浴びてるけど、僕はすごいスピーチとは思わない。エルサレム賞の「壁の卵」のスピーチの方が、何億倍もすごかったと思う。

本題に入る前に、まず先に参考にした資料を列記しときます

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

村上春樹村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳) : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

一部には原爆原発を一緒にするレトリックに批判が挙がってるけど、別にこの部分には異論はない。科学的にいうと全然違うかもしれないけど(急性被爆とかうんぬんかんぬん)、文学表現としては有りだと思う。

僕が違和感を覚えるのは、そこの部分じゃなくて、「我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」「理由は簡単です。「効率」です」という部分。

「効率」って言葉は一見抽象的なようで、安易に単純化した概念だと思う。

問題は深刻で真実は闇に隠されてて、立ち向かうのには、「壁と卵」のスピーチ言葉を使うと、もっとよい嘘をつくべきなのに、「効率」は出来の悪い嘘だと思う。

「効率」という嘘が、どのように出来が悪いかというと、この原発問題を簡単に乗り越えられるような印象を与えるということ。僕らが「効率」を捨てさえすれば、二度とこのような問題は起きないと錯覚するということ。

そんなに簡単に乗り越えられることが可能なんだろうか。僕らが「効率」だけを求めて生きてきたから、このような事故引き起こししまったんだろうか。たとえそうであっても僕らは簡単に「効率」を捨てることができるのだろうか。

しかしたら、福島の人に希望を持たせるためにあえて出来の悪い嘘をついたのかもしれないけど、そんなことは他の人に任せるべきで、村上春樹仕事ではないように思える。春樹以外の人にだって出来ることなのだから

春樹にしか出来ないこと、それは問題を抽象化して、別の形に置き換える作業だと思う。それは単純化と別方向の作業で、非常に難しいし、理解されないかもしれない。問題をさらに複雑にしたと批判を浴びるかもしれない。

でもそれが、「壁と卵」で春樹が言ってた小説家仕事じゃないかな。そしてそれは「嘘を紡ぐプロ」として自覚している春樹にしか出来ないことだと思う。

※追記 エルサレム賞リンクが間違ってたので修正しました。指摘ありがとうございます

2011-04-11

こいつには投票しない、という幼稚な言い訳

  1. レイシスト(都政と何が関係あるのでしょうか)
  2. 失言漢字テストレベル揚げ足取り
  3. タレント親族の七光り(いや、そういうもんでしょ?)
  4. 小説家たい文系知事にさせるな、田中、猪瀬も同じだ(職業差別ですか?)


せめて新銀行東京名前となぜそれが問題なのかぐらい自分で調べてから、その筋で非難すればいいのに、ばかだなあホント。愚民は誰だよ。


  1. お笑いタレント職業差別ですか?)
  2. 前科もの(都政と何が)
  3. 学部中退学歴厨乙)
  4. 口蹄疫のツケ払えよ(もはや意味不明


ここでも揚げ足取りばかり。八方美人聖人など期待しているうちは政治に口出さないほうがいいですよ。まあ、投票しない口実ができてよかったね、としか


  1. ブラック企業経営者(都政と何が)
  2. お金のいらないありがとうとかww(「清き一票よろしくお願いしまーす!」って言ってるだけでしょう。それが癪だってならともかく)
  3. いかビルから飛び降りろよ(それだけの心意気をもって職務に邁進しろということでしょう。まあ、社会人がそこまで背負込む必要ないとは思いますが)


主にブラック企業関連の批判が多い人。まあこの人は中身もなかったし当選することはないと見てましたが。


  1. 共産党乙(今回関係ないですね)


とまあ、小池晃共産党周りの茶化ししかなかった印象。もっとも、彼が当選しても議会孤立しそうだな、とは思いますが。

http://anond.hatelabo.jp/20110411014500

君は日本パリーブロックだ!

「二流小説家」みたいな展開を希望

でも研究所勤務のポスドクだったらそんなとこやってないで次の仕事探せ。

オッスオラ無職

先のことを考えると不安でわくわくしてっぞ

20代後半で学歴なし職歴なし彼女なし、ダメ人間したら特徴のない平凡なスペック

強いて言えば最近は体を壊すことが多くなってきたぞ。精神的にはマシになってきたと思ったらコレだよ

医療費が嵩み、貯金が尽きかけなんだけどどうするっぺさ

まともに職につこうとしても、空白期間を問われるけど素直に精神や体を壊してましたとか言っても駄目だし

嘘ついても落ちまくるしどうするってばよ

なんかつーかそのマジでどうしよう

暗い。とりあえずオナニーだなとやっても虚無感ハンパねえ

最近は暇なときは一発逆転思考になりがちだ

ギャンブルで一攫千金とか小説家漫画家になるんだとか医者になるため受験勉強するんだとか

まあ元金もないし借金する勇気もないし

頭は悪いしユーモアセンスや創作センスも0なのか努力っぽいことしても一向に向上しない

いでコミュ力も0諦めてはもしかしてと思う毎日

とりあえず資金調達のためにバイトでもやろうとしても落ち続ける

ネットしてれば世間と繋がってる気にはなれるが気だけなんだよな

2011-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20110310094441

何が嫌いかはなく、何が好きかで自分を語れる人間が支持される。

個人的には、三島と春樹の間に本質的な差があるとは思えない。

君が好きな小説家は誰だ?

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