その名は萌え。
萌えの定義って結局決着ついたの? サブカル文化論とか社会学界隈で。
舞城王太郎が(確か『阿修羅ガール』あたりで)ちょっとカワイソーな事になった顔のいい同級生を「えーかわいそうだよ」「謝ってあげなよ」と庇うモブのクラスメートに対して「萌えてんじゃねーよ」と言ってのけて、ああこれって萌えなのか、言われてみれば萌えかもな、上手いこと言うな流石小説家、みたいなことを思ったことがあったんだけどあれって結局何なのかってズバリ言い表せた人とか言い表そうとして失敗してる人とかいないの?
俺は萌えを殺したい。
いい加減何にも萌えないようにしたい。
萌えは愛だから萌えを捨てるとは愛を捨てる事であってそうすると心が乾くとか錆びるからやめろみたいなことを言ってくる奴がいるんだが冗談じゃない。
萌えが愛であるはずがない。少なくともアガペーでは絶対ない。エロスではありうるかもしれない。
しかし心を潤したり磨いたりするのは本質的にアガペーであってエロスではない。つーか心が乾いたり錆びたりで死にそうになるのはエロスのせいだと思うの。
与える愛と渇望する愛との二分類は「こんな心理になるのはクピドの矢に刺されたせいですよ」という説明付のための分類であり言わば出発点であって、それぞれの愛の性質の羅列にはなっても分解はできてない。
サブカル界隈、萌えの定義あたりからそこんとこ突破した人誰かいないの?
教えてエロい人。
そしてこの愛を殺して。
萌えが愛ではないもう一つの証拠というかヒントみたいなものがここにある。 すなわち、死が絡むと恐ろしく甘美になるということ。 ある種の愛、生き延びる愛はベクトルにすると生と...
ところで、死が絡む愛はすなわちそれらすべて萌えなのか? 古典文学とかを某巨大掲示板でネタ風に紹介するとき「○○って要するに××萌えだからね」とか称されることあるけど、あれ...