はてなキーワード: ライフとは
細かいコマに隠された伏線や感情が多く、ある界隈では本格ミステリと評されているらしい、キッモ。
16人のトーナメント参加者とそのセコンド、そして大会主催者の暫定ラスボス田島ら、ほぼ全員がとにかく理屈っぽく考えてから動くためページ数のわりに中々話が前に進まない。
もちろんそれだけあって群衆劇っぽさが強く、誰かが勝ち上がるのか読めない展開が面白い。
その上作者が地球の重力に耐えられないのも相まって今年は一年中山本空の煉獄を眺めることになってしまった。
ぼっちの黒木智子が孤軍奮闘するドタバタギャグ漫画だった頃と、女子高校生たちのグループ間のすれ違いや掛け合いを楽しむ青春漫画だった頃とが最早単行本の数的にも逆転した、ジャンルを一口で言えない漫画。
主人公の黒木のことを人間として好きになる過程がちゃんと書かれており、次々に黒木ハーレムへ加入していくキャラが増えていくも、その過程の違いや、構成員同志のやり取りも多く、主人公抜きの回も増えてきている。
○ 吉本浩二「定額制夫のこづかい万歳月額2万千円の金欠ライフ」
財布を配偶者に握られて自由に使えないお小遣い制の悲哀を書く人間賛歌漫画。
よく小遣い怪人だなんだと、小遣い制の中でもがく人間性が笑われているが、根本的には自分よりも家族を優先したいという気持ちがあり、その裏にある家族愛こそが書きたい…… というわけでも無い気がしなくもなくなくない。
東堂の一途な気持ちながら揺れ動く感情の上下が見ていてとにかくドキドキして、読んでいて胸が苦しくなる。
特に今年はこの二人の関係に多くの進展があり、そのシーンの後、何度も最初から読み返しては唸っていた。
東堂×虎杖のリバあり薄い本書きたい。
○服部昇大「邦キチ! 映子さん」
映画のついて語る若人の部の面々が映画を語りまくる、映画プレゼン漫画。
が、最近は主人公とヒロインの関係性が気になる展開が多く、いや使用済みブラシを忘れるのはやることやってるだろと、ムズムズさせられた。
こういう男女がくっつくだのくっつかないだのがやっぱ盛り上がるんだなって、木根さんの1人でキネマとか私と彼女のお泊まり映画を踏まえた上で思いました。
○寺沢大介「SUSHIROAD」
暇があれば寺沢大介の話がしたいのです。
海× 鷹一の薄い本書きたい。
漫画家ゆでたまご先生のキン肉マンはネタバレ禁止なので、ラジオネームゆでた孫さんのメールを読んでお茶お濁すしかないから。
私的裁判「双龍会」を舞台に殺人事件の謎を解き明かす本格ミステリ。
架空法廷モノは数多くあれど、この作品が持つ「架空の法廷らしきもの」でないと描けない絵面の強烈さは、何年経っても色褪せない。
とにかく七転八倒してどこに向かうかわからないジェットコースター的展開と、フェアプレイの精神を徹底し開示されている情報だけでこねくり回すミステリらしい展開が相まって、どこを読んでいるときも楽しい以外の感想が出てこない。
本当に、本当におもしろっかったんだ……
TwitterでWeb漫画や安くまとめ買いできるセール漫画を面白おかしく紹介することの百億倍面白かったんだ……
読んだけど正直よくわかんなかったので、誰か楽しみ方を教えて。
「対面講義再開を!キャンパスライフを返して!」とか主張している人達は、
・感染防止のために、十分な間隔を取って座らせる
・感染防止のために、ディスカッションなど飛沫の発生が懸念される行為は行わない
・感染防止のために、学食での会話は認めず、間隔を取って座らせる
本当に「講義」を対面で受けたいの? 200人入る大教室で、教員が毎年の使いまわしの資料を読み上げるだけの授業を対面で受けたいの?
それとも、キャンパスで友人と密着して、狭い空間でバカ話して騒ぎたいの? それって、社会全体で許されてなくない? 大学生だけじゃないよ?
もう少し具体的に「大学のキャンパスでこういうことがしたいから登校したい」というのを打ち出して、それで世間がどう反応するか、じゃないかな。
(アドベントカレンダーからのリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)
はい、そういうわけで、ですね!TUTのちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!
東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!
今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!
ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。
(この記事は12月に23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。
だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)
都会度というか、その辺りは
で、私自身技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。
あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。
◆環境◆
・豊橋のさらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた
・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション
・イオンに初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的な風景
・最低でも原付は欲しいところ。なので学内で原付の売買がお盛ん
・それでも鋼の意思でチャリと徒歩で生き抜くならば毎日がエクササイズという特典が
・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった
・車に全員載らない場合は車と単車、原付、場合によってはチャリで編隊されて行軍する
・大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ
・貧乏学生のライフライン、業務スーパーは普段生活のみならず学園祭の仕入れにもお役立ち
・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね
・ブレーカーを数部屋で共用する男子寮。ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル
・当然クーラーなんてないよね~、あんな貴族の嗜好品。夏の猛暑はアイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル
・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか?
・貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ
・バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような
⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和の貧乏学生」生活が送れる素敵な場所です。
◆勉学回り◆
・学生のほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい
・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど
・中学からの受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ
・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいか、いかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクターの学生がいたとかいないとか
・自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウントの個人領域のディレクトリに学生番号出来られていて、他からも見ることができた
・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか
・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポートが教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける
・院試は自分の苗字名前をケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度
・先生はダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。
・他と比較できてないからわからんけど変人の比率は高かった、と思う
⇒背景、状況から「普通ではない」ふいんき(なぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ
◆サークルとか◆
・そんなわけで、高専からの入学がほとんどの技科大サークルはちょっと関係が難しい
・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ
・とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる
・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。
・そもそも、サークル活動的なのはあまり活発ではなかったイメージ
・ほぼ男子校の技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携で女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか
・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学と連携していて、確か愛知大学の図書館も使えたはず
・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大の図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!
⇒陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンとかに出ているのかな。出ているといいな。
なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。
うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。
なんか思い出して行きたくなるくらいには。
――ふわとろ半熟オムライスを作りたい!!
表面を破ると半熟の卵がトトトっと出てくる、ふわふわ生地のまろやかなオムライス。 その味を想像してからは一瞬だった。
次の瞬間にはフライパンを握っていた。
まず卵2つを茶碗とかに割り、箸で混ぜる! この際、格好いい俺は「卵片手割り」という高等技術を使うので、必ず殻が混入してしまう。 なので取り除く。
そして塩コショウを少々。
牛乳を大さじ1くらい投入。
続いてフライパンにバターを落とすのだが、バターが無いのでマーガリンを取り出す。 しかしここで悩む。 「動物性か植物性かの違いだったっけ? 代用してもいいのかしら」 不安なことは即座にググる。
結果、マーガリンは特別なやつじゃない限り焦げるので代用は不可、との結果が得られる。 ヒュー、調べてよかった。 しかし実は、好奇心に勝てなかった俺はググる前にマーガリンを焦がし済み! なので「やっぱりダメなんだ^^;」程度の感想しか抱かなかった。 プロの料理人は常に慌てないのである。
仕方が無いのでバター無し、オリーブオイルのみで頑張ることになる。
強火でギャンギャン加熱するのだが、ここらへんの火加減が難しい。 サイトによって、強火で、とか中火で、とかバターがグツグツ言ったら、とか情報が統一されていない。
とりあえず総合的に判断した結果、強火で過熱しきった後に濡れタオルでフライパンを20秒冷ます、後 に中火、という火加減を選択。
中火にして、そこに卵を一気に流すのだ。
そしてイメージでは、一気に空気と共にかき混ぜて、フライパンを傾けて順に折りたたんでいく。 半熟の卵を中に残しつつチキンライスの上に優しく乗せる。
最後にナイフで半熟の卵を切り開き、フィニッシュ である。このとき同時に自分の未来も切り開くのがポイントだ。
しかし実際には、卵を投入した瞬間にゴゴゴと固まり、必死に混ぜるとなぜかフライパンの底に卵がくっ ついてバラバラになってしまう。
とにかくくっつく。
ここで涙目。 仕方が無く、底にくっつきまくった卵のピースをかき集めてチキンライスにかける。 食う。 半熟オムライスを食いたかったのに、スクランブルエッグもどきを食っている俺。 半熟要素が何処にも無い。 強いて言うなら未熟な俺の姿だけがそこにある。うまい! 飯はまずい。
そういう失敗を、実はもう4回やった。 4回ともスクランブルエッグになったので流石に泣いた。
そして卵が切れた。
なので次は卵を買いがてらバターを買う。
まじで買う。
バターが鍵に違いない。 アンパンマン的に見ても、バタコの投球力がいつも鍵となっている。 それと同じことだ。
半熟オムライスが完成したとき、そのときこそ俺が完熟オムライサーとなるときである。 道のりは、遠い。待ってろよ素敵なオムライフ。
佐藤と鈴木を組み合わせて、「佐鈴」だの「さとすず」だのと書いたり読んだりする。
そこに意味を持たせる界隈がある。
もちろん、攻めといったら穴に棒を入れるほうで、受けといったら穴に棒を受け入れるほう。佐藤が鈴木の穴に棒を入れるということだ。「鈴佐」だったら、攻めの鈴木と受けの佐藤で、鈴木が佐藤の穴に棒を入れることになる。
これは何にもかえがたい規則である。佐鈴の鈴木は、佐藤の穴に棒を入れてはならない。鈴佐の佐藤は、鈴木の穴に棒を入れてはならない。上の穴だろうが下の穴だろうが関係ない。例外はない。
例外はないので、佐藤も鈴木もどっちもどっちをやりたいときは、「佐鈴佐」とか「鈴佐鈴」とかって書くことになる。「リバ」というやつだ。佐藤も鈴木も下の穴でもいいし、佐鈴の佐藤が鈴木の上の穴に棒を入れてもいい。そういうときは、「佐鈴佐」とか「鈴佐鈴」とかって書かなきゃいけない。
何の話だっけ。佐鈴を佐鈴と書かなきゃいけない界隈の話。
書かなきゃいけないんだよ。佐鈴も鈴佐も佐藤と鈴木だけど、佐鈴は鈴佐じゃなくて、鈴佐も佐鈴じゃなくて、佐鈴も鈴佐も佐藤と鈴木では駄目なのだ。
でも駄目。
検索避けのためである。この界隈では、佐藤と鈴木の恋模様を特殊性癖に分類しているのだ。人を選ぶと言い換えてもいい。佐藤と鈴木の恋模様は、到底、一般人の目に入っていい内容ではない。
つまり、純粋に「佐藤」と「鈴木」を求める人のための検索避けである。ここで「佐藤」「鈴木」のタグを並べては、彼らの検索を妨害しかねない。佐藤と鈴木の恋模様は特殊性癖なのだ。こちらも特別なタグを使うべきだ。
ということで、一般人の検索を妨害しない、検索避けのための特別なタグがこちら。「佐鈴」「鈴佐」。ぜひ、佐藤と鈴木と穴と棒の関係に従って、適切に選んでほしい。
それでは。この日記は、あなたのすばらしい特殊性癖ライフを願う佐鈴の提供でお送りしました。
佐藤と鈴木の穴と棒に相談してください。彼らの将来を想像するのも悪くないと思います。
「佐鈴」も「鈴佐」も使わなければいいと思います。だからといって「佐藤」「鈴木」のタグを使うことはしないでくださいね。純粋な気持ちで「佐藤」と「鈴木」を検索する一般人の目を汚すことになるので。
って感じ。
いわゆる二次創作の、いわゆるBLの、いわゆるCPの、っていう界隈の話なんですけど。よそのことは知りません。
穴も棒もわからない佐藤と鈴木の恋模様には、どんなタグを付ければいいんだよ。いや知ってるよ。原作の題名にしれっと「腐」の字を混ぜた特別なタグがあるもんな。一般人とのすみわけのために、原作の題名やら略称やらは使わないで、この特別なすみわけ題名タグを使わなきゃいけないんだもんな。でも佐藤と鈴木がいることをどうやって伝えろっていうんだよ。
あっ、すみわけ題名タグを使ったときは例外ですか。そうですか。これですみわけができたから、佐藤と鈴木をそのままタグにしても問題ないってか。
じゃあ「佐鈴」「鈴佐」は? あっ、すみわけ題名タグがなくても、特殊性癖を意味するタグですか。あっそう。そうだよね。インフルエンサーが2人を組み合わせて「佐鈴」とか「鈴佐」とかって呼んでたらびっくりしちゃうよね。わかるわかる。
嘘。大嘘。わかりません。わからん。わかんね。こんなありふれた呼称が何だって?
コンビタグとかグループタグとかっていうものがあるんですけど、これは佐藤と鈴木の恋模様ではない関係を描いたことを表すタグで、たとえば佐藤と鈴木が2人でたばこ休憩するからって「たばこ休憩組」って呼ばれたりするんですけど。ですけど。
なんで特殊性癖じゃない関係のほうが、こんな特殊っぽいタグを使うんですか。なんで、あんなにありふれた「佐鈴」が使えないんですか。意味わかんねー。せいぜい、すみわけ系題名タグと「佐鈴」を併用したときにだけ特殊性癖を表すことにしろ。そうでもないときにちょっとインフルエンサーが「佐鈴」を呼んだくらいで発狂するな。
そもそも二次創作BLは特殊性癖か? 男と男の恋模様がそんなに特殊か? 特殊って言えるの? 今? 現代? 令和ですけど!? いやべつに特殊だろう普通だろうと、インフルエンサーがBL前提で「佐鈴」を呼んでもよくない!?
あっ違う? そういう差別的な意味ではない? 今だからこそデリケートな話題だからこその配慮ってやつ? そこまで配慮したいならタグじゃなくて、おまえの二次創作を読む人間が必ず通るところで説明しろ。文章で説明しろ。
「BLです。男と男の同性愛描写がございます。現在、同性愛を含めて、ジェンダーはデリケートな問題を孕んでいます。こちらの二次創作は、そうした問題について無神経な書き方をしているかもしれません。ご注意ください」
みたいな?
それともこっちか?
「原作で同性愛者と言及のない男性を同性愛者として描写しております。捏造です」
「原作で異性愛者と明確に言及されている男性を同性愛者に変更しました。捏造です」
まー二次創作なんか全部だいたい捏造ですけど。つーか、ジェンダーについて言及のない登場人物を異性愛者前提で扱うのもどうかと思うけど。もう原作にない恋愛(性愛)関係のすべてを警告しろ。
「この二次創作は、原作で言及のない恋愛(性愛)描写を含みます」
一部の方々のアレであることはわかっているんですけど、私みたいに嫌な思いをする人間もいるので、もうなんか「すみわけ」の気配を察知するだけで涙が止まらなくなり、日常生活に支障をきたし、今も泣きながら、このどうしようもない思いを吐き出したらすっきりするのかなとか考えながら、これは好みの話ですが、鈴木が受けに回った瞬間どうしようもなくメスになる現象が苦手です。
うだつのあがらない人生。目標や夢も特になく、彼女もいない、バイトして週末は友達と酒飲んでタバコ吸って二日酔いで過ごす日々を送ってきた。
なんか楽しいことないかなーって、ボケーッとテレビ見てたら黒柳徹子がスクワットが如何に素晴らしいかを説いてた。スクワットをすれば健康的に過ごせるらしい。
徹子曰く、爪先から膝が出ないように注意してスクワットするといいらしく、一回やってみたら確かにきつい。彼女は毎日50回やるそうだが、私は最初40回前後で限界を感じた。確かに生きてる感じがした。そこから私のスクワットライフがはじまった。
週五でスクワットした結果、1ヶ月後には100回以上はこなせるようになり、なんなら腕立てや腹筋、背筋もしてみようと筋トレにはまり、加えて体幹や有酸素運動(30分〜1時間ジョギング)もこなすようになった。
半年後、体重は10kg近く減り、体脂肪は11%と徹子のスクワットのススメきっかけで細マッチョになった。猫背は改善し、集中力もUPし、自信がついてモテ期もきた。筋トレしてると食生活にも気を使うようになり、酒量が減って、禁煙もした。
高校卒業後は4年ほどバイト生活をしていたのだが、大学に行きたいと思い、一念発起して4月から自力で勉強を開始。奇跡的に国立大の経済学部に合格し、東証1部上場企業に就職でき、コツコツ給料も上がってる。そして今もスクワットライフを続けている。
そういうわけでスクワットはマジでおすすめ。金はかからないし、スクワットだけなら3分もかからない。変な自己啓発本を買ったり、オンラインサロンに入るよりかスクワットした方が絶対いいと思う。
モヤモヤしてる時は限界スクワットがオススメ。これは自分が限界を感じたところからプラス10回を目標にスクワットすること。限界スクワットすると、サウナで整ったというか生きてる感じがする。野生に戻る感じ。オススメ
「ファンミーティングをする!」
とツイートして、一部の界隈で焦げ付いていた
今の連載が長すぎて追い切れていないが、昔好きだった作品を描いている漫画家だったので、うわぁという声が出た
作家がツイッターをすると、多くの場合、ろくなことが起こらない
ツイッターで話題になって、商業デビューしたならまだマシだが、それでも商業デビュー後は発言を前よりも考えないといけなくなると思う。
商業デビューすることによって、作家の人となりを知らずに作品を好きになるファンが増えるからだ。
しかし、このファンたちは、作家の人間性知ったときに、より好きになるか、嫌いになる。結果、ファンは減る。
エッセイならまだいい。
こちらから積極的にアクションを取らないと得られない情報であることが多く、読もうとするファンはそもそも作家のことを知りたいから好意的に捉えている。
拡散力が高いツイッターになると、その作家が問題あるツイートをしたとき、フォローしてなくても飛び込んできてしまう。
作家さんには知っていて欲しい。
ツイッターで呟くと、それが思わぬ騒動のタネになることがある。
ネットの炎上は祭と称されてきました。クズの失態に群がるクズ。そんな自覚があったのかもしれません。
最近は炎上という言葉が一般的になりました。いつしかクズは己のことを正義と呼ぶようになりました。クズという自覚なしに叩くクズ。そんなクズが多くなりました。
あたしは、クズはやはりクズに還るべきだと思うのです。「叩かれているのは君が悪いからだ!!」などと声高に話そうが、やはりおまえはクズなのです。今一度、祭に戻そうじゃありませんか。ワッショイワッショイしながら、燃料投下を待ちわびるクズに戻りましょう。
そのためには、マスコミさんが『ネットで炎上』ではなく『ネットで祭』と呼ぶようにしたらいいのです。すると、日頃の行いを棚に上げて「不謹慎だ」と愚痴るクズがゴキブリのように沸いてきます。
最近のクズは正義が大好きなので「人の失態に祭なんて気が狂ってます。このチャンネルは一生見ません」と涙するクズも現れるでしょうが、マスコミさんには必要悪として尽力していただきます。
やがて正義感溢れるクズvs祭大好きなクズで内戦が勃発し、その様子を傍らにあたしたち一般国民は今よりも健やかなインターネットライフを送ることができます。
何もやる気ないからYouTubeダラダラ見ていたが、自分はapexとかいう中毒者量産ゲーをやっているのだけれど、今度有名配信者がたくさん出る大きな大会があって。
いろいろなタイトルから人が集まってるゲームだから層が厚いのはわかるけど、上手い人は本当に上手い。
最近コンバーターが話題になってて、確かにそういうの使う人も絶対いるんだけど、普通に人外に上手い人ってやっぱり結構いるからさ。
本当にゲームうま男なやつは、本当になぜそんなことができるのかわからないくらい上手いのよ。
それがわかった上で、自分の限界に挑んでるんだよな。できることが増えるのは楽しい。
それにしても俺は下手くそである。加藤純一とかなんちゃらあくあのが断然上手い。プレイ時間がまだまだ全然足りないってのはあるが。
ゲーム楽しくて上手くなりたくて没頭してると、世の中のクソさとか不安とか忘れられる。
没頭してなかったら、酔ってなかったら、生きていけないよ。
仕事とそういう遊びの分別が、いい年して未だにあんまりついていない。
そのくらい没頭できる仕事してぇけどな。
お歳暮でリンゴをめちゃくちゃもらってしまって、毎日リンゴ食ってる。
朝起きてリンゴ剥いて食って、夜帰ってきてリンゴ剥いて食う生活。全部生だよ。
三日目くらいから皮剥くのもめんどくさくなってそのまま食べたら腹壊した。農薬使ってるリンゴはきちんと皮を剥こう。
いい加減飽きたし寒くなってきたので昨夜は焼いた。フライパンにバターひいて適当に焦げ目つけたくらい。食べる。うまい。これが焼リンゴってやつか。いくらでも食えそう。
でもびっくりすることに、さっき残りの数数えたらまだ20玉あった。おいウソだろ。そもそもなんで一人暮らしの男に段ボールでリンゴ送りつけてくるんだよ。別にリンゴに浅からぬ縁があるとか親戚がリンゴ農家とかじゃない。全然ない。ないはずなのに…
これ生リンゴと焼リンゴを無限ループし続けるのがつらくなってきた。キテレツ大百科はどれだけループしても平気なのに。ミキサー買ってリンゴジュースにしようかな。
てか何個か既に傷んでそう。おいしくて簡単なリンゴの加工方法教えてください。
あっ品種は書いてなかったのでよくわからんけど、火山って書いてあった。あと結構大きい気がする。蜜部分が若干ある。普段リンゴを食べないので甘いのか酸っぱいのかもよくわからん。
【追記】
知り合いに配れ→リンゴを送るような間柄の知り合いおらんくてスマン
アップルパイ→ククパパいろいろ見たけど「余熱」って言葉の意味を調べるところからはじめた自分にはハードルが高そうスマン
コンポート→砂糖と煮るだけでええんや!しかも長持ち!これや!!→ファミマのワッフルに乗せて食った。急に人生のおしゃれ度が上がった気がする。旨い!!
マルチ商法。耳なじみの良い言い方をして最近ではネットワークビジネスなんて言うらしい。合法だけれど聞いてあまり気分の良いものではない。
私はどんなメーカーが「それ」に当たるか知っていたし、中学高校の消費者の授業でもやった。
大学時代、社会人になっても周りにそんな人はいなかったし、近づこうとも思わなかった。
だからいざ勧誘される状況になった時、断ることができなかった。
■はじめに
自分が趣味きっかけで付き合った友達がマルチ商法の関係者だったら。もしも巻き込まれてしまったら。相手がどんな手を使って断りにくくしてくるのか。優柔不断で情が出てしまうタイプの人間がどうやって縁を切ったのか。
自分と同じような人が今後生まれないように、巻き込まれて本当はやめたいなってちょっとでも思っている人のふんぎりがつくようにここに書くことにした。2020年も終わり掛け。ストレスな人間関係は清算して、浮いたお金を好きなことに使いませんか。
■会員になってしまった経緯
今年の春先…コロナで外出自粛が続いていた折、ツイッターの趣味アカウントで面白いツイ―トをするA子に出会った。聞けば歳も近く話しやすい。すぐに意気投合しリプライを送りあう仲になった。
プライベートの話もするようになり、お互いの仕事の話をちょっとだけ聞くようになった。A子は駆け出しではあるものの美容系の仕事をしていると言った。その内容がオンラインでカウンセリングできるモノ(これ自体はマルチも何も関係ないよくあるサービスである)だったため、興味があった私はカウンセリングを受けた。その時は勧誘なんてなかったが、会話の中で私は自分の肌悩みであったり、ダイエットをしたいんだよね、という今後の予定をそれとなくしゃべっていたりした。当時の私はA子の「有資格者」「プロ」としての仕事をみてすごいなあとただただ思っていた。
少し日がたつとA子から、『こないだ肌荒れとかダイエットで悩んでるって言ってたよね?話聞いてもらうといい人がいるんだけど紹介しようか?』と連絡が来た。そりゃあこの類の話は専門家に聞いてもらったほうがいい。そう思って私は承諾してダイエットに関する勉強会(ネット会議)に参加した。そこには私やA子以外にもいろんな年齢性別の方が参加しており、必死にメモを取っていて少し面食らったが、有名大医学部卒の人が話をしてくれた。で、最後に出てきたのがサプリメントとプロテインの紹介だった。
そこでやっと、少しだけカネのニオイを感じとった。なんか違和感がある。そう思って商品名を検索すると、マルチ商法で有名な企業(X社)が出している商品だと分かった。(パッとブランド名や商品名、ロゴマークを見ただけでは、その社の商品だとはわからないようになっている)
まじか…と天を仰いだがもう遅い。なぜならもう一人のマルチ商法関係者(A子でもなければセミナーの講演者でもない)に直接会う約束を取り付けてしまっていたからだ。
週末出会った女性はエステ経営者だといった。自分の肌悩みを話しそれに対してなぜ起きているのかメカニズムを説明される。くそうなるほど納得できる気がしてしまう。そして、X社への会員登録と美顔器・基礎化粧品の購入を勧めてきたのだった。(A子が友人として紹介してくれている手前、彼女が尊敬している人とのスケジュールをドタキャンするほどの勇気はなかった)
マルチ商法の会員と聞くと、商品を買い込み、在庫が出ないように人に売りさばき、あるいは自分の子、孫の会員に買わせ売りさばかせ…という「ビジネスの会員」を思い浮かべていたし、私もそういう認識があった。が、勧誘されたといっても私の場合はビジネスをする会員ではなく「商品を買うだけの会員」であった。
“人に迷惑がかからず、自分がイチ消費者として判断して支払うならいいかな…”
そうして私は購入を決めてしまった。しかしながら商品を購入するには、すでに会員になっている人間からの紹介による会員登録がいるようで、私も紹介者番号を入力するようにいわれた。
おそらく…これはおそらくなのだが、紹介料、マージンのようなものがA子に入っていく仕組みなのだと察した。その時、対等だった友人としての関係が捻じれたような気に襲われたが、気にしないようにしていた。もちろん一度A子にも、これはマルチ商法で有名なところの商品だよね?怖いんだけど。と問うてみたが『私はいいモノだと思って使ってるんだ!使い続けてたら調子もよくて後悔してないし』とハッキリ言われてしまう。彼女自身に辞める選択肢はなさそうだった。
結果「A子自身は共通の趣味の友人としてはいい子だし」「商品が粗悪なわけではないし」「使い心地も悪くないし」…私は自分にそう言い聞かせて商品を使用し続けることにした。
■人付き合い疲れ、拭えない疑念
商品をただ買って使用するだけならば、(カネを支払うというより取られる感覚なのでもちろんいい気分のものではないが、)私とA子とマルチ商法の会社(X社)の3つしか関係者がいない。問題は…私が嫌悪感を覚えたのはネットワークビジネスの名前の通り、マルチ商法のあらゆる人脈、界隈から(縛り付けるように、つなぎ留めるように、辞めにくいようにするため)声がかかることだった。
・健康系のセミナー:一回料金○千円だけどそのあとはタダでカウンセリングしてくれるよ!と言われたが、初回のカウンセリング以降相手からの連絡はナシ。
・美容系のセミナー:X社の商品を正しく使ってもらい効果をあげてもらうためのセミナーがあり、X社のビジネスを行っている人間がスタッフとして参画している。その会社の各地方都市の拠点ないし、間借りした賃貸の一室(外向きにはエステと称している)で行われる。内容はいたって普通、必要なのは購入している商品だけで教えてもらうのはタダ。(私の場合は)強引な勧誘はされない。
・新商品の発表会やパーティー:日頃の感謝を利用者さんにお伝えするためにやるんだけど、どうかな?と誘われる。言ったことはないけどこれもタダらしい。
しかもこれらに参加させるためにLINEが来るのだが、決まって必ず『〇〇ちゃん、▲月●日ってあいてるかな?』とだけ連絡がくるのだ。要件を言ってくれ要件を。参加するかどうかは他の参加者と中身によるんですよね。断るのも傷つけずに断る理由つくるのもめんどくさいんだから…。私はだんだんこの類の誘いにイライラしはじめて、最後のほうには都合が悪いことをにおわせて返信したり、今月は忙しいので無理、で乗り切るようになっていた。
ちなみに私はこの中だと健康系のセミナーに1回と、美容系のセミナーに複数回参加したのだが、美容系のセミナーに行ったときがものすごく疲れた。
―『え~〇〇さんめっちゃいい感じ!写真とってインスタにあげてもいいですか?』(彼らはそれぞれセミナー活動をUPするマルチ商法界隈専用のインスタグラムアカウントを持っていて、そこに活動内容を投稿するためのもののよう。)さすがにこれは断ったら引き下がってくれた。(ちなみにフォローしているだけでハイパーキラキラアカウントのごとく商品を使っているところやいい感じの場所でのディナーがアップされる。受動的にいい生活を見せつけられるのは疲れる。)
―『わ~!汚れが沢山取れましたね!』
「は、ははは~そうかも~」(いや、大量に顔面に塗った薬剤が美顔器についてるだけですよね…大して色も変わってないし)
―「使い続けて○か月たつんですけど全然よくならないです…疲れちゃったな…」
『私もそうでした!でもある程度“念”みたいなのって大事で、心に言い聞かせるんです…これ使ってれば肌荒れも治るんで!…ってこんなこといっちゃいけないんですけど~笑』
「あ~もう少し頑張ってみますか~」(は?言っちゃいけないことをわざわざ言うなよ…てかこれ薬機法違反なんじゃないか?)
とまあこんな感じで、心の中に疑問符が大量発生する話を毎回されるうちに、疑念はどんどんどんどん大きくなっていった。この頃になると、好きな化粧品を気軽に使えないことや、旅行に行く時・友達が遊びに来た時・実家に帰省する時に商品をコソコソもって帰らなくてはいけないことに、段々不自由さを感じるようになっていった。
■退会の引き金
彼女のカウンセリングを受けた後かつマルチがらみだと気づく前の時期に、私はリア友にA子の話をしていた。彼女も以前からその類のカウンセリングを受けたいと言っていたので、年齢も近くて話しやすいよとA子を同期に紹介していたのだ。
友人からはA子と直接会ってカウンセリングを受け、その後プライベートでもあったと報告を受けた。その時はマルチ商法をすすめられたなんて話は聞かなかったし、私が商品を買っていると知られるのもなんとなく嫌だったので、彼女に「A子がマルチ商法の商品をすすめてくるかも」とは伝えなかった。
「A子ちゃんのカウンセリングに無料エステがセットになってて、そのエステに今日行ってきたんだけど、そこで進められたのがマルチ商法の商品だった…」
…血の気が引く思いがした。これは正直に言わなくてはいけない、怖い思いをさせてしまった。自分にとってよりリアルな、より付き合いの長い人間関係を侵食されたのである。当初私が会員登録した時の「私以外には迷惑がかからない」が崩れた瞬間だった。
幸い彼女は意志が非常に強い人間だったので、当日の勧誘を断ってきたが、住所や名前などを記入したことを後悔していたようだった。話を聞けば聞くほど、A子との友人関係は続けたいが、X社の会員でいることをやめたい、とハッキリ思うようになった。
先程も書いたように、リアルな人間関係を侵食されたことが許せなくて、私は本格的にX社からの退会のタイミングをうかがうようになっていた。しかしながら、問題点が3つあった。
これについては、A子以外のX社関係者を全員ブロックして、最後にA子だけと1対1で話をすればいい、と考えた。
友人としての関係性を続けるか、彼女もろともブロックしてしまうかは私個人として一番悩ましい点であった。ブロックするにしても、こっそりやるかきちんと相手に宣言するかも迷うところであった。
これは完全に自分が油断していた。名前は致し方ないとして、住所はいずれ引っ越すのでそれまで落ち着いて過ごせればいい。(こうならないためにもやはりマルチ商法には巻き込まれるものではない)仮に何かされても裁判をおこせば自分に勝ち目があるし、相手方も自分のビジネスの評判をわざわざ落としことはしてこないはずと判断した。
そのうえでまずは出会った関係者全員をブロックした。とりあえずこれで変に部外者に加勢されて、変な取り込まれ方をされる心配はない。
問題は②だったが、ひとりで考えていてもしょうがないし、踏ん切りがつかなかった。冷静な、客観的な他人の視点が必要だと考え、私は昔から仲良くしている地元の友人に久方ぶりの電話をかけ、事の経緯を洗いざらい話しどうすべきか意見をもらうことにした。
地元の友人の回答は「“マルチ商法やってること以外はいい子なんだけど…”ってことは、マルチ商法やってるから不快だと思ってて、付き合いにくいってことなんでしょ」「このままダラダラ続けるなら何も変わらないし、またつけ込まれる可能性が否定できないよ」「タダで何かしてもらったりしてるけど、そのたびに情が出ちゃったり辞める申し訳なさが蓄積されてくよ。続ければ続けるほど辞めにくくなる」「A子ちゃんとも直接あってないんだし、今が辞め時だと思うよ」「思い切って全部切りな!」とのことだった。私は深く納得した。この数か月で受けた勧誘とは比べ物にならないくらい、私を知っている人間が私のためにかけてくれた言葉と感じたからだ。その後友人は、私が彼女に退会の旨と別れの言葉を送信し、ブロックしたことを報告するまで通話を続けて背中を押してくれた。もちろん友人としては好きな相手だからブロックするのは心苦しかったけれど、リアルな友人関係ではなかったのが救いだった。これは心を鬼にするしかない。今回の件をきっかけに友人を失うリスクに気づいて、マルチ商法から足を洗ってくれたらそれでいいと思った。これはお互いのための勉強料なのだ。
こうして、11月に別途X社の退会処理を終え、私の数か月間のマルチ商法巻き込まれライフは幕を下ろしたのである。
■おわりに
この文章の目的はマルチ商法やX社の商品の批判ではない。この件に関してはいろんな意見があって、そのような文章はこの世にあふれているからそれぞれが読んで判断すればよいと思う。(しかも私はビジネスで破産したわけでもない、序の口で折り返した人間である。)
ただ、マルチ商法って案外近くに潜んでいて、いつの間にか忍び寄ってくるものだってことを知ってほしくて書いた。ここに書いた内容がビジネス勧誘の入り口かもしれないし、自分のより大切にすべき人間関係や、純粋に余暇として楽しんでいたい趣味をいつの間にか侵食してきていたら、これほど不幸なことはないと思うからだ。
自分のお金が搾取されていると感じながら付き合う友人は、本当の友人と言えるだろうか?
趣味を純粋に楽しめなくさせてくる相手は、本当の友人と言えるだろうか?
ちょっとでも継続を迷っていたり、後ろめたさを感じている会員の方はこの文章を読んで「相手を知り」、そのうえで身近な信頼できる相手にぜひ打ち明けてほしいと思う。
もしも友人や娘息子からそういった相談(マルチ商法に関わっているがやめたいんだよね、と本人が思っているケース)を受けた周囲の方は、怒らず責めず論理でへし折ろうとせず、まずは本人の話を聞いてあげてほしい。自覚があること、やめようと思えたことを肯定的にとらえて、退会に向けて背中を押してあげてほしい。
少しでも多くの人が、望まない、不自由なお金の使い道から解放され、しこりのある人間関係から解放された状態で、新年を迎えられることを願って。
はいどーも。
実用的な電気自動車を初めて見たのは、鉄腕ダッシュだった。ダイハツのハイジェットを改造したソーラーカーだん吉号で、TOKIOのメンバーが日本を一周していた。テレビ番組なので、話半分でみないといけないけど、太陽光で充電して、短い航続距離をカバーしながら走っていた。
で、こいつは、今なら、三菱のミニキャブミーブを買うとご家庭でも真似ができる。軽自動車の電気自動車があればとか言っているブクマカが多いけど、ミニキャブミーブを買えば、軽自動車で電気自動車ライフを送ることができる。
さらにいえば、アマゾンあたりでソーラーパネルと変換器を買えば、だん吉号のようにソーラーパネルで充電することもできてしまう。20年前のテレビの企画はご家庭でできるところまで技術革新が進んでいるのだった。残念ながら、乗用タイプのアイミーブはディスコンになってしまった。
ミニキャブミーブの実力はというと、航続距離は150㎞。片道10kmくらいの通勤を5日くらいにはギリ耐えるかなといったところだ。お値段は、2,431,000円也。三菱の充電会員になると1500円/月で充電し放題になる。中古は航続距離が4/5くらいになるが、80万くらいからある。
充電インフラと航続距離がなんとかなれば、軽自動車で電気自動車は、すでにすぐそこまできている。
以上のことを書いていたら、中国のホンダから HR-V(日本名ベゼル)の電気自動車タイプが発表されたようだ。航続距離480㎞、価格が240万円くらい。現実解に近づいてきたもよう。
価格、航続距離、充電インフラがバランスすれば、電気自動車へ一気に傾くタイミングがきてもおかしくないのかもしれない。
ではではー。
みなさんは哀れなザコなのでどうせシコシコorgasmを得ているのだろうが、俺のような上級市民はレベルが違うオーガズム、すなわちOgresmを得ている
Ogresm、読んで字の如く、まさに鬼のような力をもつオーガズムだ
下級国民が住んでるようなみすぼらしいショボい部屋だと簡単に吹き飛んでしまうので、オーガズム・ルームと呼ばれる専用の部屋が必要になるのがネックと言えばネック
快感の量も半端ではない 雑魚orgasmを魚の形の醤油容器一杯分とするなら、OGRESMは木星ひとつぶんくらいの威力がある
プラスチックで雑魚を象ったゴミvs巨大惑星 そういうレベルの、もはや勝負と呼ぶことが不可能なくらいの差がある
この前なんか興がのって1日8ogresmチャレンジをしたら因果律が狂って太陽が紫色に点滅するようになってしまった もちろん2ogresmとかけずに修復したが、ちょっと肝を冷やしたね
家族に見られて恥ずかしいとかそういう低次元のオナニーライフを送っている低層のカスをみるとあまりに惨めで泣けてくる
はやくogresmを習得することだ
まずはそこからだ
29歳の人事トップにサラリーマンのライフプランなんて考えられるわけがない
だって人生経験どころか会社人生の本丸に足も突っ込んでない可能性がある
子供がいても10歳にも満たないだろうし、そんな人事トップが学費だのローンだのの苦労が分かるわけがない
生まれてから暫くは無尽蔵に玩具を購入したり、夢があるかもしれないが、そんなもんすぐに吹っ飛ぶぞ
仕事だって機材が足りない人手が足りない不満を言わなければ何も改善しないだろうに
○イリスの製品てあんまり持ってない気がするけど、安価でコピー品の多い家電を購入するとき店頭に選択肢として並んでるけど、購入する気も失せるわ
結局、パナとかマネシタと言われるけど、そのパナから落ちてきた人材を拾う時点で、企業が中国企業っぽくなるんだな
でも、中国はトップはトップで徹底してるから、そのうちマジでこの国は駄目になるんではないかと思うわ
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
アラフォーが目の前に迫ってる現実はどうでもいいんだけど、この先どうしても幸せになれる未来は描けないし訪れなさそうだなと諦めが着いたので身辺整理始めようと思う
昔はいちばんかわいい盛りにこの世から消え去りたいと計画立ててたけど、生きてる間に図太く逞しくなってしまってもう可愛いと呼ばれる時代も通り越した
生きてれば年取るしそれ相応に対策しなきゃ老け込むだけなのは分かってたからいろいろやってみた、でも結局家で一人で窓辺に椅子置いて外を眺めてるのが落ち着くって知っちゃったし、ライフイベントも期待は薄い
無料の範囲でスピリチュアル的なものも確認したけどああいうのって結局20代向けなんだよなぁ、未来にまだ希望を持っても許される年齢のためにあるんだよね
ただ、ただなんかまだ生きていたいと思っちゃうのは何故なんだろう?
現在進行形で頻繁に会う、親友と称するレベルの相手ならライフイベントを共有するのが礼義だと思う
報告もLINEじゃなく直接会ってすべき。近所に住んでるなら尚更(まぁ直接会って言わない時点で、親友とやらも元増田に対して後ろめたさがあったのかもしれない)
絵を描くという苦労を知らない人が、絵師さんに絵を頼み、炎上してしまうという場面が多く見受けられる。今回はその事について書いていきたい。
私はどちらかと言うと絵を描くオタクだと言う事を前述しておく。私は運動が大嫌いで体育が大嫌い。だけど絵を描く事とゲームをする事は物心ついた時からずっと大好きだったという、生まれながらにしてオタクとして生きていく宿命を背負ったオタクだ。
絵を描かない人からしたら、『絵を描く人は絵を書く事が好きなのだから、気前良く絵を描いてくれれば良いじゃないか!』と思うはずだ。
私はここで、絵を描く事の本質はスポーツと同じ説を提唱していきたい。
例えば運動大好きな少年がいるとしよう。子供の頃から走れば褒められ、ボールを投げれば褒められ、鬼ごっこでは負け無し。その後もスポーツ大好き少年として生きていき、中学に上がってからも勿論運動部に入部する。運動部には運動大好き少年がわんさかいるので、その中じゃ全然自分上手くないやんけ?!という状況が発生する。運動部の練習は朝早いし、つらいことばかりで楽しくないし、周りめちゃうまいし心折れそう!でもやっぱ運動楽しい!上手くなれるように頑張るぞ!となるだろう。
絵も同様なのだ。
子供の頃から丸を描くだけで褒められ、家族を描けばリビングに飾られ、学校でも四六時中絵を描いている。絵描くのほんとに楽しい!その後、高校に入って文明の利器、スマートフォンを手にして、Twitterを始める。するとそこには絵の上手い人がわんさかわんさか!自分の絵を人に見せるのが途端に恥ずかしくなる。でも、やっぱ絵を描くことが好き!つらいし、しんどいけど、何百枚も模写をして手にペンダコ作りながら頑張るぞ!となる。そうして絵描きは画力を身につけていく。
自分が描きたいものを描く落書きは、ラウワンのスポッチャで遊ぶようなもの。気楽だし、背負うものが何も無い。そりゃ楽しい。
人からしっかりお金を頂いて頼まれた絵は、プロのスポーツ選手が本番の試合をする様なもの。相手の期待に沿わなければいけない。勝たなければいけない。プレッシャーがかかる。
スポーツの練習のように、絵師だって模写は苦しいしつらい。(模写をすると画力がグッと向上するので、絵の練習には最適とされている。)
アニメみたいなイラストが得意な人もいれば、絵画を得意とする人もいる。
絵描くのが得意な人に、「君、絵描くの得意だよね〜?私の為に可愛いイラスト描いてよ〜!無償でお願い!」と言う事は、運動が得意な人に、「君、運動得意だよね〜?私、友達に箱根駅伝出た人がいること自慢したいから特に報酬とかはないけど箱根駅伝出てよ〜」と言う事と同義である。誰でも、は?お前なにいってるん?となるはずだ。箱根駅伝は言い過ぎたかもしれないけど、その様な事を言っているのだ。
絵で食べていけているようなプロのイラストレーターに、「無償でイラスト描いてください」
と言うのは、イチローに対して、「近所で草野球の試合あるんだけど、ちょっと出てくれない?」と言っている様なものなのだ。
プロを目指していない、完全趣味で絵を描いている人に対しての依頼も同様だ。流石に例え話を書くのが面倒くさくなってきたので、各自考えてみてほしい。
そして、絵描き側も、もう少し、(あ!この人は絵の事を全く知らないズブの素人なのだ。)と理解した上で、コミュ力0みたいなオタク丸出しの最悪の言い回しで相手を蹴散らした挙句、DMをスクショしてツイートする、見せしめの様な対応をするのではなく、もう少しオブラートに包んだ言い回しで、相手にそれは無理だと言う趣旨の事を伝えられるようになると、双方の理解が進むのではないでしょうか?
(あ!この人は絵の事を全く知らないズブの素人なのだ。)と思う時、大半の方は(あ!この人は救いようの無い運動音痴なのだ。)と思われた経験があると考えられるので、自分と同じ、可哀想な境遇の方がいたらどうするか、想像力を働かせて、相手の気持ちを汲み取るれるようにコミュニケーション力を高めて、楽しいSNSライフを送りたい。