はてなキーワード: 煩雑とは
https://anond.hatelabo.jp/20180818141643
http://www.u-kochi.ac.jp/soshiki/7/oshirase.html
高知県立大学図書館からリリースでたけど焼却処分の理由は言及されてないので
個人情報流出を恐れたのかな?と。
図書館の貸出システムがコンピュータ化する前、館内設置の図書目録カードと
公共図書館では貸出カードに利用者氏名が残らないブラウン方式だったけど
学校図書館では生徒の利用状況を把握するために敢えて利用者氏名が残るニューアーク方式を採用してきた。
そのため、20世紀に購入した図書には当時の利用者氏名一覧が記載された貸出カードが表紙裏ポケットに入ってる。
図書館システムのコンピュータ化と個人情報保護法で上記管理方法が絶滅してくれれば良かったのだけど
研究室所蔵図書や学科独自で運営している図書室など、図書館システムを介さない図書貸借を管理する大学の一部では現役で生き残っていたりする。
そしてキャンパス再編や研究室廃止時に図書館所蔵に組み込まれたりする。
さて、上記のような「大学名・学部学科・氏名・借りた書籍」がバッチリわかり、さらに「卒業年数・年齢」が推測できるような
貸出カードが譲渡・売却図書などを通じて学外に流出してしまったら現在の日本ではどうなるのか。
そのため、譲渡・売却する場合は一冊一冊貸出カードを確実に抜く必要があるのだけど、カードがポケットに入っていなくてページ間に挟まっていたり
DATE DUEの方に氏名が書いてあったりと除去作業が非常に煩雑。一枚でも見逃したら大事故発生リスク。
自分の実体験上、図書館新設(移設)の超繁忙期に上記作業をやる余裕はないので燃やすことにしたのかなと勝手に推測。
報道では蔵書3万8000冊(単行本や新書などの図書2万5432冊、雑誌1万2700冊)を3年で13回に分けて除却したとある。
1回あたり平均して3000冊程度の除却リスト作成ならそんなに特別感はない。しっかり計画的に無理なくやってるなという印象。
千葉大図書館の成功はブコメにもある通り、図書館職員・教員の長期に及ぶ熱意と努力と実行力によって実現しているので
ラーニングコモンズをまともに運営するのは並大抵のことではない。
楽しかったけどね。
なお、「図書館のファレミス化」はグループ学習エリアでカードゲームやスマホゲーで盛り上がったりする学生とそれを見つめるだけの図書館職員を揶揄した表現でした。
グループで作業しプレゼンする授業のために図書館のグループ学習エリアを使用するのは正しい利用方法ですので今後も是非活用してください。
第1子の出産を実家で行うことが結構ある。会社の同期は現状100パーセントで結構多い。
出産にかかる医療費は健保が使えず10割負担です。かなりの金額になるため、各種助成があります。
里帰り出産っていろいろ手間なのでこれがもっとスムーズだったら次も産みやすくなるかなと思ったので、記載します。
1、10割負担をやめて通常の病気と同じように健保使わせてほしい。
これだけでだいぶ病院窓口での手間は減る。今は助成を受けるために住んでる地区町村の発行したチケットを病院に持っていき医療費割引してもらいます。病院窓口でもどのチケットを使うか判断に手間がかかっていそうだし自治体側でも、これって個人ごと管理するの手間ですよね。
また、切迫流産気味だったりすると、その診察は健保適用で3割負担で済んだりするので保健適用と適用外が混ざってとても煩雑だと思うんです。
個人にチケット渡すんじゃなく各健保へ直接補助してもらえばいいんでは。
また前述の助成チケットですが他県では使えません。だから里帰りした時は病院窓口で10割支払って、出産後に領収書をまとめて東京の区役所へ持っていき申請書を出して還付を受けるわけです。後日銀行振込で戻ってきます。
これ、一人一人窓口で誤りがないか母子手帳と突き合わせて領収書をチェックするのですが、利用者、役所側共にかなり負担だと思います。
東京都は基本無料になるんですよね。しかしそのためには住民票がある区で医療証を発行してもらうことが必要です。ただし、医療証は都内でしか使えません。
発行には出産直後に手続きが必要で、先に保険証を入手しておくことが必要です。
出産後、まず保健組合に新生児の保険証を請求しますが新生児が例えば黄疸の疑いなどで診察を受けた場合保険証発行が間に合いません。また、子供の医療費を助成するのは親の住民票がある自治体なので里帰り時は窓口で無料にはなりません。(仮に住んでいても医療費助成のチケットはすぐには入手できないため窓口で一旦払います。)
保険証来る前は10割払って、保険証来たら会計再計算してもらって8割返してもらいます。そして子供医療費のチケットがあれば残りの2割も還付を受けるわけです。
これが私一人ではなく何人も発生するはずで病院側の手間、そして後から還付作業する行政のコスト、出産間もない母親の手間を考えると無駄以外の何者でもないと思います。
(里帰りしてる場合、電話で住民票のある自治体と何度もやり取りして郵送などの依頼をすることになる)
産後すぐ、乳児が通院している状況というのは母親からするとかなり辛いです。その中でこの様な手続きをするのは精神的にもかなりこたえますよ。
3、予防接種
里帰り出産で仮に乳児が通院を続ける又は母親の体調がすぐれず、2ヶ月目まで実家などの他県にいる場合、予防接種をその県で受ける事になります。
予防接種の内容は決まっているので、どの県でも受けられると思いますが、これも親の住民票がある自治体で受けないと保証と助成は受けられません。
助成が無い場合2か月目には予防接種だけで5万円ほどかかります。
助成を受けるためには、住民票がある自治体に書類申請した上で里帰り先の保健所長への書類を作成いただき、保健所長からの書類を持って小児科を予約することになります。
余談ですが、各自治体のホームページに手続きの仕方をもっと詳細に記載してくれれば、なんども電話せず済んだのと、自治体ごとに依頼システムや書類のフォーマット、入力項目が違うのどうにかなりませんかね?
これらを楽にするには
母子手帳と保険証があれば全国どこでも子供は無料で予防接種や医療を受けられるようにするだけです。
自治体のサービスに特色を出すために、自治体ごとに助成業務をやるのはわかりますが、全国で共通で決まってるところは統一ルールでシームレスにして欲しいです。
他にも色々あるんですが、
「出産してよかったなあ、次も安心して産めるなあという気持ち」よりこんな仕組みでよく回してるなあが大きかったです。
時間軸が働いていた頃と違って時間かかりすぎ、手続きや運用に無駄多すぎで、会社の理解がなければとても仕事しながら産めるものではないなあ、と感じました。
(バリバリ働きながら子供産むなんてこのままだとありえません。1人目はこんなにひどいと知らなかったので産めました。会社に迷惑かけました。)
追記1:
産前の妊婦健診は産休を取るまえに数回、34週からほぼ毎週通院します。そのため里帰り出産者は必ず還付が発生することになります。
追記2:
煩わしいなら夫に、という意見はわかりますが最初からシングルマザーが利用しにくいのが前提では制度として良くないと思います。
また、祖父母もフルタイムで働いている人増えてると思います。全て頼れない人向けに制度設計してこそ出生率は上がると思います。
結構叩かれてるけど、現実小学校低学年の子供を何十人も、未知の暑さと言う慣れない状況で適切に管理するなんて
訓練積んでたって完ぺきにこなせるわけないミッションだよな
好き好んで生徒を熱中症にしたいわけはない、先生だって色んな圧力や限界と戦いながら道を探してるんだろう
まあ学校に限らず、みんな重く考えるべきクレームと煩雑なだけで役に立たないクレームを、一緒くたに恐れ過ぎな気もするが
自分だってそれは同じだし、たまたま重大な結果を引き起こしたかどうかで遡ってクレームの重大性が評価される部分もある
こないだ台北に行ったんだけど、タクシーに乗ってて「こりゃー運転したくないな」って思った。
普段は東京に住んでいて、免許取得後10年ちかく、年間走行距離は平均で1万kmに届かないくらい。
実質ほぼサンデードライバーなんだけど、日本では運転したくない場所ってのは特にない。
一部の首都高とか羽田サーキットとか初見の長崎市内とか、それなりに緊張する場所はあるけどね。
で、台北で運転するのが難しそうだなって思った理由は主にふたつ。
タクシーに乗っているだけで、右折左折で猛烈な生理的違和感を感じる。
もし僕がここで無心で運転したら、間違いなく左折後に左レーンに突っ込むと思う。
つまり、なれるまでは常に集中していないといけないので、運転の基本的な精神負荷が慣れた国内の比ではない。
あとは、トラフィックの煩雑さとマージンの少なさ。みんなツッコミ気味で来るし、はみ出しもものすごい。
いちいちチャイニーズパワーを感じる。京都や名古屋の比ではない。行ってないけど台湾でも田舎は良いのかもしれない
で、東京は運転が難しいという話も聞くけど、一部に限ると思う。
午前中の超都心部は交通量も路駐も多い上に仕事で来ている慣れているドライバーが多くてビジーだけど、
夜なんかはとっても走りやすいよね。個人的には田舎よりも走りやすい。
車は減って道は広いし夜でも明るいし。
首都高は当初びびったけど、3環状9放射の名称と交点のインター名をだいたい暗記したら
かなり走りやすくなった。首都高が難しいとかいうのはこれくらいの努力はしてからにしてほしい。
僕は覚えてから時間が経ったので、普段使わない箇所は結構忘れちゃったけどね。
なんかこう、右側通行のドライビングシュミレーターとかないのかな。グランツーリスモでやればいいのか。
あと首都高の熟練度テストとかも定期的にやりたい。そういうのないのかな。
皆さん、なんか良いこと知ってたら教えて。
あ、ちなみに僕はニュル北はPP500のSSタイヤで7分前半をコンスタントに出せる。
もちろん速い人はもっと速いけどね。
What Japanese Girls Think of Chikan (molesting girls on trains)
https://m.youtube.com/watch?v=3yP0iGVNZmw
この動画が中々興味深い。
まず、インタビューを受けた女性のうち多くが、痴漢にあったことがあると言っている。
「電車が揺れたからかなと思って距離を置いたら追いかけられた」という話も。
痴漢被害の多さに対して、コメ欄は英語ばかりなのだが、ショックを受けた風の外国人のコメントが集まっている。
Robzilla_92
Damn, it's really sad and heartbreaking to hear how many of them said yes to being molested...
更に、「痴漢はされた方にも悪いところがある。服装とか…」と答える女性もいた。(「スカート全降ろしの子も痴漢されたので服装は関係ない」と言ってる女子高生らもいたが)
それにショックを受ける外国人も多いようだ。
The comments that were the most shocking was that they would actually take part of the blame for the situation happening. Incredible
254
訳:「一番ショッキングだったコメントは、痴漢にあう方にも責任があるというコメント。信じられない」
Some Random Edgy Guy
Interesting, most women seem to think it's partly their fault, which is worrying. Maybe they're just too considerate and not wanting to give definitive judgement, but if someone molests then he (or she) is on the offensive, taking action and clearly to be blamed. It doesn't matter how short the skirt is or sth like that, if you grope - you're to blame.
2 か月前(編集済み)
18
訳:「興味深いことに多くの女性は痴漢被害について自分にも非があると考えているのが心配だ。(略)スカートがどれほど短いかなんて関係ない、痴漢は悪であり、非難されるべきだ」
Taj Parker
It’s very depressing seeing the ratios. It should’ve been 100% the gropers fault. There’s things that i love about japan but the way they treat women brain washing them into thinking this is somehow their fault is unfathomable.
2 か月前
115
訳:100%非があるのは加害者側だ。日本について私が愛することは沢山あるが、女性が痴漢被害者にも非があると考えるように洗脳されているのは恐ろしい。
更に、痴漢を捕まえたり訴えたりはしなかった、と皆答えている。
「手続きが煩雑だから」「周りも見て見ぬ振りで助けてくれない」「現行犯じゃないと逮捕されないから」という答えに問題が詰まっているように思う。
Justin
Culture shock. Very passive attitudes toward sexual harassment.
2 か月前
訳:「彼女達の、セクシャルハラスメントに対する受容的な態度にカルチャーショックを受けた」
この動画でインタビューを受けていた中には失礼ながらいわゆる美人とは言えない人もいた。
海外のコメントは皆真剣に受け止めた内容だったが、日本人の反応は「自意識過剰だブス!」「冤罪が専用車両が」ばかりであろうことを考えると恥ずかしくなる。
hagex氏の件。色んな方向で再発防止策が語られていて、正直すごいモヤモヤする。
私たちの社会では、原理的に通り魔の発生を完全に抑止することなんてできない。
私が台所に立って包丁を使って料理するとき、そのまま外に飛び出して道行く人を斬りつけることは「物理的には」可能である。私も含めて普通の人はそんなことやらないというだけだ。
包丁を使うのに個人情報を登録させたり免許制にしたり包丁を使う度に複雑な認証をクリアしなきゃいけなくしたとして、そんな社会誰も住みたくないでしょ。
そういうガッチガチの事前規制をして実行のハードル上げたってやるやつはやるんだから、通り魔を減らすことはできても完全にゼロになんてできないわけで。
だから、電話番号認証導入しようぜとか、そういう議論見てると、なんか、ちがうだろー、という気分になるんだよな。
私は、転生者だ。
はてなの片隅で失敗をしたので、アカウントを消して転生した。チキンの私には、気軽に逃げて再出発できるはてなのユルさがありがたかった。
そしてそのユルさは、捨て垢をいくつも作り住民に粘着し続けることのできるユルさとつながっている。
捨て垢で粘着がやりにくいウェブサービスは、同時に、なにか失敗したと思っても簡単に転生できない窮屈なサービスになるだろう。
それでいい、とモヒカンは言うのかもしれない。一貫したIDで一貫した内容を書き続けるウェブ論客たちは。
でも私にとって、それはちょっと窮屈にすぎる。
往々にして、犯罪を犯すことが物理的に可能な環境は、同時に、自由で開放的で(犯罪に遭わなければ)居心地のいい環境でもある。
新幹線で隣の乗客をナイフでめった刺しにできる環境は、手荷物検査などなく直前に駅に着いても悠々と乗車できる快適さの裏返しだし、
セミナー参加者じゃなくても入り込めるセミナー開催場所は、受付で個人情報を渡す心配がなく安心してセミナーに参加できる場所だし、
荒らしが簡単に書き込めるウェブサービスは、ちょっと尖った意見を持った異端者であっても排斥されない空間だし、
性犯罪の前科者が子供のいる家庭の近辺に住める社会は、罪を償った前科者が石を投げられずに暮らしていくことのできる社会だし、
学校で銃をぶっ放せる社会は、趣味で猟をする人たちにとってはきっと天国なのだろう。
もちろんすべては程度論だ。包丁を使う度に免許や認証が要る社会は狂っているが、銃の購入に身分証の提示も必要ない社会も同程度に狂っている。
極端に自由な社会と極端に安全が重視された社会、その両極端のあいだのどこかに合意すべき点はある。
しかし現状の私は、極端に安全が重視された社会では安心できない。自由もプライバシーも何もかもを「安全」のために捧げる気にはなれない。
そしてそのような自由な社会を望むなら、hagex氏のような事件を「事前に防ぐ」ことは諦めるべきだろうと思う。
重ねて言うが、hagex氏の事件が起きて当然というつもりは毛頭ない。彼に殺されなければならない理由なんてどこにもなかった。悪かったのは運だけだ。
運だけが悪かった。そんな死者の発生を、完全に防ぐなんて無理だろう。
完全に防ぐのは無理にしても、減らせるのではないか?
しかし減らしたところで、それによって我々の自由とプライバシーが損なわれるのなら、それは我々にとって安心して暮らせる社会なのだろうか?
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。
だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
現状、私がその利益を享受していることは否定しない。私がこれまでスクールシューティングの被害者にも危険運転の犠牲者にもならずに済んでいるのは、銃を所持する自由や車を運転する自由が制限されていることのおかげだ。
飛行機の搭乗手続きは煩雑きわまりないが、おかげで私はこれまで飛行機でテロに遭ったことはない。
しかし私はかわりに、好きなドリンクを気ままに飛行機に持ち込んで飲む自由を放棄している。いちいちカバンの中身を空港職員にX線で見られている。
飛行機なんて、せいぜい年に数回しか使わない乗り物だ。だからこの程度の自由やプライバシーの侵害だったら、私は安全の方を優先する。
でも、日常生活の中で、こんな自由の欠如やプライバシーのなさに耐えられるのか。私には無理だ。
ああした通り魔事件が起きてしまうこと自体は、言い方は悪いが、自由な社会の代価なのだろうと思う。
だから仕方ない、とは言わない。殺されて当然、なんて思わない。殺人なんて、しちゃいけない。
だけど、それを理由に、犯罪をすることができる環境を制約しようとすることにも賛同できない。
私たちが自由な社会を望むなら、テロを毅然と批判しつつ、テロを「やろうと思えばできる」環境はそのままにしておくべきだ。
テロをする自由。人を殺す自由。それらが法的な意味で「自由」なら北斗の拳だが、物理的な意味で「自由」でなくなるならディストピアだ。
GetHoge(dbConnection, key), GetFuga(dbConnection, key, key2)
dbConnection引数を渡さずにその場でDB接続する版の関数 GetHoge(key), GetFuga(key, key2)
を作りたい
DataTable GetHoge(key) {
var c = CreateDbConnection);
return GetHoge(c, key);
}
DataTable GetFuga(key, key2) {
var c = CreateDbConnection);
}
これでは関数の数だけ同じものを作らねばならないので煩雑である。
ES2015であれば、
function OpenConnectionAndRun(runFunc, ...args) {
var c = CreateDbConnection);
return runFunc(c, ...args);
}
という関数を1つ用意すればそれで済む。
なので偽札や治安はキャッシュレス化が進まない理由としては絶対的じゃない
それに日本で電子マネーやクレカを積極利用してる人達は、メリットがあるからそうしてるだけであって、偽札とかそんなの考えてない
種類が多すぎるってのもよく見るけど、決済時に多いわ!ってなる事は全くないし、現金決済の方が煩雑で遅い事の方が多い
種類を減らす事のメリットは確実にあるが、今の普及度ではたいして問題じゃない
もっと先の話だ
キャッシュレス化を進めようという議論において、偽札、治安、種類の多さを指摘する人とはもう議論する必要は全くない
「漫画村がでかい顔しているのは出版社が作家から搾取して高給取ってるくせに何も対応策を打てない無能だからだ!」
という意見が結構あるが、元編集からちょっと言いたいこともあったり。
本がいくら売れても印税は10%しか渡さず出版社が90%を奪っていく……というとたしかに搾取に思える。
だが、大体が出版社に大したお金は残らず、むしろ出版しても赤字になるのが現実である。
仮に500円の本を1万部刷った場合、単純計算で500万円が発生する。
その内訳をざっくり考えてみると
・150万円…出版社から書店に本を配る取次に支払われる。ここの割合は出版社によってまちまち。
で残るのは150万円、約3割である。
これだけ見るとなかなかの儲けだが、実際には全てが売れるなんてことはなく、返本分の金が消えていく。
3割の返本は当たり前なので、150万円分の売上が引かれて、残ったのは0円、儲けは完全に消え失せる。
(ここは単純計算しているので実際はもう少し異なるが)
3割ならまだいいが、売れない場合返本5割、時には7割なんてこともあり、そうなると大赤字である。
さらに返本分を保管する倉庫代など、余計な出費がかさんで仕方がない。
これは、発行部数に対して印税が発生するパターンで、極論1冊しか売れなくても作者には50万円が入ってくる。
売れなかった時の金銭的リスクは作家ではなく出版社が背負っているのである。
ちなみに、電子書籍の場合は売れた冊数ベースで支払うので、1冊しか売れないと1冊分のお金しか入ってこない。
というわけで、搾取だと言われると少々厳しいところはある。印税20%なんて現実的なものではない。
ただ、出版不況で発行部数が落ちている中では印税が下がっており、それが作家を苦しめてしまっているのは間違いないので、
とにかく売れる作品を作るために出版社も全力を尽くさないといけない。
もちろん印税5%とかは搾取だと思います……10%きちんと払いましょうね。
②高給
週休2日も必ずあるわけでもなく、休日だろうが年末年始だろうが作家からの連絡がくる。
旅行中だろうが病気中だろうが、いつ連絡がきても対応しないといけない。
そんな業種なのでストレスはどんどんたまり、合わない人はどんどん辞めていく。
そうなると人数が減って一人あたりの仕事量は増加し、残業代も多く発生する。
というわけでたしかに編集は高給取りが多い。高給くらいもらわないとやってられない仕事である。
正直なところいつ身体を壊して辞めるかわからない仕事なので、元気なうちに貯めておきたいと自分は思っていた。
契約社員の編集なんかは給料が安いのにプレッシャーも大きくなかなかつらい立場である。
ちなみに、非編集部門はそれほど給料が良いわけでもない……らしい。正直よく知らない。
まさにその通りである。
まず出版社は全体的に考え方が古いので、新しいビジネスについていくのが苦手な傾向があると個人的には思う。
だから、マンガ読み放題なんてサービスもなかなか手を出せず、漫画村のような海賊版サイトがのさばってしまう。
同業他社との連携も、作家の取り合いのようなライバル意識の影響はわからないが、元々小出版社が多く分配なども煩雑極まりない。
大手ならともかく中小出版社の法務なんて大した機能がないことも多く、各自が対漫画村で行動を起こせるわけでもない。
法務がしっかりしていないと、どのような法に基づいてどうやったら摘発できるのか、法律のプロではない編集にはよくわからないだろう。
このあたりは法務がしっかりした大手が舵取りをして、出版業界全体で連携して取り組むべき問題なのは間違いない。
ということであれこれ書いてみたが、細かい数字などは間違いがあるかもしれないし、
自分の知識は過去のもので現在のものと変わっているところがあるかと思うので、あまりあてにしないでもらいたい。
あーなるほど?
「厚生労働省の平成24年就労条件総合調査結果によると、平成24年におけるフレックスタイム制の導入状況として以下の様に報告されている。
1000人以上の事業所では25.9%の事業所が導入しているが、100人未満の中小零細企業では2.9%に留まり、事業所規模が小さいほど導入されていない傾向にある。
業種別では情報通信業、電気・ガス・熱供給・水道業での導入実績が高い。建設業、鉱業、採石業、砂利採取業、宿泊業、飲食サービス業での導入は少ない。
規模の大きな会社ほど導入される理由として、労働組合の強さと勤務時間分散による業務への影響の少なさのためとされている。規模の小さい企業では取引先に迷惑がかかる、労務管理が煩雑になる等の理由ため導入が進まないとされている。」
横だけど関係ないでしょ。小さな政府、つまり行政の規模を小さくし公務員を減らしたとしても、社会保障を縮小することとイコールではない。
たとえばリバタリアンが小さな政府を主張するときは、弱者は自己責任とかいって切り捨てるような言い方をする人は実際にはいなくて(いるとしたら極右)、
事務処理が煩雑になる複雑な手当制度をやめて、シンプルな原理で機械的に給付できる制度を(負の所得税とか究極はBI)考えたり、ITなどを活用して効率的に行うことで人を減らしたりって提案がセットになる。
そうすると、最適化が進んでむしろ手厚い社会保障が可能になる未来まであるし、小さな政府は悪いことじゃなくむしろ誠実な姿勢だと思う。
幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。
また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。
ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。
バイトのシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。
現役で地方の駅弁大学に入学して、卒業が近くなってからは資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。
一応何とか大学は卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。
自分は、根本的に人生はディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的に自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分の学力のピークになっていたと思う。
確か当時の全国模試の総合偏差値は70を超えていたはずである。
でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。
何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。
その頃から学力の減退も生じていて、自分で自分がコントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校のランクを一つ落として、何とか国立の大学に合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分の人生の最盛期だったのではないかと思う。
大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活が崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数の語学習得を目指し大学のゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分をコントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。
俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分の計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活は大学を卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。
何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐、牛乳、納豆、青魚、葉野菜。こういうものをバランスよく摂るようにしていた。でも、自分が自分をコントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神でバイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。
いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。
さて。
いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しかし実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己をコントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。
原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である。身体におけるありとあらゆる不調や、自身のコントロールを掌握できていない感覚は殆どの場合、血流の低下に基づいているのである。ADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動が有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効なもののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。
シンプルながら散歩はADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である。普段自転車や原付で移動する距離を、例えば自転車や原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneのヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。
腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレは実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。
ドストエフスキーや夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHDの改善法となると俺は思っている。大抵の場合、活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書のカテゴリーに加えておく。
基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。
同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである。
すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書や文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画のイラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間を生活の中に設けるようにしている。ファミレスやハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。
ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHDの改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなのである。なので俺は最近は文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。
鬱持ち・ADHD持ちにありがちな、思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。
上で書いた通り、卵や牛乳、青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。
つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなのである。つまりそれは、そう、料理の煩雑さや億劫さである。
基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。
脳に一定以上の煩雑さや負担を押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。
追記。瞑想は効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブな効果が起こっていると思われる。
読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアルな瞑想を行うことがある。これもまたオススメ。
など
こんなところだろうか。
思い出し次第追記を行いたいと思う。
今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要な発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である。
上では書かなかったが、俺は重篤なインターネット依存症持ちでもある。
しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所や欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである。
是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。
自身の病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生」なのだ。
それでは。
MHGからヘビィボウガン一筋10数年。MHWもβ版をプレイすると、ロマン溢れるガトリング、歩きながらの射撃、R3スティックによる狙いの漬けやすさを実感し、MHWもボウガンで行くことを決めてやっていたわけですが、とりあえず、ストーリー上のラスボスを倒したため今回のMHWの感想を書きます。
題して
いやいや強いぶんにはどうでもいいでしょう、と思われる方も居ると思いますが、過剰なまでに強い。スパイダーマンでも「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という名言があるように、あまりにも「大いなる力」すぎる。
この斬裂弾ですが、今回から味方へのふっとばし要素が追加されました。もうこの言葉を聞いた時点でランス使いは息が荒くなっていそうですが落ち着いてください。
ですので、この「大いなる力」を行使するには味方が狙いにくい位置、狙えない状況の部位に打てば良いわけなのですが、問題は、斬裂弾が味方をふっとばすことを理解していない段階です。いってしまえばモンハンキッズですね。
何回か防具を作るためのマラソンで「キッズかな?」という方とご一緒する事があったのですが、足元にうったり、疲れたモンスターの顔にうったり、倒れたモンスターの尻尾に撃ったりとなかなかの惨烈なプレイをしておりました。斬裂弾だけに。
理解しているヘビィボウガンの方は飛んでいるモンスターの頭や弱点にうつのですが、味方に迷惑をかけやすい武器になってしまい、そしてそのプレイが一番ヘビィボウガン自体のダメージ効率がいいのは残念です。
弱すぎる。いや、普通にいろいろな武器と比べても弱いとわかる手応え。
もともとボウガンには「クリティカル距離」というものが存在しており、そのクリティカル距離を見極めながら戦うのが醍醐味でした。まぁ、それを上記の斬裂弾が覆したわけですが。
ヘビィボウガンのうまい下手はこの「クリティカル距離」からいくつ貫通弾を通すのかというのが絶対であり、不変でした。さて、老害の戯言はここまで。
今回の作品は「貫通弾を使う」というメリットがかなり薄いのは否めません。というのも、属性弾の存在です。今回から全てが貫通するようになりました。
もともと、属性弾というのはボウガンの攻撃力よりも弾じたいの属性が主ですので扱うのならばライトボウガンが得意なものでした。
今回は貫通弾が不甲斐ないために、属性弾でも貫通弾と同等かそれ以上のダメージをだせるようになっています。
・反動が低い
の2つです。つまり、普通の感性でゲームパランスを考えるのならば、
・属性弾は低反動でクリティカル距離もほとんどない安定したダメージ
となるはずが、貫通弾に火力がないがために属性弾の完全下位互換となっているのは否めません。もちろん、属性があってなければ貫通弾のほうがダメージがでますが。
ですが、同じ60発持てる弾としてあまりにも貫通弾の性能が低い。今回からキャンプに戻ればいつでもアイテムを引き出せるので合成個数の多さなどもメリットにならない状況でこの貫通弾の不甲斐なさには目が瞑れません。
今までのガンナー防具の「反動軽減」「リロード」「ブレ抑制」というスキルが「ボウガンカスタマイズ」に移行されたため、防具にガンナー向けスキルはほとんど存在しません。剣士用スキル(匠、砥石高速化など)と両用スキル(攻撃力UP、見切り、回避性能など)が主になっています。ガンナー用スキルっぽいのもあるっちゃありますが、自分が確認できているのは特殊射撃強化と、弓の貯め段階開放ぐらいでしょうか。ですので、今回から剣士用防具、ガンナー用防具が境がなくなりましたが実質は、剣士用防具に統一されたというのが正しい気がします。
もちろん、それ以上にボウガンカスタマイズで優遇されてはいますが。
「ボウガン担当者いねーなこれ」というのが今回の率直な感想です。
MHWは素晴らしいゲームです。今まで煩雑でしかなかった要素をほとんど取り除き、マップをシームレス化し、密度の高いマップ、生物が暮らしている様子、モンスター共闘の理不尽さの解消など、今までのモンハンとくらべると明らかに便利で、楽しく、操作もしやすく、ストレスフリーなゲームであるがゆえに、今回のボウガンの調整には不満しかありません。
防御力が剣士とおなじになり、カスタマイズのおかげで装備を考える手間も少なく、弾切れが起こらないわけですから。やろうと思えば、今回からしっかりショットガンになった散弾を使い剣士と一緒にモンスターに貼り付いて近距離戦を仕掛けることもできるようになりました。
先ごろスクウェア・エニックスからリリースされたサーヴァント・オブ・スローンズ(以下サヴァスロ)があまりにも酷いのでヘイトの吐き出し場所としてここに記す。このゲームはいわゆるクローンゲーというやつで、Supercellのクラッシュ・ロワイヤル(以下クラロワ)をベースにしているのだが、後発にもかかわらずあらゆる所が劣化していてクラロワユーザーとしては憤懣やるかたない仕上がりになってしまっている。
特にデッキ編成画面の乱雑っぷりといったらまさに地獄。編成方法もクラロワとまるっきり同じなのにユニットの並べ替え機能はついてなくて劣化感丸出し。特定のキャラクター専用ユニット表示もユニットの絵に常にフェードインアウトしているため非常に邪魔。あの画面にGO出したアートディレクターは降格してほしい。またゲーム中では「ソウル」「アルカナ」「エーテル」「ゴールド」「サヴァスロポイント」などの単位が乱立しているにも関わらず個別の説明はなく、アルカナなどは今の所持数も表示されないため何もかもが煩雑。
クラロワの優れているところは対戦スキームだけに留まらず、対戦準備画面を起点に、すべての機能にロードなしでスワイプ遷移できる極めて合理的なUI設計にあった。にも関わらずサヴァスロはそこは踏襲せずいわゆる和製ゲームアプリの文法で機能の配置を行ったため、本来のスムーズな遷移は失われ、どこに移動するにもロード、ロード、ロード…。スクエニには二度とUXという単語を使ってほしくない。
クラロワのバトル画面までのステップは
と5遷移もあり、圧倒的テンポの悪さを誇っている。VS表示画面はおそらく仕様書にシャドウバースの対戦前画面のスクショでも貼ってあったと思しきレイアウトだが、解像度足りてないのに無理矢理拡大された小汚い「VS」の文字と安っぽい稲妻エフェクトのせいで本当に気分が萎える仕上がり。そもそもあの画面いる?おまけにバトル冒頭ではモーション・セリフが1パターンしかないリーダーキャラのカットシーンをバトル前後で毎回見せられ、スキップもできない有様。ホントにクラロワ研究したの?
そもそもリリース直後だからか、通信エラーで対戦画面に行くことすらできなかったり、ショップ画面に遷移するとエラーでタイトルに戻されたり、クラロワに比べるとこのゲームには快適さという概念は1ミリたりとも無い。
では肝心のバトルスキームがクラロワに比肩しているかといえばそういうこともない。ここでも際立つのはUIの悪さだ。手札をタップすると表示されるユニット情報パネルはデカデカとゲーム領域を隠すため、左側のタワーの状況がわからなくなる。また、フィールドに出たユニットをタップすると攻撃範囲が表示されるという本家にはない機能があるが、これがユニットを設置する際の攻撃範囲表示とまったく同じのため、ユニットの設置ミスが頻発する。
クラロワはゲーム中のバフ・デバフ表現を文字に頼らず配色とエフェクトだけでうまくデザインしていたにも関わらず、サヴァスロは「ATK」とか「SPD」とかの文字がうじゃうじゃと沸き、戦況把握を妨げまくる。ラヴァハウンドみたいなユニットが弾けたあとの表示はiPhoneでは文字が潰れていて認識できないレベルだった。
ユニットも似たような造形のものが多く、ベビードラゴンみたいなやつとインフェルノドラゴンみたいなやつや、ゴブリンと槍ゴブリンみたいなやつなどは攻撃されるまで判別は難しい。ユニットのモデルも解像度の問題なのか全体的に小汚いし、キングタワー的な砦が攻撃されるとハリボテみたいなリアクションとるのもチープだし、ルックとしてクラロワに勝っているところは今のところ一つもない。だいたい「ブラウニー」と「槍ブラウニー」とか、「スケルトン軍団」とかなんでわざわざクラロワの日本語ローカライズされた名前に寄せてんだよ!もっと槍兵とか骸骨とかいくらでも避けようあっただろ!
クラロワはフレーバーテキストひとつとっても、特性の説明だけでなくユニットの個性に応じたユーモアが散りばめられている。
一方サヴァスロはどこかで見たようなテンプレ文言のオンパレード。それだけならまだしも、国産なのにところどこど日本語がおかしい所まであるのが腹立たしい。
例)
→「転んでもただでは起きない」って言いたかったのかな?
他にもバトル画面中のスタンプ文言も丸パクリなのになぜか「グッドゲーム」はないとか、DRAW用のリアクションがなくて引き分けなのに毎回負けモーションを見せられて萎えたりとか、別端末でプレイする際は毎回引き継ぎの操作を求められる超前時代的設計とか、このゲームにユーザー満足度というものは存在しないのだと思う。
いろいろ書いたが、とにかく後発で丸パクリなのに新しいゲームスキームを切り拓いたクラロワへのリスペクトが一切感じられないのが本当に頭にくるし、残念だ。LoVのリソース流用して人気のスキームなぞれば売れるやろ的な浅はかな企画意図と、ただそれに従うだけでオリジナリティを一切発揮しようとしない開発側の思考停止が透けて見えるようで悲しくなる。愚直に本家をトレースして同レベルのところまで磨きあげ、そこからアイデアを足せばよかったではないか。せっかくこんな面白いゲームをお手本にしているのだから。
最近の例でいえば、中国が作ったアズールレーンは艦これのコンセプトを踏襲しつつ、「顧客が本当に欲しかったもの」みたいな仕上がりを実現した。後発だったらあれくらいやって然るべきだ。日本企業がやっていることといえば、フィンランドの生んだあの美しいゲームに特許でイチャモンつけたり(グリーの敗訴を心から願う)、劣化コピーを作ったりするばかり…そりゃ後進国って言われるよ…。
クラロワのファンであるがゆえに殊更クソに映るサヴァスロだが、ユニットやフィールドの特性に丸パクリでない部分もわずかにはあるし、ブラウニーとかママリリちゃんとか、かわいいユニットがいるという極めて少ないアドバンテージもあるので、ぜひ奮起して「面白いゲーム」になるか今すぐサービス終了してください。
日々、ネットの世界で悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングやネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見「正義派」を装っているが、目的は他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。
そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体を自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットとSNSが大きな役割を果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人の秘密を保つことが難しくなってきている。
新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。
「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。
なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容な日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。
社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。
コンプライアンスを遵守するということは、不自由で煩雑な手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき、他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ちの反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。
「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。
閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団が形成され、「微妙な差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族や宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーンや価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。
「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校や職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人的特性と深く結びついている、と分析している。
以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやすい日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである。
バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間とエネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ。
本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。
閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。
私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。