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2015-10-16

黄昏流星群

漫画黄昏流星群」で出会う男女ってなんですぐセックスできるの?

初老~の年代人達ってそんなに物理的にセックスできるの?

わたし50に手に届きそうなBBAだけど全然濡れないよ。

旦那申し訳ないと思ってるよ。

弘兼憲史柴門ふみ夫妻は絶倫なんだろうか。

悩んでるけど誰にも聞けない。

2015-09-28

後退を始めたネットの速度で起こる問題

■ムダに長いので全体を要約

今、インターネットの速度向上は鈍化どころか、スマホだけで過ごす人々や格安SIMだけで過ごす人々の増加により、退化している。

そしてその人々はスマホ世代の台頭などにより見逃せない人口まで増加していくだろう。

この層の増加は高速回線必要とする有料コンテンツ商売に影を落とす潜在的な危険がある。

長年の過剰で無神経なWEB広告の結果、WEB広告業界広告ブロックの脅威に晒されているように、徐々に問題顕在化していくだろう。

そのためには今一度、コンテンツ容量やそれにかかる通信量を軽量化し、拾える客のパイを維持する必要がある。

この対策コンテンツ販売をする業界が客から見放される前に行わなければ、業界全体から客離れを招くだろう。(完)

■はじめに(読む気力がある方はこっから

インターネットは速度を上げてきた。人々もインフラの乗り換えを良しとしてきた。

画像ファイルの読み込みに膨大な時間がかかった昔と比べて今、画像ファイルの読み込みは一瞬だ。

昔のように画像ブログに上げるときに容量を気にして縮小をかけるような人は少なくなっただろう。

動画ゲームインターネットで楽しめるようになった。

もはやインターネット生活必要インフラであり、殆どの人が活用している。

しかし、ここにきて低速なインターネットで満足してしまう人々が出現している。

彼らはインターネットからの脱落者でもあり、インターネットを見放したものでもある。

そのような人々の出現はインターネットコンテンツを売る時代において、パイの縮小を意味する。

なぜそのような人々が生まれ始めたのか。

スマホの出現と、PCを持たない世代の出現、そして若者貧困化、ネット依存からの脱却

そしてそれを後押しするのは無料インターネットコンテンツ黄昏だ。

スマホがあれば、通信としては事足りる。速度制限時でもISDNよりは速いのだ。

インターネットもっと重要なことはメール検索地図の閲覧、通販などだと思う。

それがスマホで事足りるとなれば、高価な固定回線を捨てるのも不思議な話ではない。

人によっては格安SIMで十分とすら言うことだろう。

固定電話が急激に減少したように、固定回線の光が減少してもふしぎではない時代だ。

そもそも光の出現時点で、そんなに早くて何をするなどと言われたものだ。

ADSL基地局から遠いと速度低下が著しかったが、よほどの僻地でなければ十分な速度が出ていた。

そして、PCを持たない世代であれば、わざわざ固定回線を持つのバカバカしいことに映るだろう。

少しPCが必要な程度ならスマホテザリングさせれば良い。

昔のインターネット用法に限れば、これで十分なのだ

しかし、有料のインターネットコンテンツは大抵回線速度が必要となる。

固定回線を捨てた彼らを、有料コンテンツ提供する人々は見逃していいのだろうか?

無料インターネット崩壊に向かっていることは回線の2極化を生む

無料インターネットはずいぶんと住みづらくなった。広告広告広告広告

無駄に分割されたり、続きを読むをわざわざ押させるアクセス数稼ぎ。

検索をしても、アフィサイトまとめサイト他人剽窃、どうでもいい情報や同じ情報ばかり引っかかる。

そして会員にならないとまともに見ることができない重いサイトの増加。ニコニコPixivMixi・・・

とかく、インターネットは息苦しく住みにくい世界になった。

昔のインターネットは少し検索すればお望みの情報がいくつも手に入って、比較して良い物を選別して…

なんでも教えてくれる有能な、自分世界中情報アクセスできる魔法使いになれたような錯覚すら覚えるものだった。

当時はgoogleワード複数使わなくても、""なんて使わなくても、-なんて使わなくても答えを拾えたものだ。

15年前はこんなGoogleの使い方を知っていれば結構詳しい人だった

商業インターネットの発達によってインターネット整理整頓された書店のような姿から、ごちゃごちゃしたドン・キホーテのように姿を変えた。

まあ、ドン・キホーテのほうが今のネットよりは整理整頓されているのだけど。

ここ15年の私達のパソコンの性能と回線速度の向上は、ベタベタと大量にはられた重い広告の処理に当てられているといっても過言ではないだろう。

2000年ごろのサイトを見てみると、あまりの軽さと見やすさに驚くかもしれない。

話がそれているが、つまるところ、インターネットを古風な使い方しかしない人々にとっては、速度や性能がもたらすものがなくなっただけでなく

インターネットのものが変質し、インターネットサーフィンなど楽しむに値しないページが増えている。

それはインターネットのものの魅力低下を呼んでいる。ということだ。

もはやインターネットは高額な固定回線料を払ってまで高速に楽しむものには値しないと思う人が増えてもおかしくはない。

■有料インターネットは速度を必要とするが、低速回線族にはそれがない。彼らは客としてどうなのか?

ソーシャルゲームYoutubeの有料プランや、ニコニコの有料会員、HuluNetfix、バンダイチャンネルKindleSteam

動画ゲーム電子書籍など今隆盛を始めた有料ネットコンテンツ

これらには高速な回線必要だ。スマホ回線程度の貧弱な回線では万全に楽しめるものではない。

そして、スマホ回線だけで生活する人々、スマホ族とでも呼称したいところだが、すでにある言葉のようなので無線族としよう。

無線族は有料コンテンツ供給から見て見逃していい存在なのだろうか?

私の想像にすぎないが、無線族にはこういう人々が多いだろう

一人暮らし夫婦のみ、一人っ子家庭など少数で暮らす人々 多くの家族暮らしているなら回線代は微々たるもの

若い スマホに親しみのある人々が多いだろう

貧乏 金持ちなら回線代を削る必要はない。金持ちとて無駄な出費と捉えれば削るけど

パソコンに疎い パソコン必要でなければ固定回線はいらない

正直に言って、客として微妙だ。見捨てていい客と言っても過言ではない。

客になる可能性は薄く、金払いもあまり良くないだろう。

しかし、そうやってパイを狭めた結果、潰れていったものが多いの事実だ。

果たして、高速な回線を捨てた人々は、拾い上げるほど人口がいるのだろうか?

無線族の増加は永続的に続く可能性があり、回線速度の伸びも鈍化している。

無料コンテンツ劣化などにより高速なインターネットに見切りをつける人々は増えていくだろう。

そして、結婚をしない一人暮らし世代子供を作らない、一人だけの夫婦は増加しており、パソコンよりスマホに親しむ世代も増加している。

格安SIM節約などという話も増えている。

回線速度の増加にも限りがあり、無線回線の速度増加は足踏みを続けていると言っても過言ではない。

高速無制限のウリ文句だったWiMAX2で速度制限がかかったことが記憶に新しいが、無線回線はあっという間にパンクする。

無線である限り、爆発的な技術の向上が起きてもそれが安く提供されないかぎり、高速な回線を持たない無線族は増えていく。

なにしろ彼らに速い回線必要はないのだから

安ければ、最低限のインフラが高速なら、それを良しとするだろうが、自分たちから高速を求めないだろう。

年月が経てばいつのまにか、遅い無線回線しか持たない人々が多数派になる可能性すら秘めている。

隆盛している有料ネットコンテンツの足元が揺らぎ始めている。

なんらかの対策を考えたほうがいい層として見たほうが良いだろう

対策国家としてのバックアップか、商売として低容量のもの提供するか、回線のものサービスするか。それとも?

●近頃、安倍総理スマホ回線の料金を下げるように通信各社に要請していたが、あれはそれだけ通信環境重要視されているということだろう。

うまく彼ら無線族を繋げなければ、商業的なリスクが起こる可能性すらあるのだ。

ソシャゲで今月の通信量を使いすぎて規制されるからと、ソシャゲプレイの頻度を下げる、

スマホではショッピングサイト目的の物しか見ない、

容量の多いものは買わない、など身に覚えがある人もいるのではないだろうか?

これも回線のせいで商売がうまく流れない身近な例と言える。

それが今後さら通信量を必要とするコンテンツの増加で、商売の機会を逃す可能性があるのだ。

しかし、政府主導民間会社圧力をかけるのは容易ではないし、反発を招くだろう。

●またはコンテンツの容量を下げるという方法だ。サイズが小さければ低速回線ユーザーも取り込める。

現在コンテンツ通信速度の増加を当てにした異常なコンテンツ容量の増加が続いている。それを見直す時期が来たのではないだろうか?

回線のものサービスにする。これはとんでもない考えのように見えるが、Kindle3Gやブックライブリーダーディオではすでに実施されている。

Kindleは低容量の商品しか使えず、漫画ダウンロード出来ないという問題があるのだが。

端末を買ってしまえば、商品を買う分には通信量が無料となるというもので、低速回線ユーザーには持って来いと言える。

もっとも、Kindle3G程度の回線では効果が薄いだろうが。ブックライブリーダーディオ漫画も可能とのことだが端末のページ切り替えが遅いらしく購入に至っていない。

そもそもリディオは知名度が低すぎて最近知ったということもある。リディオ宣伝が足りない気がする。・・・本題に戻そう。

このような回線サービスで、ユーザー繋ぎ止められる可能性や引き込める可能性があるだろう。リディオコンテンツ信頼性、端末の速度がKindleに並べば

すでに持っているKindleライブラリを見捨ててでも移住してもいいと思うほどだ。それが出来てないから移住してないのだけど。

しかし、無料回線提供する企業には多くの負担を強いるだろう

コンテンツオフライン提供する

オフラインデータを渡す。買い切りコンテンツではあまり有用方法ではない。前時代的すぎる。

が、プロモーションとして基本無料ゲームの基本データを詰め込んで、ユーザー通信負荷を下げるという場合には一応は使えるだろう。

問題はそのデータをどう受け渡すか、であるDVDなどではもう読める環境のないユーザーもいるだろう。

USB無線提供できる機器雑誌などにつけたり、プロモーション用のWifiを設置するのも手だろうが、コストが掛かり過ぎるだろう。

面白話題性のあるプロモーションになるだろうが、低速回線の細い客に対するプロモーションとしては過剰投資になるだろう。

コンテンツ容量を下げるのがもっとスマートな解決法

回線の混雑や、当てにできない政府、鈍化している技術進歩、高コスト無料回線提供オフラインでの提供問題が多いことを考えれば、

昔のインターネットに立ち返り、軽量なコンテンツ提供を考えるのがベストだろう。

今は問題が目立たないが、徐々に問題顕在化してくるタイプ問題で、早めの対処必要だと考える

似た例で問題顕在化している例といえば、WEB広告広告ブロックソフトの攻防だろう。

今や広告でも高画質な画像や、音声はたまた動画まで使うものがある。そして利用者の好みを追跡し同じ広告ばかり見せる。

何かを検索していたら、弱みを煽るような広告ばかり出てきた覚えがある方もいるだろう。o-netとか。

あれで広告ブロックの再インストールを面倒だと思ってた私も広告ブロックを入れようと決意したものである

このような礼儀知らずな広告WEB広告業界の信頼を傷つけ、

WEB広告未来の芽を摘んでいることを自覚すべきだ。小さなバナー広告程度であればアドブロックがここまで当たり前の存在にはならなかっただろう。

コンテンツ提供者にとって、コンテンツ広告は一体のものであり、広告ブロック泥棒と言いたい行為かもしれないが、

一見さんユーザーにとって警告もなく出現する重い広告ぼったくりバーも同然の行為だ。やり過ぎということである

そうでないサイトまで被害を受けているだろうが、それはWEB広告業界の自制心のなさが招いた結果といえる。

このように相手のことを考えないコンテンツユーザー負担をかけ、結果としてユーザー離れを招いてしまう。

一見問題のない状態だと思える現状も、徐々に侵食が進んでいる。

ソーシャルゲームなども容量を食わないものがあっても、十把一からげに通信容量を食うと見られている。

動画など容量対策が難しい物もあるが、可能なものであればどんどん対策し、ユーザーに寄り添うことが、業界の助けにもなるだろう。

■追記

ブックマークコメント欄コメントについて少し考えたこと

●1,なんで回線状況の悪いアメリカのほうがWEBサービスが発展しているのか?

推測ですが、米国WEBサービスが発達したのはWEB発祥の地ということもあるでしょうけど、国土が広く人口密度が低いからでしょう。

日本でも僻地に住んでれば本屋CDショップは遠すぎて、低速回線でも十分にメリットがあると思います

米国僻地では通販にしても送料がそれなりに掛かるか、日数がかかるものだろうと思います

日本なら近くの本屋でも通販でも近くの倉庫からあっという間ですが、僻地ではそうも行きません。

通信速度が遅くともインターネットで買うより速くガソリン代も手間もかからない。

日本でも実店舗からソフト売り場が消えたPCゲーム業界ダウンロードサービス主流になっているのは似たような経緯だと思います

米国都市部なら無料Wifiが発達してるのも有利な点でしょう。

調べてみると米国でも回線コンテンツ問題になっているようで、米国グーグル独自に高速回線インフラ提供し始めたのはその対策でしょう。

●2、>インストールした後云々は、AppStoreでは100MB以下のアプリでないと3Gでダウンロードできないとか、GooglePlayでは50MB以下でないと登録できないというプラットフォーム側の制限によるのです。

これはコメントについてたコメントで、本文とは直接関係ないのですが、捉え方が気になったので少し話を。

その説明メーカーとしてはしょうがないことと説明したのでしょうがユーザーから見るとそのやり方は詐欺もいいところです。

ひどい言い方ですが、そのくらいのことであって、まさにスマホゲーム業界全体の信用に関わる、客離れに繋がる問題なんです。

ユーザーアプリストアでアプリの容量を確認して「これならうちの回線でも大丈夫だな」とダウンロードするわけです。

ところがそこから場合によっては100メガ単位ギガ単位ダウンロード必要になる…

そしてユーザーはそのゲームを諦め、他のゲームをやろうとしたらまた同じような目に会い、見た目が重そうな美麗なゲームははじめから候補にすら入れなくなる。

業界の衰退に繋がるのがわかるかと思います

40メガポッキリだと思ったら1000メガ必要で結局ゲームを諦めて、通信量丸損で、他のゲームを探したら同じ状況で、と言うのは

3000円ポッキリだと思って入ったら金だけ取られてサービスを受けるには10万必要です、なんて店をたらい回しにされるようなものです。

もはや夜の街から足を洗ってしまうでしょう。

これはスマホシステムしょうがないというお気持ちかもしれませんが、スマホ業界の慣習に慣れていないユーザーには関係のない話です。

アプリによっては追加ダウンロードが発生することを商品説明に明記してありますが、その説明のない商品のほうが多いと感じます

あなたコメントしたインストールした後云々、というコメントをした方はそのような不満を抱えているのだと推測します。

Permalink | 記事への反応(3) | 19:12

2015-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20150907151057

黄昏よりも暗き歴史、血の流れよりも赤き恥、時間の流れに埋もれたままにしておきたかった卑小なる我の汚点において、我ここに闇に誓わん、自らが前に立ち塞がりし、全ての愚かなる我に、欝憤と悵恨の力もて、等しく滅びを与えんことを

2015-06-07

梅雨が明けたら秋まで関東の勝ちだ

梅雨が明けたらセミが鳴く頃か。

そうなったらもう関東の勝ちだ。

しろあそこにはミンミンゼミがいる。

ミンミンゼミほど夏を演出する動物はいまい。

あれは良いものだ。

照りつける太陽ミンミンゼミ

もうこれだけで勝利だ。

そして黄昏れ時にヒグラシでも鳴けば仏壇感謝の線香でもあげたくなるというものだろう。

とは言えミンミンゼミ関東だけのものではない。

関東ほどではないが日本全国にいるものだ。

http://www.biodic.go.jp/reports/5-2/n018.html

しかし我が京都では毎夏クマゼミが大きな顔をして全然それに気がつかない。

クマゼミは困る。

あのシュワシュワとやかましい音は風情どころではない。

四条あたりのビル街に行くともう頭が痛くなるほどの大合唱だ。

クマゼミは困る。

あぁクマゼミが怖い。

比喩抜きで本当に頭が痛くなるほどなのだ

どうしてミンミンゼミ関東ばかりに集まる。

京都にもおいでやすよ。

ああ関東がうらやましい。

2015-05-25

今日のお昼時間の潰し方。

コンビニで、レジ待ちをしている時、前にいた人が鞄から下げていた古めかしいお守りが目に止まる。

池上本門寺って、何方にあるお寺かなと寡聞にして知らず、春巻きを片手にスマホで調べる。

ウィキペディアの項目を順番に追う内に、広重浮世絵が目に止まる。

江戸近郊八景国会図書館電子ライブラリで絵を眺める。

八枚の絵の内、気になった行徳帰帆をさらに調べてみる。

ブログに"八景"の名前の由来が分かりやすく書いてあった。密かに古歌を口ずさんで黄昏る。

帆の合間にちらちらと見える遠景がいじましい。

八景をもう一度眺めると、先ほどは聞こえて来なかった

落雁の騒がしい声や晩鐘の低く伸びる音に耳を澄まして、暫く放心。

気づいたら、あと10分程度でお昼も終わり。

とても充実した時間だった。

2015-05-09

作詞作曲:俺

Say Kiss Me

鏡の中のマンコ

いつも愛しくて

六本木の片隅で

指が覚えたテレフォンナンバー

もうどうでもいい

ひらりひらり

目に浮かぶマンコ

Say Kiss Me

六本木の片隅で

黄昏のマンコ

2015-05-07

DVのおかげで私は私らしく生きられる

私はDVを受けている。

始めはキスの時に耳や指を強くかじる程度であった。

それはやがてエスカレートして、暴力と呼べるものになっていった。

家に帰ってすぐに手を洗わなかったと殴られた。

苦手なブラックオリーブを残して蹴られた。

いつも体のどこかが痛む。

その痛みが私に生の実感を与えてくれる。

私は収入のない文学部大学院生である

彼女丸の内で働くOLである

私達は同棲している。

つまるところ私はヒモである

しか創作するヒモである

彼女セックスの間に私を殴ることを好む。

抗えば折れてしまいそうな、細く白い腕で私の目を潰す。

私に跨って、私の頬に肩にみぞおちに拳を落とす。

私は苦痛の中で射精する。

絶頂した彼女は、恍惚とした表情で私の首をしめる。

そして私は一度死んで生き返る。

目が覚めると私はペンを取り詩を紡ぐ。

眼球の内出血がまるで黄昏時のように視界を赤く染めている。

キーボードを叩いて小説を書く。

私は生きている。

生きているから何かを創れる。

創れるのは生きている間だけだ。

打撲痕の熱に突き動かされて、私は目の前の紙に心の蠢いた傷跡を残す。

今、この時だけ、きっと私はすごく美しい世界と繋がっている。

そこからこぼれ落ちてくる言葉が、虚空に溶けて消えてしまう前に。

私はやがて死ぬだろう。

誰もがいつか死ぬ

誰もが生き疲れた頃に死ぬと思っている。

私はもうすぐ死ぬ

彼女が私を殺す。

お互いにそれは承知している。

彼女は私を愛してくれている。

私の言葉を、私の詩を、私の顔を、私の声を、私の涙を、私の血を、私のリンパを。

私の全てを彼女は愛おしんでくれる。

私が二度と書けなくなったとしても、私の遺したものを生涯愛してくれる。

から私は彼女のために創り続ける。

私には未来過去もない。

今、創る。

計画も損得もない。

でなきゃ、何も書けやしないさ。

歪んでいる?

そうかもしれないね

だけどね、人生刹那ものだよ。

それを忘れて生きるくらいなら、死んだほうがいい。

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150415133909

こっちにも返事をする。

子供小学校に入るまでの6年間、不自由で面倒だけど、

6年で済むわけないだろう。snsとかに書いたら爆発炎上して女性から消し炭になるまで叩かれるぞ。

少なく見積もって12年だ。それ以降も教育にはかなり心を砕かなければならないし、教育費と養育費を稼がなければならないから収益性の低い仕事は(やりたくても)できなくなると思う。

これから死ぬまで約40年、使命は果たしたと満足し、「お父さんありがとう」と言われる人生と、

子育てで「使命は果たした」と感じることはあまりないような気がしている。

そもそも「使命を果たしたい」とは思っていない。子供の頃はそう思ったりもしたが、どう考えても凡人の自分に使命などというものは無い。

いかに自分が満足するかだとは思っているが、それは「使命を果たす」ことによって得られるものではないと感じている。

「お父さんありがとう」は、まあ割とどうでもいいなと思う。

これから健康な限り自分自由が損なわれる事はないけど、仕事がなくなったら誰にも顧みられることもなく、

それはどうなんだろうな。仕事がなくなることが無いように努力するつもりではいる。

健康を保つ努力はしている。高校生の頃より今の方が肉体的に充実していると思う。

妻には「私は子供が欲しかった、あなた小間使いじゃない」と離婚され、ヨボヨボになった親の面倒を自分一人でみるしかなく、

妻とは全てあけっぴろげに何度も話し合っている(これは当然だと思うけど)。

親は癌なので悲しいことではあるがおそらくそれほど長くはない。実家家族については確かに問題が多いが、子供を作ると経済的理由などで問題の解決は困難になると思う。

ガンになっても一人で戦うしかなく、足が痛くて立ち上がれないけど一人で排泄も料理も買い物もしなくちゃいけない人生

そうならないように努力はしている。あと現在少子高齢化傾向と経済成長具合から考えると、俺が老人になる頃には安楽死制度が導入されていると思う。

人生黄昏時を安心して過ごすために今を犠牲にするという考え方はちょっと理解しがたい。

結局、俺の感性は少なくとも現在こういう形なんだ。

俺の想定の範囲内の脅しや説得でこれを変えるのはたぶん難しい。

から俺の想像を超えてくれるような人か、認知心理学的に科学的なアプローチ作用してくれるか、そういうタイプの人を探している。

2015-03-20

LAME!

はてラボ一角を占めるはてな匿名ダイアリーは、はてラボログインして書きこむ「増田」と、はてなに正規ログインしてブックマークを加え世間に「増田」を広める「ブクマカー」により構成される。特に増田」に頻繁にブックマークを加える者は畏敬の念を込め「増田ブクマカー」と呼ばれ親しまれていた。

匿名世界恩恵を受けて繁栄した「増田であるが、遥かなる超未来、災厄により全「ブクマカー」がはてなアクセスする資格能力はてな市民権と同義)を失ってしまう。

支配者がいないAI管理規定にのっとり資格はてなID)を持たない人間ブックマーク排斥し続ける。「増田」では数千年「ブックマーク0」の時代が続く。書きこむことしかできない「増田」は際限なく投稿およびトラックバックが続けられ、はてなすら内部に取り込んでしまう。人々はブクマ繁栄記憶を忘れ、裡に抱えた「増田」への感情吐露する場所もなく「増田」上をさまよう。人類黄昏世界

何千ページも「増田」をさまようとある増田」。求めるものは「感染」以前の「はてなID」。手にするものは最強の論理「ろんぱっぱ放射線射出装置」。彼は正規にはてなログインし、無秩序な「増田」の成長にブックマークで気の利いたコメントすることができるのか? 「増田」の冒険が始まる。

2015-02-28

父のくそぽえむ

 父は還暦近いが思春期少年少女並みに夢見がちで、情緒不安定な性質である。加えて頑固で寂しがりときた。要するに現代社会では大変生きにくい。

 常は酒に飲まれたり、風呂トイレ中島みゆきファイト吉田拓郎今日までそして明日からを熱唱したり、あるいは衣装ケースの奥底に二重底で隠してある女教師ものAVを眺めては心の均衡を保っているものの、ストレスがある一定ラインを越えるとSOS信号よろしく私の携帯メールアドレスへ謎の散文を送ってくる。実家にいる母や妹には一度も送ったことがないという。「うちの妻は芸術理解しない。」知るかよ!

 散文の形式は多様である相田みつを調、ラーメン屋格言風、難解な言い回しをしたかと思えばストレートI LOVE YOU冷蔵庫で真っ茶色になった馬肉を見つけた寂しさから黄昏流星群を読んで死にたくなった切なさまで、表現豊かに語られる父の詩的世界をはじめの頃は読んですぐ消していたが、ある時「これ寝かせてみたら面白いんじゃねえの、ちょっと取っておいてみっか」と何の気なしに溜め始めた。

 保存用フォルダ名前は「くそぽえむ」。今や一冊詩集をつくれる程度にはメールがたまっている。

 そして今夜もくそぽえむが送られてきた。この時期は毎年ぽえむの量が増える。昔よりも落ち着いたとはいうが、やはり春闘は辛いらしい。

『ぷぽぽぺん ぱふぱふ

 送られてきてから時間経つが、どういう意味かさっぱりわからない。しか情緒がやられているのは確実なので、電話を掛けるのも躊躇われる。

 ぱふぱふの横では、ひよこの絵文字が無邪気におどっている。

2015-01-15

昔のアニメを有難がる風潮は、昔の俳優演技力は素晴らしかったという風潮と同じ

昔の方が粗があったし、昔の俳優の方が目に見えて演技が棒だったけれど、

それを有難がる人っていうのは、昔の人越しのフィルターから補正が加って

実際にはそうでない事が、懐かしさと郷愁とが相俟って黄昏たくて素晴らしかったと言う。

筆者は未だに高倉健演技力が素晴らしかったとは思わないし、エヴァンゲリオン社会現象を巻き起こすほどのドラマ性の高いアニメだったとは考えていない。

それは、昔を知らないからだ。

昔を知っている人はその当時の感動を今も引き摺っている。

からこそ、未だに現在対象物に対して昔の比較相手を引き合いに批判している。

今を知り、昔を知らない人からすれば、昔の良かった事は古臭い考え方と批判する。

例えば、現在就職活動の現状と昔の終身雇用制度が成り立ってた何もかもが良かった時代を比べる事はナンセンスである

何故なら、今は当たり前のことが昔にはなく、逆もありきだからだ。

昔を知っている人なら、今の人は甘えてるとかゆとりとかって批判するけど、

今の人が昔の人を団塊世代からとか昔の方が融通が利いたからとかをよく耳にする。

当り前だけど当り前じゃない時代があって、それを現在の在り方に対する批判というのはよくある事だけど、

それは昔を知り今を知っているからこそできる事であり、片方しか知らない人が多いから有難味が分からないのである

最初に出した高倉健エヴァンゲリオンにしても昔を知っている人なら非常に楽しい話題だけど、そうじゃない人には当然意味が分からないし

そういったコミュニティに入れない事に内心苛立っている。

逆もまた然りだ。

昔のアニメを有難がる風潮は、昔を知り今を知らない人あるいは、今のアニメ否定する古い型の人間であるからだ。

昔の俳優演技力は素晴らしかったという風潮は、ジャニーズAKB48などのアイドル風情の演技力とかそういった人ばかりが現代ドラマに出まくってる事への反感である

実は両方とも同じである事に気付いていない。

昔の人には昔補正というフィルターが加っている事は前に述べたが、現代もさして変わらないのではないか。

アニメエヴァンゲリオンの後に涼宮ハルヒまどマギ等と言った社会現象に似た現象が巻き起こっているが、その規模はその時々によって異なる。

たまたまエヴァ時代就職氷河期だった事もあったし茶の間世代が多かったために大人も夕方アニメを見られる時代であったため、社会現象になり易かっただけである

今のアニメの旋風がその当時の規模に比べて少ないように感じられるのは当然である

同じく俳優演技力も昔も今も大して変わらない。

何度も言うようだが、これらの風潮は昔を知り今を知る人にしか判断できない、ということである

2014-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20141023191736

曙:黄昏、もしくは 夕暮

天地無用:「常に指定の方向を上にして、決して逆さまにしないで下さい」の意味であれば特に対語はない

解析:統合

立ち上げる:シャットダウンPC用語としてなら

魔法少女魔女

担降り:新規

通論:各論 もしくは 異論

清貧:銭ゲバ

半可通:通人

2014-09-23

CHAGE&ASKAの"PRIDE"

 チャゲアスといえば、ダブルミリオンを達成した「SAY YES」と「YAH YAH YAH」がやはり圧倒的に有名ですが、「PRIDE」はそのどちらと並べても決して劣ることのないどころか、全J-POP史上においても比類のない、赫奕たる地位を占める壮大なバラードです。そしてPRIDE幸運なことに録音に恵まれています1989年に発表されたその曲は、何度もライヴで歌われており、様々なバージョンを聞き比べることができるのです。ASKA年代によって声質や歌唱法がかなり異なっているので、それぞれ別のしかたで楽しめます。今回はややマニアックですが、PRIDEの様々なバージョンレビューしてみようと思います

①【CONCERT TOUR 1990-1991 SEE YA!】https://www.youtube.com/watch?v=-KfOdkNFrOk

評価=8

私の知るかぎり、最も早いPRIDELIVE音源です。

CD音源にかなり近いですね。他の音源に比べて特徴となっているところは、サビの「駆け抜けていく」(1:48-50)の歌唱ですね。とくに「く」の母音の処理です。「ウ」と「ア」の中間発声することで、単に「ウ」と発声するよりもパワフルに聞こえますASKA独特の母音の処理方法です。声も若さが満ち溢れていて爽快感を覚えます

②【 夢の番人 SPECIAL EVENT1993 GUYS 】https://www.youtube.com/watch?v=FnOnAXszb3k

評価=9

のものから二年後の音源です。

声のフットワークが軽くて、とくに高音となるサビのメロディーをなめらかにすべっていく様子はあたかサーカスの軽業師のようです。曲をより「自分のもの」にできている気がします。

ちょっとマニアックというかフェティッシュなことを言うと、「涙の跡」(3:33)という部分の「だ」の発声が他のものよりも情感豊かで、素晴らしいです。この録音はもっとエモーショナルものかもしれません。

③【CONCERT TOUR 史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994】https://www.youtube.com/watch?v=FepyCkAE00U

評価=9

まり時間の間隔を置いていません。最高のパフォーマンスです。②ほどの情念はありませんが、全体の均整ということで言えば一番優れているものでしょう。

④【ASIAN TOUR IN TAIPEI】https://www.youtube.com/watch?v=iGmHpIn4R2s

評価=10

1995年台北でのLIVE音源です。

ややASKAの声が太くなっていますね。じつは私が一番好きな音源はこれです。

声質が太くなり重量感を覚えさせるけれどもパワフルに突き進むさまは、重戦車が高速移動をする様子さえ思い浮かべます

この録音では「駆け抜けてく」の「く」の音が、しっかりと「ウ」で発声されていますが、私はこちらのほうが好きです。かように苦悶の表情を浮かべた「ウ」はなかなか聞けません。

⑤【MTV UNPLUGGED LIVEhttps://www.youtube.com/watch?v=BsI973Gz0MQ

評価=7

イギリスMTVでのパフォーマンスです。1996年

アンプラグドさら欧米でのパフォーマンスということもあってか、アレンジがかなり変わっています

やや大人しめですね。テンポも少し早くなってあっさりとしています。お洒落な気分でPRIDEを聞きたいという時にはよいでしょう。

⑥【千年夜一ライブ福岡ドーム 僕らがホーム〜】https://www.youtube.com/watch?v=N84lgzkN9BA

評価=6

1999年から2000年にかけての年越しライヴです。

この頃からASKAの喉の調子に翳りが見えてきますポップス歌唱法にはご存じ「ミックス」というものがありますね。地声裏声を混ぜるってやつです。

艶のある地声成分で高音が出ないのか、裏声成分多めで叫ぶ手法オペラ歌唱に近い発声)が所々で見受けられます。後半になると多くなりますね。

⑦【CHAGE&ASKA LIVE IN KOREAhttps://www.youtube.com/watch?v=3X4W5lCMOGs

評価=6

コンサート途中に感極まって歌えなくなったことで有名な韓国ライブです(なおその映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=sFi5qExw_pM)。2000年

やはり前と同じで、高音が苦しそうですが、この曲ではその苦しげな姿すら一種のパフォーマンスに転化しうるものをもっており、胸を打つものがあると思います。②とはまた違ったおもむきで情感があります

⑧【COUNTDOWN LIVE 03 04 in SAPPORO DOME】https://www.youtube.com/watch?v=CIC71g9CvcE

評価=5

2003年から2004年にかけての年越しライヴです。⑥の3年後ですね。

この頃になると、90年代と声は明らかに違ってきます。目に見えて声が太くなってきます

喉の調子が治らず、どの歌唱法がいいのか模索している感じがします。

⑨【CHAGE and ASKA Concert tour 2007 DOUBLEhttps://www.youtube.com/watch?v=laGU2JOdj8o

評価=9

声はさらに太くなっていくのですが、そうした自分の声にあった歌唱法が見つけられたのがこのLIVEだと思います2007年

90年代ASKAを軽快なトランペットだとすると、これは炸裂するトロンボーンとでもいったところでしょうか。CHAGEの超高音はさら金属質なものとなって、硬質なハーモニーを聞くことができます

しかしこのLIVEで注目しなければいけないのはASKAよりもむしろCHAGEです。大サビCHAGEの超高音のハモリはこれまでのどの録音にもなかった凄みを与えてくれています

あと、またフェティッシュなことを言いますと、3:25あたりの「傷ついて知ること」の「と」の音は、大地の奥底からやってくるような雄渾な響きで痺れます

まとめ

やっぱり90年代は黄金期で、どれを聞いても圧倒的ですが、その中でも台北ライヴワーグナー「神々の黄昏」のような、崩壊しそうなまでに過剰な絢爛さがあって、私はそれを愛してやみません。

00年代になると喉の不調が目立ちますが、それでもDOUBLEライブは全盛期を取り戻すかのような圧倒的なパフォーマンスを見せてくれますしかしそれは90年代前半の軽業とは異なり、敬虔カトリック教徒の盤石堅固な信仰の凄みにも似たものを思わせます

2014-08-17

ゆるい映画サークルって存在します?

全てのファンは2種類に分けることができる。「データ派」と「思い出派」だ。

参考:http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1941.html

どっちの派閥が格上とか格下とか、そんな事実存在しない。

しかし、「データ派」は「思い出派」をにわかと呼び、ファンとして格下に見ている。

データ派」にとっては、「思い出派」は受け入れることができない存在なのである

「思い出派」にとっては、「データ派」が怖い。そしてそれ以上に惨めで可哀想な存在なのである

参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14119455764

データ派」は、その対象物に関する知識量でファンとしての格を測る。

基本的情報は当然に暗記していることが前提であり、裏話やトリビアを仕入れては喜び、披露しては悦に浸っている。

そして、自信と他者の"詳しさ"を比較し優劣を付けるのである

あぁ、なんて惨めで可哀想な存在なのであろうか。

そなた達はメタデータ愛しすぎている。

映画ファンに当てはめるならば、

データ派」は、俳優は誰々だとか、○○賞受賞だとかを語る人だ。

「思い出派」は、あのシーンが好きとか、このタイミングBGM流れて感動したとかだ。

(ちなみに、歴史や公開時の時代背景を知らずに作品評価する人達はファンではない。ただの馬鹿だ。)

趣味映画にしたときのあるある↓

思「趣味映画です」

デ「一番好きな映画は?」

思「○○です。」

デ「××好きなの?」

思「誰それ?」

デ「その映画監督って××でしょ?」

思「知らない。」

デ「えっ?(こいつにわかだな)」<優劣を付ける>

思「えっ?(きっとにわか烙印押されたな)」<恐怖>

デ「えっ?趣味なんでしょ?」<受け入れられない>

思「お詳しいですね^^」<憐れみ>

おまけでお勧め映画を書いておきます

ラースと、その彼女」:コメディじゃないよ。これぞヒューマンドラマだ。

「星の旅人たち」:バックパッカー経験者なら確実に楽しめる。こんな旅をしたい。

「めがね」黄昏るって素敵。

2014-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20140804004233

散々な目覚め 起き抜け開いた目腫れ

部屋は閑散さめざめ 育てた花枯れ果て

黄昏れた時間容赦無い 憧れた未来こうじゃない

窓開けた向こうボーダーライン 行けるような行けないようなそんなライフ

ボクら笑っていたいだけなのになぜか刺さって痛い

いつだってそう悲しくて 目逸らしたって虚しくて

それでもくしゃくしゃになって泣いたらまたフレッシュモーニング

生きる事自体美しい ねえそうだろ?

一つとして無駄な痛みなどない

2014-06-25

僕の真希ワガママだ。



真希可愛いけど少しワガママなところがある。「でもそれも美女の嗜み」そう思えるかは、その時の僕の気分による。100%許容できないことは、格好悪いなとは思っている。そんな僕に転機があった。

「だけどね、ちょっと辛くなる時もあるんだよ」という愚痴は心の中にしまい、明日も一緒に歩んで行こうと誓った出来事を、今ここに書き綴る。

これは昨日の話だ。僕は黄昏習い事から帰ってくる真希のために夕ご飯を作っていた。

神戸ビーフを使ったサテーキ、サーモンマリネ、三元豚のロースカツ、ベイクドバターポテトのチェダーチーズがけ、フカヒレの餡掛け炒飯アボガドオリーブオイル漬け…

あの娘は女のコなのによく食べるなあ…、付き合った当初はビックリした。でも、パクパク美味しそうに食べる真希を見て、余計に好きになったのだ。そんなあの娘のために、僕は腕によりをかけて自慢の料理の数々を作った。

真希が帰ってきた。笑顔で出迎える。彼女は事もなげに僕の顔を一瞥すると、「ただいま。ご飯は?」と言い、洗い物の道着をドラム式洗濯機の中に投げ込んだ。

(中略)

僕は真希の涙を、舌を使って拭うのだ。ぺろぺろ、ペロペロ、ワガママなあの娘の、気まぐれの涙を。

やれやれ最初からすまないと言えばスマートだったかな。」

そして、僕は一生涯かけて、真希ワガママに付き合うことを決めた。

(さて問題、僕と真希の間には何が起こったんでしょ?)

2014-01-20

NHK偏向している(!?)

あの田母神さんが噛みついたNHKニュース。そんなにひどかったの?と見直すと、違う意味で「びっくり」!

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140118-00031681

 このエントリは上の記事を読んで書いています








 突然ですが今最も読むべき漫画ってなんでしょう?

 進撃の巨人暗殺教室マギ銀の匙キングダムテラフォーマーズ、……人気漫画名前を挙げだすとキリがないですね。ちなみに僕は目黒あむ先生のハニー推しです。奈緒ちゃんが可愛いからしかし今回僕が選ぶ漫画はこれらの現在連載中の漫画の中にはありません。

 これこそが今最も読むべきだと僕が選ぶ漫画はおよそ20年前の漫画、『ラストニュース』です。

 作画担当するのは弘兼憲史先生ですが、島耕作シリーズ黄昏流星群といった氏の他の漫画に比べると知名度では大きく劣るかもしれません。深夜のニュース番組ラストニュース』の制作スタッフ達をプロデューサー日野湧介を中心に描く報道テーマにした漫画で、原作は前都知事猪瀬直樹氏です。

 20年も昔の作品ですが、作中で語られる問題意識現在でも通じるものばかりで全く古びていません。多くの人に一読することをオススメできる漫画です。

 まあ、なんで今最も読むべきなのかというと作品の質が高いからではなくて猪瀬直樹があんなことになった今読むとこんなに下卑た楽しみを得られる漫画は他にないからなんですが。一話目から扱われる問題が政治とカネの問題でブーメラン突き刺さっててメシが美味い!



 さて、そのラストニュースの中に『圧力』というエピソードがあります

 ラストニューススポンサー企業社長大手新聞社社長通産大臣らとゴルフに行っている。その席でラストニュースのことが話題に上がる。なぜお宅のような企業ラストニュースなどという偏向番組スポンサーをしているのか、と。通産大臣に言わせればテレビ局は中立でなければいけないのにラストニュースは民自党(与党)の攻撃ばかりしていてけしからんし、大手新聞社社長に言わせればああい偏向番組マスコミ不信を助長させるのだ、と。

 そして直後その企業番組偏向を理由にラストニューススポンサーを降りてしまう。当然ラストニュースプロデューサーである日野は民自党の圧力が背後にあることを察するが、なにはともあれ番組存続の危機だどうしよう。とまあそんな感じのエピソードです。

 困った日野は局の専務相談しに行くのですが、そこで放送法をきちんと読んでみるようアドバイスされます。そして放送法について調べた日野番組スタッフ達の前でその成果を披露します。その箇所が素晴らしい。

 まず日野ホワイトボード放送法一条第二項の条文を書き写します。

“放送の不偏不党真実及び自律保障することによって、放送による表現の自由を確保すること”

 それから、「ちょっと読むとわかりにくいが……こっちの言いかただとどうだ?」と条文を別の文章に書き直します。

“放送を自由な表現の場としてその不偏不党真実及び自律保障すること”

 実はこちらの文面は昭和23年国会に提出された放送法原案なのです。

 これについて、日野はこう語ります

「あたまに、「放送を自由な表現の場として」とある。そのために、「不偏不党真実及び自律保障」してもらわないと困る、ということだ。」

「つまり不偏不党」とは中立のことではなく、「権力の干渉があっても立場を歪められることがない」という意味に解していい。」


 つまり、民自党は中立でないことを理由にラストニュースを攻撃するが、その圧力こそが放送の不偏不党を脅かしている、ということです。

 僕もこの日野(=猪瀬)の解釈同意します。中立か否かは問題ではありません。権力の干渉を受けない、そのことこそが大事でしょう。

 何かを発信して、結果それが特定立場にとって都合がよく、別のある立場にとって都合の悪いものになってしまったとしても、それが己の価値観思想理論など内なるものにのみ基づいているのであればそれで構わない。そのように思います

 だいたい、偏向だなんだと騒ぐ人は自分の都合の悪いものには騒ぐけれど自分に都合のいい偏向であれば偏向とみなさない、その程度の人ばかりですからね。



 さて、ここで冒頭の記事に戻りますNHK政府広報みたいなメディアになっててびっくり! という記事でした。

 もともとNHKといえばネットではサヨク代表みたいな扱いをされることが多いメディアでした。それがウヨク代表みたいな安倍総理広報のようなメディアになっているというのだからその転向っぷりにびっくりです。

 僕自身は普段テレビを見る習慣がなく、帰省したときだけテレビを見るのですが、年末年始に見た印象だとやはり「あれ、NHKってもっと左寄りじゃなかったっけ?」という感想を持ちました。具体的にはNHK首相靖国参拝には結構厳しい目を向ける印象があったのですが、実際の報道を見ると「そもそも参拝するなよ」というスタンスは全く感じられず、「理解を得るにはどうすべきか」「中国日本包囲網を作ろうとしている」などという論調が目立ち「あれっ?」と思いましたね。

 ただ、僕の中の「NHKサヨク」というイメージネットを見るうちに作り上げられた虚像で実は昔からこんなものだったのかもしれません。実際のところどうなのかは誰か暇な人に検証してもらいたいところです。

 しかしまあここでは「NHKは変わった」という前提で話を進めます

 NHK右傾化しているとして、果たしてこれは問題なのでしょうか。

 僕の答えは、その変化が内部による自発的なものであれば問題ではない、です。マスコミ権力監視するべきである、という話がありますが、制作サイドが現在権力を支持しているのに無理に批判する必要もないでしょう。右翼的な考えを持つ人物が右翼的番組を作るのは別に構わないことです。

 しかし、もしもその変化が自発的なものではないなら。権力の干渉の結果であるなら。これは大問題と言わざるを得ません。

 日野(=猪瀬)による放送法解釈に戻ってみてください。「不偏不党」とは「権力の干渉によって立場が歪められることがない」ということ。つまり権力の干渉によって立場が歪められているのだとしたら、法が保障する放送の不偏不党が破られているということになります

 実際のところ、NHKが変わったとしてその変化は自発的なものなのかそれとも権力の干渉の結果なのか。僕はNHK人間ではないのでわかりません。

 しかし、権力の干渉を疑わざるを得ない要素はいくつかあります

 ひとつにはNHK経営委員が安倍総理に近しい人物で固められたという事実2001年安倍総理と故中川昭一氏がNHK圧力をかけたのではないかという疑惑。そして昨年7月TBSに対する取材拒否騒動。

 これらから安倍総理メディアに対して圧力をかけることをためらわない姿勢が見て取れますし、そうなるとNHKに対する干渉があるのでは? という疑惑を持つのは決して突飛な発想ではないでしょう。

 特にTBSに対する取材拒否騒動は「報道は中立であるべきだ」という理由で圧力をかけるところが上記のラストニュースエピソード酷似しており、猪瀬直樹安倍総理に「ラストニュースパクりやがって!」と訴訟を起こしていいレベルです(笑)

 まあ実際のところ圧力があるのかないのか、あるとしたらどの程度なのか、それについてはよくわかりませんが、今後NHKや他のメディアを見る際は「ひょっとしたら安倍総理から圧力かけられてるかも」「露骨な介入はないにしても安部総理に目をつけられないように萎縮してるかも」くらいの意識は持ったほうがいいかもしれませんね。

2013-12-29

LLF』と『果実』を比較検証する(1)

はじめに

中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証おいて新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。

古野まほろの指摘

12月7日Twitter於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである

死体発見時の言動等】

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

被害者は、成年男性1人である

被害者は、クローズドな施設において殺されている

発見者は生徒である

警察への通報を拒否する生徒が現れる

警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

警察通報すべきだ、と反対意見を述べる生徒が現れる

・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる

警察通報しないことを、倫理的糾弾する生徒が現れる

通報するかどうかの多数決が、可否同数になる

最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる

・生徒たちによる、実況見分等の捜査が行われる

現場に留まるのは危険、との判断から、無人の室に移動する


1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。

ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか


ロジック・ロック・フェスティバル

灘瀬朝臣社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校世界史を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。

天帝のはしたなき果実』におい殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。

黄昏音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部顧問に任じる瀬尾兵太だ。


天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、23

「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味おいては正確ではない。だが、少なくとも数学英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽質問悪態であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。

根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽質問悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部OBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。

そこで、まずは「理不尽質問悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。

p、って何だ」

「『弱く演奏する部分に付いた強弱記号』」

阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、34頁)

「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」

「歌口(マウスピース)を押さえすぎるから、です」

「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」

右手の小指を深く引っかけて持っているからです」

「それは何でだ?」

ペット左手だけで支えられていないからです」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、36頁)

(前略)音がボケてる。どうしてだ?」

「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、37頁)

瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。

「まずは誰も口論当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、582頁)

この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。

被害者は、成年男性1人である

これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合同一性」には該当しないことになる。

被害者は、クローズドな施設において殺されている

クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーおいては「密室」と「クローズドサークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室死体発見される。

「……密室

 ぼそりと言ったりり子の言葉に僕は哀しいかな反応してしまう。

 僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。

 現場は完全なる密室だと認めざるを得ない。


ロジック・ロック・フェスティバル

高校敷地建物文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズドサークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段ふたりバスケットボール部員によって監視されている。

はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。

ここの楽屋オートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングとき瀬尾がいいましたね)。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648頁)

姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズドサークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリア関係者以外立ち入り禁止となっている。

「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、626頁)

鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所死体発見されており、当てはまることになる。

発見者は生徒である

ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体発見するのは、主人公中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である

 四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。

「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」

 既に事態も把握しているようだ。

はい、これ、マスターキーです」

 走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。

 かちり、と確かに鍵の外れる音。

 社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。

「うっ……なに、この臭い

 千鶴が鼻を押さえる。

「――灘瀬先生、いらっしゃいますか?」

 呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。

 研究室入り口付近左手にすぐ壁、そして右手本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。

 目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。

 一面の赤色

 血の海。

 赤の海。

 そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。

 深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体発見するのは、主人公古野まほろ)、峰葉詩織の2人である

 うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」

「こちらです」

 ピ、と脳天気電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。

「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」

 彼女の声が思いっきり完全休止(ゲネラルパウゼ)する。

 次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。

「僕の、か?」

 彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実まこと)か――

 そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。

 肩からうえには、首がなく。

 それは、避けられない宿業のようだった。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648~649頁)

上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。

警察への通報を拒否する生徒が現れる/警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

ここからは、死体発見したもの警察通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭最後まで終わらせたいというものである

 その時だった。

 会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。

会長……?」

 不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。

 そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。

 それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。

「……頼む! 文化祭が終わるまで通報を待ってくれないか

 それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。

「な、何を言って……」

 ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。

「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」

 総員、言葉を失ってしまった。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、最初通報を拒否する生徒は主人公古野まほろである。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブルコンテスト大会の結果が聞きたいというものである

差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」

「僕は沈黙派だよ」と僕。

(中略)

「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、530頁)

どちらの作品も警察への通報を拒否する生徒が現れ、その理由は、高校生として「重要イベント」のためであるのに間違いない。

2013-09-29

クッキー黄昏

http://anond.hatelabo.jp/20130922234233

の続き

今のクッキークリッカーの状態は、総生産量2京枚超で、毎秒219億枚のペース

ほとんどの実績をクリアして残りは、反物質コンデンサを後5個増やして

100個にするぐらいしか残ってません

96個目の反物質コンデンサの値段は2335兆クッキーなので、

この生産ペースでは1万秒以上、つまりざっと時間かかることになり、

1個ごとに1.15倍で価格クッキー)があがるので、さら時間

かかります

からこの状態になるとやることは2~3分に一度出てくるゴールデンクッキー

クリックするが重要である、というかそれ以外にやることがありません。

けどそのボーナスも20兆クッキーぐらいなので100回以上クッキー拾わないと

次のコンデンサー買えない・・・・・・

ということもなく、実はCPS7倍と20分のクッキーというゴールデンクッキー

コンボざっと180兆クッキーをゲットできることもあります

ですから次のコンデンサ買うのにはゴールデンクッキーを少なくとも20回以上は

ゲットしなくてはならず、その出現頻度を考えるとやっぱり1時間コースですかね

その先は実績やアップグレードもなくなるので、完全にゴールデンクッキーをゲット

するか、放置だけのゲームになってしまい、現実的なプレイ時間でのクッキー獲得

上限値も限界にきています

結局、イベントクリアする都度に加速感が指数的に増えていくという快感中毒

もここで尽きてしまます・・・

と思うところが、そこで終わらせないのが作者のうまいところで

この段階でリセットすると、これまでのクッキーの総生産量に応じてHeavenly Chip

というものをもらえて、クッキー生産効率最初から下駄をはかせて再度

最初からスタートでき、最初フェーズの加速感が半端ないです。

400%増しぐらいでスタートするため、最初反物質コンデンサ獲得まで1時間

かかんないんじゃないですかね。

このゲームの特徴であるイベントごとの加速感のインフレというものを、新たな

イベントを追加するだけでなく、ゲームそれ自体を単位としてその加速感を加える

というのは面白いアイデアです

ですから、「放置ゲームになってつまらん」という人は、その時点で一度リセット

することで、また新たな加速感を楽しめ、前回よりはずっと先まで放置ゲームという

ことを感じずに楽しめるわけですね

一週目でアップグレード全部揃えるのは、まあできないことはない範囲ですが、

作者の意図としてはリセットを何回か繰り返して到達してもらうのというのが

ゲームバランスとして適当と判断してるのかもしれません

ゴールデンクッキー7777枚獲得というチートなしではどんだけかかるか

 わからない隠し実績もあるわけですし) <h3>o- **********************************</h3>

以下、ゴールデンクッキーコンボについて詳細

ゴールデンクッキーによるボーナスはこの段階では、

・CPSが7倍になる。継続時間154秒

ボーナスクッキー現在クッキーの10%または20分の少ない方、+13枚

が、ほぼ半々の確率で得られます。(他の低確率ボーナスについて割愛

CPS7倍154秒というのは結局CPSの924倍のクッキーをもらえることに等しい

現在のCPSならば21兆枚

ボーナスのほうは、CPSの1200倍なのでもうちょっともらえて、26兆枚ですが、

いずれにせよ、コンデンサを買うにはその100倍は必要なわけで・・・

そこで効いてくるのがCPS7倍の継続時間が154秒というところ

ゴールデンクッキーの出現頻度は(この段階で)75秒から210秒なので、CPS7倍

状態でさらゴールデンクッキーが出現することがあり、ここでボーナスクッキー

ゲットできると先の7倍、つまり184兆枚もらえることになります

(ただし現在クッキー数がこの10倍以上、つまり1.8京枚以上残していることが

必要です。よってこの終盤の状態では、稼いだら新規生産手段に交換する、のではなく、

蓄財から利子をもらう、という戦略が優位になるわけです。

2013-08-29

エリート崩れの黄昏

本当に時間が足りない。何をやっているのかわからない。

時間をどう使っているかメモっていても気がついたらきちんと正しく使っているにも関わらず、

やりたいことが多すぎて何を切るかわからないのでとりあえず睡眠時間を削っていくしかない。

まだ若手〜中堅と言われるこの年代では上位2%以下の高い給料をもらっている。

だけどマジでうらやむ自由なお金が手に入っているかという実感は全くなし。

外資で首を簡単に切られるくせに今の仕事だけだといずれは誰か若手に席を奪われる。

から簡単に追いつけないスキルを付けるために眠る時間を惜しんで勉強する。

勉強効率はすでにマックス。ankiも試験問題分析もdelayed learningもフル活用

それでも毎日こつこつしか覚える事が出来ない事はわかっているし、運動しないと太るし、

人生は本当に時間が足りない。本当のエリートは生まれたときからエリートから

俺みたいな貧乏**育ちな、ネガティブな気質の人間自分自分を育てるしか無いんだよ。

時々反応が来るはてな匿名ダイアリー結構面白い

言いたい事が言える。俺がんばってる、そんなこと現実世界で言える訳無いでしょ。

でもいつかは2chみたいに流出かもしれないから、

から捨てアドきっちり、だけど捨てアドに使ってるgmailも同じ。

2013-08-11

艦これこんごうモザイク(ニコ動の)→きんいろモザイクに嵌る→のタイトルに反応する中学生ボウイ想像云々というツイートを流れで見つけて、

何となくモヤモヤ中。きんいろモザイクという言葉だけで予約したビデオを思い浮かべて一晩寝つけずにいた、

そして母より先に回収しなければいけなかったミッションへの緊張感を返せと今更ながら思う。

艦これで中破した女の子悲鳴と絵を見ても初見から何も反応しない...

浜辺のビーチでキャッキャ言ってる女の子らの一人がラッキースケベを起こしたら、

ポロリもするほど元気があっていいですねーと紳士と言う名の変態眼差しで穏やかに見つめてるような、

そんな気持ちのデジャヴをずっと繰り返してる。

ぎらついた目で百分の一秒を脳裏に焼き付けるのではなく、

あくまでも夏の風景の一つとして流れを留めてみられるような。

デートした後、流れでそうなっても、揺れるおっぱいから

補助席でシートベルトを掛けた昼間の服装と交わした会話を思い出して脈絡なく笑えるような。

この余裕は私が今まで築き上げて来たエロスがもたらしたものだ。それがひどく悲しい。

少将まりのまま変わらない提督の肩書きのように、めったなエロに素直な反応ができない。

夜戦を交えることを念じればまだまだ現役のはずだが、普段はまったりエロスだ。

百を超える女の子を脱がしておいて、

画面を二やついた顔を必死に押さえながら閉じたくなることも

後ろを振り返ってしまうこともなく、

エルゴノミクス椅子に踏ん反り返って、淡々マウスを動かしていく。

ブヒブヒ鳴くことも腰を動かすこともなく、黄昏波止場をかけてゆく姉妹ぼんやり眺めてる感じ。

気づかぬうちに、エロスへの閾値は随分上がってしまった。

艦これってエロい、心の底からそう思いたいが、今の私には言えぬ。

艦これって癒されるよね。それでいい。

ああ、でも一人くらいは毒牙にかけたいんだけどなぁ。

2013-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20130125115309

黄昏流星群弘兼憲史)はこの場合、どっちにはいるんだ?

オタクキモイのほうなのか、非ヲタキモくないのか。

その辺にヒントがある気がする。

2012-08-09

西暦2037年のエロゲ

 西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから人生というのもなかなか理不尽ものだ。

 そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。

 なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料コンテンツ収益を載せる構造が完全に成立している。

 そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。

 還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲ通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。

 こんな業態、というのはエロゲショップのことだ。

 見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。

 オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。

 あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。

 目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。

 俺は自嘲的に思いながら、家を出た。

「よう」

 すでにショップはいものメンツが集まっていた。

 木のテーブルとコーヒー香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。

「庭のパッチはまだかい

「俺らの生きてるうちには出るさ」

 定番の挨拶を経て、新作の話などをする。

 エロゲ業界クラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的アニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。

 しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。

 ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。

 かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的テンプレは、癌の告知から始まって、主人公タイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。

 特養老人ホーム舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分ルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。

 そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。

 エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。

時間を止めて、待っていましたよ」

 そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近俳句ちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄り俳句を嗜むのかわかったような気がする。

 この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。

「それじゃまあ、新作の披露といきますか」

 3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。

 では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。

コンドームかぶせてむなし秋茜」

「ほぉ……」

「確かにむなしい……」

「もう勃起しねえしな……」

 場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。

「では次はオイラが」

 オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。

「我慢汁 集めて臭し俺の川」

「川になるほど出ねえだろ……」

「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」

「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」

「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」

「もうだめだ」

「だめだなぁ……」

 俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。

「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」

 ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。

「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」

 店主、あんたは勝ち組だ。

 人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。

 予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。

 全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。

 ゲームを起動する。

「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」

 老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。

 さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。

 ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。

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