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2017-07-19

https://anond.hatelabo.jp/20170719200010

おじさんと一緒に入ったラブホテルのドアが閉まるとこで1巻終了、

その後もおじさんに何度も抱かれて

メガネバンドメンバーがその事実を知って

深夜の公園波止場で泣きながら「ウオーッッ」って叫んで、

自分号泣しながら泣きすがるまでで2巻終了

2015-01-29

艦隊これくしょん4話

忠犬ハチ公のように如月轟沈を待ち続ける睦月in波止場

・ながもん「駆逐艦一隻の轟沈で済んでよかったやんけ」 むっちゃん「畜生やな」

駆逐艦たちが使ってる国会議員みたいな名札はなんなんだ

妙高型四姉妹…おや…一人無視されているような…

・ぐろっちゃん@妹キャラくそかわ

・要介護状態のぜかまし

吹雪浮気症「赤城さんも素敵だけど金剛さんも素敵(はぁと)」

吹雪@女心と秋の空「いややっぱねーわ」

・こ、この提督無能だ! 金剛型四隻+ぜかましぶきちゃんでオリョクルて!

今日今日とてハチ公する睦月。意外と空気の読めるぽいぽい

アイキャッチかわいいな~コニシさんかなこれは

金剛ハイハイ!ハーイハーイ! 三式弾!三式弾!」

・砲火後ティータイムin金剛と愉快な仲間たち

・ほぼノルマと化したクレイジーサイコレズパート、「咲き誇る花よりあなたが綺麗よ」

やばい…ポンコツ姉妹だ…ヤバめの姉貴ふたりがいなくてもポンコツだ…

戦闘は、金剛型は出撃シーンなし

ぜかまし魚雷発射シーンめっちゃいい!!!

・連装砲チャン有能スギィ!

・ヲ級と素手で戦う金剛お姉さまLSDトリップ

金剛「なってない、本当になってないぞ、フブーキ!」

吹雪「今わかりました!宇宙の心は彼だったんですね!」

今日今日とて波止場にて如月ちゃんを待つ睦月

・そこにようやく人影が…ぼろぼろのスカート、艦装、決壊しそうな涙腺

・「如月ちゃんだと思った? 残念吹雪ちゃんでした!」

2014-04-05

イオンでNexus4を買ったらやってみてほしいたったひとつのこと

今日電車たまたま仕事で知り合った友人と出会った。

から携帯を出そうとしたら、隣に座っていた人のNexus7にぶつかって

あ、すみませんと顔を向けたら、知っている顔だった。

ひとしきり近況を交換したところで、知人が見せたいものがあるという。

内製アプリプロトかなにかと思ったら、タップしたのは標準アプリの「ギャラリー」だった。

彼はちゃっかりリア充ぶりを見せつけるように時間をかけた後、伊豆で撮ったという一枚の寂しい写真に最終的に辿り着いた。

下のサングラスのようなアイコンタップすると端末を持って周りを見回してくれと言う。

言われるままに端末を滑らすと、真冬の弱々しい太陽とくすんだように黄色く低い灌木が山裾まで広がった景色が左に流れ、

代わりにここまで撮影者を連れてきたのであろう山道が山の嶺の向こうまで続いて風景に変わっていた。

はっと後ろを向けば、ステンシルで型どられたような影法師が山緑を上下に分けていた。

行ったこともなく名前も聞いたこともないその場所に、あの時私は確かに立っていた。

AndroidKitKatから入った標準機能だそうだ。

「これを知ったら、一眼レフはもう持てないよ。」

ちょっとだけ型落ちのニコンカメラ風景画の写真が好きで、

ゴルフドライバーの代わりに三脚を車のトランクに突っ込んでいたことを思い返せば、

その発言は驚きで、でも理由を説明されなくても分かる気がした。

ハードウェアじゃなくて完全にソフトウェアで実現していること、

内蔵された傾加速度センサがそれを可能にしていること、

撮影するのに時間がかかるけど、たくさんのカメラがあれば一瞬で出来ること、

ドイツベンチャーが、放り投げるだけで360度の視界を撮影できてしまカメラボールを開発していて

日本でも入手できることなど、たくさんの覚えきれない話に時間ゆっくり流れていく。

今のところ、これの唯一の欠点は足下が幽霊になってしまうことぐらいだねーと、

さっきは気づかなかった、臑の先が風景に溶け込んでいく自然さに笑った後、

「ところで、そのNexus4にも同じ機能入ってるはずだよ」

ぽろっと落雷が舞い込んだ。そうだ、この携帯KitKat入ってた。

IoTって言葉がなんかバズって久しいし、iBeaconやAndroidWearが後二年ぐらいしたらフツーになってるから

上司に力説されて、AndroidWearのデモアプリを動かすためによくよく調べず購入したけど

今のところマインクラフトPEのMODスキンをその場で確認できる自己満足くらいにしかなってないNexus4が

まさかこのタイミングで話につながるとは思わなかった。

使い方はいたって単純。ランチャーアプリすら入れていない自分環境では

ホーム画面を開いて、左下のカメラボタンタップして、同じような位置にあるアイコンタップして、

一覧の一番上の地球儀サングラスを掛けたようなアイコンタップして端末をまっすぐ前に掲げて「Align to start」という文言を見ながら待つだけ。

これすごいよ、と電車内を盗撮しまくっていたところを友人につっこまれ、

「じゃあ、開けた場所に行こう」と自分の予定も友人の予定も置き去りにしたまま、

つの間にか、波止場まで友人を連れ出していた。

全方位写真撮影者が一番臨場感を感じると思います楽しいです。

Nexus5と間違えてNexus4を購入した時は世界が終わったような感じがしてましたが、

iPhone比較したら誤差範囲のような気がしてきたのが不思議です。

2013-08-11

艦これこんごうモザイク(ニコ動の)→きんいろモザイクに嵌る→のタイトルに反応する中学生ボウイ想像云々というツイートを流れで見つけて、

何となくモヤモヤ中。きんいろモザイクという言葉だけで予約したビデオを思い浮かべて一晩寝つけずにいた、

そして母より先に回収しなければいけなかったミッションへの緊張感を返せと今更ながら思う。

艦これで中破した女の子悲鳴と絵を見ても初見から何も反応しない...

浜辺のビーチでキャッキャ言ってる女の子らの一人がラッキースケベを起こしたら、

ポロリもするほど元気があっていいですねーと紳士と言う名の変態眼差しで穏やかに見つめてるような、

そんな気持ちのデジャヴをずっと繰り返してる。

ぎらついた目で百分の一秒を脳裏に焼き付けるのではなく、

あくまでも夏の風景の一つとして流れを留めてみられるような。

デートした後、流れでそうなっても、揺れるおっぱいから

補助席でシートベルトを掛けた昼間の服装と交わした会話を思い出して脈絡なく笑えるような。

この余裕は私が今まで築き上げて来たエロスがもたらしたものだ。それがひどく悲しい。

少将まりのまま変わらない提督の肩書きのように、めったなエロに素直な反応ができない。

夜戦を交えることを念じればまだまだ現役のはずだが、普段はまったりエロスだ。

百を超える女の子を脱がしておいて、

画面を二やついた顔を必死に押さえながら閉じたくなることも

後ろを振り返ってしまうこともなく、

エルゴノミクス椅子に踏ん反り返って、淡々マウスを動かしていく。

ブヒブヒ鳴くことも腰を動かすこともなく、黄昏波止場をかけてゆく姉妹ぼんやり眺めてる感じ。

気づかぬうちに、エロスへの閾値は随分上がってしまった。

艦これってエロい、心の底からそう思いたいが、今の私には言えぬ。

艦これって癒されるよね。それでいい。

ああ、でも一人くらいは毒牙にかけたいんだけどなぁ。

2009-09-09

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

人民元建て「中国ソブレン債券」を発行

 オフショアで60億元を調達し、ハードカレンシー化への第一歩

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英紙フィナンシャルタイムズ9月9日)速報に拠れば、中国オフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。

香港オフショア市場を利用して総額60億元を世界投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。

これは中国通貨戦略の具体的発動で、自国通貨ハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。

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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

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(承前)

ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリールースキー島へ上陸して驚いた。

道路ぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製ランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。

普請の騒音が高い。

現場日本製クレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。

建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。

建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホール外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。

ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。

ビルが林立して壮観だった

さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。

瀟洒なレストラン豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。

展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍満州侵略に触れていないのはロシア歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。

翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。

ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。

港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。

ナホトカで一番大きなホテル中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテル中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。

チャイナタウンは火が消えていた

中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。

「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮キルギスウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。

われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。

ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店絵本小説くらいしかない。村上春樹翻訳? ナホトカでは見かけなかった。

2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。

慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地標識落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。

ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。

ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日)貳

        通巻第2703号 

2009-04-22

会議自分意見を大きな声で言えないヒトは赤信号です。

重要会議でも物怖じせず、ビシっと自分意見を言えるビジネスマンって

本当にカッコEですよね。

周りの意見に左右されずに、会議で的確な意見を述べることができる男のヒトは、

きっと上司からの評価だけじゃなく、同僚の女の子たちからも

尊敬のまなざしを浴びているはずです。

それなのにいつも自主的な意見を発することなく会議を終えるだけのあなた・・・

たま意見を求められても、モゴモゴと何を言ってるか聞きとれないから、

上司の評価もガタ落ち、女の子たちからもきっと気味悪がられていますよ。

会議のような場所で発言するのがちょっと苦手なヒトへのアドバイスとしては・・・

まずはお腹から声を出す練習から始めてみてください。

できれば人気の無い夜の公園波止場などがいいです。

やり方は肩幅に足を開いた状態で肛門をギュッと引き締め、

上あごを上げたまま、お腹に手を当てて

「ウッエア、ウッエア、オオオオオ」と、

できるだけ大きな声で10回連続発声してみてください。

これを毎日続けるだけで、1ヶ月後にはグングンと成果が現れてきます。

お腹から声を出すことができれば、中身はパッとしない意見でも説得力を持たせることができますし、

会議だけじゃなく、毎朝の社訓唱和にも役立って、上司から一目置かれるようになります。

それにカラオケでもマイクなしで歌えるようになって、きっと女の子たちからも尊敬されます。

だから会議自分意見を大きな声で言えないヒトは

まずは深夜の発声練習から始めてみてくださいね。

2008-03-26

[]

両親と私、弟二人は、昭和十年に移民団として南洋群島パラオ本島に行き、ここから私の人生が始まりました。

北海道から汽車で揺られ、横浜へ港から一週間の船旅で、小笠原諸島を通過する時は大シケで、全員が船酔いでぐったりして、ココール港に入港して下船し、旅館に落ち着き、二日後に連絡船で私たちの永住する朝日村へと三時間の旅で、ここから一時間歩いて草と小枝を切って前日区分した場所に着き、まわりを見渡すと大樹が多く、先ずは伐採から始め、そして草を刈り、住む所にバラック小屋を建て、火をたける場所を作り、原始的な生活から始まる。

入植をして半年を過ぎる頃には、どうにか農作物が作れるようになり、パイナップル畑を作り、苗を植え、次々と入植者も入り開けてきて、パイナップル工場も出来る。野菜波止場までかついで出荷をする。そのうちにリヤカを買い、運搬は楽になり、農家も安定をして、家畜を飼い堆肥を作り、私たちの住む住宅を建て、安定したのもつかの間で、昭和十八年、大東亜戦争が始まり、三月二十八日から三十日の三日間は大空襲で、ココールの町は火の海と化して、食糧及び燃料は壊滅状態で、これからが大変な生活で、内地からの定期船が入らず、自給自足で半年くらいまでは良かったのですが、その後は米が不足して、大人はどうにか我慢が出来るのですが、子どもたちが可哀想で見られず、毎日の空襲で農作業も思うように出来ず、結局は夜の仕事と変り、月夜は良いのですが、闇夜は手探りで作業を続けました。

ますます戦火も激しくなり、この最中に婦人と未成年疎開本国に引揚げることになり、私は十五歳で引揚げることが出来ずに残り、父は兵隊へ入隊をする。私は軍属として志願兵で入隊しました。この時に始めての体験、軍隊生活で親の有難さを痛感しました。夜は毛布の中で泣いた事が何度かわかりませんでした。

戦争は激しくなるばかりで、私の立ちは兵事部で。伝令でした。空襲の合間に書く分隊情報を届けるのですが、木のあるところは良いのですが、またま平野空襲出合い、何度か命拾いをしてきました。

その内に食糧の不足と共に栄養失調で亡くなる人が出始め、兵隊と一般の人と次々と亡くなり、いても立っても居られない気持ちでした。兵隊でも上官は米のご飯ですが、部下はご飯が当たらず、死ぬ兵隊などは米の飯を食いたいといわれた。言葉は、耳の奥にこびりついています。

食事の方も、兵隊はサツマイモの葉のオジヤに、サツマイモ、そして米つぶが数えるほどしか入ってなくて、お腹だけがふくれて、髪の毛は抜け、痩せて可哀想でした。又、夜はサツマイモ畑を荒らす人が多くなり、夜警取締りが始まり、私も夜警に出たが、婦人と子どもたちは逃がしてやったことが記憶に残っております。

戦争は激しさを増して、引揚げたオフクロと弟たちの船が魚雷でやられたと聞いたので、あきらめていましたが、生きて帰りたい気持ちで一杯でした。

ある日、私と上官は、農民との集会の最中空襲に合い、私とひざを合わせていて、討たれ戦死をしましたが、人間とは運、不運があると思いました。人間的に立派な方で、私を弟の様に可愛がってくれ、この時だけは替われるものであれば替わってあげたい気持ちでした。その後に来た上官も良い方で、私の面倒を良く見てくれ有難かったので、感謝で胸が一杯です。

その内に終戦となり、引揚げる時まで一緒で、食糧が不足をして、栄養のあるものは口に入らず、上官と山鳩を取って食べ、命をつなぐことが出来ました。私は人との出会いの運が良く、引揚げる時は別でしたが、本籍が増毛町で、父と一緒に帰り、父の妹を頼りに行くことが、常夏の所から北海道の真冬には勝てずにネコのようにまるくなり、一ヵ月後には死んだはずのオフクロ、弟妹、全員無事に再会できる事は、この上ない幸せでした。

この頃はニシンが大漁で、浜はごった返しで景気も良く、このまま世話になることは出来ず、私は一足先に赤平炭鉱に居る伯父を頼って行く。すぐに採用してもらえなくて、組で働き、半年後に本採用になり、家族全員が来て生活をする。このときも食糧に苦しみ、買出しに農家に米を買いに行き、随分足を運びどうにか生き延びることが出来ました。

その後父と母、弟妹たちも来て、開拓農家を始めて開墾をして農業をする。私も日曜日には手伝いに行き、苦労した甲斐があり作物がとれ、希望がわきました。

炭鉱も景気が良く、父は二、三年辛抱をしてくれ、身の振り方を考えると言われましたが、とうとう定年まで勤務をし、人生の半分が過ぎ、昭和四十九年八月十三日の運搬事故では九死に一生を得たことは、生涯忘れることはできません。今考えると運が良かったと感激で一杯です。闘病生活を振り返り、リハビリーの苦しみは忘れることは出来ません。人の三倍も努力を続け、玉の脂汗を流したことが良くてどうにかもとの体に戻り、所信をして長生きをしていきたいと肝に命じている今日この頃です。

このように体験したことは、私にとってはプラスとなり、今後は日本は二度と繰り返してほしくない戦争を、息子を始め、孫、ヒコの代まで続けてほしいと願っております。

この文を永久に残して、世界人類平和であってほしいと念願する次第です。

どうか、全世界平和にと、声を大にして、叫びたい気持ちで一杯です。

2007-03-21

増田フィクション劇場第二幕「1書き込み100円のペーパーカンパニー

今日も私は国民を欺いている。

私たちの主な仕事2ちゃんねる等のニートフリーター達が集まる掲示板ブログの監視とコメントの書き込み。1書き込みは100円だ。上限はない。書けば書くだけ金が転がり込んでくる寸法だ(もちろん、会社の意向に沿わない書き込みは対象外だが)。給料国民血税から出ているから、私たちは会社屋台骨を気にすることなく毎日大量の書き込みができる。

書き込みの内容は、主に反日嫌韓嫌われ者作り。「チョンは氏ね」「こいつのどこが美人なんだ?ブサだろ」「空気嫁」と、対立や書き込みを煽る発言が大半だ。「釣り」と言われようが気にせず続けることがポイント。釣ろうが釣られようがそいつはそのスレッドに来たことになり、盛り上がりの一端を担ってくれるからだ。他にも「日本は私が変える!」といきまく人間ブログに賞賛の書き込みを大量に投下し、ブログに縛り付け外に出なくさせる作戦も行っている。こうすることにより、ストレスのはけ口をネットに集中させ、現実世界に出させないようにしているのだ。

「中央集権国家プロジェクト」に引き抜かれたのは1年ほど前のことだ。当時私は日雇い労働者として、毎日死んだ目をした人を大量に乗せたバスに揺られ、波止場の工場でコンビニへ運ぶ商品の仕分けをしていた。

そこに希望はなかった。毎日のように重い荷物を運んではカゴに乗せる作業を繰り返し、日々筋肉痛に悩まされた。仕事が遅いと、中国人上司にわけのわからない日本語ダメ出しをされた。抜け出したくとも1日7000円の薄給では家賃を払うことが精一杯で、リクルートスーツを買って就職活動をする余裕はなかった。

そんな時に、高校時代の友人にこのプロジェクトへの誘いを受けた。パソコンをいじるだけで月100万は堅い。やり方は俺たちが教える。友人としてお前を今の生活から脱出させてやりたいんだ・・・。余裕がある時ならばそんなマルチ商法のような誘いなど断っていただろうが、当時の私にとって他に選択肢がなかったことは、ある意味幸運だったのかもしれない。

今、私は麻布の高級住宅街に家を借り、毎日タクシー通勤し、仕事が終わったら六本木で遊びまわる天国のような生活を送っている。金が金を生み、人脈は果てしなく膨らんでいく。日本という国がある限り、私たちは一生生きていけるのだ。

最近では成金を悟られないように色々な勉強会に積極的に参加するようにしている。そこでわかってきたことは、現在日本の統治システムがどれだけずさんであるかということと、それに気づいていない国民がいかに多いかということだった。いや、私たちが気づかないように仕向けているのかもしれないが。

石原歌舞伎町浄化の後、クラブの営業も規制し始めたことはあまり知られていないが、なかなかの好判断だったと思われる。夜の街には自治政府ができやすい。それを法で規制するのは独裁者常套手段だ。おそらく石原は若い時分に夜遊びを繰り返し、闇取引の多さを目の当たりにしてきたのだろう。

最近ではひろゆきの賠償金問題が話題になっているが、私はひろゆきの言っていることにはおおむね賛成だ。借金を踏み倒しても捕まらないのなら踏み倒せばいいのだ。もしかしたら、踏み倒したら捕まるような法がこの国では永遠に整備されることがないことを知っての発言かもしれないが。

なぜなら、その法を成立させてしまうと、踏み倒すことで生計を立ててきた在日団体、企業が黙ってはいないからだ。彼らを怒らせれば、在日とべったりの日本政府要人達のスキャンダルはすべて明るみに出るだろう。だから、提出されたとしても、彼らは全力でそれを阻止することになるだろう。

救いようのない構図だが、これを打破しようとする人間は今はブログで自分の意見をこれ見よがしに披露し、私たちの書き込みによって悦に浸ってしまっているから、この国で目立った革命が起きることはまずないだろう。

ふう、考えているうちに今日仕事が終わった。さて、今日はどの娘と遊びに行こうか・・・

 
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