どうだろうiTunesから200円の曲を買うことにためらいなんて無いし
Youtubeをキャプるのと200円なら、200円払った方が便利でいいと思うタイプの人間だけど
それでも音楽なんて滅多に買ってない。
買う用意は合っても買う曲が無い。
去年は、やさしくなりたい?だっけ?ミタのやつと、宇多田ヒカルぐらい。
実際iTunesは恐ろしく便利だよ。でもそんなもん。
ネットがあるからCDが売れないわけじゃないし、貧乏だからCDが売れないわけじゃないと思うよ。
ソースは俺で申し訳ないが
というか、これって少々ぼかしてるけど「法律違反をしました」みたいな事を言っておきながら、「警察に自首します」とか「当時の遺族に何らかの保障をします」とか言ってない辺り、他のマスコミ記者たちと五十歩百歩にしか感じられない。
病院ではWAIS-III以外に母親への聞き取りも行いました。
僕は小学校の時の通知表の整理整頓の欄はずっと△だったし、箸もしっかりと持てない、紐もあまりうまく結べない、ノートもしっかりと取れない。
まあ、分けて考えることは必要だろうな。今回の騒動は、それ以前の問題だけど。何せ秘匿を依頼された情報を、相手に無断で公開したわけだから。もはや誰も、こんなマスコミという業界に、情報を与えようとは思わんだろう。
むしろ今後、こういった事件の被害者遺族は「何が何でもマスメディアにだけは情報を一切流さないでくれ」と政府に懇願するのが主流になるかもしれないな。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害、腎臓疾 患持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生 です。
増田でたまに僕は自分の事にしか感心がない人間だって言われる。
しかし、僕はそうは思わない。
周りに感心を持たなければどんなに楽なことか。
元増田ですが、言いたかったことは「『政府が犠牲者の氏名を公表するかどうか』と、『報道機関がそれを実名で報道するかどうか』ということは分けて考えようよ」ってことです。
分かりにくくてすいません。
(追記)
政府は公表すべき、報道機関は匿名報道するべきと考えます。政府が「報道機関のモラルの低さ」を理由に重大な情報を隠匿することは許されないし、また一方で報道機関が「言論の自由」を盾に実名報道を強行することも許されないのではないかと。
自分は二つ持ってるな。まあ、片方はプライベートモードだから、自分を批判した奴を、さらに批判するということは出来ないのだけど。
実名報道が当たり前かどうかは分からないが、一つだけ確かなことは、今回、朝日新聞は「実名を報道しないでくれ」という約束を遺族と交わして取材したはずなのに、それを無視して報道したって事。
実名報道がどれだけ崇高だろうと、これじゃ誰も理解してくれないよな。
正直、今回の一連の騒動は、マスコミの盛大な自殺だと思う。自分たちが、一部から「ゴミ」と呼ばれてることくらい知ってるだろうに、自らその「ゴミ」と呼ばれるに相応しい行動をしたんだからな。
そんなに「実名」が大事なら、まず記者が自分たちの記事を常に実名入りで公開すべきだろう。話はそれからだ。
まあ、筆名とかでもいいが、どの記者なのかすぐに分かるようにしておけ。今回は顔写真もフェイスブックから無断で借用して公開したみたいだから、記者も自分たちの新聞社のWEBサイトとかに、自分の顔写真を公開すべきだな。
たまーに、法人or個人から当社宛の依頼文書(依頼の性質上、郵送&要返信)を受け取る機会がある。
「相手→当社への依頼」ということで、
1)依頼文書
2)相手先の住所を記入いただいた返信用封筒
3)2)に貼る返信用切手
上記1)〜3)をセットで送っていただきたい
(目上の方もいるので相手の立場によっては、ご負担ください、とかご用意ください、とか同封してくださいとか使い分け)
と話しているのだが、
若い人でも年上の人でも、そして
かならず2と3が抜けて1の文書のみが送られてくる。
(=相手側の都合で送って来た依頼文書なのに、当社が封筒も切手も用意して、
相手の住所氏名も記入しなければならない。ちりも積もれば…)
そういう場合、当社としてはもう
わざわざ「切手がないんですけど」などと電話しないことにしているのだが、やはり
後日、上司からは「ちゃんと説明してないでしょ!」と叱られる羽目になる。
ネットで検索したら、ヤフー知恵袋なんかに「返信用封筒ってどこで売ってるんですか?」という質問が
うつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。
物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。
バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである。
キレて逆上した連中は、ものの三十分もあれば、すべてをメチャクチャにしてしまう。
これを埋め合わせるには、
英知と先見性を持った者たちが、百年にわたって熟慮を重ねても足りない。
従来のシステムの過ちや弊害は、誰の目にもハッキリと映るため、
たいした頭がなくとも容易に批判できる。
ましてや絶対的な権力を握っているのであれば、ひとこと指示を出すだけで、
それらの過ちや弊害をなくすという名目のもと、
システム全体をぶち壊すことができるだろう。
かかる姿勢は怠慢にしてせっかちであり、
横着を好みつつ何かせずにはいられない。
はたせるかな、新しいシステムをつくり上げる際にも、
議会は困難に直面しようとしなかった。
物事をこれまでと正反対にするのも、安直さにかけては、
すべてをぶち壊すのといい勝負である。
問題点を指摘されたところで
「とにかく一度やらせてみよう」という雰囲気さえつくることができたら、
あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。
対象的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めていくやり方である。
新たな要素がつけ加えられる。
ここでは大いに知恵を働かせなければならない。
システムの各側面について忍耐強く配り、
従来の要素と新しい要素を
どう組み合わせたらいいかを決めることが求められるのだ。
「いまのシステムには飽き飽きした」と軽率に見切りをつけたがったりもするので、
こんな反論が寄せられるかもしれない。
「それでは遅すぎる。議会の偉大さは、普通なら長い歳月かけて達成される事業を、
成果があがるまで何年も待たねばならない。」
むろん、そうだろう。そうあるべきなのだ。
その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。
慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることは、大工や職人も承知している。
われわれはレンガや木材を扱っているわけではない。
ひどく悲惨な結果を招くことになるだろう。
平気で改革を進めていくことこそ、
偉大な政治家の条件だと見なされているらしい。
だが、私の考えはまったく異なる。
真の政治家たるもの、温情あふれる心をもっていなければならない。
そのような人物は祖国と同胞を愛しつつ、
おのれの能力をつねに疑ってかかる。
到達すべき目標をとっさに把握する才覚をもっていたとしても、
実際の行動においては一歩一歩じっくりと進んでいく。
政治を良くしていくには、人々の心をまとめあげねばならないものの、
これは一朝一夕にはできない。
力任せに押し切るより、我慢強く気長に頑張るほうが、
「フランス革命の省察/エドマンド・バーク (1790年刊行)」訳 佐藤健志
これ以上の橋下批判は聞いたことがない。
急進的な改革は上手くいかない、やるなら徐々に行うべきだ。
後はどういう失敗の仕方になるか。
橋下が改革を成し遂げられず失敗するか、改革をやり遂げた結果、フランス革命のように全体主義を呼び込んで失敗するか。
後者なら目も当てられない
悪意を感じるから読まないとか書いてたけど、一度全部読め。
僕の考えた最強の一人暮らしセット
http://d.hatena.ne.jp/gamella/20121228/1356703237
PCに向かう時間が少ないなら、ご飯もくつろぎも趣味も全部全部ちゃぶ台+座椅子。
PCに向かう時間が長いネット中毒者なら、デスクと高いOAチェア。
その場合、座椅子+ちゃぶ台よりダイニングテーブルのほうがいいかもしれない。
照明はなんだかんだ言ってーリングライトが最強。
高い位置にあるから圧迫感がなくていい。
間接照明なんか暗くて使い物にならんし、スイッチのオンオフが面倒くさい。
ただ、手元にサブの明かりがあったほうがいいとは思う。
照明を背にすると自分の影が手元にかかって嫌な感じだ。
冷蔵庫用のスペースというのはほぼそれ以外に使いようのない場所がそのために用意されている。
小さいものを買ったところで、部屋が広くなるというわけじゃない。
お湯は一人分なら毎回沸かしたほうが早い。
1K~1LDKなら掃除機よりクイックルワイパーが使いやすいだろう。
広い棚を支えるには合版は弱すぎる。
どうしてもというなら、小さな棚にしておこう。
PCデスクを買うならだが、ディスプレイよりも上に棚があるタイプはやめよう。
圧迫感がひどい。
ヘッドボードやベッド下に引き出しやらなにやらついてたりしても、作りが良くないとスムーズに引き出せなくて使いにくいから。
ここだけは元記事に同意。
そのまま殺されるか、殺されずに殴られるかのどちらかを選ばねばならなかった。ただしどちらの選択肢を選んだとしても、声を出してはならない。助けを求めてはならない。家族殺しというのはそういうものだ。毒親に育てられるとなおさらその呪いが強くなる。被害者は共犯者にならねばならない。自分の命よりも、自分の痛みよりも、毒を飲ませた親を優先する。そうしなければならないと思ってしまうのが、毒親に育てられるということなのだ。
首に冷たい指が食い込んでいた。しびれるような重みが体の上にあり、窓ガラスの向こうでは街灯のきらめきがぼやけてはくっきりと影を持ち、私は指を引き剥がそうともがいていた。声を殺し、手の甲に爪を立て、そのくせ冷静に街灯のきらめきの数をかぞえている。いつ舌を噛もうか、死のその時が目の前にやってきたら自殺に見えるように死のうと考えながら、でも体は生きようとしていた。緑、オレンジ、緑、青、黄――頭の上にのしかかる闇の向こうにはっきりとその色が見えていたことを覚えている。
幸いなことに私は殺されないまま、今も生きている。死んだほうがましだという思いは長く続いたが、それでもまだ生きている。生きていてよかったと思っている。
その後、ほとんど無一文で家を飛び出したあとの生活を、人は惨めだと言うだろうか。冗談交じりに貧乏話をすると、たいてい驚かれる。その貧乏はおおよそ日本の、五体満足な両親がいて、平均より少し経済的に余裕のある家庭の子どもが陥る最貧の状況からは想像できないところにある。一歩間違えば、私は夜の世界に沈んでいたかもしれないし、今もまだ行き場なくまちの中を徘徊していたかもしれない。私の履歴の中に、その崖っぷちの生活は滲み出さない。綺麗に取り繕ってまるで日向だけを歩いてきたような顔をして私は生きている。
自分の力でここまで来たと言ったら、両親は烈火のごとく怒るだろう。また私を殺そうとするかもしれない。それに私の過去をよく知らない人も、知っている人であっても、そう発言した時にいい顔をしないだろうと私は知っている。だからただ笑顔を取り繕って無言の抵抗を貫いてきたのだった。
でも、君は違った。まるで当たり前のようにやすやすとそう口にしてみせたのだった。自分の力で、ここまで、来たんだから。だからもっと自信を持って。
私はたじろぎ、それからまた黙り込んだ。私の心のなかにある怯えが口を塞ぎ、息ができなかった。
君は日本人ではない。日本の社会で家族がどう振る舞うべきか、君は知らない。そのうえ君は本国でもやはり典型的な家庭の出ではなく、それこそ自分の力でここまで歩いてきた人である。それは君の立ち居振る舞いからも簡単に推し量ることができる。行動パターンや表情や、距離のとり方やあるいは頑固さに、同じ匂いを私は嗅ぎ取ることができる。君だってそうだから、私と仲良くなった。
しかしだからこそ、君は怯える私のことを理解できないのだろう。不自然に話を逸らした私のことを理解できないだろう。理解できないことがあると育った文化の差が出る。矢継ぎ早に君は私を責め、なぜもっと自信を持たないのかと詰る。なぜだ、なぜだ、なぜなんだ。少ない語彙で君は聞きたがる。この話はもう少ししてからねと私は言うしかない。君の言うことはよくわかるし、そうすべきこともわかっているけれど、心がまだ追いついてこない。言葉はもっと足りない。すべて言語化して伝えるしかないのに、私と君の間には言語の壁があり、文化の壁があり、なんとなくで伝わるものはほんとうに少ない。でもいつかきっと話すよと私は言う。いっぱい英語とか、君の国の言葉とか、勉強して、それで話すよ。ちゃんと伝わるように、話すよ。
昼歯科医いってきた
親知らずは虫歯ではなかったし生え方も特に悪くはなかったので抜かずに済んだよ
臭かったのは蓄積した歯垢でした
しかし今でも臭う困ったなまた行こうかな