はてなキーワード: 末っ子とは
卒論書いてたら急にブワーッと父のことを思い出して涙が止まらなくなったので、気持ちの吐き出しを兼ねてこのエントリーを書く。
この9月に父が亡くなった。58歳だった。
3年前に癌が見つかり、手術と治療を繰り返したけど1年前に転移してから亡くなるまであっという間だった。
夏休みだったから亡くなる直前の1ヶ月は毎日病室に通ってたくさん話が出来たし、たくさんの人が父の死を悼んでくれたし、突然死では無かったから別れの覚悟は出来てたんだけど、2ヶ月経って色々落ち着いてから後悔ばかりが浮かんでくる。
私は3兄妹の末っ子で、凄く可愛がってくれたのに高校に入るまで可愛くない態度しか取ってなかったな、とか
就活は6月に終わってたのに父の現状を直視したくなくて8月まで帰省しなかったこととか、
結婚できるかは分からないけど、ウエディングドレス姿見せてあげたかったな、とか
入院中、吐いてる時に母みたいに手早く対応してあげられなかったな、とか
お医者さんにいつ何が起こるか分からない状態ですって言われてからの期間がとても長く感じられて、このままずっとこの状態だったら卒論やアルバイトどうしよう、なんて自分本位なことばかり考えてたな、とか
食事をしていないのに1日に何度も嘔吐をするようになって、胃液や胆液すら出ずどす黒くて匂いがきついものを吐くようになった時に、父本人がもう吐くのはしんどいから亡くなる時まで眠らせて欲しいと頼んできて、母と泣きながら緩和ケアの先生に相談をして父を眠らせてもらったこととか、
それでも最後の最後は目をしっかり開いて私と母に声にならない声をかけてから息を引き取ったこととか
四十九日が終わって、しみじみと今後の私の人生に父が関与することはもう無いんだって思うと無限に涙が出てきてしまう
最初こそ
父は太く長い人生だったよ、
色んな人が悼んでくれたから下手に長生きするより良かったのかも、
なんて思ってたけど、それとこれとは別だよね
原因はタバコが元になった肺腺ガン。小腸に転移するという珍しい進行の仕方で、もう化学療法も効果がないらしい。病院の先生からは、残された時間をお父さんが出来るだけ楽に過ごせるようにしましょう、と言われた。
寡黙で、人に弱音を吐かず、黙ってやるべき事をこなす父だった。これといった趣味はなく、強いて言えば家でテレビを見ながらお酒を飲んでタバコを吸うのが好きだった。それが自分の命を奪う原因になると考えていたのか、今となってはもう訊いてもどうしようもない。
言い方が難しいが、自分の子供といえど子供扱いすることなく、1人の人間として見てくれた。私のやる事に口は出さない主義で、習い事も志望校も就職先も、「ここに決めた」と言えば必ず「そうか。」とだけ言い、黙ってその道に進ませてくれた。
私が人生に悩んで学校を辞めると言った時も、返ってきたのは「そうか。」の一言だった。てっきり死ぬほど叱られると思っていた私は拍子抜けしたが、その時改めて父親の器の大きさを思い知った。
ガンにかかった時も本当は辛かっただろうに「ちょっとしんどいけど大丈夫」「仕事が残ってるから」と入院を先延ばしにし、
結局手遅れになってしまった。(痛みに鈍い人なので、本当に分かっていなかったのかもしれないが)
「1週間ぐらい検査入院してくるわ」と言い、そのまま最期を迎える事になるなんて。
父が日に日に動けなくなるのが怖い。
父の意識がなくなるのが怖い。
父の死が近づくのが怖い。
まだ55歳なのに。
定年後お父さんずっと家にいるの?たまにはどこか出かけといてよ、なんて笑っていたのに。
いつか犬を連れて旅行に行こうって言ってたのに。
親不孝な娘でごめんなさい。
何もしてあげられなくてごめんなさい。
機嫌の悪い時、適当に返事をしてごめんなさい。
お父さんが自慢の娘だって言えるような事が何一つなくてごめんなさい。
とても寒くて晴れた元旦だった。ぼくは正月ということもあり、叔母の家に遊びにきていた。
叔母がぼくに言った。
「僕くんおいで!今年もお年玉あげるね」
ぼくは中学生になって「敬語」なるものを教わったので大人ぶってこう言った。
「ありがとうございます!大切に使わせていただきますね」
叔母はにっこりと微笑んだ。
一方、僕の心の中では、しめしめ今年も遊戯王カードとゲームを買いまくってやろうと思っていたが。
すると、後ろで談笑していたウチの母が、
「いいのに!もう!こんなガキンチョにお金なんてあげなくて〜。どうせロクなもんな使わないんだから。」
と社交辞令を返す。
毎年正月になるとやり取りをするのだ。この会話を見るたびに正月という感じがして、僕は好きだ。
このやり取りを繰り返して、祖父、叔父、叔母からお年玉を回収していくのが毎年の流れになっていた。
(あとから知ったのだが、母親はしっかりこのお年玉の分のお返しをしていたらしい。)
ところで、この叔父叔母には、3人の娘息子がいて、1番年上の長女、2番目の長男、末っ子の次男という感じで構成されている。
僕とは3人とも、とても年が離れていて僕が中学生だった当時、末っ子の次男氏は大学生だった。
とはいえ僕は1番年が近かった末っ子の次男氏とよく一緒にゲームしてもらったり、野球のキャッチボールなんかをしてもらっていた。
「僕、今年もパチンコ行くべ!」
そう、僕の親戚一家には変な風習があった。それは、毎年正月になると祖父、叔父、僕の父親含む男連中全員で運試しといって、パチンコに行くのだ。
もちろん僕は、中学生だったのでパチンコを打てるわけなく外から眺めてるだけだった。
大抵の場合、全員が大負けして帰ってくるのだが、その年だけは違った。
僕と仲の良かった次男氏がなんと、大勝ちを決めたのだ。
次男氏はこう言った。
また、次男氏は言った。
僕「あ、いいっすよ。」
そうして、彼に着いていくこと、15分が過ぎた頃。ワクワクも過ぎ去り、正直寒くて早く帰りたくなっていた。
次男氏が口を開いた。
「着いた!」
最初僕はそれがなにか、よく認識できなかった。僕たちが来た場所は、銀行でもATMでもなく、アダルトショップだったのだ。
のれんをくぐり、中に入るととてもあったかくて、つけていたメガネが曇ってしまった。
しかもあの、ビデオ屋特有のまったりしたような甘い匂いが鼻について離れない。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
目の前には女性の裸の写真が大量に並べてあるのである。新世界だった。ホールニューワールドである。
僕の愚息はすでにパンパンだった。
〜続く〜
まだ誰にも言った事がない。反省している。
私の家族は普通……ちょっと母親が過保護なだけ。兄弟が1人いて、私は末っ子だ。
幼稚園卒業レベルのときだった。隣の家の猫がうちに入り込んできた。
隣家の猫というか、隣家が野良猫の世話をしていたとでも言うのだろうか?
記憶が薄いけど、アメショーだったと思う。
お母さんは猫糞の片付けとかで良く怒っていた。
可愛かったので母親に頼んで餌を貰い、あげた。
段々と仲良くなっていき、100均で買ったオモチャとかで遊んだりもした。
母親は猫糞の世話をしているからか、あまり好きじゃないようだった。
その時、いつも通り餌をあげたら私の指を甘噛みされた。
ここで、私の何かが切れた。
翌日も、私以外誰も居ないときに猫がやってきた。
だいぶ私に懐いていた。
近くにあった石を軽く投げた。幼稚園程度なのでコントロールも力も弱い。
猫の手前にコロコロ転がっていった。
だが、猫は過剰反応して飛んで逃げた。
私は喜んだ。
猫の純粋な運動能力が見れて凄いと思った反面、面白いとも思っていた。
そして、餌をあげればまた関係は元通りだった。
念のために言っておくが、猫に当てたことは無い。ストレスをかけてしまったのは事実だと思う。
他の日も、同じようなことをした。
餌を2日間与えていたら、また私に擦り寄ってきた。
やはり楽しかった。
逃げていくのも面白かったし、餌を与えると擦り寄ってくるのも楽しかった。
相当歪んでいたと思う。
あるとき、隣の家の人が引越しをするので猫を捨てると言い始めた。
母親のOKが出たから隣の家に行くと「もう捨てた」と言われた。
遠くの公園に捨てたとのことで、もう確実に戻っては来れない状況だった。
公園に行って探しても出てこないし、猫の鳴き声もしない。
実際、猫としては、公園に行って良かったのだろうか。悪かったのだろうか。
私はそれ以来、猫やその他動物に触っていない。
どこまでやれば許してくれるのかの線引きを見ていたのかもしれない。
純粋に私の事を好きになってくれたのが嬉しかったし、どんなことをしても寄ってくるのが嬉しかったのだろう。
この幼少期の出来事をしっかり刻み、今後も動物には近づかないようにしようと思う。
ありの巣に水を投下した人もいるんじゃないだろうか?
掘り返した人は?
前置きとして、この話に出てくる男性には個人的に嫌悪があるため口汚い物言いになってしまうことをお断りしておく。
その際弱者男性全体への批判のような物言いになることがあると思うが、主語のすり替えであることは筆者も重々承知している。
前もって謝っておくね、ごめんなさい。
できるだけ公正な視点で書く努力はするものの個人的な体験であるためどうしてもそういう部分は出てくるだろうから余りこの手のネタが好きじゃない人は閉じてほしい。
インターネットで良く目にする弱者男性と付き合ったことがある。
アラフォーで、年収は200万円前後で、実家暮らしで、スーツの上からでも分かるほど腹がぽっこりしていて、顔は骨格もパーツも皮膚も良くない。
何故そんなのと付き合ったのかというと、告白された時にお断りを理解してもらえなかったからだ。
「俺たち付き合う?」と聞かれた時にはっきりと「付き合わない」とお断り申し上げた。申しあげたのだ。
けれどこの男性(以降Aとする)は粘り強かった。
間髪いれずに「どうして?」と聞いてきたのだ。私も間髪いれずに「付き合いたくないから」と説明した。
そうすると今度は光の速さで「なんで?」と聞いてきた。なんでもクソもない。私も光の速さでなにかしらの説明をした。勿論お断りの方向で。
これを何回も繰り返し、あっこれは頭のヤバいやつだナ。と思った私は渋々了承した。してしまったのだ。
Twitterに生息しているAという男は私が食事をしたことを写真付きであげるとそれをRTして、その後にその店のURLを晒し、最後に「8000円のランチ。増田嬢の優雅な昼下がり」などと呟いて、それをエスプリ満載なコミュニケーションの一つだと勘違いしているような人間だからである。
それならば付き合わなければいいのに、前述の通り断っても理解しないヤバさと弱者男性への哀れみがそうさせてしまった。死ね。
無事私の了承を取り付けたAは嬉しそうに「じゃあ、よろしくのチュウ」と言って顔を近付けてきた。
女性への接触に慣れていない人間特有の「触るぞ触るぞ触るぞ」の興奮が隠しきれない鼻息の荒さで。こええよ。
早速後悔が押し寄せてきたけれど女に二言はないのだから、私は「じゃあ、よろしくのチュウ」とやらを受けた。死にたい。
機嫌の良くなったAは「オフ会であった○○ちゃんの方が君より顔はいいけど性格が嫌い。人に色々質問してくるから。男子校ですか?って聞くとか失礼だよね」や「君を紹介したら結婚詐欺だって疑われるだろうな」と嬉しそうに話していた。
○○ちゃんというのは私が大好きな女の子で、それを初っ端くさすのはどうかと思ったが、彼は哀れな男なのだと思って我慢した。後者の発言も大概である。
次にAがやり始めたのは、私の家で私の大切なものを触ることだった。
より個人に近しいもの、例えばぬいぐるみなんかをベタベタと触って「よろしく」と話しかけるのだ。なんとも言えないマーキングのような気配を感じて私は止めた。
それ以降、毎週末、それから祝日の度にAは来るようになった。曰く「どうせ俺は短い間に振られるからそれまで思い出を作りたい」からとのこと。
余談だが私はその時病気のため長期療養中でできるだけゆっくりしたかった。
これによって我が家の食費は三倍に、光熱費は二倍に膨れ上がった。
一度すき焼き鍋が食べたいと言ったAにすき焼き鍋をはじめとして五品くらいの料理を出したところそれぞれ二人分作っていたのに全て食べられたことがある。
余りのことに唖然としたが本人は「お皿分けてないからわからなかったよ。コンビニでなにか買ってきてあげようか?」と何故か気の利く彼氏のような口ぶりで可愛くすねてみせる。繰り返すが、Aはお顔の見苦しいアラフォーのおっさんである。
末っ子長男という立場の実家でなら和やかなエピソードにもなろうが、二十代半ばの私ではアラフォーの末っ子長男を甘やかすことはできない。舌を噛み切りたい。
このように自分が食べるものには無頓着で、常備菜も断りなく勝手に持ち出して食べてしまうAだったが、金銭感覚とやらには人一倍敏感だった。
ある日突然「君の家の冷凍庫にはステーキ肉があるでしょ?あんなのうちの実家にはないよ。贅沢なんだって分かってる?」と責められた。
私はAが我が家の冷凍庫をあけたことなんて知らない。なによりなぜ私が家賃を払っている家で私の払っている電気代で私の食費の範囲内で存在しているステーキ肉を贅沢と言われなければならないのか困惑した。
なんでだろう。ただの業務用スーパーの肉なのに。海外産なのに。
こういうことはままあった。
私の家の別室にいつの間に入ったのか、私の服が殆どUNIQLOであることに対して言及する。同じ口で、私の服装はハイブランドっぽいから他人に威圧感を与えるとあてこすられる。
自分で家探しして、UNIQLOであることを把握しているのに。
肌の手入れをしている時、家の掃除をしている時(余談だがAは私が洗濯物を干している方向に向かって寝そべった姿勢で放屁したことが何度かある)とにかくことあるごとに
・それは文化資本の高い裕福な家庭で育ったから身についたことだ
・そういうのは人に威圧感を与える
という趣旨であてこすってきた。一見褒め言葉とも思えるが、その時のAの表情は「世間知らずの小娘に、弱者として様々な荒波に揉まれてきた俺がものの道理を教えてやる」という優越感に歪んでいた。
これが、毎週末起こればどうなるか。
病気療養中でただでさえ体力が落ちていた私はメニエール病になった。病気のお代わりである。
実家で未だ末っ子長男の立場にいるアラフォーが呼んでもいないのに毎週末入り浸り、どんどん荷物を運び入れてくる、ついでにジンギスカンのタレ(私の住んでいる土地は北海道ではない)や生姜湯のタレやカフェオレのタレや実家にあった食べかけのスプレッドなどをお土産としてドヤ顔で押し付けてくる。
金銭感覚の狂っているところと金を持っているような見た目だけがたまに傷で、そこは俺が矯正してやらないとな。
俺が結婚してやるから、婿に入れて跡継ぎのパパにさせてね。お家のことは任せてくれていいよ。
無理だった。哀れに思って物乞いに施しを与えるつもりで付き合っていたけれど、風俗嬢とキャバクラ嬢と家政婦とママと財布のハイブリッドにはなれない。
金銭感覚が狂ってるのはあんただ。他人の家で好き勝手食い散らかして、風呂も毎日溜めて、家事も食事の世話もしてもらって当たり前と思ってるけど年収200万円でそんな生活はできないんだよ。
実家暮らしでそれが当然になってしまってるお前の金銭感覚の方が狂ってるんだ!
そう言いたいのを飲み込んで私は「うちに置いてる荷物を持って帰ってね」と通告した。泣いてたけど知らない。
禅問答のような告白劇からわずか一ヶ月半のことだったが、色々と我慢の限界だった。
うちに持ち込んだ荷物は手提げ二袋に詰めてもまだ残っていたので、私が大きい段ボールに詰めて送った。
私に了承を得ていない様々なところに荷物を置いていたので探し出すのに苦労した。
別れた後もオフ会した女の子の品評が送られてくるなどした。「焼肉奢ってやる価値なんてなかった」「デブだった」「立ち居振る舞いに品がなかった」「増田がどれだけ素晴らしいか分かった」
うるさい、死ね。腹がぽっこりしてるアラフォーのおっさんが女子大生に向かってなにを偉そうに。その子が可哀想だ。
またまたその後便箋七枚ほどに及ぶ懺悔の手紙が送られてきた。字があまりにも汚かったので、読めたところだけを要約すると
「コンプレックスに苛まれていろいろとしたことを反省します。プライドが邪魔をしてしまったんだ。だって俺は稼げないし」
稼ぎがどうこうじゃなく人間性の問題であることを理解できないのが哀れだと思ったが。
後日談として、
その後Aは自分のコンプレックスを払拭するためか親にいれている金を免除してもらって株式投資をはじめ、順調に年収分くらいの損失を出しているらしい。
異性として見られる魅力もなく、自信となる稼ぎもなく、実家暮らしで萎えた自立心と金銭感覚、末っ子長男扱いと狭い人間関係で肥大しきった自己評価
彼の不幸の全てが弱者男性という社会問題のせいとは言わないけれど、でも私は二度とその手の男性に近づかないだろう。
たとえ差別と言われても、この記事に書いた奇行、書ききれなかったその他の様々なコンプレックス由来の奇行どちらも私を頑なにするには充分だった。
最近,自分は回避型愛着障害なんだと気づいていろいろググってた.診断はされてない.
それでアダルトチルドレンにも該当するようだとなった.
この愛着とACって両方,幼少期のトラウマというか愛されてないことが影響してて要は育ちが悪いってことでしょ.
自分のメンタルのこととか調べまくっててバーナム効果とかもありそうなんだけど,
でもこういうの複合的なものもあり,二次的に疾患持つとかもあるみたいだし.よう分からん.
うつとかはないんだろうけど,”生きづらさ”を超感じる.hspはそういう性質だからどうにもならないんだろうけど,生きづらさをどうにかしたいと思ってる.
アダルトチルドレンって克服できるの?
でも克服したところでどうなんの?幸せになれるわけでもないでしょ年収が上がるわけでもなし.
どうにかしたいと思う自分もいつつ,どうでもいい無気力無関心な自分が占めてるんだ.
やりたいこともないし,目標もない.面倒くさい.
生きづらい人生,人と関わりたくもないし,働きたくもない.
小6男子母。
上の子達から振り返ると、10年以上続いた小学生母としての夏休みが、ついに終わる。
18年続いた100shiki.comの更新終了が記憶に新しい、平成最後の夏休み・最終日。
ストレスetc、色々溜まってくる時期なのが可視化されてる感あり。
我ながらある意味安定しているな、と(苦笑
テーマはバラバラだけど、愚痴っぽくて大爆発しているのも当然あったし、
過去の大きなトラウマを書いてみたら意外に反響があってビックリ、というのも。
子どもネタで相談してみて、めちゃくちゃいい知見が集まって、これこそ書いて良かった!と思うのもあった。
長期休みは、気分の落ち込みがかなりあって、弱い自分にイラッとする。
今年は特にヒドかった。
どう考えても、フルタイム勤務のお母さんたちと比較すると、労働環境はマシ。
なんだけど、
いっそのこと「子どもと一緒に仕事休みます!」と宣言した方が潔いぐらいなんだけど、レギュラー仕事もあり、そうもいかず。
明日から、上の子達向けのお弁当作りが本格再開するから早朝起床も復活するけど、末っ子の小学校が再開すると思うと、ものっすごく嬉しい。
育児でスローペースにならざる得なかった20代後半から30代も終わって、40代に突入した今、自分の仕事スピードがあまりに落ちている事に愕然とさせられる事も増えてきたけど、細く長く続けてきた事が、40代後半や、50代以降で思い描いている方向できちんと形になることを願うばかり。
子どもが欲しい、それもズレてないのだが
自分の場合、1番は「うっかり間違えて死なないようにするため」だと思う
自分は気分の上げ下げが激しく、割と言動が感情に左右されるし、極端になりがちな側面がある
めちゃくちゃ落ち込みやすいしそれを引きずるし、その割にころっと忘れて楽しくなったりすることもある
ものすごく落ち込んだり
腹の立つことがあったとき
ひとりで強く自分を持ち続けられるか?自信がない
誰かのために人生を捧げるのは嫌だけど、自分をこの世にひきとめる存在は欲しいのだ
ちなみに身近に、いい歳なのに結婚しない人がいて「願望がないわけではないが、まったく寂しくない」と言っていた
才能だ…!とびっくりした
ありがとうございました
1.ちかぢか末っ子を独り立ちさせた同世代がわいわいしだすのでなにげない顔で交じる。
2.病気や老化という追い払わなくても追い払っても一生ついてくる悪友をケアすることに残りの一生を捧げる。
若さを失った人間は何もかも失うもんなんだなーと思う。せめて気だけは若くしておけば多少はものずきな若い人がつきあってくれるだろうよ。ただ、セクハラモラハラオヤジにならないよう、ポリコレにはよく気をつけて。しゃしゃり出たり高飛車だったり上から目線だったりといろいろな表現があるが、とにかく昭和生まれは独身でも既婚でもかさばる存在なのだとよく考え、弱き者を決して叩かないし無意識の後ろ蹴りもしない言動をするように気をつけて。
あ、あと、独身でもいいお金のつかいかたを覚えたら良いと思う。
人にタカられない使い方、金冷えにならない使い方を。
「学ぶ、治療、弱者への寄付」。これだけはだれにもタカられない。そういうふうに既婚者子持ちが世間をつくりかえてきたから便乗するわけ。
ちょっと自分が遊ぼう、自分のための贅沢しようとおもうと親類縁者にまでタカられて以前より貧乏になるし、結局心からのお礼の言葉はレジでの支払いのありがとうございましたくらいだ。
ただ、大学にいきたいのであれば、本当にその大学を必要とする弱者(大学新卒ブランドでさえ就職できない弱者が毎年何人もいる)のため、道を広くあけておいてやってくれ。
わざわざ人気の高偏差値大学に入り直すのではなく、身近な学び場で社会人講座を探してくれ。
もちろん今さら奨学金や補助金を取るのではなく、出す側のつもりでがんばってくれ。
そうしてこそ「独身貴族だからおごれ? いや、僕は学びたい若い人にたくさん寄付してるんで/治療してるんで/学費で、お金ナンテナイデスヨー」の言い訳にだって使えるんだ。
せめて独身貴族くらいは娘息子に尻に敷かれる子持ちよりかっこよくふるまっておいてくれれば子持ちも喜ぶよ。
ファンアート見た感じ(https://megido72-portal.com/gallery/fun-art1807)
ゼパル
https://megido72-portal.com/megido/%E3%82%BC%E3%83%91%E3%83%AB
プロフィール:兵士のような姿をしたメギド(※1)。好奇心が強く活動的で物怖じしない性格をしている。
追放されてヴィータ(※2)の女の子となってからは、その性格もお転婆で落ち着きがなくガサツであると評されるようになってしまった。
ハルマ(※3)と戦うだけのメギドよりも、ヴィータとしての生き方に魅力を感じており、特に結婚というものに強い憧れを持つ。
※1…メギド:悪魔の事。このプロフィールで「兵士のような姿」というのはこの子の悪魔形態の話。
※2…ヴィータ:人間の事。仲間になるメギドは基本的に悪魔世界から追放されて人間として生活している。主人公はそのメギドの力を引き出す事ができる。
※3…ハルマ:天使の事。メギドの敵だけど、主人公はヴィータ側なので手をかしてくれたり、貸してくれなかったしする。ヒロインがこのハルマを使役する人。
マルバス
https://megido72-portal.com/megido/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9
プロフィール:強い自己愛の持ち主で、美しい自分は実はハルマなのではないか、とイカレたことを主張して追放されたメギド。
ヴィータとなったのちは、金持ち一家の末っ子として大事に育てられた。
その恵まれた環境、恵まれた容姿は自己愛をさらに肥大化させることになった。
今でもハルマに憧れ、いつか自分もハルマニア(※)に行くのだと根拠なく信じている。
https://megido72-portal.com/megido/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%B9
プロフィール:清く正しく直情的。彼女は正義の塊のようなメギドだった。
ゆえに自身の追放が信じられなかった。他の追放メギドという悪を退治し続ければメギドラル(※)が誤りを認め、自身の追放処分を見直すに違いない。
追放メギドを狩ろうと決めたが、すぐに間違いに気づく。彼らは邪悪ではなかった。
つまりメギドラルこそが悪! 悪ならば討たなければならない!
が人気なのかな。
ゼパル、マルバスはゲーム内の最初に引き直し可能なガチャで手に入る中でも初心者が扱いやすいと評価されていて推奨されてるから、
デレパで募集してたのを考えてみた。
パクって応募してもいいよ。
・メイン登場人物
・メイン登場犬
・あらすじ
犬を飼っているアイドルが、自身のペットの色々な面を披露する四コマ漫画。
よい犬、わるい犬、ふつうの犬の部分は一本ごとに担当するアイドルが変わるが、
毎回落ちの押井守の部分は宮崎駿が担当し、起承転結の結がワンパターンになりがちなのが難点。
・メイン登場人物
相原『雪』乃、島村卯『月』、涼宮星『花』、宮村優子に似た女優、山賀博之
・あらすじ
雪乃、卯月、星花が三姉妹役の学園モノで、末っ子の星花が女の子のストーカーにつきまとわれているのでは? と不安になるお話を三人が演じる。
しかし、途中からその役を演じている三人が、監督に演技指導を受ける場面になっていく。
監督から「お前らはこれを見て勉強しろ!」と渡されたのは『新・変態よい子通信』というアダルトビデオであった。
そして、時は過ぎ西暦2018年、監督は風邪をひいてしまい、昔いじめた山賀博之のことを思い出し、ガイナックスと和解するのであった。
・メイン登場人物
・あらすじ
ポアロマンスリーライブに出演した佐々木千枝は、伊福部崇にスカートをめくられるなどのセクハラを受ける。
「恋はしたことあるの、いややだとんでもない、本当に本当なの、嘘かもです、てんてん」の部分、今聞いてもとてもいいので、アイマスでカバーしてほしい。
関係ないけど、あの辺繋がりで、るーりぃーも入れてさ!
・メイン登場人物
・あらすじ
いろいろあって、原田美世と島村卯月の間に愛が芽生えることになるはずだったが、原田美世は車の運転が上手だったため、芽生えずに終わる。
なお、2ページしかないが、単行本では4ページになるので安心して芳崎せいむ、無粋が浜じゃないよ!
・メイン登場人物
・あらすじ
水野翠がマクドナルドでハンバーガーを食べて具合が悪くなり、環境ホルモンの影響で女性になった島﨑信長のへその緒を飲み干し、硲道夫の部屋で難解な数学の講義を受ける。
何が何やらだが、恐るべきことに殆ど原作そのままなので、正直毎回アルジュナをネタにするのは、ネタにしてる方の狂気度合いの方が低いような気がしてならない。
とりみきあたりが、当時の彼を振り返ってほしい。
・メイン登場人物
双海真美、双海亜美、松山久美子、文芸部の前川みく、依田芳乃(高田憂希)、西園寺琴歌
・あらすじ
大人気アイドル双海真美は、普通の中学生双海亜美の返信した姿であった。
そんな中、ピアニスト志望の松山久美子と真美が出会うところから話が始まり、
物語は亜美が「サヨナラ真美の久美子さん」」とひとりごちるところで終わる。
というラブストーリーと、文芸部の前川みくと付き合っているが彼女の依田芳乃(高田憂希)と、西園寺琴歌の声が似ていることから……
あれちょっとまって!
私のすてきなピアニストって脚本家伊藤くんじゃなくね? ごめん! なんか混合してたわ! これ成り立ってないわボツで!!!
えーっと、エンディング曲のギターを売れる前の松本沙理奈さんが弾いてるんだよ。
・メイン登場人物
・あらすじ
星団歴2780年、ハスハ統一戦争のため蘇生したカイエンを制御するボルサ・バスコ。
しかし、ハスハの地を統一するという人と人の争いに剣聖を担ぎ出す必要性とは何だったのだろうか。
純血の騎士よりもさらに濃い騎士の血を持つカイエンの力を借りなければならないほどの争いとは。
死んだはずのハリコンがまだ生きているという事実、大国フィルモアの元にも生まれる純血の騎士慧茄、未だ存命のハイアラキ、後にカイエンがフロートテンプルにデモンが襲来した際に何かを感じていたこと、一体ハスハ統一戦争とは何と何の戦争だったのだろうか?
そして、2810年に天照はミラージュ騎士団を結成することになるなど、星団歴2000年台後半にはまだ謎が多い。
そんなこととは無関係に、永野護が望月聖の、川村万梨阿が速水奏のコスプレをしてセックスをする漫画である。
なお、幾原邦彦が道明寺歌鈴にコスプレして乱入する続刊も出るぞ!
・作家
・あらすじ
『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』(るろうにけんしん めいじけんかくろまんたん)は、和月伸宏による日本の漫画作品。1994年(平成6年)から1999年(平成11年)にかけて集英社の『週刊少年ジャンプ』で連載。アニメ化・実写映画化などと様々な形でメディアミックスも行われている。略称は「るろ剣」。2017年(平成29年)9月からは続編である『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚・北海道編-』が『ジャンプスクエア』10月号より連載中[1][注釈 1]。
彼は父親の異なる5人兄弟の長男で、末っ子が生まれたばかり。現在の父親が何人目かは不明。家庭環境が少し複雑なようだ。
彼は時々、家で揉めたと目を泣き腫らして塾に来たり、家の手伝いが大変だ、部活や家の手伝いで疲れて勉強してられないというようなことを言っている。小6からみている生徒だが中学に入ってからはさらに情緒も不安定な様子だ。
今日の別れ際にも
「家ではどのくらい勉強してる?」と声をかけたところ「家の手伝いが大変でそれどころじゃないって感じで時間がないんです。この間なんて1週間ご飯抜きだったんですよ」と言い残して去ろうとしたので呼び止めて詳しい話を聞いた。
短くまとめると「家の手伝いをしないからという理由で1週間ご飯抜きにされ給食のみで過ごした。(買い食いなし)周りにはバレないようお弁当持参の時は作ってくれた。今は大丈夫。」とのことだった。
気になったことは色々あったが、本人も目に涙を浮かべて話しづらそうにしていたので、その場ではあまり深くは突っ込めず
「そうか、そんなにお手伝い大変なんだ。ご飯抜きは辛かったね。お家の人少し厳しいのかな。家で勉強できる環境じゃないなら、学校で短い時間で教科書を見直したりしても予習復習の効果があるから、学校にいる時間や塾にいる間の時間を有効活用しよう」と言い今日は彼の背中を見送った。
前から家の手伝いが大変で勉強できないって話はちらほら聞いていて、宿題しなかった言い訳で大げさに言っているのかなーと思っていた節もあったのだが、今回のエピソードを聞いて彼のことが殊更心配になってきた。
いくらしつけといっても1週間ご飯抜きというのはやりすぎではないのか?「給食だけで過ごした」が言葉どおりだとすると、買い食いも自炊も禁止されていたということだ。
早朝から部活、授業を受けまた部活、その後塾にまで来ている多忙かつ成長期の中学生男子に対して、これは相当重い罰だと思う。
この重い罰を受ける理由が「家の手伝いをしなかったから」であることもいまいち理解できない。
まず、弟たちの世話など、母親が長男である彼に頼ることはあるだろうと想像していたけど、それができなかったとして、重い罰を受けなければならないほど、家事や育児は彼が負わなきゃいけない義務ないし責任なのか?
本来それは母親や父親の仕事であり、中1長男もサポートしてくれて助かる、くらいの話なのではないのか。「手伝わなかったから厳罰」というのは違うと思う。
次に「家で勉強するような感じじゃない」という本人の言葉。本来、中学生になったばかりの長男の勉強は家族のサポートを受けてもいいようなものなのに、勉学をおろそかにさせてまで求められる「家の手伝い」とは一体どんなものなのか。多感な時期の長男を優先しようとかサポートしようという気持ちはなく、とにかく家が大変だから手伝いなさいというのは彼をないがしろにしていることなのではと思ってしまう。
もちろん、生徒本人が悪気なくとも事実を都合よく曲げてこちらに伝えている可能性もあるため、今回の彼の話だけで過剰に反応するのはよくない。ただ、今回のエピソードがほぼ申告通りなのだとしたら、それはもうしつけの域を超えていると私は思う。
実際に私は母親に2回ほど会ったことがあるが、ざっくばらんとして明るく、子どもに関心がある方だと印象に残っていたから、このエピソードには正直驚いた。
今回たまたまこのような極端なことになったのか、今までにもよくあることなのか、兄弟間で扱いに格差があったりしないか、更に詳しく聞いてみないと虐待かまではわからない。
80代なかばのウチの両親が見合い婚だということは子どもの頃から聞いていた。むかしのお見合いといえば釣書が行き交って、堅苦しい席が設けられてみたいなイメージがあって、ウチの親もそういうのだったんだろうと思っていた。仲人の婆さんが90代でまだ生きているのだけれど、どうせ頼まれ仲人なんだろうと思っていた。ところが意外にもそうではなかったということがわかったんで、忘れんうちに書いておく。昨日、親に頼まれてその家に届け物に行ったとき、婆さんが話してくれた。なお、場所は大阪近郊の住宅地だが、当時はかなり田舎だったはず。
婆さんは、当時30歳ぐらいで、市場の入口近くで小さな店を出していた。店にはいろんな人が来る。その地域ではヨソモノだったウチの母親や、その母親も出入りしていた(たぶん手芸関係の店だったように思うが、ここはきちんと聞いていない)。そして、地元の百姓だったウチの父親の母親も出入りしていた。
その頃、ウチの父親は、見合いを数十回繰り返し、全部破談になっていた。気に入った娘がいないというのが理由だ。その近在の年頃の娘は、だいたい総当りしてたんじゃなかろうか。なんでそんなワガママが通っていたのか知らない。末っ子だから甘やかされてたんだろうか。
そんな愚痴を、父親の母親は店に来てこぼしたらしい。そこで店番をしていた彼女は、やがてウチの母親となる若い娘を思い出したらしい。そういう人がいるが、どうか?
仕組まれた見合いというのは、こうだ。花婿候補になんのかんのと口実をつくって、その店まで来させる。何か用事をつくって、店先に座らせておく。そこに花嫁候補が通りかかる。こっちの方は、事情を知らされている。それでどんな男なのかを見てもらい、OKが出たところで紹介する。そういう手はずだったらしい。
で、実際にそれでうまくいって、その後は二人で難波かどっかに出かけて、トントン拍子に縁談は進んだ。仲人夫婦はまだ30そこそこで若いから、なにをどうやっていいのかわからない。結婚式はずいぶんとたいへんだったらしい。
イメージにあった古臭いお見合いとは、まったくちがっていた。そういえばたしかに、戦争が終わってしばらくの間は、「もう古いものはたくさんだ、これからの時代は若い人がつくっていく」という新鮮な空気があったとも聞く。それがいつの間にか変質していったのはなぜだったんだろう?
ま、おもしろい話を聞いた。
元彼と付き合っていた時、なんとなくDVとかそんな兆候があった。
本人は軽く小突いてるつもりだろうがあざができてたり、デートドタキャンしたりこっちの予定に合わせないくせに元彼の予定に合わせないと不機嫌になったり…
ある時の喧嘩で頬を殴られたときに普通なら茫然としたりすると思うんだが、私はというと反射的に正拳突きを右肩に食らわせた後腕ひしぎ逆十字をかました。
上が男二人の3兄弟の末っ子で、母親に「一番男らしい」とまで言われた私。
殴られた程度でやられるほど弱くもなく、やられたらやり返す。
元彼が謝るまで技はかけてた。
技をかけるまでは偉そうだったのにケンカ終わった後はやけに大人しくビクビクおどおど。
こちらの機嫌をうかがうようになった。
別れるときに「自分より弱い奴にしか強く出れない奴は本当の弱者だ」と言って別れた。
「関節技こそ王者の技よ」と言っていたぷにえ様の言葉は本当だったわ。
📋
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
深酒のすえに女子高生に危害を加えてしまった某アイドルのせいでアル中に注目が集まっている模様。
アル中というと思い出すのは母方の祖父のことである。といっても、祖父は私が産まれる8年ほど前、母が高校生の頃に亡くなっているので、私は遺影と祖母の持っていたアルバムでしか祖父を知らない。
祖母がしばしば私の事を祖父に似ているとほめちぎっていたけれど、顔はあまり似ていない。ま、血は繋がっているのでパーツパーツに似たところはあるんだけれども配列の妙で私は祖父の様な美貌にはならなかった。
祖父の死因は祖母や母がいうには「チュウキ」とかいう病気だったらしい。辞書によれば「中気(チュウキ)」とは脳卒中とその後遺症の事をいうらしいけれども、祖母と母の説明では「手がこうずっとぶるぶる震えるのが止まらなくてしまいに死んでしまった」という事なので、脳卒中というよりはアル中に命を取られたのかもしれない。じわじわと寝たきりになって衰弱していった様な話だったし。
アル中というと壮絶なイメージがあるけれど、祖母や母や伯父伯母が祖父を悪く言うことはなかった。定職につけない風来坊でどうしようもない人だったから自慢出来る様な人ではないけど、と苦笑いで語られる祖父は、私にとっては謎めいたヒーローなのであった。
祖父はとても手先が器用な人で、気まぐれに子供たちに絵を描いてみせたり包丁で野菜に細かい彫刻をほどこしてみせたという。若い頃はいわゆるフーテンで、あちこちをふらふら旅して回ったとか、どっかの置き屋から連れ出してきた美人を最初の妻にした(後にその女性は病気で早逝したようだ)とか。自分の住む家を自分で設計して自分で建てちゃったとか。
そして祖父は非常に子煩悩であり、特に末っ子である私の母の事を溺愛していて、貧乏にもかかわらずそろばんを習わせたり地元の名門高校に通わせてやったりした。といってもその資金を出したのは、虚弱体質とアル中が原因であまり働けなかった祖父ではなく主に祖母なんだろうけど。
祖母は若い頃かなり猛々しい性格の人だったそうで、家庭を支える為にバリバリ働いていたし、伯父の奥さんが怖がって口をきけないほどだったんだけど、どうも祖父には甘かったようだ。
伯父がいうには祖父はよく隠れて酒を呑んだのがバレて祖母に怒られていたそうなのだが、その時の事を語る祖母の口調にはあまり深刻さがないというか、「うちのとーちゃんはほんとしょうもない」と笑って言ったものだ。
祖父が呑んでいるところを祖母に見つかった時の口調を伯父が真似して見せてくれた事があった。
「呑んでない、呑んでないよ。これ水、水水」
祖父は酒豪の果てのアル中だったが、呑んで暴れたり人に暴力をふるったりするタイプではなかったらしい。ただ淡々と顔色変えずに呑んじゃうザル。従兄弟と私の妹がそういうタイプだが祖父も同じなんだろう。祖父の血を継いだ子供や孫達はあり得ない程の下戸の私を除いて皆大変酒に強いが、皆飲むとやや機嫌のよい感じで寝転がっている。
そういう穏やかな酒癖のせいで、アル中になるほどとことん呑んでしまう、というのもあるのだろう。祖父がまさにそれだった訳だ。
ただのほほんと機嫌よさそうにしてるから良いという訳ではなく、それでも酒の毒で手は震え、次第に体が衰弱していってしまったのである。
祖母は、私によく祖父の面影を見付けては喜んでいた。魚と梨を好んでよく食べる事や、絵を描いたり工作をするのに熱中していた事に。
私があたり目やきんぴらごぼうをむしゃむしゃ食べているのを見て、祖母は「やっぱりとーちゃんの孫だ。大きくなったら飲んべえになるぞぉ」と暢気に言った。酒が祖父の命取りなったというのに酒無くしては祖父にあらず、なのであって、祖父の生まれ変わりとも言われる私が酒豪にならないなど、祖母の中ではあり得なかったのだ。
だがしかし、私は祖父のほうではなく父の家系に似てしまって、酒は全くといっていいほど飲めず、お陰さまで酒の上の失敗とも永久無縁なのである。やらかす前にぶっ倒れて死んじゃうので。
祖母は私を祖父の生まれ変わりと言いながら、もし祖父が今も生きていたらという話もした。あれだけ私の母を可愛がっていたのだから、私の事も目にいれても痛くない程に可愛がっていたはずだという。
つまりもう一人の私に可愛がられる
私、とは。私は幼児のうろんな頭なりに考えた。仏壇の中にいる、私にはとても似ていないのに私と同じ魂を持った人の事について。
もしじいちゃんが生きていたら、どんなに楽しい遊び相手になっていた事だろう、と。でもそれはあり得ない事なのだ。私がここに存在している以上は。それなのに祖母や母の中にはまだ生きている人の様に存在していて、しかし絶対に意思を確認することの出来ない不思議な人なのだった。
じいちゃんは本当に私を可愛がってくれるの?
先日4月8日、2018年一番推したいグループから一番推したかった男が正式に脱退した。
コーイチ
年明け突然の脱退発表から約3ヶ月後、脱退時期調整中から正式な脱退へ。どこかに吐き出しておきたいな〜ってことで。1号車推しにもなれなかったWOWOW生中継ド新規の3ヶ月と恨み言。
年が明けてすぐの1月6日、面白いテレビもなければなんの予定もない。そんな時にふと思い出した、超特急ツアーファイナルのWOWOW生中継。知り合いが追いかけていたこともあり、ちょっと見てみるか〜念のため録画しておこ、ってなんとなくチャンネルを変えると生中継は始まっていて超特急さんたち、お餅ついてた。正直わからなかった。ま、まぁお正月だしそういうこともあるか…!?と少しだけ見て離脱。その後再び生中継に戻ると超特急さんたち、トランポリンしてた。正直わからなかった。全くわからないけど、せっかくだしこのまま見よう…って軽い気持ちでいたのが最後。本編ラストの『The End For Beginning』がヤバイくらいエモい。え、え、突然エモ!?なにこれ!?と驚いているうちに本編が終わり、8号車たちの超特急コール。エーーーーッ、なんだこれは!最後のなにあれめっちゃカッコいいんだけど??という動揺が収まらないまま始まるアンコール。1曲目の『BREAK OFF』これがまたヤバかった。エモからのアゲ。歌詞もダンスもクセが強くて面白い。初見でもわかる、これまでのダサかっこいいがあるからこその力強いワードたち。ここまで支えてくれたファンに対する気持ちや変わることに対する葛藤と、それでもそう歌う覚悟がめちゃくちゃエモい。掲げる拳が力強すぎる『The End For Beginning』からの『BREAK OFF』がまたニクい演出!変わってしまうことに対して嫌とか不安だなって気持ちを持つファンもきっちり連れて行ってくれる感じ。変われるのは土台がしっかりしてるからでしょ。この2曲のバランスは今思い返しても本当に凄いな、大好き。あの時、コーイチが泣きながら歌っていた『fanfare』も素直に良い曲だなって思った。どうして泣いてるんだろう、なんとなく一番泣かなさそうな人が泣くんだって。
近づいたら危ない気がする、そう思ったのも束の間、生中継終わりに流れる『My Buddy』のミュージックビデオ。ウワーーーーーッあまりにもカワイイ!これはヤバイ!!生中継でも『My Buddy』やってるヤッター!ってそこだけ再生しようとしたけど、冒頭数秒で怖くなって停止。たぶんこれは見るのに覚悟がいる。それなのにとりあえずYouTubeで様子見しようと選んだ『Bloody Night』で完全にトドメをさされるなんて。なんだコレは楽しすぎる!!!!ダンスが楽しいなんて初めて!早くちゃんと生中継の録画みたい!!!
で、次の日にすぐ観ました。めちゃくちゃ楽しかったし、カッコよかったし、面白かったし、元気になれた。とりあえずiTunesで3曲買った。
・5+2のバランスの良さ
・ダンスチームの緩急のヤバさ
素人でもわかる!超特急の良いところ!!鮮やかな色と揺るぎない白黒というメンバーカラーの配色や、世界観の強いダンスや楽曲が面白い。タメから次の動作にうつる瞬間のカッコよさで、ダンスって面白いんだな〜とも思った。あとやっぱりそもそもの楽曲が良いのは強いな、と。それぞれ世界観が強くて歌詞やダンスのアクはあるけどハマった時の面白さ、覚えやすさ。7人という人数は理想的かも?とまで思ったりもしたし、これまで積み重ねたスキルや自信がパフォーマンスに返ってきているようで、単純に見ていてワクワクした。
そんな中で心を鷲掴みにされたのがボーカル。ボーカル!!!身長差、黒と白、お父さんと末っ子、テクニックのある作り込み系と自分の中にあるものをそのまま真っ直ぐ出す系。どーーーーう考えても好き。特に作り込み系の『Kiss Me Baby』ソロパートはダメ。好きになってしまった。メンバーの後ろに映り込む険しい表情も、ふざけた感じで歌ったりちゃんと歌わなかったりするのも、田舎のヤンキーみたいな関西弁も、いちいち引っかかるし気になったけど、あの一瞬で好きになってしまった。こんな歌を歌う人がいるんだ!もっといろんな曲を聴きたい!コーイチの歌には表情があるし、ここはこう歌いたいと常に意識していそう、かつその理想が高すぎるところ本当に最高に好き。時にクセが強すぎるけれど、ボーカルの相方であるタカシのクリアで真っ直ぐな歌声があることでそのクセが生きていたし、逆にクセの強いコーイチの歌があることでタカシの良いところが更に際立ち、これ以上ないくらい超特急のパフォーマンスを支えるバックボーカルだった。この2人だけでもドラマがありすぎる。
知り合いからのいろいろな情報提供もあり、自分でも引くほど順調に育てられるオタク。そこから毎日毎日超特急の音楽を聴いて、ダンスを見て、いろいろなエピソードを調べてはめちゃくちゃ好き……(天を仰ぐ)の繰り返し。そしてアドバイスをもらい、1月14日に購入したのがライブツアー『fanfare to you』この時はこれから初めて観るライブに楽しみの気持ちしかなかったな。これ以外に教えてもらったライブ映像も早く全部観たい!って思ってた。
そんな一番楽しい時期、WOWOWのライブ生中継から10日後の1月16日、ライブのBlu-rayが届くより先に超特急1号車コーイチ、脱退発表のニュース。
初めて聞いた時は、あまりにもびっくりして笑った。本当に突然で意味がわからなかったから。この時は意外とダメージがなくて、いろいろ教えてくれていた人は大丈夫かな…?さすがに10日前に好きになった人が突然の脱退はウケる、くらい。10日間で仕入れた情報だけでもコーイチが好きな音楽と超特急の音楽は違うものなんだろうな、と感じていたしそれをここまできて今さら?私が見たWOWOW生中継は一体なんだったんだろう?ただただ理解できなかった。
私自身、ステージに立つ仕事をする人たちに対して「ファンの為にとか、礼儀とか、やりたくないならやらない方がいい」と常々考えていて、コーイチも個を殺してまでグループにいる必要ない、とは思う。でもそういう気持ちと、今の形とかそのグループをもっと見たかったという気持ちは全く別だし、こういうお知らせが出ても10日前に初めて見たあのライブは輝いてて最高だと思えるから余計に悲しい。これから初めて観る映像だってたくさんあるのに、絶対にこれ以上好きになる予感がしているのに。
ニュースから時が経つごとにメンバーのブログが更新され、事実なんだと突きつけられるコーイチの脱退。中でもタカシのブログは本当に胸が痛かった。グループとして活動していく中で目指す方向が違ってきたり、それぞれが納得いく形で活動できなくなることは仕方ない事だけど、せめて終わりはきちんとしてほしかった。これからも超特急として活動していくメンバーの為にも。
そして7番目に更新されたコーイチのポエム。メンバーやファンが「コーイチらしい」って許してくれると思ったのかあの甘えたブログ、心底腹が立つ。ド新規の私にでもコーイチが超特急やメンバーを好きな事はライブを見ていればわかったし、今欲しいのはそんな言葉じゃない。なんで?どうして?に対する答えが欲しかった。もう本人から語られることはないだろうけど。一言、本当にやりたい音楽をやります、って言ってくれたら良かったのになぁ。
あのニュースから約3ヶ月、メンバーも8号車もしんどかったよね。脱退発表後に発売された雑誌や冠バラエティ番組にはいるのに、新しく発表された新曲やツアーにはいない。ライブ映像を見ている最中は無敵!最高!なのにふとした瞬間に虚無感が襲ってくる。もうさっさと脱退してくれたらいいのに、とも思った。ライブ映像を見れば見る程、なんで?どうして?こんなに楽しそうなのに?が止まらない。純粋に楽しかった10日間からこの約3ヶ月は本当にいろいろあったしいっぱい考えた。
あんなポエムみたいなブログを最後に超特急をタカシを放り出した事も、奇跡みたいな最高の瞬間が少なからずあったはずなのにそれをなかった事にしたみたいな自作の歌詞も、メソメソした雰囲気を隠してくれないメンバーにも、はっきりしない運営にも、黒を見ればコーイチ「君」と歌えばコーイチっていちいち騒ぐ8号車にも、新規がコーイチの事を悲しんでるのちょっと…とかいうつぶやきにも、全部全部怒ってたし悲しかった。長い間追いかけてきた人の気持ち、私には一生わからない。でも思い返せる時間がある8号車に私の気持ちは絶対にわからないじゃん。下車するもなにも乗車させてもらってないのに。もう本当に本当に疲れた。たった10日間を大切に思っていちいち悲しくなってる自分も嫌だった。なんとなくこの時期だろうな、と思っていた日に正式に脱退が発表されたけど涙も出なかったし、やっぱりなこんなもんか。としか思えなかった。某雑誌のインタビュー、タカシのダンスが増えた理由を読んで雑誌を投げ捨てそうになった。メンバーは毎日、コーイチがいない事を嫌でも実感させられているんだと思ったら心が死にそう。この約3ヶ月間、本当になんだったんだろう。
初めて超特急を見てから、fanfare to you/2013年国際フォーラム/シンクロニズム/Ringツアー/TNE/トレタリ/写真集/ヒストリーブック/FC限定動画、本当にいろいろ見たし、見れば見る程やっぱり好きだった。特に2013年国際フォーラムは、構成・演出・楽曲のアレンジ・ダンスのフォーメーション、全てにおいて最高。あとバンドが好きなのでシンクロニズムも特別。コーイチの歌もたくさん聴けるし。RingツアーとTNEのコーイチ、ビジュアル最高ですよね。刈り上げデコ出しぷくぷくちゃんラブ。これ以上知って好きになってももういないのに。
初めて6人のパフォーマンスを見たBOY'S GIGの生中継ではタカシの歌が頼もしくて一人いなくても意外と平気なんだ、って。コーイチがいてこそでは?って思っていたような楽曲で攻めてきた超特急さんカッコいい。でもやっぱりボーカルはもう一人いた方がいいな……タカシの頑張りがわかりすぎるからこそ。タカシが頑張るのをボーカル側から支える新メンバーが必要だと思う。今すぐには無理でも。新曲の『a kind of love』はこの季節に、新しい超特急の始まりに相応しい爽やかさで、素直に良い曲。コーイチがいたって、いなくたってずっとそのままではいられない。今度の春ツアーはどうなるんだろう?餅つきや和太鼓、トランポリンも面白いけど決意を見せるって言うならストレートにダンスや歌のパフォーマンスで勝負してほしい。そこが強いからこそ、だと思う。
私自身も初めてライブを見る事になるけど、実際に見た後どう感じるか全く見当がつかない。ペンライトだってどうするのか全く決まってない。他のメンバーの事も大好きだけど、黒が振れないならこの色、なんて適当な気持ちで他の色は振れない。とりあえずFC限定リリイベが超後列なので様子見出来そうで助かる。もし6人の超特急の事を受け入れられない、って思っても静かに去ります。ただ気まぐれに通りすがっただけ。私がいなくても超特急はどんどん進んで行くだろうし、夢の東京ドームにだっていつか辿り着けるはず。でも今はまだその東京ドームに一緒に行きたいなって思えるからその為にもコーイチのいた超特急、コーイチやこの脱退に対する気持ちを成仏させたかった。書いたらスッキリした、かな?メンバーもファンも私も、今ここで立ち止まってしまったらもう二度と走り出せないような気がするから春ツアーまでは絶対に立ち止まれない。その後のことはその時に考えようね。
新曲『a kind of love』すごく良い曲だからみんな聴いて。
追記:FC限定動画にアップされたFCイベント映像の後編がしんどい。『No More Cry』はやでよし。やっぱり超特急のボーカルは2人がいいな。コーイチより良い男なんていくらでもいるよ、たぶん。
秋田のお誕生日を祝って今までの可愛いとこ調べてたら可愛いしか書けない文になりました!
多分読んでも得はないかもしれないけど、自分が後で見返して「そうなの~ここが可愛いの~」ってやるために取っておく。
僕の架線を守って
表紙で山形と並んでるとこ好きです。ていうか初登場で表紙って
秋雨全線異常無し
見どころ:しっかりしてる秋田
東海道上官を慰めない秋田ですが、多分めんどくさいのと自分に無理なのわかってると思う。めんどくさく思ってるようで、ちゃんと威厳は守らなきゃなとこしっかりしてて可愛い。
あと山陽さんに「ちゃんとやってね!」って念押しする秋田が可愛い、
それ東海道と山陽の間でちゃんと話しとけばいいんじゃん?って思うんだけど、
多分やんないだろうなーって思ってるんだろうなー可愛いなー
無鉄
表紙にいるんですけどね!あ、超可愛いんですけどね!
それだけじゃなくてなんか銀座様が秋田のこと見てるんですよ!!!
上越は東北見てて、日光は伊勢崎みてるとこまでは理解できるんですけど!!!!
最近銀座様はだれかれ構わずお茶に誘うって判明したから秋田ついてったのかな?お茶菓子あればフラっとついて行きそうだなって…いう妄想。うわぁ超見たい
ところでファステックの耳「僕も着けてみたーい」は秋田ですよね!!見たい!写真も撮りたい!そんで可愛いって言いたい!想像だけで可愛いけど!!
上越スイカの「売れなきゃ落ち込む~」を読むと絶対秋田も乗車率とかグッズの売れ行き気にしてるんだろーなーって思う。負けん気強いところ可愛いよね。
どう見ても遅延です、ありがとうございました。
見どころ:山陽を慰める気はなさそうだけど、邪険にもしない秋田。
山陽の愚痴(というか未来)に秋田が励まそうとおもったけど無理だった話。
あと紹介欄に「地元に愛されてるピンクっ子」って書いてあるんですよ~本当に可愛い
レールランナー
見どころ:突然の秋田
でも!!いるんだな!これが!!!
3月の隣人はそして居なくなった
見どころ:なんだかんだで良い子の秋田。
「もー」って感じで可愛いのでぜひずっと秋田に愚痴っててください山陽さん。
慰めたりとかしないけど。
2014年度版再録集
この本表紙は秋田だし中身も秋田たっぷりなのでsaikou!desu!!
表紙のワイルド秋田と中には在来時代秋田(多分名前は秋田じゃない頃)もいるので宝です。聖典です。
あと「色々秋田の祭りに参加するけど本気出すのはナマハゲだけ」って東北にばれてるあたりが最高です。
何気東北が理解できるつもりになれる数少ないうちの一人だと思う。秋田って、
2014冬の混ぜこぜ本
「九州なんで来なかったの?」って聞いてるの多分秋田だと思うんだけど、
本当に九州のこと怖いともなんとも思ってないんだなー、「なんで新幹線一人来てないの?」くらいにしか思ってない感じ本当に推せる…
月間日報
東日本新幹線ズで絡んでるの大好きっことしてはこの話ほんとに神!
山形がやっぱり秋田には優しい感じがするし、東北はいつも通りひとの話きかないし、
秋田はちょっとけんかっ早い感じが(この中では)末っ子感でててもう最高…
東日本が一番速い!って思っているあたり負けず嫌いで本当に可愛い。
Rail's
九州にあっても「お菓子くれるからいい人」で片づけられる大胆さ本当に素晴らしい。
そうじゃないと人生つらい。
私は秋田ファンなので九州のことは「秋田にお菓子くれたいいひと」と思っています。
※見どころ、ミニ新幹線に誇りを持ちつつ、ちゃんと東北と上越がツートップって言える秋田。
秋田って本当に正直だし、事実しか言わないなーって思ってるのが強調された本。
(あ、まちこの話ではなく)
でも本当にちゃんとしている。言いたいこと我慢しないところが大好き。
あとこの時の美人さが異常。大好き。
見どころ:脱ぎ役秋田
夏の島に行っても秋田上官は秋田上官だなーって、漫画の中ではこんなにはだけているのはこの本くらいかな…?
夕食はビュッフェでも足りないって信じてる。
あとめちゃくちゃ名前呼ばれてる。羽越奥羽意外にも新潟組と絡む秋田みたいなー
シャカリキドリ2015
北陸(幹)と仲良し秋田…好き…。西日本のことにも気になったらズバッと聞いちゃう秋田…好き…。でもそれほど興味なくて話終わっちゃうとこ…好き…。
KANWA!!
表紙にいる秋田の恰好がでぃすいず秋田って感じで可愛い。そうそう!こんな格好!
こんな感じ!!
山形が困って秋田に相談してもほほえましいし、困ってる山形を秋田が見つけておせっかいしても可愛い!
月間日報2017
※見どころ 色々気にしない秋田
壁サー東北のお手伝い秋田、ちゃんとセット組から来るえらい子!
段ボール量からしてセット組も列整理も相当大変だと思うけどご飯奢ってくれるんならオールオッケーな秋田!結構色々細かいこと気にしないよね。そこが好き!
ちゃんと羽越もいて。東北が連れてくるとは思えないからセット組間に合わないなーとおもった秋田が連れてきたと妄想しています。仕事ができる感がありますね!
上越のところや山形のサークルにも遊びに行くと思ってます。本当にふっつーに。色々考えない子ってコミュ力高いじゃないですか、上越と話して、隣の高崎と宇都宮にもふつーに絡みそうなとこが可愛い。秋田の「何にも考えてなさそう感」本当に好き。このくらい適当に人と絡んだ方が絶対人生楽しい。
商業も含めるともっと可愛いは叫べる!けど疲れたからここまで!
3月22日、お誕生日本当におめでとう!
今年も大好きだよ!!