2018-07-02

昭和30年代の見合い

80代なかばのウチの両親が見合い婚だということは子どもの頃から聞いていた。むかしのお見合いといえば釣書が行き交って、堅苦しい席が設けられてみたいなイメージがあって、ウチの親もそういうのだったんだろうと思っていた。仲人の婆さんが90代でまだ生きているのだけれど、どうせ頼まれ仲人なんだろうと思っていた。ところが意外にもそうではなかったということがわかったんで、忘れんうちに書いておく。昨日、親に頼まれてその家に届け物に行ったとき、婆さんが話してくれた。なお、場所大阪近郊の住宅地だが、当時はかなり田舎だったはず。

婆さんは、当時30歳ぐらいで、市場入口近くで小さな店を出していた。店にはいろんな人が来る。その地域ではヨソモノだったウチの母親や、その母親も出入りしていた(たぶん手芸関係の店だったように思うが、ここはきちんと聞いていない)。そして、地元百姓だったウチの父親母親も出入りしていた。

その頃、ウチの父親は、見合いを数十回繰り返し、全部破談になっていた。気に入った娘がいないというのが理由だ。その近在の年頃の娘は、だいたい総当りしてたんじゃなかろうか。なんでそんなワガママが通っていたのか知らない。末っ子から甘やかされてたんだろうか。

そんな愚痴を、父親母親は店に来てこぼしたらしい。そこで店番をしていた彼女は、やがてウチの母親となる若い娘を思い出したらしい。そういう人がいるが、どうか?

仕組まれ見合いというのは、こうだ。花婿候補になんのかんのと口実をつくって、その店まで来させる。何か用事をつくって、店先に座らせておく。そこに花嫁候補が通りかかる。こっちの方は、事情を知らされている。それでどんな男なのかを見てもらい、OKが出たところで紹介する。そういう手はずだったらしい。

で、実際にそれでうまくいって、その後は二人で難波かどっかに出かけて、トントン拍子に縁談は進んだ。仲人夫婦はまだ30そこそこで若いから、なにをどうやっていいのかわからない。結婚式はずいぶんとたいへんだったらしい。


イメージにあった古臭いお見合いとは、まったくちがっていた。そういえばたしかに、戦争が終わってしばらくの間は、「もう古いものはたくさんだ、これから時代若い人がつくっていく」という新鮮な空気があったとも聞く。それがいつの間にか変質していったのはなぜだったんだろう?

ま、おもしろい話を聞いた。

  • 結婚相談所の広まりが、お見合いの硬直化を招いたんじゃないかなぁ。

    • 相談所じゃなくて恋愛結婚だろう。 適当でいい人達はもっと時代が進むと「子供が自分で適当に相手を見つけて来る=恋愛結婚」になって 厳格な見合いを求める層だけが残った。

  • 古いものが新しくなっていった時代と言うよりは、ただ適当だっただけに思えるが。 釣書交換して堅苦しい席で両親仲人同伴で…と言う厳格な見合いをするのは上流階級だけで、庶民は...

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