はてなキーワード: キャッチセールスとは
https://note.com/youth_waster/n/n9741ba5aaf06
『日本で暮らしているふつうの日本人がこれを読んで感じる、微妙なドラマチック感の正体は、「街に会話が存在する」ことでは無いだろうか?
そう、海外には「Hi文化」が存在するのだ。知り合いではない、街ではじめて出会った人同士が、会話を交わす。
小説やドラマの世界では、日本においてもたくさん描かれているシーンである。
(というか、そういう「コミュニティ外との接触」が無いと、全てのストーリーは主人公の所属コミュニティの中で完結する非常にミニマムなものになってしまう)』
これこれ、これだよこれ。現代日本を舞台にしたほぼ全てのフィクションに対し、感じる違和感は。
学校や職場といった共通点無しに、街で見知らぬ人と出会って、そこから会話が発展するなんて現実ではまず有り得ないもの。
だからそういう状況が描かれた時点で全てのフィクションに対し、「リアリティが無い」と感じてしまう。
フェミニストの間ではナンパって蛇蝎の如く嫌われているけれど、そもそも普通の生活において一般の男性から、ナンパされる事なんてある?よほどの若くて可愛い子でもないと有り得なくない?って思う(宗教の勧誘やキャッチセールスならともかく…)
まあ、ここで上げられている漫画もイタリアを美化しすぎのような気もするし、対応が良かったのはこの漫画を描いた人が美人だからであってブスがイタリアに行っても無視されるだけじゃね?とは思う。
👴「キャッチセールスに気を付けるんじゃよ~」
よく言われる騒音おばさんや伊丹十三の件も結局真偽の程はよくわからないし、彼らは巷で噂されている程恐ろしい宗教団体なん?(統一教会は何かここ最近改名したらしいけど、長たらしい名前で書くの面倒なので便宜上旧称で書く)
彼らの集会や行事、例えば集団合同挙式とか葬儀の様子(集団でお経を唱えるやつとか、また数年前に起きた火山の噴火の犠牲となった少女が統一教会員の娘だったようで、その時の派手な葬儀の様子が巷で話題になった。)こいういうの不気味で気持ち悪いという人達もいるみたいだけど、これらだって彼らの中だけでやる分には別に外部に迷惑をかけてないのでは?不気味で気持ち悪いと思うのならわざわざ顔近づけて覗かなきゃいいのでは?
霊感商法みたいなことやってるって話も、まあ統一の方は昔ガチでそういうのやってたっぽいけど(今もやってるのかどうかは知らん)、創価の方はどうなの?信濃町の売店の写真とか調べてみたけど見た感じそこで売られているグッズの殆どは(まあ「大勝利飴」とか少々アレなネーミングセンスのものもあるけど)そこまで露骨に値の張るものでもないし、また信濃町の中を歩いて撮ってみたという動画も幾つかネットに上がっているけど、それ見た感じじゃ売店の周りで悪質な客引きとかキャッチセールスとかやってる感じでも、撮影者に何か絡んでくる感じでもなかった。
入信・入会を拒んだものや脱会しようとした者に集団で嫌がらせとかストーカーしてくるみたいな話とかもさ… 統一の方はちょっとよくわからないけど、創価については例えばマキシマムザホルモンのダイスケはんは創価大学出身で、彼もまた実は在学中に創価学会とはちょっと一悶着あったみたいだけど、最終的に彼は学会から「大学名をプロフィールに載せないで欲しい」「創価大学ではライブをしないで欲しい」「金輪際大学へ出入りしないで欲しい」等と言われて追放された様で、この様に学会と何か揉め事を起こした者は寧ろ学会の方から拒絶・破門するみたいだぞ。また、このことで未だにダイスケはんが学会から嫌がらせを受けているなんて話は(明るみになっている限りでは)聞かないし。
あと菊とか鶴とかのタブーの話も、確かに言われてみればテレビで創価について特集しているの殆ど見たこと無い(前に池上彰が少し特集しているのを見たことがあるくらい)ので事実マスメディアでは彼らに関する報道は半ばタブー視されているのかもしれないが、ネット上の噂によるとそれは実は創価学会は在日コリアン系の集団で、彼らがメディアを支配しているからだ、そして日本のメディアが左寄りなのもまた彼らのせいなのだっていうけど本当にそうなの?(統一は確かに創始者が韓国人の文鮮明で本部も韓国にあるという事は教会の方からはっきりと明言しているが、)池田大作は本当にソンテチャクなのか?確かに日本のテレビ報道が左寄りなのもまた否定はしないけど、それって創価に関連する報道がほぼタブー視されていること関係あるの?その噂のソースとされるこちらのサイト(http://peachy.xii.jp/korea/)ってデマとかが指摘されまくってるやつだし。ていうかそもそも創価学会が支持している公明党って自民党と連立関係にあるわけだし、むしろ彼らは左界隈とは対立している側では…?
あとこういうこと書くと「これ書いてるのってひょっとして学会員・教会員なんじゃないか…?」みたいに思う人もいるかもしれないが、まあ正直この文章も彼らを擁護するものでは全くないと言えば嘘になるかもしれないけど、仮にこれを書いているのが学会や教会の関係者だとしてそれで文章の正当性の内容が薄らぐのか?あとこれは筆者の偏見かもしれないがオタク層の中にアンチ創価・統一が多いような気がするのだが、ちょっとそのオタクとアンチ創価・統一を兼任している方々に問いたいのだが、例えばネット上の学会・教会に関するあやふやな噂を全て真に受けて学会・教会の関係者を皆一括りに「嫌がらせやストーカーをしてくるような恐ろしい人たち」と決めつけるのは、それはマスコミのオタクに対する悪意ある偏向報道を真に受けてオタクを皆一括りにして社会不適合者・犯罪者予備軍扱いすることと何が違うのか?また前述通り彼らの集会や挙式や葬儀の様子を不気味で気持ち悪いと思うのはまだ個々人の主観だろうが、参加を強要されたというのならともかくわざわざ覗き込んできて「不気味で気持ち悪い」というのは、それはオタ趣味文化にまったく興味も理解も無いやつがわざわざオタクイベントの様子を覗いてきて「うわっ、キモッ!」等というのと何が違うのか?またもし仮に自分の周りに学会員・教会員と判明した者や若しくはその疑いのある者がいた時に、それだけでその者を「あいつ学会員・教会員らしいぞ」「うわ怖っ、もうあいつと関わるのよそう」等と陰口をたたいたり村八分にしたりするのは、それは嘗てオタクバッシング最盛期の頃にオタバレした者やオタク疑惑をかけられた者が受けたいじめと何が違うのか?またそういう集団での嫌がらせや陰口や村八分にしたりすることこそ、(仮に本当に行われているとして)悪質な信者がやっているとされる嫌がらせやストーカー行為等と五十歩百歩ではないのか?ていうかぶっちゃけ彼らはオタクの敵なのか?現状どこぞのフェ〇パ〇ク連中の様にサブカルやアニメとのコラボイベントとかにクレームつけて火付けしてる感じでもないし、また先ほども言ったが公明党はその〇ェミパヨ〇連中と対立している自民党と連立関係にあるわけだし、寧ろアニメに火付けしている連中とは対立している側ではないのか?(ただまあ、逆に彼らが直接オタクの味方をしているという話も聞かないし、またそれだけでオタクは寧ろ公明党を支持しようみたいな話になるものそれもまた安直な考えではあるだろうけど。)
と、書き綴ってきたが正直筆者個人も彼らのことを真っ白な集団だと信じ切っているわけでは無いし、もし本当に何か良くないことをしているのであればそれはきっちりと批判・糾弾されるべきだと思う。ただ、ネット上で彼らに関する噂を真に受けて彼らを叩いたり怖がったりしている人達を、その風潮を見ていて、その辺りモヤモヤしていたことを事を思わず書き綴りたくなった。少なくとももし自分の周り学会・教会の関係者、又はその可能性がある者がいたとしても、周囲にしつこく入会を勧めてくるとかじゃないのなら本人の信じる宗教くらい本人の好きにさせてやればいいのではないだろうか?その宗教団体に入った結果どうなろうとそれは本人の自己責任ではないのか、と筆者は考える。
自分たちがキャッチセールスと同等と考えて自粛して控えめな分には、これは普通の電話である。
友達感覚が度が過ぎて、仲良く話せるのがあたりまえであり、離せないやつは頭がおかしいと病院に通報し、病院が人権を剥奪し拘束をすることが3ヶ月をこえる
これは冗談ではないだろう。ただ、どうして、事情の説明がないのかは、よほど精神構造が以上で説得に応じないと考えられたのだろう
であれば、どうして、不愉快だと指定している組織が、医師免許などの定時もなく話しかけられるのかがわからない。
職務質問であれば、まず制服ではなく、警察官の身分証を提示し氏名階級を述べて、職務質問をおこなう、と誤解がないように通告してほしい。
選考ぐらいしてるわ。
生命保険には募集人資格試験、損保にも一般試験と言うものがあって、
入社後、それらの試験に合格しないと保険商品を販売することはできない。
選考や採用にもコストがかかるので、入社後の試験すら合格できなさそうなヤツはそもそも採用しません。
一定以上の成績上げて(契約とれて基準を満たして)初めてインセンティブの対象となる。
私が以前勤めていた企業ではそこまで減らなかった。
果たしてイチ営業社員が母数や退職者数を知っているのでしょうか?
優績者のサブに付くこともあったし、どうしても営業職に向かないけど辞めたくないと本人が希望した場合、
IDカードがないと訪問先企業の執務スペースに入れない事も多い昨今。
ただし、今どき営業社員に持たされるデバイスはタブレットに代わってきていて、比較的軽量化してきている。
盗まれた時の被害が大きい(情報漏洩)PCは、持ち出し禁止にしている企業が多い。
書類も訪問管理された相手の設計書一式をその日の人数分ぐらいは持ち歩くけど、
不特定多数に配布するような枚数を持たせることはない。書類だって費用かかってんのよ。
営業の人は相手あっての仕事だから、18時を越える勤務は普通にあったが、
それでも規定の勤務時間を超過したら時間外勤務に対する圧力はなく、
インセンティブの基準を達成すれば、1年目だろうと支給されるはず。
むしろ初年度は支給の基準が2年目以降の社員より甘くて、達成しやすかったはず。
パーティーは全て会社が負担してたしあとから徴収もなかった。徴収なんかしたら職能部門の仕事が増えるだろ。
会社が手引きして同僚・先輩からそんな事言わせたのだとしたら、
国家資格「夏季時間調整官」( anond:20180908011424 )は今や大人気の資格だ。
創設当初は、ほぼ誰も興味を持っていなかったが、2030年、サマータイムの普及が一向に進まない状況に業を煮やした政府が
夏季時間調整官に罰金1万円を徴収する権利を与えたことから、一躍、注目を集めることになった。
制度の効率的な運用のために、罰金1万円はそのまま夏季時間調整官の収入とすることができるのだ。
老若男女を問わず、お小遣い稼ぎのために取得するヒトが増えている。
「お兄さんもいかがですか?」
「今なら、資格試験に必要となる知識が網羅された教材と想定問題集がセットで2万5千円ですよ!」
キャッチセールスに声を掛けられた加藤は、無言で2回首をヨコに振ってその場を離れた。
職場以外でサマータイムのことは考えたく無いんだよぉぉ・・・。
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。