はてなキーワード: 思い当たるとは
恋愛成就に必要なポイントって色々あるだろうけど、「女側がうまく操って男にリードさせる」技術って多分大事なのだろう
私は若いし結構モテるが、今まで一度も彼氏が出来たことがない。大抵男性側が苦しみながら片想いし陰ながらアプローチしてくるけど、私が一切応えられないまま、恋は死んでいく
「陰ながらアプローチ」とはつまり、直接的でないアプローチのことだ。直接言葉に出したり連絡して来るわけではないけど、視界に入って来ようとしたり、緊張しながらも頑張って話しかけてきたり、などなど。
こう書くと勘違い女的な印象を与えてしまうかもしれないけど、そうではなく。現実に「あいつ君のこと好きらしいよ」という証拠があるのに、そのあいつから直接的アプローチを受けることがあまり無いのだ。私が普通に生活している側で彼らはジタバタして、結局本格的に関わることが無いまま終わってしまう。
この現象が起こってしまう理由として2つ程思い当たる所がある。
私は何故か繊細な男子に好かれることが多く、ガサツな私が無意識のうちに彼等の心を踏みにじって恋愛可能性を殺していってるのかもしれない。実際、率直で積極的な外国人男性からアプローチを受けた際はトントン拍子に上手くいった(彼が国に帰ってしまい長期的に付き合えなかったけど)。シャイな日本人男性なんて言うと茶化してるみたいだが、男性側が恋愛に尻込みしてるから私も上手く踏み込めないのだと思う。しかし、周りを見渡してみると、草食系だったりシャイボーイな男性と上手く付き合っている女性は沢山いる。また、そんな男性からも積極的なLINEや食事、デートのお誘いを受けてるおなごも沢山いる。てことは、私が積極的な直接アプローチを受けられないのは、ただたんにモテない、低評価されてる女だからなのだろうか?直接アプローチするほどでもない、片手間アプローチで十分な女だからなのだろうか?ガーン…
と思ってみるが、実際「間接アプローチ」を受ける機会は多い。相手から連絡やデートの誘いが無いだけで、可愛いねとかモテそうだね、など女子としての評価は定期的にされるし、そんなに悪く無いんじゃないかな自分、と思っているし願っている。
となると、私が直接アプローチを受けられない理由として、以下のもう1つの説が有力視できる。
②私が上手くサイン出したり「もっときてもええで…」と誘導できないから
恋する男性達は小さなサインを発していて、それを私が汲み取って形に出来ないからかもしれない。実際、モテるお姉さま達は男性を上手く誘導して関係をリードさせたり、告白させたり、デートに誘わせたりしているイメージがある。女性がある程度思わせぶりな態度を取ることで、男性側から安心してアプローチ出来るように仕向けることも、恋愛には大切なのかもしれない。
私はといえば恋愛への努力なくぼんやり毎日過ごし、「あ、この人私と仲良くしたいんだな…」と思っても話しかけたりできない。ラインもめんどいから出来ない。好きな人もできない。なんだか踏み込むのが怖い。仲の良い男友達とは恋愛関係に移行したくないので適度に距離を離す。出会いの努力もしてない。私に興味を持ってくれる男性と話してても、向こうが過度に緊張してたり躊躇いがちだと面倒臭ささを感じて距離を置いてしまう。今の時点で2日お風呂に入ってないし、今日やんなきゃいけないことまだやってないのにこんな物書いてるし…
書いてるうちに己の問題点が他にも色々出てきてしまったが、取り敢えず最近気付いたことは、恋愛関係をうまく構築するには女性側も上手に誘導する能力が必要なんだな、ということ。
そしてこの間少し良い感じになってた男性と上手くいかなかったのも、私が上手く導いたりサインを送れなかったからなんだろうな、と虚しい反省をする日曜日なのであった
間違いなくバカ。
まず、お前も普段、有名ブロガー以外が書く雑記ブログなんて読んでないじゃん?
じゃあなんで、お前はその魅力のない雑記ブログを貴重な休日を費やしてやってるの?
そもそも、なんで1つのサイトにバラバラのユーザーを集客しようとしてるの?
ターゲットが定まってないって、ビジネスとして終わってるんですけど。
え?ビジネスじゃなくて趣味?じゃあ今すぐ全ての広告を外したら?
なんでわざわざ、ネットリテラシーの高い層=広告に騙されない層を集客しようとしてるの?
アドセンスの貼る位置をどれだけ変えても誰もクリックしねえよ。
もしお前に本当にセンスがあれば、とっくに人気サイトになってますけど。
て言うか、お前気付いてないけど、感想じゃなくてあらすじを書いてるだけみたいになってるよ?
■アドセンスで儲けようとしてるやつ
わざわざ労力が必要で、儲かる金額の天井が低い高難易度の方法で儲けようとしてる真正のドM。
なんでわざわざ茨の道を歩いてるの?
何百記事も書いてて儲かってないやつとか、お前どれだけ無駄な努力してるんだよ。
一般人に向けた記事を書いてるのに、萌え絵がヘッダー画像のサイトとか気が狂ってるとしか思えない。
はてな界隈の有名ブロガーでも何人か思い当たるけど、母数がデカいサイトでそれやったらどれだけ損してるか自覚ある?
その気持ち悪い絵が相当な数のユーザーに嫌悪感を抱かせてる自覚あるの?嫌がらせが趣味なの?
■運営報告してるやつ
アフィリエイターとかブロガーをターゲットにしたサイトじゃないんだよね?
サイト内の人気記事にデカデカと運営報告記事が表示されてるんですけど。
なんでお前らは、金を落としてくれる人に不信感を抱かせる記事を書いて
1円も金を落とさない人ばっかり集客してるの?人の気持ちを想像できないの?
「参考になりました」
「やっぱり検索って大切なんですね」
wordpressのインストールの仕方が理解できないって正気か?
で、なんでお前らのアイコンは路上アーティストが書いたみたいなセンスの無い二次絵なの?
典型的なダサイ結婚式のウエルカムボードみたいになってるけど、ネタ?
恋愛の定義を「異性とお付き合いをする」とすると、僕は本当にこれが出来ない。
割と真剣に悩んでいて、このままだと結婚とかできないんじゃないかと思い始めてきた。
入試を無事突破した僕には初めての彼女が出来た。相手はかなりモテる人だった。
付き合う前は結構ドキドキしてたのだが、こっちから告白して、いざ付き合おうとなった次の日から急激に冷めた。
お付き合いしてる期間は何度か謎の腹痛やら吐き気やらに襲われた。
そんなこともあり、結局2ヶ月くらいで分かれてしまった。
高校でもう一人、大学でも一人の方とお付き合いさせていただく機会があったが、結果は似たような感じだった。
箇条書きで、僕のスペックやら症状(大げさか??)やら個人的に思うことなどをまとめておく。
▼スペック
男性。
顔は多分中の上くらい。
そこまで身なりに気を遣ってるわけでもないが、酷いわけでもない。
コミュニケーションスキルは中の下くらい??
病的なコミュ障とかそういうのでは決してない。
▼症状
・友人として絡んでる分には普通に楽しいのだが、異性としての好意を向けられたりすると強烈な嫌悪感に襲われる。
・付き合ってる期間も「○○の彼氏」という肩書に変なプレッシャーを感じてしまう。疲れる。
▼思うこと
・『やがて君になる』と言う作品をご存知でしょうか??
「好きになられる≒期待される」ことを嫌がり、登場人物の一人が「絶対に(??)自分を好きになってくれない人を好きに」なったりするお話なのですが、現時点で一番自分と近いものを感じています。
・アドラーには怒られるかもしれないが、人間関係に関する過去のトラウマやらと関係しているのだろうか??
遅い昼時、流行っていない定食屋に入ると客はただ一人自分だけであった。ぼーとしていると、涙がぽろぽろ流れてきて驚いた。
何の涙かわからないが、ともかく原因はわかっている。
部下が鬱で休職した。手塩にかけたといっていいほどの部下だ。
うちの会社(IT系)の立ち上げからの創設メンバーで、つい先日までバリバリとコードを書いて、客との交渉、要件定義をし、見積りに必要な工数計算までできる部下だ。
先日、突然ちょっとした言い合いから感情が爆抜したようになった後、「辛い」とだけ書かれたメールがきて休職となった。
なぜ、このようになったのか、何が起きたのかわからなかった。つい先日まで同じ部屋で同じ空気を吸っていたのだ。今年は確かに仕事の量は多かったかもしれないが過去これ以上の修羅場はいくつもあったし、乗り越えてきた。
しかし、数通のメールのやり取りと「辛い」メールの後、一回した面談で分かったのは典型的な鬱の症状だった。会社の最寄り駅の階段を上るときに動悸がする、手が震える、いっぱいたまったメール、slackやredmineが自分を押しつぶそうとする、これらを泣きながら話す姿を見ていると鬱と思うしかない。
自分もこの会社の創設メンバーの一人だ。創設からずっと一緒だった。正直、ブラックな時もあった、いやこの春もそうだったのかもしれない。
しかし、できるだけ仕事を共有し、負担を軽減し、状況もみて「辛そうだったら、俺にふるんだぞ」と言い続けてきた。過去はくじけそうになる僕を部下が叱咤激励することさえあった。その叱咤で頑張れた。その後は社員の質の向上を会社が掲げ、仕事環境もずいぶんと向上しているはずだった。メンバー全員がよい職場づくりを考えて改善してきた。今年は例年と比べて仕事量を減らしたつもりだった。
思い当たるところはある。
一人前になるにしたがって部下に任せきりになり、安心していた。一エンジニアの立場からマネージメントまでするようになって、僕の知らないところで客との交渉や調整で苦労がたまっていたのだと思う。忙しいときほどよく話すのがいつもだったが、今年は忙しくなって2人で話すことが少なくなっていった。
なぜ気が付いてやれなかったのか、どんなに辛かったのか、そんなことばかり思い浮かぶ。
電車の中、スターバックスでコーヒーを飲んでいるとき、帰宅途中の道で、ふと頭を空っぽにしたり気持ちが緩んだ時につい考えてしまう。そしてなぜか涙が出てくる。どうして、どうして、という思いと、こんなつらい気持ち以上に、当の本人が辛いと思うとやるせない気持ちになる。
相談してほしかった。力になれない自分が情けなかった。気がつけなかった自分が情けなかった。
周りは、直接の上司である僕がコンタクトはしないほうがよいという。だから今はメールも電話もしていない。
僕はその部下にとって「過労を象徴する」者で、辛い会社を代表する「悪の権化」となっているかもしれない。
今は部下が元気になれるように、休職制度の手続き、場合によっては転職によって仕事場環境を変えるときに不利にならないように交渉している。
定食屋の親父がこちらを見ていた。人前でいい歳の男が泣くなど自分でも思っていなかった。
僕でさえこんなに辛いのだ。僕以上に彼女はつらいだろう。そう思うとまた涙があふれてくる。どうしたらよいのだろう。
こんなことを匿名で書いていて、なんになるのだろうと思いながらも匿名ダイアリーに吐露するしかない。
4/28 2回目の追記)
8時間ほど前に追記と誤字の修正をしたのだけど、後で見てなんとよい子で優等生的な追記だろうと自己嫌悪になったのでこの追記を編集する。
増田のコメントに優等生な追記をしてどこまで僕は馬鹿真面目なんだろう。
僕もそろそろ心療内科にいかねばならない頃のようだ。いろいろなものを見直す時期だと思う。
今日、元社員に「〇〇さん(僕の名)はいいかっこばかりするんですよ」と言われた。かっこいい仕事ばかり取って金になる仕事をとらないのだという。
投資家やVCの顔色を気にして、会社の業績としてぴかぴかのプロジェクトばかりとっていたのだ。金儲けする泥臭いプロジェクトを避けていたのだと思う。
ベンチャーとして頑張らなければという気持ちが強かったのだが、それは言い訳だろう。僕の頑張りは僕の自己満足でそれで他のメンバーに犠牲を強いていたのだろう。
少し前までの私は、常に焦燥感と緊張の中にあった。
寂しい人間だと思われたくなくて予定を作り
家に帰ればぐったりと疲れていた。
「誰も自分のことなんて気にしてない」と、何度心の中で繰り返しても無駄だった。
少し変わった行動を取るだけで、陰口を叩かれたり、笑われたりした。
たとえば声がひっくり返っただけで
前髪を切りすぎただけで
ラケットの振り方が変なだけで。
今思えば下らない話だ。表立ったイジメとかじゃなく、ただの噂程度。でも当時は監視されてるような気分だったのだ。
自分では気づいてないけど他人から見れば変なのかもしれないと、歩き方さえ気になったこともある。ノイローゼじみていた。
友達にダメなところを指摘してもらって、自分なりに直しても笑われるから、友達のことも疑うようになった。
本当は心の中で、変だと思ってるんじゃないかとか。
一度疑ってしまえばその後に新しく出来た友達や恋人に対しても同様だった。完全に信じるということが、できなかった。
だけど今やっと、他人にどう思われてもいいやと思えるようになった。
自分の中にこびり付いていた自意識過剰が、やっと、剥がれ落ちてくれた。
知らない人ととも自然に目を合わせられるようになった。
服屋の店員に話しかけられたとしても、息が詰まる思いをすることがなくなった。
自信はまだそれほど身についてないけれど、とりあえずマイナスから0程度にはなった。
仕事でもプライベートでも、あまり細かいことを気にしなくなった。
死にたいと思うこともなくなった。
治るまで随分と時間がかかってしまったなぁ、という気がするし、
色んな面で人より遅れをとってしまった気もするけど
まあいいや、と思う。
私は私に合ったペースで、焦らずゆっくり生きていこうと思う。
いままでゲーム、エンタメ系の業界に勤めてるが、特にブラック的な所の特徴を上げる。
ちなみに自分はここで上げる所で働いた事はなく、良く噂でブラックな内情を聞いたり、打ち合わせで訪問した時に感じた事が主。
●社内がやけに殺風景
異様なほど最低限な物しかない。
入居して数年経ってるはずなのだが。
最大限の経費削減をした結果かもしれない。
その中に各人のデスクがあるだけ。
通常はキャビネットがあり、上に資料や本、飾り的な物があったりする事が多い。
●社内が汗臭い
仕事場に入ると異様な雰囲気を感じる時に一番思い当たるのがコレ。
連日の徹夜や残業で風呂に入る暇も無いか、単にだらしない人が多いのか。
これもパッと見で何か異様さを感じた原因の一つ。
派手さの特徴は髪を明るく染めていたり、髪型が派手でアフロや強いパーマをかけていたり、変に整っていたり。
服がキレイめで高そうだったり。
あとは管理側の威勢はいい(単に元気がいいだけでなく、外見や表情に余裕を感じるのも含む)のに現場側は虫の息みたいな差。
もう一つ、社長的な最高責任者の影が常に社内にないとこもあると感じた。
●まとめ
訪問した際に社内に異様さを感じたらどこが異様なのか考える事。
汗臭い、異様な殺風景、社員と管理側の格差を感じたら注意しよう。
既にこういう中にいる人は気が付きにくいと思う。
●例外
こういう所が居心地いい人もいるだろう。私生活がだらしなかったり、がっつり副業して会社でいつも寝てたり。こういう人は割と生き残る印象。上げた会社側がこういう人に甘いのは中々人が来ないから切れないのか、低賃金でも残ってくれているからか。
●最後に
多分だが差はあれど全ての業界で当てはまると思う。
唐突に、何の文脈もなく、うんこを漏らしたくなることがある。街を歩いているときやカフェでコーヒー飲みながら本を読んでいるとき、誰かと真面目な話をしているとき、談笑しているとき、何でもない日常の一コマでうんこを漏らしたい衝動と戦っている。正直漏らしても何のいいこともないのは理性では承知しているつもりで、お前は何と戦っているんだ状態だが、もはやこれは衝動と言っても良いぐらいの強度で、僕の頭と主に肛門周りを強く刺激してくる。
特に、誰かと会話しているときに、「うーん、これは」とか「うーん、違うんじゃない」とか、うんこを想起させる発言をされた瞬間が一番やばくて、その瞬間僕の大臀筋に緊張が走る。
そんな衝動と日々戦っていると、自分のこの衝動と犯罪者のそれが似ているのではないかと思ってしまうことがある。「魔が差して」痴漢してしまったり、「衝動的に」通り魔をしてしまった犯罪者と自分は同じなのではないかと思うと身震いするような空恐ろしさを感じる。
人混みの中で急にうんこでも漏らしたら確実に僕は異常者扱いされるだろう。それが、「我慢したんですが便意を耐えられずに」であればある程度仕方がないとする向きもあるだろうが、「排便衝動に耐えられなくて積極的に」だと完全にアウトである。
自分のこの衝動を見つめ直して見ると、「今、誰も俺がうんこするなんて思ってもいないだろうな」と感じる場面で特に便意が強くなる気がする。日常感が強ければ強いほどその欲求は高まる。おそらくだが、大層に言えば、予定調和からの脱却欲求があるのだと思う。つまり、相手の裏を掻いてやろうという気持ち、といったところか。
宮台真司がかつて喝破したように、我々は大きな物語を喪失し、終わりのない日常を生きている。その日常の断絶という物語を生む道具が私のうんこなのである。うんこによって日常は非日常と化し、そこから新たな物語が生まれる。もちろん、僕個人の物語が大きく変わるだけで、世界は何も変わらないだろう。でも、少なくとも誰かと朗らかに談笑している途中に僕が唐突にうんこをすれば、その日は僕の人生の大きな変化点になるに違いない。それが僕にとって良いことか悪いことかは分からないが、僕はそうなるのを心のどこかでは期待しているのかもしれない。
だから、クーラーボックスに入るコンビニ店員やおでんをつんつんするユーチューバーを見たときはよく分からない親近感と憧れに似た気持ちを感じたものである。
なので、彼らのニュースとその後の炎上を目の当たりにした僕は他人事とは思えなかった。もし僕が彼らに先んじて渋谷のホコ天でうんこしていたらきっと僕も彼らと同じ目にあっていたに違いないからだ(大阪なら何事もなく許される気がする)。逆に言うと、彼らを親の仇のように批判していた人たちはああいった愉快犯的な衝動が一つもないということで、それはそれで羨ましい気持ちにもなる。
もちろん、上で述べたことはただの欲求であって、本当にうんこすることは今後もありえないとは思っている。そこが僕と炎上した先人たちの超えられない差と言えばそうなんだろう。だがしかし、日常の一コマ一コマでこれからも便意と戦っていかなければならない人生を思うと、若干暗い気持ちになってしまうのは否めない。そんなときは、老人になったら嫌でもすることになるんだから、と自分を励ましたりしている。
おならをすると少し衝動が和らぐということだ。だから、僕は(もちろん相手は選ぶが)時々唐突におならをするようにしている。談笑中に唐突に放屁。ごめん、屁こいた。ガハハハハ。といった具合である。
うんこの代替としておならというのは分かりやすい。使う部位も一緒なのも良い。そんなわけで、日々どうしようもなくなったときはおならでお茶を濁しているのだけど、最近どうもおならでは満足できなくなっている自分に気づく。
これらおそらくだが、おならが僕の中で日常化してきているのだと思う。もともとは談笑という日常の風景に対するカウンターパンチがおならだったはずが、談笑+おならがセットになって僕の日常となってしまったのだ。
これは、影で「おなら野郎」と罵られるという犠牲を払いながらも、うんこよりはマシと放屁をし続けていた僕にとっては由々しき事態である。代替品としてのおならが通用しなくなってしまった僕の日常にはもはやうんこしか残されていないのではないか。
それだけではない。この事実は、もし僕が忌憚なくうんこをするようになったとしても、それはまた新たな日常の到来を意味しているのである。
自分では上手くかけたのにどうしてRTされないんだろう、いいね付けてもらえないんだろうと悩んでいる人はそれなりに居るんじゃないだろうか。
それは、大抵の場合、かいた絵が自分で思っているよりも他人から見たらヘタクソだからだ。
どこに「鎖骨におっぱいがくっついてる」絵をRTする奴がいるのだろうか。
ましてそんな絵しかかけないくせに他人にアドバイスするなど愚の骨頂である。見てる方が恥ずかしい。
あれほど著名な方々が「デッサン力は大事」と言ってきたのに練習もせず、素人様が宣った「好きな物を描き続けることが大事」というありがたいお言葉を妄信した結果なのであろう。
そう、君らは騙されたのである。
ここまで読んで思い当たる節がある者は回れ右してさっさとデッサンの練習しろ。君はこの記事の対象外だ。
悔しかったらやれ。ネットにアップした自分の絵をバカにされたくなかったらやれ。今すぐだ。
ここまで言って何様?とか、なんでこんなに上から目線なの?という者もいるだろう。
結構。そういった意見は私にとって養分だ。思う存分叩くがいい。
さて、ここからが本題だ。
自分の絵が他人に見せても恥ずかしくないものであるが、いまいち人気がでない。もっとチヤホヤされたいといった欲深い者だけが実践するといい。
以前、絵をかくのに絵師個人の人間性は必要なく、ただ絵が上手ければいいといった意見を目にしたが、なるほど一理ある。
だが、これを鵜呑みにして不遜な態度をとっていると思わぬところで足をすくわれ、少なからず「敵」ができる。
まあどんなに清く正しく(笑)生きようと、敵は必ずできるものだが、そういった者共はあの手この手で君を陥れようとしてくる。
もしそういった敵から不愉快な言動を向けられたとしても大人の対応で受け流せ。
絵に対する批判であれば「もしよかったら今後のために変な部分を教えていただけますか?」くらい相手に言え。
指摘されたら「ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。」だ。(この手の輩にwは使うな)
何故か。それは、「相手に対する対応も第三者は見ている」からである。
暴力的な言動に暴力的な言葉で返していては、折角できたファンに「ああこの人もおっかない人なんだ」という印象をもたれてしまう。そういった印象を抑止力として使う者もいると思うが、マイナス面の方が大きいことを理解するべきだ。
逆に、こういった対応ができない、したくない、する自信がない、噛み付かれたらすぐやり返したくなるのであれば、君は作品をネットで公開することに向いていない。
人生の限りある時間の無駄遣いだ。何かもっと金になることに目を向けた方がいい。
ただ、こういう不愉快な言動を向けてくる輩の心理は「ちょっとでもムカついた奴を叩いて鬱憤をはらしたい」が本当のところであるため、まともに付き合う必要はない。やりとりがあって2週間後〜1ヶ月後くらいにはブロックしておくことをすすめる。
すぐブロックしては感づかれ、さらに怒りをかうだけなので、気づかれないように、こっそりと、だ。
その際は通報もお忘れなく。
復讐したいなら絶対に第三者から見えないところでやれ。ネット上にはその方法も多い。あくまで表ツラは「聖人君子」だ。
そして、政治や宗教に関する言及や、他人を叩くような言動もNGだ。右だ左だ赤だ、とネガティブなレッテルを貼られる。これはとても損なことだ。
まして他の絵師を叩くようなマネは絶対にやってはいけない。同業の味方がいなくなるぞ。
どうしてもこういった発言をしたかったら、別垢作ってそっちで垂れ流せ。バレないようにな。
Twitterや他のSNSを見ていると、目を惹くものがあるのに何故かRTもいいねも少ない絵を見かけることがある。
誰も君の事を知らないのである。
この知名度を上げるにはより多くのフォロワーを獲得することが重要である。
おっと、自分のプロフィールには「絵をかいてる」ことを明記し、実際に過去・現在絵を公開していることが前提だ。
1. まずは気になるアニメやゲームのタグを見に行き、RTやいいね数が多い絵を探す。
これは、自分もその絵や絵師のファンであると見せかけ、本当の狙いを周りに悟らせないためである。
先達の利用できるものはどんどん利用していこう。
3. その絵をRTしているユーザを片っ端からフォローしていく。
PC版ツイッターだとRTしたユーザを全部表示しきれないので、スマホ版でやるといいだろう。
これは、絵をRTするユーザは自分の絵に対してもRTを行なう確率が多少なりとも存在するためである。
毎日コツコツとだ。
この段階では、フォロー数>フォロワー数になっても気にしない。
どんどんやれ。
ただし、ある程度フォロワー数を稼がないと5,000人までしかフォローできないので、制限に到達しそうならフォローバックしてくれないユーザをリムーブする。
「そのジャンルで」3,000フォロワー程度たまれば、自分の絵がRTされる確率も大きくあがる。
あるジャンルでためたフォロワーが3,000なら、そのジャンルに絵を投下した場合、500RTくらいは狙える。
大体6分の1くらいだ。これは私の過去の統計からだが、人によってはもっと狙えるだろう。
このくらいRTされると、FF外からのRTやいいねが散見されるようになる。
ここで「自分の絵をRTしてくれたFF外のユーザをフォロー」していく。
(ただし、ツイート数が0とか極端に少ないユーザはフォローしてはいけない)
大体自分の統計だと、10人に1人はフォローバックしてくれる。
実はこの「自分の絵をRTしてくれたFF外のユーザ」が最も重要である。
彼らを離さないように、彼らとコミュニケーションをとっていこう。
もちろん、人によってはもっと多いだろう。
当然、フォローありがとうございます、とツイートされたら君もお礼を返すんだ。一人一人にだ。
絵を投下する度にこれを行なっていくわけだが、この段階で「フォロー数>フォロワー数」になっている場合は、フォローバックしてくれないユーザをリムーブし、「フォロー数<フォロワー数」に調整する。
大体1ヶ月に1回はこの棚卸し作業を行い、「フォロー数<フォロワー数」を保つようにする。
(1ヶ月に1回でいい。遅れてフォローバックしてくれるユーザがいるからだ)
やはりフォロー数<フォロワー数の方が信頼感が得られるようで、これを保つ事によりフォローバックの確率が上がるようだ。
以上の行動を「ジャンル毎」に行なうわけだが、最初のうちはジャンルは絞った方がいいだろう。
あまり頻繁にジャンルを変えては、折角根付いたファンが去ってしまう恐れがあるためだ。
ただし、過剰に付けすぎてはいけない。多くても3つまで。
多く付けすぎると「ただの人気取り」とか「かまってちゃん」という印象を持たれる。
また、R18絵をアップする場合はタグを付けない方がいい。より多くの人の目にとまる反面、通報され凍結される確率が上がる。
というかエロ絵アップしたいなら今のtwitterではやめた方がいい。昔よりもすぐに凍結されるようになった。
基本的にはアクティブユーザが多い時間帯に投稿する。その時間は平日なら21時、休日なら22時と言われている。
しかしながら、通勤時間帯である朝7時〜9時、昼休みの12時〜13時の時間帯も見過ごせない。
もし昼に投稿するならば、12時きっかりではなく、12時40分〜13時をお勧めする。
それは、12時きっかりだと一般的な会社員は、定食屋に行ったりコンビニへ行ったりなど移動に使っており、インフルエンサーが見落とす可能性がある。12時40分くらいだと昼飯も食べ終え、わりとネットしながらダラダラしている時間帯であるためである。
また、24時以降もできれば避けたい。
メインターゲットとなる層が深夜アニメに集中し、ツイートを見逃す恐れがあるためだ。
自発RTは1回までにとどめる。理由は単純にウザいからだ。上記時間帯のここぞというときに行なうのが基本。
気持ちは判るが焦るな。
アフィが叩かれる理由と一緒だ。大半の連中は金儲けの宣伝されるのが嫌いなんだよ。
RTが1万以上いってる奴でも同人誌の宣伝ツイートは100RTとかザラだ。
だが気持ちは判る。RTされなくともせめてトップ固定にとどめておけ。見てる奴は見てるから。焦るな。
ソシャゲ系のタグをのぞくと、ソシャゲ内でやってるイベントに関連した絵が多く上がってると思う。
最初のうちはこれに乗っかるのもいいだろう。通常よりも多くRTやいいねされる傾向がある。
あと、twitterではキレイな絵よりもネタに走った絵の方がRTやいいねされる傾向が強いので、まずはネタ絵でRTを稼ぎ、フォロワーも稼ぐというやり方もよいだろう。
ここまで読んで絵の腕磨いた方が早いと思う者もいると思うが、それはそれで進めればいいだろう。
商売に喩えると、たとえ良い品を作っても置いておくだけでは買ってもらえない。セールスプロモーションとセットで考える必要がある。これはそのプロモーションの話だ。
絵を見てもらうということは想像以上に難しいのだよ。
自分は、村上春樹のファンである。長編は全部読んだ。中編、短編もほとんど読んだ。インタビュー集なんかも読んだ。
騎士団長殺しも発売日に買って読んだ。しかし、読み終わってみると嫌悪感しか残らなかった。そして、それは予感された嫌悪感だった。
一時期に比べ村上春樹の著作を読むことも減り、騎士団長殺しを買ってみたはいいが、正直今の自分の価値観に合わないんじゃないかという予感があった。
そんな不安に反して、読み始めると小説の世界観に没入する事ができた。なにしろ今までの集大成かのように、これでもかと、今までの著作に登場したモチーフが見られ物語の奥行きが感じられ、また文章の流麗さ、比喩表現の豊かさに改めて感心した。
しかし、物語の後半に入り、ファンタジーの世界で様々な問題が解決されてしまう所に、強烈な嫌悪感を感じた。それは今までの著作でもよくあった展開であったが、これまでは物語に没入したまま読み終える事が出来た。しかし、今回に関しては、ファンタジーの世界、あるいは高度なメタファーの世界で問題が解決する事に拒否感があり、もはや物語に没入することができなかった。
村上春樹的な世界観が描く未来はどんなものであるのか。村上春樹的な世界観の結論とはなんなんだろうか。そんな問いに対する具体的なメッセージを得ることができなかった事に落胆した。
一方で、そんな問いを村上春樹に求めること自体間違っているのかも知れないし、自分がメタファーを感じる能力が無くなり、具体的な答えを求め過ぎなのかも知れない。
抽象的に語られ、メタファーの世界で物語が終わることでこそ、読者個人の心の中で様々な物語となることができ、全世界的な共感を生んでいるのかも知れない。
他方で、今回だけでなく、今まで読んできた多数の村上春樹の著作を振り返った時に、これといった結論を得られていないと思った。村上春樹も度々言及する、キャッチャーインザライや、グレートギャツビー、カラマーゾフの兄弟などといった過去の名著は、どれを取っても全体を振り返った時にテーマとそれに対する結論が思い当たる。
しかし、村上春樹の著作では、一体なにが残るというのか。共感を呼びこそすれ、どこかに導くことは出来ないのではないか。そしてその意思も感じられないことは無責任なのではないか。そんな強い憤りを感じざるを得なかった。
晒されたらランクを抜けろという脅しについて
ご無沙汰しております。
神夢小説サイトを晒し同盟に晒されたことが原因で、神夢小説サイトが何件も閉鎖してしまったためどのような理由で個人サイトを攻撃するのかを調べようとヲチしている者です。肥溜を覗き続けるということがいかに体力を削るかよくわかりました。
常々考えていたことで、マナーサイト様にも時々書いてある「晒されたら他の管理人様の迷惑になるのでランキングを抜ける」という考えになるのかと疑問に思い、考えてみました。
まず、晒されたら結局、ゴミタメ掲示板で自作に文句付けられたりメルフォでIP抜こうとも思えば抜けるしプロバイダも丸見えなのに自分が匿名だと思ってメッセージを送ってくるバカが湧く以外に、どのような害があるのかということについて。
まず思い当たるのは、晒されると検索にひっかかりやすくなります。といってもメタタグを入れていれば誤差の範囲内だと思う程度のヒット率です(こちらも複数のダミーサイトで検証済みです)
勿論漫画名などを検索して最初の方に出てくるのはピクシブの検索画面で、晒された個人サイトがそう気にするほど引っ掛かっては来ない、というのが個人的な感覚です。
正直、このくらいしか思いつかなかったです。何であんなに晒されることに意味があるように性悪共は喜んで個人の趣味サイトに文句付けて優位に立ったつもりでいるんだろうという疑問が頭を占めてしまいます。
いくら考えても晒したゴミが悪いって他の管理人さんだってわかるなのに、被害者が悪いみたいになってるのかわからない。
晒されたサイトにも悪いところがあるってゴミ掲示板でよく言われてるけど、痴漢に遭ったときに女の人が「そんな恰好で電車に乗るのが悪い」って言われるのに似ている気がする。
正しくは行ったというより待ち合わせて来てもらった。
もうどうしようもなくムラムラする夜に、ネットで読んだレズ風俗に行く漫画を思い出して、レズの気分じゃなかったので、ふつうに「女 風俗」で検索した。レズ風俗の漫画、どうもありがとう。
ムラムラ解消するどころか、ムラムラ悪化しています。ほんとうにありがとうございます。
今回勇気を出して予約したのは、性感マッサージというジャンル?で、ホテルで待ち合わせて、部屋行って、軽くシャワーして、オイルマッサージしてもらって、またシャワーして、お会計して、駐車場まで行って、それぞれ帰る。
肉体的には50、精神的には80満たされた。100じゃないのは私自身の体の問題とか、恥ずかしさが上回って心を開ききれなかったりとかのせい。お金を払うから、何を言われても「はいはいリップサービス」とか思っちゃうひねくれた精神なので、そうじゃなくその場の雰囲気や自分に酔うことができる人間だったら100満足だっただろうなあ。
雰囲気に入り込めなかった原因にもうひとつ思い当たる。めちゃめちゃ顔がどタイプの方が来たこと。合流して、挨拶交わしながら、顔直視できない。もう、好き。顔だけでときめく自分に自己嫌悪するぐらい顔が好き。いや、ほんとは想定外ではなかった。似てる芸能人欄に、顔が好きな韓流アイドルの名前があったの知ってた。でもどうせ盛ってるでしょ変なおじさんが来るんでしょ…って思ってた。と こ ろ が ど っ こ い実際もテレビから取り出したらこんな感じだろう!問題ない!ってぐらいに似てる人来ちゃった〜〜施術中も「あ〜〜見上げた顔がまた似てるよ〜〜マッサージの気持ちよさに集中できない〜〜顔眺めてたいけど目が合うと照れる〜〜」状態。想像してほしい。堀北真希が好きなら堀北真希に少しだけ現実感足した感じのあー結婚して妊娠して雰囲気変わったんだ?でも全然堀北。って人が来る。高橋一生が好きなら思ったより背が低い?声は違うね?でも顔が全然高橋。って人が来るの。すごいよ。
え?じゃあ好きなアイドルにえっちなマッサージされて最高じゃん?って思うじゃん。自己肯定感の低い女なので、私なんかがそんなめっそうもない!!となってしまって興奮しきれなくて困った。相手はそのアイドル本人じゃなく、ただ似てるだけなのに。
軽くお互いシャワーを浴びて、利用のきっかけとか要望とか、性感帯とか性癖とかのえっちな話を顔がどタイプな人としながら普通のオイルマッサージをしてもらう。座り仕事で凝った肩と首らへん揉まれるの最高にきもちいい。だけど顔が好きすぎて集中できない。からのえっちなマッサージ(察して)。きもちいい気がするけど顔が好きすぎて(略)
オーガズムには至らなかった、なのでめちゃめちゃがんばってくれた。それがまた申し訳なかった。お金を払っていれば尽くされても受け入れられるかな、と思ってたけど関係なかった。むしろ金払うからtnk見せて触らせてって思った。言わなかった。
利用してよかったな、って思うことは、私は尽くしてもらうのが苦手なのかなと確認できたこと、お仕事として色んな女性の裸体を見てる人のお世辞はお世辞でもとても嬉しく、女性ホルモンがんがん出たこと。あとマッサージ普通にきもちよかった。
利用して困ったな、と思うこと。顔がど好みすぎてもうまた会いたい。困った。どハマりしそう。
今回は初回割引で90分6000円だったので、プラスホテル代でも1万ちょいで済んだ。けど次回からは90分12000円。プラスホテル代。90分じゃ短いと感じたので延長30分ごとに3000円…お値段の価値あるサービスだけど、ホストより安いけど、だからこそ気を抜いたら依存しそうなのこわい。あと、「そろそろ時間です」「お会計6000円です」の現実引き戻し感ハンパない。これ男性は射精して、賢者タイムで既に冷静になれるよね?女は醒めることがなくて、しかも顔がどタイプの男の人にめちゃめちゃ尽くされたら好きになるよね?女の依存ってほんと厄介だしストーカーとか普通にありそうで、(自分も予備軍の自覚あるし)たいへんなお仕事だなと思った。私と会う前にも1件仕事していて、私の後にももう1件あるんだーと言ってた。純粋にすげえ。がんばってください。
ちなみに、顔がめちゃめちゃ好きで直視できなかったんです、と最後の最後で伝えた。(韓流アイドルのことは失礼な気がして言わなかった)そうしたら、え!そんな風に思ってくれてたの嬉しいなあ。ってめちゃめちゃタイプな顔の人に言われた。じゃぁもっとこっち見て。目みて。ってめちゃめちゃ顔近づけられた。あーーーーー思い出しただけでtnkついてたら射精してるよ
この興奮をだれにも話せないのが辛くて書きました。ありがとうございました。
ムラムラしてる世の女性たちへ、風俗は男の人だけのものじゃなかったよ。ムラムラ悪化するかもしれないけど、それ以上に精神的に満たされます。ただ身の危険もあるのでお店選びは慎重に。
http://anond.hatelabo.jp/20170315234045
ものすごい数のブコメ、トラバをもらってびっくりしたけど、本当に有り難かった。
本当に本当にありがとう。
回答がうつ病一色だったのはちょっと驚いたけど、やっぱりそうなんだなぁとハラ落ちした部分もある。
先日、非定型うつの典型症状について見ていて、ほぼ全て当てはまっていることは認識してたからね。
(ちなみに、涙が出たりはしていない)
でも、なんていうか、友達と遊んだり趣味のことはできていたから、絶対違うだろうというか、信じたくない気持ちがあったんだと思う。情緒はかなり安定してるしね。
でもトラバで、
「「今日は趣味のコンサートに行けてストレス解消になった。明日仕事行きたくないなあ」→鬱かもしれないし、そうじゃないかも
「趣味のコンサート行けばきっと楽しくて元気が出てくるに違いない。だからがんばって見に行かなきゃ」→典型的な鬱」
って書いてくれてたのを見て、本当にそうだなあと思ったよ。なんとか人生を楽しくすれば、生き続けられるんじゃないかとずっと思ってた。
友達と会えば、一時的にも気分が良くなるし、テンションも上がるしね。
同じような人はけっこういるんじゃないかと思う。
「情緒も安定しているのに起きられないって、心や気持ちをすっかりと無視する習慣ができあがったのかな。」
って書いてくれたブコメには、家庭環境とか他のことでも思い当たることが多すぎてハッとさせられた。
昔から、本当に辛そうな状況でも全然表情とかテンションが変わらないって言われてたんだ。
あと、年収とか勤務先について書いて、不愉快な思いをさせてしまった人、ごめんなさい。
自分がどんな人間か書こうと思った時に、書けることがそれしかなかったんだと思う。
指摘してくれた人もいたけど、私には他に誇れることも自分で成し遂げたと思うものが他に何もなくて、肩書きとか仕事が本当に心のよりどころになっていたんだと思う。
いろいろな事をやってきたつもりだったけど、結局それしかなかったんだって。
あと、総合職と書いたのは私の性別が女だから。たしかに、男性ならあまり意識しない言葉だよね。
仕事といえば数年前に役付き(事業責任者)になってね。年の半分くらいが異常に忙しくなってしまって、次の繁忙期は乗り越えられないかもしれないとは思ってた。
それに、もうかなり長いこと私と同じ業務ができる人(同じ資格がある人)がセクション内にいない状態だった。そのことも地味に、ずっと負担だった。
また来月から私がしなければならない仕事があって、それだけはやりたいなと思ってるけど、どうなるのかな。
それから保険加入を勧めてくれた方、ありがとう。医療保険しか加入してなかったから、初診の前に生命保険に入っておこうと思う。
あと、うつ以外の可能性も考えてくれた方もありがとう。子供の頃に甲状腺の異常は指摘されていたことを思い出した。最近も頻繁にリンパを腫らしていたから、その線でも受診したいと思う。
嫌な思いをさせてしまった人もいたかもしれないけど、たくさんの人が親身になってくれて、心配してくれて本当に有り難かった。
ブログに記事まで書いてくれた人、ありがとう。連絡できるかは分からないけど心に沁みたよ。
似たような状況の人もいるみたいで、参考にしてもらえたらいいなと思う。
年齢は27歳(A)、26歳(自分)、25歳x2人(B, C)の男4人でヨーロッパ旅行に行った。
自分とAが中心になって、半年前からホテルや飛行機の手配をした。
しかし、初日の晩御飯から既に色々あって、全く旅行を楽しめなかった。
私は、その土地のレストランやバールなど、現地のものが食べられたり現地人と交流できる場所に行きたかった。
一方、A, B, Cは、スーパーで買い物をしたほうが安いので自炊をすべきとの意見だった。
金額を安く抑えるためにドミトリー的なところに泊まったため、たしかに調理器具は一通り揃っていた。
でも、「ヨーロッパ5泊7日、ホテル+航空機+鉄道」を9万円以下に抑えたのに、どこまで節約する気なんだろうか。
せめて一日くらい外食の日があっても良かったのではと思ったり。
結局すべて自炊になった。
AとBが買い出し・調理をやってくれた。が、頼むべきではなかったと後悔した。
やけに大量に買い込む。
そんだけあれば普通にどっか食べに行けた気がする。
絶対に食べきれないほどの量や、食いたくないようなゲテモノを買ってきて、私やCに食べさせようとしてくる。
何故か全ての食品が開封され、半分近くが捨てることになった。
油が壁に飛び跳ねまくっているのに気にしない。
調理器具を本来の用途と違う、器具が傷むような使い方を平気でする。
自分は最初に就寝したので、ダイニングを離れる際に自分の食器と、流しにおいてあったフライパン等だけ洗って先に寝た。
私が洗うように促すと「お金払ってるから清掃の人がやってくれるよ」と言われた。
結局、そのまま放置することは私の心がいたんだので、食器は私が洗った。
ついでにコンロ周りの油ハネとかも拭いた。
その間ずっと彼らはテレビを見ていた。
調理器具を一部破損させてしまったことが発覚し、チェックアウト時に修理費用を支払うことになった。
友人たちは「ホテル側がいちゃもんつけてぼったくってるだけでは」と最後まで納得していなかった。
それならスタッフにそう言えばいいのに、指摘するだけの英語力を持っていないA, B, Cは何も言わない。
最後に「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」をスタッフに伝えた。
私も英語はほとんど話せないが "Sorry for our trouble" と言ったら何となく伝わったようだった。
A, B, Cは特に何も言わなかった。
彼らは先に進むのが早い。観光地でも。
特にAは待たずに先に行く。本人曰く「そこに行ったという『実績解除』が重要」らしい。
BとCは観光に飽きても一応私を待ってくれていた。
待ってくれてはいたが、そもそもどこに観光に行くかは一緒に決めたはずなのだけど。
結局後輩に気を使わせないように、見学もそこそこに先に進むことになってしまった。
晩御飯関係が特に印象に残ったが、他にも色々あって、あげだしたらキリがない。
書き出してみると、Aが特にひどい。
Aが今も実家で暮らしていることが関係しているかもしれない、と思った。
偏見かもしれないが。
まとめると、
非常識な行動(だと私が感じる行動)を取っている人たちと一緒に行動しなくてはならないことが辛かった。
なんだか、すごく損をした気分になった。
一方で、世間一般では彼らの行動は常識の範囲内なのかもしれない。
私が自分の価値観を彼らに押し付けて、思い通りに行かないからイライラしていただけなのかも知れない。
そんな自己嫌悪のような事を帰りの機内で延々と繰り返した。
全く気が付かなかった。
例えば、Aとご飯を食べに出かけると、メニューを見る前にオーダーボタンを押して店員を呼ぶ癖がAにはある。
A曰く「呼べば決まるっしょ!(呼んだら店員が来るまでに否が応でも決めざるを得なくなるからすぐ決まるっしょ)」とのこと。
あと「おみやげコーナーで待たされるのと観光地で待たせるので等価交換」というコメントをみて気がついたこと。
お互いに待たせる・待ってもらう関係なら等価交換になるんだけど、向こうは一方的に人を待たせるくせに待ってくれない。
同じようなことは色々あって、結局、
(こっちは向こうの価値観にあわせて譲歩してあげてるのに、向こうはこっちの価値観にあわせて譲歩してくれない)
という考えが根底にあって「損をしている」と感じているのかもしれない。
伸びてて驚いた。
後出しになるけれど、この友人は全員数年来の付き合いで、国内旅行やBBQなども一緒にやったことがある。が、これまでは余り問題になることはなかったので、
ブコメにもあったけれど「旅の恥はかき捨て方式で、気が大きくなったんかなぁ。」なのかなと自分も思っている。
特に海外で、周りの眼が気にならない環境なので。いや、本当は気にしてほしいのだが。
あと、本当に文字通り24時間一緒にいたので、色々な気になることが蓄積したというのもあると思っている。
BBQは24時間一緒にいるわけではない。国内旅行だって、一人になりたいなぁと思って旅館の外適当に散歩したり、新幹線や飛行機では寝ることだって出来る。
「別々に行動すればよかったのでは」の意見、そのとおりだと思います。
一方で、彼らの旅行は、(これもブコメの引用ですが)「観光」ではなく「親睦」が目的だったので、
その辺もちゃんとすりあわせて置くべきでした。
自分の許容範囲が狭すぎることが原因な気もしたので、安易に一人旅に逃げるのはどうかと思っていたが、そうでもないみたいで安心した。
ちなみに、過去に別の友人と行った海外旅行では、とてもすごく楽しく過ごせた。
その時は友人と価値観が同じだったので、すり合わせのコストを割く必要がなかったのだと思う。「超えちゃいけないライン」みたいな共通認識があった。
(もしかしたら自分がそう思っているだけで、友人側が大きく譲歩してくれていたのかもしれない)
あと、海外(特に室内でも靴を履く文化圏)では、人前で靴をぬぐことは「臭い足を晒す」という意味で超絶失礼に当たるらしいです。知りませんでした。
すでに何人かの方が推測しているが、A, B, C, 及び私は全員大学時代の元バイト仲間。
ABCも含めこのバイトのメンバーは非常に仲が良くて、半年に1回くらいイベント(旅行、BBQ、花火、とか)を企画して集まってた。今回もその一環で、初・海外旅行だった。流石に社会人になって参加率は下がったが。
A, B, C, 私は、全員違う高校・大学に通っていた。就職先も違う。
そういった文化圏・コミュニティの差が現れているのかもしれない。
もしこの不和が、価値観の違いによるものだとしたら、一方的に指摘するのは押し付けでしかないのではと思い遠慮していたが、一般常識的にAらの言動はヤバイということが確認できた。
今回のことでかなり失望したものの、そうは言っても友人は友人なので、今後は目についた点はきちんと指摘したいと思う。
それでも治る気配がない、自分が浪費するだけ、と思ったら、または指摘が原因で仲違いするようなら、それまでの関係だったと思って距離を置こうと思う。
奥さんが病んで結局離婚した、という人の話を先日ちょっと聞く機会があった。
奥さんは自宅にいると霊的なものが見えて、ひどく怖がるんだそう。行動もおかしい。
奥さんの実家は遠方だったが、実家に帰るとそういった症状はまったく出ない。
しばらく実家で療養していたが、結局離婚することになったとか。
奥さんは専業主婦でずっと自宅にいる人だったそう。
「奥さんに辛い、怖いって言われても分からない、1日中家にいて何が辛いんだよって」
「辛いって言うなら外で仕事してる自分のほうがずっと辛いよ、と思った」
「人のことなんて、結局わかんないんだよね」
「繊細で真面目で、勝手に傷ついて思い込んで自爆しちゃうとかさ」
http://anond.hatelabo.jp/20170211181942
筆者がある種の膠着状態と仮定した上で、ものすごく記述が乱暴だけど今の私の対処法を書く。
幼少期から人付き合い苦手。そもそも人に興味がない。でも食っていけないので社会人でやっていける程度に人付き合いを学習してきた。アスペ、ADHDは思い当たることはあるが真性とまではいかない。現在はアラフォーエンジニア。年齢の割にソロプレイが許されている。この数年間この膠着状態に陥っていた。
「サイコパスの対となる状態が、『パニック障害または鬱』(これを「膠着状態」とする)」
着想の元はこちら
橘玲の「言ってはいけない」と雰囲気がかぶるところがあるが、中野のほうが科学っぽい。
今手元に上記の本がないので正確な記述はできないが、こう仮定する。
膠着状態に陥っているなら、自分の思考をサイコパス側に振ればいい。具体的はこんなかんじ。
サイコパス状態が本来の私なんじゃないか?と考えると落ち着きを取り戻し、静かながら興奮に満ち溢れた状態になる。結果的に膠着状態は脱している。
本当にサイコパスになったらどのような社会的不都合が生じるか?と冷静に考えるが、実際に真のサイコパスになるわけではない。マイナスを0に持ってきただけだ。
もともとサイコパスに近かったのかどうかわからないが、そうだとしてもではなぜ膠着状態になったのか?妄想さらに全開だが、おそらく、社会性の習得において、「Aという状態はBさんがCという感情を抱く。この結果Dという状態を招く」ということを人生を通して連綿と学習してきた結果なのではないかと思う。感情のふるまいまで理性で学習した結果、理性がデッドロックした。
今、ADHDの人と残業反対派で、話が噛み合っていないことが問題になっている。まだやってんのかと思うころかもしれない。手斧とスター手裏剣の投げ合いを見ていると疲れてそこから離れたくなるよな。
だがもう少し聞いてほしい。続く過労死や運輸業界の疲弊を経て、今ようやく「さすがに労働環境について検討し直さないとまずい」という認識が広まってきたところだ。すぐには解決するわけがないので焦らず妥協案を探る話し合いをゆっくりとでも続けてほしい。
今回主語が大きくてすまない。二者択一ではないということは承知している。
ただ、本来「労働者 対 会社」という枠組みで協力し合っていいはずの労働者同士が、現在「弱者 対 強者」もう少し正確には「ADHDに多様な働き方を派 対 それでも残業ダメ派」が争点となっている。どうしてこうなった?
と、せっかくの話題が膠着してしまったことが悲しかったので、一連の流れを見返してみたら原因が分かった。
と考える。他方、
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とADHD側に主眼を置いたコメントにも多くのスターがついており、「交渉決裂」の様相を呈している。が、そうではない。単にハテブが100文字しか記入できないからお互い齟齬が発生しているだけなのだ。ここで諦めずに折衷案を探していけば、仕事ができる人もできない人も今よりずっと働きやすい環境になるので、長くなるが聞いてほしい。
一連のトピックを追う。昨年10月頭の長谷川秀夫教授「残業100時間超で過労死は情けない」等の話題を通過した後、このあたりから始まる。
という内容だ。同時に
とも書いており、お?分かってる人か?と一瞬思わせるが、この人はその少し前に、
問題は105時間という残業量それ自体にあるわけではないのです。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、素晴らしい人に囲まれているような環境であれば、残業を何十時間しても苦にはなりません。http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552
という言葉を残している。ワタミ等多くの例があるが、このような人は「自分ができることは人にもできる(できない奴は無能)」と考える傾向がある。疲弊している人や弱者に寄り添う方針とは相容れないように思う。そこでブコメ欄は次のようなものとなる。
これらは先のブコメを追認しており、残業反対派の言いたいことをうまくまとめてくれている。
そして先日、上記を引きとる形で次のエントリが書かれた。
まず「無能はやめろという方向のブックマークコメント」はごく少数でしかない。先の2エントリ計、約750コメントの内7つ前後(判断が難しいコメントがあるので)。獲得★スター合計、TOP10の1,800個に対し10個前後。
同様に先の2エントリ中にこの方向のブコメは同750中24前後。獲得★スター合計、TOP10 同じく計1,800個に対し16個前後。
ここで『残業禁止は強者のルール』という重要な言葉が出たわけだけど、上に書いたように「無能は辞めろ」「効率上げろ」といった個々人の弱さを責めるコメントはごくわずかだった。
(「残業をしないということは弱者はクビにされる。つまり無能はやめろと言っているのと同義ではないか」という方向からの意見かもしれない。しかし私はこの前提が正しくないと考えている。理由は最下部に書く)
とあるように、このエントリには自身の別記事のやり取りでの経験が尾を引いているようだ。(あの記事かな?と思うものはあったが特定できなかった)
であれば当該記事との関連をもう少し明確にしないと、やはり「何の話をしている?」となりついて行きにくい。
- 根本的なとこ勘違いしてるが、時間内に作業が終わらないのは作業者の問題でなくマネージメントの問題。
- 「すごい人」と「すごくない人」両方いても回る会社・社会を作るのが管理職・強者の役目。そのルールを作る。なのにあなたは「それは弱者の自己責任で負うべき」とわざわざ自身を鎖で縛り強者に逃げ口上を与えてる。
- 個人的には、働きたい人は長時間労働できる自由があっても然るべきだと思うけど、その権利は『生産性の高い人』だけに与えられるべきで、無能な人には家に帰ってゴロゴロして貰ったほうが良いと思う。(筆者注:この発言は良くない。ただこれは、このエントリ自身が発した「効率」「無能」等の言葉を受けて、そんなに卑下すんなよ、できない人は無理しなくていいんだよ。休め。というツンデレ発言のようにも思う。または「できる奴だけ勝手にやれよ、私は帰って寝るぞ」かな。)
これらのコメントを受けて
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とのコメントが付く。これは大事な一文なので、続くエントリのあとで合わせて追記する。
先に記載された通り「労働ダンピングは許せない」は一連の流れにおいて主内容ではない。ダンピングに言及したコメントは先の2エントリ計12個前後/約750コメント。獲得★スター合計、50個前後/TOP10計1,800個。
「噛み合っていないんですよ」と言うのであれば、まず自身が噛み合わせてから話し始める必要がある。
「"仕事が遅いからといって労働ダンピングは許せない"というコメントに対する反論」とするならば正しい。だが、その一部分を主題とせず「一律の残業禁止は是か否か」という大元の流れを自身で呼び寄せたにも関わらず「(全体の話は置いておいて)私は今回ADHDの特性をより詳細にお伝えすることで"労働ダンピングは許せない"という人への反論とします」という内容でしかないのであれば、そちらがズレている。
はてなで”普通”の人を守るためならマイノリティは黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ。という多数意見を見るとは思わなかったね。
「残業禁止は強者のルール」でのブコメ。発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
「マイノリティーにも多様な働き方を」という主張は正しい。だがここで使うのはズレている。システムとしての安全策を構築するのではなく"弱者の自己努力でなんとかしよう(時間はあげるから)"と言っているようなものなのだから。
ADHD側の話題が徐々にずれてきているから「主題は残業に例外を認めるか否かだよな?答えは、ADHDでも例外は認めない。個人に責任を負わせてはいけないから」と主題への返答をしたのに「私は全体のことについて話しているのではない。私自身のことに目を向けてほしいのだ」「マイノリティーを黙殺するのか」という方向にもっていっている。
全体の流れを追って話をしている人たちからすると、いきなりポンと話を支流へ飛ばされてしまうと面食らうんです。えっと…今急にその話題に飛ぶの?その話も確かに大切だけど、主題をもう少し詰めてからでないとややこしくなるよ、と考える。
なぜ話が飛んだんだろうか?カドカワさんに「めっちゃいっぱいPV集めたら書籍化」って言われたから無理やり話題を引き入れたのかな?と一瞬勘繰ったが、いや違う、思い出した。
ADHDの人って「途中から話に割って入ってしまう。今言わないと忘れるから」という傾向があることを。ああそうか、と自分の中では納得がいって、別に喧嘩するほどのことじゃないなと安心できたんですが、どうでしょうか。
そうでなくても、いちいち全体の流れなんか把握してらんないのでちょっとずれたこと書いてしまうということは誰しも思い当たるふしがあると思う。だから「自分の話も聞いてほしい」と思ったり、話がポンと飛んでしまったりすることがあるのは仕方がないけど、同時に、いきなり話題が飛んだことについていけない人がいるのもまた仕方のないことであり、そのことをもって「心無い人たちだ」と思うのは間違い。
このポンと飛んだ話から「言いたいことは発達障害者の切実な状況についてである」を第一に考えられた人はえらい。一方で、他の人がそのことを本当に理解できていなかったかというとそれもまた違うと思う。
話がずれているな、と感じるとき人がすることは二手に分かれる。話題を元に戻すか、一旦主題は置いておいて副題へ移るかだ。しかしこの時点では主題が煮詰まっているとは言い難く、このタイミングで副題へ移ってしまうのは主題が疎かになる可能性があった。こうした理由とハテブの100字制限もあり、「ADHDの置かれた立場という副検討課題」よりも主題に対してのコメントが多くなってしまったのだと思う。
残業禁止は個人の仕事の進め方の話をしてるんじゃなくて、「赤信号は止まりましょう」位のルールの話で。赤信号で止まるのは視覚障害者に厳しいから止まらなくても良いことにしてくれという事にはならないだろう。
そう。視覚障碍者への対応を考えなければいけないのは明らかだが、まずは主題「赤信号は止まる必要がある」という原則を皆が共有する必要がある。しかし「全員が止まるなんて無理」という意見が出ているので「いや、やはり赤信号では全員が止まらなければいけない。なぜなら」という話を進めていく必要がある。
ADHD側が阻害されたと思うのと同様に、根幹の話し合いを疎かにすると以前から話を進めていた残業反対派も進行を阻害されたと感じてしまう。
このエントリでせっかく素晴らしい知見が得られているのに
と、内容に直接触れたものではないコメントが最多の支持を得ることになってしまった。この反応は、率直に言うと「"過労死を防ぐ"という核心部分のために残業規制を話し合っていたのにADHDの人に全部持っていかれてしまった……」という"悔しさ"みたいなものかもしれない。そして「ADHDの人にも関係あること話してるのに黙殺だって言わないでよ」と。なぜなら、その残業問題の主題にはADHDや仕事ができない人も当然内包されているから。どういう意味だろうか?
つまり、こう。
「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ。
夢のある予想だが、しょせん理想に過ぎないだろうか?
ここで一度話を切ります。次の増田では、上記理想論を含め当初から出ている多くの疑問点について一つ一つ答えてみる形で進めます。続けて読んでもらえたらうれしいです。→http://anond.hatelabo.jp/20170310204122
もうひとつ。
一番最後のエントリは1000ブクマを超えている。ハテナ民がブクマをする理由はこうだ。「うわー長文だしなんか難しそうだな…でも"知らないままで置いておくわけにはいかない"。ポチっとな(後で読む)」。そう、後で読まない。ともかく、皆発達障害の人を見ないことにしてれば良いなんて考えてないんだよ。知っておかなければいけないと分かってるんだよ。
残業規制問題の盛り上がりはまだ始まったばかりで、発達障害、その他沢山の課題を順次考える必要がある。そのときはADHDについて日々書いてくれている人たちが強力な助っ人になるので、どうか焦らず、でも止まらず書き続けてほしい。
去年の終わり頃、初めて恋人ができた。
一応OKは貰ったつもりだった。
年明けてしばらくしたあたりに初めて不満をこぼされた。
不満については確かにその通りで、謝罪し、今後気をつけるようにしていた。
他にも思い当たる点がないか考え、時々軽く連絡はいれるようにしていたが、それも無視。
気持ちを押し付けるのは良くないと思ってはいたが、日にちが経過するにつれて、いくら非があっても流石に酷いと思い不満があるなら言ってほしいと連絡した。
返って来なかったら最後にするつもりだったが、返事は返ってきた。
不満というより付き合ってると思っていなかったそう。
翌日気分転換に遊びに行ったときに偶然出くわしたものの会話はしなかった。
相手には連れがいた。
友人に励まされ、早く切り替わらなきゃと頭では考えてても1人でいる時に考えてしまう。
早く笑って話せる日が来ますように。
ガンかも知れないって言われてめちゃくちゃ検査した。今結果待ち。
不安で仕方がない瞬間と、別にどうでもいいやって時間とが入れ代わり立ち代わり。
若くもないのに不摂生だし思い当たる事が多すぎて自業自得なんだ。
ガンだったら治療費とか払えないからもう死に至るまでの日々を楽しく過ごしたい。
心残りはこの世界に何も貢献できなかった。子も作れる身体じゃなかった。
仮に産めたとしてもきっと私は虐待していただろう。
子の育て方が分からない。
喪服の死神を覚えているだろうか?彼の意見陳述は私の身の上を代弁しているような内容だった。
どれだけテストで頑張っても褒めてもらえない。
怪我や病気をするとこっ酷く怒られた。
大の親友が引っ越しする時、最後のお泊まり会で宿泊の許可が貰えなかった。
そんな育てられ方をした私に子を育てられる筈もない。
もしガンになったと言えばまた怒られるのだろう。
団塊の世代の年老いた両親が、いい歳をした娘を叱りつけるんだろう。
でも気にしない。両親に一番の恩返しができるかもしれない千載一遇の好機だ。
両親より先に死んでしまいたい。
最大の親孝行で最高の復讐になる。だから夢も希望もないことはない。
死ぬまでは精一杯生きるしね。ガンじゃなくてもね。
そんなこと当たり前である。十代でも極悪人はいるかもしれないが、いるにしても稀であるし、子供の犯罪なんて、今のところ、たかが知れている。身体に爆弾を巻きつけてゲームセンターやコンビニで自爆して、何十人も殺した例は日本では、皆無である。
子供の「問題的行動」は、結局のところ、学校という集団学習環境で、著しく学習の妨害をする場合に限るのである。
授業に無関心であろうと、寝ていようと、構わない。他の子供の学習を邪魔をしないのであれば、なんとか見過ごすこともできる。しかし、他の子供の学習妨害をすれば、大問題である。邪魔の仕方は、有形力の行使が多い。他の子供の怪我に直結する。
この程度の「悪人」は、全国津々浦々の小中学校には、ありあまるほどいる。さすがに高校や大学では、あまり聞かない。
「義務教育(原則、退学・放校がない)の甘えがあるのか、玉石混交の悪い面が出たのか、それはわからぬが、このようなガキどもには、鉄槌を食らわす必要がある」と話す威勢のいい人は、現場を知らないだけで、実際は、このような子供が、学校では、異常に大切にされている。
学校は不思議な施設で、白黒を、はっきりさせない。問題行動を取る子供を、崇め奉る。「悪ガキ」を排斥しない。むしろ、おとなしくまじめな「よい子」を、排斥する傾向がある。
以上のことは、現場教員なら、思い当たるだろう。なかなかにハリポタな世界ではある。
一時期、手のかかった子供ほど可愛い、と言うのが流行った。さすがに今はない。
数少ない「問題の子供」に、手がかかってしまうと、他の大部分の子供に迷惑がかかる。であるのに、その張本人を可愛いなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。
会社作って1年未満で会社を畳むわけだが、多分これが失敗の理由だろうなということが幾つか思い当たる。
ので、それを書いていこうと思う。
これが最も大きい。安定した収入がないのに会社を作ってはいけない。
ベンチャーキャピタルから投資うけるとか、余裕資金が数千万円あるとかじゃないと無理。
会社つくるくらいだから「こういうことやりたい」っていうのがあったわけよ。
サービスつくってそれを広めていって…っていうね。
ベンチャーキャピタルに投資してもらうってのも難しいしね。
結局ベンチャー立ち上げて受託の仕事受けて凌ぐってのもよくわかる。
これも大事。口ばっかりだして金出さない、自分は動かないという人は世の中にたくさんいる。
私の場合はこういう金と実力、コネを持っている人に出会えなかった・可愛がってもらえなかったというのも大きい。
そういう人がいれば相談もできるし、ギリギリのところで助けてももらえやすい。
が大事ということだね。