はてなキーワード: 姉弟とは
哀しく惨めな話だが、年齢の近い女で自分の相手をしてくれるのは姉しかいなかったんや
それこそ負の性欲全開で俺を軽蔑してくるが、家族故の温情や連帯を感じる瞬間はあった
その一遍の煌めきが、世界のどこかには姉弟で家族と男女の絆を同時に育んでいる、何よりも強い繋がりを持っている神に近しい存在があるに違いないという信仰を俺にもたらしたんや
最近はあらかたの姉弟相姦系の創作物が自分の中で飽和してしまったから
理想の姉像を集約したお姉ちゃんを作り出し、その弟を新たな命を与えられた自分としたオリジナルの同人誌を作り出している
しかしその願いも渇望も報われることはない、渇きが満たされることはないだろうという確信は常に心のどこかにあって、その焦燥感はかなりの苦しみや
だけど俺は姉弟に愛を見出し続ける生き方しか手に入れられなかったんや。故に今日も姉弟モノに祈りを捧げながらしこってる。きっと明日も。
深夜テンションのポエムだ。メンヘラの戯言だ。つまらん。自分語りに終始して客観性の欠片もない。まとまりも何も無い。吐きたいだけだ。書いていいか?ありがとう。
恐らく、そんなに不幸ではない。
関東の外れの地方都市で育った。自分、妹、弟の三姉弟。上二人と弟の父は違う。
母はパチカスでアル中だった。高校の三者面談の後、ちょっと買い物に行くから待ってて〜のテンションで駅前のカフェに娘を放置して4時間パチ屋に居る人間だ。まあ頭がおかしい。
父は技術職で、雑誌に載っただのコンテストに出ただの聞いた覚えがあるので結構腕は良かったんだと思う。機嫌が悪いと殴るし、会話はほぼ無かったが、少なくともパチカスアル中よりはマトモだ。
父母が離婚する事も、母が再婚して父が変わることも、新しくできた子と折り合いが悪くなることも、よくある話だ。こういう場合、養父とは仲が悪いのがテンプレだろうが、…いや仲は良いとは言えないが、極悪でもない。少なくとも憎んではないない。厳しいが筋の通った人で、尊敬している。好かれてはいないだろうが、キチンと高校を出るまで面倒見てくれた。ありがたい。
実父の事は顔も知らない。声も年齢も知らない、名前は忘れた。母は実父に大層惚れていて、よく2人きりになると実父とのエピソードを話した。酔った母に付き合わされ、夜中の2時だか3時まで何度も聞いた実父との惚気話を聞かされるのはキツかった。勿論内容は覚えていない。
母と自分と妹を捨てた実父をどうしてそこまで褒めそやし、今養ってくれている養父をどうしてそこまで貶すのか分からなかった。
父は仕事で、母はパチで、平日の二階建て3LDKにはほぼ子供しかいなかった。
保護者がいない空間で末子は大いに調子に乗り、殴られたり蹴られたり包丁で刺されかけたりフライパンで殴られたりライターで髪を焦がされたりマ○コや胸にイタズラされたりしたが、5つも離れている子供に何をされても少しでもやり返せば叱責は年長者が受ける。なんでや。納得できないが、大抵は黙ってやられていた。
自分は多少勉強ができた(本当に多少。商業クラスで得意教科なら上から3番目には入る、不得意教科は下から数える、くらいのささやかさだ)
末子はひらがなの書き取りで躓き、2桁の足し算で躓き、勉強というものを憎んでいた。
母の「勉強出来るんだから少しくらい教えてあげなよ」の一声で家庭教師の真似事をしたが、下に見ている女に教わるのが屈辱だったんだろう、母が見えないところで殴られるので数日で辞めた。
極力関わりたくなかった。
サッカー部に入りそこそこ鍛えていた末子と、中高6年文化部で育ち運動神経の欠片も無い自分。力では到底勝ち得ない。
性的いたずらは回数を増していた。
事務は向いていたし職場の風通しは良くとてもいい会社だった。が、家に帰れば性的いたずらに怯え家事に追われる日々。普通にメンタルをやられ、出社できなくなる。半年もしない内に辞めてしまった。会社と高校には本当に申し訳ないと思っている。
会社を辞めてから紆余曲折あり家を出た。このまま家に居たら死ぬと思った。
家を出る前、母に性的いたずらがあったことを打ち明けたが何だかんだ言って弟を庇っていた。
父には言ってないが、口の軽い母なので多分漏れているだろう。どうでもいい。
一人暮らしを始め2年は順調だった。派遣だが事務職で採用され、それなりに仕事をして、恋人もできた。
だが、コロナが流行りその不安から精神的不調に陥って就業できなくなった。もう一年近く無職だ。恋人とは疎遠になってきた。母は頻りに実家に帰れと言うが、多分帰れば昔以上の暴力といたずらでは済まない性的接触が待っている。無理だろ。帰らないならなんの支援もしない、縁を切るらしい。命が貞操か選ばされるならデリヘルででも働いた方がマシだと思う。
一時間で書ききれる人生で笑ってしまった。上記の通り、多分結構限界だ。来月には貯金も尽きるし、生活保護は通らなかったし、メンクリに通う気力も無い。
近いうちに、実家を出た時と同じように、逃げるように死ぬだろう。ダサいけど、この窮地から抜けたところでまた今以上の窮地がくればおしまいだ。来ても対処しきれない。鬱になって動けなくなって死にたいと思い続けるくらいなら、死ねる内に死にたい。死にたくないが、多分死んじゃった方がマシなのだ。
こういう人間が居たってだけだ。長々と申し訳ない。読んでくれた人がいるなら、ありがとう。
妹よ、幸せになってくれ。
自分には所謂お金持ちの友人がいて、彼は自分専用のデスクトップを3台所有していた。
彼は自分を自宅に招き、そのPCであらゆるゲームを紹介してくれた。
ぱどタウンから始まり(これはゲームではなかったが)、ハンゲーム、メイプルストーリー、天上碑(だったと思う)、REDSTONE、DJMAXなどなど。
その中でも彼はメイプルストーリーにハマっており、ジャブジャブ課金をしていた。
彼はどのゲームにおいてもゲーム内フレンドを作るのが怖いらしく、そこで「現実の友人をゲーム内に連れてきてフレンド登録しよう」と考えたそうで、それで選ばれたのが自分らしかった。
自分は家にPCどころかインターネット回線もなく、フレンドというにはかなり心許ない気もしたのだが、彼は自分を毎日自宅に招くことで解決を図った。
実際ゲームはどれも面白く、かなり不健康な光景ではあったが、「友人宅で毎日PCに張り付き隣に座る友人とゲーム内チャットで会話をする」ということをかなり楽しく感じていた。
しかし、彼の一番熱の入っていたメイプルストーリーを進めるうちに、課金しまくっている彼とのレベル差や装備差がかなりある事が気になってしまった。
そこで自分は祖父にねだってノートPCとインターネット回線を用意してもらい、彼とは違うサーバーで新しくメイプルストーリーを始めた。
彼に言われるがままにスキルを上げ、モンスターを狩る生活から、なにもかも手探りで文字通り冒険する生活へとシフトチェンジしたのだ。
正直言って、彼と一緒にゲームをするよりもはるかに楽しかった。
自分はゲーム内で知らない誰かに声をかけてフレンドになることを特段苦痛に思わなかったので、積極的に声をかけてはフレンドを増やし、さまざまな狩場でさまざまなメンバーと一緒に遊んだ。
その中のどこかのタイミングで、自分は柊シミヒロ(仮名)というプレイヤーに出会った。
その隣には柊シミコ(仮名)というプレイヤーがいつもいて、2人はどうも姉弟らしかった。
そしていつしかその柊姉弟と、あとアスタリック(仮名)というプレイヤーと自分の4人だけで、メイプルストーリーは完結するようになっていた。
細かいことはもう忘れたが、毎日他愛無い話をしながら狩場を巡り、ジョブチェンジする時もみんなでバランス良くなるよう話し合いをしながら慎重に決定した気がする。
柊姉は受験が終わり無事志望した大学に合格したことや、一人暮らしが始まることを、とても丁寧な細い字で記していた。
一方自分が何を書いたかは覚えていない。ただ、大学入学を目前にした彼女にとっては、小学生の書く手紙などとてもつまらなく稚拙な内容だったに違いない。
そのうち自分は別のゲームに移ってしまい、メイプルストーリーにはログインしなくなってしまった。それでも柊姉との文通は続いた。
きっと大学が忙しいんだろう、と思いそれ以上もう踏み込むことはなかった。
それから数年が過ぎ、自分はMMORPGを完全に引退し、いつかの柊姉と同じように、志望する大学に合格した。
その時ふと彼女や弟のことを思い出し、自分はそのハンドルネームで検索をしてみた。
当時のハンドルネームをいつまでも使うとは思ってもいなかったので、なんの情報も出てこないことに特別落胆はしなかった。
けれどあれほどにまで熱中した日々がどこにも残っていない事にはすこし寂しさを感じて、検索結果をどこまでも潜っていった。
記事は数年前に更新が止まっていたが、そこには家族が亡くなったことと、姉が精神的に参ってしまったことが書かれていた。
そして多分その記事が投稿されたタイミングと、柊姉との文通の止まったタイミングも合っていた。
それ以上のアクションは何も起こしていない。
彼の捨てたブログにコメントをするつもりは一切なかったし、彼女が自分に伝えた住所に再び手紙を送るつもりもなかった。
名前を変え、インターネットから消えていった姉弟に縋り付くつもりもない。
けれど心のどこかでは、「20年近く前に遊んだ小学生が今もあなたたちのことを覚えていて、再び何かのきっかけで出会えて話ができたら嬉しいと思っている」ということを伝えたいと思っている。
そして姉弟が過去にあったさまざまなことを乗り越えて、今元気でいてくれたら、もっと嬉しいと思っていることも伝えたいと思っている。
(追記)
お金持ちの友人は中学受験に合格し、丁度柊姉と文通を始めたくらいのタイミングで地元を離れていった。
何度か年賀状の交換はしたがあまり楽しそうな雰囲気は伺えなかったうえ、大学に合格した頃、風の噂で彼がもうお金持ちの友人ではなくなってしまったことを耳にした。
アスタリックについては、彼も大切な思い出を構成するメンバーではあるものの、姉弟と比べあまり個人間でのエピソードは存在しない。
というのも自分は当時柊弟に恋をしており、柊姉もそれとなく察して色々と配慮をしていてくれたため、彼と個で会話することは少なかった。
いただいたコメントを読み、再び柊弟のブログを探してみたものの、もうどこにもなかった。
また自分も度重なる引越しで当時やりとりしていた手紙を紛失していたようで、柊姉弟との繋がりは完全に途絶えていることがわかった。
それでもふと何かの拍子に彼女らのことを思い出して、連絡ができたらなと思うことがあるかもしれない。
そう考えると少し寂しくはあるが、でもそれで良かったのだと思う。
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな鼠ねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄にわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るようにそう答えました。
そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは
「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。
燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云いました。
「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束やくそくになって居おります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。
だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。
「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。
そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。
「あ孔雀くじゃくが居るよ。」
「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。
「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。
「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。
(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20
逆張り野郎って言われそうだけど、昔(SFC~PS)は今ほどフレンドリーな作りのゲームが多くなくて
子供の自分ではクリアできないゲームが多かった。まあ単純にヘタクソだったのも多分にあるが
今だからこそ言えるが、スーパーマリオワールドとかクリアしたことない。マリオ3もクリアしたことない。大体終盤で詰まって止める。そしてまた最初から遊んでた
FF5もクリアできなかった。64の時オカもクリアできなかった(エンディングは家族がやってるのを見た)し、ムジュラなんか怖すぎてグレートベイで止めた
ドラクエ6もクリアできなかった。チャモロを仲間にする場所までは覚えてたから、多分ムドーで詰まってた。DS版でやっとクリアしたほどだ
大好きなマリオとRPGが合体したマリオRPGもクリアしたことがない。スターロード?みたいな場所は行った記憶があるがそれ以降の記憶が無いので確実にクリアしてない
GBの6つの金貨もクリアした覚えがない。ラストステージまでは行った記憶があるが、クリアできずに諦めた気がする
PSのドラクエ7もFF7もFF8もFF9も、友達に借りたロックマンX4もチョコボの不思議なダンジョンもテイルズオブエターニアもクリアできてない。とにかくクリアできてないゲームが多かった(最近クリアしたやつもある)
一方でポケモンだけは唯一まともにクリアできるRPGだったので、赤・青・緑・ピカチュウ版・金・銀・クリスタルと無駄に周回した。二人姉弟で通信ケーブルも買ってもらっていたので、フーディンとゲンガーも手持ちに居た
それとマリオ64もスターを全部集めずとも、クッパに挑戦ができる優しい作りだったのでよく遊んでた。もっぱら終盤のスターはほとんど放置してた記憶しかないが
それに比べて今のゲームはどうだろうか
絶妙に詰みポイントが配置されてるゲーム(FF13とか)はたしかにあるが、まあ全体的にはフレンドリーな作りで年代問わずクリアできるゲームが多いのではないだろうか
昔はこんなに難しかった自慢をする輩が一定数居るが、個人的には今の方が子供たちにとっては幸せな環境だと思う。大人からしたら簡単なゲームでも、子供にとっては難しいなんていくらでもあるだろう
大人としても今のゲーム環境の方が多種多様な体験を出来て楽しいだろう。個人的な嗜好でレゲーを好むのもその一環だと思う
何が言いたいかって、今は最新機種で旧世代機のゲームがリマスターされたり、リメイクされたり、スマホでリリースされたり
やろうと思えば中古で実機買ってきて遊べるし、最新ゲームは全体的にフレンドリーな作りで困ることが少ないから良い時代になったなぁと思いました。おわり
ストーカー客が与える喜びに目覚めたらしく、年始から何度か菓子をくれた。最初はAさんに無言で菓子を押し付けてきたのだが、明らかに二人ぶんであり、これは二人で分けろってことなのか、それともAさん一人にくれたものなのか、あるいはこれまでのあれこれの流れ的に私一人にくれようとしたものなのかと、Aさんと論争の上押し付け合いになった。そして何度目かでもう諦めて、貰ったら二人で山分けして持って帰る、ということになった。
ストーカー客が菓子を渡す相手は必ずAさんだったので、菓子を貰った礼もAさんだけが述べて私は知らんふりをしていた。
ところが先日は、ストーカー客は私に菓子を渡してしかも「これ二人で分けて食べて」と言った。一体誰向けなのか不明だった菓子の宛先が、私とAさんの両方宛てだということが初めて判明した。
当店でストーカー客から菓子を貰うのは私とAさんだけだ。なんか、ピンポイントで狙われている。
Aさんが、流石に一方的なお菓子プレゼントの頻発が恐くなってきたというので、じゃあ反応しなきゃいいんじゃね? と私は言った。お礼を言うのは貰ったその場限りにする。貰った日の次のシフトで「先日はありがとうございました」とかいうと、催促してると思われるって言う人も世の中にはいるくらいだし。
だがAさんは、この間私がストーカー客から菓子を渡された時は事務所に引っ込んでいたので、ストーカー客に礼を言ってない。「二人で分けて食べて」って言われた限りは、お礼を言わないのは良くないと思う、とか、何故か急に真面目なことを言い出した。
そして、Aさんはストーカー客にお礼を言ってしまった。私はいつもように知らんふりをしていた。そしたらストーカー客はAさんに言った。
うちもそんなだな。うちの場合は、私(姉)・弟・妹の三人兄弟なので、私と弟はなにかとド派手にお祝いされたけど、妹だけ存在自体忘れ去られていた。
うちは両親共に末っ子だったせいで、家庭内は妹贔屓だったんだけど、親戚一同は妹に何もしてくれなかったよ。
伯父伯母の家に家族で遊びに行くと、私と弟のぶんのお小遣いとかプレゼントが用意されていて、いつも妹のぶんだけ無かった。それで、必ず伯母が(どの家でも伯父は何も言わん)「あれー、三人兄弟だったんだっけ?ごめーん二人姉弟だと思ってたわー」って言うの。
子供の頃は、大人って忘れっぽいんだなぁと思ってて、私は伯母に「三人だよ。次女ちゃんのことを忘れないでちょうだいよ!」なんて言い返してた。大人になってから、伯父伯母達はわざと妹のぶんを用意しなかったのだと知った。
伯母の中には、妹のことを可哀想だと言って、次に訪問した時に妹のぶんのお小遣いとプレゼントを皆には内緒だよってくれる人もいた。
初投稿。暇だから書き殴ります。私の母親は楽しい人です。身内の贔屓目かも知れませんが、少なくとも私は私の母親以上に面白い生き物に出会えた試しがありません。
まず前提として私は母親に一切の畏敬を抱いていません。いかにも実母に対して好意的なタイトルを銘打っておきながら、その中身は身内の恥を晒すような代物です。
タイトルから家族の暖かい日常話を期待して来てくれた方には申し訳ありません。他人の家の不幸自慢に耐性のない方は、気分を害する前に引き返すことをお勧めします。
私の父親を「人でなし」だとすると、母親は「ロクでなし」という言葉を体現した人物だと思っています。どちらにも共通する部分として「幼稚」というものが挙げられます。そんな両親の間に産まれた私も高が知れたもので、その品性はこのような人目に触れる場所に褒められない文章を投下している時点でお察しです。
結婚の動機は母親によると「他に好きな人がいたから」というもので、それだけを聞くと要領を得ないものですが、さらに詳しく問い質していくと、やはりどうにも意図を掴みかねる答えが返ってきました。
どうやら「別の男に近付くために結婚までして子供を産んだ」という、なんだそれはと呆れ返るような真相です。ちなみに父親は祖父母の財産目当てでした。
結局この話のオチは「夫の暴力に耐えかねて離婚。目当ての男には逃げられた」という三流喜劇も甚だしいものになりました。なにより面白いのは多感な幼少期の私に「お前は道具として産み落とされたんだよ。お前の父親なんて愛したことがない」と正面から説明していたことです。おかげで物心着く頃には母親の大体の人間性が把握できていました。まさしくロクでなしです。
実は私には姉がいます。これまた手放しに性格が良いとは言えない姉です。それでも人並みの優しさと常識を兼ね備えた、あの両親からしたら鳶が鷹を産んだような奇跡の子供です。そして、母親のことをこの上なく軽蔑しています。
というのも姉は母親の第二の被害者(第一は祖父母、第三は私自身です)と称しても過言ではないのです。
前述の通り、姉は手放しに性格が良いとは言えません。それこそ小学生時代は男勝りに無鉄砲で図々しく、なにより神経が丸太のように図太い子供でした。端的に言いますと、愛想がないのです。家から閉め出された日には本当に家出をしようとしたほどです。
そうなると母親には面白いはずもなく、離婚してから三人暮らしを始めると、やはり予想通りと言うべきか、姉が怒られない日が珍しいほどでした。中には八つ当たりのような理由のものも少なくありません。叱る前に怒るという部分に母親、それ以前に「大人としての適性」が伺い知れます。
なにより記憶に鮮烈なのは、子供二人に酒のお使いを押しつけた挙げ句、買えなかった旨を報告され乱心し、姉に痛烈なビンタを喰らわせた事件です。怒っていいのか笑っていいのか分からない、そんな気分を低学年にして初めて味わいました。
とはいえ子供は養われる身。それも咎める大人のいない三人暮らしでは、母親の気分を害する行為は禁止という暗黙のルールが敷かれていたのです。私としては母親の不機嫌は大抵姉が吸収してくれるわけで、そこまで不自由な気分はしていなかったのですが。
祖父が逝去すると祖母との四人暮らしが始まりました。そしてこの祖母こそが母親の最大の被害者です。あの「怪物」を育て上げた手腕にブリーダーとしての才能を匂わせる祖母ですが、その生涯には怪物の息子である私でも同情を禁じ得ません。
まず家賃の半分以上を祖母が年金で負担。さらには家事の担当も祖母。既に身体にガタが来ているというのに、まるで休まる暇もありません。
そして肝心の母親はと言えば、子育てさえ自分の親に丸投げして自堕落な実家生活。祖母の苦言も馬耳東風。終いには「仕事もしてない子供に家事をやらせろ」と責任転嫁。学校から帰宅して自分の家事を最低限こなしていた私たちに、自分の家事さえ人任せな大人が偉そうに命令するのです。
甘える対象が近くにできた母親はロクでなしからクズへと退化していきました。時に祖母と母親は殴り合いの喧嘩まで発展し、何度か警察沙汰さえ引き起こしましたが、それでも母親は成長することはありませんでした。
出会いに失敗、仕事に失敗、金銭に失敗。往々にして失敗とは本人の選択ミスが招くものであり、失態を省みて自己改善に努める能力は現代社会人に必須とされるものですが、当然ながら私の母親にそんな殊勝な精神性は宿っていません。
どこで最悪の出会いをしてきたのか、ある日母親は帰宅するなり、とんでもないことを口走り始めました。
「実は私の人生は悪意によって歪められたものであり、それは前世において私の大成功を妬んだ存在、今世における実の母親の仕業である。数年前にゴホンゾサマの像を返却した事実がその証拠だ」
私は感動しました。その日までテレビの中でしか実在しないと思っていた出来事が、目の前で起きたのです。まさか、実の母親がカルト集団の仲間入りを果たすとは!
やはり逃げ道としての宗教は人間を腐らせるものに違いありません。その日以来母親は事ある毎に祖母に恨み言を吐きかけるようになりました。全て根拠も論拠もない妄想の垂れ流しであり、こちらの話には聞く耳も持ちません。もはや自分に言い聞かせているかのような修羅の勢いでした。
定年を迎えてまで馬車馬の如く働かされ、自分の貯金を浪費されるばかりか、元凶に罵詈雑言を浴びせられる祖母。二人の殴り合いの頻度は一週間に一度というハイペースに至りました。私たち姉弟は巻き込まれる度に仲裁を試み、時に身内を警察に通報するという地獄を繰り返していました。今思い返してもあの頃ほど充実した毎日は生涯訪れないだろうと確信しています。
これらが既に三、四年前の話であり、今は他の事もあって最盛期より随分と落ち着いています。私の母親の笑い話はこの他にも枚挙に暇はありませんが、全てを羅列するとなると労力も文字数も計り知れません。流石に飽きてきたので今回はここまでとさせていただきます。
今回は休日の時間潰しにと思いついて執筆させていただきました。少しだけでも楽しんでいただけたでしょうか? 人の不幸自慢を楽しめたなら世の中の大抵のことは楽しめることでしょう。羨ましい限りです。
さて長々と書き連ねてしまいましたが前述してある通り、こんなものは「不幸自慢」の範疇に収まるような些事です。どこの家庭も抱えている多様な問題の一例にすぎません。
中には育ててさえもらえなかった、食事すら自分で用意した、という方もいるかも知れません。それらを比較してどちらが可哀想、という話も私にはとてもできません。
ただ最近の世の中は便利なもので、腹の内に抱えた宛のない不満を吐き出す場所が用意されているものです。例えば、こことか。
それはそれは仲良しな二人は、何をするにも一緒でした。
或る日、姉が街へ買出しに行くと言いました。。毎月、1度は帰らない日があり、弟も何も不思議には思っていませんでした。
「いいこと?今日はお家で大人しくなさい。明日には私も帰ります、出来ますね?」
「もちろんさ、姉さん。いつまでも子供と思ってくれては困るよ」
それだけ約束すると、姉は少量の荷物と共に麓の町へ降りました。
しかし、弟ももう十つになる歳であります。月に一度戻らない姉に、不信感では非ずとも、興味を抱くのも当然と言えましょう。
それ故に、その月の姉の帰らぬ日、言いつけを破り弟は姉の後をつけました。
弟は、姉の姿を追い、その影がとある民家に消えていくのを見届けました。
その家からは、あたたかな光と談笑、そして絶えぬ愛を感じることが、弟の幼い心でもハッキリと受け止められました。
「姉さんは、僕が毎月一人で孤独で居る中、こんなに温かい家にいたのか……」
弟の中には、沸々と、裏切られたと思う怒りと、孤独を裏返した怒りのその両方が、湧き上がってくるのを感じていました。
いつの間にか、怒りに駆られた弟の爪は鋭く、歯は爪のそれよりも鋭利に、そして飛び跳ねるその足はそのどちらよりも際立って『狩り』の為のものとなっていました。
弟は、それに気付いてか気付かずしてか、姉が入った民家に飛び入りました。
その爪は、民家の母を裂き、その足は父を砕き、牙は息子を噛み千切りました。
『狩り』を終えた弟は、ひとたび雄叫びをあげると、闇の中へと駆けて行きました。
果たして姉は、このことを知り弟を守るための嘘をついたのか。
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。
姉が弟を甘やかすといった姉弟モノの音声作品をよく好んで聞くが、そのほとんどが
そもそも姉が弟を君とか弟君とかって呼ぶのがまず現実的ではなさ過ぎて違和感が凄すぎるだろ
ましてや、姉弟ラブラブものだぞ?呼び方だけ、他人行儀すぎるだろ
名前で呼ぶと入り込めないと思ってなどという心配・配慮は一切無用だ
貴女が「まー君」呼べば俺は「まー君」になるし「ゆうと」と呼べば俺は「ゆうと」になる
そもそも俺たちは音声作品の間だけ、その何分間だけ、貴女の弟になりに来たのだ。
メンヘラブラコンで監禁しちゃうお姉ちゃん、ひたすらよしよし甘やかしちゃうお姉ちゃん、思い思いの世界観を展開してくれていい
お姉さんの世界は自分のジャンル(銀魂、最遊記などハマっている作品)しかなく、増田よりも遥かに狭い。増田は普通に音楽を聞いたり映画を観たり本を読んだりするだろうし、もっと他の趣味もあるかもしれない。だがお姉さんは感受性の基礎をそこに建ててしまい、他に手を伸ばさない。音楽はサントラで、物語は作品ストーリーで賄えてしまうからだ。しかし、実際のところ、ゲームやアニメのサントラは幅が決まっているし、漫画やアニメのストーリーも元ネタがあるのに原典に触れる事もしないし、アニメ漫画ゲームの枠の中にある娯楽しか受け付けようとしない。
何故か。その外はお姉さんを受け入れようとしない世界だからだ。受け入れないのではなく、何となくそぐわない、しっくりこない、ノーメイクでよそ行きの服を着ているようなちぐはぐさが恥ずかしくてアニメ漫画ゲームの枠に逃げてしまうのだ。
もちろん、生身の恋愛に身を投ずる事もしない。BL世界の空気になって男二人の恋愛とセックスを見ていればノーメイクの自分が品評される事もないから。
自分のハマっている物を増田に押し付けてくるのは血の繋がったという姉弟という関係に甘えからきている。自分の楽しむ物を共有したいという善意が半分、友達を作る手間を省いている怠惰が半分だ。
腐女子以外の人間関係を構築しようとした事がないから増田がBL作品に屁ほどの興味もない事を認識できない。腐女子同士の人間関係は同ジャンル同CPでさえあればある程度の線引き以上の繊細さは求められず、感性が合うと判断されれば布教(共通項以外の好きな作品を教え広める事)も行われる。
オィィィィとか言っておけば、コンテンツとして成り立っている銀魂の面白さを自分も被れると勘違いしている。実際の自分が痛々しく寒い事には実際は気付いている。動画でも撮ってやれば暗黒微笑を浮かべて「…殺すよ?」と芝居がかった発音で言うか、何かのキャラを演じて殴りかかってくるだろう。
お姉さんはそういう生き物なのだ。そして、ここまで書いた自分も腐女子である。嘗ては同じような痛さを持っていた。しかしお姉さんのジャンルから推測するに私より更に年上だろう。
増田にまだお姉さんと関わろうという気があるのなら、脱喪女、つまり化粧をして毛玉のない服を着て友達と遊び恋愛をする普通の女になる事を求めているのかもしれない。
だが、積年の便器の尿石を落とすように難しい事はわかってほしい。そしてそれが落ちた時の快感も積年の便器の尿石と同じくらいだということも。
姉が弟を甘やかすといった姉弟モノの音声作品をよく好んで聞くが、そのほとんどが
そもそも姉が弟を君とか弟君とかって呼ぶのがまず現実的ではなさ過ぎて違和感が凄すぎるだろ
ましてや、姉弟ラブラブものだぞ?呼び方だけ、他人行儀すぎるだろ
名前で呼ぶと入り込めないと思ってなどという心配・配慮は一切無用だ
貴女が「まー君」呼べば俺は「まー君」になるし「ゆうと」と呼べば俺は「ゆうと」になる
そもそも俺たちは音声作品の間だけ、その何分間だけ、貴女の弟になりに来たのだ。
メンヘラブラコンで監禁しちゃうお姉ちゃん、ひたすらよしよし甘やかしちゃうお姉ちゃん、思い思いの世界観を展開してくれていい
子供の頃から、将来なりたいものなんてなかった。周りは漫画家とか、学校の先生とか警察官なんて言ってたけど、僕には才能も責任感も根性もないのがわかっていた。だから普通のサラリーマンになるんだと思っていた。が、高校生くらいになると、その普通のサラリーマンさえ自分には務まらないのだと悟った。端的に言って頭が悪い。努力が嫌いだし、あらゆることに興味が薄く、他人や会社のために貢献したいと言う気持ちが皆無。
8歳上の僕の姉は、同じく何の取り柄も夢もなく、容姿も十人並みながら、22歳で15歳年上のバツイチ会社役員と結婚した。旦那は僕から見てもまったくモテそうになかったが、レジ打ちもまともにできない姉は仕事から解放され、毎日犬の世話とできる範囲の家事をしながら何不自由なく暮らしている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、僕の友達には僕ら姉弟と同じで何の取り柄もなく(以下略)な奴が多かった。姉の話をするたびに、彼らは「女はいいよなぁ、俺も金持ちと結婚して専業主婦になりてぇ」とため息をついていた。そこには「女は何の苦労もなく養ってもらえる」と言うニュアンスがあったが、僕はそれは違うと思った。僕を可愛がってくれた姉は、特段才能はなかったが、何も考えていないわけでも、努力をしていないわけでもなかったのである。
例えば、姉は本来ビジュアル系バンドのボーカルのような中性的のイケメンが好きだ。が、そこを大幅に妥協して、容姿的には小太りで禿げたおっさんを選んだ。そのおっさんを選んだと言う事は、そのおっさんの臭い靴下を洗い、おっさんとセックスをし、場合によってはおっさんの子をつわりや体調不良に耐えながら出産し、20年面倒を見ると言うことである。これは大変な覚悟である。
姉は自分が美人でない事は気づいていた。だからこそ、20歳を過ぎてすぐに結婚相手を探し始めた。若さが武器になることを彼女は分かっていたのである。そして、収入以外の条件を緩めに緩めて結婚相手をゲットした。たくさんの男性に会って、気に入られるように振る舞い愛想振り撒いただろうし、時には女に相手にされてこなかったおっさん特有の不愉快な言動にも耐えたのだろう。たくさんのおっさん・非モテの中から比較的マシで自分を選んでくれる男を選んだのだから、我が姉ながら若い身で大した決断力と判断力だと思う。素直に見習おうと思った。
僕も決してイケメンではない。ないが、10歳以上離れると容姿のジャッジが甘くなるらしい。太っておらず、肌が汚くなく、清潔感のある格好をしていれば、可愛い男の子に見えるものらしい。そんな『可愛い男の子』から、「女性として見ている」と言われると、女性たちは思った以上に動揺してくれた。心が揺れるということは、まともな判断が出来なくなるということだ。一時期はセックスなしで家賃を払ってくれる人もいた。
僕は勉強も労働も苦手だし、何より男性に叱られるのが1番苦手だった。だからアルバイトなんかも大体途中で投げ出すことになる。社会不適合者。一方で、女性の機嫌をとることは比較的向いているようだった。言ってほしいことをタイミングよく口にする、いつも味方だよのスタンスを崩さない、あなたは素敵だよを実感させ、たまにはストレスの吐口になる。これらを守れば、女性に生活を支えてもらう事は思った以上に簡単だった。かくして僕も25歳で姉と同じく15歳ほど年上の女性と結婚し、今も彼女に養ってもらっている。子供はおらず、親戚付き合いもほとんどないので、気楽な生活が続いている。これが永遠に続いて欲しい。
たまにネットでは、女性は男性を養う気がないなんて言われているが個人的にはそんなことないと思う。養う力さえあれば養ってくれるはず。養いたいと思う男ならな!
養われるために自分を殺してファッションと身だしなみに注意して、自己主張をせず、相手の言い分をよく聞いて、時には媚び、うざがられない程度に主張し、相手の顔色を伺い続ける。そういうことができる男なら、養われるチャンスはいくらでもある。また、それに早く気づけた男なら。女は若いうちからそれに気づいて、容姿を磨いたり聞き上手になったりしている。
僕が何も意識せず、無頓着な服装と女子ウケしない趣味の道を爆走し、好きなものだけを食べ太り、ニキビを顔中に作っていたら。その上、コミニケーションを学ぶ事なくいい年こいて「女性と話すのは苦手です、口下手なんです」なんて言っていたら、当然養われるなんて無理だったろう。
だから養われたい男性は、まず努力しろ。頑張れ。頑張れば道は開ける。そして妥協し、理想的でない女性を愛する努力をしろ。どんな相手でも、求められたらセックスができるか?これが何だかんだで1番キツいぞ。セックスをしたいと思ってもらえる見た目をキープできるか?女性に合わせて生活ができるか?オチのない話を楽しそうに聞き、その上で褒めどころを見つけられるか?あらゆる場面で女ウケする意見が言えるか?一度考えてみてほしい。
鬼滅の最終巻を読み終わった旦那が感無量で
「善逸と禰豆子、結婚したんだなー」
と言ってきた。
「?」
「最終話で子孫が出てきたじゃん」
「うん」
「善逸と禰豆子にそっくりの姉弟がいて、善逸が書いた本を『ひいおじいちゃんの嘘小説』とか言ってたりしたじゃん」
「うん、それが?」
「いやだから、そっくりの二人が血縁者ってことは善逸と禰豆子が結婚した子孫だってことでしょ」
「あー、そういうことだったのか」
「…」
鬼滅はもともと旦那が先にはまってすすめてきた。善逸が一番のお気に入りみたいだった。映画も本当は早く見に行きたくて仕方ないらしいがコロナやら家庭の事情やら(生後半年の赤ん坊がいる)で泣く泣く我慢してるらしい。
つまり、好きで読んでる漫画の好きなキャラクターにまつわるエピソードのはずで、それ相応の熱量を持って読んでる様子なんだけど、彼の視界には何が見えているのか、何をもって「この漫画は面白い」と感じているのか、あんなにわかりやすい描写すら理解できないのに、別に鬼滅に限らず世の中の漫画や小説を読んで一体何がどう面白いと感じているのか、真剣にわからない。
最近こういう感じで会話が噛み合わないことがしばしばあって困っている。
テレビを一緒に見てるときとかも、何気なくぽつりとつぶやいた言葉を彼が明後日の方向に拾い上げて遥か遠くに打ち上げてしまうんだろうなと思うとうかうか感想も言えない。ストレス。
最近、国内外問わず実写で同性愛を題材にした作品が増えてきている、と感じる。
日本国内では「おっさんずラブ」が非常に高い人気を博した事は記憶に新しいし、タイBLこと「2gether」は世界中で大反響を得ているらしい。
ネットで感想に触れるとそれらの作品は主に女性、それも男性同士の同性愛を嗜好する所謂「腐女子」と呼ばれる女性達に好まれているように思う。勿論全く男性が居ない訳では無いとも思う。
男性同士の恋愛を扱った所謂「BL」だからというだけではなく、性別は関係なく愛し合う二人の恋愛ドラマ物として内容も面白いらしい。ドラマが面白くて人気があるならそれに越した事は無い。
それらのドラマは現実ではマイノリティー故に生きづらい思いをしているLGBT、その中の「ゲイ」の人々を描いている事もあって現実のLGBTの方達からも好評らしい。
「おっさんずラブ」も「2gether」も出演されている俳優さん達がカッコ良く魅力的である。お話が面白いだけでなく、そういう意味でも女性やゲイの人達に人気が出ただろう事はそちらの方面に疎い自分でも理解出来た。
腐女子とは男性同士の恋愛に萌える嗜好がある女性達を指す呼称である。男性の同性愛者、所謂ゲイは性的少数派であるため、彼らの恋愛を許容する腐女子はLGBTに理解がある人達である、とも言われている。
その定義自体はあまり間違っていないと思う。腐女子の人達はゲイの人達を見ても「え?何で同性同士で?」とは言わず、「同性同士の恋愛いいよね!」と応援する傾向があるのは、ネット上で彼女達を見ていると思う。
だが、彼女達が全ての愛し合う人達に大らかであるかと言われればそうでも無いと思う。男性同士の同性愛、所謂「BL」には確かに寛容だと思う。だが、異性同士の異性愛、所謂「NL」には強い嫌悪を持っている人も多く見られる。
勿論全ての腐女子が異性愛を嫌悪している訳では無い。異性同士の恋愛物も同性同士の恋愛物も並行して楽しんでいる人も多いし、「男性同士だから良い」のではなく、たまたま好きになった二人組が同性だった人も居る。
それはそれとして、やはり異性の恋人同士に強い敵意を持っている腐女子が多い事も真実だと思う。何故彼女達が異性愛を嫌うのか、本当のところは自分には分かっていないと思う。腐女子の正確な数さえよく分からない。
ただ、「異性同士の恋愛は性欲ありきで気持ち悪い」「女性が一方的に男性に消費されているのが嫌」「自分が女性であるから女性が出てくるのは生々しい」みたいな意見はよく目にした。
古くから「BLはファンタジー」という言葉は存在した。男性の妊娠など、現実では起こりえないだろう描写がBLの中に存在する事を指してそういう言葉が生まれたんだろうなぁ、と自分はこれまで思っていた。
そういう意味もあるのだろうけど、本質的にはもっと大きな意味を含めているんじゃないだろうか?と最近思い始めてきた。BLはファンタジーというのは、もしかして「女性が存在しない世界での恋愛物」という事ではないのだろうか。
自分はBL作品に詳しくないのできっと間違っているかもしれない。BL作品でも全ての男性が子供を産めるようなファンタジーな世界で無ければ女性は存在する筈だし、設定も現実に沿った物の方がずっと多い筈だ。
「女性が存在しない」というより、「男性の恋愛対象となる女性が存在しない」の方が正しいのだろうか。BLに登場する女性は、同性愛に理解があり温かく見守ったり、BLを崇める腐女子である事が多く、自分は恋愛に加わらない。
BLでは「女性はキャラの恋愛対象として出て来ない」「女性が男性に性的搾取される事が無い」「女性が男性同士の恋愛を引き裂くような事は無い」事が多いんじゃないだろうか。
同性同士の恋愛を扱った作品がBLで、そういう作品だからこそ好んで嗜んでいる人達が腐女子なのだから、もし女性キャラが登場してその人も交えた三角関係が展開されるならそれはBLではないだろうし腐女子も怒る気がする。
男性同士の尊くて美しい真実の愛が繰り広げられる中、彼らを引き裂くような真似をする無粋な女性が存在する事が無い世界。それこそが「BLはファンタジー」と呼ばれる理由なのだろうか。何か違う気もするけどそこは保留する。
腐女子の中に男性同士の同性愛を尊び、異性同士の恋愛を嫌う人が理由はもしかしてこういう事なんじゃないだろうか…?と自分は考えている。
「異性愛と違って同性愛は禁忌とされているため障害が多い。それでもお互いを愛し合い結ばれようとする姿は、世間で当たり前の事として受け入れられている異性愛よりよほど真実の愛に近い」という人も居る。
ロミオとジュリエットなどもそうだけど、障害があり誰に認められなくてもそれでも愛し合う二人が映えるという考え方は自分にも分かる。そういう視点から見れば、周囲から理解されず苦しむ人が多い同性愛は心を惹く題材だと思う。
しかしこの前どうも気になる事があった。禁忌であり障害が多いからこそ同性愛・BLを嗜好する腐女子の人達が、同じ禁忌であり障害が多い恋愛を繰り広げるのが異性愛者だと今度は「気持ち悪い」と言う所を自分は見た。
最近ある漫画に登場した双子の兄弟が一部の腐女子に人気を博している。優れた弟に強い嫉妬と憎悪と兄としての愛情を併せ持つ兄と、親に迫害されて育つも兄が自分に見せてくれた優しさに心を救われた弟という二人だった。
この二人はお互いがお互いに強い感情を向け合っているという事で、同性愛を愛する腐女子にはとても好意的に受け入れられた。二人とも家庭があり妻子も居たけど、二人ともそれぞれの理由でその妻子から離れる事になった。
二次創作ではこの二人は何か違えば恋仲になっていたのではないか、というifの設定が盛り上がっているし、もし二人のどちらかが女性として生まれていれば間違いなく恋人になっていただろうなとも冗談半分に語られてもいる。
BLというジャンルの中には女体化というシチュエーションが存在する。もしあのキャラクターが女性として生まれていれば…というifであり、セックスの際に挿入される側である受けが女体化される事が多いらしい。
勿論全ての女体化がBLや女性向けである訳では無い。腐女子の中には「BLでまで女を見たくない」と女体化を忌み嫌う人も居るし、そもそも女体化やTSは男性向けのジャンルであるという声も大きい。
女体化は厳密にはBLではないかもしれないけど、腐女子の中には自分の好きなコンビの一人を女体化する人もそこそこ居る。全ての女体化物がBLという訳では無いけど、BLの延長線として女体化を楽しんでる人も居ると思う。
先述した最近人気のある双子の兄弟も、もしどちらかが女体化したら…というシチュエーションでの二次創作が一部で盛んになっている。自分が見たところだと、もし兄上が姉上だったら?というシチュエーションが多い気がする。
二人とも重度なブラコンであるためか「もし兄上が姉上だったら弟は抜きまくってる」「姉上の方から弟を襲う」「弟の方から姉上を襲う」など結構下品な話をしている人も見られる。R-18ネタ界隈は全体的にそういう物だけど。
元々兄弟BLというのは昔から根強い人気があるジャンルという印象がある。同性同士という禁忌に血縁である兄弟という禁忌も加わるのだから、障害のある恋愛を好む腐女子の人には堪らないのだろうな、と理解出来る。
その双子の兄弟が登場する漫画には兄弟の女体化ではなく、原作から異性同士の兄妹も登場する。その二人は作品の顔となる主人公とヒロインで、短く言うと妹想いの優しいお兄ちゃんとお兄ちゃん想いの優しい妹である。
作品が始まった当初この二人には恋愛的な意味で特定のパートナーが居らず、恋愛的な意味ではないけどお互い強い感情を持ち合っていたため、極々一部でこの兄妹を恋仲にした二次創作を創る人達も居た。
この二人は最終的にお互いの伴侶を見つけ家庭を持った事が示唆されていて、兄妹同士で恋仲になるのは一般的に不道徳であるとされている事もあって、この二人が恋仲になる二次創作は作品のファンからは嫌われがちである。
ここからが自分が腐女子に対して違和感を持った出来事の話なのだけど、前述の△△のBL妄想は同性愛と近親相姦という二つ世間からは受け入れられ難い要素があった。片方を女体化した場合でも近親相姦は残る。
○○兄妹の二次創作も原作では異性同士ではあるけど、近親相姦という要素がある点では△△兄弟と変わらない。そこで△△兄弟BLを嗜む人に何故○○兄妹の組み合わせは嫌われるんだろう?と尋ねた所、こう返ってきた。
○○はあんな良い子達に近親相姦の業を背負わせちゃダメでしょ…ってなるけど△△だと特に兄上が兄上なのでまあいいかぁ!よろしくなァ!となると思われる
小動物的な○○○をあの家族想いな長男が犯すとか見たくねえし…
その点兄上が犯されるのは見たい
姉上は兄上だから良いんだ
分かりやすく言ってやる
他にもあったけど、特に印象が残った感想はこんな感じだった。短く纏めると「BLや女体化は一種のネタだから良い」「原作からの兄妹は生々しいから無理」という事だと思う。
言いたい事は分かる。BLはファンタジーとして現実と一線を画しているのでファンタジーとして割り切って楽しめる。一方異性同士、それも兄妹というのは生々しいから無理。確かに感覚として分かる。
しかし自分の中でどうしても腑に落ちないところはある。BLはファンタジーなので割り切って楽しめる。BLが生々しい恋愛に嫌気がさした女性に愛されるのはそういう事なんだと思う。では現実に存在するLGBTの人はどうなのだろう?
腐女子の人がBLを愛好するのは「現実の異性愛を連想させないファンタジーだから」「女性が性的搾取されない世界だから」「性別の壁を乗り越えて愛し合う同性愛こそが真実の愛だと思うから」が主な理由だからだと思う。
ゲイの人達にとって同性愛とは現実の事だし、ただ好きな人と愛し合いたいだけなのに障害なんて欲しくなかったんじゃないだろうか。また、彼らの中には女性を「何もしなくても自然と男性に好かれる」と嫌っている人も居る。
BLを愛する女性にとってゲイは「女性を性的対象と見ない」「男性のみを性的対象として見る」存在だからこそ、好ましく思う所もあると思う。本当に極々少数派だと思うけど、女性を嫌うゲイの事を「所詮女になりたくてもなれなかった男がミソジニーを拗らせているだけ」と侮蔑する腐女子もネットで見た事がある。本当に極々一部だと思うけど、これが普段BLを嗜みLGBTを擁護する腐女子の本心なんだろうか…と衝撃を受けてしまった事は忘れられない。
長くなったけど最後に…腐女子という人達は、性的マイノリティーの人「にも」優しい博愛主義者ではなく、マイノリティーに寛容な分だけマジョリティーには厳しい人達なんじゃないだろうか…?と最近思い始めている。
※https://dev.ftbucket.info/scrapshot/ftb/cont/img.2chan.net_b_res_741641553/index.htm
前回の日記 → 結婚して妻の姓になり7年がたった
僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。
生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性と結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋に名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。
今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田の醍醐味ですよね? 使い方あってる?
なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前に他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。
通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。
「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」
その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。
しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式前から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。
ナバタメ家は結構大きく、正月には一族の女性が作ったおせちを大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇とお年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父の長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?
さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単に墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。
ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。
大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。
そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富なはてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。
この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題は解決しました。
「ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父は通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分が管理するようにしたから問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」
一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。
骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。
理解出来ないのではなくて、無条件で認めることによって子どもが被る不利益の方がデカいというのが
人権が怪しくて、奴隷もいて、というの時代からの共通認識では?
少なくとも紀元前の書物に『父と兄と一緒に寝たときにのように』と書かれる程度には一般的な認識では?
一方で同じく紀元前の書物に近親相姦が書かれている。西暦に入っても政略・俗習などで近親交配はあった
なので人間という動物はいうほど近親交配を避ける種では無さそう(避ける動物もいる)
動物としてみたときには別におかしくなさそうだが、社会的には無条件では許せないってだけ
父母兄姉弟妹ならそもそも籍を入れんでも最初から家族でしょ。セックス(子作り)しないのに籍を入れる必要ある?
顔立ちは気に入らないけど面白かった。3期が楽しみ。
ただ気になるところがある。
ラインハルト軍が反乱貴族を追って確か要塞攻略する場面だったと思う。
反乱貴族とテレビ電話してるとき、「姉弟揃って皇帝に媚びるんだな(大意)」と煽られたラインハルトが激怒して作戦を変更した。
それを見た部下同士が「ラインハルト様も『感情に支配される人間』なのですね」と話していた。(感情に、のところにアクセントがついているのでこういう意味になる)これが納得いかない。
これが「ラインハルト様も感情に支配される『人間』なのですね」(人間にのところにアクセントがつく)なら理解できた。
ラインハルトを深く慕っていた部下が思わぬ一面を見て等身大の人間であることを実感するのは納得がいく。
また、「ラインハルト様“は”『感情に支配される人間』なのですね」も冷たすぎて話が違ってくるがわかる。無様な姿を見て急に醒めたんだろう。
だが「ラインハルト様も『感情に支配される人間』なのですね」だと「世の中には感情に支配されるタイプの人間と支配されないタイプの人間がいて、前者の方がずっと数が多いor部下の知る別の誰かも前者だったが後者も存在する」「ラインハルト様は後者ではないかと思っていたが実は前者だった」という意味になる。
だが部下は感情に支配されるタイプとされないタイプの話などしておらず、ラインハルトを感情に支配されない人間だと思っていた描写もない(確か)
あの名前忘れたけど黒髪の参謀が感情に支配されないタイプであると見せたかったのかもしれないがそれならもっとわかりやすくしてほしい。