はてなキーワード: 東海道本線とは
学がない旅行は悲しいという趣旨のXの投稿を見た。旅先で見たものに思いを馳せずにただキレイだと思うしかできないからという理由らしい。
たしかに言っていることは尤もに見える。
たとえば学がある人にとって姫路城は見た目の美しさのみならず、城が辿ってきた歴史の面でも格別である。他の城にも物語があり、それぞれが持つ物語が城を特別で代替不可能なものに変える。一方で学がない人にとっては城なんて全部一緒に見える。木造か鉄筋コンクリかなんて知らないし、関ヶ原以前に建てられた城も昭和に建てられた城もいわれなきゃ気づかないし、わざわざ調べない。学がない姫路旅行は2つの観点から悲しい。姫路城が数百年の間に経験した災難を乗り越えていま自分の目の前に建っている。この感動を抜きにして姫路城をただのランドマークとして消費してしまうのは悲しいことこのうえない。それに、都内に住んでいる人がわざわざ、1時間に1本しかない東京駅発姫路駅停車の「のぞみ号」を調べたり、日帰りで行くのは勿体ないから...とホテルを複数のサイトで比較して安くて良いホテルを探したり、といったことをしても得られる喜びは東海道本線での日帰り旅行で行く熱海城と同程度だとしたら時間とお金の無駄である。
まず第一の観点は今回無視する。絵具をチューブから直接キャンバスの上に出したような現代の抽象画について、どんなに説明を聞いても良いと思わない人がいるのと同じで、学と旅行を結びつけることに根本的に喜びを感じない人もいるからである。そのような人の存在を疑うなら修学旅行を思い出してみてほしい。団体行動の時間にはたいていの場合、歴史の授業で最近習った場所に連れていかれる。それに、ツアーガイドさんの補足説明もある。しかし、帰りの新幹線の中で学がある旅行の感動について語り合っている人はいなかっただろう。
第二の観点についてもう少し拡大して考えたい。すなわち、同じに見えるのにわざわざ遠くの有名な観光地に行くことは時間とお金の無駄だ、という着眼点で「よく分からないけどキレイな観光地」にわざわざお金と時間を余分にかけて行く人がそれなりにいるのはなぜか、ということを考察する。
グループ旅行について考えるほうが簡単なので先にグループ旅行から考える。家族や友人と行く旅行は仲を深めたいだとか、近場での遊びよりも長く一緒に過ごしたいだとか、いろいろな理由があるが、そこの違いは無視する。身も蓋もない言い方で結論をまとめると、みんなでわざわざ遠くまで行くのは共通の思い出作りだ、ということになる。しかし、これでは「なぜ熱海城ではなくて姫路城でなければダメか」の答えになっていないので旅行でよく起こるイベントを丁寧に見ながら先の論題への回答とする。
旅行に関する出来事を時系列でたどると初めには誰かが「旅行に行かないか」と言い出すことから始まる。旅行先は旅行の幹事が勝手に決めることもあれば、みんなが納得するように話し合いで決めることもある。「もしダーツで旅行先を選んだら、旅行先は決めたのではなくて勝手に決まったのではないか?」」という奇異な意見もあるかもしれないが、そのケースでも「ダーツで旅行先を決める」ということを決めている。そして、それぞれの決断にはなんらかの共通認識が必ずある。「みんな社会人になったからスケジュールをコンパクトにしよう。で、その分ちょっと予算多めにしよう」だとか、「卒業旅行だからせっかくだし海外に行こう」だとか、なんでもいいが何かしらの理由がある。そして、行きの新幹線(もちろん飛行機でもなんでも良い)に乗るタイミングでは必ずドラマが発生する。誰かが乗り遅れたらそれはずっと話のネタになる。誰も乗り遅れなかった場合、もし全員が旅慣れしてれば「みんなの深い知識と経験のおかげで誰も遅れることがなかった。」と言えるし、旅慣れていない人がいれば「旅に慣れてないのに複雑な東京駅で迷子にならなかったのは奇跡だ。旅行が楽しみだからみんな早めに家を出たのかもね。」とかなんらかの会話が生まれる。そして、目的地に着いたときに旅行に関する過去の出来事がある特定の景色やランドマークと結びつく。「新幹線に乗り遅れて一時はどうなるかと思ったけど、全員で一緒にこれが見れて良かったね。」とか、「幹事やっぱセンス良いわ~」とかといった具合だ。この瞬間に、「他の城との違いはわからないけど有名らしい姫路城」は「みんなで行った姫路城」になる。冒頭で言及したXの投稿では学がないと何を見ても同じようにキレイとしか思えないとされていたが、自分はエモいという言葉で表現することを提言したい。エモいという言葉はキレイという言葉よりも、汎用的でなんにでも使える。その言葉の広さがもつ暴力性から、攻撃の的とされている言葉だが、この広範さが旅行では逆に良い。旅行に行っていない人に「エモかった」と言っても旅先で見聞きした素晴らしいものは1mmも伝わらないが、むしろそのほうが旅行の当事者だけにしかわからない秘密の合言葉のような効力をもつ。誰かといった旅行で、ここぞというタイミングで「エモいね」と言ってみてほしい。言われたほうは初めは意味がわからなくて首を傾げるかもしれないが、意図がわかれば「そうだね、エモいね。」と返してくれるだろう。もちろんどれだけ待っても意図が理解されない可能性もあるのでタイミングと使う相手には注意していただきたい。「学がある旅行」は旅行の中にぽつりぽつりと学と実物が交差する点があって、そこに感動を覚えるといったニュアンスであると自分は解釈したが、タイトルで先に出していた「エモい旅行」のエモい、は形容詞であるため、旅行の全体にかかる。
学がある旅行以外での一人旅行も実はほぼ同じである。何かしらの理由があって旅行先を決めるし、旅行先に行くまでに何かしらのドラマがある。ひとつだけ違うと感じるのは、一人旅では共通の思い出を作る相手がいない代わり、その時の感情の一部をスナップショットのように観光地に釘付けして保存しておける点だ。たとえば、自分は大学受験の直前にモチベーションを完全に失って、いつも通学に使っている電車の先の海が近い駅に行った。あの海を見ると受験のプレッシャーから一周回って解放されて、燃え尽きるまで頑張った自分を全肯定した清々しさを今でも思い出す。あの頃にはエモいという単語すらなかったが、思い返すとあれもやはりエモい旅行だった。
(追記)ブコメ等を参考に追加しました。所要時間、費用は参考程度で。
「"同じルートを考える人多数で明らかに混雑しそうなルート"をできるだけ避けられないか?」という点をちょっと考慮しています。
東京⇔成田 スカイライナー 1時間 成田線・バス 1.5時間
あと一つは?
大阪発の場合だと、東方向は+30分、西方向は-30分で考えればいいかな。知らんけど。
片道4時間。
自分的には香川県は青春18きっぷを買ったときに必ず行く場所。瀬戸大橋を超えるときのテンションの高さと、やたらとガタンガタンいう音が旅情を誘う。
高松駅前の時点で、うどん屋が多くあるなら、うどんだけ食いたいなら、そこだけで満足できる。
時間かあるなら栗林公園まで行ったり、瓦町の方まで行ってもいい。瓦町FLAGの変わり方を年々眺める楽しみもある。
片道4時間半。
坂出での接続があまり良くないので、高松に行くより時間は掛かる。
こんぴらさんこと金刀比羅宮の観光が主になる。ここも香川なのでうどん屋も多い。
なお、こんぴらさんは奥社まで行く根性はなかったので、御本宮までしか行ったことがない。
片道4時間半。
さすがにしまなみ海道に行く時間はないので、尾道での観光がメインになる。
行きか帰りかのどちらかはロープウェイを使わずに歩き回ってみるのも一興。尾道ラーメンも食おう。
片道5時間。
18きっぷシーズンは智頭急行のフリーパスが発売されてるので、往復で使えればかなり得。
一応、行きは山陰線、帰りは智頭急行というルートの大回りならダイヤ上は割と可能。
鳥取と言えばやっぱり砂丘か。駅からはそこそこ離れてるので、バスの時刻表を要確認。
砂の博物館もセットで行こう。あと、生きたイカをその場で刺身にしてくれる店が好き。
片道4時間。
時間があるなら、少し西にある餘部で降りて鉄橋を見て行ってもいいかも。
外湯巡りのフリーパスがあるので、できれば替えの下着を何枚か持っていて、色んな温泉に入るのも楽しい。
今の時期だと、すぐに汗をかくから、温泉に入る度に下着は変えた方がいいと思うぞ。
ちなみに山陰線オンリーで行くのと、京都線~神戸線~播但線経由は、距離が1.5倍くらい違うのに時間は10分くらいしか変わらないから、気まぐれで使い分けるのもあり。
こっちは温泉には行った後、辺りをブラブラする感じになるか。とりあえず鰻を食う。
片道2時間半。
京都から意外と近い。時間帯によっては米原での乗換だけで行けるし、18きっぷ初心者にはおすすめ。
一応都会なので、目的なくうろついても充分楽しめる。
東海道本線で日帰りで行けるところまで行こうと思うと、静岡辺りが限界か。乗り換えで降りたことはあっても、観光で行ったことはないけど。
片道6時間
まあ、一泊して下の安曇野とセットで旅行した方が良いと思うけどな。
片道7時間
水の綺麗さで有名な安曇野の中心駅。
大丈夫、始発と終電で行けば、2時間半滞在できるから、大王わさび農園くらいなら充分行ける。わさびを買おう。わさび定食を食おう。
ちなみにVAIOの本社も安曇野にあるので、せっかくだから見物に行っても良いかも。
片道2時間。
新快速の最果て地点で、乗り換えなしで行ける。
敦賀と言えば原発だけど、美浜原発PRセンターに行くには時間が掛かるし、何よりバスの本数も少ない……。
スムーズに行ければ2時間くらいなんだけど、舞鶴線はとにかく本数が少ないから、計画を立てていかないと最悪4時間以上も掛かることになる。
西舞鶴で降りて、とれとれ市場に行って海鮮を食って、東舞鶴で観光する感じか。
なお、東舞鶴にある赤レンガパークと引き揚げ記念館では、戦争に対する空気が違いすぎて笑う。
片道3時間。
福井と言えば恐竜。ただし、恐竜博物館は勝山市にあるから福井駅から私鉄とバスを乗り継いで一時間以上掛かる。
東尋坊は、恐竜博物館と真逆の位置だから、日帰りで両方を回るのは無理だな。
だから恐竜博物館のコースと、東尋坊→芦原温泉のコースのどちらを選択する感じ。
片道4時間半。
福井にある盲腸線の九頭竜線の終点。名前はカッコいいが、何もない。駅前にファミマと道の駅はあるが……。
片道4時間半。
観光地が固まってるので、兼六園・金沢城公園→ひがし茶屋街→近江市場のコースは日帰りでも余裕で回れる。なんなら全部駅から歩いて回れる。
とりあえず着いたらチャンピオンカレーでも食って、海鮮は帰りにするか。
帰路は福井で40分くらい接続待ちがあるから、8番ラーメンでも食おう。
京都→大阪→和歌山→紀伊田辺→新宮→多気→亀山→柘植→草津→京都 で一周
乗り換えアプリで見ると多気で1時間の接続待ちがあるけど、到着後に少し待てば名古屋行きの快速みえが来るから、それで津まで行って、そこで晩御飯を食べた方がいい。
紀伊半島の南の方になると、海岸線スレスレを走ってるから、ようこんなとこに線路が引いてあるなと思う。
なお、白浜の日帰りはどう考えても無理だから、パンダが見たいなら泊まるか特急にしとけ。
京都→敦賀→金沢→富山→猪谷→美濃太田→岐阜→米原→京都 で一周
合計13時間57分。
金沢から富山は三セクを通るから1290円払う必要があるのをお忘れなく。18切符の特例は高岡から富山までだから、金沢からだと適用されないぞ。
全体的に余裕がない乗り換えなので、1時間ほど早く出発すれば、富山で1時間の乗り換え待ちが発生するから、そこでお昼を食べよう。寿司が旨いぞ。
高山本線は猪谷で一度乗り換えがあるだけで、美濃太田まで乗りっぱなしが続くし車内は空いてるから、弁当を買って車内で食うのもいいかも。鱒寿司を食おうや。
関東在住。
サンライズ出雲か瀬戸に、来年中には乗るべきか…ということで思い悩んでいる。
というのも、この2列車だけが現在定期運行中の寝台列車なうえに、先行きがかなり不透明だからだ。
製造年と耐用年数から逆算すると、早ければ'20年代後半に、遅くとも'30年代後半にはお役御免になる可能性が高い。
しかし、この列車は新型車両を導入してまで存続させるほどの利益は出ていないと言われているわけで。
ぶっちゃけ満席でも採算が取れないが、飛行機や新幹線がカバーできない空白の時間帯に滑り込むことでニッチなニーズを掴んでいるに過ぎない。
あとはJR西日本・四国的に、たとえ微増であっても継続的に山陰・四国の鉄道需要を新規に掘り起こすために存続させたいから走らせていると。
JR東海にとっても新幹線と需要を食い合わず、管轄する東海道本線全区間乗り通しによる多少の運賃収入を得られるので、悪い話ではないみたいな感じ。
(一方でJR東日本にとっては通勤時間帯のお邪魔虫でしかない)
だから今の車両が寿命を迎えた時点で廃止になる可能性は相当に大きい。
というわけで、思い立ったらスマホと財布だけ持ってサクッと乗りに行くべきか!?
などと考えていたり。
現在、東海道本線と称されている鉄道路線、確かにほぼほぼ東海道に沿っているのだが、険しい峠は迂回するか長大トンネルで通過させていたりする。
箱根峠は箱根山の南から伊豆半島に連なる、ちょうど半島の付け根に当たる部分に丹那トンネルという長大トンネルを掘った。
トンネルができる前は箱根山の北側の高原を回る、現在の御殿場線ルートだったが、勾配がきつい上に荒天に弱い(土砂崩れ多発)ということで新線を建設したと。
鈴鹿峠に至ってはルートを大きく北に変え、名古屋から岐阜に北上、そこから草津までは中山道のルートをトレースするという大胆な施策で乗り切った。
というわけで鈴鹿峠の前後はメインルートからは完全に外れてしまったものの、実は鈴鹿峠に近い旧東海道を通る鉄道路線が、あるにはある。
関西本線・草津線ルートのうち亀山~柘植が、加太越と言われる鈴鹿峠の南を回る峠越えになっているのだが、現在ここを含む関西本線の亀山~加茂が存廃の危機に立たされている。
ここのルートは元々私鉄だったものを旧国鉄が買収し、それが東海道線とライバル関係にあるルートだったためか今の今までロクに近代化せず、低規格路線(しかも非電化)のまま放置してきた。
そのまま近鉄と名阪国道という大幹線に需要の殆どを吸い取られた結果、誰も当ルートを使わなくなり、これから何をするにも手遅れという惨状に。
本来だったらJR化する前の国鉄時代に、加太越と木津川渓谷という急峻で狭小なルートを、電化した長大トンネルによる新線建設とかで抜本的に改善すべきだったと思う。
その意味では、何もかもが遅すぎた。
ここまで需要が落ち込んでしまった以上JR西日本は廃線にしたいだろうから、どうしても残すなら上下分離方式を導入し、インフラのケツ持ちを三重県が全面負担するくらいしか手段がない。
それだって、誰も使わない路線に県民の血税を投入してまで延命する是非を大きく問われるだろう。
そもそも名古屋-亀山を受け持つJR東海も、近鉄を向こうにどこまで輸送強化に投資するか微妙だし。
あーあ、せめて近鉄の単線バージョンくらいに近代化した、今の智頭急行みたいな鉄道で加太越を味わってみたかったわ。
ということで、今度旅行する時は名古屋で車借りて新名神を京都まで走り、帰りは難波まで出てひのとりプレミアムシートに乗ろうと思う。
オレの小学校の時の自由研究のテーマが「七夕豪雨の爪あと」だったんよねw
近所で山崩れたところとか、浸水したところとかの写真を撮って模造紙にいっぱい貼って。
なんだか名目は忘れたけど、ちっちゃい賞をもらって、賞状が実家のどっかに残ってるかもw
20人だか30人だか死んだのもアレだけど、もっと大問題だったのが、東海道本線と国道1号線という「ニッポンの大動脈」が土砂に埋まって何週間?だったか不通だったことよな。
それで、地滑りの原因になったデカイ山を何10年かかけてほぼほぼ削り取って平らにした。公共工事のオカネで地元の土建業者などが長年ウハウハだったww
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども
追記:
JR東日本と仲良くしてください。
東京に本社を置けなかったのがくやしいのかもしれないけど、利用者不在の争いはやめてください。
JR東日本となかよしになったら、次の施策をお願いいたします。
乗り継ぐと東海道新幹線がとても高いよ。あと、静岡がめちゃくちゃ遠いよ。時間と運賃的に。静岡の発展のために一肌脱いでください。
騒音的には103系電車のほうがウルサイのは、埼京線で実証済みです。静かな新幹線の始発時間を繰り上げて、名古屋からコミケのサークル参加に間に合うようにカイゼンをお願いします。
JR東日本の新幹線が見劣りするので、座席の前後の間隔を10cm縮めて、JR東日本の新幹線に合わせてください。
周波数が違うとか面倒だと思うけど、上野のホームと大宮のホームを貸します。JR東日本の新幹線は品川行き。たとえば、秋田新幹線が雪で遅れると、九州まで波及しそうですてき。日本中で、秋田の苦しみを分かち合えますね!シェアしましょう!
行き先が新大阪・博多方面しかないのに6面は使いすぎ。4面で、青森、秋田、新庄、新潟、長野、金沢(予定)をさばく、JR東日本をというか東北の民を助けてください。いくぜ東北。これからは東北の時代です。指定席を取っても発車の3分前にしか乗車できないJR東日本の劣悪品質サービスの解決にご協力願います。
東北新幹線用にあらかじめカーブを付けておいた14番、15番ホームをくれたら、相互乗り入れは撤回です。
どうせ、東北の民は、東海道新幹線に乗らないし、もうめんどくさいので、東海道新幹線は、品川発着にしてください。リニアも品川だしちょうどいいよね。東京上野ラインもできるし。
ついでにJR東日本の新幹線の出し入れに便利そうな大井の車庫をください。
ついでに東海道本線はJR貨物に譲ってください。いろいろとうまくいくと思います。
どうしてJR CENTRALなのですか。何でJR TOHKAIじゃないのですか。東海に誇りをもっていただきたく。