はてなキーワード: 青春鉄道とは
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。