はてなキーワード: 好きな物とは
その作家さんが見ることは無いかと思うけどご迷惑にならないようフィクションまぜてます。
推しは10年前からあるジャンルなせいか、今みたいにTwitterやpixivとかではなく個人HPメインで活動されている方が多いジャンル。
リンクを飛んでは好みの作家を探して渡り歩く日々を送ってたんだけど、未だに更新続けてる作家さんは3分の1くらいで「ああ、この人も飽きてしまったのかな…」とか思いながら一年前から更新されることのない小説の続きを待って感想を送ってみたりしてた。
そんな細々としたジャンルなんだけど、その中で大好きな小説作家さんができた。
キャラクターがまるで動いてるみたいにイキイキしてて、文章があまりにも美しくて、原作をうまく落とし込んで表現するこんな世界観が作れる人他にいないんじゃないかって思った。
大好きな物語だったので何回も読んでその度に感動して何回も泣いた。
私はその作家さんのHPを毎日見に行って、更新されてたら感想を送るというのが日課になっていた。
原作者の差別的な発言にショックを受けて物語もイラストも、感想を伝える場所もリンクもすべて消してしまっていた。
きのうまであったHPには「閉鎖しました」という文字しかなくて、今までありがとうございました、という言葉すら送れないままパッと消えてしまった。
Twitterやpixivもやってたので見に行ってみると全部無くなっていた。
女性向けジャンルで活動されている方はジャンル移動する度に消したり名前変える、っていうのは聞いたことあったけど初めて目の当たりにして頭が真っ白になった。
小説に罪はないんだからそこは残しておいてほしかった思いはあるけど、作家さんがHPを閉鎖した気持ちを考えるとなにを伝えても重荷になっちゃう気がして…買った同人誌の奥付のメールアドレスを見つめつつ今日も「閉鎖しました」という文字を見にHPをクリックしてる。
ここで起こった事件を知らなさすぎる。そして殆どの人間は被害者ではないので知らない。
そんなわけあるか。音楽一つで「ゴミを晒すな」トラバが付く場所だぞ。
まあここだけ正しい。しかし受けるメディアが年齢相応とは言えない。クソでか羅生門みたいな賑やかしが受ける界隈はどうかしてる。
これどこで集計したの?
これは正しい。
名前を隠して楽しく日記。というキャッチコピーの通り楽しく日記を書く事が出来る
ここでは「この増田はあいつじゃないか」と関連付けて語られる事が何も無い
5ちゃんねる、ふたば☆ちゃんねる、ニコニコ動画とかだと酷い物である
貶す=娯楽という習慣が完全に根付いているし今後あそこを訪れるユーザーもじきに染まるだろう
はてな匿名ダイアリーでは皆が個人的に興味のないどうでも良い話ばかりしているのでとても居心地がいい
興味のない話題は無視すれば良いだけだからどんなに荒れてても笑って流せる
10代20代特有の騒がしいノリをあまり感じないのがとても心地良い
寂れた村のように人が居ない訳では無いが都会のように人がごった返している訳でも無い
はてなブックマーカーは知らないがはてな匿名ダイアリーは適当な人数で保たれている
トラックバックで他人の日記と自分の日記を関連付ける機能はあるが書いている物は日記に過ぎない
別に他人の日記を読むのも読まないのも当人の自由でただ黙々と自分の書きたい事だけを書いても良い
はてな匿名ダイアリーが欠陥の無い完璧なサービスとは口が裂けても言えないけれど
BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
んな訳ねえだろ!?って素で突っ込んじゃった…
2ちゃんねるの同性愛サロン板とかのイメージだとリアルなゲイは腐女子と腐女子の生み出したBLを忌み嫌ってる印象しかないな…
「俺はホモじゃないけどお前が好きなんだ!」「男なのに男を好きになるなんて頭がおかしい…」とか本来異性愛者である腐女子が同性愛者を取り扱った作品で同性愛=異常みたいな前提での差別的な台詞をポンポン出してくるし
セックスの際に挿入される側が常に同じ人物で固定されていなければ許し難いって腐女子の性癖や何の事前準備も無くいきなり肛門性交を始めるBLは女の考えた空想でしか無いだろう
BLが現実の同性愛者に対する差別だと攻撃された時は「とにかくBLはファンタジーだから現実の同性愛とは無関係だ」とありとあらゆる批判を無効化し
そうでない時は「BLはリアルな同性愛を描いており現実の同性愛者から見ても非常に評価が高い」とまるでゲイの理解者であり味方のような面をしているんだろうなとしか思えない
この前の緊急避妊薬の件とか同じ人物が数年で何事も無かったかのように意見を180度変えたの見ちゃったし、イデオロギー掲げた人物なんてどうせその場その場で二枚舌使い分けてるだけなんじゃないか
ポリコレを支持する腐女子が多い件に関しては「BLは自分が好きな物である。故に差別ではない」って思ってる人が大半なだけだと思うよ
「私達は同性愛者が好きで同性愛者の物語の描いてるだけなのにどこが差別?」くらいの認識だろうし
いざBLはポリコレに反してるのでは?って言われても「いやこれは私が好きだから別」って理屈でBLを擁護するだけだろうね
「BLはファンタジー」で「これまで男性に虐げられてきた性的弱者である女性が性的強者である男性を逆搾取しているだけ」のコンテンツだからね
イメージソングの略らしくて、自分には全く分からないけど完全に定着しているかなりメジャーな文化らしい
要は、自分が好きなキャラクターやカップルにはこの曲が合う、みたいな発表会なんだろうか
自分の好きな物と好きな物を合わせてみたいって気持ちは分からなくもないけど
本来何の接点も無い物を「自分が好きだから」ってただそれだけの理由でくっ付けてしまえるのは何だか奇妙でもある
その上「このイメソンAの曲なのに何Bに使ってんの?」「ABの曲であってBAの曲じゃないんだけど頭大丈夫か?」
などと本来誰専用の物でもない曲で勝手に「解釈違い」とやらを起こして喧嘩したり愚痴愚痴他人に嫌味言ってる人もよく見かけるし
本来自分の物では無いキャラクターや楽曲を自分のおままごとセットか人形とでも思い込んでるのかな?イメソン文化ってさっぱり分からねえ
40台はおしゃれじゃないので何でも好きな物着たらいいですよ
を読んだ。昔好きだった作家さんの人間性を知ってしまった事で嫌いになってしまった増田の話だ。
自分にも似たような経験はある。大好き、というレベルでなくてもそれなりに好きだった作品を作っていたクリエイターの人間性を見てしまって嫌な気分になった事が何度もある。
この元増田に対するトラックバックを読んでる内にこういう意見を見つけた。
これがとてもよく分かる。作家には作品の宣伝やクリエイターらしい事は幾ら言ってもらっても構わない。ただ、人間性が見えるような発言はそれが自分と合う物で無ければあまり良い気分がしない。
しかし作家に対して人間性が分かるような発言を一切禁ずるのもおかしい。ならば作家の人間性を知りたくないファンはどうするべきか?作家の人間性を見ないようにすればいい。
好きな相手だからこそ相手の嫌な所を見ないようにする。現実で自分と付き合いがある訳でもあるまいし、作家に人間的な欠陥があったとしても触れなければ良い。ネット上で作家と文字のやり取りをしただけではどうにもならない。
この考えに至った時気付いた事がある。自分は自分が好きだと思っている物に対してはあまり長々と語れない。しかしそれほど好きでもない物や、はっきり言って嫌いな物に対しては結構長々と語れる。
それは何故かと言うと、自分は「好きな物」は好きな面や良い面しか見たくないので悪い面は見たくないし語れない。一方「好きでない物」は好きな面や良い面も語れるが悪い面や嫌いな面も含めて語れるからだ、と思った。
思い出は綺麗なままにしておきたい、という心理がある。自分が好きな物に対して好んで粗探しをしたリ悪い面を積極的に見付けようとする人はあまり居ないんじゃないだろうか。痘痕も靨と言うし、悪い所も良いと感じてしまうだろう。
だから俗に言う「アンチの方がファンより詳しい」という言葉は恐らくある一面から見れば正しい。何かが嫌いな人間は何かが好きな人間と違う方向からその何かを見ているので、単純に見ている物も違う。
「初めは好きだったのに途中から嫌いになってしまった」というパターンだと好きと嫌いの両面から語れて熱量も好きと嫌いの両方があるのでとても大変だ。逆のパターンはあまり見ないが、その場合は嫌いだった分より好きになってそうだ。
ただ最後に言うなら「アンチの方がファンより詳しい」パターンはあるが「「アンチは皆ファンより詳しい」は絶対に間違いだ。一人一人知識量に差があるし、大半のアンチは聞き齧った知識で「叩いて良い物」を叩いているだけなのだから。
その中でも『7年前の本が欲しい!』と似たような体験をし、そこから一種の敗北を味わったのでツラツラと書こうと思う。
まだまだ生意気なJCからJKに上がる直前の冬に、友人Yととある特撮の本を作った。
彼女はキャラの心情を書くのとオリジナル要素を混ぜるのが好きな物書きで、ある意味悪癖なそれが一種の作風になっていた。
20ページもない本をひーこら言いながら作って、とある雑誌の片隅の同人誌作りましただったか売りますだったかのコーナーに投稿して、載った事にはしゃいだ思い出がある。
売れなかったが。
その雑誌の情報から、まさか問い合わせしてくるとは思わないだろう。
平成初期の特撮だ。今でもファンは多いが、本を出すほどの情熱家はさすがに居ない。と思う。探してないけど。
JCの頃に書いたコピー本だし、本文は違う人の物だから私にはどうしようもないと返すと、どうにかその人とは連絡が取れないかと食い下がってくる。
そこまで欲しいならと私はYに連絡を取ってみることにした。
連絡がつかなかった。
携帯のメアドは変えているだろうから、連絡が着くまいと思い電話をしたのに、携帯の番号が変わっていた。
仕方ないのでご実家に掛けるとYのお母さんが出て、
「結婚して家を出て、今は関東にいる。だがいくら親友だったあなたでも、あの子が連絡先を教えてない人に勝手に教えるわけにはいかない。申し訳ない」
ととりつく島もなく切られてしまった。
厨二全開の彼女は、お人好しというか素直すぎるバカというか面倒見の鬼というか、いややっぱり騙されやすいバカと言おう。
とにかく騙されやすいので、借金の保証人にもホイホイなりそうだとは思っていた。お母さんもそれを警戒したのだろう。わかる。だってあの子はバカだ。
しかし、バカでも結婚しているとは。オタクはいつの間にか卒業して、マトモになったのか。
それはそれで悲しいな。騙されてないといいな。と思いながら、彼女と同じく厨二全開だった友人Tに連絡をしてみた。
仕事もバリバリ出来て同人活動もガッツリしているせいで、彼氏と長続きしない(告白してきながら活動を理解しない相手が悪い)私とは違い、なんか愛を育んでいた。しかも旦那と2人FG○重課金者。なんだその理解あるどころか同士の旦那は。ずるい。私も理解して欲しい。シレッとフレコ交換した。二人とも強かった。
まぁそんな彼女はYと大親友だった。当時は険悪だったと本人は言うが、私からすれば当時から互いを嫌悪しながらも理解して、何かあったら背中を任せるくらいには信頼してる関係だった。例えるなら蒼い槍兵と赤い弓兵の関係だ。
だから連絡しているだろうと思ったが、彼女も連絡先は知ってるが連絡はしていないという。
しかし、問い合わせの本は大事に保管しているので、スキャンして送ってくれることになった。お前がおけパだ!感謝しかない。
問い合わせた人にも連絡して、問い合わせの本の話は終わった。
友人二人の結婚に若干の敗北感を感じつつも、良かった良かったと思っていたら、特大の感想文がきた。
これは、Yに送らねばならない。(使命感
しかし。Yとは連絡がつかない。
Tに事情を話したら、彼女経由でなんとか直接Yと連絡が取れた。
緊張しながらYにメールする。だって相手はオタクを辞めた(と思われる)のだ。ここでこちらがオタク臭のあるメールをして「その歳でこんな文章しか書けないの?」とバカにされたくない。
なんせ彼女は、バカだった。私が面倒を見てやらねばならない友人だった。
服はスーパーの服飾コーナーで買ったような適当な物。髪はいつもボサボサポニテ。ダサい眼鏡に小太りの小動物。それが私の中の彼女だ。
まぁつまり、完全に見下していた。
結婚しても、どうせ悪い男に騙されて言い様にこき使われてぼろ雑巾になってる事だろう。私が別れさせて、更正させてやらねば。だってバカだし。なんて酷いことを思っていた。
メールには、過去の本とはいえ無許可でコピー本を相手に送付した事の謝罪と、その感想がきていたことを伝え、全文を載せた。そして少しだけ自分の近況を伝えた。
それに対する返信は、少しだけ砕けた感じはあったが、れっきとした社会人の返信で、そこでまず頭を殴られた。
彼女からも近況があり、子供がいること、まだオタクをしていて、本まで出していたこと。
LINEしてるのでよければとあったので、即友達申請を送った。送ってから社交辞令ではと思ったが、彼女からすぐに受理されて、FG○スタンプで挨拶された。そこから色々話した。
確認すると二次小説はブクマしてた。心臓が止まった。数ある中でも超好きな設定の奴だったからだ。
一次小説はエタってたので続きはよぅ!と急かしておいた。まだ読んでないが、きっと面白い。
二次小説もプレイ終わってから続きを書くと書いてあったのに半年経っていた。急かしたらこちらはもう書かない関わらないと断言された。何とか頼み込んで、くっつくとこまでは頑張ると言質を取った。
布教されたゲームの二次小説も書いていたので三話まで読んで、ちょうど半額セールしてたので即買った。
国民的ゲームとマイ○ク○フトのシステムが合体したゲーム。連休中にクリアして続きを読もうと思う。
小説は、昔と同じようにオリジナル要素をうまく混ぜて、より面白くしていた。その作品をよく愛し、調べ、必死に設定を考えなければこうはならない。本人は言わなかったが、きっと昔と同じように必死に設定ノートを作ったのだろう。
同人作家として負けた。と感じた。
そして旦那の話を振ってみると、待ってましたと言わんばかりに惚気られて、子供自慢もされた。ポケ○ン新作のバッヂ七個取る幼稚園児ってすごいな。さすがに親の育成手伝いはあると思いたい。
ともかく話ぶりから騙されて居ないし、旦那さん理解あるどころか同レベルのオタクで楽しそうだというのは感じた。
女としても負けてる。いやいや、結婚が幸せとは限らないし。いま私も幸せだし。と強がってみたが独り身さみしい。一緒にゲームしてくれる彼氏欲しい。
とりあえず、ゲームを終わらせて小説を読みきったら、彼女の本を買おうと思う。
散々見下していた人間が言う台詞ではないが、私は彼女の小説のファンなのだ。
じゃなかったら、あれだけ厨二全開の小汚ないオタクだった彼女に本を作ろうなんて声をかけていない。
と書いていたら、Yから旦那に出会った当時の写真が送られてきた。
何とか写真はないかせがんだ結果、最近はないが昔なら。と渋々出してくれたものだ。
最後に出会った成人式ではまん丸で、白い着物も相まってマシュマロなんてからかった。
写真には、ほっそりした脚に黒タイツをはいた、膝丈スカートにふわふわのブラウスをきた、こじゃれた眼鏡の丸顔の女の子がいた。
別人だった。
二十歳当時の精神的DVしてくる彼氏が浮気してたことで別れてから、ストレスが減ってがっつり体重が落ちたらしい。待って。情報が多い。
当時に彼氏が居たことにも驚いたが、朗らかに笑いつつもあの裏にはDV受けてたの?しかも浮気されてたなんて。解放されて良かった。本当に。そこから今の旦那さんに出会えて本当に良かった。
今は育児疲れでボロボロらしい。せめて眼鏡の写真をとせがんだら、送ってくれた。いい人過ぎないか。しかもこじゃれてた。子供に曲げられても大丈夫な眼鏡らしい。すごいな。
ここまできたら自分はもはや矮小な人間としか思えなくなってきた。
そんな彼女は言った。ジャンルが合えばまた本を出したいね。と。
私の返信はこうだ。
つまりはまぁ、
見下していた相手が
ボロ負けした喪女の話
ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。
私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。
私はしがない字書きの大学生である。中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクターを架空の世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。
高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。
とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員と一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かばず空虚な日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量で部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。
恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクである。とはいえ、二次創作をイラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNSに投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。
そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。
端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女は高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)
Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才だから」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋に尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートやボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校の赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。
思うに、Aはオープンな性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才だから(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポートの画像)」などなど。活きの良い大学生である。
さて、本題から離れてしまったが、私がお話したかったのはAの創作についての話である。
実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作のゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。
なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。
彼女はゲームのシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。
Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。
そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターのイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクターの個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つのも自然だろう。
最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらのファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。
Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。
Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。
そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。
なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分の創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。
四の五の言わずに書けよ。
一発当てたいなら本気で完成させろよ。
甘えてんのか。
もちろん私は今の文壇をリードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。
「わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分の好きな物上手く書けなそうじゃない?」
私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。
オープンな彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである。
「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」
子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。
また、数日後にはこんなツイートもあった。
「承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」
私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。
今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。
SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである。
さほど苦ではない。しかし確実に自分がストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。
結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから。
オタクのお気持ち表明文やらなんやらが最近増田で流行っているらしいので、便乗して自分も反転増田を語ります。
特定されたくないので全部フェイクです。適度な反転だと思って読んでいただければ。
例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲに重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂腐女子な事も含めて。
腐女子と言うと語弊がありそうですが、ここで言う腐女子は「メイクやファッションやスキンケアに興味が全くないどころかそれを憎んである節があり、ある程度有名なアニメや声優やソシャゲを知っていて、それを腐女子なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。
自分はあまり(上記の基準で語るところの)腐女子ではありません。
アニメなんて今期のアニメ全部チェックしなくても問題ないし、最低限自分の好きな物が見れれば作画崩壊だろうが知ったことではないです。アニメのことはオタクと関わるための手段ではなく、自分の中で楽しむものと考えています。
ソシャゲだってパズドラと刀剣乱舞くらいしか知りません。ゲームなんてツムツムやポケモンGOで問題ないでしょう。それなりに楽しめます。
声優もよく分かりません。アニメを好きになったら声優の名前も全部覚えなきゃいけないんですか。声がかっこいいなとは思うけど「耳が孕む」とか下品な言葉は嫌いです。
萌えキャラだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整ったキャラと区別がつきません。というかそもそもその子は可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います。
ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私は腐女子と話す機会が何度がありました。
初めは何気ない世間話から会話が始まります。最近天気悪いねとかコロナはやく収まれとか食って痩せたい とか、そういう。
そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。腐女子の私生活の話なんて、まあCPとか鬼滅とか流行りものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります。
「へえ」
推しに流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように覇権を知ってると思って話を続けているんですから。
黒子のバスケだったかハイキューだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。
私からしたら、好きな本読めばいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、推しを決める判断基準は覇権という点が1番大事なことなのでしょう。
姦しい声を上げつつピスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクをミュートにしました。
また別のある時、好きなキャラの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、
「どのカプが好きとか、ある?」
と聞きました。
ないよ。と返せる訳もなく(この場でカプとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホで画像検索をして適当な漫画のキャラの名前を読み上げました。正直ジャンプかどうかも自信がなかったですが。
すると相手は
と言われ会話が終わりました。
私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのカプの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた漫画の話は知らないで切り上げ。
私がもっとジャンプをしっかりチェックしていて、神絵師も知っていて、アマプラでちゃんとアニメを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。
そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のコミケ知識程度なら付き合えるようになってきた頃。
彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服が高級感溢れてて嫌味ったらしい。話すことも仕事や子供のことばかり。アニメなども全く見ていない。そもそも化粧バッチリな日もある。オサレで陽キャ気取ってて最悪」だと。
私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。
服装は何を着ても清潔感のある格好ならいいじゃないですか。わざとみすぼらしい格好する必要がわかりません。
話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。自分が無職で独身だからと言ってAの近況にいちいちムカつかなくていいのでは。
メイクだって服だって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか?陽キャ気取ってて最悪なんて陰口叩かれるのは心外です。
化粧してるのも肌質の問題や、仕事の都合もあるでしょう。化粧したからといって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室で好きなメイクくらいしたっていいでしょう。
と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「社会人デビュー乙」という感じで私とは違いました。
この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはホモやアイドルや声優の話が好きなちゃんとしたオタクです。
世間的にちゃんとしてるというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。
32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。
金遣いに関しても、好きな物にお金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金も自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。
長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとしたオタクと、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間が相互理解するのも難しいのでしょう。
私は金は単行本やインテリアや旅行に使いたいですし、架空のキャラに馬鹿みたいに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人が自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います。
自分の悪い所…ちゃんとしたオタクの話についていけず、いつまでもこんなお気持ち長文書いて周囲の同情を引こうというところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。
自分を自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとしたオタクにならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。
変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。
オタクのお気持ち表明文やらなんやらが最近Twitterで流行っているらしいので、便乗して自分もお気持ちを語ります。
特定されたくないので一部フェイク含みます。半分フィクションだと思って読んでいただければ。
Twitterを見ているオタクの人であればきっと分かるであろう例えで自分を評するなら、自分は32歳腐女子です。通称京極夏彦が書いた方の30歳腐女子でもあります。
例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲに重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂ちゃんとした女な事も含めて。
ちゃんとした女と言うと語弊がありそうですが、ここで言うちゃんとした女は「メイクやファッションやスキンケアに興味があり、ある程度有名な女優や俳優やモデルを知っていて、それを女なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。
自分はあまり(上記の基準で語るところの)ちゃんとした女ではありません。
メイクなんてそれなりの見てくれになれば問題ないし、最低限整えば使うものがプチプラだろうが知ったことではないです。メイクのことは自分を可愛く見せる手段ではなく、社会に出るにおいて文句を言われないようにするためだけの邪魔なものだと考えています。
ファッションだってブランドなんてGUCCIやPRADAくらいしか知りません。着るものなんてGUやUNIQLOで問題ないでしょう。十分外に出ても文句言われない格好が出来ます。
スキンケアもよく分かりません。名前もよく知らない洗顔剤使って風呂上がりに化粧水ぶちまけるだけでいいと、ここ数年間信じていました。
モデルだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整った女と区別がつきません。というかそもそもその子は可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います。
要するに、私はちゃんとした女から見たら無知なガキなわけです。
ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私はちゃんとした女と話す機会が何度がありました。
初めは何気ない世間話から会話が始まります。最近何のアニメ/ソシャゲ/漫画見てる? 前描いてた絵がさあ〜、あの動画みた? とか、そういう。
そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。歳若い女の私生活の話なんて、まあメイクとかファッションとか流行りものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります。
「あっ、そういえばこの間新しいコスメと服を買って」
「へえ」
「○○のところから新色が出てて、これは今年の流行りの色で……」
色に流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように流行色を知ってると思って話を続けているんですから。
マカロンカラーだったかシャーベットカラーだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。
私からしたら、好きな色着りゃあいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、服の色を決める判断基準は流行色という点が1番大事なことなのでしょう。
姦しい声を上げつつコスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクをミュートにしました。
また別のある時、好きなモデルの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、
「どのモデルが好きとか、ある?」
と聞きました。
ないよ。と返せる訳もなく(この場でモデルとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホで画像検索をして適当に好みな女性の名前を読み上げました。正直モデルかどうかも自信がなかったですが。
すると相手は
と言われ会話が終わりました。
私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのモデルの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた女性の話は知らないで切り上げ。
私がもっとインスタをしっかりチェックしていて、美容系アカウントも知っていて、テレビでちゃんとドラマを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。
そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のデパコス知識程度なら付き合えるようになってきた頃。
彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服がガーリー系で大人っぽくない。話すこともアニメや流行りのソシャゲのことばかり。メイクなども流行り色全く入れてない。そもそも化粧してない日もある。ダサいし陰キャだし最悪」だと。
私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。
ガーリー系の服に何か問題があるのでしょうか? 大人だからといって大人びた服装をするのは必須なことなのでしょうか?
話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。Aもオタクでアニメやソシャゲをやっているのだから、気にしなくていいのでは。
メイクだって服だって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか? 流行り色に囚われなくても死ぬ訳じゃあるまいし。
化粧しないのも肌質の問題や、昨今のことですしマスクの都合もあるでしょう。してなくたって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室でメイクとかめちゃくちゃめんどくさいですよ。着替えてるだけで偉くないですか。
と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「アニメしか見てねえのかよ」という感じで私とは違いました。
この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはファッションやメイクやモデルの話が好きなちゃんとした女です。
ちゃんとしていないというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。
32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。
金遣いに関しても、好きな物にお金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金も自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。
まあ、正社員になりたがらなかったり歳下とこの時期にオフ会したりするのはなかなかだと思いましたが、その辺以外は別に何か言われるようなものでも無いんじゃないか? と。
長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとした女と、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間が相互理解するのも難しいのでしょう。
私は金は同人誌やグッズや遠征費に使いたいですし、どうやっても自分以外になれないものに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人が自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います。
自分の悪い所…ちゃんとした女の話についていけず、いつまでも子供らしいところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。
自分を自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとした女にならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。
変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。
追記1:
30の女の話だとは〜等色々な反応があったので、答えられる部分は追記しておきます。
私の年齢は21です。例として挙げた32歳腐女子とは年代も違えば環境とか考えた方も違うでしょうし、並列として語るのはおかしかったかもしれません。すみません。
ちゃんとした女という言葉を用いた理由としては、彼女達がメイクやファッションに興味が無いのはおかしい、と言ったようなことを語っていたので…。なら私は普通でなく、ちゃんとしてないのか? と思い、そういう表記にしました。
ちゃんとした女の例として挙げた人達は、(一部はリアルでも友人関係の人もいますが)ほとんどはネット上だけの付き合いの友人です。
元々某アニメのファンという繋がりでTwitterで話をしていて、そのうち他人行儀な態度がなくなり、私生活の話を話題に持ち込むようになった…というわけです。
今でもそのアニメの話をしている時等は楽しく話せていますし、彼女達の事を嫌いだとかそういうことは思っていません。メイクの話等もその話を心底辞めて欲しいと思っているわけでもないです。ただなんとなく、価値観にズレを感じ心苦しいのです。
わたしはここ数年、もうずっとインターネットで細々と絵を描いている。
一次創作の畑で育ち、山ほど自創作キャラクターに愛と情熱を注いで生きていた。うっかりソシャゲの沼に落ちて、本当に本当に大好きだったから応援したくて二次創作やファンアートを描いた。好きなカップリングができたらそのカップリングの絵を山ほど描いた。同人誌も出た。自分で描いておいてびっくりした。
最近、ハマっていたカップリング沼があった。詳しく言うと身バレ待ったなしなので具体的には伏せる。
そこまで規模は大きくはないけれど、程々に供給があってTwitter内の狭いコミュニティの中で、日々妄想やイラスト、小説、SSを書いたりして楽しく交流などもしていた、らしい。
新しい沼に入ったわたしは知らない情報をとことん漁る癖がある。過去にどんな情報があったのか、沢山教えて欲しいと交流に積極的だった。有識フォロワーから山のように頂いて狂った。その節はどうもありがとう。
わたしは所謂、カップリング絵を量産してそれを元に妄想などを始めるタイプのオタクだ。じつのところ、わたしは自分の絵が本当に大好きで、自分の絵が一番萌えるとまで思っている。
わたしの好きな絵で好きなカップリングを描いて、それについて延々とTwitterで語った。長文ツイを連投した。そしたら、フォロワーが増えた。すごく嬉しかった。わたしの絵でそのカップリングにハマったとまでリプをくれたフォロワーがいた。飛び上がって喜んだ。
元々わたしは交流に積極的で、Twitterでリプライを交わすよりも通話した方が楽しいと思っていて、作業通話も毎日のように募集していた。カップリングの話をするのは楽しかった。
そしたら、よく通話する人でグループサーバーなるものができた。気の利くフォロワーが、話せそうならここに来ると作ってくれた。わたしは嬉しかった。毎日4~5のカップリング絵を描いた。好きなカップリングの話をしながら描くのは本当に楽しかった。時々関係ない話もして、雰囲気のよいサーバーであったと思う。だから、仲がよくなったことによる気の緩みもあったのかもしれない。あるフォロワーが、こう言った。
「○○(わたし)さんがカプ絵毎日たくさん描いてくれるから、わたしは描かなくていいなって最近思うんだよね」
耳を疑った。
わたしは殆ど自分の為にカップリング絵を描いていて、沢山Twitterでも語って狂って、楽しくて仕方なかった。毎日新しいカップリング絵があるから自分は描かなくていい、という意見を初めて聞いた。悲しかった。だから、「自分の好きなシチュエーションは自分でしか描けないよ」と返した。
「でも○○(わたし)さん、リクエストしたら描いてくれるし、めちゃくちゃ解釈一致だから信頼できるんだよね」
わたしはできる限りリクエストを受けていた。自分の思考の及ばぬシチュエーションをくれるフォロワーが好きだった。天才だと褒め讃えた。こういう推しカプもいいよね、と話せるのが嬉しかった。だけど、わたしが描いてくれるから、なんてそんな信頼は要らなかった。わたしはリクエストを受けるのを辞めようと決めた。
わたしが二次創作をする理由は、自分の好きな物は自分でしか描けないと思っているからだ。勿論布教の意味もあるし、色んな人に好きなカップリングを知って貰えたら嬉しい。
でも、そのカップリングが好きな人が創作の手を辞めてしまうまでに、好きだからという理由で、知って欲しいという理由で、毎日、毎晩、休日は丸一日、沢山描いたことを悔やんだ。
沢山描けることが、本当にすごいこともわたしは分かっている。一次創作をしていた時に、毎日自創作の話で盛り上がった、すごく筆が早いフォロワーを思い出した。わたしは筆が早いという訳では無いが、命を削りながら創作活動をしていた。主に睡眠時間だった。今になってあまり良くなかったなとは思う。閑話休題。
わたしはそのとき、毎日のようにそのカップリングの絵を描いてTwitterにあげる人は、自分しかもう残っていなかったことに気付いた。皆、自分で好きなカップリングの絵を描けるのに。小説を書けるのに。わたしがそのカップリングにハマった当初にカップリングの話で盛り上がってくれていたフォロワーは、減っていた。
コミュニティを壊してしまったと泣いた。わたし一人がたくさん描いたからそこにいた人が消えた、アカウントが無くなった。毎日、長時間描けるのは才能に近いと思う。でもこんな才能要らなかったのかもしれない。
読み専の人が苦手になった。嫌いになった。
自分で描くことができるのに描かない人が怖くなった。
元増田の言いたい事に100%同意出来る訳じゃないけど分かる~って思える所も結構ある
『めちゃくちゃ笑った意見の数々』は今まで一部高い系腐女子が言ってきた事と真逆だし、
「今までそういう主張して来ただろ…?何自分の番になったら手の平返してダブスタしてんの…?」とやっぱり思っちゃったよ
『「アンケート主はそんなこと言ってない」タイプの反論をする』タイプは腐女子に限った話じゃないけど論点のすり替えで嫌だよね
普段はマイノリティに理解がある人って顔をしながらいざ「自分が攻撃された」と勘違いしたら少数派を多数派として潰そうとするのもね…よくあるよね
BLはファンタジーなんだから自由にやらせろよという考え方も分かるし、今回の騒動にも興味ない大部分の腐女子は恐らくそう思ってるよね
ポリコレに関してはポリコレの実現って難しいんだな、ポリコレを主張する人もやっぱり人間だから自分の好きな物には甘くなるんだな、自分が傷付いたら相手にやり返したくなるよなって感想になった