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はてなキーワード: 合理化とは

2022-10-17

anond:20221016212157

こういう感じで「貧乏」に妙なプライドというかアイデンティティを持ってるタイプの人っているよなあ。

防衛機制合理化とか反動形成みたいなやつなんだろうか。

2022-08-31

anond:20220831142937

なんでなくなったん?

免許更新センター合理化

追記

古くは免許には手書き文字印刷されていた

 →綺麗にしたいかタイプライターで頼んだ

代書屋さんで書類作ると早く並べるところもあった

写真張り付けが必要だったり、記載内容が多くて面倒だった

みたいなのが解消されたんか

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-02

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2022-06-12

anond:20220612095344

教育サービス合理化とセットなら、無償化も有りかと思う。

学校も余計なサービスばかりするから教員希望者がどんどん減るわけで、「無償化するので、部活動とか○○とか廃止しますね!」という方向で、

保護者無償化とのバーターサービス低下を甘受させつつ、教員働き方改革部活動の土日出勤が無くなるなど)も実現するってやり方は悪くないと思う。

2022-05-27

anond:20220527201050

から維新新自由主義者ベーシックインカムはだめなんだよ。

政府スリム合理化なんてものを狙ったがゆえに不景気でも緊縮だとか、ため込む場所を減税しまくって不景気にするとか、基礎研究、応用研究がすぐ成果をみえいからと破壊するから失われた30年になるんだよ。

腐敗貧困国家で腐敗をなくすためにやるならともかく、日本ぐらいの先進国でやるから失われた30年の元凶になるの。

教条的スリム合理化の結果として、心臓発作起こしたら家族全員破産とかそんなくそ社会にされては困る。

2022-05-18

音響について

ふとonkyo自己破産と聞いて、私はどうかしたらonkyo就職するかもしれない人間だった。だから書くわけじゃなくて、昔からちょっと思っていたことを書くきっかけになったので。書く内容はonkyo倒産とはあまり関係はない。個人的音響仕事をしたくない理由をつらつらと書いていくだけである

ちなみに私は今なんだかんだソフトウェアエンジニアをしている。30過ぎあたりで、就職と言ったら、10年前ぐらいの話になる。大学音響関係する学科がある大学に行った。音楽音響に興味があって、趣味で録音やら音響システムを弄ったりしていた。

でも、根本的に音響とか音楽関係するところに行こうとは思っていなかった。その根本的な理由をつらつら書いていこうかなと。

1. 音楽関係自体斜陽産業だったこと。

私が大学入学たこから音楽業界は斜陽産業だった。私の小学校中学校の頃はミリオンセラーが沢山出てきたり、無名音楽少年ブレイクして成功するみたいなサクセスストーリーとか流行っていた。私は読んだことはないのだが、beckやらnanaとかも流行っていたしね。そういえば、高校大学の頃は、涼宮ハルヒGod knows...やら、けいおんやらバンド関係コンテンツ流行っていたな。一方で、インターネットYoutubeだったりiTunesが出てきたりして、CDが売れなくなる時代でもあった。知っているレコード店やら、録音のスタジオやらもどんどん潰れたりしていた。だからこのまま、就職して音響屋や音楽屋になっても、ちょっと将来が不安だった。

2. 音質がこれ以上良くならない

根本的に「音質」とは?という定義があるかもだが、スピーカー場合電気信号音響信号に変換するのがスピーカー役割だが、例えばその電気信号音響信号にキチンと再現するのが一つ明確な「音質」の定義だと思う。他方、そういった機械物理的な定義じゃなくて、「良い音に聞こえたらいい音質」みたいな主観的定義もあり得る。そういう主観的な「音質」の追求はあり得るかもしれないが、物理的な音質(先ほどの信号再現だったり、他にも全可聴周波数帯域がキチンと出る)などの、そういった領域に関する音質は追及されまくっている。正直、1万円ぐらいするスピーカーアンプで、一般人は十分すぎるレベルの「物理的な」音質は得られるだろう。あとは、価格を下げるなり、ブランド価値やら、「主観的な音質」で勝負するしかない世界になってくる。もしくは、野外のイベントとかで、デカスピーカーで音圧をどれだけ出せるかとかね。あとはオカルト的な領域踏み込むとかね。

話は脱線するが、スピーカーの音質や良いスピーカーのことを話すと、ダブルブラインドテストやら二重盲検法を出してくる人がいる。正直あれは無意味というか、その前にやるべき評価をすっ飛ばしている。というのも、二重盲検法ってのは、

1. 被験者能力が良くない

2. スピーカー自体特性が良くない

どっちなのか判別つかないからだ。1万円のスピーカー100万円のスピーカーブラインドテストして、もし被験者識別できなかった場合根本的に被験者には聞き分ける能力がない、あるいは、スピーカーがその性能を出していないか判別つかない。だから、その前に、まず100万円のスピーカーと1万円のスピーカー周波数特性だったりを調べて、物理的な出力音響信号差があるかどうかをやった上で、ブラインドテストをやるべきだと思っている。

話を戻すが、「音質」はこれ以上向上しないってのは、一般人が聞き分けられるレベルでの物理的な音質の向上はおそらく期待できないだろう。なので、たとえば出力を弄って「ロック音楽聴くのにオススメ!」っとか、ノイズキャンセリングを入れる、外装のデザインとか、ゲームで有利になるような音にする、などで、付加価値を付けていく競争の方が重要で、音質の追求はこれ以上やってもニーズにはないからね。趣味とか研究の程度だったら楽しいのだけどね。

3. プログラミングが案外楽しかった

プログラミング大学入ってから学んだが、案外ハマってしまった。ぶっちゃけ上記の2つの理由よりもこれが一番でかいんだどね。音響屋の仕事といっても先ほどのスピーカー設計やら録音とか以外にも、例えば、補聴器やら、騒音測定やら、防音やらいろいろあるんで、そっちも考えたけどね。こうして、大学のころに学んだ大半は仕事につかっていない道楽的な知識になってしまったけど、こういう理由があるから仕方ないなという合理化をしてただけなんだな。

2022-05-01

事故を起こすのは時間問題だったのでしょう

今回問題となった知床観光船などは特にそうですが、コロナ禍が突然やってきて外国人観光者によるインバウンド需要が突然抜け落ちて、その観光収入依存してきた地方経済を直撃してしまいました。インバウンドありきで過剰投資を続けてきた地方ホテル観光地は、投資負担収益減少のダブルパンチリストラをしなければならない状況が出ただけでなく、高級食材を中心に1次産品も流通価格の大幅な下落で身動きが取れなくなりました。

 同様に、地方人口減少が慢性疾患や高齢者対象とする病院経営を圧迫し、地方に根差してきた医療法人などでもたくさんの「売り物件」が出るようになりました。しかし、これらの地域観光も1次産業医療も、需要ゼロになったわけではないので、上手く合理化すれば利益が出せる可能性があります

 だからこそ、これらの企業再建・再生案件地方企業組織法人を手がける人たちが増え、また、それに対して適法人員整理を請け負う企業アドバイスを行うコンサル会社などが跋扈するのもまた自然なことと言えますhttps://bunshun.jp/articles/-/53973?page=2

 他方、観光船もそうですが、その企業が売り上げを上げるには専門知識のある人員必要だったり、売り上げを得るための設備必要だったりすることもまた多くあります事故を起こした観光船は、まさに暗礁に乗り上げて船体が損傷したままだった可能性もありますし、相応に潮の流れの速い水域岩礁暗礁が多くあり、非常に慎重な操船を行わなければならない海域だったことも報道では繰り返し指摘されています

 おそらくは、ベテラン船長・甲板員がしっかり現場に残っていて、然るべく整備された船舶航行する分には問題なかったのかもしれません。ですが、ここで企業収益のためにベテラン解雇して新人運行し、また、船舶の整備も満足にされていなかったのだとするならば、事故を起こすのは時間問題だったのでしょう。

2022-04-27

フェミニズム男女平等に関する女性から提言、頷けるものもあれば防衛機制としての合理化、単なる腹いせなど玉石混交

まぁ現代社会合理化や腹いせせざるを得ない環境に陥る容易さはすごいけど

2022-04-24

物価はいやだなぁ

都会だと食事クオリティじわじわ下がるのでいやだ。

田舎だとそもそも野菜とか魚とか買わないか、通常でも激安入手経路があるので

洗剤とかトイペとかしか影響ない(ガソリン電気代はアレだが)

都会で、ちょっと頑張ってるPBとか材料原価率が高い商品がいきなりしんどくなる。

値下げすると赤字、値上げすると客離れで、容量減とか「製造工程材料合理化」が起こって

事実上品質ダウンになりやすい。

困る。

2022-04-20

anond:20220419235641

ネコの国になることは人類にとって飛躍的な進歩である

この記事を読んで欲しい。

ネコは他の動物と違って「エサを得るために働く」ことを避ける傾向がある - GIGAZINE

詳細は記事にあるが、仕掛けを解くと餌が出る皿と、そのまま餌が置いてある皿とがあるようなシチュエーションで、「鳥、げっ歯類オオカミ霊長類キリンを含むほとんどの種が、エサのために働くのを好むという全体的な研究結果があります。驚くべきことは、これら全ての種の中でネコけがたかり行動の強い傾向を示さなかった」ということだ。

ネコは我々霊長類が囚われている「仕事のあとのビールは旨いなあ」みたいなくだらない幻想に囚われたがる情動排除できる極めて賢明動物だと言えよう。ある種のハッカー共通する素質だ。

彼らを見習う機会が増えることは、我々人間社会をより合理化していく助けとなるだろう。

2022-03-25

anond:20220325220626

子どもいないほうが自由で楽そうで羨ましいんだよ

自分も正直、結婚たから次は子どもか~で産んだだけで子育てしんどいから闇落ちしそうになる。正直産まなけりゃもっと自由だったわと思うことが多い。

子どもきじゃないんだよな、もともと。自分の子どもだからというのと責任感や理性でなんとかなってるだけだと思ってる。

子どもにも申し訳ないけど二度と出産育児もしたくないか時間を巻き戻せるなら産まない生活選択したいと思ってる。

でもそれ言うと自分で産んどいて何言ってんだてめぇ、お前のエゴ勝手にこの世に誕生させられた子どもの目見て言えんのか?みたいなことになるので

子育てをしている自分はそうでない人よりも良い人生を送っている」ということにすることで自尊心を保っている人がいるんだと思う。

心の片隅で子どもいなけりゃもっと自由だったのにと思って子どもいない人に僻んでんだよ。

しんどいけど子無しより社会的ステータスもあるしwみたいに合理化してなんとか日々過ごしているんだきっと。

お疲れさまです。

2022-01-30

anond:20220130121549

ユートピアはうらがえせばディストピア

大多数の羊は幸福。1人っこ政策が3人っこ政策に転換したので3人の子持ちとしていきていける。男女もそこそこ平等

でもひとたび政府の気に入らないことをしでかすとばかすか死刑にされてるヒトがいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91

中華人民共和国における死刑ウィキペディア

たとえば日本ウィニー事件があって、研究開発に便利なツールだがネット犯罪にも使えるツールを公開した技術者有罪にされ懲役刑になったが、これが中国だと有罪のあと高確率死刑がまってる。いくら有能でも秩序を乱したら容赦がない。

最近では女性テニス選手世界ランキング上位)が政府要人愛人にされていて、それが国民にバレてなぜか男が怒られるのではなく、女がどのテニス試合にも出場できないようにされた。おそらく監禁されているから二度とトッププレイヤーに返り咲くことがない。

ユーチューバー政府に不合理なことをしたやつは監禁死刑になったという噂がでたら監視のもとで「生きています」というビデオメッセージだけ公開させる。

 

チベットなどで不合理でもいいから不合理な生き方をしたい人を合理化しようとしてできなくて結局現地自治体警察暴走して監禁拷問してしまった。

台湾香港中国でありながらほぼ日本とおなじ自由な状況だったが、しめつけを強化している。

独立運動とかしたら監禁。このままいけば死刑になる人もでるだろう。

 

あの国は、「国民自由は与えるが愚行権まではあたえない国」なんだよ。愚行かどうかは国が決めます

国がモンペ。いまだに独裁国っぽさある。

2022-01-20

anond:20220120142843

何故かトラバが荒れてる・・・

なぜ駄目なのか論理的説明を期待していたのですが・・・

基本的に、回答者の知性の限界を超えたとき彼らはパニックになって罵詈雑言を吐き、トラバは荒れます

それでも質問自体に思うところがなければ、単にスルーされるだけ。

でも、同調圧力や慣習的モラル理不尽理屈を飲まされていたりすると、なんとかそれを合理化しようとして必死に暴れまわる事になるのです。

2022-01-18

anond:20181004223053

そりゃ人民をモノ扱いして強権発動できるなら俺でも合理化できるよ。

あと、世界のありえない交通事故映像って中国発のが多いんだよなぁ。

anond:20220118075631

共同体というより単なる経済的余裕があったからでは?

まり、今の状況は経済的に余裕がなくても恋愛感情とか家族を持ちたいという気持ちが優先した人達出産しているのであって、

彼らには経済的リスクを覆す何らかの理由があるためと思われる

もちろん、できちゃったとか家族計画性のなさとかも含まれ

まり未来経済規模によって子供の数、将来の大人人口は決定されるべきであり、

これから日本経済規模が縮小すると考えるのなら、人口は減少した方が適切であり、寧ろもっと減らすべきだと考える

逆に、将来の日本経済規模が縮小するにも関わらず、少子化対策だと子供の数を無理矢理増やすと、

の子供が大人になったとき労働の数が足らずに余ってしま

まり少子化対策で産まれ子供無職になってしま

というか、今の子供たちも、大人になったら仕事がない、という事態の方が自分はありえると思っている

日本経済規模が縮小し、仕事合理化や再編成を繰り返し、他国にお株を奪われ続ければそうなるのは確実であろう

   

となると、今の子供達も一定数は大人になって仕事を失い、

就労できたとしても、今の団塊ジュニア成功した人達老人ホームで世話する仕事かになるだろう

子供の数が激減しているが、それは大した問題ではない

激減しているのではなく、今までの日本人口が多すぎたのである

まり、国だの生産性なんたら研究所だのが声高に叫んでるのはウソである

困るのは今の大人世代長生きする人達である

早めにしねば問題ないのである

2021-12-12

増田セルフカウンセリング

嫌なことが重なったときに、自分の中の苛立ちを整理できなくて八つ当たりしたくなったり、自分に原因があっても自分の心が弱いばっかりに開き直ったり、合理化してしまおうとしたりする自分が嫌なんですが

たまに増田でこういうことあって落ち込んだなぁとか、嫌だったなぁっていうのを特定されない範囲で、もしくはフェイクを交えて書いて投稿して、

その後それを他人のつもりになって読んで、「それってこういうことじゃないか?」とか「こう思ったからそういう反応したんじゃないのか?」とコメントを返すのをたまにやってる。

もちろん他人からコメントをいただくときがある。参考にしてますありがとう

匿名でとりあえず誰かが見るかもしれない場所に書くことで最初の時点でちょっと客観的に整理して書こうと思えるのと、

どうせ匿名から自分自分コメントするときも気兼ねなくできる。

一人でこれを繰り返してるとちょっと頭が整理されたり、気持ちが落ち着いたりするので勝手増田セルフカウンセリングと名付けた。

ま、それでも一週間近く前の嫌な失敗を引きずってたりはするけど。

素直に自分の弱さを秒で認められるようになりたい。

2021-11-09

ここは荒らし天国だな

いくら荒らしてもハテナ放置で、

通報してもコピペメールが返ってくるだけで荒らし記事は残ったまま。

どんな攻撃をしても差別をしても放置するだけ。

Trust & Safety チームってのはコピペメール送るだけが仕事らしい

コピペメールすらも自動応答かもしれない

受信してから半日後に自動応答するようにすれば通報者は読まれたと勘違いする、と考えて「合理化(笑)」してても不思議はないくらいの底部サービス

対応内容は非公開と書いておけば、何もしなくても誰もわからないと思っているのだろう

荒らし記事がそのまま残ってんだから何もしてないのは明らかなのに、

ごまかせてると信じてるのが笑えるわ

2021-11-07

一周回って雑誌情報収集してる

雑誌読み放題のアプリばかり見てる

情報探したら広告合理化システムに組み込まれるのが嫌

勿論アドブロしてるけど アドを見せるためにおすすめがそういう風になるのがいや

2021-11-03

anond:20211030135253

D_Amon 例えばプラモデル初回生産ものによっては数千個で、そういう小さな市場から容易に買い占めて流通を塞き止めて高値で売りつける商売が成り立つ。メーカーは実需要的に供給大幅拡大はできない。わかるか塞き止め屋

塞ぎ止め屋などと悪し様に言っているが、それの何が悪いんだろう?

最初からメーカー高値で売ればいいじゃないか。もちろん高すぎると売れないリスクがある。

転売ヤーはそのリスクを抱えて高値で売る。メーカーにとっては客も転売ヤーも買ってくれると言う点で同じ。客にとってはどちらからでも高く買うことになるから、同じ。

世間体邪魔になる点だけが違うけど、その世間体を作ってるのはアンチ転売ですよね。

CunliffeCunliffe ちゃん簿記勉強して出納簿付けて、国税に扉コンコンされた時の対策はしときなよ。

アドバイス体裁をとった脅迫じゃんか。その言い方。下の「大学出てなさそう」さんとか、反転売勢って倫理を盾にして攻撃してくるのに、冷静な議論を持ちかけたりはしないよね。

mouki0911 商社生産者から小売への取り次ぎだからむしろ産業の発展に寄与することを目的にしてるけど、転売普通に小売店で買えるもの釣り上げるんだから産業を発展を阻害するんだよ。

規模の小さい服のセレクトショップなどは小売店から買い付ける場合もあると思う。原油価格高騰みたいに、需要が上がれば価格釣り上がるのは普通のこと。転売存在生産者にとってプラスにならないがマイナスにもならない。阻害しているとは言えない。経済を回していると言う意味社会にはプラスだ。生産者最初から高く売れない理由があるなら、それこそが産業の発展を阻害している。転売消費者にとってはマイナスだ。だけどそれは、元々が不正に安い価格で買えていただけでは? 高く売れない理由生産者を押さえつけ、消費者に利する。転売ヤーはその鎖を断ち切って経済を回す。

小売店から買い付け出来ないようにする限定は不自然だと思う。A さんがレモネードを作っていて、B さんが買って別の誰かに販売していて、でも実は A さんは C さんにも売っていた。そのことで B さんが責められる。わけがからない。この道徳合理化するには小売店の厳密な定義必要だ。

2021-11-01

anond:20211031025539

というかそもそもの「男女雇用機会均等」の理由が、「働く権利」みたいなもので誤魔化されがちだけれど

現代において専業主婦という存在は、経済合理化(国民から効率よく資本を回収する)において無駄=楽しすぎ」なので

専業主夫」という選択肢本末転倒なんだよな。夫婦共働き経済競争の中苦しんで生産力として人生を消費して欲しいってのが国としての願い。

でもそうしたら一時的生産性は上がったけど、持続不可能だよね→移民入れよう→移民自体負債になった

ってのが「欧米」の結果。じゃぁ自国民子供産んで育ててもらおう、女に金渡そう→女自体負債になった

というのが現状なんだよな。結局生物的なシステムとしてはイスラムみたいな世界観が最適解で、とにかくそ負債を無くすために何かほかの代替案でなんとかしてきたのが現代

それで自動化AIに期待が膨らんでいる訳だけれど、結局自動化AI自体運営コストにおいて負債になって……って事を延々と繰り返しそう。

2021-09-24

極小のジェノサイドの巻物があったとして、それをコロナウィルス

ぶつけるかどうか、って話なんだけど。

ジェノサイドの巻物は初代風来のシレンに登場するアイテムで、敵にぶつけると敵自体とその系統も含めて完全に消滅して、以降は発生しなくなる。

系統も含めて、というところがミソだ。例えばドラゴンに使えば、その上位種のスカイドラゴンアークドラゴンも出てこなくなる。コロナウィルス使用すればその変異株も含めてこの世界存在しなくなる、という感じだろうか。

医療従事者、自分親族罹患者がいる人、ウィルスの影響で生業がおびやかされている人は間違いなくぶつけるだろうと思う。漠然と、「この世界の不幸の総量が減った方がいい」って人もきっとぶつけるだろうな、という気がする。それは正しい。

さて、俺は。

俺は、ちょっと考えちゃうなー。たぶん、現時点だったらぶつけないかも。

日本国内に関して言えば、いまは最悪の状態から脱しつつあって、これがまたヤバくなるようだったら多分ぶつけるけど、現状だったらぶつけないかなあ。

別にウィルスの影響で到来した世界が思いのほか住みよいから、とか、俺が人類総体として憎んでるとかでもないのよ。ただ、人間視点から判断して、一つの種を根絶しきっていいのか、という漠然とした不安みたいなものがある。

これ、生態系全体における役割みたいな話とも違うんだよな。

例えば、蚊いるじゃん。あいつら、全然いても意味ないじゃん。

でも、ハリガネムシっていうよくカマキリ寄生している細っこいヒモみたいなやつがいて、蚊(というかその幼虫のボウフラ)ってその中間宿主らしいんだわ。だから、蚊にジェノサイドの巻物ぶつけるとハリガネムシが困るんだよな。

ハリガネムシは最終宿主であるカマキリとかキリギリスとかを水辺に誘って水中に還ろうとするんだけど、昆虫はその過程で水の中の魚に食われて栄養になる。ハリガネムシ(と蚊)の存在が池や湖の生態系にも干渉してくる…と考えれば、気楽に「蚊、種として滅びろ」とも言えなくなる。

本題に戻るけど、でも、そういう話とも違うんだよな。

仮に新型コロナウィルス人間込みの地球上のあらゆる生物に対して害悪しかもたらさなくても、なんか根絶やすって決定はまずいんじゃないかって気がするんだよな。

別に文明は適度に危機さらされて、合理化健全化のきっかけにするべきである、的なマッチョ止揚を言ってるのとも違うのよ。コロナ人生狂った人はそもそも、フザけたこと言ってんじゃねえってことだと思うけど、違うのよ。

あくま生命生命なんだわ。ウィルス生命とみなすかは視点によるだろうけど、実体があっておおよそ繁殖可能で異物と接触しないと存在を維持できないなら生命だとする。

それを、死ね!つって種としてジェノサイドしていいのかな。例えその種族世界に悲しみしかもたらさないとしても。

俺はなんかよろしくないと思う。でも、理由言葉になんねえ。宗教みたいな、もう超個人的なそういう域なんだろうな。

でも、家族感染したら秒でジェノサイドするんだろうな。

そう考えると、いまも闘病中の人医療機関で限界まで消耗してる人、現時点で大勢いるんだろうから、単に俺の心が冷たいのかもしれないなー。

2021-09-19

小島一志という男(加筆)

 小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。

 相当なお騒がせ人物である

 詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwikiAmazon著作レビューでをご覧いただきたい。

 

 外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。

 

 家高泰彦というライターがいる。

 『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島大学時代同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である現在は絶縁)。

 「小島は人の懐に入るのがうまい」と彼は書く。

 小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである

 

 小島瞬間湯沸かし器である。突然に激しく怒り出す。

 しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。

 

 「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」

 

 小島は怒ると大抵こういう風に言った。

 しか第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとからなかっただろう。

 猜疑心被害感情が強すぎるのである

 

 小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しか当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。

 怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君言動であった。

 その一方で、1日も日を置くと、「あのとき感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。

 当初は「困った人だが、きちんと反省謝罪もできるんだな」と思っていた。

 だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。

 そしてこんな風にも思い始めた。

 これは共依存DVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか

 

 そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。

 わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである

 彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。

 

 彼を称して"イタコ作家"と呼ぶ人もいる。

 その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである

 アンチはこれを称して作話捏造根拠ひとつとする場合が多い。

 

 しかし、おそらく小島にその自覚はあるまい。

 催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである

 彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達芦原英幸の語りを再現する時の様子を。

 すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?

 小島思い込みが激しく、自己暗示にかかりやすい男である

 だから本当になりきってしまうのだ。

 イタコ気質である以上、イタコ作家は間違っていない。


 人間関係悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。

 これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。


 投影性同一視というものがある。

 非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやす説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。

 だから概念よりも、症例や行動パターンを見てほしい。

 驚くほど小島に重なるのである

 特に代表的ものを上げよう。

 

現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力

理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式

 

 もう一つ、社会心理学認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。

 矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。

 思い込みの激しい小島場合は、妄想物語を作り出すという形で表れる。

 だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。

 これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。

 なぜ小島はこのような人格を持つに至ったのであろうか?

 イタコ気質生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。

 

 原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。

 そして小島は芦原に心酔している。

 小島猜疑心被害感情の強さは芦原の悪影響ではなかろうか。



2022/6/30 加筆訂正

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