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はてなキーワード: Rtとは

2020-07-08

Vtuberファンアートを描く者として。

まずはじめに言います

これが贅沢な悩みであることは重々承知しています

何を言われようが構いませんし反論する気もありません。

はじめます

Vtuberにハマったのは2年前か、そのくらいだと思います

キズナアイミライアカリ、そしてにじさんじやホロライブへと興味は移っていきました。

それまで、絵というものは少しだけ描いていましたがそんなに上手いとは言えない出来栄えのものばかりでした。

しかVtuberファンアートというものはいくら下手でもゴミカスでも推しからリプ返やいいねが来る。

承認欲求がどんどん満たされていく。

しかしこの欲求っていうのは厄介で、1度満タンになると上限が解放されて今までの行為ではあまり満たされなくなっていく。

心を満たすために、もっといい絵を描いたら推しファンにも認知されるんじゃないか、そう思って機材も整えた。

数十万とんだね。

そして数ヶ月後、事件が起きる。

推しフォローされた。

10前後ファンがいるV。フォロバは極小数

その中の一人が私。

状況が掴めないまま時間けが過ぎていく。

フォローされました???なにこれ???

動画の待機画面にもサムネにもイラストが使われて完全に認知された。されてしまった。

これはVtuberファンとして、喜びの上限値である

ただ、うん、いいねだけで満足しておくべきだったんだ。



これ以上何があるんだ?





それから壊れていった。

喜びとして上限値だろうが承認欲求の上限は完全にぶっ壊れた。何をしても満たされない。

心が過呼吸を起こしてるんだ。

推しからいいねなんて完全に焼け石に水

なんの喜びもないどころか

「なぜお前はRTしない?なぜフォロバをしない?」

そんな考えさえ浮かんでくる。

なんでお前は俺を認知しない

なんでお前は僕を見てくれない

なんでお前は私を

なんで

絵をRTしない、フォロバしない推しは次第に推しではなくなった。

そんな奴は応援したって仕方ないからだ。

そして今、完全にVtuberへの熱意は薄れた。

最初フォロバしてくれた「推し」だけを細々と応援している。彼女が笑っていたらそれでいい。














残ったものイラスト用の機材と上達した腕だけ。

ゴミ共の描くカスみたいな絵だけ流れてくるタイムラインうんざりしてツイ垢は閉鎖した。

今はただ、イナゴって言われたっていい、ただイラストレーターとして活動していくことを心に決めている。

俺はこの先この満たされぬ承認欲求と共に歩んでいく。

ファンアート、いいよね。どんどん描きなよ。

自信満々に載せなよ。

推しがよろこんでくれるとでも思いなよ。

俺と同じ轍を踏むなよ。それじゃ。

初心者に毛が生えた程度オタクの界隈

お気持ち文を読むのが好きなオタクがここ数日の流行にのってお気持ちを書く。

ジャンルごとにアカウントを変えてきた。中学生の頃からヘタクソな絵を書いてはアップして、GWとか同人イベントとかのたびに自然に発生する「繋がりたいタグ」に乗っかっていたのに、一年以上動かして折に触れて繋がりタグをしているのにフォロワーは40人程度(良くわからない投資とかを勧めるアカウント含め)とかはザラだった。絵にもいいねは0~3くらいしかつかない。

それをジャンル移動するたびに繰り返していたのに、あるジャンルで急に絵に10いくつのいいねをつけてもらえるようになった。絵はそんなにうまくなってないから、何が違うんだろうと思っていたら、フォロワーとの交流だって気づいた。交流する風土の界隈だったっていうのもあるんだろうけど、今までより積極的相互の絵にいいねをつけるようにして、リプも送っていたら自分の絵のいいねも増えた。今までは、片道フォローの神の絵の、その中でも刺さったのにしかいいねを押さないでいたので。

もっとちゃんと絵がうまい人は違うんだろうけど、繋がりタグフォロワーを増やすような界隈、主要キャラ生誕祭タグいいねが50~100くらいの画力コミュニティはたぶんこれでいいねが増える。絵のいいねが増えると繋がりタグでお迎えいただける確立も高くなる。相互が増える、RTしてもらえる確立が増える、同程度の画力の多くの人の目に触れるようになる、いいねが増えるのループができる。なんだそんなもんか。

Twitterのバズを隠す

何かしら創作し発信している身としては,SNS拡散度合いの可視化は心に悪い.

たかだか10RT程度が限界自分投稿と,やたらRT・Favされる人気者の投稿・・・・

もちろん自分の心が荒んでいるからこそ出てくる文句でもあるし,客観的にはもっと改善点もあるだろう.

ただ,自衛手段としてこれらを見えにくくする手はあると思うのだ.

というわけでAdBlockのMyフィルター機能を使って色々隠してみた.使い方はまあググってくれ.

tweetdeck向けの設定
! リプライとかのボタン非表示
tweetdeck.twitter.com##ul.tweet-actions
! 数字も消す
tweetdeck.twitter.com##span.like-count
tweetdeck.twitter.com##span.retweet-count
!RTした人の名前非表示
tweetdeck.twitter.com##div.tweet.js-tweet > .padding-bs.txt-mute.txt-size-variable--12.tweet-context > .nbfc > a
!続きを見るを非表示
tweetdeck.twitter.com##div.js-show-this-thread
!詳細欄のRTやFav欄を非表示
tweetdeck.twitter.com##.flex-wrap--wrap.flex-align--baseline.flex-row.flex.tweet-stats.js-stats-list

まりきれいなフィルターにはならないが,Twitter Webも同じように色々消せる.自分が消しているのは,

あたり.

みなさんもいいtwitterライフを.

解釈が混ざるからタイムライン見るのやめた



ダ・ダ・恐山Twitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。

このツイート最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。


その原因は今流行りのソシャゲにある。

現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元ソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。


爆ハマりした後、腐女子であるはいわゆる「推しカプ」ができて、最初ROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。



しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。


アカウント作りたてのこの時はフォロワー10人とかでほぼROM状態フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。



でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。


人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。



そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。



そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。

問題はその後。これはつい最近の話だけど。


だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。


それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。

※何度も言います普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです



相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい

毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。


けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。


相互の中には考察をする人も多くいる。

というか大半がそういう人(オタク考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈考察が流れてきた。



ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。



すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察解釈が流れ込んでくる。マジ?

これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。


そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分解釈考察がなんだったかからなくなっていた。


いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。

少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。

それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。


新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムライン考察解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。



からタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから



もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさら状態推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。


というわけで、恐山の「解釈が混ざる」発言、本当に身に染みた、という話でした。

七瀬もおパ中もきちんと倫理観がある人だから羨ましい。自カプ界隈は地獄絵図でしかなかった

最近お気持ちツイートブログを見かけることが多いので自分に整理をつけるためにもここに書き記す。文章を書くのに長けていないため乱文であることはお察し願いたい。

私はとあるジャンルのA×Bが好きなロム専だった。ABには素敵な絵師さんや文字書きさんがたくさんいて、さらにありがたいことに公式から供給も多くABがCPとして盛り上がっていた。これはいオタクとして本当にありがたいことだ。

しかしながらある時、界隈でよく自カプの発言をする人達が騒ぎ始めた。それもただの発言ではない。自カプを攻撃するような所が多々見受けられる発言だった。私はそのグループを「過激派」だと感じた。

まりは5桁フォロワーがいる大手の何気ない発言だったように思う。Bに新衣装(ここではB’とする。当ジャンルシリーズ毎の衣装がIF作品としてよく使われる)が来て「B’はA×Bの子供みたい!」と、界隈全体と言っても差し支えないほど皆んなが盛り上がっていたときに、大手は「ABの子供系苦手なんだよね」とTLで発言した。何せフォロワーが5桁もいるのだ、その発言を受けた界隈の絵師文字書きは皆んな途端に口を閉ざした。新しい供給で騒いでいた界隈が静まり返った。ここで私は「わざわざ界隈に水を刺すことを言う必要はあったのか」と疑問に思ったが、もちろん思うだけに留まった。だって別に苦手だと発言することは止められるべきことではないのだ。個人がそう思ったとしても何ら不思議ではない。(界隈に水を刺すような大手という認識が生まれたが。)

しか大手のこれを機に何かと不平不満を漏らす過激派大手だらけのグループができてしまった。その過激派グループの内輪と界隈には溝ができ始めていた。

ここで私が使っている「過激派」とは固定厨であり(グループの中には雑食もいるが)尚且つ自カプ界隈を攻撃するグループを総じて過激派と呼んでいる。

私もロム専なりに自カプABに対して解釈を持っていたが、過激派は中でも生粋解釈厨で

「〇〇なAっていう解釈するやつは頭悪いの?」

「〇〇なAまじで無理、気持ち悪い、安易解釈

「××なAじゃないとAじゃない。〇〇なAが解釈違いすぎる」

解釈違うやつは虫と同じ。みんな視界に入れたくないよね?」

「ABで検索したんだけど解釈違いで発狂してブロックしまくってる」

というような発言大勢の目の前で言ってしまうような人々が集うグループであった。(もともと逆カプに対しても死ねや殺すと言ってしまうような人達であったので当然だったのかもしれないが…)

もちろんABの二次創作には「〇〇なA」という解釈作品として確立していた。話が戻ってしまうが、5桁フォロワー大手が苦手だと言った「ABの子供系」という作品も少なから存在する。これらの呟きを図らずも見てしまった(表垢でわざわざ見えるように発言するのが過激派グループだ)絵師文字書き、〇〇なAを好きだった人は萎縮した。そういう作品を上げていた絵師さんたちはABの話をしなくなった。そしてフェードアウトするかのように何も言わずに黙ってこの界隈から去っていった。

ある時は、グループの中でも1番と言っていい過激派のXがTLに流れてきたとある絵師さんのイラストに対して直接文句をつけ始めた。

「〇〇なAとかどうしたらそうなるの?Aは高等な教育を受けていて教養が身についてますけど。朝から変なものを見た最悪」

流れてきた地雷イラスト無視するのではなくわざわざ口に出して言ってしまう。それに賛同する信者の数も一定数いる。このような雰囲気が何ヶ月も続きついに界隈は大炎上した。



名指ししてないよと言うもの

炎上したきっかけは私と同じとあるロム専の人のお気持ちツイートだった。

「界隈内でこの解釈が無理だのこれは読めませんだの自分の界隈の身内の書き手以外を攻撃してくのおかしい。こんな界隈見たことない。」

このツイートにはロム垢とは思えないくらいたくさんのRTいいねがついた。これに賛同する絵師さん文字書きさんも多く、過激派グループに属していない大手絵師さんたちの一部もお気持ち表明ツイートをした。かなり安易に「大手」という言葉使っているがフォロワーが4桁以上の人を私はそう呼んでいる。実際にお気持ちツイートした人は3000人また5000人ものフォロワーがいる人であり、このお気持ちツイートは界隈の末端の発言であるとは言い難いものである

しかしながら過激派グループは腐っても過激派なのだ比較過激派ではなかったYに「あなた過激派グループの1人ですか?」「自分たちのことを過激派だという認識はないのですか」という内容のマシュマロが届いた結果、グループ全体で逆ギレし始めた。

別に名指ししてるわけじゃないでしょ」

感受性豊かですね。被害者妄想が過ぎる」

「どっちが界隈を廃れさせてるのかわからないの?」

「好きなことだけ呟けばいいよ…」

ここでまず疑問に思うのが過激派グループは揃って「名指ししてないよ」と言っている点だ。たしかに「名」指しはしていないが本当に指してないのか?そんなわけがないだろう。

〇〇なAが嫌いだという結論に至るのは〇〇なAという作品がありそれを認知しているかである。ABが好きな界隈の人であれば、どのような作品示唆しているのか、果てはどの絵師さん文字書きさんを言っているのかがわかってしまった。その結果、絵師さん文字書きさんが悲しんでこの界隈を去って行ったのである。そしてこの「どちらが界隈を廃れさせてるのか」「好きなことだけ呟けばいいよ」というお気持ちツイート。5桁フォロワー大手が言っていたものもあり、いずれにせよ、過激派グループが言える立場にあるのか、甚だ疑問に思う。

界隈が「怖い」

当事者である過激派グループと界隈の一部を除いて皆んなが見て見ぬふりという態度をとったため数日後には炎上はおさまっていた。しか過激派グループとそれ以外の溝は確実に深まっていた。根本的な解決には至っていないのである。水面下で皆が皆、不安を抱えて過ごしているように感じてしまう。

もともと過激派グループの声が大きくなってきた頃から、AB界隈は他B受け界隈から「怖い」という印象を持たれている界隈だった。自カプを攻撃するようなグループが中心に居座っているのだからこれは当然のことであろう。そしてこの炎上以降「界隈が怖い」という呟きをするひとがぽつりぽつりと増えた。

その結果、ぼや騒ぎが常に起きているかのような界隈になってしまった。いちロム専としてこんな悲しいことはない。

だが過激派グループは「界隈が怖い」と言われることに憤怒しているようなのだ逆ギレしたようなお気持ちツイートもたまに見かける。そして何より恐ろしいのが「怖い」と呟いた人に対して「そのツイートは界隈のためにならないので消してください」という旨のご意見DMが届いたというのを耳にした。自分がそのようなDMをもらうと考えると怖い。これを怖いと言わずしてどうしろというのか。消せ、と言われた人はやはり悲しみながら萎縮してしまっていた。

このような環境が長いこと続く界隈である過激派グループ以外の絵師さん文字書きさんは、

「人気のある人たちだから嫌われると怖い」

「気軽にRTできない」

「ABを書きづらい」

「ABをかくこと自体が怖くてできない」

と言った具合の心境らしい。らしい、というのはあくまでも私がロム専に留まっているかである

怖くて「何も」発言できないのである発言をした人は過激派グループから除け者扱いされる。恐らく過激派グループはこれを末端の声程度にしか思っていないのだろうが、きっとそうではない。

内輪と界隈の溝を全く理解していない。新規参入さんにはわからいかもしれないが、長いことABを推していた人はその威圧感をひしひしと感じ取っている。主語をでかくするななどと言われるだろうが、過激派グループとその信者を除いて、界隈の多くが思っていることである。近い将来また炎上しそうなことなんて誰の目にもわかり切っている。

どちらが界隈を廃れさせてるのかだなんて少し考えてみれば一目瞭然ではないだろうか。これは価値観の違いではなく単に道徳心の程度の差だ。良識のある無しとも言えるだろう。

いっそのこと界隈の皆んながおパ中みたいな人だったら楽しそうと思ってしまうくらいには疲れてしまった。同じABというCP推している者同士、こんな内戦が起こらなくても良いではないか。その界隈の作品に対して全肯定botなおパ中がいるような界隈が羨ましい。

なので私はこのお気持ち表明を最後に界隈から去ることに決めた。自カプ早く自滅しろという気持ちを持って。

2020-07-07

綾城にフォロバを貰った友川もどきのクソ感情

私は字を書く腐女子だ。

男同士の恋愛妄想してはその一部始終をダラダラとツイッターに流したり、ピクシブ支部)に投稿したり、気まぐれに本を出したりするのが生きがいだ。

今までに何度かイベントに出て、何度か新刊完売したり、何度か完売しなくて現在もそれなりの在庫を抱えているくらいの、まあどこにでもいる同人女である

 

最近流行りのおけけパワー中島面白いね~~~~!!!!!!

色々な反応や記事を見てニヤニヤさせてもらった。ああいうのだいすき!!!!!!!私ならおけパ即ブロして、別垢から監視リスト入りさせてるけどな!!!!!!

 

私は自分で言うのもあれだが相当に性格が悪い。中身はこんなんでも本アカでは健気に猫を被っている。

いつものように傍観者気取りで黙っていても良かったのだが、せっかくだし吐き出す事にした。

クソ腐女子の激重感情お気持ち長文、分析考察、本当にありがとう

感謝の代わりに私のお気持ちもここに置いていく。

 

暇人がいたら適当に読んでいってくれ。

 

私は綾城にフォロバを貰うのに成功したタイプの友川もどきだ。

フォロバを貰えなかった本当の友川からすれば、私はおけパに近いのかもしれないな。でも私は自分の事友川だと思ってるから、そう自称させてもらうな。

 

 

今いるジャンル主人公受け(主人公をBとする)のカップリングが一番人気だった。

規模はそれなりにでかいのだが、私がそのジャンル出会った時には最盛期を過ぎていた。

それでも推しカプA×Bを検索すれば成人向け小説が4桁単位で出てくるし、「斜陽」となった今でも参入者はいるし、支部作品だって時々増える。

 

今のジャンルに来る前の私は読み専、ロム専というやつだった。

いや、実は一次二次わず執筆自体はずっとしていたのだが、一切ネット投稿せずに過ごしてきた。

私も最初は多くのロム専がするように、先人が残していった遺産ほぼほぼ漁り、漁りつくして、それでも足らなかったので自分でも書くことにした。

初めてのA×B。それなりのものが書けたので投稿した。3桁程度のブクマ評価を貰い、それなりに満足した。

 

もう一本思い付いたので、また書いて投稿した。

今度も3桁程度のブクマを貰い、今度はコメントまで貰った。

そんな事を繰り返し、自作品におおむね○○usersのタグが付くようになると、私もいっぱしの字書きになれた気がしてくる。

 

A×Bで書きたい話はまだあったし、私も本を出してイベントに出れば、神たちと交流できちゃったりして??

絵師、神字書きのイベント終わりのキラキラアフターツイート群に、私も憧れていた。

そんな薄暗い野心を密かに抱きつつ、私はとうとう交流用の二次創作アカウントを作った。

 

初めは当然見向きもされなかったが、自分作品や呟きには既に「ウケる」自信があった。

妄想ツイートを続けていると、♡やRTフォロバフォローしてくれる人が増えるようになる。

自作品はまさに「名刺」代わりだ。

あの作品まさか読んでいただけてたんですか!ありがとうございます、嬉しいです!作りたてのアカウントですが、よろしくお願いします!

そのうち「支部最近現れた字書きの○○さん」本人だと認知されるようになった。

 

計画通りだった。

 

いそいそと推しカプのイベントに行き、一般参加だと買えない事の方が多い、とある絵師の本を勝ち取った。

例のアカウントで「○○さんの本最後の一冊だった~~!!絶対しかたから大勝利♡」などと呟いていると、

その神絵師から急にフォロバが来た。エゴサしてたんかな。

ちょうど呼吸のごとくA×Bの妄想ツイートもしたところだったので、そちらに反応したのかもしれない。

まあおそらく前々から認識はされていたのだろう。

 

そこから絵師との交流が細々と始まった。

 

絵師は滅多にフォロバをしない人で、自身の呟き自体も少なかった。

その神絵師が私のツイートに♡やRTをくれると、みるみるフォロワーが増えていく。

うーん、さすが拡散力が違うな。

 

そんなこんなが積み重なり、今の私の本アカフォローフォロワーである

 

 

長々と現状共有をしたが、私にも界隈で嫌いな人はいる。けっこういる。

 

A×Bの解釈が合わないとか、A×Bで繋がったものの、その後別カプに移動してしまったり、はたまた別ジャンルに移動してしまったり。

私はA×B固定なので、申し訳ないと思いつつ、そういう人たちは早々にミュートしてしまう。

 

他のジャンルの話をされたくない。旬ジャンルに誘わないでほしい。お前が勧めてくるそのゲーム、私は公式ブロックしているからな。A×Bアカではその話だけしてほしい。困る。

・・・・・・すべて私のわがままなのは分かっているが、それが理由相手に凸したりはしないので安心してほしい。

 

 

そんな私にとっても、当然おけパ、おけけパワー中島存在する。

私と似たような字書きで、もっと古参で、もっと一般受けするような作風の人とか。

かなーりコミュ力が高くて軽率に褒めてくれるけどジャンルが見るたび変わる175エロ描きとか。

 

幸い私はクソマシュマロを貰ったことはないが、ここまで読んで貰えば分かる通り、非常~~~に自我が強い。

仮に貰ってもメソメソ病んで泣いて作品を消す事はないし、こちとら腐っても字書きだ。

日頃のツイートから窺える思考の癖や、暮らしぶり、攻撃の手口から絞り込めば、大体こいつだろうなってのは察する事が出来る。

私にも送ってくれないかな~。私は自分を嫌っている人間特定できるし、送った側は(一旦)溜飲が下がるし、互いに良い事だらけなんだが。

 

話が逸れた。

私みたいな心の強い同人女だって、きっとこの世には沢山存在するに違いない。

フォロワーの数は肯定力だ。その人の価値全てではないにしろ、「オマエの事を定期的に見ていてやるよ」という意識を(一度は)表明された数だ。

誇りを持っていい。

 

ようやく本題に入れるが、私は自分が「友川」だと言った。でも同時に誰かの「おけパ」でもあるのだろう。

 

ツイッターでこんな意見をちらほら見かけた。

「友川が凸しなかったのは純粋に偉い。友川になれないオタクいっぱいいる。」

そんなことない。私程度でも友川もどきになれたのだから、友川はもっとたくさんいる。物陰に息を潜めているだけだ。

 

 

だって友川、私たちって相当粘着質だろ?

多分おけパの事わざとフォローしてないんだろうし、おけパと相互になってしまった世界線の友川はおけパの事さっさとミュートして鍵リストに入れてるだろ。

で、憧れの神絵師自分より仲が良さそうなリプライを覗いては、黒い気持ちになったりしてるだろ。

 

自分が誰かのおけパになってる事にはうすうす気づいてるけど、さっきフォローしてくれたばかりの新しいフォロワーホームまではいちいち見に行ってないだろ。

そいつ最近界隈に来た私たちの後輩かもしれないぞ。あれは少し前の私かもしれないんだよ。

 

私が気軽にフォロバしない理由は、先述の通り「地雷を踏む可能性が高いと気付いたから」だ。

A×B以外を、私が望むタイミング以外で見せられたら困るのだ。

 

私は175作家と旬ジャンルに食いつく腐女子を親の仇ほど憎んでいるので、誰かをフォロバしようかなと思ってから少なくとも1か月は監視している。

誰と仲が良いかそいつジャンルは何か。コミュ力が高いかジャンルの経歴はどんなものか。

なぜA×Bを推しいるか承認欲求目的ではないか

日常ツイートの傾向にイライラしないかかまってちゃんじゃないかどうか。

生活レベル自分とかけ離れていないか価値観が合わないといつか決裂する。

 

・・・・・・私は結婚相手でも探しているのだろうか。でも実際、推しカプって大体は恋愛させているのだし、個人恋愛観は重要だと思っている。

びっくりするほど上から目線だ。自分でも何様のつもりだって感じだが、結局ここまで吟味したフォロワーでなければミュートすることになるのだから

地雷踏みたくないなら自衛しろよ」の範疇だと思っている。

腐女子が大好きな学級会で声高々に叫ぶやつだ。そういう事だぜ。

 

 

川本人の話に戻ろう。

なんで友川が綾城にフォロバされなかったか

綾城にだって地雷というものがある。

地雷は年々増えるものだ。私だって昔はプロフィールに「地雷なし」と書いていた時代があったさ。

普通地雷名言したりしないし、貴方のここが私の地雷からフォロバしません!なんてわざわざ言わない。

 

からフォロバが貰えるかなんて気にしてはいけなかったのだ。

友川からしたら綾城は好み100%圏内なんだろうが、綾城にとっての友川の作品傾向が100%好みの範疇に入るかは分からない。

 

 

綾城は神絵師だが人間だ。

綾城がどうでもいい日常ツイートをするたび、謎の鍵垢からどういう意味かも分からない♡が一定数付く。

原稿のご褒美と称した、ただのコンビニアイス写真RTされる。正直意味が解らない。晒されているのかと思う時もある。

賞賛の数だけ、嫉妬中傷が付きまとう。人間が画面の向こうに居る以上は仕方がない。

 

友川だって支部ブクマに1つでも評価が付いた瞬間から、誰かの綾城になっているのだ。

もう少し肩の力抜いて生きようぜ。オマエが綾城だけを見ている間に、オマエのフォロワーがオマエにフォロバして欲しがっているんだぜ。

 

 

空気のおけけパワー中島だった話

おけけパワー中島もどき

同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。

もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。

私は、ただ綾城ポジリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。

さらに、ここには絵師と字書きの埋められぬ差があった。

何があったか

私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。

軽率布教した某アニメ作品綾瀬ストライクゾーンに当たり、彼女こちらのジャンル沼に転げ落ちた。

綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しカラーイラスト漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。

一方の私は綾瀬布教したのは良いものの、ドヘタレ底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。

さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CPはいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさらまれない。

私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。

優しい友人は、私の小説RTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。

友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。

私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。

イベントに出ることにした

友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。

友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿ジャンルプチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。

さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。

そして迎えた当日。

友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった

何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。

スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在認識していなかった。

田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。

驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。

その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者テンション高く綾瀬普段感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令一言だけ述べて去っていった。

来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。

両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。

友人の初イベント空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。

相互田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。

イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。

おけパ中島になれなかった

あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。

ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。

あの漫画中島発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手想像だが、あの漫画中島ジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。

Twitter内で流行っているおけパ中島への考察妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。

いくら神の友人でも、ジャンル空気だった私は、怪訝目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。

「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。

たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。

あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。

その後

綾瀬とはそれから声優トークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。

しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンル布教しなかった。

ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。

綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンル彷徨っている。

綾瀬の好みに合いそうなジャンルにハマり、綾瀬布教した時、私は今度こそ「おけけパワー中島」になってしまうのだろうか。

一番の思いとしては、誰かの綾瀬になりたかった。

オタク最高ハッピーという話です。


私はオタクで、ある男女コンビ推している(仮にXとする)。

家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情公式から供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。

その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。

その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ち投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。

半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。

私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初漫画は本当にひどい出来だった。

それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。

軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。

私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画ほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。

それが伝わったんだと思った。

2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初RTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。

7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学オンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。

ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。

私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。

最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。


私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現たかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいねフォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。

私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSアカウント放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。

午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。

で、それが最初RTしてくれた方と最初フォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。

あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。

私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。


なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。

ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。

私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウント放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。

まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロン半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげですありがとうございました。

自カプが神絵師RT稼ぎに使われた話

最初に言っておくがあくまで私の意見であり独り言である。あととてつもなく読みにくい。

最近二次創作関連のお気持ちブログが増えたので便乗することにする。

私は某旬ジャンルマイナーカプであるABを現在進行形応援している。

元々応援している人数も少なかった。その中で私はイラスト小説を上げてひっそりと活動していた。

ある日その人は現れた。名前Mさんとする。

MさんはABではなくCB応援していた。沢山イラスト漫画をあげていた。それも毎日イラストも上手かった。そして承認欲求がとてつもなく強そうだった。

なぜそう思ったのかというと、「10RTありがとうございます😂」などとツイートするタイプ人間(わかる人にはわかる)だったからだ。

あと今後の展開や、何を投稿して欲しいかアンケート、聞いてもいない次回作のページ数や予定してたよりもページ数が多くなる報告、自分イラストを褒めている引用リツイートRTするなど、私から見ると不快ツイートが多かった。

正直何がきっかけで繋がったのかは覚えてないが不快だった。

ならばその人を切れば良いではないか?と思うだろう。しかし切れないのである。なぜならその人は私の推しているABの「顔絵師」となってしまたからだ。

ABはマイナーカプだ、それゆえ投稿されるとオタクが大喜びする。Mさんは何かのタイミングでABをTwitter投稿した、するとCBよりも反応が貰え感謝リプライを沢山貰っていた。

それで味をしめたのだろう、気づけばその人はABしか描かなくなっていた。推しカプ表記もABに変わっていた。

MさんのABが公式!」「ABといえばMさん!」そんなツイートを見る度に悔しくなった。原作にないカプ(男同志)なのだから公式くそもないのだが。

Mさんの描くABこそがAB!のような風潮になりつらかった。

一番辛かったのは元々仲良かった神絵師さんがABを投稿した際にMさんがリプをした、その返信が「ABの顔のSさんからそのように行って貰えて嬉しいです!!」だった。

泣いた。なぜだか分からないけど涙が出た。その人は元々CBが好きでABで承認欲求が稼げるから描いているだけなのだ

あと腹が立つ点は私とそのカプの解釈が違いすぎるからである

Mさんが「私、原作は買っていないのですがAとBはこの後どうなりますか?それによって今日描く漫画の内容が変わります💦教えてください💦」とツイートした時にはスマホを割りたくなった。

Mさんの描いた漫画無断転載された通報してくれ、とツイートした時も「お前はアニメ画像アイコンにしたり、他の絵師さんの無断転載画像アイコンにしてる奴と仲睦まじく話してるじゃないか」と思った。

嫉妬なのか怒りなのか分からない。私の好きなカプがその人に乗っ取られたように感じた。

私の承認欲求が強いのが悪い。絵が下手くそ文章も下手くそ人間関係も下手くそ。それは分かっている。だがその人のABこそが顔!!という風潮が許せないのだ。

でもその人がカプの顔、もしその人と喧嘩すれば確実にみんな私よりもその人について行く。二次創作にも界隈というものがあるのでそれを抜ける勇気がない。

公式に金を落とさない175になぜ私の好きなカプが荒らされるのかいみがわからない。

2020-07-06

自カプにおけけパワー中島がいる

近頃話題漫画、思うところありすぎて体調悪くなるし、わたしは綾城さんじゃなくておけけパワー中島にクソデカ感情を抱きまくっている。

自カプのおけけパワー中島相手してもらっているから。

自カプのおけけパワー中島(以下、自おパ島)マジで何でも褒めてくれる。

自おパ島、突然現れて自カプ者たちの承認欲求ガンガン満たしてくれた。ちょっと感想屋さんも混ざってるかも。でもテンションはおパ島、神にもフランクに話しかけてて、陰の者はぐぬぬ……になるしかない。でも自おパ島は私にもフランクに話しかけてくれるし作品投稿したらRTのあと感想くれるしリプもくれる。あ〜好き。

綾城さんとおパ島が通話してるシーンも覚えがありすぎた。自おパ島、通話してくれる。素敵な自カプが上がってたら教えてくれる。

自おパ島との関係進行形で続いているし、私と自おパ島だけの関係で言ったら円満というか、まあ、仲良いように見えると思う。たぶん自おパ島はわたしのこと普通に好きなんだと思う。

それなのに私がクソなクソデカ感情を抱いてるのはたぶんもくりのせい、もくり、オタクたちの距離を縮めすぎ。

自カプで交流あって何度かオフで遊んでた神と自おパ島、いつの間にかアホほど仲良くなってた。きのう神と自おパ島がオフで遊んでいるのをタイムラインで知った私はもう……ぐぬ……ぐあ………………誘ってほしかった……でもたぶん仲の良さは比べものにならないんだろうな……とか、神……何かあったら私を誘ってくれていたのに……とか、自分は何もしていないのに少し嫌になってしまって無理。

わたし匿名しか感想言わないし、RTしないしリプしないしオフで遊びに行こうよ〜とかすげー仲良くなってからしか誘わないし、そんな神でもないただのフォロワーなわけですが、でも自おパ島……ぁたしにも構ってくれたじゃん…………。

良い作品作りまくって振り返ってほしい神もいないことはない(自カプの神と自おパ島は当然相互しわたしは片道フォローだしあ〜やだやだ)けど、自おパ島にとっての綾城さんになりたいすぎてなんかもう無理、だって私がジャンル移動したらそこで終わり……

健康に悪くないですか?

簡単質問に答えるだけで、誰かへの感想が書けるサイトをつくった

感想

感想が欲しい。感想は有れば有るだけ良い。前に嫌なこと書かれたから欲しくない。

金で買っても欲しい。養殖じゃなくて、新鮮な悲鳴のような感想が欲しい。

良かったの一言だけでいいのに。大丈夫だったかだけでも教えてくれたらいい。

せっかく感想伝えたのに、Twitterでそのこと愚痴られてるの見ちゃった。もう二度と感想伝えない。

感想には悲喜こもごもが混じっている。

定期的にバズっては同じような議論が繰り広げられて、収束していく。

それが感想というものだ。

感想。私も書くのが苦手だ。

私も字を書く側の人間ではあるが、感想は苦手だ。

何を書いていいかからない。

失礼になって、逆に傷つけてしまったらどうしよう。

こんな興奮状態で、まともな文章が書けるはずがない。

そんな人の助けになればと、簡単質問に答えるだけで感想が完成するシステムがあればと考えた。

出来上がったものがここにある。

https://amechankonabe.github.io/kansou/index.html

Twitterにアップした。それなりにRTもしてもらったが、もっとたくさんの人に届けたい。

私のツイートはバズらなくていい。

だれかに拡散してもらえればそれでいい。

技術が足りず、ページにツイート機能を付けられなかった。

それでも、共有方法はいくつかあるので、誰かが広めてくれないかなぁ。

少しでも、この世界感想を増やす一助にならないかなぁ。

そんな祈りこめてこれを書いている。

フォロワーが壊れてしまった

今まで相互フォロワーは、死んでさえしまわなければ何でもいいと思っていた。

アカウントを消して自分の前からいなくなったとしても、変な話ブロックという悪い関係性になってしまっても、ただ生きてさえいればよい。

その人の人生自分が関わらない事は、大した問題ではないからだ。

私はTwitterをやってもう10年になる。それだけ長くやっていると、前兆もなく突然ピタリ失踪してしまった人が何人もいる。

生きているのか死んでいるのかも分からない。生きている事を願うしかない。Twitter自体に飽きたり、別のアカウントに居場所を見つけたとかならよいのだが。

中には「なんか今日ちょっと体調悪いなあ」「お大事に!」「ありがとう!」というやりとりを最後に、5年間更新がない人だっている。

そう、ただ生きてさえくれたら、生きてさえいてくれたらいい。

と思っていたのだが、フォロワーが壊れてしまった事で考えを改めた。

政治的発言ばかりするようになった」的な生ぬるい崩れ方ではなく、本当にメンタルのものが壊れてしまった。

Aさん。相互フォロー歴ももう長い。Aさんは自ジャンル絵師をはじめとする表現者を発掘して回り、RTシェア応援するような立ち位置の人だった。

私もこれまでAさんに幾度となく感想をもらったり、自分作品シェアしてもらったりした。

私はAさんに自分作品を褒めてもらえるのが嬉しかったし、別の誰かを褒めて回してくるAさんの事も好きだった。

Aさんは今年の2月から仕事が忙しそうな事をたびたび口にしていた。残業仕事残業

そしてある日突然、壊れてしまった。

他のフォロワー支離滅裂脈絡もないリプライ飛ばしまくるようになった。

イメージ的には「今日サイゼリアで昼食~!」に「私はひよこです!ありがとうござい!ます!」みたいな感じ。

まり脈絡のなさに、Aさんのフォロワーたちは最初は「誰かに乗っ取られていませんか?」「リプライ自分で合ってますか?」と確認していたが、

徐々にそれが「Aさん」であると皆がうっすら理解するようになると、やがて誰も口にしなくなった。

何人かはDMでやりとり出来ないかと頼み込んでいた。DMなので内容は知らないがAさんの悩みを聞いたりしていたのだろう。

ひよこってかわいいですね!」と無理やり世界観を合わせて発言しようとする人間も少なくなった。

Aさんのフォロワー数は確実にゴッソリ減っていたので、恐怖に縁を切ってしまった人間もいるはずだ。

私は少し前にインターネットでよく流行った「支離滅裂思考発言」という画像を思い出した。

元々あれは精神病理系書籍の出典で、もともとは「今日は晴れですね。晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?」という文章だった。

少し前ならこれを笑っただろう。だがこの時私は「ああ、Aさんの文章だ」と思った。

ワードサラダ。思路障害統合失調症

ああ、Aさんは心の病気になってしまったんだ……。

沢山のものを追いかけてきらきらしていた、あの頃のAさんはもういなかった。ただ支離滅裂文章をひたすら投稿し続けるbotになってしまった。

でもそれでも、そんなに支離滅裂でも、利用語彙そのものはAさんだった。好きなものたちの、好きな人たちの名前だけは忘れなかった。それが余計にやるせなかった。

フォロワーが死んでしまうのもつらいけれど、こんな生き地獄になってしまうのはあんまりだ。

2020-07-05

感想を金で買った話

あらゆる同人女にとって、何より欲しいもの感想である


と、いきなりクソデカ主語で失礼するが、一次創作でも二次創作でもイラストでも漫画でも小説でも、なんらかの作品を自ら作り出し、ワールドワイドウェブに公開し、あるいは大枚をはたいて本を刷っているひとは、少なからず反応が欲しいものなんじゃないかな、と私は思うわけ。

感想が欲しいか創作してるわけじゃないけど、でも、書き上がったものに対しては「どうだった?」って聞きたくなる。


え、ならない?

身近に感想不要派のひともいるし、全員がその限りではないことはもちろん分かっている。

欲しい反応だって言葉なのかRTなのかイイネなのか、はたまた本を買ってくれることなのか、人それぞれだということも分かっている。


まあそういうわけで、つまり 私は とにもかくにも感想が欲しい。

この「感想」というのもまた捉え方が人それぞれなので厄介なんだけど、私は『感想とは:作品を読んで思ったこと』と定義しています

純粋に読んで思ったことなので、それは「つまらん」とか「意味わからん」とか「冗長」とか「漢字が読めない」とか、そういうあらゆるネガティブなことも、当然「感想」に含まれると思っている。

そういうのもぜーんぶひっくるめて、私は感想が欲しい。

自分の書いたものが、どのように受け止められているのか、それが知りたい。

いたこと、書きたかたことが読み手に伝わっているのかどうかを、確認したい。

もちろん、褒めてもらえたら嬉しいし、けなされたら凹むんだけど、でもそれを知ることで、得るものがあると思っている。


と、いうわけで、コミッションサイト感想を買ってみた感想を書きます

<本題ここから


今回、こういう依頼をするのは初めてだったので右も左も分からない状態だったんだけど、ともかくとあるコミッションサイト登録して、そこから

感想書きます」と募集しているクリエイターさん、かつ自分作品を読んでくれそうな人(クリエイターさんによって受付条件がいろいろある)を一晩かけて見繕い、複数人に依頼してみた。

ちなみに、私は版権二次小説同人誌を書いている腐女子なので、そういうのが万事OKクリエイターさんにお願い。


結果、分かったこと。


クリエイターさんによって、仕上がりにものすごくバラつきがある

感想はいいぞ


この2点です。


私が登録したコミッションサイトでは、こちらが提出する文章の量に応じて値段設定してる人がほとんど。

依頼するときに、作品情報と同時に作品自体も提出したので、それを見て、価格や、依頼を受けるかどうかの判断もされていると思われる。

こういうのって、クリエイターさん側も成果物サンプルを上げていて、それらを見てこちらも誰に依頼しようか判断するものだと思うんだけど、

感想に関しては、成果物の例を上げているひとが誰もいなかったので、この時点では、どんな形式でどれだけの分量の感想が返ってくるのか、見当もつかない状態

募集要項に書いてあることを熟読しても、仕上がりのイメージはまったく湧かない。


まあこの手の市場はまだ発展途上というか、醸成されてないだろうから、お互いに手探りなのは仕方ない。

よう分からんけどまあええわ!!なんかいい感じによろしくたのむで!!と思いながら依頼ポチー!

そんな感じで、クリエイターさんと何往復かやりとりして、価格納期相談し、時がくると、感想文が納品されてくるシステムです。

よう分からんと書いたけど、このやりとりの時点で、クリエイターさんの作風(?)というのがだいたい分かってくるので、この時になんとなく仕上がりが察せられるんだけどね。

あっさりめとか、分量多めとか、なんかそういうのが漠然予測できる。(そしてその予測は的中した)

同じ小説を提出しても、返ってくる感想千差万別。分量も、感想テンションも、形式も、ほんとうに人それぞれ。

けっこうあっさり、さらっと流し読みしたのかな?って感じで、それはつまり「つまらなかった」(と直截には書かれてないけど)という感想かな、と思えるものから作品引用して一文ごとに詳細に感想を記してくれるものまで、ほんといろいろ。

まさに、私の小説を読んで各々が「感じたこと」を書いてくださったわけですよね。ありがとうございます。こんなとこで言うなて感じだけど。どれも、全部心からありがたかったです。

ここで、実際に納品された感想がどんなだったかを詳しく紹介したいとこだけど、互いに身バレしてもアレなんで控えます

実際に頼んでみるといい!!!


そういうわけで、依頼の時点では何が来るのか分からない、というのは良くも悪くもあるかな、と思いました。

自分の欲しい感想(見てほしい部分)がはっきりしている場合は、それをきちんと要望として出した方がいい。

例えば小説だったら、印象的だった一文を教えてほしい、とか読んでいてひっかかった個所を指摘してほしい、とか。

当たり前のことだけど、読み手としても、どういう視点で読めばいいのか迷うと思うので、漠然としているよりは着目してほしい点をはっきりさせた方が、お互いのためになる。

そのためにはまず依頼する側が、何を望んでいるのか、自分の思う「感想」とは何なのか、きちんと自己分析する必要があるとも思うけど。(自戒を込めて)


欲を言えば、クリエイターさん側からテンプレートというか…こういう点を見てこういうコメントしますよ、みたいな作例があると、さらに良いかなーとも思いますけど…。

それこそ、ジャンプのアンケはがきみたいなのでもいいし、よくTwitterとかで見かける、同人誌感想シートみたいなのでもいいし。

それをクリエイターさん側が作るのか、依頼者側が作るのかって話にもなるけど。

感想書きます!と募集しているからには、クリエイターさんなりの感想論というものがそれぞれあるはずなので、それが分かる何かがあらかじめ提示されていたら、依頼者としても自分の欲しいものマッチしたクリエイターさんを見つけやすいし、お願いしやすいんじゃないかな?

とはいえ、提出されたものによって、出てくる感想バラバラにはなるだろうから、一概にテンプレ化もできないのかもしれないけどね。


あと、感想どころかふつ~~~に校正とか校閲的な指摘をしてくれるクリエイターさんもいて、(これは、私が忌憚のない意見要望したこともあるとは思うけど)、入稿する前に校閲をお願いするのはありありのアリだと思いました。

多分、私は継続的にそういう使い方をすると思う。



そもそもお金を出して感想を書いてもらうってどうなの???と思われるかもしれない。

私も正直迷いました。

だってふつうに同ジャンルにいる人たちとは、互いの作品萌えたら感想を言い合ったりするわけで??

しかしたら相手義理で言ってくれるのかもしれないけど、それでもそれはある種の好意(あるいは厚意)として、もしくはなんか言いたいから(萌えたから)という理由で言ってくれているわけで???

そこに、「対価」という概念存在しない。はず。

それなのに、お前は感想を「買って」喜んでいるのか!!!!そんなに感想がほしいのかこの恥知らず!!!と思われるかもしれない。


でもね、ジャンルからの「自発的感想」と、「対価を払って得た感想」では、なんというか、土俵が違う。全然違う。

うまく言えないけど、「高級懐石料理」と、「風邪ひいたときにお母さんが作ってくれた大好物プリン」くらい違う。比べることなどできない。


どっちも違ってどっちも良い。どっちも良いんだ!!!

私はどっちも欲しいです。

底辺絵師は神絵師を乗り越えられるのか?

底辺絵師お気持ち表明です。

最近、なにかと話題のおけけパワー中島ですが、あの作中に出てくるキャラクターの実力は中堅以降クラスで私みたいな底辺から見ればクラスカーストの奴らの内輪話じゃん、というような感想しかなりませんでした。

勿論、主人公の七瀬、そして先日出てきた新キャラの友川においても最初底辺だったのかもしれないですけど結局(努力もありますが)実力をメキメキと身につけ、ある一定の評価基準まで到達しています

この真田さんの漫画において提示されているのは、『神に到達するなら自分も神同等の実力を身につける』という手法で、底辺は神へ接近・接触できるということです。同人界隈は特にこの傾向が強いと言ってもいいでしょう。

ですが、現実ではどうでしょうか。ここで、ジェームズフレーザーの金枝篇より王殺しを引用してみます

森の王と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷けがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である

このように、実際に神との原始的宗教的体験というものを考えると、寧ろ神殺し底辺な者にこそ与えられていたパワーでしょう。

しかし、同人界隈というのは、いいねRTといった数的なものが良さに変換するプロテスタンティズム的な考えが主流であり、例のようなカトリック的な神それ自体神聖から神聖であるというような考えとは異なります。すると、ここで二つに考えが分裂します。

一つは、神絵師はいいねRTが多い人間であるというテーゼです。これはツイッターpixivにおいても閲覧数が多い方が神(結局上手なのだから見られる)というような考えであり、主流なものです。しかし、(閲覧数が高いから・売れているから)素晴らしいというのは、権威主義ともはや同じです。

そして二つ目に、その絵それ自体神聖であり作者は尊いのだという考えです。こちらもある程度支持する人はいるかもしれないですが、いいね1の絵を神なんだと言ったところでその当人にとってしか神でないというような話になってしまます。それでは、神としての効力というのは非常に弱いです。

では底辺絵師持っている力とはなんでしょう。それは数字神聖さもないということです。このようなペシミズムが、サド遺言のように誰にも作品を見せずこのまま消えてしまいたいというような感情へと移行することができれば、その時ついぞ神絵師を殺すことができるでしょう。

ここでなぜ神絵師神聖さを持つのかを理解することができます。すなわち神絵師とは、絵が上手い・閲覧数あるといったことではなく、多くの人間創作活動へと導いてきた人間であるから絵師なのです。

ですから底辺絵師は神絵師を殺す時がなければいけません。それは数的なものでなく神絵師思想を乗り越えるといった形式において考えられるべきでしょう。

友川は毒マロという形式を用いましたが悪手でしょう。本来ならば創作という土俵で、つまりA×Bの作品で表すべきだったはずです。

そして神絵師が神である以上、神は気まぐれであり何をしても許されるからあなたが信じた神だったのです。それをもう許せないのならあなたにとってはもう神は死んだ状態であります

我々底辺ペシミズムが神絵師を揺さぶる時、初めて神絵師との合一ができるのです。そしてそれを乗り越えて神を超越することができるというのが、底辺の強みです。神絵師になってしまったら神同士の馴れ合いしかありません。

結論として、底辺努力絵師天才絵師古典的王殺しレズが次の話として来るのではないかという予想です。

MMDボカロPにうっすら嫌われている

昨日、とある有名なボカロP、A氏が自分の曲の使用ガイドラインについて口を開いた。

単純に言えば「MMD歌ってみたを使うな。使うなら原曲を使え。歌ってみたを使ってるやつは削除しろ。」という内容。

故に、そのガイドライン存在に気が付いたMMD動画の作者たちが、次々にA氏曲の歌ってみた使用している動画を削除・非公開としていった。

削除祭り、というやつである

この削除祭りで消されていった中には数十万と再生が回っていた著名な動画も少なくはなかった。

借り物要素が多いMMD動画とはいえそもそも作者たちだってそれなりに頑張って作ったものだった。

故に、これに腹を立てる人間も少なからずいた。「何故消さなくてはならないのか」「二次創作禁止するのか、心が狭いな」

……。

MMDをやってる人に伝えたい。

ボカロPMMDがうっすら嫌いである。

増田ボカロP結構フォローしているが、MMDを有難がる声よりも、MMDに対する苦言の方が圧倒的に多い。

B氏は言っていた。「自分の曲がMMDに使われるのは嫌だ」と。

C氏は言っていた。「別に使うのは構わないんだけど、リンクぐらい貼ったらどう?」と。

D氏は言っていた。「MMDは失礼な人が多いから苦手だ。素材って感じ。」と。

E氏が、F氏が、それに同意してRTをする。

増田もまたDTMをやる。自分の曲をMMDに使われて嫌な思いをしたことはないが、ボカロP気持ちの方が分かる。

理由は様々だと思うが、一番はこの「素材感」だろう。

二次創作MMDは、いわゆる検索除けを有難がる文化があり、原曲リンクタイトルをぼかして明記しないことが多い。

めちゃくちゃ失礼だと思う。そんなん無断転載と何が違うんだよ。

そして冒頭でA氏が嫌がった歌ってみた使用も多い。

ボーカル差し替えを利用するというのは、せっかく頑張って作った原型が崩された状態のものを、

「お前が最初に作ったやつより、〇〇さんが手を加えたこっちの方がいいからwww」と言う行為に他ならない。

絵に例えると、絵師①が描いて公開した線画を絵師②が塗った、という経緯のある絵を、

「①さんが最初に塗ったのより、②さんの塗りの方がいいですねwこっち使わせてもらいますw」と言って拝借する行為だ。

めちゃくちゃ失礼だと思う。吐き気がしてきた。

MMD側にも言い分はあると思う。

二次創作だと本家にご迷惑おかけしちゃうから曲名ぼかしてます~とか。

ボカロは聞く人を選ぶからとか、歌い手さんの方が踊ってる推しちゃん雰囲気が合うからとかで、差し替えるんだろう。

へえ。

ご 迷 惑 お か け す る 可 能 性 が あ る な ら 最 初 か ら 使 う な よ ? ? ?

それこそめちゃくちゃ失礼だと思う。殺意が湧いてきた。

あ、あと「私は守ってるから大丈夫ですよね!ちゃん原曲使ってるしリンクも貼ってます!」ってやつ。

あなた自身は良い人だと思うけど、界隈全体が嫌われてますよって話だから多分巻き添えになってますドンマイです。

という訳でMMDやっている人は、ボカロPにうっすら嫌われている事を、どうか自覚して創作してほしい。

うっすら嫌われないようにどうすればいいかは、ジャンルで学級会でもすればいいんじゃね?知らんけど

間違っても「せっかく知名度を上げてやってるのに心が狭い奴だな」とか言わないことだな。

そんなに好き勝手に曲が使いたいなら、推しちゃんに合う曲を自分手作りしてろってんだ。

おけパ島増田クトゥルフ

増田とある神のいわゆるおけパ島だった頃の話。

おけパ島を名乗るなよと言われるかもしれないが買い専だった増田が神とタメ口でやり取りしている様をよく思わない人もいただろうとは思う。

神と仲良くなったきっかけは確か神が布教していたマイナー作品ツイートRT後に「このキャラは私の人生を狂わせたのでみんな読んでくれ」みたいな事を呟いたらフォローを返されたとかそんな感じだった気がする。

神とはタメ口でリプを飛ばし合っていたし別作品をお互い布教しあったりそこそこ仲は良かった。

ある日、神の鍵垢にフォローされた。いわゆる身内用垢だった。

マジかよ……ただの買い専がこんなところ来ていいのかよ…と思いながらフォローされた垢を覗くと数秒くらいフリーズした。

神はTwitter上では陽気系キャラだったが鍵垢内では

「○○さんにめんどくせー空リプされてるから誘導してフォロワーに凸させようかな」

「このクソリプ引用RTたらみんな凸るかな」

文句言うなら私よりフォロワー多くなってから言ってみ」

note書き始めたやつ大抵高尚になってるから気にくわない」

(一部フェイク)

など「ひゃ〜〜〜〜〜〜すげえなおめぇよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜」な内容だった。

あと身内用だと思ってたからなのかアダルトグッズ購入報告ツイや軽い使用感想、「推しのこと想像して抜いたわ〜」等も書いてあり増田は神のギャップリアル性活のダブルパンチをくらって灰になった(というか後者ダメージの方がきつかったのだが)。

垢はそっとミュートにした。

神は善神でもなく、しか邪神とも呼べず。

ちなみにこの神との縁はいろいろあって自然消滅している。

現在も神は元気そうだが今となって改めてコンタクトを取る気力もなく、今日も神頑張ってるなあ……と見守ることしかできない。

2020-07-04

ジカプのコミュに属せない腐女子愚痴

最近同人女お気持ち表明を読むのが好きだ。

憎悪嫌悪も愛憎も渦巻いていて、まさしく感情の坩堝である

なので、私も積年のお気持ちを書いてみたいと思う。

私はそこそこ同人歴の長い腐女子で、イベントにも積極的に参加していた。

ツイッターももちろんやっている。

同人友達はいる。長い付き合いの人だと、五年以上ではなかろうか。

彼女たちとはジャンルが異なってもご飯を食べたり、作業通話をしたりする。

私はかなり幸せな交友関係を築けているのだと思う。

しかし、カップリングが違うのだ。

出会った当時は同じカプだったとしても、ジャンルを違え、再び同じジャンルにハマった時、カプが違うのだ。

まだ逆なら良い。全然違うのである

いわゆる身内なので趣味の傾向は似ている。だが、ジカプは違うのだ。

私は逆でもおいしく食べられることが多いタイプだし、身内の話は面白いので、ジカプが違ったとしても会話は弾む。

しろハマっているものについて話すよりも、私生活や、原稿の苦しみについての話題の方が多いかもしれない。

私は幸せな交友関係を築けている。

それを前提としても、しくしくと痛む心があるのだ。

いざ新しいジャンルで、カップリングで、友達を探そうとする。

まずできない。

これは私の性格の悪さかもしれないし、運の悪さかもしれない。

コミュ障自覚がある私は、新しく好きなジャンルができるとリストで気になった人を観察する。

萌えツイート目当てだった。

フォローなんてとんでもない。フォローするにしても、しばらく観察して人となりを把握し、失礼がないようにしたいからだ。

そう、最初目的あくま萌えることだったのだ。

ツイートイラスト漫画小説

様々なもの欲望のままに、リストで見ていた。

すると、普段ツイートも目につく。

私は作者の私生活も大好きだ。どうやって生きればあんな素晴らしい作品ができるのだろう、とわくわくした気持ちで見る。

今日はなにを食べた、仕事が大変だ、眠い。なんでもいい。すべてのツイートを、読みたい。

だが、たびたび私は絶望する。

いつしか萌え目的リストがこの人は大丈夫かどうかの判断リストになってしまう。

A Bというジカプを上げるために、CBを下げた発言

DEは◯◯だけど、ABは◯◯だから良いよね、などの比較する発言

BARTしてこれでABだったら良いのに…という呟き。

蔓延っているのである

私が好きになるカップリングはいつもそうだ。

こういう発言をしている人が、たくさんいる。

こういうのを見ていると、私はジカプで出来上がっているコミュニティに参加したくない。

私は元々逆もカプによるが見るタイプなので、逆カプも観察している場合がある。

逆カプにはそういう発言がない。

少なくとも、検索して引っかかるようなことはない。

なんて羨ましいんだ!!!!!!!!!

私は、そういうことをしないコミュに属したい。

そういうことをしない友達が欲しい。

自作作風のせいか結構逆の人にも見てもらえる。

結果、私だけがABで他の人はBAという場所によくお邪魔させていただいている。

これはこれで楽しい

キャラの話もできるし、ジカプを他カプを比較したり、心ないことを言う人がいない。

のしい。

のしいけど、わたし、ABなんだ…。

BAの人には、もちろんAB地雷の人もいる。

仲の良いBAの人が主催のもくりのメンバーを、今日確認する。逆がいけるかどうか。固定じゃないか

私が入室することによって、固定派の人が嫌な思いをするのは避けたい。

気兼ねなくABの話がしたい。友達が、ほしい。

なぜ話が合いそうなジカプの人を探さないのか、探せばいるだろう、そう思われるだろう。

私もそう思っていた。

探した。たくさん探したよ。

ずっと張り付いて、検索して、新しい人が来るたびに大喜びしていた。

でも、みんな、なぜか…

なぜ…

ツイッターでなにを書こうが、書く人の自由だ。

私が自衛すれば良い話である。え、ジカプをミュートするんですか?

もうやだよ〜〜〜ふつうのひとと友達になりたいだけなんだよ〜〜〜〜〜!!!!!

別に考えるのも自由だし、発言自由です。

でもわくわくしながらジカプを検索して、他を下げたりしてるのを見るとゲンナリしません?

なぜ他者攻撃してジカプを上げようとする? そんなことのためにジカプを使わないでくれ。私にはジカプを侮辱しているようにしか見えない。

そんなことをしなくたって、ジカプは最高だ。

最近では楽しそうにしているBAのもくりを眺めるだけ。

いつか友達できるかな

次のジャンルではがんばりたいな。

贅沢な話であることは理解している。私には身内と呼べる友達が何人もいる。

ただ、ジカプのコミュに属せないさびしさは、それで癒えるわけではない。

いつも「友達がほしい…」と言っている気がする。

だってジカプで騒ぎたい。毎日夜遅くまで通話したい。企画だってしたい。

怨念を込めて作品をつくっているので、そこそこ反応はいただいている。

でもジカプ友達は…いないんですよね…。

逆カプの人も良い人で楽しいよ。

でも、でも、でも〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

あと、ジカプとの解釈違いもすごいです。

大体オンリーワン。俺は俺の道をいく。

から友達ができないの!???

以上、散漫な愚痴でした。

聞いてくれてありがとう

2020-07-03

感想送る側が感想貰う側に物申したいことがある

大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。

感想に関する話題が上がってくる度に、わたしは数か月前の出来事を思い出す。


Aさんという絵師がいた。

その人は、自分の絵や漫画作品やグッズについての感想を、かなり熱心に求めていた。

と言っても、嫌味な感じではなく、匿名ツール感想募集するツイートを「感想が欲しい」という素直な気持ちを添えてツイートしたり、感想リプには引用タグをつけたり、寄せられた感想ツイートを繰り返しRTしたり。

ツイートでも時折「感想が欲しい」「リアクションが欲しい」「感想もらえたら元気が出る」「自分作品について、解釈について語り合いたい」と言っていた。

多少メンタルが弱く、アップダウンがある人ではあったが、人間誰しもそういうもんだろう。それをTL上で表面化させるかどうかだけの違いだ。

私はAさんを片道フォローし、流れてくる絵をRTイイネしていた。

Aさんがとある大きなイベントへ参加することが決まり、それに向けての作業を頑張っているのを見ていた。

私もいまでこそ読専ではあるが、イベントへの参加経験があり、それに向けての準備が苦しかったり楽しかったりすることも、身をもって経験していた。

そして春になり、コロナウイルスの影響でイベントが軒並み中止になった。

Aさんが参加予定だったイベントも、中止になった。

2020年になった頃からじわじわと騒がれていたコロナウイルスの影響。

2月頃まではギリギリイベントも開催されていたが、3月以降からバタバタイベントの日程延期や中止のアナウンスがTLに溢れていた。

参加が決定し、作業も佳境を迎えたこから参加予定イベントの開催が危ぶまれているなかで、Aさんもツイッターで「早く決定してほしい」「何の為にいままでがんばってきたのだ」と荒れていた。

中止が決定し、時間が経ち、荒れたAさんのメンタルが落ち着いてきた頃に、以前と同じように「感想が欲しい」系のツイートをするようになっていた。

作り手の経験があるからこそ、Aさんの気持ちは痛い程伝わっていた。

そして、少しでも元気を出してほしい気持ちを込めて、過去絵や作品についての感想匿名ツール文字数いっぱい送った。

結果、「あざす!」と一言けが返ってきた。

Aさんは「応援して」「感想が欲しい」「反応が欲しい」と呼びかけ、タグをつけて引用RTし、過去に寄せられた感想を繰り返しRTしていた。

自分に向けられた感想という愛情大事にしているのだと思っていた。

だが違った。彼女が欲しかったのは「自分が欲しいと思うタイミングで、欲しいと思う相手から、欲しい内容の感想が、欲しい」のだ。

感想を送る際には、匿名である以上言葉遣い礼儀、内容などにも特に気を付けていた。

私の解釈を挟んだわけでもないので、解釈違いや地雷を踏んだという事も、おそらくないだろう。

自分作品への感想を、タグまで作って、広く熱心に求めていたAさんに、私が送った感想は「返事はあざす!の一言だけでいい感想」だと、選別されてしまったのだ。

人間社会と同じで、こういうのは個々人の自由であり、権利であり、ご縁だと思っている。

どれだけこちらが熱心に好きでも、相手こちらに興味すらないことだって往々にしてある。

こちらが長文の感想を送ったからと言って、同じ熱量で返さなければいけないという決まりはない。

だけど。それでも。

気持ち一方通行は、悲しい。悔しい。

自分作品に向けられる愛情を求めたAさんは、いざ愛情を向けられたら、それを取捨選択するのか。

それはとっても失礼なんじゃないのか。

ちやほやしてほしいだけならば大々的に感想求めないでいてほしい。

大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。

Aさんに感想を送る自由・送らないという自由選択で、私は送ることを選んだ。

Aさんはわたし感想を受け取る自由・受け取らないという自由選択で、受け取らないことを選んだ。

からわたしは、Aさんを応援し続ける自由応援を辞めるという自由選択で、応援を辞めることを選んだ。

だってそうでしょう。心を注いで受け取ってもらえない相手に心を注ぎ続けることは、できない。

そして今私は、Aさんに「あなたわたし感想を取捨選択したように、わたしあなた作品も取捨選択する」と、どうやって伝えようかとずっと考えている。

心を込めた感想を粗末に扱ったのだからあなた作品だって粗末に扱われても、なんらおかしいことはないでしょう。

リニア問題電車アイコン意見を信じてはいけない

当たり前のことである

あの界隈からアカウントを消して足を洗ってだいたい1か月。いや、足を洗っても手を染めている以上もう現世には戻れないのかもしれない。

大いにもめているJR東海VS静岡県、片や必死になって2027年開業を守ろうと、片や必死になって大井川の水を守ろうとしている。

世の中のほとんどが静岡県側の肩を持つ中、唯一JR東海必死になって擁護するのがインターネットSNS電車アイコン界隈である

オタクの中でもとびぬけて治安の悪い鉄道オタクのことである社会不適合なのでとりあえず逆張りしておけばTUEEEEってなるという風潮がある。

電車アイコン特有文化として、鍵リプ、鍵リツイートっていうのがある。フォローフォロワー1桁の鍵アカウントを使って頭にきたツイート意味もいないリプライ単細胞のごとく送り続ける。

そして同調してほかの人間も送り続ける。結果リプライ数だけ3桁になったりする。でも誰にも見ることができない。本人とごく近くの身内は満足しているんだろうけど、周りはそうは思っていない。

それはO宮駅の先で罵声をあげたり、カルト宗教の歌を歌ったりするのと本質的には同じで、所詮は類は友を呼ぶというだけである。でも、誰も諫める人間を見ようとしないので自分意見を仲間内だけで共有して強い意見にしている(と思い込んでいる)

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というよりたちがわるく、赤信号を白に塗り替えて「これは渡ってもいい」とマイルールを作って渡っているのである

そもそも電車アイコンにするぐらいのことだから電車の絡む議論に参加して中立的ものを見ることなど全くできるはずがない。あれは趣味を超えた、ただのカルトである

まりにも電車側の肩を持ちすぎて自分のことを鉄道会社取締役だと思い込んでしまう。そのまま「こういう列車は〇〇という理由運転ができない!!!」なんて大本営からの勅言を出してしまう。その列車が実現しても知らん顔。

しかしたら本当に鉄道会社の取締役かもしれないし、総合職かもしれないし現業かもしれない。でもそれは教団の中での立場の違いにすぎない。道端で勧誘するか、それとも集会教徒の前で説法するかの違いである。どっちもカルトだ。

まりにも教祖にゾッコンだから平気で「水なんか減っても問題ない」とか「ひかりの停車が減るぞ」とか言い出す。声を上げる人間基本的に現地の人間でもない、余所者なのである

からリニア対立でさも真っ当な意見RTで回ってきても、もしアイコン電車だったり、プロフィールに「公共交通」なんて書いてあったり、直近で電車写真しかとってなかったりした場合、その意見プロパガンダである

彼らは議論ができない。いいことを言っているように見えるが、根本的に人の意見を受け入れることができないのだ。

彼らは議論をするときリプライをしない。引用ツイートスクショツイート反論余地を与えず身内から承認欲求を得る。それが彼らの戦法なのである

この記事も見つかり次第そういう運命になるであろう。

絶対に触れないほうがいい。RTもしないほうがいい。RT承認欲求を満たしてしまうからだ。

彼らの社会復帰のために…

所詮二次創作、褒められてもなんかなぁ…

ツイッターで多くの人と交流することが多くあり、中々愚痴を呟くことを控えていたけど、どうにも辛くなって来たので書く

私はツイッターイラストを載せるタイプ人間で、二次創作イラストを頻繁に描いているのだが、ありがたいことに、いいねをしてくれる人が多く、2000や3000といいねが付くことも度々ある。ただそれは旬ジャンルという理由も加味してる。

Rt後に感想を投げてくれる人もいるし、本当に感謝しきれない。

ただ、私は創作イラストも描いているがこれが全くといって良い程反応が来ない。

描き込みが足りない?二次創作より雑だから?と思うのだが、変わらない。むしろ創作の方がまともなくらい、

本当に雑な二次創作のらくがき(線だけの顔しか書いてないやつ)が100や300とつくことがあるのに対して、創作は素晴らしく良くて20いいね。色付きで3いいねとかは、ざらにある。

う~~~ん、わかっているけど、わかっているんだけど、、、、、どうしても悔しいな

二次創作イラストを褒めてくれる人は色が好きとか表情が好きとか伝えてくれるけど、所詮キャラが好きなのであって私の絵が好きという訳ではない。

仕方ないのはわかってる。

二次創作キャラ自体ストーリー性格が既に知られてる状態から、らくがきでもキャラの厚みがある。その価値は絶大なものから、その価値あやかっているに過ぎないのに、自分の絵を好いてほしいと思う、自信の承認欲求気持ち悪くなってくる。

褒めてもらえることはありがたいと思う反面、創作には反応が全く無い時、かなりつらさがある。

もちろん、二次創作の反応が多いのは自身フォローしていない人の影響がかなりあるのはわかっているけれど、フォローしてくれてる人の反応が皆無なことが結構つらい。

まぁ、二次創作で繋がりを持つんじゃなくて創作好きと繋がれば良いんだけどね!

自分はその人の絵柄込みでフォローする人間から相手からジャンルの絵だけ求められてるんだよなぁという現実ちょっと悲しいなぁと思うのでした。おわり。

あつ森における『奥方の森騒動』まとめ(追記:奥森公式謝罪とアフィ)

先日、『奥方の森騒動』があった。

ただ、具体的にどのような騒動だったのか、把握しづらい状況だったため、まとめたいと思う。

尚、このまとめ自体は、特定の方を糾弾したい等の意図は一切無い事をご理解頂きたい。

そもそも奥方の森」とは?

「あつまれ どうぶつの森」(以下「あつ森」)というゲームプレイしている人達の中でも、主婦や子持ちの方と言った、所謂奥様方である女性のみを対象にしたサークル「あつまれ 奥方の森」の事である。略して「奥森」。

活動拠点は主にdiscordTwitterサークル内でルール等も決められている。騒動前時点で参加している方が340人を超える規模のサークルだった。

幹部の方々を『通称天使』と表したり、メンバーへ『マイナンバー制度』を導入したりと、中々独特の感性をお持ちのサークルでもある。

★『奥森騒動』と呼ばれる今回の件は、具体的に何があったのか?

以下、時系列に沿ってまとめる。

尚、大変長い上に「とどのつまり運営独裁した上での内輪揉め(+α)」と言う流れなので、時間の無い方は私以外の方がまとめたものを読んだ方が良い。

1.特定ユーザーフォローを外すよう、奥森の運営から奥森メンバーへの打診があった。

ここで言う特定ユーザーとは、改造氏(※1)の事である。以下、改造行為や改造マイル旅行券と紛らわしい為、カイゾウ氏とする。

カイゾウ氏をフォローしている奥森メンバー複数おり、奥森運営から個別に「カイゾウ氏は改造行為を行っている。奥森はルールにも書かれている通り、改造を認めていないため、フォローは外すように」と通達された。なぜ突然このような通達があったのかは現在不明

だが、通達を受けたメンバーの一人(以下A氏とする)が「カイゾウ氏は改造行為を行ってはいるが、それは改造行為危険と知らしめる、注意喚起の為であり、ルール定義されている他人迷惑をかける改造行為とは性質が違うのではないか」とカイゾウ氏を擁護フォローを外すことを拒否した。更にA氏は奥森を退会した。

2.「奥森」内のdiscordで、奥森の幹部の一人であるB氏が「とある奥森メンバーから、改造マイル旅行券(※2)を奥森メンバーのA氏に掴まされたとの報告があった。A氏は悪質なプレイヤーである取引の際は注意してほしい」と告発した。

尚、A氏が自主的に奥森を退会した直後の晒しとなったが、退会したか晒した訳ではなく、本当に偶然にタイミングが被ってしまっただけとB氏は言っている。

ここで問題となったのは「なぜA氏から貰ったマイル旅行券を、改造マイル旅行券と断定できたのか」と言う事である

B氏は判定基準として「A氏から貰ったマイル旅行券を部屋に置き、一度部屋を出てからもう一度部屋へ戻るとマイル旅行券が消えていた」と説明。B氏曰く、その手順は改造マイル旅行券か否かが分かる方法であるという。

しかしB氏は上記の手順を踏んだ際の、証拠となる画像動画を一切出していない。よって「証拠も無い状態で、B氏はA氏を『改造マイル旅行券を使用する悪質プレイヤー』として、奥森内で晒し上げた」と言う事実が残ってしまった。

3.カイゾウ氏は2の事柄を受け、奥森運営へ「A氏からB氏へ渡ったマイル旅行券が改造マイル旅行である証拠」をDMにて求めた。だが、運営から反応は無かった。

同時期にこの件で運営幹部に不信感や不安、疑問を抱いた奥森メンバー複数人がカイゾウ氏に相談を行った。この際、discordスクリーンショットがカイゾウ氏へ渡っている。

4.カイゾウ氏が自身調査にて、B氏の言っていた「部屋にマイル旅行券を置き、一度部屋を出てからもう一度部屋へ戻るとマイル旅行券が消える」と言う現象は、改造マイル旅行券でも発生しないあり得ない挙動であるとした。

また、カイゾウ氏は奥森運営へ再三返事を求めたが、反応は返って来なかった。

後に流れたスクリーンショットを見るに、運営は「カイゾウ氏と話し合う、謝罪義務証拠の提出などの必要性は一切ない」と判断したとのことである

5.その上でカイゾウ氏は、A氏を晒し上げたB氏本人が、過去RMT業者企画ツイート(※3)をRTし、応募していた事を発見。B氏に対し、直接DMにてこの件を問いただした。

B氏からカイゾウ氏への直接のコンタクトがあったか不明

6.カイゾウ氏からDMを受けて、B氏はDMスクリーンショットを載せ、「RMTしたことはない」と前置きしつつ、RMT業者企画ツイート軽率RTしてしまった事をtwitterにて謝罪をした。

B氏は後に鍵垢となり、現在その謝罪はカイゾウ氏の引用RTからしか閲覧できない状態である

7.奥森運営はB氏の名前を出さずに、discord上で『改造・RMT業者に気を付けるように。またカイゾウ氏にも注意するように。』と再度注意喚起を行った。

上記の流れに関して、証拠が無いA氏の名前は出したにも関わらず、証拠がある幹部のB氏の名前を出さな運営に対して不信感を持つメンバーが多数発生した。

8.上記注意喚起と同時に、それまで承認制であった退会が、突如として自由に退会できるよう設定変更された。

それにより、不満を持っていたメンバーや不信感を抱いたメンバーが次々に退会することとなった。

9.ほどなくして奥森幹部は「奥森メンバーを守る為、スクリーンショットをカイゾウ氏に渡している内通者がいる現時点での奥森運営は困難」とし、十分な説明も無く突如奥森を解散させた。

現在、奥森の幹部であった方々のtwitterアカウントは、殆ど鍵垢になっている。

以上が『奥森騒動』の大体の流れである。このまとめを作成するにあたり、事実と違う点があってはならないと考えた為、奥森に所属しており、リアルタイムで流れを把握していたC氏並びにD氏に確認して頂いた。ご協力頂いたお二人にここで御礼申し上げる。

Twitterにて一人歩きしているが、注意すべき未確定情報

1.「奥森」の幹部メンバーであるB氏、及び他のメンバーRMTを行っていたかどうか。

肯定否定もできない。企画ツイートRTしていたのは事実であり、そこで旅行券を受け取ったか、受け取っていないか不明。それこそ証拠がない。

2.一度解散したが、名前を変えて再結成する予定である

あくまで噂レベルの話であり、言質が取れていない。

★どういう意図でこれをまとめたのか

「奥森」と言う340人ものメンバーを抱えるサークルが、メンバーにロクな説明も周知もせず解散してしまった。その為、所属していたメンバーすら何も分からないままである。他のあつ森ユーザーは尚更分からない。知ろうと思っても知る事ができず、改造、RMTという言葉けが飛び交い、不安が広がっていた。その状態解決すべくまとめた。

但し、筆者はあくまでも第三者である点にご留意頂きたい。

以下、注釈

※1 改造氏とは

twitterにて改造・RMT注意喚起、及び改造・RMTを行う業者プレイヤーへ警告、糾弾をしている方であり、自身も改造行為をし、実際のゲーム挙動などの検証を行った上で、改造行為に対して警鐘を鳴らしている

※2 改造マイル旅行券とは

ゲームの改造行為普通プレイではなく、直接ゲームデータをいじる事)によって手に入れられるマイル旅行券(ゲームアイテム)の事。この旅行券を所持しているとデータ破損の原因になると言われている。その為、交換に使用したり、譲渡したりすると、他者へ多大な迷惑をかける事となる。

※3 企画ツイートとは

主にプレゼント企画と謳い、「レアアイテム家具抽選で当たった人にプレゼントする」と言うもの抽選への応募方法は大体「企画をしているアカウントフォローと、当該企画ツイートRTである

ただの好意で行っている方もいるが、大体は業者であり、このようにツイートすることでフォロワー稼ぎをしたり、プレゼントとして正規品ではない改造品を渡したり、最終的にRMT誘導したりと、悪質なもの存在する。

追記

奥森の公式Twitterアカウントにて、privatterを使用した謝罪文が掲載された。

また、それと同時に「一時期、奥森の公式HPアフィリエイトを貼り付けていた事」が公式ツイートから明らかとなった。

運営費に充てる為に幹部メンバー独断で貼り付けていた、他から指摘を受け、すぐに撤去したとの事だが、解散時点で既にHP自体が削除されていた為、詳細は不明である

2020-07-02

anond:20200702154901

文書いても釣っても全然相手にされないような人にとっては

自分からしたら全く面白さが分からない文章なのに多数ブクマトラバRTされまくる腐女子長文見ると悔しくなるんだろうか

anond:20200702144854

Twitterだと定期的にRT18禁の絵が流れてくるけど

RT拡散されると確実に未成年の元に絵が届いてしまうから

18禁の絵を投稿する絵師は鍵垢にするべき

anond:20200702093949

すまん、凍結じゃなかった

注意: このアカウント一時的制限されています

このアカウント不審行為確認されています。表示してもよろしいですか?

通報か、

RTイイネする垢を片っ端からフォロしてるからそのうちスパム認定くらってるぽい

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

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