はてなキーワード: Rtとは
まずはじめに言います。
何を言われようが構いませんし反論する気もありません。
はじめます。
Vtuberにハマったのは2年前か、そのくらいだと思います。
キズナアイやミライアカリ、そしてにじさんじやホロライブへと興味は移っていきました。
それまで、絵というものは少しだけ描いていましたがそんなに上手いとは言えない出来栄えのものばかりでした。
しかしVtuberのファンアートというものはいくら下手でもゴミカスでも推しからリプ返やいいねが来る。
承認欲求がどんどん満たされていく。
しかしこの欲求っていうのは厄介で、1度満タンになると上限が解放されて今までの行為ではあまり満たされなくなっていく。
心を満たすために、もっといい絵を描いたら推しやファンにも認知されるんじゃないか、そう思って機材も整えた。
数十万とんだね。
そして数ヶ月後、事件が起きる。
その中の一人が私。
動画の待機画面にもサムネにもイラストが使われて完全に認知された。されてしまった。
ただ、うん、いいねだけで満足しておくべきだったんだ。
これ以上何があるんだ?
それから壊れていった。
喜びとして上限値だろうが承認欲求の上限は完全にぶっ壊れた。何をしても満たされない。
心が過呼吸を起こしてるんだ。
なんの喜びもないどころか
そんな考えさえ浮かんでくる。
なんでお前は俺を認知しない
なんでお前は僕を見てくれない
なんでお前は私を
なんで
絵をRTしない、フォロバしない推しは次第に推しではなくなった。
そして今、完全にVtuberへの熱意は薄れた。
最初にフォロバしてくれた「推し」だけを細々と応援している。彼女が笑っていたらそれでいい。
ゴミ共の描くカスみたいな絵だけ流れてくるタイムラインにうんざりしてツイ垢は閉鎖した。
今はただ、イナゴって言われたっていい、ただイラストレーターとして活動していくことを心に決めている。
俺はこの先この満たされぬ承認欲求と共に歩んでいく。
ファンアート、いいよね。どんどん描きなよ。
自信満々に載せなよ。
推しがよろこんでくれるとでも思いなよ。
俺と同じ轍を踏むなよ。それじゃ。
お気持ち文を読むのが好きなオタクがここ数日の流行りにのってお気持ちを書く。
ジャンルごとにアカウントを変えてきた。中学生の頃からヘタクソな絵を書いてはアップして、GWとか同人イベントとかのたびに自然に発生する「繋がりたいタグ」に乗っかっていたのに、一年以上動かして折に触れて繋がりタグをしているのにフォロワーは40人程度(良くわからない投資とかを勧めるアカウント含め)とかはザラだった。絵にもいいねは0~3くらいしかつかない。
それをジャンル移動するたびに繰り返していたのに、あるジャンルで急に絵に10いくつのいいねをつけてもらえるようになった。絵はそんなにうまくなってないから、何が違うんだろうと思っていたら、フォロワーとの交流だって気づいた。交流する風土の界隈だったっていうのもあるんだろうけど、今までより積極的に相互の絵にいいねをつけるようにして、リプも送っていたら自分の絵のいいねも増えた。今までは、片道フォローの神の絵の、その中でも刺さったのにしかいいねを押さないでいたので。
もっとちゃんと絵がうまい人は違うんだろうけど、繋がりタグでフォロワーを増やすような界隈、主要キャラの生誕祭タグでいいねが50~100くらいの画力のコミュニティはたぶんこれでいいねが増える。絵のいいねが増えると繋がりタグでお迎えいただける確立も高くなる。相互が増える、RTしてもらえる確立が増える、同程度の画力の多くの人の目に触れるようになる、いいねが増えるのループができる。なんだそんなもんか。
何かしら創作し発信している身としては,SNSの拡散度合いの可視化は心に悪い.
たかだか10RT程度が限界の自分の投稿と,やたらRT・Favされる人気者の投稿・・・・
もちろん自分の心が荒んでいるからこそ出てくる文句でもあるし,客観的にはもっと改善点もあるだろう.
ただ,自衛手段としてこれらを見えにくくする手はあると思うのだ.
というわけでAdBlockのMyフィルター機能を使って色々隠してみた.使い方はまあググってくれ.
! リプライとかのボタンを非表示 tweetdeck.twitter.com##ul.tweet-actions ! 数字も消す tweetdeck.twitter.com##span.like-count tweetdeck.twitter.com##span.retweet-count !RTした人の名前を非表示 tweetdeck.twitter.com##div.tweet.js-tweet > .padding-bs.txt-mute.txt-size-variable--12.tweet-context > .nbfc > a !続きを見るを非表示 tweetdeck.twitter.com##div.js-show-this-thread !詳細欄のRTやFav欄を非表示 tweetdeck.twitter.com##.flex-wrap--wrap.flex-align--baseline.flex-row.flex.tweet-stats.js-stats-list
あまりきれいなフィルターにはならないが,Twitter Webも同じように色々消せる.自分が消しているのは,
あたり.
ダ・ダ・恐山のTwitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。
このツイートを最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。
現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元のソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。
爆ハマりした後、腐女子である私はいわゆる「推しカプ」ができて、最初はROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。
しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由に自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。
アカウント作りたてのこの時はフォロワー数10人とかでほぼROM専状態。フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。
でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。
人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。
そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。
そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。
だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。
それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。
※何度も言いますが普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです
相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい。
毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。
けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。
というか大半がそういう人(オタクは考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈や考察が流れてきた。
ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。
すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察や解釈が流れ込んでくる。マジ?
これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。
そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分の解釈や考察がなんだったか分からなくなっていた。
いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。
少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。
それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。
新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムラインに考察・解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。
だからタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから。
もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさらな状態で推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。
最近お気持ちツイートやブログを見かけることが多いので自分に整理をつけるためにもここに書き記す。文章を書くのに長けていないため乱文であることはお察し願いたい。
私はとあるジャンルのA×Bが好きなロム専だった。ABには素敵な絵師さんや文字書きさんがたくさんいて、さらにありがたいことに公式からの供給も多くABがCPとして盛り上がっていた。これはいちオタクとして本当にありがたいことだ。
しかしながらある時、界隈でよく自カプの発言をする人達が騒ぎ始めた。それもただの発言ではない。自カプを攻撃するような所が多々見受けられる発言だった。私はそのグループを「過激派」だと感じた。
始まりは5桁フォロワーがいる大手の何気ない発言だったように思う。Bに新衣装(ここではB’とする。当ジャンルはシリーズ毎の衣装がIF作品としてよく使われる)が来て「B’はA×Bの子供みたい!」と、界隈全体と言っても差し支えないほど皆んなが盛り上がっていたときに、大手は「ABの子供系苦手なんだよね」とTLで発言した。何せフォロワーが5桁もいるのだ、その発言を受けた界隈の絵師と文字書きは皆んな途端に口を閉ざした。新しい供給で騒いでいた界隈が静まり返った。ここで私は「わざわざ界隈に水を刺すことを言う必要はあったのか」と疑問に思ったが、もちろん思うだけに留まった。だって別に苦手だと発言することは止められるべきことではないのだ。個人がそう思ったとしても何ら不思議ではない。(界隈に水を刺すような大手という認識が生まれたが。)
しかし大手のこれを機に何かと不平不満を漏らす過激派大手だらけのグループができてしまった。その過激派グループの内輪と界隈には溝ができ始めていた。
ここで私が使っている「過激派」とは固定厨であり(グループの中には雑食もいるが)尚且つ自カプ界隈を攻撃するグループを総じて過激派と呼んでいる。
私もロム専なりに自カプABに対して解釈を持っていたが、過激派は中でも生粋の解釈厨で
「〇〇なAっていう解釈するやつは頭悪いの?」
「××なAじゃないとAじゃない。〇〇なAが解釈違いすぎる」
「解釈違うやつは虫と同じ。みんな視界に入れたくないよね?」
「ABで検索したんだけど解釈違いで発狂してブロックしまくってる」
というような発言を大勢の目の前で言ってしまうような人々が集うグループであった。(もともと逆カプに対しても死ねや殺すと言ってしまうような人達であったので当然だったのかもしれないが…)
もちろんABの二次創作には「〇〇なA」という解釈が作品として確立していた。話が戻ってしまうが、5桁フォロワーの大手が苦手だと言った「ABの子供系」という作品も少なからず存在する。これらの呟きを図らずも見てしまった(表垢でわざわざ見えるように発言するのが過激派グループだ)絵師や文字書き、〇〇なAを好きだった人は萎縮した。そういう作品を上げていた絵師さんたちはABの話をしなくなった。そしてフェードアウトするかのように何も言わずに黙ってこの界隈から去っていった。
ある時は、グループの中でも1番と言っていい過激派のXがTLに流れてきたとある絵師さんのイラストに対して直接文句をつけ始めた。
「〇〇なAとかどうしたらそうなるの?Aは高等な教育を受けていて教養が身についてますけど。朝から変なものを見た最悪」
流れてきた地雷イラストを無視するのではなくわざわざ口に出して言ってしまう。それに賛同する信者の数も一定数いる。このような雰囲気が何ヶ月も続きついに界隈は大炎上した。
炎上したきっかけは私と同じとあるロム専の人のお気持ちツイートだった。
「界隈内でこの解釈が無理だのこれは読めませんだの自分の界隈の身内の書き手以外を攻撃してくのおかしい。こんな界隈見たことない。」
このツイートにはロム垢とは思えないくらいたくさんのRTといいねがついた。これに賛同する絵師さん文字書きさんも多く、過激派グループに属していない大手絵師さんたちの一部もお気持ち表明ツイートをした。かなり安易に「大手」という言葉使っているがフォロワーが4桁以上の人を私はそう呼んでいる。実際にお気持ちツイートした人は3000人また5000人ものフォロワーがいる人であり、このお気持ちツイートは界隈の末端の発言であるとは言い難いものである。
しかしながら過激派グループは腐っても過激派なのだ。比較的過激派ではなかったYに「あなたも過激派グループの1人ですか?」「自分たちのことを過激派だという認識はないのですか」という内容のマシュマロが届いた結果、グループ全体で逆ギレし始めた。
「別に名指ししてるわけじゃないでしょ」
「どっちが界隈を廃れさせてるのかわからないの?」
「好きなことだけ呟けばいいよ…」
ここでまず疑問に思うのが過激派グループは揃って「名指ししてないよ」と言っている点だ。たしかに「名」指しはしていないが本当に指してないのか?そんなわけがないだろう。
〇〇なAが嫌いだという結論に至るのは〇〇なAという作品がありそれを認知しているからである。ABが好きな界隈の人であれば、どのような作品を示唆しているのか、果てはどの絵師さん文字書きさんを言っているのかがわかってしまった。その結果、絵師さん文字書きさんが悲しんでこの界隈を去って行ったのである。そしてこの「どちらが界隈を廃れさせてるのか」「好きなことだけ呟けばいいよ」というお気持ちツイート。5桁フォロワーの大手が言っていたものもあり、いずれにせよ、過激派グループが言える立場にあるのか、甚だ疑問に思う。
当事者である過激派グループと界隈の一部を除いて皆んなが見て見ぬふりという態度をとったため数日後には炎上はおさまっていた。しかし過激派グループとそれ以外の溝は確実に深まっていた。根本的な解決には至っていないのである。水面下で皆が皆、不安を抱えて過ごしているように感じてしまう。
もともと過激派グループの声が大きくなってきた頃から、AB界隈は他B受け界隈から「怖い」という印象を持たれている界隈だった。自カプを攻撃するようなグループが中心に居座っているのだからこれは当然のことであろう。そしてこの炎上以降「界隈が怖い」という呟きをするひとがぽつりぽつりと増えた。
その結果、ぼや騒ぎが常に起きているかのような界隈になってしまった。いちロム専としてこんな悲しいことはない。
だが過激派グループは「界隈が怖い」と言われることに憤怒しているようなのだ。逆ギレしたようなお気持ちツイートもたまに見かける。そして何より恐ろしいのが「怖い」と呟いた人に対して「そのツイートは界隈のためにならないので消してください」という旨のご意見DMが届いたというのを耳にした。自分がそのようなDMをもらうと考えると怖い。これを怖いと言わずしてどうしろというのか。消せ、と言われた人はやはり悲しみながら萎縮してしまっていた。
このような環境が長いこと続く界隈である。過激派グループ以外の絵師さん文字書きさんは、
「人気のある人たちだから嫌われると怖い」
「気軽にRTできない」
「ABを書きづらい」
「ABをかくこと自体が怖くてできない」
と言った具合の心境らしい。らしい、というのはあくまでも私がロム専に留まっているからである。
怖くて「何も」発言できないのである。発言をした人は過激派グループから除け者扱いされる。恐らく過激派グループはこれを末端の声程度にしか思っていないのだろうが、きっとそうではない。
内輪と界隈の溝を全く理解していない。新規参入さんにはわからないかもしれないが、長いことABを推していた人はその威圧感をひしひしと感じ取っている。主語をでかくするななどと言われるだろうが、過激派グループとその信者を除いて、界隈の多くが思っていることである。近い将来また炎上しそうなことなんて誰の目にもわかり切っている。
どちらが界隈を廃れさせてるのかだなんて少し考えてみれば一目瞭然ではないだろうか。これは価値観の違いではなく単に道徳心の程度の差だ。良識のある無しとも言えるだろう。
いっそのこと界隈の皆んながおパ中みたいな人だったら楽しそうと思ってしまうくらいには疲れてしまった。同じABというCPを推している者同士、こんな内戦が起こらなくても良いではないか。その界隈の作品に対して全肯定botなおパ中がいるような界隈が羨ましい。
私は字を書く腐女子だ。
男同士の恋愛を妄想してはその一部始終をダラダラとツイッターに流したり、ピクシブ(支部)に投稿したり、気まぐれに本を出したりするのが生きがいだ。
今までに何度かイベントに出て、何度か新刊が完売したり、何度か完売しなくて現在もそれなりの在庫を抱えているくらいの、まあどこにでもいる同人女である。
色々な反応や記事を見てニヤニヤさせてもらった。ああいうのだいすき!!!!!!!私ならおけパ即ブロして、別垢から監視リスト入りさせてるけどな!!!!!!!
私は自分で言うのもあれだが相当に性格が悪い。中身はこんなんでも本アカでは健気に猫を被っている。
いつものように傍観者気取りで黙っていても良かったのだが、せっかくだし吐き出す事にした。
クソ腐女子の激重感情、お気持ち長文、分析考察、本当にありがとう。
↓
フォロバを貰えなかった本当の友川からすれば、私はおけパに近いのかもしれないな。でも私は自分の事友川だと思ってるから、そう自称させてもらうな。
今いるジャンルは主人公受け(主人公をBとする)のカップリングが一番人気だった。
規模はそれなりにでかいのだが、私がそのジャンルに出会った時には最盛期を過ぎていた。
それでも推しカプA×Bを検索すれば成人向け小説が4桁単位で出てくるし、「斜陽」となった今でも参入者はいるし、支部の作品だって時々増える。
今のジャンルに来る前の私は読み専、ロム専というやつだった。
いや、実は一次二次問わず執筆自体はずっとしていたのだが、一切ネットへ投稿せずに過ごしてきた。
私も最初は多くのロム専がするように、先人が残していった遺産をほぼほぼ漁り、漁りつくして、それでも足らなかったので自分でも書くことにした。
初めてのA×B。それなりのものが書けたので投稿した。3桁程度のブクマ評価を貰い、それなりに満足した。
もう一本思い付いたので、また書いて投稿した。
そんな事を繰り返し、自作品におおむね○○usersのタグが付くようになると、私もいっぱしの字書きになれた気がしてくる。
A×Bで書きたい話はまだあったし、私も本を出してイベントに出れば、神たちと交流できちゃったりして??
神絵師、神字書きのイベント終わりのキラキラアフターツイート群に、私も憧れていた。
そんな薄暗い野心を密かに抱きつつ、私はとうとう交流用の二次創作アカウントを作った。
初めは当然見向きもされなかったが、自分の作品や呟きには既に「ウケる」自信があった。
妄想ツイートを続けていると、♡やRT、フォロバやフォローしてくれる人が増えるようになる。
あの作品、まさか読んでいただけてたんですか!ありがとうございます、嬉しいです!作りたてのアカウントですが、よろしくお願いします!
そのうち「支部に最近現れた字書きの○○さん」本人だと認知されるようになった。
計画通りだった。
いそいそと推しカプのイベントに行き、一般参加だと買えない事の方が多い、とある神絵師の本を勝ち取った。
例のアカウントで「○○さんの本最後の一冊だった~~!!絶対欲しかったから大勝利♡」などと呟いていると、
ちょうど呼吸のごとくA×Bの妄想ツイートもしたところだったので、そちらに反応したのかもしれない。
神絵師は滅多にフォロバをしない人で、自身の呟き自体も少なかった。
その神絵師が私のツイートに♡やRTをくれると、みるみるフォロワーが増えていく。
うーん、さすが拡散力が違うな。
そんなこんなが積み重なり、今の私の本アカはフォロー<フォロワーである。
長々と現状共有をしたが、私にも界隈で嫌いな人はいる。けっこういる。
A×Bの解釈が合わないとか、A×Bで繋がったものの、その後別カプに移動してしまったり、はたまた別ジャンルに移動してしまったり。
私はA×B固定なので、申し訳ないと思いつつ、そういう人たちは早々にミュートしてしまう。
他のジャンルの話をされたくない。旬ジャンルに誘わないでほしい。お前が勧めてくるそのゲーム、私は公式ブロックしているからな。A×Bアカではその話だけしてほしい。困る。
・・・・・・すべて私のわがままなのは分かっているが、それが理由で相手に凸したりはしないので安心してほしい。
そんな私にとっても、当然おけパ、おけけパワー中島は存在する。
私と似たような字書きで、もっと古参で、もっと一般受けするような作風の人とか。
かなーりコミュ力が高くて軽率に褒めてくれるけどジャンルが見るたび変わる175エロ描きとか。
幸い私はクソマシュマロを貰ったことはないが、ここまで読んで貰えば分かる通り、非常~~~に自我が強い。
仮に貰ってもメソメソ病んで泣いて作品を消す事はないし、こちとら腐っても字書きだ。
日頃のツイートから窺える思考の癖や、暮らしぶり、攻撃の手口から絞り込めば、大体こいつだろうなってのは察する事が出来る。
私にも送ってくれないかな~。私は自分を嫌っている人間を特定できるし、送った側は(一旦)溜飲が下がるし、互いに良い事だらけなんだが。
話が逸れた。
私みたいな心の強い同人女だって、きっとこの世には沢山存在するに違いない。
フォロワーの数は肯定力だ。その人の価値全てではないにしろ、「オマエの事を定期的に見ていてやるよ」という意識を(一度は)表明された数だ。
誇りを持っていい。
ようやく本題に入れるが、私は自分が「友川」だと言った。でも同時に誰かの「おけパ」でもあるのだろう。
「友川が凸しなかったのは純粋に偉い。友川になれないオタクいっぱいいる。」
そんなことない。私程度でも友川もどきになれたのだから、友川はもっとたくさんいる。物陰に息を潜めているだけだ。
多分おけパの事わざとフォローしてないんだろうし、おけパと相互になってしまった世界線の友川はおけパの事さっさとミュートして鍵リストに入れてるだろ。
で、憧れの神絵師と自分より仲が良さそうなリプライを覗いては、黒い気持ちになったりしてるだろ。
自分が誰かのおけパになってる事にはうすうす気づいてるけど、さっきフォローしてくれたばかりの新しいフォロワーのホームまではいちいち見に行ってないだろ。
そいつ、最近界隈に来た私たちの後輩かもしれないぞ。あれは少し前の私かもしれないんだよ。
私が気軽にフォロバしない理由は、先述の通り「地雷を踏む可能性が高いと気付いたから」だ。
A×B以外を、私が望むタイミング以外で見せられたら困るのだ。
私は175作家と旬ジャンルに食いつく腐女子を親の仇ほど憎んでいるので、誰かをフォロバしようかなと思ってから少なくとも1か月は監視している。
誰と仲が良いか。そいつのジャンルは何か。コミュ力が高いか。ジャンルの経歴はどんなものか。
日常ツイートの傾向にイライラしないか。かまってちゃんじゃないかどうか。
生活レベルが自分とかけ離れていないか。価値観が合わないといつか決裂する。
・・・・・・私は結婚相手でも探しているのだろうか。でも実際、推しカプって大体は恋愛させているのだし、個人の恋愛観は重要だと思っている。
びっくりするほど上から目線だ。自分でも何様のつもりだって感じだが、結局ここまで吟味したフォロワーでなければミュートすることになるのだから、
腐女子が大好きな学級会で声高々に叫ぶやつだ。そういう事だぜ。
友川本人の話に戻ろう。
地雷は年々増えるものだ。私だって昔はプロフィールに「地雷なし」と書いていた時代があったさ。
普通は地雷を名言したりしないし、貴方のここが私の地雷だからフォロバしません!なんてわざわざ言わない。
友川からしたら綾城は好み100%圏内なんだろうが、綾城にとっての友川の作品傾向が100%好みの範疇に入るかは分からない。
綾城がどうでもいい日常ツイートをするたび、謎の鍵垢からどういう意味かも分からない♡が一定数付く。
原稿のご褒美と称した、ただのコンビニアイスの写真がRTされる。正直意味が解らない。晒されているのかと思う時もある。
賞賛の数だけ、嫉妬と中傷が付きまとう。人間が画面の向こうに居る以上は仕方がない。
友川だって、支部のブクマに1つでも評価が付いた瞬間から、誰かの綾城になっているのだ。
もう少し肩の力抜いて生きようぜ。オマエが綾城だけを見ている間に、オマエのフォロワーがオマエにフォロバして欲しがっているんだぜ。
同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。
「もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。
私は、ただ綾城ポジとリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。
私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。
軽率に布教した某アニメ作品が綾瀬のストライクゾーンに当たり、彼女はこちらのジャンル沼に転げ落ちた。
綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しのカラーイラストや漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。
一方の私は綾瀬に布教したのは良いものの、ドヘタレの底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。
さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CP者はいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさら読まれない。
私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。
優しい友人は、私の小説をRTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTがパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。
友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。
私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。
友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。
友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿、ジャンル内プチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。
さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬は自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。
そして迎えた当日。
友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった。
何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。
スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在を認識していなかった。
田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。
驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉が咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません、綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女は笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。
その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者はテンション高く綾瀬に普段の感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令を一言だけ述べて去っていった。
来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。
両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。
友人の初イベントの空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。
相互の田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。
イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。
あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。
ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。
あの漫画の中島の発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手な想像だが、あの漫画の中島はジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。
Twitter内で流行っているおけパ中島への考察や妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。
いくら神の友人でも、ジャンルで空気だった私は、怪訝な目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝な目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。
「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬の作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。
たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。
あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。
綾瀬とはそれから声優のトークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。
しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンルは布教しなかった。
ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。
綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンルを彷徨っている。
家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情で公式からの供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。
その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。
その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ちで投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。
半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。
私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初の漫画は本当にひどい出来だった。
それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。
軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。
私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈や不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画はほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。
それが伝わったんだと思った。
2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初にRTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。
7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学がオンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。
ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。
私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。
最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。
私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現したかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいね、フォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。
私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSのアカウントは放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。
午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。
で、それが最初にRTしてくれた方と最初にフォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。
あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲や自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。
私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。
なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。
ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。
私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウントを放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。
まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロンを半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげです。ありがとうございました。
最初に言っておくがあくまで私の意見であり独り言である。あととてつもなく読みにくい。
最近、二次創作関連のお気持ちブログが増えたので便乗することにする。
私は某旬ジャンルのマイナーカプであるABを現在進行形で応援している。
元々応援している人数も少なかった。その中で私はイラストや小説を上げてひっそりと活動していた。
MさんはABではなくCBを応援していた。沢山イラストや漫画をあげていた。それも毎日。イラストも上手かった。そして承認欲求がとてつもなく強そうだった。
なぜそう思ったのかというと、「10RTありがとうございます😂」などとツイートするタイプの人間(わかる人にはわかる)だったからだ。
あと今後の展開や、何を投稿して欲しいかのアンケート、聞いてもいない次回作のページ数や予定してたよりもページ数が多くなる報告、自分のイラストを褒めている引用リツイートをRTするなど、私から見ると不快なツイートが多かった。
ならばその人を切れば良いではないか?と思うだろう。しかし切れないのである。なぜならその人は私の推しているABの「顔絵師」となってしまったからだ。
ABはマイナーカプだ、それゆえ投稿されるとオタクが大喜びする。Mさんは何かのタイミングでABをTwitterに投稿した、するとCBよりも反応が貰え感謝のリプライを沢山貰っていた。
それで味をしめたのだろう、気づけばその人はABしか描かなくなっていた。推しカプ表記もABに変わっていた。
「MさんのABが公式!」「ABといえばMさん!」そんなツイートを見る度に悔しくなった。原作にないカプ(男同志)なのだから公式もくそもないのだが。
Mさんの描くABこそがAB!のような風潮になりつらかった。
一番辛かったのは元々仲良かった神絵師さんがABを投稿した際にMさんがリプをした、その返信が「ABの顔のSさんからそのように行って貰えて嬉しいです!!」だった。
泣いた。なぜだか分からないけど涙が出た。その人は元々CBが好きでABで承認欲求が稼げるから描いているだけなのだ。
Mさんが「私、原作は買っていないのですがAとBはこの後どうなりますか?それによって今日描く漫画の内容が変わります💦教えてください💦」とツイートした時にはスマホを割りたくなった。
Mさんの描いた漫画が無断転載された通報してくれ、とツイートした時も「お前はアニメ画像をアイコンにしたり、他の絵師さんの無断転載画像をアイコンにしてる奴と仲睦まじく話してるじゃないか」と思った。
嫉妬なのか怒りなのか分からない。私の好きなカプがその人に乗っ取られたように感じた。
私の承認欲求が強いのが悪い。絵が下手くそで文章も下手くそ、人間関係も下手くそ。それは分かっている。だがその人のABこそが顔!!という風潮が許せないのだ。
でもその人がカプの顔、もしその人と喧嘩すれば確実にみんな私よりもその人について行く。二次創作にも界隈というものがあるのでそれを抜ける勇気がない。
近頃話題の漫画、思うところありすぎて体調悪くなるし、わたしは綾城さんじゃなくておけけパワー中島にクソデカ感情を抱きまくっている。
自カプのおけけパワー中島(以下、自おパ島)マジで何でも褒めてくれる。
自おパ島、突然現れて自カプ者たちの承認欲求をガンガン満たしてくれた。ちょっと感想屋さんも混ざってるかも。でもテンションはおパ島、神にもフランクに話しかけてて、陰の者はぐぬぬ……になるしかない。でも自おパ島は私にもフランクに話しかけてくれるし作品投稿したらRTのあと感想くれるしリプもくれる。あ〜好き。
綾城さんとおパ島が通話してるシーンも覚えがありすぎた。自おパ島、通話してくれる。素敵な自カプが上がってたら教えてくれる。
自おパ島との関係は進行形で続いているし、私と自おパ島だけの関係で言ったら円満というか、まあ、仲良いように見えると思う。たぶん自おパ島はわたしのこと普通に好きなんだと思う。
それなのに私がクソなクソデカ感情を抱いてるのはたぶんもくりのせい、もくり、オタクたちの距離を縮めすぎ。
自カプで交流あって何度かオフで遊んでた神と自おパ島、いつの間にかアホほど仲良くなってた。きのう神と自おパ島がオフで遊んでいるのをタイムラインで知った私はもう……ぐぬ……ぐあ………………誘ってほしかった……でもたぶん仲の良さは比べものにならないんだろうな……とか、神……何かあったら私を誘ってくれていたのに……とか、自分は何もしていないのに少し嫌になってしまって無理。
わたしは匿名でしか感想言わないし、RTしないしリプしないしオフで遊びに行こうよ〜とかすげー仲良くなってからしか誘わないし、そんな神でもないただのフォロワーなわけですが、でも自おパ島……ぁたしにも構ってくれたじゃん…………。
良い作品作りまくって振り返ってほしい神もいないことはない(自カプの神と自おパ島は当然相互だしわたしは片道フォローだしあ〜やだやだ)けど、自おパ島にとっての綾城さんになりたいすぎてなんかもう無理、だって私がジャンル移動したらそこで終わり……
健康に悪くないですか?
感想。
感想が欲しい。感想は有れば有るだけ良い。前に嫌なこと書かれたから欲しくない。
金で買っても欲しい。養殖じゃなくて、新鮮な悲鳴のような感想が欲しい。
良かったの一言だけでいいのに。大丈夫だったかだけでも教えてくれたらいい。
せっかく感想伝えたのに、Twitterでそのこと愚痴られてるの見ちゃった。もう二度と感想伝えない。
定期的にバズっては同じような議論が繰り広げられて、収束していく。
感想。私も書くのが苦手だ。
失礼になって、逆に傷つけてしまったらどうしよう。
そんな人の助けになればと、簡単な質問に答えるだけで感想が完成するシステムがあればと考えた。
出来上がったものがここにある。
https://amechankonabe.github.io/kansou/index.html
Twitterにアップした。それなりにRTもしてもらったが、もっとたくさんの人に届けたい。
私のツイートはバズらなくていい。
それでも、共有方法はいくつかあるので、誰かが広めてくれないかなぁ。
そんな祈りこめてこれを書いている。
今まで相互フォロワーは、死んでさえしまわなければ何でもいいと思っていた。
アカウントを消して自分の前からいなくなったとしても、変な話ブロックという悪い関係性になってしまっても、ただ生きてさえいればよい。
その人の人生に自分が関わらない事は、大した問題ではないからだ。
私はTwitterをやってもう10年になる。それだけ長くやっていると、前兆もなく突然ピタリと失踪してしまった人が何人もいる。
生きているのか死んでいるのかも分からない。生きている事を願うしかない。Twitter自体に飽きたり、別のアカウントに居場所を見つけたとかならよいのだが。
中には「なんか今日ちょっと体調悪いなあ」「お大事に!」「ありがとう!」というやりとりを最後に、5年間更新がない人だっている。
そう、ただ生きてさえくれたら、生きてさえいてくれたらいい。
と思っていたのだが、フォロワーが壊れてしまった事で考えを改めた。
「政治的な発言ばかりするようになった」的な生ぬるい崩れ方ではなく、本当にメンタルそのものが壊れてしまった。
Aさん。相互フォロー歴ももう長い。Aさんは自ジャンルの絵師をはじめとする表現者を発掘して回り、RTやシェアで応援するような立ち位置の人だった。
私もこれまでAさんに幾度となく感想をもらったり、自分の作品をシェアしてもらったりした。
私はAさんに自分の作品を褒めてもらえるのが嬉しかったし、別の誰かを褒めて回してくるAさんの事も好きだった。
Aさんは今年の2月頃から、仕事が忙しそうな事をたびたび口にしていた。残業。仕事。残業。
そしてある日突然、壊れてしまった。
他のフォロワーに支離滅裂で脈絡もないリプライを飛ばしまくるようになった。
イメージ的には「今日はサイゼリアで昼食~!」に「私はひよこです!ありがとうござい!ます!」みたいな感じ。
あまりの脈絡のなさに、Aさんのフォロワーたちは最初は「誰かに乗っ取られていませんか?」「リプライ先自分で合ってますか?」と確認していたが、
徐々にそれが「Aさん」であると皆がうっすら理解するようになると、やがて誰も口にしなくなった。
何人かはDMでやりとり出来ないかと頼み込んでいた。DMなので内容は知らないがAさんの悩みを聞いたりしていたのだろう。
「ひよこってかわいいですね!」と無理やり世界観を合わせて発言しようとする人間も少なくなった。
Aさんのフォロワー数は確実にゴッソリ減っていたので、恐怖に縁を切ってしまった人間もいるはずだ。
私は少し前にインターネットでよく流行った「支離滅裂な思考・発言」という画像を思い出した。
元々あれは精神病理系の書籍の出典で、もともとは「今日は晴れですね。晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?」という文章だった。
少し前ならこれを笑っただろう。だがこの時私は「ああ、Aさんの文章だ」と思った。
沢山のものを追いかけてきらきらしていた、あの頃のAさんはもういなかった。ただ支離滅裂な文章をひたすら投稿し続けるbotになってしまった。
でもそれでも、そんなに支離滅裂でも、利用語彙そのものはAさんだった。好きなものたちの、好きな人たちの名前だけは忘れなかった。それが余計にやるせなかった。
と、いきなりクソデカ主語で失礼するが、一次創作でも二次創作でもイラストでも漫画でも小説でも、なんらかの作品を自ら作り出し、ワールドワイドウェブに公開し、あるいは大枚をはたいて本を刷っているひとは、少なからず反応が欲しいものなんじゃないかな、と私は思うわけ。
感想が欲しいから創作してるわけじゃないけど、でも、書き上がったものに対しては「どうだった?」って聞きたくなる。
え、ならない?
身近に感想不要派のひともいるし、全員がその限りではないことはもちろん分かっている。
欲しい反応だって、言葉なのかRTなのかイイネなのか、はたまた本を買ってくれることなのか、人それぞれだということも分かっている。
まあそういうわけで、つまり 私は とにもかくにも感想が欲しい。
この「感想」というのもまた捉え方が人それぞれなので厄介なんだけど、私は『感想とは:作品を読んで思ったこと』と定義しています。
純粋に読んで思ったことなので、それは「つまらん」とか「意味がわからん」とか「冗長」とか「漢字が読めない」とか、そういうあらゆるネガティブなことも、当然「感想」に含まれると思っている。
そういうのもぜーんぶひっくるめて、私は感想が欲しい。
自分の書いたものが、どのように受け止められているのか、それが知りたい。
書いたこと、書きたかったことが読み手に伝わっているのかどうかを、確認したい。
もちろん、褒めてもらえたら嬉しいし、けなされたら凹むんだけど、でもそれを知ることで、得るものがあると思っている。
と、いうわけで、コミッションサイトで感想を買ってみた感想を書きます。
<本題ここから>
今回、こういう依頼をするのは初めてだったので右も左も分からない状態だったんだけど、ともかくとあるコミッションサイトに登録して、そこから
「感想書きます」と募集しているクリエイターさん、かつ自分の作品を読んでくれそうな人(クリエイターさんによって受付条件がいろいろある)を一晩かけて見繕い、複数人に依頼してみた。
ちなみに、私は版権二次の小説同人誌を書いている腐女子なので、そういうのが万事OKなクリエイターさんにお願い。
結果、分かったこと。
①クリエイターさんによって、仕上がりにものすごくバラつきがある
この2点です。
私が登録したコミッションサイトでは、こちらが提出する文章の量に応じて値段設定してる人がほとんど。
依頼するときに、作品の情報と同時に作品自体も提出したので、それを見て、価格や、依頼を受けるかどうかの判断もされていると思われる。
こういうのって、クリエイターさん側も成果物のサンプルを上げていて、それらを見てこちらも誰に依頼しようか判断するものだと思うんだけど、
感想に関しては、成果物の例を上げているひとが誰もいなかったので、この時点では、どんな形式でどれだけの分量の感想が返ってくるのか、見当もつかない状態。
募集要項に書いてあることを熟読しても、仕上がりのイメージはまったく湧かない。
まあこの手の市場はまだ発展途上というか、醸成されてないだろうから、お互いに手探りなのは仕方ない。
よう分からんけどまあええわ!!なんかいい感じによろしくたのむで!!と思いながら依頼ポチー!
そんな感じで、クリエイターさんと何往復かやりとりして、価格や納期を相談し、時がくると、感想文が納品されてくるシステムです。
よう分からんと書いたけど、このやりとりの時点で、クリエイターさんの作風(?)というのがだいたい分かってくるので、この時になんとなく仕上がりが察せられるんだけどね。
あっさりめとか、分量多めとか、なんかそういうのが漠然と予測できる。(そしてその予測は的中した)
同じ小説を提出しても、返ってくる感想は千差万別。分量も、感想のテンションも、形式も、ほんとうに人それぞれ。
けっこうあっさり、さらっと流し読みしたのかな?って感じで、それはつまり「つまらなかった」(と直截には書かれてないけど)という感想かな、と思えるものから、作品を引用して一文ごとに詳細に感想を記してくれるものまで、ほんといろいろ。
まさに、私の小説を読んで各々が「感じたこと」を書いてくださったわけですよね。ありがとうございます。こんなとこで言うなて感じだけど。どれも、全部心からありがたかったです。
ここで、実際に納品された感想がどんなだったかを詳しく紹介したいとこだけど、互いに身バレしてもアレなんで控えます。
実際に頼んでみるといい!!!!
そういうわけで、依頼の時点では何が来るのか分からない、というのは良くも悪くもあるかな、と思いました。
自分の欲しい感想(見てほしい部分)がはっきりしている場合は、それをきちんと要望として出した方がいい。
例えば小説だったら、印象的だった一文を教えてほしい、とか読んでいてひっかかった個所を指摘してほしい、とか。
当たり前のことだけど、読み手としても、どういう視点で読めばいいのか迷うと思うので、漠然としているよりは着目してほしい点をはっきりさせた方が、お互いのためになる。
そのためにはまず依頼する側が、何を望んでいるのか、自分の思う「感想」とは何なのか、きちんと自己分析する必要があるとも思うけど。(自戒を込めて)
欲を言えば、クリエイターさん側から、テンプレートというか…こういう点を見てこういうコメントをしますよ、みたいな作例があると、さらに良いかなーとも思いますけど…。
それこそ、ジャンプのアンケはがきみたいなのでもいいし、よくTwitterとかで見かける、同人誌の感想シートみたいなのでもいいし。
それをクリエイターさん側が作るのか、依頼者側が作るのかって話にもなるけど。
感想書きます!と募集しているからには、クリエイターさんなりの感想論というものがそれぞれあるはずなので、それが分かる何かがあらかじめ提示されていたら、依頼者としても自分の欲しいものにマッチしたクリエイターさんを見つけやすいし、お願いしやすいんじゃないかな?
とはいえ、提出されたものによって、出てくる感想もバラバラにはなるだろうから、一概にテンプレ化もできないのかもしれないけどね。
あと、感想どころかふつ~~~に校正とか校閲的な指摘をしてくれるクリエイターさんもいて、(これは、私が忌憚のない意見を要望したこともあるとは思うけど)、入稿する前に校閲をお願いするのはありありのアリだと思いました。
多分、私は継続的にそういう使い方をすると思う。
そもそも、お金を出して感想を書いてもらうってどうなの???と思われるかもしれない。
私も正直迷いました。
だって、ふつうに同ジャンルにいる人たちとは、互いの作品に萌えたら感想を言い合ったりするわけで??
もしかしたら相手は義理で言ってくれるのかもしれないけど、それでもそれはある種の好意(あるいは厚意)として、もしくはなんか言いたいから(萌えたから)という理由で言ってくれているわけで????
それなのに、お前は感想を「買って」喜んでいるのか!!!!そんなに感想がほしいのかこの恥知らず!!!と思われるかもしれない。
でもね、ジャンル者からの「自発的な感想」と、「対価を払って得た感想」では、なんというか、土俵が違う。全然違う。
うまく言えないけど、「高級懐石料理」と、「風邪ひいたときにお母さんが作ってくれた大好物のプリン」くらい違う。比べることなどできない。
どっちも違ってどっちも良い。どっちも良いんだ!!!
私はどっちも欲しいです。
最近、なにかと話題のおけけパワー中島ですが、あの作中に出てくるキャラクターの実力は中堅以降クラスで私みたいな底辺から見ればクラス高カーストの奴らの内輪話じゃん、というような感想にしかなりませんでした。
勿論、主人公の七瀬、そして先日出てきた新キャラの友川においても最初は底辺だったのかもしれないですけど結局(努力もありますが)実力をメキメキと身につけ、ある一定の評価基準まで到達しています。
この真田さんの漫画において提示されているのは、『神に到達するなら自分も神同等の実力を身につける』という手法で、底辺は神へ接近・接触できるということです。同人界隈は特にこの傾向が強いと言ってもいいでしょう。
ですが、現実ではどうでしょうか。ここで、ジェームズ・フレーザーの金枝篇より王殺しを引用してみます。
森の王と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。
このように、実際に神との原始的な宗教的体験というものを考えると、寧ろ神殺しは底辺な者にこそ与えられていたパワーでしょう。
しかし、同人界隈というのは、いいねやRTといった数的なものが良さに変換するプロテスタンティズム的な考えが主流であり、例のようなカトリック的な神それ自体が神聖だから神聖であるというような考えとは異なります。すると、ここで二つに考えが分裂します。
一つは、神絵師とはいいね・RTが多い人間であるというテーゼです。これはツイッター・pixivにおいても閲覧数が多い方が神(結局上手なのだから見られる)というような考えであり、主流なものです。しかし、(閲覧数が高いから・売れているから)素晴らしいというのは、権威主義ともはや同じです。
そして二つ目に、その絵それ自体が神聖であり作者は尊いのだという考えです。こちらもある程度支持する人はいるかもしれないですが、いいね1の絵を神なんだと言ったところでその当人にとってしか神でないというような話になってしまいます。それでは、神としての効力というのは非常に弱いです。
では底辺絵師持っている力とはなんでしょう。それは数字も神聖さもないということです。このようなペシミズムが、サドの遺言のように誰にも作品を見せずこのまま消えてしまいたいというような感情へと移行することができれば、その時ついぞ神絵師を殺すことができるでしょう。
ここでなぜ神絵師が神聖さを持つのかを理解することができます。すなわち神絵師とは、絵が上手い・閲覧数あるといったことではなく、多くの人間を創作活動へと導いてきた人間であるから神絵師なのです。
ですから底辺絵師は神絵師を殺す時がなければいけません。それは数的なものでなく神絵師の思想を乗り越えるといった形式において考えられるべきでしょう。
友川は毒マロという形式を用いましたが悪手でしょう。本来ならば創作という土俵で、つまりA×Bの作品で表すべきだったはずです。
そして神絵師が神である以上、神は気まぐれであり何をしても許されるからあなたが信じた神だったのです。それをもう許せないのならあなたにとってはもう神は死んだ状態であります。
我々底辺のペシミズムが神絵師を揺さぶる時、初めて神絵師との合一ができるのです。そしてそれを乗り越えて神を超越することができるというのが、底辺の強みです。神絵師になってしまったら神同士の馴れ合いでしかありません。
昨日、とある有名なボカロP、A氏が自分の曲の使用ガイドラインについて口を開いた。
単純に言えば「MMDに歌ってみたを使うな。使うなら原曲を使え。歌ってみたを使ってるやつは削除しろ。」という内容。
故に、そのガイドラインの存在に気が付いたMMD動画の作者たちが、次々にA氏曲の歌ってみたを使用している動画を削除・非公開としていった。
この削除祭りで消されていった中には数十万と再生が回っていた著名な動画も少なくはなかった。
借り物要素が多いMMD動画とはいえ、そもそも作者たちだってそれなりに頑張って作ったものだった。
故に、これに腹を立てる人間も少なからずいた。「何故消さなくてはならないのか」「二次創作を禁止するのか、心が狭いな」
……。
MMDをやってる人に伝えたい。
増田はボカロPを結構フォローしているが、MMDを有難がる声よりも、MMDに対する苦言の方が圧倒的に多い。
B氏は言っていた。「自分の曲がMMDに使われるのは嫌だ」と。
C氏は言っていた。「別に使うのは構わないんだけど、リンクぐらい貼ったらどう?」と。
D氏は言っていた。「MMDは失礼な人が多いから苦手だ。素材って感じ。」と。
増田もまたDTMをやる。自分の曲をMMDに使われて嫌な思いをしたことはないが、ボカロPの気持ちの方が分かる。
理由は様々だと思うが、一番はこの「素材感」だろう。
二次創作MMDは、いわゆる検索除けを有難がる文化があり、原曲のリンクやタイトルをぼかして明記しないことが多い。
めちゃくちゃ失礼だと思う。そんなん無断転載と何が違うんだよ。
ボーカルの差し替えを利用するというのは、せっかく頑張って作った原型が崩された状態のものを、
「お前が最初に作ったやつより、〇〇さんが手を加えたこっちの方がいいからwww」と言う行為に他ならない。
絵に例えると、絵師①が描いて公開した線画を絵師②が塗った、という経緯のある絵を、
「①さんが最初に塗ったのより、②さんの塗りの方がいいですねwこっち使わせてもらいますw」と言って拝借する行為だ。
めちゃくちゃ失礼だと思う。吐き気がしてきた。
MMD側にも言い分はあると思う。
二次創作だと本家にご迷惑おかけしちゃうから曲名ぼかしてます~とか。
ボカロは聞く人を選ぶからとか、歌い手さんの方が踊ってる推しちゃんと雰囲気が合うからとかで、差し替えるんだろう。
へえ。
ご 迷 惑 お か け す る 可 能 性 が あ る な ら 最 初 か ら 使 う な よ ? ? ?
それこそめちゃくちゃ失礼だと思う。殺意が湧いてきた。
あ、あと「私は守ってるから大丈夫ですよね!ちゃんと原曲使ってるしリンクも貼ってます!」ってやつ。
あなた自身は良い人だと思うけど、界隈全体が嫌われてますよって話だから多分巻き添えになってます。ドンマイです。
という訳でMMDやっている人は、ボカロPにうっすら嫌われている事を、どうか自覚して創作してほしい。
うっすら嫌われないようにどうすればいいかは、ジャンルで学級会でもすればいいんじゃね?知らんけど
間違っても「せっかく知名度を上げてやってるのに心が狭い奴だな」とか言わないことだな。
おけパ島を名乗るなよと言われるかもしれないが買い専だった増田が神とタメ口でやり取りしている様をよく思わない人もいただろうとは思う。
神と仲良くなったきっかけは確か神が布教していたマイナー作品のツイートをRT後に「このキャラは私の人生を狂わせたのでみんな読んでくれ」みたいな事を呟いたらフォローを返されたとかそんな感じだった気がする。
神とはタメ口でリプを飛ばし合っていたし別作品をお互い布教しあったりそこそこ仲は良かった。
ある日、神の鍵垢にフォローされた。いわゆる身内用垢だった。
マジかよ……ただの買い専がこんなところ来ていいのかよ…と思いながらフォローされた垢を覗くと数秒くらいフリーズした。
「○○さんにめんどくせー空リプされてるから誘導してフォロワーに凸させようかな」
「note書き始めたやつ大抵高尚になってるから気にくわない」
(一部フェイク)
など「ひゃ〜〜〜〜〜〜すげえなおめぇよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜」な内容だった。
あと身内用だと思ってたからなのかアダルトグッズ購入報告ツイや軽い使用感想、「推しのこと想像して抜いたわ〜」等も書いてあり増田は神のギャップとリアル性活のダブルパンチをくらって灰になった(というか後者のダメージの方がきつかったのだが)。
垢はそっとミュートにした。
なので、私も積年のお気持ちを書いてみたいと思う。
私はそこそこ同人歴の長い腐女子で、イベントにも積極的に参加していた。
同人友達はいる。長い付き合いの人だと、五年以上ではなかろうか。
彼女たちとはジャンルが異なってもご飯を食べたり、作業通話をしたりする。
出会った当時は同じカプだったとしても、ジャンルを違え、再び同じジャンルにハマった時、カプが違うのだ。
いわゆる身内なので趣味の傾向は似ている。だが、ジカプは違うのだ。
私は逆でもおいしく食べられることが多いタイプだし、身内の話は面白いので、ジカプが違ったとしても会話は弾む。
むしろハマっているものについて話すよりも、私生活や、原稿の苦しみについての話題の方が多いかもしれない。
それを前提としても、しくしくと痛む心があるのだ。
まずできない。
これは私の性格の悪さかもしれないし、運の悪さかもしれない。
コミュ障の自覚がある私は、新しく好きなジャンルができるとリストで気になった人を観察する。
フォローなんてとんでもない。フォローするにしても、しばらく観察して人となりを把握し、失礼がないようにしたいからだ。
私は作者の私生活も大好きだ。どうやって生きればあんな素晴らしい作品ができるのだろう、とわくわくした気持ちで見る。
今日はなにを食べた、仕事が大変だ、眠い。なんでもいい。すべてのツイートを、読みたい。
だが、たびたび私は絶望する。
いつしか、萌え目的のリストがこの人は大丈夫かどうかの判断リストになってしまう。
DEは◯◯だけど、ABは◯◯だから良いよね、などの比較する発言。
こういう発言をしている人が、たくさんいる。
こういうのを見ていると、私はジカプで出来上がっているコミュニティに参加したくない。
私は元々逆もカプによるが見るタイプなので、逆カプも観察している場合がある。
逆カプにはそういう発言がない。
少なくとも、検索して引っかかるようなことはない。
私は、そういうことをしないコミュに属したい。
そういうことをしない友達が欲しい。
結果、私だけがABで他の人はBAという場所によくお邪魔させていただいている。
これはこれで楽しい。
キャラの話もできるし、ジカプを他カプを比較したり、心ないことを言う人がいない。
たのしい。
仲の良いBAの人が主催のもくりのメンバーを、今日も確認する。逆がいけるかどうか。固定じゃないか。
私が入室することによって、固定派の人が嫌な思いをするのは避けたい。
気兼ねなくABの話がしたい。友達が、ほしい。
なぜ話が合いそうなジカプの人を探さないのか、探せばいるだろう、そう思われるだろう。
私もそう思っていた。
探した。たくさん探したよ。
ずっと張り付いて、検索して、新しい人が来るたびに大喜びしていた。
でも、みんな、なぜか…
なぜ…
私が自衛すれば良い話である。え、ジカプをミュートするんですか?
もうやだよ〜〜〜ふつうのひとと友達になりたいだけなんだよ〜〜〜〜〜!!!!!
でもわくわくしながらジカプを検索して、他を下げたりしてるのを見るとゲンナリしません?
なぜ他者を攻撃してジカプを上げようとする? そんなことのためにジカプを使わないでくれ。私にはジカプを侮辱しているようにしか見えない。
そんなことをしなくたって、ジカプは最高だ。
次のジャンルではがんばりたいな。
贅沢な話であることは理解している。私には身内と呼べる友達が何人もいる。
ただ、ジカプのコミュに属せないさびしさは、それで癒えるわけではない。
いつも「友達がほしい…」と言っている気がする。
私だってジカプで騒ぎたい。毎日夜遅くまで通話したい。企画だってしたい。
怨念を込めて作品をつくっているので、そこそこ反応はいただいている。
でもジカプ友達は…いないんですよね…。
逆カプの人も良い人で楽しいよ。
でも、でも、でも〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
あと、ジカプとの解釈違いもすごいです。
大体オンリーワン。俺は俺の道をいく。
以上、散漫な愚痴でした。
聞いてくれてありがとう。
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
感想に関する話題が上がってくる度に、わたしは数か月前の出来事を思い出す。
Aさんという絵師がいた。
その人は、自分の絵や漫画や作品やグッズについての感想を、かなり熱心に求めていた。
と言っても、嫌味な感じではなく、匿名ツールで感想を募集するツイートを「感想が欲しい」という素直な気持ちを添えてツイートしたり、感想リプには引用でタグをつけたり、寄せられた感想ツイートを繰り返しRTしたり。
ツイートでも時折「感想が欲しい」「リアクションが欲しい」「感想もらえたら元気が出る」「自分の作品について、解釈について語り合いたい」と言っていた。
多少メンタルが弱く、アップダウンがある人ではあったが、人間誰しもそういうもんだろう。それをTL上で表面化させるかどうかだけの違いだ。
私はAさんを片道フォローし、流れてくる絵をRT・イイネしていた。
Aさんがとある大きなイベントへ参加することが決まり、それに向けての作業を頑張っているのを見ていた。
私もいまでこそ読専ではあるが、イベントへの参加経験があり、それに向けての準備が苦しかったり楽しかったりすることも、身をもって経験していた。
そして春になり、コロナウイルスの影響でイベントが軒並み中止になった。
Aさんが参加予定だったイベントも、中止になった。
2020年になった頃からじわじわと騒がれていたコロナウイルスの影響。
2月頃まではギリギリイベントも開催されていたが、3月以降からはバタバタとイベントの日程延期や中止のアナウンスがTLに溢れていた。
参加が決定し、作業も佳境を迎えたころから参加予定イベントの開催が危ぶまれているなかで、Aさんもツイッターで「早く決定してほしい」「何の為にいままでがんばってきたのだ」と荒れていた。
中止が決定し、時間が経ち、荒れたAさんのメンタルが落ち着いてきた頃に、以前と同じように「感想が欲しい」系のツイートをするようになっていた。
作り手の経験があるからこそ、Aさんの気持ちは痛い程伝わっていた。
そして、少しでも元気を出してほしい気持ちを込めて、過去絵や作品についての感想を匿名ツール文字数いっぱい送った。
Aさんは「応援して」「感想が欲しい」「反応が欲しい」と呼びかけ、タグをつけて引用RTし、過去に寄せられた感想を繰り返しRTしていた。
自分に向けられた感想という愛情を大事にしているのだと思っていた。
だが違った。彼女が欲しかったのは「自分が欲しいと思うタイミングで、欲しいと思う相手から、欲しい内容の感想が、欲しい」のだ。
感想を送る際には、匿名性である以上言葉遣いや礼儀、内容などにも特に気を付けていた。
私の解釈を挟んだわけでもないので、解釈違いや地雷を踏んだという事も、おそらくないだろう。
自分の作品への感想を、タグまで作って、広く熱心に求めていたAさんに、私が送った感想は「返事はあざす!の一言だけでいい感想」だと、選別されてしまったのだ。
人間社会と同じで、こういうのは個々人の自由であり、権利であり、ご縁だと思っている。
どれだけこちらが熱心に好きでも、相手がこちらに興味すらないことだって往々にしてある。
こちらが長文の感想を送ったからと言って、同じ熱量で返さなければいけないという決まりはない。
だけど。それでも。
自分の作品に向けられる愛情を求めたAさんは、いざ愛情を向けられたら、それを取捨選択するのか。
それはとっても失礼なんじゃないのか。
ちやほやしてほしいだけならば大々的に感想を求めないでいてほしい。
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
Aさんに感想を送る自由・送らないという自由な選択で、私は送ることを選んだ。
Aさんはわたしの感想を受け取る自由・受け取らないという自由な選択で、受け取らないことを選んだ。
だからわたしは、Aさんを応援し続ける自由・応援を辞めるという自由な選択で、応援を辞めることを選んだ。
だってそうでしょう。心を注いで受け取ってもらえない相手に心を注ぎ続けることは、できない。
そして今私は、Aさんに「あなたがわたしの感想を取捨選択したように、わたしはあなたの作品も取捨選択する」と、どうやって伝えようかとずっと考えている。
当たり前のことである。
あの界隈からアカウントを消して足を洗ってだいたい1か月。いや、足を洗っても手を染めている以上もう現世には戻れないのかもしれない。
大いにもめているJR東海VS静岡県、片や必死になって2027年開業を守ろうと、片や必死になって大井川の水を守ろうとしている。
世の中のほとんどが静岡県側の肩を持つ中、唯一JR東海を必死になって擁護するのがインターネットSNS電車アイコン界隈である。
オタクの中でもとびぬけて治安の悪い鉄道オタクのことである。社会不適合なのでとりあえず逆張りしておけばTUEEEEってなるという風潮がある。
電車アイコン特有の文化として、鍵リプ、鍵リツイートっていうのがある。フォロー・フォロワー1桁の鍵アカウントを使って頭にきたツイートに意味もいないリプライを単細胞のごとく送り続ける。
そして同調してほかの人間も送り続ける。結果リプライ数だけ3桁になったりする。でも誰にも見ることができない。本人とごく近くの身内は満足しているんだろうけど、周りはそうは思っていない。
それはO宮駅の先で罵声をあげたり、カルト宗教の歌を歌ったりするのと本質的には同じで、所詮は類は友を呼ぶというだけである。でも、誰も諫める人間を見ようとしないので自分の意見を仲間内だけで共有して強い意見にしている(と思い込んでいる)
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というよりたちがわるく、赤信号を白に塗り替えて「これは渡ってもいい」とマイルールを作って渡っているのである。
そもそも、電車アイコンにするぐらいのことだから、電車の絡む議論に参加して中立的にものを見ることなど全くできるはずがない。あれは趣味を超えた、ただのカルトである。
あまりにも電車側の肩を持ちすぎて自分のことを鉄道会社取締役だと思い込んでしまう。そのまま「こういう列車は〇〇という理由で運転ができない!!!」なんて大本営からの勅言を出してしまう。その列車が実現しても知らん顔。
もしかしたら本当に鉄道会社の取締役かもしれないし、総合職かもしれないし現業かもしれない。でもそれは教団の中での立場の違いにすぎない。道端で勧誘するか、それとも集会で教徒の前で説法するかの違いである。どっちもカルトだ。
あまりにも教祖にゾッコンだから平気で「水なんか減っても問題ない」とか「ひかりの停車が減るぞ」とか言い出す。声を上げる人間は基本的に現地の人間でもない、余所者なのである。
だから、リニアの対立でさも真っ当な意見がRTで回ってきても、もしアイコンが電車だったり、プロフィールに「公共交通」なんて書いてあったり、直近で電車の写真しかとってなかったりした場合、その意見はプロパガンダである。
彼らは議論ができない。いいことを言っているように見えるが、根本的に人の意見を受け入れることができないのだ。
彼らは議論をするときにリプライをしない。引用ツイートやスクショツイートで反論の余地を与えず身内からの承認欲求を得る。それが彼らの戦法なのである。
絶対に触れないほうがいい。RTもしないほうがいい。RTは承認欲求を満たしてしまうからだ。
彼らの社会復帰のために…
ツイッターで多くの人と交流することが多くあり、中々愚痴を呟くことを控えていたけど、どうにも辛くなって来たので書く
私はツイッターにイラストを載せるタイプの人間で、二次創作のイラストを頻繁に描いているのだが、ありがたいことに、いいねをしてくれる人が多く、2000や3000といいねが付くことも度々ある。ただそれは旬ジャンルという理由も加味してる。
Rt後に感想を投げてくれる人もいるし、本当に感謝しきれない。
ただ、私は創作のイラストも描いているがこれが全くといって良い程反応が来ない。
描き込みが足りない?二次創作より雑だから?と思うのだが、変わらない。むしろ創作の方がまともなくらい、
本当に雑な二次創作のらくがき(線だけの顔しか書いてないやつ)が100や300とつくことがあるのに対して、創作は素晴らしく良くて20のいいね。色付きで3いいねとかは、ざらにある。
う~~~ん、わかっているけど、わかっているんだけど、、、、、どうしても悔しいな
二次創作のイラストを褒めてくれる人は色が好きとか表情が好きとか伝えてくれるけど、所詮はキャラが好きなのであって私の絵が好きという訳ではない。
仕方ないのはわかってる。
二次創作はキャラ自体にストーリーや性格が既に知られてる状態だから、らくがきでもキャラの厚みがある。その価値は絶大なものだから、その価値にあやかっているに過ぎないのに、自分の絵を好いてほしいと思う、自信の承認欲求が気持ち悪くなってくる。
褒めてもらえることはありがたいと思う反面、創作には反応が全く無い時、かなりつらさがある。
もちろん、二次創作の反応が多いのは自身をフォローしていない人の影響がかなりあるのはわかっているけれど、フォローしてくれてる人の反応が皆無なことが結構つらい。
まぁ、二次創作で繋がりを持つんじゃなくて創作好きと繋がれば良いんだけどね!
自分はその人の絵柄込みでフォローする人間だから、相手から同ジャンルの絵だけ求められてるんだよなぁという現実がちょっと悲しいなぁと思うのでした。おわり。
ただ、具体的にどのような騒動だったのか、把握しづらい状況だったため、まとめたいと思う。
尚、このまとめ自体は、特定の方を糾弾したい等の意図は一切無い事をご理解頂きたい。
「あつまれ どうぶつの森」(以下「あつ森」)というゲームをプレイしている人達の中でも、主婦や子持ちの方と言った、所謂奥様方である女性のみを対象にしたサークル「あつまれ 奥方の森」の事である。略して「奥森」。
活動拠点は主にdiscordとTwitter。サークル内でルール等も決められている。騒動前時点で参加している方が340人を超える規模のサークルだった。
幹部の方々を『通称:天使』と表したり、メンバーへ『マイナンバー制度』を導入したりと、中々独特の感性をお持ちのサークルでもある。
以下、時系列に沿ってまとめる。
尚、大変長い上に「とどのつまり、運営が独裁した上での内輪揉め(+α)」と言う流れなので、時間の無い方は私以外の方がまとめたものを読んだ方が良い。
ここで言う特定のユーザーとは、改造氏(※1)の事である。以下、改造行為や改造マイル旅行券と紛らわしい為、カイゾウ氏とする。
カイゾウ氏をフォローしている奥森メンバーは複数おり、奥森運営から個別に「カイゾウ氏は改造行為を行っている。奥森はルールにも書かれている通り、改造を認めていないため、フォローは外すように」と通達された。なぜ突然このような通達があったのかは現在不明。
だが、通達を受けたメンバーの一人(以下A氏とする)が「カイゾウ氏は改造行為を行ってはいるが、それは改造行為を危険と知らしめる、注意喚起の為であり、ルールで定義されている他人へ迷惑をかける改造行為とは性質が違うのではないか」とカイゾウ氏を擁護、フォローを外すことを拒否した。更にA氏は奥森を退会した。
尚、A氏が自主的に奥森を退会した直後の晒しとなったが、退会したから晒した訳ではなく、本当に偶然にタイミングが被ってしまっただけとB氏は言っている。
ここで問題となったのは「なぜA氏から貰ったマイル旅行券を、改造マイル旅行券と断定できたのか」と言う事である。
B氏は判定基準として「A氏から貰ったマイル旅行券を部屋に置き、一度部屋を出てからもう一度部屋へ戻るとマイル旅行券が消えていた」と説明。B氏曰く、その手順は改造マイル旅行券か否かが分かる方法であるという。
しかしB氏は上記の手順を踏んだ際の、証拠となる画像や動画を一切出していない。よって「証拠も無い状態で、B氏はA氏を『改造マイル旅行券を使用する悪質プレイヤー』として、奥森内で晒し上げた」と言う事実が残ってしまった。
同時期にこの件で運営幹部に不信感や不安、疑問を抱いた奥森メンバーの複数人がカイゾウ氏に相談を行った。この際、discordのスクリーンショットがカイゾウ氏へ渡っている。
また、カイゾウ氏は奥森運営へ再三返事を求めたが、反応は返って来なかった。
後に流れたスクリーンショットを見るに、運営は「カイゾウ氏と話し合う、謝罪の義務、証拠の提出などの必要性は一切ない」と判断したとのことである。
B氏は後に鍵垢となり、現在その謝罪はカイゾウ氏の引用RTからしか閲覧できない状態である。
上記の流れに関して、証拠が無いA氏の名前は出したにも関わらず、証拠がある幹部のB氏の名前を出さない運営に対して不信感を持つメンバーが多数発生した。
それにより、不満を持っていたメンバーや不信感を抱いたメンバーが次々に退会することとなった。
現在、奥森の幹部であった方々のtwitterアカウントは、殆ど鍵垢になっている。
以上が『奥森騒動』の大体の流れである。このまとめを作成するにあたり、事実と違う点があってはならないと考えた為、奥森に所属しており、リアルタイムで流れを把握していたC氏並びにD氏に確認して頂いた。ご協力頂いたお二人にここで御礼申し上げる。
肯定も否定もできない。企画ツイートをRTしていたのは事実であり、そこで旅行券を受け取ったか、受け取っていないかも不明。それこそ証拠がない。
「奥森」と言う340人ものメンバーを抱えるサークルが、メンバーにロクな説明も周知もせず解散してしまった。その為、所属していたメンバーすら何も分からないままである。他のあつ森ユーザーは尚更分からない。知ろうと思っても知る事ができず、改造、RMTという言葉だけが飛び交い、不安が広がっていた。その状態を解決すべくまとめた。
※1 改造氏とは
twitterにて改造・RMTの注意喚起、及び改造・RMTを行う業者やプレイヤーへ警告、糾弾をしている方であり、自身も改造行為をし、実際のゲームの挙動などの検証を行った上で、改造行為に対して警鐘を鳴らしている
ゲームの改造行為(普通のプレイではなく、直接ゲームデータをいじる事)によって手に入れられるマイル旅行券(ゲーム内アイテム)の事。この旅行券を所持しているとデータ破損の原因になると言われている。その為、交換に使用したり、譲渡したりすると、他者へ多大な迷惑をかける事となる。
主にプレゼント企画と謳い、「レアなアイテムや家具を抽選で当たった人にプレゼントする」と言うもの。抽選への応募方法は大体「企画をしているアカウントのフォローと、当該企画ツイートのRT」である。
ただの好意で行っている方もいるが、大体は業者であり、このようにツイートすることでフォロワー稼ぎをしたり、プレゼントとして正規品ではない改造品を渡したり、最終的にRMTへ誘導したりと、悪質なものが存在する。
奥森の公式Twitterアカウントにて、privatterを使用した謝罪文が掲載された。
また、それと同時に「一時期、奥森の公式HPにアフィリエイトを貼り付けていた事」が公式のツイートから明らかとなった。
運営費に充てる為に幹部メンバーが独断で貼り付けていた、他から指摘を受け、すぐに撤去したとの事だが、解散時点で既にHP自体が削除されていた為、詳細は不明である。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。