はてなキーワード: 直行とは
何度も書かんでいいぞ
酔っ払い、あるいはシラフでも性格に難アリな客からはハラスメントされることがある。
例えば、車に乗り込んでまだお尻が席につくかどうかのタイミングで突然
と我慢ならないという感じでブチギレながら行き先を告げるサラリーマンとか
(ちなみにこいつ、普通にタバコ吸い始めたから降ろそうとしたら揉めて警察沙汰になった。後日会社に対していかにもこちらが真っ当ですって感じの慇懃無礼なホワイトカラー仕草でクレーム入れてきた。もし今後、令和関東大地震起きて何もかんも失って裸一貫にされたら断片情報頼りにこいつ探し出してカタワにしに行く23区の旅始めるかもしれん)。
自分は西麻布六本木渋谷というキチガイが好むエリアをメインに営業していて、しかもナイトなので、客から暴言や乱暴狼藉は週1ペースで食らうんだけど、そのなかには超有名人(俳優やアスリート率高し)や超一流企業勤務の人(チケットだったり深夜帯に本社ビルから乗ってきたりとかでほぼ確でわかる)もぶっちゃけ結構いたりする。
(余談。
超一流企業のなかで明らかにキチガイ客が多いのはマスコミ・不動産・商社。
酔ったマスコミ人は言行が極端でどうにも見た目と比べてチグハグしており様になっていないタイプの暴れ方する連中が多く、平成の大学生みたいな人種だなといつも思う。
不動産はカタギという安全地帯にいる身分でタカくくって反社のマネして荒ぶりすぎ。運転手が元極道だと知らず後ろから運転席蹴り飛ばしまくった結果泣いて土下座するまでボコされた話とか改元以降でも聞いたぞ。
商社マンはてめえが逐一指示する道をこっちは仰せのまま走ってるのに「またメーター上がった…これ機械正しいんですか?」とか「僕の想定だとこうなるはずないんやけどなあ」とかずーっと狂ったようにぶつくさ文句言って最後に釈然としない感じで運賃を支払うくらいヤバい。こっちが思わず『もしかしてこの人、過労や飲酒起因の神経症なのでは?』と疑ったレベル)
どうも、このご時世でもまだ世の中が
『タクシー車内でのハラスメントはご愛嬌。暴行や器物損壊までなら文句言うな♡♡♡』
って認識でいるらしく、
例えばこっちがその場で救急車呼ばないとあかんレベルの怪我したとか、防犯板やガラスぶっ壊されたとかインパクトある被害でも食らわない限り、迷惑客のほうは無罪放免で普通に社会生活送れるケースが多いんだよね
(ぶっちゃけ暴行受けた運転手が泣き寝入りをよしとせず事件化に向けて決然と動いた場合、警察署員や自分の会社の運行管理者がガチで一気に冷たくなるし、なんなら敵に回るまである)。
「今所持金ゼロだから!家にもたまたまねえのにどうやって払えっつんだよ!(激怒)」
と開き直られるなどして、そのまま車から降ろさず警察署に直行して訴えかけても、客が女だったり、いかにも体育会系って風情のホワイトカラーだったりしたら警察はマジで
「住所や連絡先訊くから後で払ってもらう感じでいいでしょ?」
と事件化をめちゃくちゃ渋るよう圧かけてくる
(ちなみにこの手の迷惑客の大半は後日でも料金を払おうとしないし、電話口で半ギレ気味にウンザリした様子で対応してくる。なお、仮に踏み倒し客がヨレッヨレの服着た老人とかだったら警察は大張り切りですげえ厳しく対応するからこいつらマジで気分で仕事してるし普通に公共の敵)。
なので、
何かあったとき、その映像が保存されてるドラレコのSDカードを自宅に持ち帰ってコピーし(少なくともうちの会社のガバガバ管理だとこの冒険が余裕でできる)、その映像ネタを専門に取り扱う迷惑客暴露系YouTuberにでもなろうかなと思ってるんだけどどうなると思う?
もちろん迷惑客にはモザイクやボイスチェンジャーなんぞかけないし、個人情報はたとえ勤め先だろうが住所だろうが電話番号だろうがこっちが知りうる限りのものを訴訟上等で全て晒していく。
個人的にはタクシー会社いつクビになっても構わないんだけど、これまで不当に背負わされたクソな思いを換金して報われたいという思い、
そしてクソ客が不法行為をやっても
で甘く済まされてた世の中に対して顰蹙モノだが確実にインパクトのある暴露という行為によって一石投じたいという思いがある
あーあと都心の有名高級タワマンの住人でとんでもねえのゴロゴロいるからそいつらも晒すわ
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
どうでもいいニュースばかりチラ見していると、なんだかそういった話題を取り上げることがよくある
それはテレビとかも同様で、出生率や子育て支援や婚活パーティとかを海外の戦争と続けて取り上げたりする
もちろん他にもお得な買い物情報とかあるんだが、特にネットで盛り上がっているのは上記の2種だろうね
思うに子育て世帯が関心持つのはまあわかるんだが、全然関係のないしかいないはてなみたいな場でも、その話題に事欠かないのが不思議でならない
自分たちに関係のない話題をするなっていうことじゃないけど、無関係で今後も一切かかわることなく墓場まで直行な人たちが騒いでいるのを見ると、コンプレックスを刺激されているんだろうなと邪推してしまう
イオンでスポーツ用品店つっったらスポーツオーソリティかゼビオ直行だろ。ていうかTSUTAYAとゲオに集約されたように、スポーツ用品業界ももうこの2つしか残らないんじゃないか?市場規模的にも、たまーに、忘れたようなヒマラヤとか地場スポーツ点がデカくなったような店に微レ存の確率で遭遇するが、子供もへっとるし、もう持たんだろう。
仕事柄、自社オフィスとクライアントのオフィスに半々の頻度で出社している。
自社オフィスとクライアントのオフィスは自席の最寄りドアからの男性用トイレの配置が異なっており、自社オフィスは最寄りドアから出て左手すぐに男性用トイレがあるが、クライアントのオフィスはその位置が女性用トイレになっており、男性用トイレは女性用トイレより奥にある。
これは間違えやすそうだな、と常々思っており、いつもクライアントのトイレに入る前には男性マークを指差確認している。
だが、昨日は深く考え事をしており、指差確認をせずにトイレに入り、個室に直行してしまった。
用を足し終え、ウォッシュレットを使っていると、外から女性同士が話す声がした。
その時、自分がいつもの自社オフィスの癖で出てすぐ左手の女性用トイレに入ったかもしれないことに気がついた。確かに個室に入る時に小便器を見た覚えがない。
「ついにやっちまった」と頭を抱えた。
クライアントからの契約を切られる可能性がある上、捕まったら普通に人生が終わる。
外にいた女性の声がしなくなり、人気がないタイミングを見計らって恐る恐る個室のドアを開けたところ、見慣れた小便器が見えた。
前から危ないと聞いていて、二月の頭に顔出しに行った。
その時は意識あったけど、もうないらしい。
叔母が一週間くらい休み取って準備や片付けに来なさい!と言ってきたけど、正直行く必要あるのか?が本音。
入院しないで家で死にたい母親のために実家は介護仕様になってる。
そんなとこ行っても今は何も出来ないと娘の私は思ってる。
そもそも物理的な距離も遠いし(実家は東北で現在九州住み)、亡くなって葬式や火葬の日程決まってからでいいのでは?
父親にも次の連絡があったら日程の連絡だから覚悟しておきなさいって言われてたのに。
それなのに今駆けつけなきゃ薄情者みたいなテンションで来られるときつい。
姉妹としては、母親は叔母から見て面倒見のいい素晴らしい姉だったんだと思う。
だから最後を惜しんだりしてるけど、全員同じだと思わないでほしい。
私には過干渉だったり放置したりの気まぐれ毒親で、私のステータスを自分の手柄みたいに思ってる嫌な母親だったんだよ。
味音痴の料理下手で掃除しないから家中ほこりだらけで清潔の概念が全く合わなかった。
実家にいる時は気が付かなかったけど、私だいぶ煙草臭かったと思う。
苦しくなかったでしょ。
一番ありうる病気じゃない。
あーー意味分かんない。
私はきっと帰りません。
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
腸のあたりがパンパンに張ってキリキリと差し込むような強烈な痛み。指で腹のあたりを触ると固い。中で詰まってる。
夜中1時に痛みで目が覚め、一人で脂汗をかきながら布団の中で悶絶していた。指先は冷たいのに全身が汗でぐっしょり濡れている。
救急車だけは呼ばないようにしたかった(身近な人間に便秘で夜中に救急車を呼んだ人がいるため)。
とりあえず、まずは痛みを抑えるためにロキソニンを飲んだ。そのあと布団乾燥機をつけて、お腹と手足の先を温めつつ腸のあたりをマッサージ。
15分くらいするとプラセボ効果なのかもしれないが、僅かに痛みがやわらいできた。
30分くらいしたら、ふたたび眠れるくらいには痛みがやわらいだ。
朝7時に起きると痛みはおさまっていたが、腹は相変わらずパンパンに張っていて苦しい。
朝9時30分頃、ようやく起き上がることができたのでコーヒーを淹れて飲んだ。
コーヒーで消化管が刺激されたのか4〜5日ぶりの便意を感じトイレに直行。
今までの経験上、ここで慌てて出そうと力むとロクなことにならないことを知ってる。肛門が切れたり、固い便が途中で詰まって動かなくなったりするのだ。
無事、肛門が切れることもなく綺麗さっぱり出すことができた。出産したあとってこんな気分なのかも。
みんなも便秘には気をつけよう。
劇場版ガンダムSEEDから思う「今のアニメの作画」※ネタバレ無し
ガンダムSEEDは、DESTINY終盤が放送されている時期に友人から勧められてハマった。私は当時小学生。人生で初めて買ったCDは玉置成実の『Reason』だった。
…こんな書き出しだが、「ガンダムSEEDシリーズは私の世代にとって革新的で思入れが強くて〜」といった話ではなく、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を見て感じた「近年のアニメの作画」に対する率直な思いについてまとめたもので、作品評価は含まない。
できれば拡散されたい。
人の意見が聞きたい。
劇場版SEEDの情報が解禁されるにつれ、SPOT映像も順々に公開された。
そのうちのひとつ、海辺で語らうキラとラスクのシーンで、キャラクターの動き・表情が機械的で実に不気味だと感じた。特にラクスが顕著だった。人が手で描いたはずなのに、瞬きなどはまるで3Dモデルに見える。例えるならVtuberのモーションに近い。
結論から言うと、劇場版SEEDは全編をとおしてほぼそのような絵でできていた。
昨今のデジタル作画特有の「完璧に均一で色に溶け込むほどの極細な線」が、画面内をなめらかに動き続ける。
メカ類は基本的に3Dなので、ピタリと止まることなく常に画面内を揺蕩っていた印象だ。
正直行って、絵(?)が動き過ぎだと感じた。
やたらに動くだけでその動作に意味を伴わないため、少し酔うほどだった。
これは果たして、作品の演出として本当に必要な手間なのだろうか?とつい考えてしまった。
ただし「SEEDシリーズの作画」に関しては、テレビシリーズの頃よりオタク達からよく指摘を受けていた。
週ごとに絵柄が変わったり、バンクを多用して展開上違和感のある映像になったり…(ムウのヘルメットの話ではない)。
これらを今の技術で改善し、あの頃からのファンへ自信を持って作品を発表することも、製作陣の課題のひとつだったのだろうと想像している。
ネットに触れていれば「ヌルヌル動く作画」といった表現はよく目にするだろう。昨今の制作サイドにおける流行りの表現方法であり、今の視聴者層に響く華のある映像なのだろう。
ただ、劇場版SEEDはいわば「ニュルニュル動く作画」で、私にその手の専門知識はないが、全ての絵に凄まじいコマ数を詰め込んだ映像なのだろうと思わされた。
おそらく手で描いていない部分もある。きっと今の技術を使えばそれもできてしまうのだろう。
少し大袈裟に言えば、3Dロボット・デジタル効果・ニュルニュルと動くキャラクターの映像が流れる中で、たまに手描きっぽく思える絵が混じって目立つ感じだ。
私が幼少期に見たデジモンやゾイドのような、手描きの絵の中にゴリゴリの3Dが混ざっていた時代からは見事に逆転したような印象を受ける。
芸術分野のことばに「不気味の谷」というものがある。簡単にいうと「決して3次元ではないが2次元の域は超えつつあるリアルな創造物」のことで、例えばAI生成の人物画像に対して抱く感情のことだ。
「ヌルヌル作画」を超えつつある昨今のアニメ映像…薄給と聞くアニメーターにとって本当に必要な手間なのか?手描き丸出しのアニメはもう古いのか?それとももうできないのか?それは技術・人員・時間、どれが原因か?
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
発射もされなかった
コーチはサラダ油かなにかを使ったらしく、大量に腸内に入れられたようだった
誇張して覚えているかもしれないが、帰り道に油が肛門から垂れ流しで気持ち悪かったのを覚えてる
遅刻が多いから後で残るようにと言われてコーチと二人きりになった末のことだった
平成生まれだし怒鳴られることはあっても体罰は受けたことがなかった
でも知識として、お尻ペンペンの存在、その際に脱ぐこともあるとも何故か知っていた
何発か手じゃなく、多分冊子を丸めたもので叩かれた後で肛門をいじられた
なんだろうと思ったが不思議と抵抗はせず罰の延長と思ったままレイプされた
特に口止めもされずそのまま帰された
家には、泥だらけで帰ったら裏口から入って、シューズなど汚いものを洗う専用の洗濯機に汚れた服を突っ込み
パンツ一丁でリビングを横断してる時も油が垂れてて気づかれないかスリリングだった
それまで気づかなかったが、肛門に傷が入っていて洗うと痛かった
でも耐え難い激痛ではなかったし、寒いので湯船に浸かった
1週間経たないぐらいで親に病院に連れて行かれた
理由は言われず、その年は出てなかったと思うがたまに冬季喘息があったのでそれかなと思った
親は俺がレイプされたことを何故か察していたらしくその検査だった
コーチのやったことは何か良からぬことではないかというぼんやりした問題意識はあったので素直に全部話した
多分警察の人だったのか、日を分けて何人かの人に同じことを話した
親は別に泣いたり怒ったりなどせずいつもと変わらない態度だった
野球には行かなくなった
気になってコーチの名前で検索したが特に出てこなかったので事件になっていないようだ
中学生になり野球ではない部活に入ったら、かつての他校の野球仲間が先輩にいた
コーチはホモで小6に手出して辞めさせられたんだぞと先輩は面白話のように話してきた
俺のことは知られてなかったのか、俺がいないところで噂されてたのか
俺一人だけがレイプされて伝播するにつれて小6ということになったのか、何人もレイプされたのか
物理的傷はとっくになく、心理的傷も大してないが、コーチの犯行の全容は気になっている
今更親に聞くのもなあー
小さい頃から自分の二面性というか、「どうしようもなくキレやすく、暴力を振るう時期」と「人生に対して完全に悲観的になってしまう時期」があることを自覚していた。
感情コントロールで非常に苦しんだ。安直に「どうにかしてこいつを殴りたい」と思ったことは数え切れない。もちろん行動には移さない。それくらいの社会性はある。
母親も祖母も「躁」のときはキレまくっていたし、散財しては父親に怒られていた。とにかく元気でハキハキと仕事をこなすのだが、一旦怒らせると自室のものを全て壊された。
「鬱」のときはまた別の地獄が家庭に漂った。料理も育児も全部放棄。家にいると陰鬱が移るから、友達のいるところへ逃げ込んだ。
自分は二人の様子を見て「こうはなるまい」と中学生時に決意した。以降、明確な人間関係のトラブルや、差し迫る危機などには縁がない。
が、薄氷を渡り続けている。イライラしたらオンラインショッピングで数十万円分の買い物をする。それがパートナーにキレる前のストッパーとして機能している。どうしようもなく鬱な場合、隙があればすぐに死んでしまうような気がして、救急外来のグロテスクな密着番組を見る。死は常に自分の隣に存在する。躁フェーズでは死は丁寧にマスキングされる。
ジェットコースターという例えは言い得て妙だ。「人生ってこんなに素晴らしい」と涙を流した数ヶ月後には「死にたい」という気持ちにどっぷりと浸かっている。自分の人生は忙しい。躁であれば数日徹夜で記事を書けるし、執筆後のフルタイム労働だって楽勝だ。鬱になると全然ダメだ。仕事が終わったらベッドに直行、そうしなければ死んでしまう。双極症の自殺リスクはうつ病のひとより結構高いらしい。それはそうだと思う。どちらに感情が揺れ動いていたとしても、自分にとって「死」は階段を一歩駆け上がるよりフランクな行為だ。ただ痛いのだけが嫌だから後回しにしている。
鬱から躁へ動く瞬間は天国にのぼるくらい気持ちいい。シャブをやったことはないが、それに似たような気持ちだと思う。躁から鬱は地獄だ。文字通り立ち上がれなくなる。まともに職業をやれているのは逆説的に「このレールを外れたら死ぬ」と思い込んでいるからだ。
先ほどちょうど躁転の瞬間があった。今日という今日まで人生というものに飽き飽きしており、いつどのように死ぬかを考え、遺書を3通したためていたが、今は何と、将来の輝かしい未来ばかりが脳内を駆け巡っている。だから慰みにこんな文章を書いている。
自分はおそらく長くは生きていられないだろう。一ヶ月前は全てが灰色がかって見えた。大切にしてくれる友人やパートナーや家族といった有機体を凌駕する「脳内物質に振り回される自分の滑稽さ」と「永遠に続く単振動の苦しみ」がそこにはあって、逃れる方法はただひとつだ。自分はきっと(多分ひとより短い)一生の大部分をこの病気に振り回されて終わるのだろう。ラピッドサイクラー型に有効な治療法は少ない。
だが、少しは粘ってみるのだ。
双極性障害は「双極症」に名前が変わった。だからどうということでもないが、毎日這いつくばって、延々と続く日常にしがみついて、双極症の世界を生きている自分にとって、少しだけありがたく思う。
2000円ちょいくらいまで値下がりしてて買おうか迷ってたからちょうどよかった
そんで買わなくてよかったと思った
それでもクリアしたのは90人中たった8人
やめやめwww
自分の行動によって歴史のIFが楽しめたり、キャラ独自の話があるならまだしも、全然ねーからなあ・・・
爽快感もないし
フォトモードあるのにとるきにならない汚さってひどいよ
これまで無双でキャラはとりたくなっても景色とかがきれいとかおもったことねーし
これなくていままでどおり衝車がドアぶちやぶるイベント待つ必要あったりとかだったらもう絶対ダメだった
オープンワールドにするってことだけをがんばりすぎて肝心の無双らしさとかファンがもとめてるキャラゲーっぽさをないがしろにした駄作ですわ
武器もどんどん強いのでてくるのがこれまで楽しかったのに、武器を拾えなくて自分でつくらないといけないからめんどすぎて1回も作ってない
dlc?かなんかの攻撃力300くらいのやつを誰にでも装備させてた
無双おろち3もクソだったし、戦国無双5もクソだったし、無双はもうダメなんかなあ・・・
さーてよーやくスターオーシャン6やるかなー
今年中に終わるかなー
ヘルシオはメンテが結構面倒なのでズボラ家電ではないし、かといって高いだけのオシャレ家電でもない。ちゃんとしたヘルシオのススメを書こうとしたが、私もろくな使い方してなかった。
カルニータスを作るときにラードが必要なんだけど、豚脂からラード作ると油かすが出る。そのままだと油が染み込み過ぎてて直食いはあまりにもキツい。ザルに上げといてもすぐ冷めてシミシミは解除できない。で、ヘルシオの出番。天板に角ザル受けられるトレイに角ザルと肉かすのっけてサックリあたため(自動機能)。ちゃんと油が抜ける。トレイに油が溜まるので、カルニータスに突っ込んで無駄にならない。
カルニータス作ると当然ながら動物性の油脂がついた調理器具が出るわけで、それを食洗機直行して下水に流したら大迷惑。普通にグリストラップが詰まるのでやっちゃだめよ。お湯で溶かしてボロ布に吸わせるのが常套手段だが、水びたびたの状態で可燃ごみに突っ込むのにはちょっと抵抗がある。調理器具と濡れ布巾をおまかせ蒸し(適当なタイミングで止める)でだいたい拭って布ごとポイ。あとは食洗機でよい。
魚系のキワキワを狙う低温調理をやる場合、調理器具からも菌をできるだけ減らさなきゃならん。ヘルシオには除菌機能があって熱消毒と乾燥までやってくれるので、大変良い。本来は哺乳瓶等用で異常独身男性には無関係な機能って思ってたけど、こういう使い方もある。最上位機種にしかない。型落ちでいいから最上位機種買ったほうがいい。普通の調理でも、最上位機種なら炙り焼き機能で鶏肉つっこんでボタンポチで私くらい上手に焼いてくれる。
これ読んで「欲しい!」って思う奇特な人、結婚しませんか?キッチン作業台と調理器具およびその棚以外の家具がほぼない独身男性です。
俺の大学の同級生もそれで、毎年年末になると連絡を送ってきて、別に頼んだわけじゃ無いのに店の予約とかしてくれてたんだ。
飲み会とかならいつでもできるし、わざわざ年末の忙しくて騒がしい時に行く意味なくない?てずっと思ってた。
でもそいつがすごい熱心だし、そこまでしてくれるならまあつきあってやるかくらいの気持ちで参加してたんだ。
まあ行ったら行ったで、他の元同級生にも会えるし、近況とか聞けて同窓会がわりになるというのは確かにあったから。
きっと落ち込んでるだろうなと思って、たまにはこっちから「今年の忘年会どうする?」ってラインしてみたんだ。
そしたらそいつは「今はそんな気分じゃ無い」って怒りだして。
俺だって他のやつなら気を使ってそんな連絡はしないんだけど、そいつはいつも忘年会ですごい楽しみにしていたから、話をふったら気持ちが明るくなるかなと思っただけなんだけど。
まあもうちょっと様子見た方が良かったのかなと反省はしてたんだけど、そいつは二、三日してから突然忘年会のメンバーのグループチャットに
「20年忘年会の予約係で疲れた。あとはみんなで勝手にやってくれ」的なメッセージを爆弾投稿。
こっちは「は?」って感じだよ。
だって俺は正直行きたくないなと思いながら付き合いで行ってた立場なのに。
他の奴らだって多分そんな感じだよ。
それで返信どうしようかなと迷ってて。
そいつの病気のこととか考えて、本心は言わずに「予約係させて悪かったな。これからは俺も予約手伝うよ」
的なことを社交辞令として言えばいいのか。
でもさあ、ここでそういうふうに言ったらますますそいつが勘違いしてしまうような気もして。
ここははっきり「正直そんなに行きたくなかったけど、お前がすごく熱心だったから、それじゃあ付き合ってやるかぐらいの気持ちだった」と言った方がよいのか。
その方が、もしこれからも長く付き合いを続けていくつもりなら親切なのかなあ。
だって予約係とかいうけど、こっちだって20年付き合わされてきたんだ。
病気とかになってどうするんだろう、見舞いにだっていこうと思っていたのに。
どうしたらいいんだろうな。