はてなキーワード: 震撼とは
一番好きで美味しいと思うのは専門店で食べるキリッと冷えたザルなのだが、立ち食いも好きだし自宅で食べるのも好きだ。
自宅で食べる場合特にやる気が無い場合は、温かい蕎麦がとても良いと思う。
自分はやる気がないダメ人間なのでやる気がないかけ蕎麦を作って食べる。その紹介をしようと思ってこの記事を書いた。
量販店で売っている乾燥蕎麦を使用する。好きなものを選べばいいのだが、やる気なく、だらけて、日常食として、あるいはおやつとして食べたいので、あまり高価なものは避ける。十割とかじゃなく二八とかそれ以下でも良い。
茹でながら汁も用意する。温水器の一番熱い湯で丼を洗いながら温め、そのお湯を入れて、さらにめんつゆの元を入れて、電子レンジに入れてさらに加熱で良い。
麺つゆのもとも好きなメーカーのものでよいのだが、市販のものは甘すぎなので選ぶのに苦労するかもしれない。味噌平醸造株式会社という会社の調味のもとという醤油?麺つゆ?をおすすめしたりする。市販の安い麺つゆとちゃんぽんしたり魔改造にも使える。
十分熱くなった麺つゆin丼に、ザルにとって一応流水で締めた蕎麦をぶっこめば完成だ。まごうことなきかけ蕎麦。
冬場は美味しいが、夏場だってクーラーになれた体には、これが以外なまでにウマウマなのだ。ダメ人間にとっては十分なご飯だ。安いし早いし。
注意点は、必ず一杯のみで作ることだ(なのでこの記事は単身者向けだ)。お腹が減ってるときでも手を抜いて2倍作ろうとかしてはいけない。おかわりがしたければ、一杯食べ終わったあとにもう一度茹でろ。それだけで味が随分保持される。
さて以上で本題は終わりなのだが、ある意味ここからが本編である。
ありとあらゆる不作法が許される自宅メシ。しかも単身者の手抜きメシともなれば宇宙を震撼させるようなやんちゃが飛び出すことは必定。
このかけ蕎麦に何を入れるべきか? について以降は記す。
なんで番外かといえば我が家では常備であり、かけ蕎麦ではレギュ具材であるためだ。乾燥わかめは大さじ一杯位を茹で上がり直前の蕎麦鍋にぶっこんで、そのままザル経由で丼に入る。七味は卓上でかける。
どちらも安物でかまわないが、七味は、案外足が速いというのは覚えておくべきだろう。高級七味だが古くなってしけっているものよりも、安い七味でも新しくて封切りのもののほうが香り高い。つまり、七味は買いだめしないで、どんどん使って回転させるべきだ。
あたりまえだよな。異論のある増田はおるまい。やすいし栄養価があるし風情もあるし、格好いい。食べ方には好みがあるだろうが、半分くらいそばを食べた時点で黄身を割り味変するのが好きだ。
本来ならここではネギについて書くべきだ。小口に切ったネギはたいていの蕎麦屋でかけ蕎麦に入っているし相性抜群定番だと思う。しかし、あれってものぐさダメ人間には結構面倒なのだ……。そのうえ単身者だと分量的にももてあますし。すまない。ダメ人間ですまない。
最近では刻んだネギも売っているが、風味や値段の面でコスパがさほど高いとも感じない。そんなブラザーにおすすめなのがかいわれ大根だ。
温かいそばにかいわれ?と思う諸兄もいるだろうが、気にせずどぼんしちゃってくれ。パックで3〜40円くらいだし、根っこを切って蕎麦の上に直接onすればよい。汁で温まってもその辛さは結構健在で、ネギよりも気の利いた薬味たりうる。
ほうれん草とか小松菜。最近ではなんか小洒落たロゴで京菜なんていう新顔が親戚ヅラで売られているので、それを混ぜてやっても良い。そばを茹でているときに、根っこだけ切ってひと掴み湯にぶっこんでやれば良い。
青菜とこの項は連結である。どんな意味で連結かというと、野菜も食べなきゃ健康に悪いよね、という罪悪感に対するアンサーとして同軸上の話題だからだ。まあおおよそアリバイ以上の意味はないのだが。
さて、キャベツとアスパラも青菜とおなじく茹で蕎麦にinして丼に合流すればOKだ。注意点としては湯で時間を考えて切るサイズを変えることくらいだろうか。
かけ蕎麦に野菜を入れるのは、その分量的な意味ではあり倍以上の意味はあまりないのだが、塩分的な意味では大いにアピールポイントがある。
というのも、アスパラなりキャベツなり青菜なりを一皿料理として副菜にする場合、ドレッシングでも鰹節醤油でもそれなりの塩分が発生してしまうのだが、かけ蕎麦の具材としてinされているのならば、余計な塩分追加がないからだ。
見過ごされがちだがこれは大きな利点だと言えよう。
野菜シリーズにおける注意喚起という意味で上げるのが白菜だ。合うかと思ったら全然ダメ。水が出てしまって味がひどくぼやける。お勧めできない。
前項の塩分理論にしたがえば、しゃぶしゃぶ用の豚肉なんかもありだ。同じように茹で蕎麦と同鍋調理でよい。料理の上手なひとには、アクが出るから別鍋でとか言われると思うが、ダメ人間が手抜きをしたいのだ。50グラムくらいまでなら同じ鍋でいいよ、我が赦す。
惣菜コーナーで買ってきたコロッケを食卓でかけ蕎麦にスクランダーin。冷たいままのコロッケでも良いぞ。
この項目は本来天ぷらの地位だと思うのだが、手抜きかけ蕎麦に安い天ぷらよりも、同じ値段ならコロッケのほうが美味しいと思う。
コロッケにしろ天ぷらにしろ手作りで揚げたてを用意しようなんて真人間はこの記事の対象ではないのでマウント取らないで下しあお願いします。
熱い蕎麦汁にコロッケの衣が解けてコクが出るのは、冬蕎麦におけるひとつの正義だ。手慣れてきた諸兄は、ときに野菜コロッケ、ときにカレーコロッケなどといったさらなる不作法を繰り出しても良い。でもクリームコロッケは合わないぞ。
他にも紹介したい具材は宝竜黒蓮珠のメンバーと同じくらいひしめいているのだが、案外文字数が書けない軟弱な日記なのでここで筆を置く。増田諸兄にはおすすめの追加具材をコメントでご教授願いたい。
ここ数日でざわついている件について、何が起こってるか分からずに不安になってる方の助けとなればと思い書きます。
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とある絵師さん(以下Aさんとする)がオンリーイベントにて頒布するものの中にマグカップとポーチがあった。
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マグカップにはキャラ名が記載されていた為、界隈の注意喚起垢がAさんへ頒布中止を求めるDMをイベント数日前に送る。
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そのDMへの返信は行われていない状態でAさんがリプライの返信をしているのを注意喚起垢が確認。無視をされている悪質(?)だと判断し、イベントも近いことから注意喚起をツイート。
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DMの返信をしなかったことについては、承認のいるFF外からのDMへの対応(中身の確認)をするには時間が無かった為、先にリプライを返していたとのこと。
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注意喚起垢、まだBoothでの出品が取り下げられていないこととポーチもキャラ名が入っていることを糾弾。
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最初の注意喚起垢にAさんのファンを名乗る人物がDM凸し、Aさんは全面的に悪くない旨やその証明として公式に問い合わせた旨の文章を注意喚起垢が公開。
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▼思ったこと
注意喚起垢が指摘した内容についてはその通りであり、二次創作に関してAさんの認識が甘かったのだと思いました。
しかし、ご本人ご対応後も必要以上の糾弾をし、類似の注意喚起垢もそれに乗じたことは良くないことだなと感じました。
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誰にでも間違いはあり、指摘をすることは良いことです。でも間違いを正そうとする当人を許さず痛めつけ続けるのはいかがなものでしょうか。
Aさんの別垢のツイートも晒されていましたが、精神的にダメージを受けているのは明らかでした。
間違いを犯したのだから仕方がない、ショックを受けるなということでしょうか?
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対応に関しても、リプライよりDMに時間がかかるため後回しにしてしまう事は分かります。
また、Boothに関してもイベント直前ということもあり完璧に手が回らないこともあるかと思います。追撃されていたポーチについては、確かにキャラ名は記載されていましたがアンオフィシャル表記もありました(だからといってOKと言う訳ではないですが)
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そういった点に対し、Aさんのフォロワーやファンは憤りを感じ、慰めるリプライなどをしていたのだと思います。
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結果、情報が錯綜して「Aさんが自身の利益と楽しみのために著作権を侵害し公式凸が行われた」みたいな広がり方をしてしまったように思います。
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そういった中、全面的にAさんが悪くないと思っている方も見受けられました。
ファンを装ったアンチでなければ、きっとこの方は善意や正義感によって自信を持って公式凸したのでしょう。
しかしそれはAさんは勿論のこと、二次創作そのものの首を絞めることになってしまいました。
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Aさんを想うのであれば、当事者であるAさんを抜きにしてケンカをするようなことは避けるべきでもあります。公式凸により、Aさんは更に精神的にダメージを負ってしまいます。
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企業様の中には表には出さないけど二次創作を応援してくれている所もありますし、二次創作により作品が更に盛り上がるということも理解してくださってる所もあります。
しかし、問い合わせが来てしまったら「アウト」と言わざるを得ないのです。
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現状、趣味の範疇と営利の範疇の明確な線引きは出来ていません。ここで公式が「趣味の二次創作ならいいよ」と言ってしまえば、本当の意味の海賊版も許されてしまう可能性があるのです。
企業様の中には「アウトにしたくないから凸らないでほしい」と思う方も少なからずいらっしゃいます。
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二次創作は公式の温情で見逃されている「限りなく黒に近いグレー」です。
公式凸のはそれをはっきりと「アウト」にしてしまう恐れのある行為です。
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少し本件と話がズレますが、ここ数年でオタク文化は随分市民権を得ました。
学校や職場でオタバレをしても問題がないという人も増えていますし、クールジャパンのように国自体がオタク文化を日本の立派な文化として扱うことも増えました。
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このような現象は全て先人のオタク達の努力の結晶です。今の若い子には信じられないかも知れませんが、とある雑誌にコミケが取り扱われた時は写真付きで「ネクラなオタクが集まる異様な風景」といったように書かれ、オタク差別やオタク迫害は当然のように行われていました。
今でも何かの犯罪が起きて犯人がマンガを持ってでもしたら、オタクだという部分を強調するようなことはよくありますよね。今はネット社会になりセンシティブに触れることはあまりなくなってきましたが、昔は「オタク=異常な犯罪者」という認識が一般的だったといっても過言ではありませんでした。
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時々「オタクは立派な文化で国もそう言っている、だから認めろ」という思想の方を見ます。
認めろという部分は「イベントでもないのに街中でコスプレをすること」だったり「TPOを弁えずにオタクグッズを広げること」だったり「二次創作を好き勝手やらせろ」だったりと人によって様々ですが。
昔のように忍べ隠れろ、とは言いません。
だけど、現状に胡座をかいて好き放題するのは先人達の努力を無駄にしてしまうことなのだと知ってください。
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温故知新。昔からあるオタク文化や二次創作のローカルルールを知り、尊重しつつも、この文化にとって良い新しい物事は取り入れて進化するオタクになりたいものですね。
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▼注意喚起垢について
後述するもう1件の騒動のように、本当に二次創作が危ぶまれるケースの場合はとても頼りがいのある味方だと思います。しかし今回のような必要以上の糾弾を行ったり、揚げ足取りや重箱の隅をつつくようなタイプの注意喚起垢は逆に二次創作を根絶やしにしてしまう気がしています。
いくつかの注意喚起垢さんを拝見しましたが、中には「二次創作をしている事自体を許せない」と見られる方もいました。言い方は良くないのですが、自治厨みたいなアカウントが多くなればまたこれも二次創作の危機を呼ぶ気がします。
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数年前に二次創作界を震撼させた方がじゅに来るそうです。その方や当時の騒動についてはまとめがいくつかありますのでご参照ください。
下に1件貼らせていただきます。
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https://togetter.com/li/1202241
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この時、本当に沢山の方がご本人への説得をしていました。ちゃんと分かりやすく解説したりなど。しかし何一つ通じず、予想打にしない方向への理解に至る結果に。
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「イベント自粛と著作権に触れる本の頒布は中止」と宣言するも、当日普通にサークル参加をして人々を驚かせたのですが例の本の頒布はされてなかったそうです。しかしTwitterなどでも目撃情報や憶測が飛び交い、例の本を頒布しているというデマも流れ、第三者の正義感により警察への通報が行われました。
会場は騒然となりましたが、結果的に問題の本は頒布されていない以上、警察は撤収しました。
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▼会場が借りれなくなる可能性
このようなことがあれば会場側に「同人誌即売会に貸すと不利益になる」という認識を与えてしまい、最悪の場合今後会場が借りられなくなる可能性が出てきます。
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ビックサイトでの同人誌即売会といえばコミケが世界的にも有名ですが、コミケですら借りられなくなるということもあり得るのです。
先述の通り、オタク文化は日本が誇る文化として世界からも注目されています。だからその代名詞的なイベントであるコミケは大丈夫だろう、なんてことはないです。
実際コミケは元々別の会場で開催されていたものです(その話は本件と大きく話が逸れるので割愛します)
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例のあの人が参入することにより、二次創作事態を許せないという方や愉快犯的な注意喚起垢にとっては格好の餌となります。
1件目のAさんの時よりも大きく燃やされる可能性をどうしても考えてしまいます。
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例のあの人について私達が出来ることはありませんが、もし何かが起こってもどうか一旦冷静になってください。
Twitterは色んな情報が得られますが、その情報に踊らされすぎないよう気をつけてください。
先述の警察騒動のようなことが起こらないよう、一丸となって協力しあえたらと思います。
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語彙力がなくて長々となってしまってすみません……じゅ二次創作が平和であるように、色んな人が楽しめる日々が続くように私も常に気をつけたいと思っています。
ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」
私は官能小説を書いている。
web広告で出てくる、おじさんが小学生を強姦したとか、そういうアダルト向けの漫画広告がやたらとサジェストされるようになって、倫理レベルの低さにすっかり嫌気がさしたのだ。
私が幸せなセックスを描くことで、バタフライエフェクトで、世の中のエロに関する倫理観がすこしは上がるのではないかと思っている。
ところで先日、13歳の少女に奴隷契約書に署名させた上で5万円支払って性行為に及んだ29歳の男が逮捕され、世を震撼させた。
13歳の奴隷が欲しいという自分しか一方的に得をしない欲望(彼は45歳の奴隷になる気はさらさらないだろう。その不快感を知っているのに相手にはそれを求める)がまず気持ち悪いが、私はこれを聞いて、正直この男はショボすぎると思った。
奴隷が欲しいなら3億円キャッシュで相手に払ってから、さらに必要な生活費を渡してから名乗れよ。
デリヘル価格でご主人様になりたいとか、自分の責任能力の低さに見合わない願望を為そうとするからこんなことになるのだ。
最高に格好悪い。
倫理レベルの低いエロコンテンツのせいで、こういうくだらない願望を肯定したり助長することもあるだろう。そして不幸を生む。
「初めて触れたエロが〇〇だったから、〇〇が好きになりました」
実によく聞くフレーズだ。〇〇には「巨乳」「SM」など好きな性癖を入れてくれ。
この〇〇に被害者が必要な状況(レイプとか)が入った時、その願望を持つ生き物が生まれるとしたら、裏を返せばコンテンツ提供側も不幸の連鎖を止めるのに一端を担える。
読んでくださる方には申し訳ないが、推敲も面倒臭いので省く。この記事は完全に自分のためにしかかいてないので。
そのために私が作中書くようにしていること。
①避妊具の着用
②双方の同意
④実際に試してみて満足度の高かった状況
⑤対等な関係
書かないようにしていること。
②危険行為(例:アナルへアルコールを入れる。子宮口を開ける)
④擬音表現(実際、大した音はしない)
他の人はなんか気を付けてる?
未明から降り出した雨は、登城の刻限には雨脚を強め、いよいよ本格的な雨となった。その雨の中を、一丁の駕籠とそれを守る藩士たちの行列は、押し黙ったまま城へと向かっている。
大老須賀掃部頭は、そうつぶやきながら、別のことに思いを巡らせていた・・・。
すべての始まりは二年前、英国籍の蒸気船、ダイヤモンド・プリンセス号の来航である。
歴史的には嘉永6年のペリー艦隊の来航があまりにも有名であるが、我が国を震撼させたという意味では、この黒船も同様であろう。
幕府は、江戸湾への上陸を求める英国船をなんとか押し留めて神奈川沖に停泊させた。ところが、停泊直後から、船員たちが体調を訴え始め、次々と高熱を出し始めたのだ。
幕府側の代表として、この対応にあたった老中首座・阿部伊勢守は、この未知の病が市中に広がることを大いに恐れ、なんとか船中で治療に当たらせようとした。しかし、船員たちは上陸を強く求め、結局、これも押し切られる形で神奈川湊の対岸にある横浜村に船員の上陸を許し、療養にあたることとなった。横浜村の村人たちは、実に献身的に船員たちの看病にあたったが、次々と高熱を出して亡くなる村人が相次ぐ事態となった。
この未知の疫病は、またたく間に東海道筋を経て日本全国へと広まり、実に多くの命が失われたのであった。
人々は、この病は妖怪変化の仕業であるとして「狐狼那(コロナ)」と呼び、大いに恐れた。
「この疫病は夷狄がもたらしたものである」「夷狄打ち払うべし」といった攘夷論が吹き荒れた。と同時に、「夷狄の上陸を許した責任は阿部伊勢守にあり」「伊勢守斬るべし」といった声も高まりはじめた。世論を恐れた伊勢守は、病と称し、その年のうちに老中の座を去ったのであった。
そして、彼の後任として大老となったのが、冒頭の須賀掃部頭である。彼は、周囲からは茶歌ぽんと揶揄され、大老がつとまるような能力のある男ではなかった。しかし、彼は大老に就任すると、開国に反対であった朝廷の勅許を得ずに欧米諸国との間で締結した条約に基づき、夏の江戸五輪開催へ向けて強権を振るい始めた。
これは火に油を注ぐようなもので、「大老斬るべし」「バッハ打ち払うべし」といった声が、市中に満ちる結果となった。
さて、雨の中、掃部頭の乗った駕籠が桜田門外へと差し掛かった時、一人の浪士が行列の前に飛び出してきた。彼は雨音に負けじと「お願いの儀、これあり」と大声で叫んだ。
すぐさま護衛の藩士がこれを静止して取り押さえようとしたが、浪士は刀を一閃し、その藩士を斬り伏せた。これを合図に、複数名の浪士たちが抜刀して駕籠へと殺到してきたのであった。
藩士の多くは、突然の襲撃に算を乱して遁走したが、腕の立つもの数人が駕籠を守るように抜刀し、現場は乱闘となった。しかし、多勢に無勢、多くの藩士が切り伏せ、現場は凄惨な状況となった。全くの無防備となった駕籠の扉は、襲撃者によって開け放たれ、髷を掴まれた掃部頭は、その場で斬首されたのであった。これが世にいう「令和桜田門外の変」である。
さて、この頭のイカれた草津町のリコール住民投票についての記事を書き始めることにしますかな。これから皆さんにご覧いただくのは、日本屈指の温泉地「草津温泉」の自治体が、どれだけホラーなことになっているのかという話です。もしかしたら日本中が震撼する記事になるかもしれません。
大変お待たせいたしました。本日、ハーバービジネスオンラインで、草津温泉の町議リコールの住民投票についての記事が出ました。こちらの記事では、ホラー感溢れる写真とともに、草津温泉で何が起こっていたのかをご覧いただくことができます。なるべく多くの方に知っていただきたい事実です。
ただの書き散らし。
新生児:圧倒的なピュアさ、まだこの世に定着していないような天上の可愛さ。ただし母親のプレッシャー「生かす」がやばい。頻回授乳やばい。傷が痛い。眠れない。
2か月〜3か月:クーイングが始まる、まどろむ声は耳の奥を抜けて脳天を突き刺す。床上げ、夕暮れなきが始まる。
4か月〜5か月:育児にも少し慣れる、目があうと可愛すぎて脳が溶ける。笑うと脳内世界が震撼する。つかの間の休憩が取れる人もいる。夜寝る子もいるし、寝ない子もいる。
6か月〜8か月:ねがえる。目で第一育児者を追う。人見知りする、泣きながら愛着のある育児者を追う必死な姿は、万難を排しその存在に駆け寄りたい衝動。が、第一育児者の負担パない。何より離乳食。手間。レトルトに頼るとうるさい外野(時に内野)がいる、滅。しかも食わん、食事にかかる手間の激増。
9か月〜12か月:ハイハイする、後追いが始まりし時のいたいけな動きは、生命00億年の歴史の中の貴重な1ページとして刻まれる。至高の存在、ただし自由に動き回り始めると最初の感動をよそに予想外の災害を引き起こし続ける。ティッシュは白い山になる。引き出しはすべて引き抜かれる。
去年の秋、子供産んだ。
第二子。
産んで入園して、あっというまだった。
0歳の可愛さってなんだ、
どんどん大きくなるし、怒涛のかわいいアプデ。めくるめくかわいいの連続。手を変え品を変えかわいいがリリースされる。
こんなに可愛くても、でも何より眠りたい時も逃げたい時もあるけど。
ただ思い出すだけでも、0歳の可愛さ、めまぐるしさ、
事前知識を全く持たず鑑賞したため、お恥ずかしながら原作が小説ということをエンドロールで知りました
日本中を震撼させた未解決事件に自身の声を使われてしまい、その後の人生が歪んでしまった3人の子どもに同情したわけではありませんがクライマックスでは気がついたら目に涙が浮いていました
最後まで見終わったとき頭の中に浮かんだ言葉は、おおよそ誰もが聞いたことのあるだろう説教でよく使われるものでした
「お前は自分ひとりで育ったわけではない」
子どもの頃なら意味を図りかねて素直に受け取れない言葉でしたが、大人になるにつれ理性的に自分一人で生きていくことはできないし、今のような普通の暮らしはできないということを知っています
私は自分ひとりで育ったということはなく、今現在自分ひとりの力では生きていけません
私は27年という生の中で、義務教育を受け、高校を選び、大学に進学し化学を学ぶことを決め、修士の学位を取得し、現在は化学メーカーの開発職に就いています
これは、自分で選んできた進路でおおむね小さい頃からの夢を叶えたと常日頃から思っています
親姉妹は私の良き理解者であり、おしみなく手を尽くしてくれこのような人生を歩ませてくれました
意識したか無意識だったかによらず、これまでの人生の中には、恐らく上にあげた進路の選択の他にも数多の分岐点がありました
私はその時々の選択は、全て自分の意思によるものだと思っていました
先に述べたように、私はひとりの力では生きていけませんので、当然他人というものが自分の人生に密接に関わっているということは承知していますが、それでも、自分の人生の選択だけは不可侵の聖域のように自由意思によって決定されたものであったと信じていたかったのです
27年間、人によっては吹けば消えるような浅い人生だと思いますでしょうが、私にとっては全てです
完全な順風満帆なものだったとは言えませんが、おおむね幸せに生きています
好きなときに家族似合うことができ、友人ともいつでも連絡がとれます
趣味も充実していて、たまに美味しいものを食べては幸せを噛み締めています
平和と自由を享受している私は、正直他人を恨むとか嫌うとかそういうことはあまり得意ではありません
このような人生を歩むことを守ってくれた大勢の人がいたからです
自分で選んできた人生の分岐点での選択肢は、確かに自分で挙げたものがほとんどなんだろうと思います
しかし、そこでいわゆる道を踏み外してしまうような、現代社会からふるい落とされてしまうような、そういった「正しくない選択肢」を取捨選択してくれた大勢の周りの人々がいたはずです
この映画に出てきた3人の子どもたちの周りにもそういった人々がいたとは思いますが、力及ばす、犯罪に関わるという選択肢を選ばされてしまったのだと思います
彼らは完全な被害者であり、間違った境遇を歩むこととなってしまいました
この映画はフィクションですが、世間にはこのような子どもたち(大人たち?)は大勢いるのかもしれません
罪を犯す人の気持ちも、他人を巻き込み人生を台無しにする人の気持ちも、どんな事情を聞かされても全く理解はできないと思います
本人は正義を信じているのかもしれませんし、純粋な悪意によるものかもしれません。全く人を人とも思わない自分勝手な扇動によるものかもしれません
今いる社会から踏み外してしまいそうな選択肢を持った人と関わってしまったとき、それが私だったとき、あるいは私以外の誰かだったとき、私にできることはあるのでしょうか
わかりません
楠永玉秀(くすながたまひで):元居戸家家臣。ある意味で主人公。武威戦国のトリックスター。武威ノ本中の忍びから監視されている。
小鯨白姫(こくじらはくき):おほHoIおほHoIと外交をになう昇国の惣領。兵科は槍折人。
馬場阿茶局(ばばあちゃのつぼね):昇国家老。居戸家家臣団の乳母役。
桜桃みやこ(おうとうみやこ):居戸家家臣。いつも三百人役(石高一万あたり兵三百を動員)で領民に優しい。
虫愛軽路(むしめづけいじ):居戸家家臣。釣り野伏の囮役が得意。
古田三目(ふるたさんもく):居戸家家臣。佩用する臑当てが左右で異なる。
鈴木神楽(すずきかぐら):居戸家家臣。トリガーハッピーな鉄砲大将。
地弥呼(ちみこ):幌生家足軽大将。東南の風を吹かせる。春画絵芝居を嗜む。
澪生狼(みぶろ):幌生家足軽大将。トリックスターを楠永玉秀と争う。
凹田米国衛門(へこだこめくにえもん):幌生家足軽大将。兎耳形兜を着用する。
カルロス・某(かるろす):南蛮商人。楠永玉秀の乱後、幌生家の御用商人に収まる。
犬縣某(いぬあがた):楠永の家来。一説によれば一門衆とも。
蟐娥光圀(じょうがみつくに):為力家の副将軍。二名の同僚を伴って諸国を漫遊する安国寺恵瓊(武威ノ本における外交僧のこと)。飢饉に備え、領民に雑草の食べ方を知らしめる。
深紅龍(しんくりゅう):元居戸家家臣。楠永と共に出奔したが、その後は距離を置いている。
蘇祝媛(そのほぎひめ):昇国組下大名。怪力の小兵。
留守麗(るすれい):幌生家足軽大将。合戦時、床机の横に打つためのかまぼこ板を置くことから、板武将と呼ばれる。家中を強力に掌握している。
義原鰭(よしはらひれ):為力家の郎党。その胴間声は敵味方を震撼させる。
松杉衿(まつすぎえり):為力家奉公衆。火計を得意とする。
舞農庫(まいのうこ):為力家一領具足。火計を受けるのが得意。
天使香取(あまつかかとり):為力家陰陽師。「遅参つかまつった!」が口癖。
縷々美大(るるよしひろ):為力家先手大将。酒を注いだ盃に蜘蛛が落ちてきた際、鬼にその盃を干させた逸話を有する。
楠永玉秀の謀略
https://anond.hatelabo.jp/20200823175138
株兎の屈辱
https://anond.hatelabo.jp/20200825185224
2020年前半、B級映画監督でも却下するような狂ったクソトラウマストーリー展開でファンを震撼させた推しも、最近やっと面白コンテンツとして復活してきた。気がする。
けれど、もう周りはすっかり疲弊している。
実際私も疲弊している。
推しが出てる配信動画を見ながら、「共演者の皆様は親しげに推しと会話してるけど心の中では『あんなダサいことした人と共演するのやだけど仕事だからしょうがない…終わったらさっさと帰ろ…』と思ってるに違いない」と邪推してしまうのはバカバカしいし何の得にもならない。が、どうしても考えてしまう。
どんなに推しが前に進もうとしていても、「でもあんな醜態晒したんだよな…」が頭を過ぎる。恐らく降りてもこの人を見るたび思い出すたび一生頭を過ぎる。
あのクソダサ醜態を経て、これから先どんな風に芸能界で生きていこうとしているのか気になる。
これから始まるのがサクセスストーリーなのか、悲劇なのか、喜劇なのかは分からない。
まず、炎上直後に生放送でベソかいてた姿から見事にトランスフォームし、開き直って元の調子を取り戻した様子がそう思わせた。
開き直らないとやってられないんだろうな。
そして、何より今までが面白かったことも展開への期待値を上げる。
ファンというよりはワイドショーを寝っ転がって見る下世話な人間として、推しという名のコンテンツを消費して楽しんでいく。
生きろ、推し。
あなたにはまだ、疲弊してボロボロ他界寸前の、崖っぷちに手がかかっているファンがいる。
這い上がろうとするファンの手を踏みにじるなよ。
新しいファンを突き落とすなよ。
可哀想だろうが、単純に。
せっかく好きでいてくれるのに。
勝手に好きになってるだけ?みんな多かれ少なかれお金出してるだろ、その対価が人を不快にさせるなんてそんなサービスあるんか。
本人に自覚があるかないかは分からないが、どちらにせよ果てしなくめんどくさい。
「この人なら理解してくれそう」と思わせることが何度もあった。
知り合ってからそんな間もないころから距離感もぐいぐい詰めてきていた。
1体1での関係を築くことを好み、よくDMで話していた記憶がある。
本人からすれば仲良く話しているつもりなんだろう。
ただ、仲良しと話しているだけでそう感じることが何度もあるか?
不気味なほど居心地がよく、つい気を許して信頼してしまいそうになる。
トラブルメーカーであることを察知する前からそこに恐怖を感じていた。
私は警戒心がまだある方だから運よく気づけただけで、
距離感が近いことに違和感を抱かない人や甘やかされたい女なんかは即堕ちだと思う。
実際に今思えばそういうヤツをいたし、今はわたしの身内が一週間足らずで堕ちてる。
チョロくて笑えない。
自分かわいいアピの頻度が異様に増えたし、語尾にハートマークつけるようになったり、もう最近は毎日深夜通話していて、通話できない日があると寂しいとか言ってたり。マジで変わっちゃった。
かまってメンヘラ姫かよ。ふつうの友達は毎日寝落ち通話なんかしない。
そいつは以降姫女と呼ぶ。
それだけならただのたらし男なのだが、その男は短期間に同界隈で何度かトラブルを起こしている。
1件目は仕方なかった。でも後の案件は努力次第で大揉めにならずにすんだ案件なのだ。
だがアイツは加害者と断定した者のことを把握しようとも理解しようとも譲歩しようともしない。
そこはお互い不満に思うところあるかもしれないけど、表面だけでも互いに謝りあって終わりとか
そういう器用なことはできねえのかよ。
そこに垂れ込ませた姫女を携えるのだからさあ大変。
今回の案件は、私は中立者として見守っていたのだが、今被害者たる姫女が泣き腫らすものだから訳が分からなかった。
その子は時間に何度か遅れたくらいで泣くような子ではなかった。怒ったりはするが、
当の姫女も時間にルーズなため、まあそういうこともあるね、で流せる子だった。
それが何度か遅れた程度で泣き腫らすのだ。少し泣くとかじゃない。
翌日に目が腫れるほどの大号泣。正直引いた。
そして姫女は、例の案件を毎日毎日あの男に通話で聞いてもらっていたと語っている…………。理解してもらった気にさせるのが上手いあの男に…
そしてこの時ついに気づいた。
これ絶対あの男問題しかないなと。あの男は女を依存させ堕落させると。
なので勇気をだして問題点を薄めのオブラートに包み本人に語ったのだが、人の話を聞かないのだ。
私の問題点を棚に上げ、姫子はもっとしんどいから〜などと論点ズレたキレ方されて終わり。他にもあいつの味方は俺しかいない王子様みたいなこと言ってたな。
あれ?前も加害者の事情を把握してくれないか?とやんわり打診した際にこんなことあった気が…
揉め事はもちろん、日常会話でも人の話を聞いていないということが何度もあった。
その時にもう救えないと思った。だから今はどう距離を置くか考えているのだが、二人とも自分の価値観に近い相手とべたべたする事が当たり前になっていて、他人の意見や価値観を受け入れる器量と譲り合いの精神が皆無になっている。
だから私がブロ解やミュートで分かりやすく動けば、悪者に仕立て上げ槍玉に上げられる可能性があり動くに動けない。
今だから言えることだが、彼は初対面の時から言葉に表せない違和感を感じていた。問題がハッキリした今になってやっと言葉に表せる。
SNSをやっていて学んだのだが、初対面〜知り合いになる過程で違和感を抱いたやつに大体ろくな奴はいない。
皆は違和感を大事にして生きてほしい。まあいい所もあるし…などと思っていればあなたも姫女のように餌食にされる日が来るかもしれない。
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
なんだか秋に向けただんだんと、
馬が天高く雲を飛び肥える感じがしてきて迫ってきてるわよね秋が。
あのさ
と言うのも、
いい加減iPhoneが遅いのはどうしたら良いのか説濃厚案件はどうしたら良いのかしらと思いつつ、
だってさ、
iPhoneって秋容量が少なくなってきたら
おかげで私のお気に入りの辞書アプリの串刺し検索ができないのもネックなの!
そもそもとしてアプリが入れられなく使いないと言う自体問題で、
ちょっと大きな容量のものに変えていつでも辞書検索使いたい訳なのよ。
ほとんど使えるアプリが一切なくiPhoneの中身の容量の内訳って何に使われてるのかしら?と半信半疑!
使うに使えない状態というか、
せめて好きなアプリは好きなように使いたいじゃない。
でさ、
イヤホンジャックがなくってイヤーン!ホント!?ってなっちゃう場合だってあるじゃない。
そう言ってる間にも私のiPhoneのアプリの起動する時間の捗らなさ加減といったらありゃしないのよね。
バキバキに起動してキレッキレに使いたいの。
でもさ、
でもこれは必要経費という説も濃厚だったりするのよね。
そして下手に3年前くらいの機種を買ってしまって
逆に安物買いの銭失い太郎ですどうもこんにちは!になるのもなーって思うのよね。
刻一刻いや一刻一を争うから
結局はしぶとくiPhoneのアップデートが出来なくなるまで使ってそうだわ。
ほんとiPhoneって高嶺の花なのよねー
今年の漁獲高が少ない秋刀魚のように。
私は目黒の秋刀魚祭りが今年は無事開催されるのかも心配なのよね。
秋刀魚の話をしてたら
さすがに秋刀魚1匹が398円とかってなると買えないし
初物の秋刀魚も捨てがたいけど、
でもさもし、
SIMフリー秋刀魚が出たら一挙両得感あって2つ買わなくても1つで済んじゃうのにね。
思わず「しもしも?」って平野ノラさんばりに電波の入りを気にしてしまいそうだし、
肩掛けSIMフリー秋刀魚携帯でしもしも?って言いたいじゃない!
パンケーキ食べたいの人の節で歌ってね!
そんな感じよ。
うふふ。
にしても薄切り豚肉は火の通りが早くて、
押すな押すなで押すパターンでお馴染みのダチョウ倶楽部さんばりに、
デトックスォーターは
皮が気になるなら剥いちゃってもいいので、
ぜひ剥いて輪切りにもしてみてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
白のパンダに黒を書き足したら~
もうパンダじゃないって!パフィーさんの曲って何だったかしら?
あのさ、
みんな大好き文房具!
謎の達成感が発生して
その日に飲むルービーの美味さたるや格々別々なんだけど、
その謎の達成感とともに、
使い切るのに1千万回、
日数にして1日10回使うとしても3500年も使わなくちゃいけないのよね。
ピラミッド建設するか修正テープ使うかってどっちがロマンなんだよ!
それにこれは銀河系史上誰も成し遂げられない長さじゃなくて光年?
ついについに使い切ってエンドを迎えたの。
べ、べ別に映画観て泣いてんじゃないんだからね!と言わんばかりの長さだけど、
エンディング曲が「恋しさとせつなさと心強さと」だって言うことは
もはやそれはネタバレレヴェルであり
そこでこの曲流すか!?むしろこれがオチだったんじゃなかろうか?とも思えるほどで、
でもそれは
この時が来てしまったのよね。
私は24時間テレビで走ってる人の歌の曲と言えば
そしてさらに着ているTシャツが黄色くなってしまいそうなほど。
でサライって結局何なの?と思いつつ
一大大スペクタクルSF短編小説に匹敵する使い切りっぷりだと思うのよ。
これってもうSFよね!
エンディング曲はスティングさんの「シェイプオブマイハート」!
もう泣けるっしょ!
うふふ。
ちょっと多かったかしらと思いつつやっぱり多くて朝からうげっ!ってなっちゃいそうだけど、
珍しくサンドイッチ!って決めた日には
ゆ!許せないっ!
サンドイッチだけに仏の顔も、
って言わないわよ!
黄色のピーマン赤いニンジンにそして緑のたぬきは入らないけど、
タヌキはさすがに入らないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!