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はてなキーワード: 映像作品とは

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170305022101

私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。

よくある2chアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒いガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、

どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。

それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。

それに、主体性ウーマンパワー的なもの巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…

そういった作品テーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの

でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、

個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性アンテナが反応しない。

結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人ブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。

人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業必須

もちろん、そこまでする気がなくても、あくま自分感性に従った感想もつことは自由だけれど、

そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。

とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。

視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。

また映像表現であることに由来する難しさもある。

すべて、とは言わないまでも大部分が文章説明されている小説とは違って、映像作品表現やその意図曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。

また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。

そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品侮蔑するのはたしか自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。

そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。

こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面disするような人やメディアが減ってほしいと思う。

私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンバカにしたくない。

はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディア攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。

そういう人が増えてほしいんです。

いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。

ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザーはてなユーザー意識してほしいと思いその一心で書きました。

2017-01-20

どうなるグラブルアニメ

もうすぐグランブルーファンタジーアニメの先行放送がはじまります。興味がないプレイヤーも多いかもしれませんが、個人的にはこれまで何十万も課金してきたゲームアニメになるということで、自分たち課金がどう生かされていくのか・・・ということで気になってしょうがないです。

はいえ、これまでの事前情報鑑みる不安しかないのも事実

これまで私はソシャゲアニメ結構見てきましたが、グラブルアニメはどれくらいのレベルになるのか考察してみます


まずはソシャゲアニメのの個人的ランキングを挙げてみたい。


Sランク ソシャゲアニメの枠を超え、日本アニメ史に残る傑作

なし


Aランク 原作を知らなくとも、一つの映像作品として楽しむことができる良作

SHOW BY ROCK!! 神撃のバハムート GENESIS 戦国コレクション


Bランク 欠点もあるが、原作プレイヤーでも見ることができるそこそこの出来の作品

THE IDOLM@STER シンデレラガールズ 刀剣乱舞―花丸― FGO(暫定)


Cランク 原作プレイしていないと楽しめない部分が多い、欠点が多い微妙作品

ガールフレンド(仮) モンスターストライク パズドラクロス


Dランク 原作ファンですら楽しめないダメダメ作品

ディバインゲート 艦隊これくしょん


Sランクラピュタナウシカ等のジブリ作品ガンダムヤマトといったアニメ歴史を塗り替えたエポックメイキングを想定しているので、歴史の浅いソシャゲアニメ界に該当作がないのは致し方のないことかと。


さて、こうして並べてみましたが、これから放映されるグラブルアニメがどのランクになるか個人的期待値を挙げてみたい。

S・Aランク・・・0%(小数点以下を切り捨てているので実際は小数点以下の確率でありえるかも)

Bランク・・・5%

Cランク・・・50%

Dランク・・・45%


うわぁ夢も希望もねえ・・・

ガチャで例えると、SランクSSR、AランクSR、BランクがR、Cランクハイノーマル、Dランクノーマルってところですかね!掛け金はみんなの課金だ。しかも、引き直しはできません1回こっきりです。

この期待値理由をいくつか挙げてみる。


○ご不安な点

監督の実績が少ない

作品を束ねる監督ですが、プロフィールをみても実績が非常に少ない。またこれまで関わってきた作品個人的には「うわぁ・・・」というものばかりで、監督としての力量には疑問点しかありません。どうやら監督グラブルプレイヤーだそうですが、そんな人よりもたとえグラブルを知らなかったとしてもちゃんとした実力・実績のある人に任せた方がよかったのではないかと思わざるを得ません。


脚本Cygames” そしてゲームのメインストリーをなぞるらしいということ

アニメ脚本については素人同然の集団脚本を任せるという暴挙。ありえない。それにお世辞にも面白いはいえないメインストリー再現するという。正直、FFにはまった中学生が夜中にルーズリーフに書き殴ったようなストーリーを見せつけられるのは勘弁してもらいたいのですが。というかサイゲ自身脚本をさせずに話を整理する権限の大きい脚本家をちゃんとつけろと思ってます


・のっぺりしたキャラデザ

グラブルの魅力の一つに、美麗なキャライラストがあるかと思いますが、アニメ版を見る限り、原作の良さを殺しているようにしか見えない。キャラデザの人も監督同様グラブルプレイヤーだそうだが、れよりもたとえグラブルプレイヤーでなかったとしても、もっと原作絵の良さを表現できる人を呼ぶことはできなかったとかと思います


HRT主導の企画である

DO・アーカルムといった新コンテンツがことごとく失敗し、ゲーム内では大混乱が起きているさなか、「わっしょいビィ祭り」とかい内輪ノリ学芸会もどきに興じていた元プロデューサー春田康一の主導で始まっているという点。この男の仕掛けた企画は前述の祭りといい渋谷ジャックといい、自己満足甚だしい低レベルものばかりで、アニメもその一つに過ぎないのではないか。そもそも前述のようにメインスタッフグラブルプレイヤーで固めているということからも、内輪ノリ腐臭が満々です。多忙アニメ業界内で、時間と金だけはかかるグラブルプレイしている人は少ないと思いますメインキャストでさえまともにプレイできてないありさま)。有能で仕事の多いアニメスタッフであればなおさらでしょう。そんな中で、原作を知らない実力のあるアニメーターなどに交渉するのをはなから放棄し、原作妄信しているような人ばっかり集めたのではないかと思ってしまます


・近年のアニメスケジュール崩壊具合

確か夏頃にはこのアニメは今年の1月から放送開始されるということが言われていたと思うが、その後全く音沙汰がなく、気が付いたら延期されていた。理由としてはオイゲン役の藤原さんの復帰を待っているからだという声もありますが、希望的観測だとしか思えません。現場スケジュールが破たんして完成しなかった、あるいは恐ろしくクオリティの低いものしかできなかったというのが実態ではないかと思います。3か月延期したぐらいではまともな出来になっている可能性は極めて低いのではないでしょうか。


ゲーム内での扱い

放送まであと1日しかありませんが、ゲームではろくな告知がありません。ゲームの開始画面に申し訳程度にリンクがあるだけ。本当にプレイヤーに見てもらいたいと思っているのか。出来が悪いので見せたくないのかと邪推してしまう。


○ご期待できる点

・サイゲマネー

なんだかんだいってCygamesアニメなので神バハのように、潤沢な予算をかけた良作になる可能性が・・・ある・・・のかなぁ。


全体的に見て、やる気が感じられません。

グラブルにこれまで何十万円と課金してきたので、それが駄作アニメに変わったとなるとあまりにも悲しいです。どうか事前の期待値の低さをいい意味で裏切る出来になってほしい。そしてこれまで不祥事連続プレーヤー流出している中、アニメを見て新しく騎空士になる人が増えて、かつての盛り上がりを取り戻してほしいと願っています

とにかく決戦は1月21日の19時から個人的にはゲーム開始時に流れた空の青さがどうたらこうたらという寒いポエムは変更していただきたいものです。


2017-01-09

マスダとマスダ

音楽

映像作品では音楽ってのも演出において重要だよな」

「例えば俺たちがこうやって話している場面に音楽をつけるなら?」

「うーん……平坦で、のんびり、ゆったりとした感じだろうか」

「あー、コメディ系のアニメで頻繁に流れるタイプ音楽だ」

当たる確率

「えー、くじ引きやっていかんかねー」

「これ、当たりが出る確率ってどれくらいなんです?」

「8%だね」

「低っ!?

消費税と同じだ」

「……そう考えると高い気がしてきた」

あんたチョロいね

ブックマーク

ブックマークって栞だよね」

「そうだな」

「じゃあ、それを用いてコメントするのは、栞に書いているってことで合ってる?」

「まあ、大体は」

「じゃあホッテントリというのは、一つの本に文字の書かれた栞が大量に挟んである状態ってことだ」

「異を唱えるつもりはないが、実物で再現するんじゃないぞ」

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170105003438

アニメ以外の創作物でもよくて、活字が嫌いでなければ、国内外わず小説に手を出すのはありかと。

自分はもともと映像作品よりも、小説漫画とかの紙媒体のもののほうが自分タイミングで消費できるから好きなんだけど、一生のうちに読みたい本や漫画を全部読み切れる気があまりしない。

温故知新と思って、過去作品に遡るのもありだと思うよ。

お金をかけてもいいなら、舞台とかミュージカルとかもどうかな。

創作世界底なし沼だし、オタクならサブカルでもメインカルチャーでもはまる素養はあると思う。

娯楽って教養あったほうが楽しめるとはよく言ったもんで、色々と知識増えると楽しめる分野や範囲も広がるよ。

2016-12-25

普通に見てもよくわからないのを「ハイコンテクスト!!!!!」って褒めるのやめない?

2周目でハッとするから感動!!!とかそもそも普通は1周しかしないんだから1周目でハッとさせろよ。

花言葉が!!聖書引用!!!とかそんなん知らねえよ花言葉とか曖昧すぎていくらでもこじつけがきくし何の意味もねえだろ。

小説版への布石!!原作では重要だったキャラ!!!とかそんなん知らんわこっちは今見てるメディアしか興味ねえんだよ。

結局さあ、ハイコンテクストってのは褒めるようなもんじゃなくてただの説明不足か余計な描写だろ。

右から左に動いてるからエネルギーの流れが!!!!とかもまあ漫画なら分かるよ、漫画限定でな。読み手がページ捲ってるから。でも映像作品でやられてもそんなん効果ねーよ見てる側は左右対称の画面を正面からずっと見てて左右のどっち方向にエネルギーが流れてるとかそんなん感じねえもん。そりゃ前と後にはエネルギーの流れあるよ。でも左右にはないだろ。

マジさあハイコンテクストって言い訳の元に映像ノイズを投げ込んだり説明不足なだけの作品を甘やかすのやめないか

2016-12-20

カワイイロリ美女

と言って、顔面未発達の胸が無いモンスター映像作品に登場させないでください。

2016-12-17

オカン視聴者選民感は異常

オカルティック・ナイン視聴者がすごいと言うより、選民感を感じさせる作りになっているなと感じる。

シュタゲもそうだったが、まず最初キャラ造形でふるいにかける。どんな人がふるいにかけられるかというと、偏屈で器の小さい人だ。煽るような表現をして申し訳ないけど、まさしくそう思うのだから我慢して欲しい。オタクにはそういう人が多いだろうから、1話切りする人が相当いただろう。

典型的なふるいだなと思ったのが、ネットスラングを多用するキャラがいること。ネットスラング日常的に触れていて、ネタ理解できる人のうち、反応は2つに分かれる。

「あーハイハイ、クッサ、そういうのマジ勘弁」みたいに受け取る人と

「あーあるよね、そういう人もいるよねウフフ」みたいに受け取る人。

前者は、どちらかというと本当にコアなネット文化理解者というよりは、にわか感がある人に多い気がする。例えば、にわかファンがよりにわかファンを叩く光景と同じ原理が働くのだろう。つまりは、自分理解であることを自負したいから、他人理解表現することを脅威と感じたり陳腐に感じたりする。肥大した自我を守るために他者矮小化するのだ。もしくは、自分では同族と思っていないかもしれないが、同族嫌悪感情。いずれにしても、器の小さい人間のすることだ。

本当に理解が深い人は、他人表現についてもどっしり構えて心静かに観察することができて、いたずらに攻撃的になったりはしない。ネットスラングへの造詣が深かったとしても、自身現実でもネットでも一切スラングを使っておらず、おくびにも出さなタイプが多いかもしれない。要するに、理解を、自己と同一化していない。自己ステータスにしないしアピールもしない。だから自己他者を「○○を理解する人/しない人」みたいに分けてマウントするようなことがない。結果として、どんな表現フラットに受け止めやすい。創作となれば尚更だ。

中高生のころなら、そういうラベリング合戦に執心して見えない敵と戦っていた人も多かろうが、ある程度おとなになると、普通はしなくなるものだ。そう言いつつもこの文章自体ラベリング合戦同然の青臭さを帯びていることについては、見逃して欲しい。私もおとなになれなかった大きな子どもであり、自己矛盾キャラなのだ

さておき、作品全体が例に挙げたようなスラングのノリで構成されているわけではない。巨乳電波系少女を出してきて、イチゲンさんに下品萌えアニメかと思わせる部分もそうだ。結局それらは、重苦しい世界観を覆い隠すための、しかもそうである必然性が後々わかってくる類の仮面にすぎないのだ。

シリーズファンであればそのことを重々承知しているので、ああいった初見バイバイ描写に惑わされることはない。けれどそうでない人にとっては、これでもかというほど辟易させる要素が詰め込んであると映る。特にマトモぶった偏屈な人ほどそう感じ、嫌悪感を抱きやすいのではないかと思う。

主人公がウザキャラで、アフィやニート属性であることもひっかけポイントだろう。これらは、現実ではネットほど非難される対象ではない。ネットの卑しい思考回路に染まっている人ほど、これらを執拗に叩く傾向がある。経済理解している一定層以上の人間なら、アフィリエイト行為自体を叩いたり嫌悪したりはしない。やり方が悪いアフィリエイター跋扈していることは事実だとしても、アフィ自体嫌悪対象にすることはむしろ危惧すべきものだ。ニートに対しても同じ。彼らは時代産物であって、自己責任論で叩くべき存在というよりは、社会が救済すべきものだという認識が基本だ。そもそも作中の主人公は悪質なアフィリエイターでも、見放されるようなニートでもないので何も嫌悪する要素がない。むしろ可愛らしいものだ。

さらに言えば、忙しく目まぐるしいテンポ伏線を匂わせる描写密度が、一般的作品比較すると異常な域にある点もそうだ。テンポについては、ネットでは早口だと揶揄される。だが視聴していくと、この作品はむしろこのくらいのテンポが相応しいように感じられるだろう。それでも時折不自然なほど早口だと感じる部分はあって、そういう不自然さがどうしても許せない人がネットには多い。けれどインタビューによると、キャストもその部分には面食らっている。制作側もそれを理解していて、1話台本の冒頭に、どうしてこういう早口演出が多用されているか解説があったらしい。そこの部分は視聴者の我々が窺い知ることのできない所ではあるが。

ともかくネットというのは悪意的な見方人間の声が大きくなりやすい。そして、クリエイティブ制作者に対する声も含め、他者への敬意や謙虚さが微塵もない罵詈雑言が並べ立てられている。そうしたもの思考汚染され、流されてしまわないためには、実際の制作者やキャストの声を聞いて、かける思いを汲み取ることが重要だ。それはどのアニメ、どの映像作品にも言えることだが、オカン特にそれが求められる作品だと感じる。

まりにも密度が濃いので、結局大風呂敷を広げただけで伏線を回収しきれないんだろ、と馬鹿にする声も聞く。しかし10話までみてきた印象としては、かなり綿密に練られている。最新話をみるたび過去話を見返していくと、膝を打つような発見、「そういうことだったのか!」がそこかしこにある。だが、「どうせ回収できない、ご都合主義だ」と侮る声を発する人を納得させることはできないと思う。そういう見方をする時点で全てのフィクションスポイルされると思うが、それに加えてオカン特有事情がある。おそらく、アニメ単体では全ての事実は明らかにならない。コミック版は12話からアニメとは別のルートに入ったという告知がされている。アニメは2巻まで出ている原作ノベル圧縮した内容ではあるが、すでにノベルの先の展開を描いている。アニメ展開に合わせたように発売日が延長→未定となっているノベル3巻もアニメとは別のルートに入る可能性が高い。つまりメディアを律儀に追っている人ほど、全容を知れるという仕掛けになりそうだ(なんてうまい商売なんだ)。

けれども裏を返せば、そのへんの事情を知らないライト層には不完全な作品と取られる恐れもあるわけだ。そういう整合性に異常に執着するアニメファンは、爆死だなんだと言うだろう。それを見越していながら突き進むスタイルは、ある意味ロック姿勢ではある。一方でそういう側面こそある種の信者ビジネスの肝だなと冷ややかに見ることもできるが、ストーリーの内容が内容だけに、楽しむことが好きなオタクならばシャレを効かせたメタ展開だと笑って受け止めるだろう。その八福神の会だか300人委員会だか分からないが、自分もそっち側に入信して、賤民には知り得ない真実に辿り着こうではないか、なんてノリにもなるというものだ。

思うに、大ヒットする作品というのは多分にカルト的要素を含むものだ。オカンにもその素地があると感じる。ラブライブしろガルパンしろエヴァでもガンダムでもいいが、ああいった作品ファン宗教的なところがある。単に作品が魅力的だというだけではなく、作品思想が込められていて、そのメッセージ性がいわば「教義」となり、観る人を感動させ、伝播の原動力となるのだ。作品を観ることで、その教義を受け取り、コンテクストを共有する。その域までたどり着いた人はまさに信者であり、選民となる。往々にしてひねくれた演出、尖った演出の数々は、その選民感を増幅させるのに有効に働く。けれど、ついていけない人には、真逆に働く。

よく、「ノリについていけない」とか「登場人物感情移入できない」という文句を言う人がいる。そういう人はおそらく、メタ感覚作品を眺めすぎている。無意識作品の向こうに作者を透かしてみていて、そうやってみる作者のことを「こいつはダメだな、こいつの作品はいけ好かない」と思っていたりする。それで作品本体をまじめに見れなくなっており、雑念がなければ感じ取れたはずの感動を取りこぼしているのではないか原作者志倉千代丸自身もおちゃめな発言をするタイプではあるが、それも一種ペルソナを演じているだけであって、硬軟かき分ける技量がある懐の深い作家であることは原作ノベルに触れると分かる。だから仮に登場人物がイタくても、キャラ造形が古臭くても、それに引きずられて作品自体や作者をイタいと思うのは間違いだ。

感情移入ができないことを問題視するのも、そもそもおかしな話だ。感情移入ができる、というか、キャラクターの(言外にあらわれる)感情が伝わってくるから感動できる、良い、というのは分かる。しかし、それが分からない、キャラ思考回路が伝わってこないかダメだ、とはならない。異なる価値観とか多様性に対するスタンスについて説教するわけではないが、はっきり言って、そういう人は、自分と近しい環境で生き、近しい感覚・行動原理を備えた登場人物が動く作品しかまともに見れないのではないかフィクションには強烈な個性を備えたキャラがよくいるものだが、ほとんどの場合、どうしてそういう性格になったのかは察せるものだ。はじめは理解しがたい性格キャラこそ、大いに想像力を働かせながら読み進め、自分には無かった思考回路価値観にたどり着く感動が得られるものだ。萌え日常系アニメキャラならともかく、脚本があるストーリーものキャラであれば、そうやって「キャラ理解する」作業はたいてい報われる。思っているよりもずっと。そういう作業を序盤で放棄して、「こんなキャラ理解できない、受け付けない、リアルじゃない」と決めつけ、あまつさえキャラの作り込みが悪い」などと作品のせいにしている人のなんと多いことか。読書や映像鑑賞は、実は読む・観る側にも作品世界に寄り添っていく想像力積極性クリエティティが求められるものだが、「消費する側」という立場になりきって選好を重ね、消費の達人になっていけばいくほど、傲慢想像力を停止した人間になっていくものなのだろう。

難儀なものではあるが、志倉千代丸作品に限っては、さらに、彼がイケメンで曲も詞もコードも書けてオタク力も高い上に金持ち、という超人的な要素があるせいで、僻みも加わってくるのかもしれない。けれども、作品を鑑賞する時というのは、そういう作者がいけ好かないだとか制作会社がどうだとか、そういう世俗的な感覚基本的に切り離しておくべきものだと思う。そういう感覚を混ぜることで楽しめるならまだしも、雑念になるのならばそれを排除する努力を(作り手ではなく)読み手側がしなければならない。それが創作に対し敬意を払うことだと思うからだ。

どうにもオカンの話ではなくネットアニオタ批判になってしまったが、これから時代コンテンツを楽しむということは、イコールネットの俗悪な風評とは距離を置いた賢明で物静かな「選民」になることだと思う。別に私のように選民意識をちらつかせて下層の民を殴ることはしなくていいが、そういう衝突もどんどん表面化していくのだろうと思う。もっと短文で動物的な形になるとは思うけれど。不快だが避けられないネット未来。そんな未来だとしても、それでも、日本アニメは「刺さる人には刺さる」方向性で突き進むのが向いていると思う。誰もが楽しめる優等生的な作品作りはディズニーあたりのお仕事。「刺さる人には刺さる」コンテンツ作りの先端を行くオカンのような作品に触れられることを私は幸せだと思う。

2016-12-14

[] #9-2「映画ミカタ

≪ 前

映画の内容は、たぶん面白かった。

俺はそこまで映画を観るわけではないので相対的にどうかは分からないが、映像は綺麗だし、アクションシーンも盛り上がっていた。

ストーリーも設定の割に意外と分かりやすい。

オサカがどう感じたかは分からないが、感想を言いたくてウズウズしているようなので、直に分かるだろう。

俺たちは映画館近くの喫茶店に入る。

席についた途端、オサカはまくし立てるように語り始めた。

しかし、監督個性が色濃く出てたな。彼の既存作品と似ている演出散見される」

「そうなのか?」

「まあ、元々あの監督映像作品ルーツ特撮といえるからな」

正直いうと、俺はその監督をよく知らない。

なぜ映画ストーリーだとか内容ではなく、いきなり監督の話をし始めるのか、俺にはよく分からなかった。

監督一人で映画ができているわけじゃないし、映画に出ているわけでもないんだから、他に話すことはありそうなものだが。

スタッフスタジオなどの体系から作品を読み取るってのは重要なんだ。特に監督はその作品の核なんだよ。制作途中で監督が変わって、グダグダな出来になった映画を数え切れないほど観てきたからな」

「すまん、ピンとこない」

「例えるなら、ゼルダでいう宮本茂なんだよ」

「ああ、絵本でいう西野みたいなものか」

「それはちょっとよく分からないが……」

「まあ、監督の話はほどほどに、ストーリーとか構成の話をしようぜ」

「そうだなあ、アクションシーンは盛り上がっているけれども意外に動的じゃなく、静的な構成だったな……」

「へえ」

「だから登場人物が今回の出来事を経ての精神的な成長は、実のところそこまでじゃないんだ。それぞれが自分の元の人格から構成された言動と、その中で出来ることをやっている」

オサカは喜々として語り始める。

俺は適当に相槌を打ちながら、オサカに奢らせるメニューをどうするか考えていた。

すると突然、後方から妙な怒号が飛び交いはじめる。

その人たちは、恐らく先ほど俺たちと同じ映画を観ていた人だろう。


「なぜ主要人物が男だったところを女ばっかりにしたのか」

「なんだと、女性蔑視だ!」

領民の扱いもおかしい」

時代背景や、設定、演出戦争を蜂起させる」

チキンホーク、故にターキー!」

おいおい、何だか俺たちとはあまりにも別ベクトルなことになっているぞ。

映画の話ではなく、もはや政治の話だ。

オサカはオサカで気にせず感想を述べようとしていたが、徐々に不機嫌になっていくのが見て取れる。

こりゃあ、オサカが爆発する前に、ここから離れたほうがいいかもしれない。

次 ≫

2016-12-11

最近観た動画 「正直なゲームトレイラーHearthStone

動画 → https://www.youtube.com/watch?v=UMqBOmvba0g

日本語訳 → http://www.nicovideo.jp/watch/sm26308196

概要

YouTubeチャンネルScreen Junkies」で配信している動画シリーズの一つ。

トレイラー風の演出で、様々な映像作品を茶化したりする「正直な映画トレイラー」(Honest Movie Trailer)のゲーム版

HearthStone」ならではのツッコミや、TCG共通する問題ソシャゲありがちな問題、そのプレイ映像配信する人間すら茶化しまくる。

エンタメとして成立させるために、やや偏重した内容なので、あくまで半分ネタとして観たほうがいいかもしれない。

また、元動画一年上前にアップされたものなので、そこらへんの時代性や、国柄含めて考慮したほうがいいだろう。

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である

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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。

さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************

さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-27

君の名はこの世界の片隅には同じ消費をされてるのにそれをみとめない界隈

方面白かったよという人は健全です

ただこう言うと、この世界の片隅に派が突っかかってくるので増田にでも書いとく

というのも「この世界の~」の批評はその作品世界の描き方というより、とにかく圧倒されたという文言がよく見られるから、それなりの人は自覚があるんじゃないかと思うんだ

そりゃそうだ説教されに金払うやつは変態くらいなもんで実は映画批評イデオロギーとか視点などというものは、さして重要ではないと思っている

いや、結果論として重要だろうとは思う。「あーたのしかったね」の次のものとして、考えさせられるなにかがあるとなお良い

はい最初映画として映像作品として、なにかすごいものを見せてもらおうという渇望が最重要から

新海誠はこの点でアニメとしては映像美を極めていて、それってどうなのという批評もなくはないが、少なくとも世間での消費のされ方は「映像がすごい」だろう

素直な感想だと思うしいいと思うんだよね。何の問題もない。

からこの世界の片隅にが、空襲シーンがすごかった、軍事描写兵器描写が緻密だねみたいな批評が踊るのは普通のことだと思う

ただ、その勢いでついつい説教臭くなくていいなどという反ポリコレ的な言動が出てしまうのかもしれないし、私はその点でわからないでもないし、素直な批評だなとは思う。

ただ残念なのは、やはりタイトルの通りなことを私が言うとネット上で吹き上がるひとが何人かいたということだ

さんざんエンタメとして消費したくせに、君の名はとは違うという残念な批評が出てくるわけで、こういう自覚のない連中面倒だなと思うわけだ

こういっちゃなんだが「この世界の~」は漫画原作だ。テーマだけ消費したいなら漫画を読めばいい。

なんでこのひとたちアニメというか映画にしなきゃ消費しないんだろうってことだ

まり結局、映像のすごさを期待していったに違いないのに、原作付きアニメ映画批評として誠意がないなと思ったりもした

漫画原作実写映画自分出演者の〇〇君や〇〇ちゃん目当てで見に行くやつらと同格になりたくないという感じなのだろうか

映画アニメ役割はなんなのか

とくに原作があるアニメ映画はどうあるべきかという一つの回答としてこの世界の片隅には素晴らしいと思う

しっかりと映像としてすごい。これはどんな天才漫画家でもどうしても無理がかかるものであるし、あるいは一人の個人としてでしか届かない取材によって見えてくる密度が大幅にアップデートされている

これは集団で捜索する映画の利点であろう。

しかし残念なのは扱ってるテーマテーマなだけに、そのファン過激なことを言い出す残念さだ

この世界の片隅派の残念なほかの映画へのヘイトコメントや、あげく映画批評を飛び出し政治的残念さまでも引き起こすまでになってしまったなと思う

2016-11-24

艦これ二次創作の動向分析

半年ほど前、ブラウザゲーム艦隊これくしょん」(以下「艦これ」) の人気動向について、

  ・艦これ権利を持つ版元が直接関与する公式関連

  ・ファンが中心となって活動する二次創作関連

の双方の観点から分析を行った。

その際は大雑把にいえば「公式関連の人気は今だ根強く、二次創作関連の人気はやや下落気味の傾向が見られる」という公式二次創作の人気の乖離について言及したが、今回二次創作関連に焦点を絞って改めてその動向を調査したところ、艦これ」における二次創作活動規模は明確に縮小しているという事実が明らかとなった。

最近公式関連の動向やコミックマーケットの動向を見ていると、この結論に疑問を呈する方は多いのではないかと推測する。

前回の報告では二次創作人気の下落について明言を避けたが、今回はその点も含めて何故このような結論に至ったかについて、調査によって得られた数字を元に出来る限り客観的に述べていこうと思う。


大前提としての注意事項

本稿を読み進めるにあたっては、まず大前提として以下の点を必ず理解いただきたい。

  ・あくまで「艦これ」の二次創作の動向に関する分析であり、公式関連の人気とは直接的には関係しないこと 重要

  ・出来る限り、調査で得られた数字という客観的かつ定量的指標をもとに説明するように努めていること

  ・しかしながら人間が書いている以上、常に何らかのバイアスがかかっている惧れはあること ← とても重要

  ・比較対象として他ジャンルの動向を示すことがあるが、あくま特定の条件下での比較であり、対立を煽る意図はないこと


艦これ二次創作の規模縮小を"明確に"述べるに至った判断基準

本稿を読み進めている方の最も気になっている点がこの判断基準ではないかと考える。

これは次節から述べる各指標調査結果から総合的に判断したものであり

  ・短期間のゆらぎを除いて上昇基調に反転した指標がないこと

  ・下落継続期間が相当の長期に亘っていること (約2年間)

  ・下落後の安定期というものが未だ現れず今なお下落基調が続いていること

の3点が核となっている。

以上の点について、次節から指標の動向を定量的に述べていく。


下げ止まらない二次創作コミュニティでの投稿数・閲覧数

二次創作活動を行うためには、それを行うための「場」が必要となる。

特に艦これ」の場合サービス開始とともにインターネット上で爆発的に人気を博した経緯から二次創作活動においてもインターネット上のコミュニティがそういった「場」の大きな一角を占めている。

まず初めに、それらの中でも特に影響力の強いいくつかのコミュニティについてその動向を述べる。


pixivにおける「艦これ二次創作の動向

以前も述べたとおり、二次創作においてpixiv投稿数とサークル数の間には強い相関があり、pixiv二次創作活動において今なお大きな影響力を持っている。

投稿数の推移は、


○週間平均投稿数:

 ・2014年10月12月:3,632枚

 ・2015年1月3月 :4,111枚 (最大値:5,214枚 2/16週)

 ・2015年4月6月 :3,762枚

 ・2015年7月9月 :3,558枚

 ・2015年10月12月:3,091枚

 ・2016年1月3月 :3,357枚

 ・2016年4月6月 :3,064枚

 ・2016年7月9月 :3,002枚

 ・2016年10月11月:2,435枚 (最小値:2,004枚 10/17週) ※集計中


で、約2年間一貫して下落トレンドが続いており、下げ止まる気配は一向に見られない。

2015年2016年ともに特に10月投稿数が落ち込む傾向にあるが、中でも去年10月は初めて週間投稿数が2,500枚を切り、今年は2,000枚を割り込む寸前まで減少した。

pixiv自体利用者数の減少ということも考えられるが、2014年の段階でほぼ同規模であった東方Project投稿数をバックグラウンド値として比較すると


○【参考:東方】週間平均投稿数:

 ・2014年10月12月:3,712

 ・2015年1月3月 :3,662枚

 ・2015年4月6月 :3,918枚 (最大値:5,130枚 5/3週)

 ・2015年7月9月 :3,635枚

 ・2015年10月12月:3,733枚 (最小値:3,037枚 12/3週)

 ・2016年1月3月 :3,651枚

 ・2016年4月6月 :3,719枚

 ・2016年7月9月 :3,520

 ・2016年10月11月:3,420枚 ※集計中


とこちらは極めて安定的な推移を見せていることが分かる。

その他、比較的長期のジャンルであるアイドルマスター」や普遍的な「オリジナル」「創作」などのタグでも投稿数は安定的に推移しており、pixivから投稿者の大幅な流出が起こったとは考えにくく、pixivにおける「艦これ」の二次創作は底の見えない規模縮小が続いていると判断せざるを得ない。


指標としてはやや劣る閲覧数は、以前も述べたように2015年6月初頭にpixiv側での集計仕様に変更があり、その前後での単純比較及び他ジャンルとの絶対数比較が困難となる。

そのため仕様変更以降のみを検討するが、2015年8月には週平均で3,000万近い閲覧数があったのが、2016年1月には2,700万まで低下し、同年6月には約2,400万に、直近の10月には約1,700万まで落ち込んでいる。

ただし、2016年10月以降の閲覧数が大幅に落ち込んでいるのは、すでにTwitter匿名掲示板で指摘されているとおり、2016年9月4日からpixivの閲覧仕様変更により閲覧中心のユーザーが離れたことが原因であると推測される。

(他のジャンルでも直前の3ヶ月と比較して約25%閲覧数が減少している)

しかしながらその要因を考慮した上でもなお艦これ作品の閲覧数が減少傾向にあることは、長期トレンドの推移からも間違いない。


ニコニコ動画/静画の傾向

ニコニコ動画には、2016年10月現在で週平均約300~350程度の艦これ動画投稿されている。

これは2016年3月頃の投稿数と同程度であり、一見すると投稿数の減少は収まったかのように見える。

しかしながらその内訳を見ていくと、「MMD艦これ」に代表される二次創作作品割合が低下してきており、艦これ二次創作作品実数は未だ減少し続けているのが実態となっている。

直近の11月公式関連の本編ゲームイベントなどもあり投稿数が約800前後と大幅に増えているが、その増加分はほぼ全てがゲーム内ボイスの転載といったゲーム本編関係動画となっており、二次創作の増加の気配は見られないのが現状である


ニコニコ静画の動向もpixivのそれに近い状態であり、艦これ二次創作作品投稿数減少に歯止めがかからない。

2016年1月3月の段階では週間平均で約1,500枚の投稿数があったにも関わらず、同11月では約950枚とついに1,000枚の大台を割り込んでしまった。

未だ投稿数の底が見えないこともあり、減少傾向は今後も続くものと推測される。


Twitterの動向

最近よく耳にするのが「二次創作活動の場はpixivニコニコ動画からTwitterに移っているのではないか」という疑問である

Twitterはその仕様上、二次創作に限った検索投稿されたイラストの全数調査という手法が困難であるが、昨年末から試験的にいくつかのキーワード指標を設定してTwitter上での二次創作活動推移の定点観測を試みた。

結果的には設定した全ての指標で減少、あるいは横ばいという傾向が見られたが、これらは公式関連の動向による攪乱を受けてしま懸念を完全には排除することができず、今しばらくの検討必要であると考えている。

その中でも比較安定的指標と考えられる艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」(いわゆる艦これワンドロ) の動向を示すと、日毎の変動はやや大きいものの、昨年末調査開始の時点で日平均約220枚程度の投稿があったものが直近1ヶ月では約140枚前後まで減少している。

このような減少傾向はpixivニコニコ動画といった旧来のコミュニティの動向と大差なく、結果を総合的に判断すると、現段階ではpixivなどからTwitter活動の場が移ったと解釈するのはいささか困難であると言わざるを得ない。


集約化の進む「艦これ同人誌即売会

前回に引き続き「艦これ」が関係する同人誌即売会の動向を調査した。

いくつかのイベントを例に直近の動向を調査すると


 ・コミックトレジャー(オールジャンル):381(第25回)→372(第26回)→319(第27回)→361(第28回)

 ・蒲田鎮守府:243(第2回)→59(第3回)→以降開催なし

 ・海ゆかば:133(第3回)→47(第4回)→54(第5回)

 ・西海ノ暁:50(第5回)→63(第6回)→33(第7回)→55(第8回)→56(第9回)→14(第10回) ※第9回は併催の艦これオンリーを加えると114サークル

 ・駆逐してやる!~なのです:65(第4回)→32(第5回)→16(第6回)→46(第7回)→34(第8回)→17(第9回)→27(第10回)

 ・我、夜戦に突入す!:375(第2回)→312(第3回)→287(第4回)→115(第5回) ※第5回は併催イベント共々募集規模が小さい

 ・砲雷撃戦!よーい(東京):1010(2015年9月開催)→686(16年1月開催)→945(5月開催)→834(9月開催)


となっており、各イベントとも多少の増減はあるものの規模は比較固定化してきたように見える。

その一方で「蒲田鎮守府」「鎮守府に着任しました!」「艦娘まりんふぇすた」など、休止した即売会も規模の大小を問わず多く存在しており、即売会の統廃合が急速に進んでいることが伺える。

特に艦これ同人誌即売が群雄割拠した2014年比較して2016年個別開催数が約半数までに落ち込んでいることを踏まえると、現在継続して開催している即売会が規模を維持できているのは、集約化による影響が大きいと考えられる。


即売会の規模について簡単に触れておくと、現在継続して開催されている即売会には、最大規模の「砲雷撃戦」の他、「我、夜戦に突入す!」「西海ノ暁」「駆逐してやる!~なのです」「絶対海域」などが存在するが、「砲雷撃戦」と「我、夜戦に突入す!」を除けば全て参加サークル100未満の小規模即売会となっている。

比較的小規模なまま推移しているのは、おそらくは艦これ即売会基本的に他ジャンルとの併催で行われることが多く艦これ単独での規模が抑えられがちになる点、キャラクターオンリー即売会などが発達せず即売会同士の差別化が多分に地理的要因に起因している点が原因ではないかと推測している。

このような要因によって艦これ同人誌即売会を取り巻く環境は今なお厳しく、集約化はこれからも間違いなく進んでいくものと考えられる。


サークル当選数」が隠すコミケの動向

最後コミックマーケットにおける艦これ二次創作サークル数の推移を見て行きたい。

2013年冬のC85以来、コミケにおける艦これ二次創作サークル数は常に増加してきた。

今冬のC91では艦これサークル数は2153サークルとなっており、前回を91サークル上回った。


しかしながら、コミケは参加申し込みが他の即売会比較して圧倒的に多いため抽選制を取っており、基本的落選がなく申し込み数=当選数となるオンリー即売会のように「(当選)サークル数」の推移を見ただけでは傾向を掴むことはできない。

そこで、艦これ専用のジャンルコードが設けられたC87以降の艦これジャンルの (当選数, 申し込み数, 当選率 [当選数/申し込み数]) を確認すると


 ・C87=(1840, 2295, 80.17%)

 ・C88=(1846, 2230, 82.78%)

 ・C89=(2062, 2425, 85.03%)

 ・C90=(2062, 2360, 87.37%)

 ・C91=(2153, 2364, 91.07%)


となっており、当選サークル数が毎回増えているのは当選率が毎回上昇しているためで、申し込み数のピークはC89であったことが判明した。

特にC91ではC90と申し込み数がほとんど変わっていないにも関わらず当選率が3.7%上昇しており、結果的過去最大のサークル規模を達成する直接の原因となった。

これだけの規模のジャンル当選率が9割りを越えることは非常に珍しい。 (コミケでの規模が第2位の「東方」は (1582, 1780, 86.87%)、同第3位の「アイドルマスター」で (1231, 1428, 86.20%) 、また「東方」が今回の艦これと同程度の当選数だったとき当選率は C85=(2246, 2848, 78.86%))

この原因はおそらく同ホールに配置された他ジャンルとの兼ね合いでの端数調整に起因するものと考えられるが、より規模の小さなジャンルに端数分を振らなかったことにはやや疑問を覚える。(無論、艦これファンとしては当選サークル数の増加は嬉しいことではあるが)

これまでの分析では、集約化によって減少した艦これオンリー即売会の穴を埋めるようにコミケへの参加者の集中が起こっているものと考えられていたが、検証結果を見る限りでは実体としては「コミケへの集約化は思ったほど進んでいない」あるいは「集約化は進んだがそれ以上のペースで艦これサークルが減少している」のいずれかが起こっているものと考えられる。

いずれにせよ、コミケ以外の場における強い二次創作の減少傾向が存在することからも、今後のコミケにおける艦これの動向は決して明るいものではないと予想される。


艦これ二次創作の今後

以上から艦これ二次創作を取り巻く現在環境は非常に厳しく、今後も現在の傾向が続いていくことになると予想される。

ジャンルの動向を見ても、ここ半年からガルパン」の二次創作が爆発的な人気を博しており (6月のSDFスペシャル9月の砲雷撃戦に参加した方は、併催のガルパンオンリー即売会にむしろ艦これ以上の人数が集まっていたことに気付いたことと思う)、加えて東方の人気が再び戻ってきたという話も最近はよく耳にし、アイドルマスターも未だ徐々に規模を拡大しつつある。

今後、仮に二次創作が再び増加に転じることがあるとすれば、それは公式関連の劇場版が多くのファンから好評を得た場合である

というのも、書籍映像作品二次創作に繋がるような要素を多く含み得るものであり、また過去にも賛否割れアニメの放映後に実際に二次創作活動が最盛期を迎えたという実績もあるためだ。

公式関連の人気が今だ根強いことは、この記事を書いている今ちょうど話題になっている百貨店三越」とのコラボ商品を求めて多くのファン店舗に集結したことなからも伺える。

そして、コラボグッズと映像作品、どちらがより二次創作に影響を与えるかということを考えると、物語性の強い映像作品に軍配が上がることは簡単に予想できる。

しかしながら、以前に実施したコラボと内容の近いなか卯コラボローソンコラボ第2段がやや不発気味だったことを考えると、同じ映像作品であるアニメ放映後の劇場版にどれほどのインパクトがあるか、それによって二次創作人気の下落は底を見せるか、反転後の上昇はどの程度まで達するか、などが重要となってくる。


長々と検証を述べたが、艦これ二次創作の規模は明確に縮小しているという現実を知った上で、その事実に抗って跳ね返すくらい活発な二次創作活動が今後増えてくることを期待している。


(了)

2016-11-17

この世界の片隅に」は「ものすごい」作品

この世界の片隅に」を昨日観た。昨日は感想を言える状態ではなかった。

まだ自分の心をまったく整理できる状態ではないけれど、感想を書く。

この感想が人の目に留まる可能性は少ないと思うが、もし未見の方がおられたら、この感想を見ずにまず映画を観ていただきたい。ストーリーネタバレほとんどしていないが、これから私の書く情報がない状態で、この映画体験してほしいので。

また、この文章自体興奮冷めやらぬ中書いているので、改めて落ち着いたり再見して考えの変わることもあると思うが、整理されていない最初の印象というのも重要だと考え、勘違いなどがある可能性を承知の上で書き残したい。

この世界の片隅に」は「ものすごい映画」だった。「良い映画」「泣ける映画」ではなく、「ものすごい」のだ。

私もいい年なので、良い映画、泣ける映画を観て涙ぐんだ経験はある。しかし、映画の印象的なシーン一つ一つ思い出す毎に涙がこぼれる映画が、この世に存在するとは思わなかった。

この映画を「観た」というのは正しくない。この映画は「体験する」映画だ。映像・音声の中にちりばめられた何かが作用して、主人公すずの人生を観客が「体験させられる」のだ。だから、後でいくつかの印象的なシーンを思い出すだけで、何かしら感情が「あふれざるを得ない」のだ。

ストーリー自体は、複雑でも何でもない。あらすじだけ読んでも、たいして感動するポイントがあるわけではない(まあ、あらすじとはそうしたものだが)。戦時中の設定であり、ましてやあの広島を題材に採っているから、何かしら悲しいシーンが入ってくることは予想できるし、邪推して「お涙頂戴映画だろ」と言うことはできる。そして、実際にそういうシーンはある。しかし、この映画のすごさは、私が思うに、そういう大枠のストーリーのものではない。

観客は、主人公すずの人生を、バーチャルリアリティのように(と書くと厳密には間違っていると思うが、他に言葉が浮かばない)「体験させられる」のだ。広島と呉の人々の営み、嫁入りした先での苦労、鳴り響く対空砲、町と軍艦を焼く敵機の容赦ない爆撃、無慈悲な時限式爆弾の爆発、そして原爆かがやき衝撃波楽しいこと、嬉しいこと、誰かをいとおしいと思うこと、不安、悲しいこと、喪失感、悔しさ、怒りも、観客は「体験」させられる。それも、普通映画とは違う、もっと深いレベルで、だ。

そのような「疑似体験」が観客側にあればこそ、一見物語上盛り上がりのないシーン、いわゆる「泣き所」ではないシーンの一つ一つを思い出して、涙がこぼれる。だからこの映画は、映画を観ている時だけでなく、印象的なシーンを(喜劇的なものであっても)思い出すだけで胸に迫るものがあるのだ。

昨日、家に帰って虎の子の古備前徳利で酒を飲みながら、「この世界の片隅に」に関する映像片淵監督、主演ののん氏のコメントなどを読み漁った。当然、いくつかのシーンを思い出す。そうするともう、ただもう「思い出す」だけで涙がこぼれるのだ。

私の人生で、こんな思いをさせられた映画は、他にない。

体験させる」仕組み・仕掛けについて、私には残念ながら分析する能力知識も不足している。ただ、映像音楽にちりばめられた何事か(例えば入念な取材に基づく非常に精緻映像や音声など)が、言い方は悪いが催眠術サブリミナルのように観客に「効いて」来るのだ。

非常に限定的な例えで悪いが、漫画ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる登場人物である岸辺露伴スタンド能力ヘブンズドアー」。露伴漫画を読んだ人を本に変え、その人の記憶を読んだり、書き込みをすることで人を操ることができる能力。私にとって、この映画は、そのうちの「書き込みをすることで人を操る」に近い影響力を発揮した。しかし、それは何らかの超能力によって発現したのではない、片渕監督が、資金のめどすら立たない6年前から、おそらくある確信をもって様々なものを積み重ね、それに対してスタッフキャストが力を発揮した結果なのだ。私は、その事実に身震いする。こんな「効果」を持った映画が「ものすごい映画」でなくて何なのだろう。

私は昨日youtubeに挙げられた公式の「予告編」の、すずと周作のキスシーンだけでも何度も泣いた。話の展開的に、このシーンが、いわゆる何らかの悲劇の「フラグ」というわけでも何でもないのにも関わらず。普通の「泣ける映画」であれば、、この後周作には何らかの不幸が起こらねばならない。しかし、この映画ではそうはならない。しかし、それでもこのシーンが私には泣ける。

なぜ、私はこのシーンで泣いてしまうのだろう、と私は酒を飲みながら考え、そして気が付いた。この映画で得た「体験」は、それほどに強く主人公すずの人生を私の心に焼き付けてしまったのだ。それは、「すずの人生が我々71年後の日本人と地続きである」というレベルを超えている。これは、私の人生の中では「異常」な体験だ。

大げさなことを書いてしまうが、私は上記のことをもって、この映画が、人類が到達可能なある限界点に到達したか、少なくとも片足をかけている世界最初映像作品ではないだろうか、とすら考える。少なくとも私は、このレベルに達している映画を他に知らない。

(もしかしたらごく短い映像作品では世界のどこかに存在するかもしれないと想像はする)

実は、わたしはこの映画原作は未読である。私が体験した要素が、どれだけ原作から来ているか現時点ではわからない(原作はもちろん今後読むつもりだけど)。

この映画も一回観ただけで、いろいろ取りこぼしや考え違いもある可能性は高い。特にストーリーに対する評価がまるでできていない(これも重要なはずなのだ)。

また、万人に私と同じような「体験」を保証することもできない(そもそも万人向けの作品など存在し得ない)。

それでも、このアニメ映画が「ものすごい」作品であることは、疑いない。そしてこの映画はその「ものすごさ」ゆえに「尊い」。まさしく、神の技に到達した、少なくとも手をかけた奇跡的な映画なのだ

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108195738

いやいやいや

いやいやいやいや

アニメじゃなくても、実写でもよく使われる表現じゃん……

シリアス作品主人公がふと気づくシーンやさりげない伏線とかに

バーーーン!とかドーーーン!とかハイこれ重要見てみて覚えといてな~~~~~!!!!!とか必要なの?

そもそも目を遣わない前提のラジオドラマじゃない、目でも耳でも楽しむ前提の「映像作品」なんだから

映像からこその表現をやらないならもうそれはアニメーションである必要すらないよ

2016-11-02

レンタルDVDネットフリックスがもたらす映像文化の衰退

未だにレンタルDVD借りてる人ってなんなの

http://anond.hatelabo.jp/20161101215841

レンタルDVDどころか、定期的に中古ビデオ屋に通っている。DVDにすらなっていない映像作品がいっぱいあるからだ。もっとハードコアな人だと、京橋フィルムセンターに通って、ビデオ化されていない映画を見ている。当然のことだが、そういうのはネットフリックスでは配信されていない。

フィルムビデオDVDネットフリックスと、どんどん作品は厳選されていく。そこで選ばれるのは収益が見込まれ大衆的な作品だけだ。少数に深く刺さるマニアックものは捨てられる。たくさんの映画が捨てられてきた。その中には、もし鑑賞していれば、あなた人生を変えるような映画も無数にあったはずだ。父親から手紙が何よりも泣けるように、一人ひとり、深く刺さるものは違う。その可能性が、たくさん捨てられてきた。

おそらく、ネットフリックスの次が出てきたとき映像文化荒野になっているだろう。そこにはディズニー新海誠しかない。宮﨑駿はストーリーが分かりづらいかNGゴジラ男の子しかウケないかNG黒澤明はセリフが聞き取りづらいかNG小津安二郎役者棒読みからNG。そうやって捨てられていって、1億人中1億人が「いいね!」と言うものけが残る。だけど、その「いいね!」はフェイスブックの「いいね!」と一緒で、表面的な共感しかない。深層に突き刺さるものは、少数にしかウケない。みんな感性がバラバラだから

そうやって表面的なものしか残らなくなった地球では、映画に深い感動を覚える人間をいない。1人もいない。誰もが「こんなもんだ」と……「上映時間分楽しめればいいや」と……その程度の感慨しか映画に持っていない。映画を見て人生が変わったり、苦痛から解放されたり、生きるエネルギーをもらったりすることはない。映画にそんな力があるなんて、誰も思っちゃいない。

でも、何かのきっかけで……好奇心旺盛な子どもが、友達たちとゴーストタウン探検しようと……みんなで遠出して「神保町」と呼ばれていた土地に行くかもしれない。そこには廃屋と化した「かつて中古ビデオ屋だったもの」がある。子どもたちはそこにある分厚く不格好な記録媒体に興味を持ち、これが何なのか調べようと、街一番の長老を尋ねる。

長老は「ああ、これはビデオというんだよ」って……ただ一つ残っているビデオデッキに……子どもたちが持ってきたビデオ差し込む。

長老再生ボタンを押すと、静かに映像が流れてきて……そうして、文字が映される……。

紀里谷和明監督作品

CASSHERN

初めて見る大衆的じゃない映像。僕たちが捨ててしまったもの子どもたちは驚くだろう。

2016-10-20

オタクだけど今年は幸せだ。

KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV

シン・ゴジラ

君の名は。

聲の形

GANTZ:O

この世界の片隅に


どの映像作品も今まで見たことのないような世界を俺に見せてくれた。


キングスグレイブ日本映画がここまでの3DCGを作れるのかと驚き、そしてその超絶なアクションに興奮した。

シン・ゴジラでは戦車に興奮し、ハリウット映画とは違うヒーロー達の姿を見せてくれた。

君の名は。は極上の恋愛映画を堪能させてくれたうえに、日本中アニメを見ることを広めてくれた事に感謝したい。

聲の形では青春期のコミュニケーションの難しさや生き辛さを見て大いに共感した。

そしてGANTZ:Oではキングスグレイブとは違った方向性の驚異的な3DCGを見て、また驚かされた。


もちろんレッドタートルズートピア傷物語プリキュアコナン等の他のタイトルもみな素晴らしい。


そして11/12アニメ映画としておそらく今年最後の期待作「この世界の片隅に」が公開される。

予告を見ただけで泣いてしまった俺はおそらくこの映画を見て号泣するだろう。


どうか来年オタクにとって良き年でありますように。

anond:20161019220749

>いやいやいやいや本筋に大いに関係ある部分だからね?ここのおかしさ・設定破綻是正されちゃったら本編丸ごと成立しなくなるからね?

私の言っている「本筋」は晴風クラスのみんながブルーマーメイドとしての意識を育んでいく部分なので、

実弾だとか、生徒だけで航海だとかは別に気にならないんだ。

実弾使わせているのは本編に緊張感もたせるためだろうし、そこらへんは物語のための舞台装置部分だから根拠求めないね。


>それ言い出したらそもそも視聴者は『大まかなあらすじ』じゃなくて映像作品全体をアニメとして鑑賞してるの

さっきの一文は私が感情的になりすぎていたような気がする。あなた恣意的に見ているという批判撤回するよ。

一応私も映像作品全体としてはいふりを見ているつもりなんだ。

ただ、私が『おおまかなあらすじ』と呼ばれる部分を過大評価するタイプ人間であることは、自分でも自覚している。

全体として一本筋のある話の流れを見つけると、それに対して他の人よりも大きな心地よさを覚える人間なんだ。


>気にならなかったとする人たちは映像作品としてアニメを鑑賞したとき提示されてるもの摂取して理解する意欲もしくは能力が低いんじゃないかと思う

これはそうかもしれないね。


>俺はあんたがはいふり本編すら見ずに断片的な情報だけで釣りをしてるんじゃないかとすら疑ってるよ

これは残念ながら証明のしようがない。だが、あらすじ部分にこだわる理由は上で書いた通りだ。



書いていて気づいたんだが、確かに「あらすじ」だけでここまで作品を好きになってしまうのはいささか不自然な気がする。

私的な話になるが、私ははいふりという作品をわけあって7話から視聴したんだ。当然その時は全体のあらすじなんて分かるわけがない。

しかし、それまで同じく7話ぐらいまで見ていた同クール作品すべてより面白く感じた。7話だけでだ!

そこからずぶずぶ作品にはまっていった。12話見た後に「これはこういうあらすじの作品だったのだ!」と理解したが、それ以前にすでにはいふりが好きだった。

これは非常に貴重な情報だ!思い出させてくれてありがとう

すこし自分の中で掘り下げてみる。

2016-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20161019195903

>こいつは私もおかしいと思った。だが、本筋に関係ない設定部分なので特に興味がわかなかった。

いやいやいやいや本筋に大いに関係ある部分だからね?ここのおかしさ・設定破綻是正されちゃったら本編丸ごと成立しなくなるからね?

 

 

>そもそも全話通して表現していることを「一部だけを抜粋したあらすじ」と表現するのは恣意的に思う。

それ言い出したらそもそも視聴者は『大まかなあらすじ』じゃなくて映像作品全体をアニメとして鑑賞してるの

あんたみたいに都合が悪い部分を見なかったことにしたりしてないの

 

 

 

>とりあえず主題に戻るけれど「WEB上でなぜはいふり駄作扱いされているか」という点に関しては、

>上記のような部分が気になる層がWEB上では多くいた、という意見なのかな。

きわめてぶっちゃけた言い方をすると、

気にならなかったとする人たちは映像作品としてアニメを鑑賞したとき提示されてるもの摂取して理解する意欲もしくは能力が低いんじゃないかと思う

というか、気を悪くしたら悪いんだが、

俺はあんたがはいふり本編すら見ずに断片的な情報だけで釣りをしてるんじゃないかとすら疑ってるよ

やたらと実際に流れてたアニメ本編をそぎ落としたあらすじにこだわるし、作品中の情報への触れ方が不自然すぎる

おかしかったとする主張は実際のアニメベースでされてるのに、どうしてそう『あらすじ』にこだわるんだ?

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.スレタイトルだとかの「三大○○」とかで、なぜ2つは決めるのに最後の1つは他人に委ねるのですか。

思いつかないから、という説を推す人もいるが、残念ながらそれは違う。

麻婆豆腐の素にまつわる逸話を知っているか

あれは、もととも味付け調味料としてではなく、豆腐も含めたインスタント食品として作られる予定だった。

だが、豆腐を崩さずに入れる技術が当時なかったんだ。

そこで、「豆腐は家庭で入れてもらおう」と開き直って世に出したんだ。

そうした苦肉の策は、ある意味英断だった。

これは家庭に一手間を強いるものであったが、その「一手間」こそが好意的に受け入れられたんだ。

いってしまえば「料理をした気になれる」ということだ。

楽はしたいけれど、完全に手抜きだと思われたくない、そんな家庭の調理人のプライド合致したわけだ。

その「三大○○」だとかも同じ心理が働いているといえる。

「楽をしたい」という真理は、いわば「ちょっと位は労力を割きたい」の裏返しでもあるということさ。

その点、私は自分最初から最後まで調理をし、しかもそれを平らげる人間から過保護すぎるよなあ。

Q.最近、感度ポルノを筆頭に様々なポルノが生まれています。そこで質問なんですが、最近話題になった絵とか映像作品とかは何ポルノなのでしょうか。

ポルノだ。

君みたいに他のポルノが馴染みになってしまってド忘れする人間もたまにいるが、本来はそういう表現などを指すものからな。

感動ポルノ質問がきた際にも触れたが、ああいうので使われる「ポルノ」は「まるでポルノのように何らかの欲求を誘発させる要素がある」といった意味合いだ。

しかしたら、誰かにとって性的興奮を誘発させている代物かもしれないが、感動ポルノの「ポルノ」は基本的には揶揄的な意味合い本来意味では使われていない。

というわけで、君が指しているそういう代物はそのままポルノ呼称して構わないと思うぞ。

気になるなら、ポルノグラフィでもいいが、ティがついてややこしくなる可能性もあるから気をつけたまえ。

ああ、だがそういうポルノ的な表現の是非を語りたがる人間が多い場合は、その場を「ポルノポルノ」とかって言ってもいいかもしれないな。

それにしても、本当に多義的ポルノが増えたな。

この調子なら、「増田ポルノ」とかい言葉概念が浸透する日も、そう遠くないんじゃないかな。

その皆無と是非の判断は君たちでやればいい。

2016-10-02

君の名は。MV的って言われて怒る人

よくいるけど、MVとかMV的って言われると貶められた気分になるのかな?

どうしてだろう。

宇多田元旦那紀里谷和明MV出身で、キャシャーンで笑い者にされたからかな?

からMV映画より格下と思ってる人が多いのかな?

でも、別にMV的」とか言う人がいても、貶してるとは限らないだろう。

事実として映画の印象的なシーンで同じバンド新曲が4曲も流れるんだからしかアニメの動きと曲はピッタリ連動する。

監督はできた曲を聞いて、作品をいろいろいじったとも聞くし、曲主体映像作品MV的なアニメと十分言えるし、むしろ褒め言葉だろう。

しろ近年、ドラマ仕立てのMVが量産されてYouTubeを通じてどんどん若い子に視聴されている。

若者映画よりもMV視聴時間のほうが高いんじゃないか

からこそMV的に作られた『君の名は。』が大受けして何度視聴しても飽きない、リピーター大勢出現したんだろう。

これからどんどん同じタイプMVアニメ映画をつくるべきだよ。

日本コンテンツは、超長連載の漫画や、最低でも1クール仕立てのアニメばかりで映画は弱かった。

これらの長い物語映画化しようとすると、どうしても端折る部分が大きくなり、説明不足になりファンは納得しなかった。

でも、『君の名は。』の場合、端折ってるストーリーはたくさんあるが、そこを全てRADWIMPSの歌に合わせてダイジェストで流すことに成功した。

歌と音楽で観客への説明不足を圧倒して、なんとなく理解したつもりになって次の場面に行くことができる。

歌と音楽で圧倒するといえばミュージカルだが、ミュージカル日本人ディズニー映画しか受け付けない。

けどMV映画なら受け付けられるのだ。

2016-09-22

ジョン・ケージ4分33秒の次

音楽が音を鳴らすのを止めるところまで行きついたように音楽はすでに死んでる。白紙絵画小説があるのか知らないがそんなのやったら芸術死ぬ現代音楽が果敢に音楽未来を切り開いて音楽を死に追いやったところから音楽を取り戻せたのは皮肉にも大衆音楽のおかげだった。と言っても旬のアイドルスター映像作品との抱合せ延命してるに過ぎない。クラシックのような昔の作品に完全にかなわないのは自明だしもちろん4分33秒の次はない。

2016-09-19

映画 君はゴジラの聲

みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想

君の名は。

良いところ

・くっついた

新海誠は、恋愛映画最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。

・人以外の絵が綺麗

彗星とか。ご神体盆地の外縁から景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。

悪いところ

・隣の席のカップルおっさんの方

上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。

・手の動き

金麦の生まれ変わりが板書してるところ超キモい

主題歌

前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議

シン・ゴジラ

良いところ

行政機関の内部描写

実態に即しているか不明だがリアリティを感じた。各人物無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートあんまりにも面白かったので、特別事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存作品を教えて欲しい。

自分東京在住

各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。

ゴジラが怖い

今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程作品リアリティレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。

悪いところ

石原さとみ

石原さとみ別に悪くない。通勤中東メトロ看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。

聲の形

良いところ

OP

冒頭は石田カレンダーカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田島田島田じゃないやつの関係性をモンタージュ表現しながら右から左ジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。

・永束

一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使

・結絃

みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス

・取捨選択

この映画石田主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者恋愛ジャンル標榜していないが、映画さらにその手の描写オミットしている。例えば植野石田に対する感情原作と変わりないのだが露骨表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマフォーカスすることに成功していると思う。恋愛コミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態しか過ぎないので。石田西宮の行動についても、原作では読者が意図解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプ映画川井描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。

悪いところ

・鯉

パンを食べさせ過ぎて怒られそう。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907201321

まず、レタッチしてるだけではない

そして模倣レタッチはぜんぜん違う

次に、ラッセン批判されてるのは作品じゃなくて作品の売り方

最後に、新海誠は絵を売っていない。絵を使った映像作品を売っている

認識が浅い

2016-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20160830213842

同じオタク作品だとしても

シン・ゴジラ特撮オタク

君の名→アニメオタク

でまるで畑が違うし、

 

シン・ゴジラ→実写、原作ゴジラシリーズ

君の名→アニメ原作オリジナル

映像作品としての種類も立ち位置もまるで違う。

 

合ってるところは同じく邦画ってことくらい。

この対立論を書きまくって投下しまくってる馬鹿プロファイルをすると

 

1.これで対立煽りが成立すると思ってるブコメ乞食

2.新海の本物のキチガイファン

3.新海のキチガイファンのフリをしたシン・ゴジラ背中に乗ってCMをしたい新海ファン

のどれかのタイプに該当すると思う。

2016-08-28

君の名は。を見てはいけない人達がいる事に気が付いたのだ+追記

シンゴジラみておもれーと思ってて

その予告で 君の名は。を見て

興味がでたので本日、本編を見てきました。

結果は満足。

人に勧めていいレベルだった。

ツッコミどころは確かにあるけど、それを差し置いても

頑張れ、頑張れって気持ちになりました。

映画を見終わった後に評価が知りたいと思い

検索かけてたんですが、おおむね高評価

ただ、注目されている(役に立った)感想熱量高いのに、低評価という不思議にぶち当たりました

【低評価URLネタばれあり。鑑賞後に読みましょう】

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82/355058/review/?page=1&results=10&cinema_id=355058&theater_id=&sort=mrf

http://anond.hatelabo.jp/20160827142040

評価理由かいつまんでみる限り

リアリティがない」

という意見が多いと思いました。

シンゴジラ感想を読んでるときも出くわした

リアリティがない」問題

ゴジラ存在する?しない?レベルリアリティ感はどうでもいいとして

〇×の時は普通ならこうする。

□△の時にそう判断するのは異常・・・etc

正論です。言われてみたら、そりゃそうですよね。って話なんですが

どうもこの、リアリティないセンサーが発達してる人が一定数いて

そういった人達は、リアリティないセンサーに反応が出てしまうと

急激に映像作品がつまんなく見えてしまうように感じ取れました。

リアリティ問題は根が深いなと感じてて

映画漫画漫画アニメほとんどはフィクションですので

フィクションをどうリアリティ溢れる作品にするかは

重要問題になります

まりリアリティを突き詰めると

現実世界日常と同じ話になってしまい、つまらない作品になってしまます

リアリティをぶん投げてしまうと

デタラメすぎて見てる側はなんじゃこりゃ?ってなります

なので、リアリティバランスを上手くとって

気づかれないように見る人全員を、上手に騙すんですが、騙されない人達もいる。

騙された側は素直に騙されて、よかったよかったと言うので問題ないんですが

騙されなかった人達

「みんな騙されるな!言うほど面白くないぞ!目を覚ませ!これはリアリティがないぞ!!」

って言ってしまうんですよね。

騙されなかった人達作品批判をしてしまますが、これは悪い事では全くないです。

グラスに発泡酒を入れて、ビールですって言って、騙しとるような悪い輩に対して

「みんな騙されるな!飲んでも旨くないぞ!目を覚ませ!これはビールじゃないぞ!!」

って言える人は英雄ですし、極めて自然な反応です。

騙されなかった人達は、いろんな意味正論・正解なんだとは思います

ただ、「楽しめなかった」という意味では可哀想に見えてしまうんですよね。

90%の人達発泡酒で楽しく酔って騒いで楽しんでるのに

10%の人達ビールではないと気づき、楽しめない。

騙されなかった人たちは、楽しめなくても、「これは傑作でもない、ただの駄作だし、騙されなくてよかったよかった。」っていうんですが

果たしてそれで良かったのだろうか。。。

そんなわけで、リアリティに気づけてしまうような人生経験豊富な人たちはズバリ

君の名は。を見てはいけません。



~余談~

ところで。私はビールは苦くて飲めないんですが

巷の人達はそりゃ美味しそうにグビグビ飲んでいます

若い頃はあんな苦いものよく飲めるなとか、味覚がおかしくなってるんじゃないかと思いました。

それでも、ビール飲める人達は、ビールは神が作った物だとか、これ以上美味しいものはない、とか断言するんですね。

これはもう理論的に考えて、ビール飲める人達は味覚バカしかいないと内心思っていたんです。

このビール飲める人達批判する感じ。作品批判する感じと似てると思いました。

そんな、私はいビール飲める人達をどう見てるかというと

「めちゃくちゃ旨そうに飲んでて羨ましい・・・。」この一言に尽きます


<追記+白状>

見てはいけないと書きましたが、もっとみんなで、おおいに楽しみましょう。

文章を書いてはみたものの、上手にまとめられなかったので、他人様の言葉を借りて、後はみなさんにお任せします。

・優は考えすぎなんだ。ただの酒だよ。酒は飲むモンさ。

・難しいこと考えずにさァ。いつも通りお酒を楽しみなよ。

シン・ゴジラ見て、面白くなかった奴、納得いかなかった奴、気に入らなかった奴、面白かったけど正直そこまで…って奴。

 大丈夫だよ。てめえらの感性はちっとも間違ってねえよ。自信を持て。自分の感じた気持ちに胸を張れ。あんな奴らに負けてんじゃねえ。

・私は好きにした。君たちも好きにしろ

・「更に多くの楽しみを選べる」。これってとっても素敵だと思わない?

・みんなで幸せになろうよ


さて、オクトーバーフェストもやってます

http://www.oktober-fest.jp/

http://find-travel.jp/article/16389

 

 

  

  

  

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