はてなキーワード: 商標登録とは
http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301
鋼兵さんとKUNさんのやり取り(今までの経緯知ってる人用)
鋼兵氏、KUN氏の動画の通報示唆【鋼兵×KUNの今までの経緯知ってる人用】
鋼兵さんがKUNさんの生放送にコメントした証拠を自分で手に入れる方法
http://anond.hatelabo.jp/20151114122143
http://j-net21.smrj.go.jp/well/law/column/1_14.html
http://j-net21.smrj.go.jp/well/law/column/2_12.html
http://j-net21.smrj.go.jp/well/law/column/3_8.html
名誉棄損罪は人間に対して社会が与える評価を害されることによって成立する。
ただし刑法230条2項により、
問題の発言が事実である証明があった場合は名誉棄損は成立しない。
ハンドルネームに対する社会的評価・経済的価値は、具体的な本人特定の可否で異なる。
具体的な本人特定ができる場合は、名誉棄損には異論は発生しずらいが、
なぜなら、ネットの世界で社会的評価が低下した場合であっても、
また「プロバイダが調べれば特定できる」というようなレベルでは特定のうちには入らない。
以上の事から、網浜が現実世界での社会的評価を害されたと主張しない限り、
http://j-net21.smrj.go.jp/well/law/column/2_21.html
http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime2.html
他人の著名な商品等の表示と同一・類似のものを、自己の商品等の表示として使用等する事は著名表示冒用行為(不正競争防止法2条1項2号)となる。
もしハンドルネームと顔文字が「著名な商品」として認められた場合、
さらにKUNが網浜に事前にハンドルネームの使用の許諾を得た事が無効と認められれば成立すると思われる。
おそらく、ハンドルネームと顔文字が商標登録されているかどうかが分かれ目。
ハンドルネームと顔文字が著作物として認められる場合は、著作者人格権が行使できる。
そうなった場合、同一性保持権により後から許諾を取り消すことができ、
著作権侵害を訴えることができるようになる。
そのため、ハンドルネームと顔文字が著作物として認められるかが分かれ目。
網浜が法的手段に出るとすれば、ハンドルネームの商標権をめぐる動画への申し立てになると思われる。
網浜側は現実世界での社会的評価の損失と商標・著作権の侵害の証拠をかき集め、
KUN側は網浜のネット上に留めた反撃を狙うのが得策と思われる。
現在、網浜側はKUN側への反撃にノリノリであり、KUN側は網浜を攻撃する理由が生まれたので今まで以上の活動を期待できる。
しかし、法的措置により裁判沙汰になった場合、流れが失速し、網浜が情報戦で有利になる可能性もある。
そのため、今後は持久戦となるだろう。
深津氏の http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ とそのブコメを読んで問題が混乱してるのを感じたので書く。
ただし自分も法律の専門家ではないので,これを読んだ法律家の人がちゃんとした記事を書いてくれたらありがたく思う。
それぞれ保護の目的や保護される範囲,侵害の判定基準が異なる。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
著作権 | 創作物全般 | 創作物の公正な利用→文化の発展 | 類似性&依拠性 | 自然発生 |
商標権 | 商標(ロゴ,マーク,社名/ブランド名等) | ブランドの信用維持→産業発展及び消費者保護 | 類似性 | 登録 |
意匠権 | 製品デザイン | 意匠の創作の奨励→産業発展 | 類似性 | 登録 |
商標権と意匠権は割と似てるが,違いは商標権が商標を一つ登録するだけで(特定産業分野の)あらゆる製品についてその商標が保護されるのに対し,意匠権は製品の意匠(デザイン)が保護対象なので,製品ごとに登録が必要な点。自動車を例にとると,自動車会社のエンブレム=商標を一つ登録すると車種に関係なく保護されるが,意匠は車種ごとに登録が必要になる(自分で書いててあまりいい例じゃないと思ったが,他に思いつかないのでこのまま進める)。つまり今回のエンブレムのようなものは,意匠権での保護は難しく商標権での保護が一般的ということになる。あと商標権は登録者だけじゃなくそれを見てモノを買う人=消費者の保護も重要な目的だが,意匠権は専ら登録者の保護が目的。
1. 原案の提出
ここで問題になったのは「商標権」であり「著作権」ではない。従って侵害の有無は類似性のみに基づいて判断される。コンセプトとかは一切関係なく,見た目が似てたらアウト。但し保護目的の大きなウェイトを「消費者が誤認しないこと」が占めるので,誤認しない程度の類似なら許容される。
3. 一次修正案の提出
6. 最終版の公表
7. 最終版がベルギーのリエージュ劇場のデザイナーから著作権侵害として使用停止を求められる
ここで問題になったのは「著作権」。著作権の侵害は,類似性と依拠性(被侵害著作物を知っていて,それを真似した)の両方が立証されて初めて成立する。従って元の著作物を知らずに作ったものがたまたま似てしまった場合は,著作権侵害にはならない。佐野氏が pinterest の会員だったかどうかが問題になるのも,この「依拠性」の証明に関係してくるから。但し単に会員だったというだけでは依拠性の証明としては全く不十分。佐野氏が(一次修正案以前に)リエージュ劇場のロゴを見ていたという蓋然性が高いことを示す証拠(例えば pinterest のログ等)が必要。
他方,深津氏は「依拠していない」ことの証明として「コンセプトが違う」ことを挙げているが,これも現時点では証拠としては弱すぎる。証拠というよりは傍証レベル。まずその「コンセプト」なるものがすべて頭の中で考えられたものでしかない。つまりリエージュ劇場のロゴを見たあとでも,言い訳としてそのようなコンセプトを考えることは極論今からでもできる。「いや,このコンセプトでずっと考えてたんですよ」ということを示す物証(ラフスケッチや素案,メモ等)が出てくれば多少マシだが,それでも「見ていない」証拠としては弱い。ただこの場合挙証責任は基本的に訴えた側のドビ氏にあるので,よっぽどマズい法廷戦術をとって挙証責任を押し付けられない限り,佐野氏側は「依拠していない」ことを証明する必要はない。
ちなみにもしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたとしたら,商標権での争い,すなわち類似性のみでの争いになるため,「専門家であるデザイナー」諸氏がどれだけ「コンセプトが違うから違う」と言っても一笑に付されていたはず。もっともそうなる前に商標調査で引っかかった可能性は高いし,また類似性のみの判断になるとしても消費者が誤認するレベルかというと正直微妙だとは思う。
以上に書いたことを冒頭に挙げた深津氏の記事,特に「まとめ」の直前に掲げられている5項目と読み比べてみるとわかると思うが,2番目の「コンセプト」の話以外はだいたい同じ。2番目の「コンセプト」の話も「コンセプトが違う」ことを以て「(著作権侵害で問題になる)依拠性はない」という主張を補強する傍証としているだけで,デザイナーの専門性とかは本質ではない。
つまり,深津氏は「法律的には問題ない(はず)」と言っているだけなので,だったら「この問題の専門家はデザイナーじゃなくて法律家じゃね?」と考える次第である。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
特許権 | 自然法則を利用したアイディア | 発明の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
実用新案権 | 自然法則を利用した物体の形状や構造に関するアイディア | 考案の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
特許は機能を実現する方法や装置などの技術的手段のアイディアを保護するもの。実用新案も,特許をラスボスとした時の中ボスみたいな位置付けだと思うので,意味的には特許と変わらない。いずれも機能とは無関係な表現としてのデザインの保護とは全く異なるので,そもそも特許制度と比較してどうこうというのは筋違いだと思う。
スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。
つまり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。
ロゴに関しては、専門家の説明と素人の感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。
ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。
一番簡単なのは、諦めることだ。
店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitterに写真を載せた。
「それ、セブンイレブンのパクリでしょ?」「べつやくれいが恐竜に塗ってたのパクった?」
続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。
ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」
みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。
最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。
相手の意見を肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。
ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。
「パクリ」と「似てる」には明確に差があって、
「パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。
「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。
「パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。
これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権の悪魔の証明みたいになる。
そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。
「この事実があるんだから、この権利があるものと推定する」という方法。
プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)
先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。
この場合、特許庁に登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。
プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。
ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。
人間の屑であってもクレバーな人間は多いし、サイコパスだからこそ社会的に成功するなんて論文もある。
冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。
「格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。
「情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。
こういう場合、特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)
例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)
こういう時は、弁理士か弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。
こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合のリスクの報告もしてもらえる。
そして、法律上の問題点をクリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。
なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。
「格式」や「情緒」しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。
(仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)
まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。
個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金で責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。
そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。
「パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。
特に、発言の多様性で意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するときの基本方針になる。
これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。
この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。
たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。
途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。
「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。
「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、
「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。
その為、深津氏の説明は、
という流れで、以下の結論に持って行ってる
反論しようとすると、法律の問題か感情の問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。
(オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体のパクリになるし)
(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士や弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成)
仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応は粛々としますと切り返せ。
仕事でネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。
「情緒」の解消は、基本的に当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。
(法律面は粛々と対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ)
……上記は、難癖対応であって、弁護士が代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。
まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー
今回の件もエンブレムだけの事に限れば、
オリンピックエンブレムを使うに当たって障害になるような部分に
パテント・トロールなんていう輩だらけだしな。
今回の件で、○△□の簡単なデザインとかを
既にそういうのが在るのかもしれないけど。
オリンピックのエンブレムでケチが着くような物を使うのはどうかと思うし、
もうちょっと早くなんとかしとけば誰もここまで傷付かずに済んだのにな、
という感じだが。
(まあ、佐野事務所に関しては明らかに膿が沢山あるのでそういう悪が
出てきた事は良いことだと思うが。)
ロゴ問題って根本的な部分を盗用問題にすり替えて誤魔化してる気がする。
ロゴ問題で最初に美術館から抗議があった時のワイドショーなりの解説を思い出してほしいのだけど、ロゴが似ているとオリンピック開催中そのロゴは使えなくなる。っていう解説があったと思うんだけど、覚えてる? 以前オリンピックの時に開催地と同じ店名だったかで開催中店舗名に白紙を貼って対応したとか、そういったエピソードなども紹介していたと思う。
美術館からの抗議の主題それは困るから変えてくれって事だと思うのだけど、主催は何故かこのまま行くって決めちゃったわけで……。
ロゴ作者の様々な失態のせいで話がロゴは盗用かって話になってるけどさ、そもそも似ているものが沢山ありそうなデザインを選んではいけないのではないの?
ロゴは有名なデザイナーの模倣で、その作品もよくある手法を利用しているってことらしいのだけど、それはつまり同じように模倣している人がいるかもしれないって事なわけで、選考も作る方もプロであるなら、そこに思い至らないわけがない。その上、商標登録を調べたら初期案と似た構図があったわけでしょう? どうしてこのデザインで行くことになったのか理解できない。
無理やり決めたと考えるなら、なんらかの背景があったのではと邪推の一つも入れたくなってしまう。ロゴ問題の話をデザイン畑の人が記事を上げる度に、やっぱり何かあるのかなぁと思ってしまうのは仕方ないよね。
深津さんのエントリ(http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)は、基本的には佐野氏と委員会の説明をなぞったもので、デザイナーでなくても彼らの説明で「なるほど劇場ロゴのパクりではないのか」と納得した人は少なくないと思っていたので、この内容に対して「なるほどわかりやすい!」と関心している人が多いことに逆に驚いている。
これを読んでも納得いかない人がいるのは、おそらくデザイナーが「似ていない」という言葉を使って反論しているところに理由があるのではないか。万人に納得してもらう説明としては、「似ているが、パクリではない」が正しい。
あのエントリでも書かれているとおり、デザインは装飾ではなく最適解を求める設計なので、限られたパターンであれば結果が似てくることは珍しくない。
ゆえに、色々やった結果が「似てしまう」ことも「悪」とはされないが、同じ見た目のものが氾濫すると混乱を招く(それこそ社会におけるデザインの目的と反する)ので、商標などのルールによってお互いの利益を損なわない形で解決しましょう、というのが現代社会におけるお約束になっている。
だからこそ、海賊版など意図的にこのルールを侵し、混乱させ、利益を得ようとする「パクリ」行為は「悪」なのだ。
委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場のロゴが商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である。事実、佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在のエンブレムも「似ている」ことを理由に委員会からNGとされていただろう。
当初、デザイナーがこぞって「パクリではない」と佐野氏を擁護した理由は、そういうことだ。エンブレム最終案があのデザインになった課程について、十分納得のいく説明はなされているし、最初から擁護していた人達はそのデザインの良し悪しは別として、コンセプトも含めてなんとなくでも理解していたはずだ。
その上で、なお疑義が残るとすれば、意匠=見た目の問題において「初期案を作るときに“T”の右下に●を置くアイデアはチヒョルト展からいただいちゃったんじゃないの?」という点だろうか。「9分割のモジュールでアルファベットを表現する」というアイデアは、言ってしまえばそれほどオリジナリティが高いものではないが、「鼓動のパワー」を表現するという「●」が「T」の右下にあるのはこのエンブレムのオリジナリティの一つだといえよう。それが佐野氏が過去に見た展覧会のメインビジュアルに由来するのでは? という疑問が生じたわけだ。だからデザイナーの矜持として、原案とチヒョルト展のポスターの類似の話が出たタイミングで、当初は佐野氏擁護だったデザイナーの中から批判に転じる人が出たというのも、おかしな話ではない。「(身内として)擁護しきれなくなった」のではなく「初期案のコンセプトの正統性に疑問を感じた」のだ。だが、これも「疑惑」にすぎず剽窃の「事実」は認められていないので、真実は闇の中である。
個人的には、佐野氏のエンブレム以外の仕事を見ても、面白いものはあるが独創性に欠けるという感想を抱かざるを得ない。日本の広告やエンターテイメントの世界においてよく見かける、海外で売れているが日本にはまだ入ってきていないものを「いただいちゃう」ようなやり方にどっぷり浸かりすぎてるんじゃないの? と思わないでもない。
もちろん、サンプリングや本歌取りという手法がクリエイティブを発展させることは確かだし、オマージュやパロディによって発揮される作家性は存在するので、そういった行為を否定するものではない。だが、それらの手法は「コンテクスト(文脈)」に乗った上で初めて効果があるものである。サントリーのトートバックのイラストの件などはコンテクストも何もなく「いただいちゃった」案件そのもので、悪質である。(パンの写真やメガネの写真を無断で素材使用したのはまた別の問題だ。)佐野氏の事務所のクリエイティブに、こういった姿勢が垣間見えることで、オリンピックという大舞台のデザインワークを担うのにふさわしいデザイナーであるかどうかを問われてしまうのは仕方がないことだろう。
とはいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。
ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判をセンセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民のリテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。
まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブの問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます。
この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から、有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見・文句・罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者」視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます。
まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます。
JOCや組織委員会の要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状である事から、人間の認知作用的に受け入れやすい要素を持っています。キャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。
次にマイナス評価として上げられるのが、過去の文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ・長野・シドニー・北京・バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈はオリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティを担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈が必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。
上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。
正直、分かりません。情報も錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報か判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体や動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件もデザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから。
これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品は商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品が過去の作品に類似していた場合、過去の作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています。日本も批准しています。
次に、デザインの機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品の制作指針をまとめますが、これを「ビジュアル・アイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。
件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます。言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真で撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場のロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真が印刷された情報が、リエージュ劇場の情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります。
あまり一般には知られていないと思いますが、デザインの価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています。
内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。
「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。
東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京・千代田区) http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124
これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業、チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます。
この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルのデザインを制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会が提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。
オリンピックという世界規模のイベントのロゴですから、世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分の作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。
以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当なデザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
その後、大会組織委員会が佐野さんの案を商標登録するために、世界中の商標を確認。永井さんは「(原案と)似たようなものがほかにあったようだ。そのため佐野さんの案は、元のイメージを崩さない範囲でパーツを一部動かすなど、組織委の依頼で何度か微修正された」とした上で、「最初の案は(類似性が指摘されている)ベルギーの劇場ロゴとは似ていなかった。盗作ではない」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASH8T5VXCH8TPLZU005.html
原案段階で似たような意匠がすでに商標登録されてて、それを回避しようと微調整したら商標登録されてない劇場ロゴに似てしまった、と。
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
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ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
ちなみに私は佐野さんとは全く関わりがないし、デザイナーでもない。
前者に関して、たぶん明確な要件などなくて、そこをクリアに明文化するだけでも正直相当骨がおれる作業だと思うのでパス。誰か書いてくれ。
後者に関して、基本的にこういうほとんど金のでない仕事は自分のためにやるものだ。
「作品として」というのは、デザインの歴史に対する作業だ、ということだ。
今現在の視点から歴史を丁寧に編んで、なんらかの判断を加えたものを形にしたのが作品だ。
なのでデザインの歴史を知らないやつが文句を言っても意味がないし、
未だ言語化されていない違和感を感覚して指摘する訓練を積んでいないやつが文句を言っても意味がない。
グラフィックデザインとしてのポテンシャルや位置づけに関する議論は審査委員会である程度尽くされているはずだ。
一般的に、プロは素人が考えるようなことは大抵全部考えてきてるので、おとなしくプロに任せよう。
長くなったのでこの上に書いてあることを要約すると、この件に関して素人の趣味判断には価値がない。
あれは当たり屋みたいなものなので、気にするだけで無駄な気がする。
これはアートディレクターとしては監督不行き届きでアウトだけど、今回のロゴとは全く無関係の話。
だいたいデザイナーが外から素材をパクったかどうかなんて(誰が考えたって当然ダメなので)アートディレクターは確認しないし、暇じゃないんだから現実的にできないだろう。
実作業してたデザイナーをNDA結んでクビにして、再発しないように仕事環境改善するしかない気がする。
なんか文句言っている人多いけど、正直ないと回らないと思う。
別に日本の特殊な制度というわけではなく、効率的なので一般的に取られる分業体制の一つ。
これも無関係。
事務所の対応が企業として不味すぎただけで、別にエンブレムとは関係ない。
これは余談だけど、国の仕事の報酬は指名される人クラスの標準的な報酬からすると大概ゴミみたいな額で、基本的には受けた側はだいたい損してやっている。
そして国から指名されるような人たちは文句言ってるやつらの社会サービスのために税金を大量に払っている側だ。
ちなみに今回の公募に関して「評価」が報酬だというかもしれないが、応募資格は世の99%のデザイナーがパスできないものなので、応募できる人はすでにめちゃくちゃ評価されている。
国民の税金を使っているから、俺たちにも文句言う権利があるみたいなやつは1円やるから黙れ。
数日前、ホームセンターに行ったら「お盆玉の用意はお済みですか? お孫さんの里帰りに備えて」などと書かれたPOPと共に
ポチ袋が売られてた。
年始にあげるお年玉同様、盆休みに孫や親戚の子どもにあげる小遣いのこと。発祥は江戸時代の山形県の一部地域と言われ、
夏に奉公人に衣類や下駄などを渡す風習が、昭和初期に子どもに小遣いをあげるように変化したと言われているが、
『お盆玉』という名称は山梨県に本社のあるマルアイという、紙製品や包装用品の製造販売をする会社が作った造語
お正月休みにお年玉をあげるように、お盆休みにも孫や親戚の子などにお小遣いや心付けをあげるという新習慣のため、
夏の風物詩をデザインしたお盆玉用のポチ袋をマルアイという会社が2010年より販売
だそうな。
爺婆の孫かわいさを盾にしたようでイヤらしい。
でも一旦流行ってしまえば「他所の子は貰ってるのにウチだけあげないわけには…」とか
「あげなかったり金額少なかったりした所為で、帰省しなくなり孫の顔が見られなくなるよりは」
とかなっちゃうんだろうなあ。
・偶然似てしまうことはよくあること(特に佐野氏のようなシンプルでボールドなデザインは似てしまいがち)
・世界中のロゴマークを確認するなんて無理(何千万ものロゴマークがある中で、商標登録すらされていないロゴを確認しろというのは無理過ぎる)
・桜の招致ロゴの方が良かったという意見があるけど、あのロゴは造形のレベルが低い(学生のデザインだからしょうがない部分はあるけど、明らかに国際的な基準に達していない)
等々思うことはたくさんある。
でも、多くの人とっては今や真実なんてどうでもよくて、気持よくオリンピックに関することを叩けるということだけが
大切なんだと思うよ。悔しいけど、日本の文化レベルでは「所詮デザインなんて」としか思われていない。
私は1期生です。
当時彼が主催していた自己啓発プロジェクトirスクールというものに登録していたところ
この新しいプロジェクトの案内が届き、当時は金がたくさんあったのでダメ元で申し込みました。
その時は22万円でした。今19.5万らしいので値引きされてますね。
広告の内容を見る限りそれほど大幅に変更されていないコンテンツをそのまま使われているようなので
参考になればと思ってその時の経験をシェアさせていただきます。
最近は教材に金をかける業者が多い中、手抜き…いや徹底的な合理主義ですね。
基本的に文字ばっかりでした。デカデカと赤字がとても目立って目にやさしくない感じでした。
講義内容は神王さん自身が直接講義を行っているビデオが20本くらい。
私は1期生だったのでビデオは最初数本しかなく、その後徐々に追加されていくという方式でした。
彼は妙に甲高い声で、トーンが均一なので途中で眠くなるのが難点でした。
講義の内容ですが、
「自分にあった常勝システムを築く」というテーマで語られており
企業のファンダ分析などの詳細は殆どなかったと記憶しています。
最終的には「大型株のみをターゲットとしたシステムトレード」の話であることが判明します。
なので、バリュー投資やグロース投資を目指してる人には全く役に立たないと思います。
これはほんとに重要なことなので、ちゃんと商材ページに明記して欲しいです。
以下はシステムトレードあるいはテクニカル重視のトレードを目指してる人だけ読んでください。
Part2は市販のテクニカル指南本に書いてあるレベル以上の内容はほとんどなかったと思います。
2~3冊本を読んでいただけの私からしてもわかってることをだらだらと語られているだけに感じました。
Part1は投資の落とし穴について語ってくれる部分があります。
これはまだ株式投資をやったことがない人であれば聴く価値はあると思う。
もっとも、話を聞いたところで実際に損しないとわかりにくいものだとは思いますが。
Part3ですが、申し訳ないけれど全く記憶に残っていません。
天才投資家のシステムをパクれ!みたいな話で私はここが聞きたいためにこのプログラムを始めたのですが
期待していたものとは違い、あまり具体的な話はあまりなかったような気がします。
ですが、もしかしたらとてもすごい話をしていたかもしれないので、この機会に聞き直してみてもいいかもしれない。
印象に残っているのはしきりに「トータル・プラス」をめざせみたいなことを言っていたことです。
きいてるこちらとしては、当たり前じゃないかと思ったのですが、多分私はあまり良い生徒ではなかったのだと思います。
元を取るためなのかこの言葉が好きすぎるのかわかりませんがもうほんとに繰り返し強調してました。
「神王リョウが今まで投資を勉強するために読んできた本のリスト」というPDFがおくられてきました。
これは素直にありがたいと思いました。
そしてさらにその中でも厳選したリストをプラス5万円であなたにだけ送ります、というメッセージが添えられており、
私はその時は神王さんの信者だったので喜んでそれにも課金しました。
今から考えると普通に知名度の高い本なので、わざわざ5万円払う必要なかったのですが、
そこまでして手に入れたリストなので図書館で借りて必死に読みました。
http://ir-car.com/t_cr2/index.html
おそらく内容は私が受講した時からほとんど変わっていないように思います。
サポート内容ですが、特典1には全く期待しないほうが良いです。宣伝主体です。
特典2ですが、これも個別銘柄などの相談には一切乗ってもらえないので余り役に立ちません。
特典3と4ですが、これはアリだと思います。
もっとも2006年当時と違って今は投資に詳しい人のアカウントたくさんありますので
特典5ですが、すごく当たり前のことしか書いていません。
たしかに重要ですが、読めば力がつくとうたぐいのものではありません。
力がある人が読めばなるほど納得、というたぐいのものです。
特典6と7は私の時にはなかったのでなんとも言えません。
ただ、特典6はそこそこ期待できると思います。
基礎的な話を高い値段で売りつける情報商材系は、
逆に言えば基礎的なところは必要以上にものすごく丁寧にしっかり説明してくれる傾向が強いからです。
ただし、本編講義でもめちゃくちゃ詳しく入門者向けの話をしているのでかぶっている可能性は大です。
特典7ですが今までの経験上対談CDが役に立った経験などありませんので私は否定的にとらえています。
特典8ですが、これは良いと思います。私の時はこの仕組がありませんでした。
それどころか、1年たったら再入学する権利をやろう的なメールが来ました。もちろん更新しませんでしたが。
そこから下のものは私の時にもあったような気がしますが全く興味なかったのでスルーしました。
神王さんと握手した写真とか取りたいひとはやればいいと思います。
長々と書いてしまいましたが、
中身を全部知った今の状態で価格つけるならいくら?と言われると難しいです。
マイナスを避けられるだけでもかなり大きな価値はあるからです。
このプロジェクトの内容は基礎的な話が多く、
よほど大きな資金が無い限り大儲けできるようなものではないと感じていますが、
逆に言えば、初心者が大損をしにくいシステムを取り入れることができます。
なので、ある程度資金力があって、でもずぶの素人で勉強もあまりしたくないという人にはおすすめしてもいいかもしれません。
ただ、真面目に本を読んで勉強出来る人には、特別な話はそれほどなかったのでおすすめはしません。
私は残念ながらシステムトレードが性に合わなかったので、
でも、テクニカルの考え方については少しだけ今でも役に立っていますし
おすすめ本リストを読んで勉強したことは役に立っていると思っています。
ただ、私に合わなかったのが少し残念。私のようなミスマッチが起きないよう、
せめてバリュー投資なのかテクニカルなのかグロースなのか、そういう話くらいはしっかり表に出して欲しいところです。
あまり知られていない、神王リョウ(神リッチプロジェクト)の投資戦略とは?
神王リョウ氏の投資戦略は、短期トレードであり、出来高分析とファンダメンタルズ分析を基本としているようです。
と書いてあるので、私の記憶は正しくないのかもしれません。でもファンダ分析の話なんかあったかな。
アフィサイトがどぎついですね。これアフィリエイトで1件売れるだけでそれ以上のアフィ報酬が入るってことですよね。そりゃそうか。元手ほとんどかからないのに1件あたり20万以上で売れるんだもんな。こういう高額な商材はグーグル・アドセンスに向いてるので人によってはひたすらこればっかり表示されることになりますしね。
最近、秋葉原界隈の企業や店舗に、以下のような文書が出回っている。
さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル「秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。
平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社「株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である「世界の秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。
しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。
つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。
当社は、現在、上記ビルの建替工事を実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます。
まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。
一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社「株式会社秋葉原ラジオ会館」から出された正式な通達だ。
この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社が存在し、今年の頭までは本家が分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。
今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。
文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初の高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。
詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ「秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在が必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会い、GHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビル「ラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである。
ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館の歴史を語る上で重要なアイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。
そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ・無線、パーソナルコンピューター、アニメ・フィギュアの興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原を象徴する必須の存在となっている。
しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家「株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本のポップカルチャーが世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャーの聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原を象徴する存在である「ラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。
そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。
当初、「第三者」は別の目的で本家にアプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館のテナントに対し、ビルの老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。
さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルのテナントに対する退去要請である。ビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキルが必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。
しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。
東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。
そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。
実は「第三者」は過去、アニメやマンガ、フィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュアや書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者が最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆どの人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。
話を元に戻そう。ある時から「第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。
ひとつのきっかけは、ある有名企業の代表が冗談で発した言葉にもあった。
「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」
そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。
そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫。
「第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館のブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。
東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月、分家である株式会社ラジオ会館が設立された。
初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネスを成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どのメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。
株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館のテナントを中心にしたECモール「ラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。
さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算の殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。
「第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館だから秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家の逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算、ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。
秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係の人間に補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原の店舗やオタクへの悪口のみならず、ラジオ会館のテナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。
そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモール「ラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。
何故、今年の1月に契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンとニュースサイトは商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。
そうした状況を踏まえ、本家は7月20日の新生ラジオ会館のグランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。
通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?
以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。
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知財関連なのでと経緯をいろいろと読んでたら法律関連が微妙に混乱してるように見えた。
気になったので、ちょっと突っ込んで調べてまとめてみた。
まず第1に、ゲームの「ルール」それ自体には著作権は及びません。
「ルール」はゲームの根幹を成すものではあるが、「著作権」は「表現」を守るものであって、「アイデア」を守るものではないからです。
ゲームの「ルール」と言うのは「アイデア」の部類に属すため、著作権法の対象外なんですね。
したがって、「遊び方を盗んだ」だけなら、少なくとも著作権では守れません。
では守る方法は無いのか?ですが。
「アイデア」を守るには、「特許権」「実用新案」などがありますが、
と言う事で、ゲームにはどちらもなじみません。
まぁ、これら二つとも基本的に産業振興のためのものであって娯楽は想定外ですから、この時点で登録の対象外になりますが。
と言う事で、事実上「ゲームのルール(遊び方)」と言うものには権利が無いんですね。
しかし、ゲームのルール「ブック」。つまり「遊び方の説明書」と言うのは「ルール(アイデア)の表現物」となり、これは著作権の対象となります。
そこで今回の状況をチェックしてみたのですが
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 東方版シャドウハンターズに、池田氏が困惑
説明書について、なんだか怪しそうです。
他のところも情報収集してると、一応、カードについてはそれっぽい変更を加えていたそうですが、それも微妙なようです。(URL失念。あゆ屋のブログ記事の消去されたものだったかな?)
と言う事で、どーもこの辺りで著作権法の二十七条翻訳権、翻案権等、を踏んづけているように見受けられます。
とはいえ、本格的にチェックするには実物で見てみないとなんともいえません。
そこまでやる気は無いのでルールについてはこれくらいで。
ところで、電源不用ゲームと言うのは、ルールだけで終りと言うものばかりではありません。
汝は人狼なりや?のように、ルールだけでも十分成り立つものもあります(カードでペルソナを決めるなどはフレーバーであって、ゲームルールの本質では無い)。鬼ごっこ、かくれんぼなども、ルールだけで成り立つものでしょう。
これとは別に、ルールが道具を使うことを前提としたものも大量にあります。トランプのゲーム各種のように。お手玉、あやとりなどもそうですね。他、福笑い、カルタ、人生ゲーム、囲碁、将棋 etc...ドイツボドゲを並べても面白そうだが、際限ないのでやらない。
今回のシャドウハンターズもそのように、いくつものカードやコマを用います。
そこで、問題となったものを見てみると
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 『シャドウハンターズ』 東方版
ボードのデザインがオリジナルとほぼ同じなんですね。手直しが若干入っている程度。
ボードのデザインと言うのは、言うまでも無く「表現物」です。よって、著作権法の対象となります。
そして、権利管理者が「アウト」をTwitterで明確に示した時点で、「完全にアウト」なんですね。
権利者が再販のために動いているたと言う話や、デザイナーと権利関係についてまとめるのに2年かかってるなども含めると、今回の行為を怒るのももっともかと。
以上のように、ゲームのルール(遊び方)それ自体は法律による権利としての保護対象にはなりません。
したがって、シャドウハンターズを「参考に」オリジナルでボード、カード、ルールブックを再構築した場合は、オリジナルゲームとして販売可能だったわけです。
ゲーム製作者は腑に落ちないでしょうが、これが法律の解釈になると考えられます。
実際に、ついこの前の釣りゲーの法廷でも、「創作表現(著作権が発生する)」であるのか、或いは「ルールの普遍的表現(著作権が発生しない)」であるかで争われています。「ルールについてのよくある表現である(表現ではあるが創作ではない)」と言う考え方な分けで、「ルール」が似てることが問題じゃないんですね。
そして今回はルールの問題よりも、ボードの表現がコピー改変なので、こちらで完全にアウトです。
ゲームに使用する表現物のコピーと言う意味では、任天堂花札をベースにキャラクターを入れ替えていたタイバニ花札騒動なんかが最近の参考になりますかね。
てな所で。
サーチ中に意匠「権」を想定して語ってる方が。しかしゲームのボードなどには「意匠権」を及ぼすことはおそらく無理です。
デザインの意味で「意匠」の単語を用いることは(知財関連を語る上では紛らわしいですが)間違いとはいえません。
しかし、特許権、実用新案権と同じく、意匠「権」となると、産業利用であることと、登録主義であるため、このような娯楽の場合、権利は無いと考えておくのが妥当かと。
今回はおそらく意匠登録は行われていないと思われますので、意匠権は発生していないかと。(理由修正)
著作権は「無方式主義」であるため、表現された物があれば自動発生します。
商標権は「既知の商標」と言う概念があるため、未登録でも認められる「場合があります」。Perl を第三者が勝手に登録したが無効化した!なんかが、最近あった例ですかね。コナミ登録商標問題はすでに過去かな。逆に認められなかったのが「東方Project」商標登録問題です。
と言う事で、特許権、実用新案権、意匠権の性格は、著作権、商標権とは若干違うので、法律として語る場合は注意しましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20120906191656
突っ込み受けました。
ボードや駒でも意匠登録すれば権利受けられるよー……という事で、打ち消し入れました。
バリューとか言いだしちゃってますけど、そもそも喪女は商標登録されてないスラングなのは了解してますよね。
スラングを流通に乗せる際に「喪女」=「もてない女」から「ぼくのかんがえたもてない女」にジャンプして「喪女」と名札付ければ叩かれるに以下略。
…実は登録されてたらどうしよう。鬱陶しさ倍だわ。
読者はあれを「喪女」として了解したり消費したりしておらず、
原作者もあれが「喪女」ではないこと、むしろ「俺」であることを明言しています。
(もし読者がアレを「喪女」として了解し消費していたら
大炎上から売上ガタ落ちに至ってないだけで、元増田記事で火はついてるじゃないですか。
たぶん局所的な小火で終わるのであなたみたいに火力でお祭り騒ぎを測るタイプの人は「何だ結局何もできないんじゃんw」で終わりでガッカリするかもしれませんが、喪男に喪女かぶせて消費するという態度が気に入らない層は「あ、そういうことだったのか」と納得が得られるので無駄ってことはないですね。
それと、前述したように喪女はスラングなので読者はそもそも喪女なるものを完全に了解してこの作品に取り掛かることはないです。というか、完全に了解して取り掛った読者から今まさに炎上してるので。
作者が明言しているのもインタビューにおいてですよね。普通インタビューって作品を読んだ後で興味をひかれた層が読むものなので、事前了解とはとても言えません。
喪女を了解していない読者の心理としてはあなたの指摘と逆で、この作品を読むことである種の「喪女」像を把握したと錯覚する可能性はなきにしもあらずです。それを前提に「喪女」という言葉であれこれ言われるのは喪女側に非常な不快を誘うのは必然です。
ある漫画に無茶苦茶な根拠で言いがかりをつける人に反論しています。
あなたが主張してきた
私が主張してんのは「喪女が」であり、「~したらこうなりそう」であるという事は再三言ってますが都合よくスルーですかそうですか。
何と戦ってるんだかよくわかりませんがそれは私ではないのでとばっちりはやめて下さい。
何の根拠も示さずに特定の作品やクラスタについて
「だからこういう悪いこと考えるに違いない」
「うむ!こういう被害がありそうだ!」
…とか言い出すのは、
その対象に対しては明白な誹謗中傷ですし、
「あいつら」って誰ですか。「これこれこういうことをした人がいたら」というのは特定の個人の誹謗中傷とは言えないです。
「~に違いない」なんて書いてないです。どこにも。何だったら引用して下さい。
他人の業務に係る商品又は役務を表示するものとして日本国内又は外国における需要者の間に広く認識されている商標と同一又は類似の商標であつて、不正の目的(不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的をいう。以下同じ。)をもつて使用をするもの(前各号に掲げるものを除く。)
これをいわゆる他人の周知、著名な商標を盗用し、不正の目的をもって使用するものと推認し、
① 一以上の外国において周知、著名な商標と同一又は極めて類似するものであること
② その周知、著名商標が造語よりなるものであるか若しくは構成上顕著な特徴を有するものであること。
http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/syouhyoubin/42_119_02.pdf
2.本号具体的運用
(2)ただし、「不正の目的」の有無の認定は内心の事項であり、
外部に現れた客観的事項から判断する必要があるが、
その場合には、上記(1)各項の資料がなくても、
次の各要件を満たす場合には、そのような商標登録出願に係わる商標は、
「不正の目的」をもって使用をするものと推認し、本号を適用することとする。
① 一以上の外国において周知な商標と同一又は極めて類似するものであること。
② その周知商標が造語よりなるものであるか若しくは構成上顕著な特徴を有するものであること。
http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/syouhyoubin/42_119_03.pdf
あしたの箱:商4条1項19号の「不正の目的」はどうやって立証するのか?
Dona Benta | Receitas, Farinhas, Bolos e Pães
●平成18(行ケ)10301審決取消請求事件 商標 「Dona Benta」 - 特許実務日記
平成18年 (行ケ) 10301号 審決取消請求事件|特許判例データベース
無効の審決|無効2005-89018 - 商標審決データベース
外国のみで周知である商標に類似する商標 - 知財判決 徒然日誌
日本であまり知られていないけど外国で有名な商標 - 名古屋の商標亭
http://www.jp-ta.jp/pdf/meeting/002/DonaBentaup.pdf
http://take-ip.com/cases/TM-H18-Gke-10301.pdf
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070524120815.pdf
審決取消訴訟段階での商標分割 ANTHROPOLOGIE事件について
●平成21(行ケ)10210 審決取消請求事件 商標権「ANTHROPOLOGIE」 - 特許実務日記
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091203101623.pdf
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091203101215.pdf
商標について|経済産業省 特許庁 Japan Patent Office
商標審査便覧:42.25 商標法第4条第1項第19号に関する審査について
http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/syouhyoubin/47_101_06.pdf
http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pdf/syouhyou_kijun/28_4-1-19.pdf