まず「安全」と「絶対安全」は違うということを理解して下さい。
後者は間違いなく誤りです。事故が起こらない乗り物なんてあり得ない。しかし前者は正しいと言えるでしょう。乗客死亡事故皆無という実績がそれを物語っている。
では、以下はどうでしょう。
程度の差はあれ、間違いではありませんね。どちらも大事故が起こることは承知の上。確かに飛行機に乗るのを毛嫌いする人はいますけど「個人の趣味」程度に割り切られてますね。
これは一概に言えません。何を基準として比較するかです。それによって正しいとも誤りとも言えるでしょう。
さて、そこでこれです。
これが自動車や飛行機の話と本質的に違うのかどうかよく考えてみてください。個人的には本質的な違いがあるように思えません。実際、
この主張を肯定する根拠を挙げることはできます。勿論否定することも可能でしょう。しかしどちらにしたところで価値判断の問題が関わってくる話であるということは言えますね。
つまり、原子力関係者が宣伝として「原子力は安全だ」と主張すること自体を非難することはできません。一面の真実ではあるからです。宣伝とはそういうものです。
以上を念頭に置いて、個別の事例を検討してみましょう。
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁
技術的な主張として読む限り、実はこれは誤りではありません。実際、福島第二発電所、女川発電所、東海第二発電所および福島第一発電所5・6号機がそれを証明しています。福島第一発電所1-4号機で「停止した原子炉の冷却」ができなかった理由は、やるべきことをやっていなかったからです。具体的には「非常用所内電源」を安全な場所に設置していなかったからです。つまり原子力技術ではなくそれを管理する人間の側に問題があったということです。
そういう意味でたとえばJR福知山線の事故と同じようなもんです。あれはダイヤの無理とかATSの不設置とか、経営側の安全軽視に問題があったわけで、鉄道自体に技術的に問題があるわけではありませんよね。
正しいとも誤りとも言える根拠を私は持ち合わせていません。専門家でもなければ判断できないと思います。
ご丁寧にポスターを書くために「ヒント」を記したページがある。
http://www.jaero.or.jp/poster10/pc/hint.php
このヒントのなかに、「地球に優しい原子力発電」と堂々と記してあるのだから、子どもたちは素直に、その通りに書いているわけだ。
趣味のよいことだとは思いません。しかし、子供にプロパガンダポスターを描かせるということは残念ながら日本では社会的に許容されているようです。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/fin02/1111000009.html
http://www.pref.nagasaki.jp/kokuho/kenko/tabako/poster.html
この辺を同時に批判するというのであれば、私もあなたに賛同します。
国費を使って原子力の安全性をアピールしてきたんだよ。探せばウジャウジャ出てくるよ。
以上の通り、それの何が悪いのかさっぱりわかりません。消費税だって禁煙だって国費を使ってアピールされています。それは悪いことなのでしょうか。国が国民に政策の周知と協力を求めることは度が過ぎなければ当然のことです。まして、その内容を批判する権利は抑圧されているわけでもなんでもありません。
上の通り「安全です」ということに問題はないし、そんなこというのならこれはどうですか?
しょうもないイチャモンはやめましょう。批判するならもっと本質的な部分を批判しましょう。そして批判できる点は東電や保安院の対応を見ていればいくらでも見つかるはずです。
繰り返しますが今回の事故は「安全」性を自ら損なった経営陣や監督官庁に責任の圧倒的大部分があります。技術的なことがわからなくてもこういう人たちを批判することは可能なはずです。それをやることこそが一般市民の役割ではないですか?
無理してキャラ変えなくても・・・
巻(章)の最終ページからの通常遷移(メージめくりで飛ぶ場所)は次巻(次章)の最初のページだとサクサク読めて嬉しい。
最終ページからの通常遷移が巻(章)の並んでる目次ページの場合がたまにあってそれだとすぐに続けて読めないし、
「あれ?次は何巻(何章)だったっけ?どこまで読んだっけ?」と(章も多いとスクロールして下の方を探さなきゃいけなかったりして)ちょっとイラっとする。
『七月七日展 ― 衣服造形/コンセプチュアル・クローズ』を見た。
眞田岳彦氏の弟子(?)の作品が中心らしい。
それほど期待しないで行ったのだけど、なかなか良かった。
宮園夕加さんの、ボタンとボタンホールの距離を天の川に見立てて、
伝説では、天の川の橋渡しをするのはカササギの役目なんだそうだ。
テーマの「針仕事」と「七夕」が無理なく融合されてて、それを一番うまく表現してる作品だったと思う。
単純に、見た目がかわいいのも良い。
今回のベスト!
奥村絵美さんの作品も良かった。これも一見してとてもかわいい。
人間を一本の「まち針」として捉えるというコンセプト。
粘土と針でつくられたたくさんの小さな人間が、それぞれに環境を仮止めしている。
「針を自分自身の比喩とする、っていうアイディアはありだな」って私自身展示を見る前に
考えていたのだけど、縫い物をやらない私にはそこで「まち針」という発想は出なかった。
でも言われてみれば納得、でした。
仮止めされる「環境」の部分を何かもっと表現できそうかも、とも思ったけど。
良かったとストレートに言えるタイプの作品ではないけど、好きだ。「コンセプチュアル」。
糸が縫い付けられている。タイトルは『誰でもない肖像』。
写真の上から縫う技法は、有名な清川あさみさんを思い出させる。
けど、写真の女性が制作者の針仕事によって「誰でもなく」されてしまうことには一体
どういう意味があるのか。あるいは針仕事で加工される前から、彼女は誰でもないのか。
…写真に写る私は、そこに縫い付けられている限りでの人間であって、無限のあり方を
可能的にもつ自由な実存としての私ではない、だから「誰でもない」…?
制作者はこの展示のチラシで、針仕事について、「私たちの存在を露にし、生き生きとさせる」と書いてる。
こんなことを言われると、私としては、ハイデガーの技術論を持ち出して、その中に「針仕事」の
ポジティブな位置づけを探して色々言いたくなってしまうけど、結局のところ、その言葉と、
制作者自身の作品との関連はよく見えない。
う~ん。
…写真に写っているのは過去の私である。それは過去のその時点に縫い付けられている限りでの
私であって、現在の私とは異なっているし、通時的な無限定の私とも異なっている。だから、
過去において確かにそれは私だったが、いまや「誰でもない」…?
あと2つくらい気になる作品はあったけど、作者名も作品名も覚えてないので割愛。
帰りにブリジストン美術館に寄ろうと思ったら展示替え中で休館だった。
(エス)
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7月7日展 -針仕事に願いをこめた37名のデザイン&アート小作品展-
会期 7月4日(月)~7月9日(土) 10.:30~18:30(最終日のみ17:00まで)
入場無料
TEL 03-3281-0320 FAX 03-3281-0366
出展作家:
大江よう 今村滋男 藤谷さやか 末延晋太郎 久保田玲奈 関美来 飯田亜希子 土井直也
永井俊平 山口真代 宮田明日鹿 山中周子 宮園夕加 佐藤綾 松田かや 三上司 加藤ゆき子
桑田麻弓 後藤有紀 奥村絵美 平尾菜美 アーヴィン=ヒバ=アリ 小平由実 西村洵子 平井幸恵
盧暎雅 島田彩子 池田のぞみ 山本佳那 長鶴司 林凡乃 大八木富士奈
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Sanada Studio Inc. (サナダスタジオ)-眞田岳彦のデザイン事務所
京橋「千疋屋ギャラリー」で「七月七日展」を観る。 - マスヒロ食時記
ものごころつくかつかないかの頃にチェルノブイリ事故があった。恐ろしい事故だという話は聞いていた。何千人、何万人、ともかく想像もつかない数の人が命を落としたと聞いた。
俺は当時高校生だったが、そんな話は聞いたことないぞ。お前の記憶違いか、当時の短絡による勘違いか、本当にそう聞かされたとしたら周りがおかしいのだろう。
そもそも「絶対安全」を喧伝されてきた、とか言われてるけど、そんな覚えなんて全然ないんだよね。
理系ならば「絶対」はありえないというのが常識だから、すべてをその色眼鏡で見る。しかし普通のおっちゃんやおばちゃんたちは「事故が起こるということはないんですね」と質問して「ありません」と言われたら、それを「絶対安全」と解釈する。それが「普通」なんだ。
それと、「喧伝」の実例な。
http://amano.blog.so-net.ne.jp/2011-07-08
原発の安全性をアピールするものの中からほんの一部を選びました。
……
これを「絶対安全」と読み変えることへの異議を唱えてみても、神学論争になるだけだからやめておけ。認識されるべき現実は、これが「絶対安全」と解釈される、ということだ。そこからスタートしなければならない。
以上、元増田が皮肉を意図していることは最初に読んだときにわかったが、知り合いが元増田の文章を間に受けて「自分も反原発派にだまされていた」と鼻息を荒くしていたので、一応、マジレスしておく。元増田、気を悪くしないでほしい。
ある人の振舞いが警戒されるのは当然
土日だからめずらしく外出したようだ。
等という文句を見かけたが、そんな「ゲハはネタですよ~」みたいな保険はもう必要ないし無意味。
ネタとかそういうレベルを超えてるんだ、ゲハ戦争の影響ってのは。
各ゲームメーカーだって全く気にしていないかといえばそうではない。
更に言えば無視できる程の小さなコミュニティでもない。
そうか?遠くから眺めても戦争は戦争だぞ?全く影響受けない人なんているわけないだろう。
存在自体が迷惑。もっと言うとゲハ的思想が迷惑。
その文面から繋げるなら、「頭に来て」というよりは「目が覚めて」が適切じゃないのか
もちろん種はあっただろうけど大きく育つような環境だったってこと
海パンの裏には並行した三つのつながりを持った俺達には考えられない程美しい縞模様のそばに小さく光るインクの染みの下の方から匂ってくるデザートの残りものの一部分の値段を考えるオジサンの頭
藤沢氏がこういう女性観を持ってしまったのは、学生時代彼女ができなかったんで、社会人になったら、もてようと思って外資に入社したものの合コンでは社名すら知らない女ばかりで全然相手にされず、かといって社内にも魅力的な女性はおらず、キャバクラ嬢とソープ嬢にしか相手にされないような性生活を送ってるからじゃないかという気がする
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/50776202.html
実にいいことなんじゃねww
女が男に合わすのが時代遅れかどうかって話なら、自分が選んだ相手だったら全然問題ないと思うよ、時代がいつだろうとそんなことは関係あるか。男だって女に合わせたりするだろう頼むから趣味の別サイトとか探さないで下さいあと感想とか言わないで同好の士で男性ならともかくそのポジション辛い…っ。
みたいなこともあるっていうかあったけど、好きなゲームとかに興味持ってくれたとかなら普通に嬉しいなぁ。
多分これ旦那も妹さんも微オタクだよね(相手が異性とはいえこのつんのめり方から見て、脳構造がオタクとしか思えない)、オタク同士だとわりとありがちありがち。
サバゲーなら行きたい。
↑過去実例