アホかと馬鹿にしていたが、昔の茶人とか、野原や河原、しまいにゃ戦場や山のてっぺんで茶会を開いてたんだよな。
敷物もって、釜もって、茶筅、茶杓をもって、紙コップや軽量プラスチックのカップなんてなかったから、落としたら割る重たい茶碗を持ってさ。
火をおこしてお湯を沸かして、お茶を飲む。
カレー作ったりバーベキューするならとにかく、お茶だけのためにその労力わけわかんねぇ。
と思ったんだが、山でお茶を淹れて飲んだら美味かった。
急須持ってってお湯沸かして飲んだら最高。
山まで出かける必要もない。
深夜の歩道橋でお茶を沸かして、ミルで豆を挽き、ドリップしてみたら、もう飲む前に香りだけでやばかったね。
いつものコーヒーがまるで酒のように気分を高揚させた、住宅街の窓の明かりが、世界遺産かなにかのように思えてならなかった。
西の空が赤く染まり、東の空から一つ二つと星が輝き出す様子をみていると、地球って素晴らしいと思うことさえできた。
野点とかいう野外の茶会って、大名だってはまったんだから、貧しい者にとっても富める者にとっても、単身者にとっても独身者にとっても、気持ちいいことなんだろう。
コーヒーでもお茶でもいいんだけど、お湯を沸かしてカフェインチャージするだけで、人は簡単に幸せを実感できる。
閉店間際のスーパーで、半額の寿司と発泡酒を買って、公園で食べるのもなかなかのもんだ。
就職できないからとか、リストラされたからとか、モテないからとか、そんなことで悩む必要はない。
涼しくなっていい季節だ。
リュックにヤカンとコンロを詰め込んで、ドアを開けて外に出よう。
・先輩に後輩をつけること(マニュアルや指導方法があるわけではない)をOJTという
のような会社は潰れる。っていうか潰れろ。
例えば、会社で上司が部下(新人)を叱って「最近はゆとりが多い」って嘆くけど、それ間違いな。
昔の会社っていうのは、部下の尻拭いは上司の責任だったから部下の信任厚い上司ってのが割と多くいたもんだ
今は会社の人件コストカットや終身雇用制廃止など諸々の理由から上司の質が落ちたせいで部下の尻拭いをしないのが増えてる。
あとになっていや悪かったとか誤解だったとかかりに言われても
かといって、頑張って不満を(精一杯ていねいな言葉で気を使いつつ)伝えて
なんもならんかった時の消耗感は異常
その繰り返しで人は疲弊していく
あと、素人目には政府債務を積み上げて社会保障を維持しているように見えるし、こんなの持続できるわけないだろっていう意見のほうが説得力あるように思う。
一蓮托生ってのがあってな
昔学生運動の時に裏切りにあったことがあってそれ以来結束力を重視して能力とかは二の次って事になったんだよ。その癖提唱した奴はうんこばっか。
むしろ、小説とかじゃなく、実用書とか読むときにコスパ考えるならまだわかるかな。
小説とか漫画とか趣味(エンタメ)のためなのにコスパ考えるほうがわからん。
話変わるけど、作家とかの話になったとき「○○が好き」っていいにくいわ。
自分の読んでない作品とか知らない情報とか出されたときに答えられなかったら責められそうで。実際にはそんなことないんだろうけど、ネットに毒されてしまってる。
「○○がうまくいかないのはお前達のこういう努力が足りないからだ」とか「こういう努力をすれば○○の苦労は軽減できる」とか、それ啓蒙じゃないからね。
そして1払えば2もらえるという信頼がもうないんだよ。1払って1もらえれば上出来だと思われている
根拠もなくそう思い込む人にはもう、かけて意味ある言葉はないんじゃないかな。あるいは、金勘定だけでは損得が判断できず、保険としての機能や外部性の影響も考慮しないとならないことなどを一から教える?そこまで親切な暇人いないでしょ。
あの人たちにとっては、問題はすべて共有してすべて関心を持ちすべて運動に賛成すべき!
なんだよね
真面目でわるかないんだけどさ・・・
正直うざい
いや、だから、「社会保障のレベル下げてよ」ってのは「社会保障そのものを否定」してるわけじゃないでしょ。むしろ社会保障が必要だからこその主張
そして1払えば2もらえるという信頼がもうないんだよ。1払って1もらえれば上出来だと思われている
その程度のことはすでに議論されているだろうし、定量的な分析も探せばあるのではないかと思う。
まあ、
1)社会保障の費用を一定のままで、現状の問題点に即して重み付けを変えることで、全体の効用を高める
2)ともかく社会保障全体への割り当てを高める
俺は損得論が良筋とは思えないけどな。
無理だろ。社会保障をやるにはそれ相応の社会インフラが必要になる。原始社会や動物の間にそんなインフラはない。リソースが厳しいのは現代も同じだしさ。
原始社会では蛇口をひねるのではなく遠くの水飲み場にまで行っている。もし蛇口をひねるのが「楽に確実に水を手に入れる手段」であるなら、
近代社会なんかではなくもっとも生存競争の厳しい原始社会や動物の間で蛇口をひねるのが盛んになっていたはずだ、とか言ってるようなもの。
水道というインフラがないから蛇口をひねるのが盛んにならなかっただけで、インフラのある現在では蛇口をひねるのが「楽に確実に水を手に入れる手段」。
昔は昔でオタは散々同じようなことを延々やっててその印象のまま問題をいきなり突きつけられた結果その後の排斥に繋がったたんだけどね
>「この作家は人気が出て、値段が高い割に本が薄くなった」とか「白すぎ」とか
そいつら変
本の薄さじゃなく問題は内容の薄さだろ
それはたまに食べる凝った前菜みたいなもので、主食はボリューム重視って人も多いと思うよ
今だってライトノベル板なんか見ると「この作家は人気が出て、値段が高い割に本が薄くなった」とか「白すぎ」とか、値段の割にボリュームがない事を嘆いてる声はよく見かける
この書き方は卑怯だな。
正確には
「それが嫌で自分で備えを行おうとすると、帰ってきたお金の何倍もの額が必要になる人も発生する。」
だろ。
低所得者ほど社会保障のコスト・ベネフィットは高いから、社会保障費がきつくて生活がもうやっていけないとか言う層は間違いなく「帰ってきたお金の何倍もの額が必要になる人」に該当する。
というか、外部性の塊みたいな分野だから、自分で備えた方が得になる人なんてほとんどいない。よほどの高所得者で備えが不必要な人たちくらいだ。
「少子高齢化が進んでいるのに経済成長を前提とした社会保障システムは本当に大丈夫なの? 際限なく負担が増えていくんじゃないの?」という疑問には全く答えていないよね。
少子高齢化が進んでも、ある程度以降は高齢世代数/勤労世代数は頭打ちになって、その後は減っていく。際限なく負担が増えていくことなんてあり得ない。
そして、社会保障が多くの人にとって得なのは高齢世代数/勤労世代数がピークになる頃も含めてだ。
今までは1払えば10もらえていた(現金が、というだけではなく保険機能なども含めて)のが、最近では3しかもらえなくなっており、将来はそれが2まで減りそうだ、ということ。
上の世代が羨ましい・ズルいという批判はもっともでその差を縮小するような政策(年金マクロスライドをデフレでも適用するなど)を希望するのはいいが、社会保障そのものを否定しては上の世代も自分も損するだけ。
結局、答え方は変わらない。