はてなキーワード: 不利益とは
COVID-19について,ロックダウンを求める声が大きい.一方で,感染拡大を放置した方がマシだ,という主張もある.増田でも議論がなされているが(anond:20200402212148),私は,感染拡大を放置することを支持する.
放置戦略は,一時的な医療崩壊と大量死を招くだろうが,少なくとも一定期間後には多くの人が免疫を獲得することにより通常の社会活動を営めるようになることが保証されている.
ロックダウン戦略は,今この時点での医療崩壊と大量死を抑制することはできるが,ワクチンの開発に失敗した場合,あるいは開発に時間がかかった場合,社会がゆっくりと壊死していくという危険を孕んでいる.
放置戦略は,個々人の命を賭け金にして博打を打っているように見える.だが実際には,社会を賭け金に博打を打っているのはロックダウン戦略の方なのだ.
少なくとも放置戦略であれば,社会がそう遠くない未来に再稼働することは確実である.けれどロックダウンしてしまえば,再稼働できるかどうかはひとえにワクチンの出来次第ということになる.もしもロックダウンを緩めたら,再び感染は拡大する.真綿で首を絞めているようなものだ.
放置戦略は博打ではない.COVID-19はエボラ出血熱と違い,多めに見積もったとしても致死率が1割にも達しない感染症である.人口数万程度の島嶼国であればともかく,人口100万人以上の国がCOVID-19で滅ぶことは絶対にありえない.上の増田で言及されているdeztecjpさんは何度も,スペイン風邪で滅びた国はないと指摘している.今こそ私たちは100年前の教訓を学ぶべきだろう.
もしも私がマーシャル諸島やミクロネシア連邦の国民なら国家崩壊に繋がりかねない放置戦略よりもロックダウン戦略を支持するかもしれないが,私は日本国民なので,放置戦略を支持する.なぜなら日本の人口サイズや経済規模を考えると,この程度の疫病で国が傾くことはあっても崩壊したり滅亡したりすることはまずありえないと確信するからだ.
生命は大切であり,その価値に貴賤はない.COVID-19で死のうが交通事故で死のうが経済が崩壊して生活苦のあまり自殺しようが流通が破綻して餓死しようが,等しくひとつの死である.なぜ我々はCOVID-19による死だけを避けなければならないのだろうか? COVID-19での死を避けようとして,他の原因での死を増やすのは本末転倒だろう.
感染症対策は,それによって救われる生命が損なわれる生命を越える場合に限って行われるべきだ.天然痘の撲滅は多くの生命を救い,日本における日本住血吸虫症の根絶は大勢の人の健康を守った.しかし本当に重要なことは,それらの病気との闘いによる利益は,闘いによる不利益および闘わないことによる利益を,常に大きく上回っていたということだ.
今回のCOVID-19との闘いによる不利益は,闘わずに白旗を揚げた場合の不利益を大きく上回っているように私には思われる.
感染症との闘いを目的にしてはならない.それは社会の幸福を増加させるための手段に過ぎない.感染症対策が何も対策しなかった場合と比べて社会により多くの不幸をもたらすのであれば,それはやらない方がマシということだ.
個人が,自分の命を賭け金にした博打に参加したくないことはよく理解できる.私も肺炎になって苦しむのは嫌だ.だが長期的には私たちはこの病気と共存するほかなく,ロックダウンは共存を遅らせるだけだ.
私たちは真珠湾を攻撃するべきではなかった.さっさとアメリカと講和を結んで西太平洋におけるアメリカの弟分としての地位に甘んじていた方がよほど幸福だったのは,わが国の戦後史が証明している.今声高にロックダウンを求めるのは,もっと南洋に兵を送れと主張するようなものだ.短期的にはアメリカ軍を圧倒できるかもしれない.だが最終的には,多くの人が不必要に餓えに苦しみながら死んでいくだけになるだろう.
手洗いの励行や咳エチケットの普及といった対策は低コストであり,社会に及ぼす負の影響が小さいので賛成する.COVID-19対策を何もしなくてよいとは思わない.ただ,合理的な範囲でのみ行うべきだというだけだ.
私の業種だとロックダウンは死活問題.ロックダウンが続けば自分は経済的にも精神的にも死ぬから,放置戦略で生き残る方に賭ける方が合理的.
このままの戦略を採れば100%訪れる未来の死よりも,いま1割の死を引くかもしれないロシアンルーレットをやった方が遥かにマシなのは当然でしょーが.
仮に重症化して呼吸困難で死んだとしても,ロックダウンが続いて絶望の果てに首をくくるのと同じ結果になるだけ.どちらにしても最悪の結果になるなら,私は9割の生存可能性に賭けてロシアンルーレットやることを選ぶね.
“今回のCOVID-19との闘いによる不利益は,闘わずに白旗を揚げた場合の不利益を大きく上回っているように私には思われる.” / 政府による無策で経済困窮・混乱とそれ故の数万死が不可避、という前提がおかしくない?
つ 新型コロナに続き「世界的食料危機」の恐れ、国連とWTOが警告 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
加えて,そりゃ数ヶ月や1年の短期決戦なら保つかもしれないけど,長期戦になったら補償やら何やらが膨れ上がって詰むんじゃないの? 全員がテレワークできるわけでもないんだから膨大な失業者が出るだろうし,それを全部政府の責任で食わせられる期間はかなり短いよね.
短期決戦ならいけるけど長期戦になったら兵站が破綻するって,完全にいつか来た道じゃん.最初から戦争なんてするべきじゃないんだよ.無条件降伏しろ.
このままだと待っているのは陰鬱な戦時体制だ.それで勝てるのならともかく勝ちは保証されていない.だったら,多少の危険をおかしてでも確実な自由を掴み取るべきだろう.
私は「私は死なない」と思いこんでる超楽観主義なのでわり同じこと思ってるんだけどそうでない人を巻き込むつもりはないので放置作戦には乗っかれないんだよね。新コロが厄介なのは「動くと巻き込む」だから。
それを言ったら,ロックダウン作戦だってロックダウンしたくない人を否応なしに巻き込んでるので,お互い様なんじゃない?
ロックダウン派が勝てば私みたいな人間は自分の適職から追われ,外出して気を晴らすことすらままならず最終的には自分で綯った縄で窒息死することになるし,放置派が勝てば既往症のある人や運の悪かった人が呼吸困難で死ぬことになる.
問題は,私個人の生死というちっぽけな話じゃなく,ロックダウンを終わらせるあるいは緩められる目処っていつになったら立つの? ってことでしょう.そのときが来るまでに社会が窒息死しちゃったら意味がないわけで.1ヶ月や2ヶ月で確実にワクチンができるならロックダウン派に転向するけど,いつ完成するかわからんものに賭ける気にはなれないよねえ.
ずっと封鎖するわけでなく、感染拡大を防ぐために、一定のしきい値を超えて感染爆発の兆候が見えたエリアを、2週間程度封鎖するのが今回のロックダウンの定義だと思っていたけど、2週間ですら致命傷になるんだろか。
感染予防にあたる国立衛生研究所のブルザフェッロ所長は、記者会見し、「危機的な状況は脱した。感染者は減っていく」と述べ、先月10日から3週間以上続く外出制限の効果が出ているという見方を示しました。
1ヶ月ほどやってもまだ足りないんだってさ.感染爆発を放置していれば今頃は大勢の人が回復して免疫を得ることによって普通の暮らしが徐々に戻り始めていただろうに,まだ窮屈な暮らしを耐え忍ばないといけないらしい.勘弁してほしい.
最初から期限を切って「3週間だけロックダウン,そのかわりどんな事情があろうがロックダウンを延長しない」というなら協力しなくもないけど,なし崩し的に終わりが見えないロックダウンに突入させられるのだけはごめんだわ.イタリアの教訓を見習え.
決定的に行動してしまうと失敗や反発が発生することが判っている行為を、のらりくらりとやり過ごして、政治的不利を避ける。
日米安保も、外交摩擦も、自衛隊参戦も、沖縄基地問題も、憲法改正も、本当に本当の最後の一歩は踏み出さないまま、基本的にそうやってやり過ごしてきた。それで最終的に不利益を被ることもあったし、不利益を避けたこともあった。
住民票はなしにしてくれよ。
個人にせいよ‼️
親んとこに住民票あって
住まい失って、かつ帰れない奴はどうすんねん‼️
しかし、紹介はしない。
クビはきられてるのに(仕事がないのに)
きらない。
されかねない。
3カ月待たされる。
会社都合でも一カ月かかる。
なのに生活支援課は、緊急貸付を申し込むと
出さないようにする。
で。
何ヶ月後か??
不正?
なら
コロナで派遣社員が補償なしの自宅待機つらたんとか話題になってますけど、そもそも派遣契約が在宅勤務を想定してないから、派遣さんに不利益出ないように覚書整えたりインセンティブ決めたり貸与できるPC手配したり、いろいろ整備に手間も時間も社員よりかかるのご理解いただきたい(社員はLANもPCも私物利用だからサクサク在宅勤務できるのよ。在宅インセンティブもないし逆に出社したからって危険手当もない)。
弊社みたいに就業部署と契約取りまとめ部署が違う場合、スタッフさんは派遣元にねじ込んで欲しいのよね。就業部署で社員と派遣の扱い違うのなんとかしてくれって騒ぎ散らかしても、その部署の偉い人は契約のこととかわかってないから。今日、勝手に就業部署で「派遣さんも明日から在宅勤務していいよ」とか言い出しちゃって本当ムカついたしカッとなったし失望した。
どこに何を問い合わせたらいいのかくらい冷静に考えてよ。
あれは自分達が謂れのない事で不利益を受けていて、なのにその不利益を受けていない(様に見える)人が存在しているのが許せないって事なのかな?
それとも元々あった高齢者やパチンコなどに対する不満を、大義名分を得た気分になってぶつけてるって格好なんだろうか?
別に高齢者を家に閉じ込めたりパチンコ店を潰したりしても、新型コロナの蔓延が収まる訳でも、若者に外出を控えて貰わずに済む訳でもないと思うんだがなぁ。
コロナ騒動で外出を止めない若者へのバッシングがヒートアップしているが、本当にするべきはバッシングではなく丁重な「お願い」だろうと感じる。
若者もコロナに罹る可能性はあるんだから自粛するべきだというが、彼らが重症化する確率なんてせいぜい「車を運転したら交通事故にあった」くらいの確率だ。
若者が自粛するとしたら、その意味合いの内訳は自衛が1割、思いやりが9割といったところだろう。
にも関わらず、大人は若者に対して当然のように自粛を強要し、誠意や感謝を見せようともせず、あまつさえ自分たちの思い通りに動かなかった若者を攻撃する。
よくもまあここまで傲慢になり果てたものだと、自分も一人の大人として恥ずかしく思う。
本当に若者に自粛をしてほしいと望むのならば、頭を下げてお願いし、彼らが外出自粛に伴う不利益が最小限で済むように配慮するべきだ。
例えば、コンテンツ業界などは、外出自粛をしてくれている人々のために作品の無料公開などをしているが、あれは素晴らしいことであると思う。
ああいう風に、外出自粛という不利益を被ってくれている人のために何か自分のできることをしてあげようという態度は「外出自粛を求める世の中の一員」として本当にあるべき姿を示しているのではないか。
逆に、「お願い」の一つもできない大人が世の代表面をして会見などをしているようなら、若者はドンドン積極的に外に出てしまって良いだろう。
痴漢冤罪を容認できないのは、ごく一部の痴漢を罰するためなら、罪のない一般男性が不利益を被っても仕方ないって思ってるところなんだよな。
それどころか意図的に冤罪を仕掛けて示談金をだまし取ろうとする不逞の輩すら厳罰にするなという。被害女性が声を上げにくくなるからという理由で。
相変わらず□□□は傲慢ですねぇ……誰が、わざわざ「□□□を不快にする為」に発言するんですか?彼らは言うなれば小蝿やゴキブリみたいなもんです……不快害虫を不快にした所で意味なんて無いですよ。
アイツらは「けもフレ」というコンテンツの潔癖さを願う人間や、料理人商売人であるクリエイターには邪魔ですよ?ただ、実害としては鬱陶しいだけ。それを自分達こそ、さもファンの鑑だとかアンチに抗う戦士みたいな顔をするのは片腹痛いですわ。そんな集えば気持ち悪いものは、けもフレ自体に寄って欲しくない……ただそれだけの事です。
そういう事を理解できない……いえ理解したくないから「□□□」とか自称したり、「たつのぶ」だなんて仮想敵を作るんですよね?
でも残念。君達は本当に人気の核であった1期を遠巻きにしながら、なのに都合良く利用する時点で……客観的には、イナゴなんです。自分の力で盛り上げようともしない以上、フレンズですらない。
1期を有能な料理人による料理だとすれば、その材料や残り物に齧り付く存在は害虫としか言えないでしょう?例え、それが人間であってもです。
それが延々と「けもフレ」に関わってくるから、どんだけ嫌いでも性質を調べた上で、寄ってこないよう死滅するよう対策してるだけなんですよ。
ま、これは□製作陣にも言える事ですけどね。あっちはスポンサー含む企業に不利益を呼んでるから不快では済まないでしょう。
この概念が根付く上で最大の障害は言葉にして確認すると冷めるという人たちだと思う。
同意を取っても同意を取らない場合と同じくらいセックスが成立するなら簡単に定着するだろう一方、現状で一々同意を取ろうという人間がいても正直者が馬鹿を見る結果になるだけだろう。
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を想起させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。
結論としては以上となる。
フリーランスではないけど「4100円は少ない」と怒っている立場なので私見を書く。
4100円は不当に少ないと思う。
仮に雇用労働者の補償が1000円なら、フリーランスも1000円にすべきだと思う。
理由は、今回の補償の趣旨が「休校に伴う育児により、仕事ができず、仕事の対価としての収入が無くなった人の支援」だから。
これは休校に伴い「子供の行き先がない」という状況にたまたま陥った人たちが、そうではない人たちと比べて著しい不利益(休校のとばっちり)を受けるのを緩和するための措置であって、そのような状況に陥る可能性は、雇用労働者であるかフリーランスであるかに関わらず、等しく存在している。
公共の福祉のために一部の人たちに犠牲を強いる結果になったため、その負担を和らげ少しでも公平性を保とう、というのが補償の趣旨である以上、補償は労働形態に関わらず公平であるべきだ。
これは、国と個人との関係の話であって、企業と個人の関係の話ではない。
確かにフリーランスは企業による保護とのトレードオフで自由な働き方を選んだのかもしれないが、対企業での選択如何によって対行政との関係性が制約されるというのは、ロジックとしてまったくおかしい。
【登場人物】
義姉(妻の姉)・・・専門学校卒、パート。勉強嫌い意識あるが頭良い。
義姉の旦那・・・高校卒、自営業。勉強嫌い意識あるが、頭良い。
【問題意識の背景】
私の妻の姉にも、小学1年生の子供(いとこ)がいる。妻と姉は仲が良く、家も近いので子供同士も仲が良い。今の環境にとても満足している。
ただ、一つ気がかりな事がある。私の妻も、妻の姉、妻姉旦那も、「勉強・大学進学できなくても別にいいじゃん?本人が良ければ」という考えなのである。
ちなみに私は「勉強・大学進学した方が得じゃん?別にそれが全てでは無いけど」という考え方だ。そう考える理由は、自分の事を「頭が良くない平凡な人間」という自覚があるからだ。「平凡な人間」こそ「勉強・進学」することはメリットが高いと考えている。
ヒトと会話をしていると、その人が頭が良いか(「学校の勉強ができるか」ではなく、「仕事ができるか」に近いと思っている)はある程度推察できる。少なくとも、ここの登場人物は、皆私より頭が良いことは、普段の会話の中で判断できた。
頭の良さ(頭の回転スピード・論理的思考力・思考のバランス)は下記順だ。
義姉の旦那 > 義姉 > 妻 > 私
妻 > 私 > 義姉 > 義姉の旦那
正直、皆私より頭良いのだ。だからこそ、「なぜ大卒なのは妻だけで、妻の姉も、その旦那も、大卒じゃないのか?」が疑問だった。頭が良いのであれば、勉強しないメリットは無いと思っていたからだ。
答えは単純で二人とも「学校の勉強は苦手・嫌い だったから」だそうだ。二人とも本を読むのが好きではないらしい。確かに家に行っても本がほとんど無い。
私と妻は「学校の勉強は嫌いじゃなかった」から大学に行った。本当にそれだけの違いだ。
そして義姉の旦那は高卒後、色々な仕事を転々とし、独立して自営業を始めた。仕事も順調で、収入も良い。自営業(経営者)なので考えないといけない事の多さや、安定性はサラリーマンより不利かもしれないが、行動力があり、とても凄いなと、いつも尊敬している。気遣いもできて、人間としての器も広い。とても私は敵わない。
そういうバックグラウンドで仕事は成功しているので、子供に対する 勉強・大学進学にこだわっていない事は理解できる。「でもそれは、義姉の旦那さんが積極的な性格で、トライアンドエラーを繰り返し、頭が良かったからうまくいっただけですよね…?平凡な人間であれば、少なくとも良い大学出といた方が、メリット大きくないのですか?」と私は内心思っている。もちろん直接は伝えた事は無い。
妻と、妻の姉も、子供に勉強させる意識は高くない。「理由はなぜか?」を聞いたら、「勉強するかしないかは本人の問題であり、親がさせたり、誘導するものではない。」との事だった。ごもっとも過ぎる。少なくとも妻姉妹は「勉強しろ」と言われた事は一度も無いらしい。そしてその背景は、妻の親が自営業者で、大学は出ていない事が関係しているのだろうと、私は勝手に予想している。
それに比べて、私の親・親戚は典型的なサラリーマン家系だ。サラリーマンだけではなく、教育関係者や、医療従事者もいるが、少なくとも男で大学卒業していない人はいなかった。そして、子供の頃住んでいたのは、大企業の社宅だったので、周りの家族も似たり寄った考えの人達の集合だった。周りの子供達も。よって「勉強しない・大学進学しない」という選択肢がそもそもなかった。小中高も同じ考えだった。大学生になってそれが全てでは無いと初めて知ったのだ。アホである。でも知る事が出来て良かった。さらに社会人になると、大学卒業していないけれど、はるかに頭が良い人、仕事ができる人、天才な人がたくさんいる事が分かった。自分は平凡である事をとても強く感じる事ができた。
私にはそういうバックグラウンドがあるから、自分の子供にも、普通に勉強して、普通に大学を卒業して欲しいのである。なぜなら自分には自信がないからだ。また、子供の能力を信頼していない事も原因にある。逆それ以外の選択肢を子供に取らせる事により、子供に不利益を生じさせた場合、「自分が後悔するだろうな。それは嫌だな。」と考えてしまうエゴもある。
ただ、実は「自分の子供が勉強できるか、大学進学できるか」は、実はあまり心配していない。なぜなら自分の子供は自分にそっくりだという事は見て分かるからだ。具体的に言うと、アスペルガー症候群っぽい性質だ。超マイペースだが、色々な事に興味があり、勉強はあまりしなくても成績は良い。本を読むのが大好きだ。そしてなんでもすぐに覚える。ただ、周りの人の気持ちには無頓着でワガママだ。
よって、心配しているのは、義姉の子供(いとこ)だけなのである。この子は、勉強に苦手意識がある。成績も良くない。勉強の内容を理解せずに、丸暗記で乗り切ろうとしているからだ。でも頭は良い。だから丁寧に教えてやればすぐに理解する。ただ本を読むのも勉強するのも好きじゃないらしい。これは本人から聞いた。そしてその事に対して、本人も親も心配していない。心配しているのは私だけなのである。いとこの親は「自分達に似てるから勉強できないのは仕方ないよ 笑」って感じなのである。
私からすると、「いやいやいやいや、そんな事無いって。あなた達に似て頭良い子じゃん。ただ勉強しないだけじゃん。勉強しないから苦手なだけじゃん。苦手だから嫌いになるんでしょ?それ勿体ないじゃん。現に俺が勉強教えたら、すぐに理解して、すぐに成績上がったじゃん。嬉しそうにしてたじゃん。頭良いのに勉強させないのは勿体無いじゃん。勉強に興味を持たせたり、本を読む事の面白さを伝えたり、今の時代、本だけではなく、アプリも動画もあるのだから、そういうもので興味を持たせてあげる必要があるのではないの?」と言いたいのだ。
上記の考えは妻だけには伝えているのだが、「その考えは合ってるかもしれないけれど、それは俺の考えであって、おねーちゃん家族・子供 の考えじゃないじゃん。口出すことではないよね」という回答だった。
まぁ、ごもっともなのだがモヤモヤする。「その子の可能性を一つ増やしてあげるのは親の責任なのではないの・・・?どうなの?」とは思うのだが、自分の子供の事では無いので強く言えない。
「別に勉強できなくても、大学行かなくても良いよ。でも行けるなら行っても良いじゃん。可能性広がるよ。例えば・・・」ってイトコに色々伝えたいのだが、捉え方によっては、大学に行っていない人(イトコの親)を蔑んでいるようにも聞こえなくは無い。そんな事は全く思っていないので、そう思われる可能性があるのは辛い。よって伝えてない。
どうしたら、子供のいとこの教育・進学に対する意識を変えられるのだろう。
誰か教えて欲しい。
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妻「そのイトコも親と似たような人生歩んで成功するかもじゃん。なぜそこまで勉強・大学にこだわるの?今のご時世、大学卒業して大企業に入る事がベストコースと言えないでしょ」
→それはそうだけど、小中高大学で良い学校に居た方が、色々な世界・知識に触れる事ができるし、メリット大きいし、将来の選択肢と私は思うんだよなぁ。
朝日新聞のこの見出しは酷い!これ全てのコンテンツのDLが規制されるとミスリード。侵害コンテンツダウンロードのみが規制対象。更に引用要件等満たせば権利者の許可無くても無断で公開も合法なので朝日、時事とも記事本文不正確。有償のみ刑事罰対象なので日経も記事不正確。https://t.co/GTPR9VYupI— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2020年3月10日
最近は余りツイートをしていなかった山田太郎議員が今日になって急にマスコミの報道が悪いと言い出したり、自身に近い支持者の都合の良いツイートをRTし出しているのを見ても余程この一件世間的な反発が多いのは事実だろうね。
それに幾ら山田太郎議員が新聞社がミスリードだとか言った所でダウンロード違法化の拡大が行われる事実は変わりないし、文化庁の会議や自民の会議が出来レースであり、文化庁案がほぼ通ってしまった事やその際パブコメが8割以上反対だった事実は無視された事実も何ら変わらないから、どういった所で世間における山田太郎議員の信用はこれでおしまいだろうね。
この一件を試金石に見ていた人が多かったのは事実だし、何せ自民における部会の代表だった訳で責任ある立場で行ったのだから。
その世界一厳しい著作権が余りにも権利者ばかり優遇されて、関係ない第三者に不利益を与えている事を指摘され続けていたのは事実だし、実際今回に関しても当事者同士に有効な案を蹴ってまで先にダウンロード違法化拡大と言う懸念される様な法案を通したからこそここまでの大反発を招いているのも事実だしね。
また山田太郎議員のやり方は知っているけど、流石にそれを自民内部の部会のトップで行ったらそりゃ世間の人も納得しないのも当たり前だろうし、いくらスケジュールで決まっていたとしても平時ならまだしもコロナウイルスと言う非常事態ですらいつも通りにやれば、そりゃいつも以上に非難が来るのも当たり前でしょう。
何にしろ山田太郎議員に関してはもはや表現の自由界隈においても規制に反対してくれる議員ではなく、赤松健氏とつるんでいる漫画家や出版の御用議員と言う印象がついた人も多いだろうと思う。
https://twitter.com/pink_yellowish/status/1057925168406773761?s=20
【2012年】
□第2次安倍内閣発足
【2013年】
●アベノミクス発表
●東京五輪決定
【2014年】
●消費税8%引き上げ
□第3次安倍内閣発足
【2015年】
【2016年】
【2017年】
●森友問題
【2018年】
【2018年続き】
●省庁の障害者雇用水増し発覚
【2018年続き】
□第4次安倍改造内閣発足
【2018年続き】
●平井大臣 選挙運動費用収支報告書に約700万円分の無宛名領収書61枚
【2018年続き】
●片山さつき 暴力団交際者から事務所無償提供&秘書給与肩代わり
【2018年続き】
【2018年続き】
【2019年】
【2019年続き】
【2019年続き】
●安倍首相「自衛隊募集は都道府県6割以上が協力拒否」実際は9割協力
●政府統計 2018年1月から日雇労働者120万人外し賃金操作
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
●消費税8%据え置きの軽減税率食料品 政府指針で増税前値上げを推奨
●エジプト・シナイ半島で活動する多国籍軍に陸上自衛官の派遣決定
●塚田一郎副国土交通相 下関北九州道路建設計画「私が忖度した」発言辞任
●新元号「令和」に米NYタイムズ紙「Order and Peace(命令と平和)」
【2019年続き】
●米WSJ紙社説 日本の消費増税が「自傷行為」になるとの見解
●F35戦闘機 米報告書で未解決欠陥966件 100件以上は安全に関わる重大欠陥→政府100機追加購入
【2019年続き】
【2019年続き】
●WTO逆転敗訴 政府の「日本産食品の科学的安全性認められた」は虚偽説明
●日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教職員の懲戒処分 国際労働機関ILOが是正勧告
【2019年続き】
○元号が令和となる
●経産省キャリア職員 覚醒剤使用で現行犯逮捕 省内の机から注射器押収
●自民党兵庫県議谷口氏 選挙期間中当て逃げ 親族が身代わり出頭
【2019年続き】
【2019年続き】
●トランプ氏来日 過剰接待 大相撲でソファ土俵にスリッパ 日米で批判
【2019年続き】
【2019年続き】
●人口自然減 初の40万人超 出生率3年連続減 出生数過去最少更新
【2019年続き】
●国家戦略特区 政府WG委員関連会社 提案者から指導料200万円
●非正規雇用者 10人中4人に増加 年収200万円未満75%
【2019年続き】
●老後2000万円報告書「質問への答弁控える」政府が閣議決定
【2019年続き】
【2019年続き】
●国連特別報告者 日本メディア独立性疑念への日本の拒絶反応に「驚愕した」
【2019年続き】
震災のとき、千羽鶴を送る人を避難する傾向があった。しかし、不安でかつ致し方がない人には、鶴を折るという好意はそのジレンマを解消するには役立った。
鶴を折らず自分で不安を解消できない人は、他人の意見も聞かず古着を送りつけたりする。それに比べれば、選別の手間がかからない分、千羽鶴の方が受け取る側にも負担が少ないのだ。
今回、地域に依らず発生しうる災害の場合、不安の捌け先が無い。だから家族のためと称して、トイレットペーパーの買い占めなどに走るのだ。捌け口が無ければこのエネルギーの解消しどころが無い。鶴だったら、一緒に折っている人とのコミュニケーションの中で落ち着きどころを見つけることも可能なのだろう。でも買い占めは「他の人に不利益になっても身内を守る」という意思が働く分、他人と共有する力も働きにくい。
政府の行動は何もかも同意しかねるが、一般の人がパニックに陥った時の力というものを見ているのかな、とは思う。それは震災直後に見たことがあり、あれを収めることの方が現況を収めることより大変なのだろうとは思う。
しかし今回、何をしたら良いか分からない人に何をさせてあげられるだろうか。千羽鶴は宗教というよりは「あなたのことを思っている人が居るよ」という表明なので、特定の宗教を嫌気する日本でやりやすかった。似たような、捌け口としての行動として、何がありうるのだろう。専門的な知識を体系的に学ぶ意力は無いが何かをしなければ収まらない人たちに、何を提供できるのだろう。
「トランス女性をシス女性と同じ扱いにしたら、シス女性がこんな不利益を受ける、こんな危険にさらされるから不安だ」
そんなシス女性の甘えた泣き言にトランス女性は一切応える義務は無い。
「トランス女性は「女性」であり、シス女性と全く同じ権利を持つ」と正しい主張だけすればよい。
トランス女性が女子トイレや女子更衣室や女湯を使えるようになれば、女装した男性が性犯罪目的に侵入する機会は増えるだろう。
女子大や管理職や議員の女性枠にトランス女性が入ることを認めたら、(シス)女性の先人たちの血と汗と涙によって得られた女性のための貴重な教育とリーダーシップの機会を奪う強力なライバルになるかもしれない。
女子スポーツに参戦したトランス女性はテストステロンの差で上位を独占し、シス女子高生はスポーツ奨学金を得られずに大学進学を諦め、多くのシス女子アスリートがプロスポーツ選手のキャリアを断念するだろう。
だから、なに?
今まで「女性」のための場所をシス女性だけが使えたのはただの特権。「女性」であるトランス女性が「女性」のための場所から排除されているのはただの差別。
「特権を失うことが不安だ」「何もかも平等にするとこんな不都合が生じる」などとぬかす差別主義者であるシス女性ために、なぜ被差別者であるトランス女性が寄り添って優しく慰めと説得の言葉を掛けてあげなければならないのだ。