震災のとき、千羽鶴を送る人を避難する傾向があった。しかし、不安でかつ致し方がない人には、鶴を折るという好意はそのジレンマを解消するには役立った。
鶴を折らず自分で不安を解消できない人は、他人の意見も聞かず古着を送りつけたりする。それに比べれば、選別の手間がかからない分、千羽鶴の方が受け取る側にも負担が少ないのだ。
今回、地域に依らず発生しうる災害の場合、不安の捌け先が無い。だから家族のためと称して、トイレットペーパーの買い占めなどに走るのだ。捌け口が無ければこのエネルギーの解消しどころが無い。鶴だったら、一緒に折っている人とのコミュニケーションの中で落ち着きどころを見つけることも可能なのだろう。でも買い占めは「他の人に不利益になっても身内を守る」という意思が働く分、他人と共有する力も働きにくい。
政府の行動は何もかも同意しかねるが、一般の人がパニックに陥った時の力というものを見ているのかな、とは思う。それは震災直後に見たことがあり、あれを収めることの方が現況を収めることより大変なのだろうとは思う。
しかし今回、何をしたら良いか分からない人に何をさせてあげられるだろうか。千羽鶴は宗教というよりは「あなたのことを思っている人が居るよ」という表明なので、特定の宗教を嫌気する日本でやりやすかった。似たような、捌け口としての行動として、何がありうるのだろう。専門的な知識を体系的に学ぶ意力は無いが何かをしなければ収まらない人たちに、何を提供できるのだろう。
大仏建立
いまガンダム建ててるから